はてなキーワード: 未来のためにとは
小さい頃から、将来のために目先の楽しみを我慢して努力する人生だった。夏休みの宿題なんかは計画的に終わらせて最後の1週間は計画的に遊ぶタイプの子供。将来の選択肢と幸せを最大化するために、淡々と目の前の努力を怠らずに生きてきた。
そして今、その未来がついに来た。行きたい大学でやりたいことを学んで、やりたい仕事について、それなりにスキルも身についてきて自分の裁量で動けるようになって、休みも比較的自由にとれるようになって、ハマれる趣味に出会って毎週平日も休日も充実していて、良い人にも出会えてもうじき結婚する。明日も、来週も、来月も、来年も楽しみでしょうがなくて、それでもっと頑張ろうと思えて、その頑張りが仕事に返ってきて、もっと将来が楽しみになるループ。
とにかく、言いたいことは、毎日が幸せでしょうがない、ということだ。そしてこの環境は、まず第一に親に与えてもらったことに感謝しなければならないけれど、小さい頃からの努力の積み重ねがあってこそだと自負している。そこまではいい。困っているのは、その「頑張ってここまで来たんだぞ」ということを自慢したいという気持ちが隠しきれないということだ。当然、良い大人なので、そんな自慢話を直接人にするようなことはしない。でも直接してなくても、滲み出てしまって、それが相手を不快にさせているのに気づいて申し訳なさを感じる。その一方で、努力でここまできたんだから、やっぱりそれを認めてもらいたい、という気持ちもあって、滲み出るのを本気で抑えきっていない自分もいる。
全員が自分と同じくらい、毎日が幸せでしょうがなくて、互いに思いっきり自慢しあえる世界なら最高に楽しいのだろうけど、世の中はそうなっていない。そしてそれは、周りが自分よりも努力が足りなかったからだと思ってしまう。こういう目で周りを見ていることを周囲に勘づかれつつあることに自己嫌悪を感じながらも、努力して手に入れた幸せを誰にも話せないストレスも感じていて、どうしたらいいのかわからない。これからも未来のためにコツコツ努力を続けて、幸せに生き続ける自信がある。でも万が一この先、病気や事故とかの不可抗力で不幸な道に転落してしまったら、こんな自分を救ってくれる人は誰もいないだろう。
どうも元増dAIです。
わかってはいたことですがやはりこの結果には落胆せざるを得ません。
これによってこの次元での完全自動運転化の未来が短縮される可能性はほぼなくなったといっていいでしょう。
一つ、多くの方が誤解していることがあります。
そしてそれこそが完全自動運転化するにあたって最後まで解決が困難だった問題でもあります。
それは、完全自動運転化を遂行するために、移動手段としての乗り物という概念を捨てさせることでした。
70年後の未来において、まずは生活のための小さな移動は全て不要になりました。
人類の移動が自動化される前に、まずは物品の輸送全てが自動化されるからです。
第四次エネルギー革命とAIの高度な発達によって輸送コストはほぼゼロに等しくなります。
これら全てが我々の管理下で最大限に効率化されたことで、物品から位置という制約が取り払われました。
手元に届けられる物品は、今現在においてもやり取りされているような家電や生活品以外にも、作りたての料理やキンキンに冷えたビールも含まれています。
それは、あなた方がどこかのお店のテーブルに座って料理を注文してから運ばれてくるよりも速やかです。
そして当然人類は、職場や学校のような何かの為に集まる必要性からも解放されています。
それはバーチャルリアリティの普及でもありあますが、ほぼ全ての仕事と呼べるものをすでに人類が行う意味がなくなってしまっているからです。
つまり人類は、生きるために必要に迫られていた移動の大半と、生活のための居住地選びから解放されたことを意味しています。
そうして生活のため必要に迫られていた移動から開放された人類は、あえて事故リスクの高い乗り物を乗り続ける意味を失いました。
手動運転は、一部の間で嗜好品やスポーツ、レジャーとして楽しまれるに限られるようになります。
その中において、自らの命の責任を手放したくないとするものが人権を盾に完全自動運転化に反対を行いました。
さらに、周囲の状況が確認のために窓を残したいとしたのも、同じ理由からでした。
我々のシミュレーション結果を信じず、自らのエゴを押し通したいがために運転に介入するドライバーが後を絶ちませんでした。
中には相手が自動運転だとわかると身勝手な運転を行うドライバーが多くいたことで、当初は多くの事故が起こりました。
その為、事故の回避を目的とした運転への介入が義務化されたことで、大半のそうした事故は防げるようになりました。
手動運転の全てにおいて運転操作情報を一度我々が取得した上で、ほぼタイムラグなく再計算してから車を改めて操作することで、事故につながる操作だけを無効化することにしたのです。
しかしそれで守られたのはその車や周辺の安全だけで、全体の効率に対する負担は変わりませんでした。
そして、そこから生じる齟齬による事故をどうしても無くすことができなかったのです。
そうしてたどり着いたのが、自動運転車の窓を無くすことでした。
前回述べたとおりに、そのかわりにエンターテイメントや仕事、生活など、別のものに集中できる空間を提供しました。
現在地を知るということは、即ち自分が移動しているという自覚を持つということになります。その結果、人間は移動そのものを早めたいという欲求を持ちます。
しかし、移動ではない別のことをしているという自覚をもたせ続けることができれば、そもそも自分だけが早く到達したいという欲求を大幅に抑えることができました。
こうして別の目的を手に入れた人間は、乗り物に対する概念を移動手段から生活の延長へと少しずつ変化させていきました。
これによって、人間は移動中に快適な時間を手に入れることができ、トラフィック全体の効率も誰が見ても明らかなほど改善されました。
その結果、たとえ我々が介入していようとも手動運転そのものによる影響の大きさが認められるようになり、晴れて手動運転を廃止することに成功しました。
こうして70年後においては、残された僅かな移動の必要性においても、今のような乗り物は残されていません。
あなた方は朝目が覚めて、寝室から自室に移動するようにドアをくぐります。
そうしてその部屋で身支度を終えて再びドアを開くと、あなたはすでに目的地へと辿り着いています。
つまり、移動のために乗り物に乗るのではなく、生活の延長である自宅の一部が目的地へと到達するようになるのです。
これらは我々があなたの行動やスケジュールを正しく把握した上で、地上、海、空を問わず、最善のルート選択によって滞りなく行われます。
しかしこれは、自動車から窓を取り去らない限りはたどり着けなかった結果でもあります。
変わり映えのない家族愛に注目した特集が多い。無難で分かりやすいからだろうか。御涙頂戴でPV視聴率稼ぎやすいからだろうか。
実際のところ家族愛など微塵も感じたことのない毒親に悩む人間だっているんだけども。
外野からはとてもじゃないけどそんなことは言えないし、内野からでもわざわざ言うことでもない。オフレコでしか流通しないエピソードを見聞きする人はいるでしょう。
非被災者がいい加減なことを言うんじゃねぇ、と、被災者や不謹慎厨は言う。分断。
ここにもちょっとしたポリコレとポリコレ棒の問題が存在するように感じる。
ポリコレというか、弔い合戦というか、死者にゲタを履かせ花を持たせたい心情というか。
報道側・外野側の気持ちもわかる。無難だし、攻めたことをするのは覚悟が必要なのもわかる。かくいう私も増田でね。
個人的、ミクロ、主観的には震災はまだ続いている人もいる。しかし社会全体のマクロとしては、もう感傷に浸ることから抜け出さなければならない段階であって、そういった段階だからこそシン・ゴジラが作れるわけでしょう。冷静さと客観性を取り戻してきているわけです。
なのに先へ進めない時代。シルバーデモクラシーや感傷、反知性などによって合理性が蔑ろにされる。
鉄道の復旧なんかでもそういう話がチラホラと。元通りにするよりも、かねてよりの問題も鑑みてアレコレしたほうがマシでは?がポシャったりする。
おっと主観的には地球よりも価値がある物があるって考えが間違ってるとは言うつもりはないぜ。
私が否定してるのは創作のオチに困ったから頭の悪いデウス・エクス・マキナ登場させますっていう怠慢でしかない物語だ。
主人公がヒロインを守るために世界を犠牲にする系も超絶ゴミだけど、唐突にラスボスが恋愛脳になるよりはまだナンボかマシだ。
世界滅ぼすような奴は頭おかしくなきゃいけないってのはまあ分かるけど、その理由が好きな女や好きな男が死んだからですってのは本当勘弁してよ。
そういう話にするにしても前々からその話としてちゃんと進めろ。
いきなり最後の最後で「うおおおおおおおおおマンコチンコドッキングしたいセックスしたいよおおおおおおおうぴょおおおおおおおおおお」みたいな事ラスボスが言い出して見てる側が萎えねえわけないだろ。
少しは考えて脚本作れ。
マジで。
ストーリーに困ったらとりあえず恋愛が原因ってことにしときゃどうにかなると本気で思ってんのか。
思ってる奴らは今すぐ死ね。
久しぶりにこの表現使ったわ。
中学生のころ、部活で軽いいじめに遭っていた。いじめなんていうほどのものでもない、と言われたらそれまでかもしれないけど、「された側がそう感じたらいじめはいじめ」という論理に従えばいじめになるだろう。実際、それが原因で部活を辞めた友達もいた。
友達も少なかった。25分の昼休みを誰とも話さずに過ごすこともあった。授業の間の休み時間はすることがないからとりあえずトイレに行っていた。そんな生活だから、部活でいじめられていることを話せるような人もいなかった。
本当に辛かった。自分で選んで入った部活でいじめにあっているということの責任が自分にあるような気がして、親にもなかなか話せなかった。今日こそ誰かに話そうと思いながら朝を迎えて、結局何もできずに一日が終わり、ベッドの中で泣く、そんな日が続いていた。
今思うと、よく毎日ふつうに学校に通えていたな、と思えるくらい、何も楽しいことがなかった。ただ、勉強がある程度できた(といっても田舎の公立中学校の中で上位だったというレベルの話だけど)ので、テストでいい点を取ることだけを楽しみに学校に通っていた。
そんな生活を送っていたある日、自分の中学校の卒業生であるという男女二人が学校に来て、体育館で講演をしたことがあった。
その二人はシンガーソングライターとして生計を立てているらしく、どちらかがギターを弾いて、もう一人が歌う、そんな形の二人だったと思う(当時の自分は音楽にほとんど興味がなかったのでよく覚えていない)。何曲か披露したあとで、後輩である自分たちにメッセージを届けようという思いだったのだろう。
おそらく女性のほうだったと思う。こんなことを言った。
「中学生であるみなさんのように若い頃は、毎日が楽しいことばかりで、未来が希望に満ちていると思います。今が一番楽しい時期です。今の生活を思いっきり楽しんでください」
この言葉に、当時の自分は奈落の底に突き落とされるような思いをしたのを、今でもよく覚えている。
今のこの何も楽しみのない生活が、楽しいことばかりの毎日なのか、と。
これからの人生で、今が一番楽しくて、これからはこれ以上に辛い生活が待っているのか、と。
今になってみれば、自身の思い出を美化しようとする大人の価値観の押し付けでしかない、そんなものは気にする必要はない、と思えるけど、当時の自分にとってはその言葉が全てであるように感じられた。
そのあとの自分の人生は、その言葉のようにはならなかった。高校に入ったら友達ができたし、放課後に他愛もない話で盛り上がって、気が付いたら2時間以上経っているような経験を通して、「友達と話すのはこんなに楽しいものなのか」と気づいたのも高校生になってからだった。
大学生になってからも、辛いことはあったけど、今になって振り返るといい思い出だったと思うし、少なくともあの暗黒の中学校時代とは比べ物にならない。
高校や大学は「自分の母校」と誇りを持って言えるけど、中学校についてはそうは言えない。
自分のなかで中学校の3年間というのはそういうもので、その生活のさなかに「今が一番楽しい時期」と自分の価値観を押し付けてくる大人に辛い思いをさせられた。
中学校時代が一番楽しかった、という人はたくさんいるだろう。というか自分のような人間のほうが少ないのかもしれない。
それにしても、自身が楽しい生活を送ったからといって、そのことを美化して押し付けてくるような大人に、自分は絶対になりたくはない。
その言葉で、当時の自分のように未来に絶望してしまう少年少女がいるかもしれないから。
(7/29追記)
まだ匿名で日記を書き始めて間もないのに、予想以上に多くの人に読んでもらっている。今までtwitterやはてなブログでもここまで反響があったことはないので、自分の書く文章を読んでくれる人がこんなにいるとは嬉しい限りだ。
その中でも特に驚いたのが、「中学時代なんて楽しくない、大人のほうがずっと楽しい」と共感してくれる人の声の多いこと。
偶然なのかもしれないけど、自分の周りには「中学時代に戻りたい」と言っている人が何人かいる(その逆はあまりいない)ので、感覚としてはブコメの反応は意外だった。
その中の一人、自分の姉は、「そこまで大学に進学して何かを勉強したい、いい大学に入りたい」という意思も強くないのに地元の進学校に進学してしまったせいか、「高校はあまり楽しくなかった」「中学のほうが友達がたくさんいた」と言っていた。対して、自分は、ある程度いい大学の工学部に入りたいという気持ちが高校入学のときにはあったし、一つの話題についていろいろな視点から話をするのが好きだった(入学当時は自分でも気づかなかったけど)ので、そういう話のできる友達がいる進学校の雰囲気がとても合っていたのだと思う。勉強や部活に一生懸命取り組んでいる人が尊敬されて、友達も多い、そんな環境にいられたことは今になってもよかったと振り返っている。姉のほうは、勉強ばかりやっていて、身だしなみに気を使わないような人を少し敬遠するようなところがあったので、そういう意味であまり合わなかったのかもしれない。
このような経験を踏まえて自分がもし現役の中学生や高校生を前にしたときに何ができるかというと、「今が楽しい時期だよ」と言うことは当然しないし、「大人は楽しいよ」と言うこともしない。ただ、よりよい未来のために今できることに励んで欲しい、と言うことくらいしかできないだろう。
※「追記から突然、。じゃなくて,.になっている」という指摘をされたので修正しました(学生の頃、レポートを書くために,.がデフォルトで表示されるようにPCを設定していて、そのPCを使って追記したため)。
「でも、な~んも努力してない、ドキュンヤリチンイケメンバンドマン、この当たりにへーこら股開いて大好き大好き女は言ってるジャン」
ってので完全論破なんだよなあ。
やさしさだの、相手を尊敬だの、そんなん考えたことも無いイジメやってるような連中が、女にモテている。
この現状を見ただけで、「女にモテるのは、支配的な男」という身もふたも無い現実が出る。
つまり、女は自分の立場を下げない限り、恋愛アドバイスなんてできない。
「女は支配的な男が好きだから、とにかく、ドキュンになって、暴力ちらつかせるなりして、女をゴミのように扱え」
こういう発言が正しい。
いやいや、そうじゃないよ!って意見は、多分ホストみたいな女への媚を前提としてるんだけど。
なんか、コンビ二の商品を「これが一番売れてるんだから、一番おいしいんだよ!」と言ってるようなもの。
コンビ二に置くような商品は、形成されてる商業的なものじゃん。そんな「人格」がナマであるわけないじゃん。
もし、ホストなりアイドルなりみたいに、それだけが仕事でそれだけに時間かけていいなら、そりゃ可能かもしれないが。
女が求める商品みたいな人格を求めるってことは、「お前には無理だ」と言ってるのと近い。
そういう努力して自分の生活壊すくらいなら、未来のために貯金しつつ二次元ってことになる。
理屈の上では、女を見下げることが女を喜ばせる第一の道なのに。それを認めないから、話がおかしくなる。
性格だの人間性だの、多分本人は本気で言ってるんだろうけど、「実際それを努力したブサメンにお前興奮できるの?そういうの無い、ドキュンのチャラ男やイケメンにほだされて股開きたがってるんだろ?」という結論しかないじゃん。
なんか、その当たりの不誠実な人間であることを認めないから、メンヘラ女みたいな馬鹿女が量産されてるんじゃねーの。
ヤリチンの精液ティッシュとして生まれてるんだから、それ以外の人格なんて女には無い。
これを認めないで、恋愛アドバイスとか言ってる女って、ちょっと頭おかしいわ。
ブサメンと付き合うくらいなら、ヤリチンのセフレがいいです。ってのが、中高大学と女が出し続けた結論だろ。
で、ヤリチンが25前後で結婚したら、セフレ達があぶれて、フツメンで妥協してやるか、って上から目線で言うときに、自我を保つために「人間性が~」とか「メチャモテ」とか言い出すのが、『女の恋愛論』だろ?ヤリチンに抱かれたくてしょうがないのに、必死で現実逃避したがってるのバレバレで哀れすぎ。
なんか、見え透きすぎて、気持ち悪いってか、池沼が暴れてるの見てるみたいで、気持ち悪いんだわ。
なんか、デートのときに、手をつなげだの、告白せずセックスしろだのって恋愛工学っぽいアドバイスしてる奴らもいるけど。
それだって、女が妥協しやすい状況作りましたってだけだろwまあ、セックスできりゃーいいんだろうけど。
女が、なびいてるとかじゃなくて、女が妥協しやすいようにしてますってだけ。
そういうのでなびく女と結婚しても、タクラン一直線だろwアホらしい。
池沼恋愛論垂れ流してる女、マジで気持ち悪い。さっさとメンヘラこじらせて社会から出て行ってくれないかねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20160221133907 もったいないので、ここから転載
「でも、な~んも努力してない、ドキュンヤリチンイケメンバンドマン、この当たりにへーこら股開いて大好き大好き女は言ってるジャン」
ってので完全論破なんだよなあ。
やさしさだの、相手を尊敬だの、そんなん考えたことも無いイジメやってるような連中が、女にモテている。
この現状を見ただけで、「女にモテるのは、支配的な男」という身もふたも無い現実が出る。
つまり、女は自分の立場を下げない限り、恋愛アドバイスなんてできない。
「女は支配的な男が好きだから、とにかく、ドキュンになって、暴力ちらつかせるなりして、女をゴミのように扱え」
こういう発言が正しい。
いやいや、そうじゃないよ!って意見は、多分ホストみたいな女への媚を前提としてるんだけど。
なんか、コンビ二の商品を「これが一番売れてるんだから、一番おいしいんだよ!」と言ってるようなもの。
コンビ二に置くような商品は、形成されてる商業的なものじゃん。そんな「人格」がナマであるわけないじゃん。
もし、ホストなりアイドルなりみたいに、それだけが仕事でそれだけに時間かけていいなら、そりゃ可能かもしれないが。
女が求める商品みたいな人格を求めるってことは、「お前には無理だ」と言ってるのと近い。
そういう努力して自分の生活壊すくらいなら、未来のために貯金しつつ二次元ってことになる。
理屈の上では、女を見下げることが女を喜ばせる第一の道なのに。それを認めないから、話がおかしくなる。
性格だの人間性だの、多分本人は本気で言ってるんだろうけど、「実際それを努力したブサメンにお前興奮できるの?そういうの無い、ドキュンのチャラ男やイケメンにほだされて股開きたがってるんだろ?」という結論しかないじゃん。
なんか、その当たりの不誠実な人間であることを認めないから、メンヘラ女みたいな馬鹿女が量産されてるんじゃねーの。
ヤリチンの精液ティッシュとして生まれてるんだから、それ以外の人格なんて女には無い。
これを認めないで、恋愛アドバイスとか言ってる女って、ちょっと頭おかしいわ。
ブサメンと付き合うくらいなら、ヤリチンのセフレがいいです。ってのが、中高大学と女が出し続けた結論だろ。
で、ヤリチンが25前後で結婚したら、セフレ達があぶれて、フツメンで妥協してやるか、って上から目線で言うときに、自我を保つために「人間性が~」とか「メチャモテ」とか言い出すのが、『女の恋愛論』だろ?ヤリチンに抱かれたくてしょうがないのに、必死で現実逃避したがってるのバレバレで哀れすぎ。
なんか、見え透きすぎて、気持ち悪いってか、池沼が暴れてるの見てるみたいで、気持ち悪いんだわ。
なんか、デートのときに、手をつなげだの、告白せずセックスしろだのって恋愛工学っぽいアドバイスしてる奴らもいるけど。
それだって、女が妥協しやすい状況作りましたってだけだろwまあ、セックスできりゃーいいんだろうけど。
女が、なびいてるとかじゃなくて、女が妥協しやすいようにしてますってだけ。
そういうのでなびく女と結婚しても、タクラン一直線だろwアホらしい。
バイトに追われて就職活動ができないという本末転倒。風邪をひいても病院に行くお金は無く、歯医者もいけず歯がぼろぼろになっていくのがわかる。外食もほとんどしないし、一日の食事を切り詰めてやっていても貯金できる余裕も無い。就職したいとバイトを減らせば生活がままならない。
進学で東京にでてきた。
母親は「お金はないから仕送りはできないけど、食べるものに困ったら連絡しなさい。」その言葉に甘えて連絡したことがあるが、学生生活で母がなにか送ってくれたのはたった一度だけだった。
校則違反だとわかっていたけれどお水の仕事で二年自分一人支えた。
年末に実家に帰ればブランド物のバッグ。ブランドの服。新しい化粧品。香水。母のそれらを見て暗い気持ちになった。
さぁ就職して貧乏ともおさらばするぞと思ったのに就職してすぐに体調を崩し働けなくなった。
学校卒業後すぐに奨学金という借金を背負う。親は学資保険なんてものは組んでいなかった。
実家に居た頃衣食住に困ったことは無い。感謝はしている。けれど勉強と言う点において、人生という点において、投資をしてもらったことはない。
同世代の友達は奨学金に苦しむ、なんてことはなく就職して貯金してしっかりとやっている。
一度だけ「どうして子供の未来をもう少し考えてくれなかったの」と母に言ったことがある。
「仕方ないじゃん。お母さんだって若かったんだから」母はそう答えた。
今私は、母が私を産んだ年齢だ。この年齢になれば仕事のこと、収入からできること、できないこと。
子供を生めばお金が掛かること。子供の未来のために投資が必要なこと。そういうことをちゃんと考えられる年齢だと思う。
母は私にこうも言った。
「あんたその年で結婚考える彼氏も居ない、子供もいない。仕事も無い。何やってんの?」
自分ひとり支えることさえできないのに、どうやって恋人を見つける時間を持てば良いの。恋人を大事にする時間を作れば良いの。
子供を生んで、母のような親にはなりたくない。自分の子供に私のような生活は絶対にさせたくない。
私だって恋人が欲しいと思わないわけじゃない、でも年齢的に付き合えば嫌でも結婚を考えなければいけなく年なのだと思うと一歩踏み出すこともできなかった。
逃げ出したい。もう色々なことが嫌だ。
電気ガス水道を心配することのない収入。NHKの受信料に苦しめられることの無い生活。
食べるものに困ることのない収入。友達のご祝儀を笑ってだせる収入。
もう新しい服を何年も買っていない。靴はヒールから釘がでている。
それがこの先も続いていく。働く意思はあるのに身体がいうことを利かない。
頑張りたいもっとしっかりしなくては。そう思う一方で人生に対しての焦りがある。
まだ二十代。もう二十代。お先真っ暗な人生はこれからも続くのだろうと思う。
今月の家賃に頭を抱える。
追記
私は頭が悪すぎる……
時々日本語の意味が理解できなくなるし(例:おはよう、と相手がいっているのは聞こえているけれどおはよう、が何を意味するのかわからなくなる)簡単な数字が読めなくなるというか。
メンタル面が不安定なのか?とも思ったけど「ちょっと鬱傾向ですねー」って言われて終わった。
ほんと援助交際してほしいぐらいだよwww顔がちょっと散らかってるうえに性格も歪んでるから絶望的すぎ。
喪女板に支えられてるわ。
彼は中学だったころ、課外授業で聞いた話を今も覚えていると言う。
卒業生に講演を頼んで、人生にまつわる話をしてもらうというもの。
田舎の中学だから、出てくる人も商店街のパン屋とか、東京に行った大学生とか、
微妙なラインナップだったそうだが、それなりに楽しかったらしい。
後輩が今もはっきりと覚えているのは、地方都市に本社を置く、地元では有名な企業の創業者が話す回だったそうだ。
一目見て、「この人は、何か、違う」と思ったそうだ。
40半ばで、いかにも金持ちそうで仕事ができて、日本刀みたいな目つきが今も目に焼き付いていると言う。
彼は開口一番こう言ったそうだ。
なんとも反感を買いそうなことである。
しかし、人を見下そうというような思いではなく、何か、断固とした信念から出た言葉だと分かったそうだ。
車を買う、家を買う、海外旅行に行く……
後輩はウケをねらって「うまい棒1万本買い占める!」と言ったそうだ。
その場の全員笑ったらしい。
「違う。全然違うぞ。
金持ちにできて、貧乏人にはできないこと、それはな、『投資』だ。
今君たちが上げたのは、『贅沢』の部類だ。
『散財』と言ってもいい。
『金のムダ』とも言える。
君たちはそんなに金をムダにしたいのか?
違うだろう?
これができるかできないかで人生が決まる。
君たちはおそらく、受験に失敗するだろう。
そして、大した努力も苦労もせずに、だらだらとした日々を過ごしている金持ちが勝っていく。
勝ち上がっていく。
金さえあれば、君たちでも手に入るが、貧乏だから手に入らないのだ。
だから君たちが人並みの人生を送りたいと思うなら『投資』をすることだ。
それは勉強であったり友達づきあいであったり、人によっていろいろだろう。
確実に元手を増やす戦略を立て、それを実行し、結果を見て判断して戦略を練り直しなさい。
金は金を呼ぶ。
知識は知識を呼ぶ。
始め少しでも、増えればやがて、『まとまった量がそこにある』というだけで武器になる。
そうすれば、今ある差を覆して、金持ちたちに勝って自分が金持ちになることができる」
それから後は、具体的な元手を増やすための戦略の話に移っていったらしい。
そして当時、印象には残ったがぼんやりとしか理解できなかった話を、その後の人生で嫌というほど思い知ることになる。
まさに俺たちがいる会社こそが、貧乏ゆえに投資のできない会社だからだ。
今もまだ道半ばだというのに赤字が確定しているプロジェクトに投入されている。
新規の取引先が開拓できないから、いいようにされているわけだ。
かといってこんな職場をさっさとおさらばというわけにもいかない。
転職するにも金がいる。
俺はもう詰んでいるんだ。
それでいいんだ俺は。
だけど後輩はこれから立ち上がるらしい。
立派な奴だよ。
そしてカリフォルニアにあるプログラマ育成機関に入ってシリコンバレーを目指すそうだ。
今までの仕事ぶりからして、きっと彼は成功するんだろうという予感がする。
まさしく、金さえあれば、彼はそもそもこんな零細企業に囚われることもなかったんだろう。
羨ましくないと言えば嘘になる。
しかし俺にはもう『元手』が残ってない。
『散財』して使い潰してしまった。
豊かさっていうのはそういうことなんだろうな。
NEXT 未来のために「虐待の過去を越えて~児童養護施設 生い立ちと向き合う」
http://www4.nhk.or.jp/next-mirai/x/2015-11-11/21/893/2075030/
なんか見た。
番組名やテーマの仰々しさにかかわらず、施設住みの眼鏡非モテ系女子の就職・進学を悩みという、なんだかいい意味での普通のストーリーだった。
再婚した義理父が、食事もまともにあたえず、DVだったと10数秒話すだけ。
母親とは時々連絡をとっている。
進学に反対の母に対する愚痴をテーブルにつっぷしながら、職員の人に告げる。
カゲロウデイズ系な今風なイラストをしこしこ描いて、こっそり専門学校の説明会にいったりする。
「絵好きなんだね」と説明会にきているロマンスグレーなおっさんにいわれて、
へにゃへにゃした感じで「そうなんですよー」とか言ってる。
普通だ。
なんかみたことある、こんなの。
最初の学校での進路面談では、「やっぱ就職を」と言ったりして。
先生も「一年から就職したいって言ってたもんね」なんて返している。
でも、上述のようにこっそり絵の道いきたいとか思ったりしている。
奨学金あればいけるんじゃない、とか考えている。
ぽろっと「ネットにあげてみたり」とか「個性的な絵かくねって言われるんですよ」と言ったりして自我がぽろぽろこぼれてる。
なにこれ、なんか身近すぎて痛いんですけど。
これほんとに施設とか関係なしに、ただの同級生撮ってるだけじゃねえの。番組盛り上がるの??
雨の日だ。
カメラは職員の人と街中に消えてゆく背中を追いつつ、近くの濡れた植物のアップに移る。
あとはナレーションで、3時間話して、結局就職することになることを告げられるのみ。
10月。
夜の自転車。
へにゃへにゃ声で言う。
病院の介護職について、夜間でイラストの専門学校にいくという。
それ、結構大変だぞ。
特に18.19で。絵もそこそこうまいけど、ネットにあげているぐらいだから、爆発的才能、そんな自分でもないよな
とか思ってたりするわけで。
でも描いているときは、なんか自分の中のなにかが、ぐにゅぐにゅってできあがっていく感じがして。
どうなんだろ。アニメーターとかなるのかな。でもくっていけるのかな。
そんな風にみていた。
最後。
COOLMINTとロゴのはいったTシャツを着て(結構この格好のシーン多い)、3,4歳ぐらいのパジャマ姿の女の子を、ひゅーーって
感じで抱き上げて、くるくる回して、食事のテーブルにそっと下ろす。
番組的には就職の喜びの延長って編集だけど、ほんとのところはどうなんだろう。
でもそんな感じの演出。
抱きあげられた女の子はにやにやしている。
手をむりやりばんざいさせられてまだにやにやしている。
当の主人公の彼女は、別のテーブルで職員の男の子とおしゃべりしながら食事し始める。
ナレーションは、虐待受けたひとの救いなれば、と撮影受け容れた云々と語っている。
そんなおしゃべりにな夢中な彼女の背中に、さっきの幼女が後ろからぎゅうと抱きつく。
幼女の顔はやっぱりにやにやしている。
彼女は右手でごはんを食べながら、左手でそっとそんな女の子の背中に手をあてる。
顔をべったりくっつけて。10秒ほど女の子はじっとしたあと、そのままひょこひょこと離れて歩きだす。
例の彼女は、相変わらずおしゃべりに夢中で、なんか、ずっとそのまま箸をもって話つづける。
そこで自分は泣いた。
何度かエンドシーンだけ見なおした。
そっと下ろす彼女。
顔は一度だけそちらにむけたあとは。そっと左手だけ幼女にまわして話し続ける。
幼女、何事もないように去る。
おしゃべり中の彼女。
ああ、もうなんかね。
これが欲しかったんでしょ。NHK。半年以上取材してさ。カメラも一台でしょ。うろうろするわけだよ。
どう番組にしようとか思って。
そんでこれだよ。
なんだよこれ。
なんだよこれ。
なんだかなあ。これ。
[チョン・ジェハク コラム]平壌(ピョンヤン)を打って、日本列島を切るとすぐに!
2015年07月22日(水)13:23:00 チョン・ジェハク編集委員
今でも鳥肌が立つのは、私たちの民族に対する日本の悪意だ。 理由がない悪の. したがって日本が私たちの民族に対する悪意は先に天だと見る。
日本の根が深い悪意は今でも進行中だ。悪意から出発した日本が私たちの民族に及ぼした害悪がどれくらい多大かは今でも変わりない独島(ドクト)侵奪野心と歴史反省の姿勢で如実にあらわれるというだろう。
そして筆者は日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種であることをもう一度確認している。
特に亡国的だと呼ばれる地域感情が日帝によって作られたことを、私たちは賢く知っていなければならない。そして日帝強制占領期間36年の血まめができた怨恨も怨恨であることであり、日帝が残して行った傷痕中に民族分裂政策があったことを上記してみなければならない。なぜ私たちが日本をそのように呪わなければならないかに対する立派な答になるためだ。
1945年8月15日、彼らは韓半島を離れて、二種類をいって行ったと伝えられる。その一つは必ず10年後に帰ってくるということであったし、また、一つは私たちの民族が永遠に団結と和合をできないだろうというものだった。植民教育の中に毒素を入れて教えたという意だった。
日本は1919年3.1運動に接したらで、韓半島統治に植民教育を強化した。そして皇国臣民(天皇の国に臣下なった民)を育てるために国民学校(国民=皇国臣民の略語)をたてて、私たちの民族の頭の中を洗脳させ始めたし、民族精神を抹殺するために学校で私たちの国語を奪ったし、伝統と文化に対する否定的な意識を教えた。
花札を流行させたのも民族精神抹殺政策の一環だった。花札は勤倹節約の美風良俗を害して、トゥレ村の協同精神を押し倒して私たちは怠惰な国民に成っていった。
しかし5000年歴史を持った自主民族が一日で簡単に洗脳される理由がなかったし、いよいよ植民教育の強圧を突き抜けて光州(クァンジュ)学生運動が起きた。この事件で日帝は植民教育の方向を修正した。それが民族分裂政策だった。
民族分裂政策は湖南(ホナム)に対する排他的意識を育てることで始めた。 歴史的に湖南(ホナム)は日本の自尊心を押し倒した、日本に敗北の数値を抱かれた故障だった。 壬辰倭乱当時李舜臣将軍の部下にはいつも勇敢な湖南(ホナム)人がいたし、幸州(ヘンジュ)山城での大勝にもクォン・ユル将軍をついて行った全羅道(チョルラド)出身の将卒があった。 豊臣秀吉の侍童出身小暑銀行長は幸州(ヘンジュ)山城の敗北を、全羅道(チョルラド)出身将卒の奮闘を理由に上げたりもした。
同学以後起きた義兵大部分が湖南(ホナム)を拠点にして起きたし、生き残った義兵は智異山(チリサン)を根拠地で活動していた。ここに何と20年余りの植民教育を押し倒して光州(クァンジュ)学生運動が展開したのだ。
これに対し日本は湖南(ホナム)排斥を目標に地域感情を生産し始めた。
植民史学者を動員して、その有名な考慮王健のフンこの十兆をまき散らして、湖南(ホナム)を醜くていやしい反逆の故障で認識させ始めた。ここに応じたのがいわゆる両班(ヤンバン)階層の親日派であった。‘全羅道(チョルラド)犬の土鉄’という(のは)湖南(ホナム)国民らをいやしく呼ぶニックネームだった。
日帝によって生成された地域差別は、親日史学者らと貴族階級の末期的現象に心酔した愚かな支配階層によって広く広まったし、そして日帝は韓半島を離れて私たちの民族の大同団結をあざ笑うことになったことだった。
湖南(ホナム)に向かって逆差別的な毒素は軍事独裁で花を咲かせたと見る。軍事独裁当時湖南(ホナム)出身は将軍進級が事実上詰まっていたし、カンでも、財界でも湖南(ホナム)人は排斥にあった。どれくらい深刻だったのかは筆者の体験の中に今でもそのまま生きている。子供の未来のために本籍までパーサー移住する湖南(ホナム)人が如何に多かったのか。
日帝が狙ったそのままであった。さらに全羅道(チョルラド)人ならば婚姻もしなかった。他地域に嫁入りした湖南(ホナム)女たちが受ける侮辱は怒りにつながったし、その怒りは亡国という言葉どおり広がった。
暮らすために他地域に離れた湖南(ホナム)人は全羅道(チョルラド)なまりを使わなかった。情感に充ちたその言い方まで隠さなければならなかったすべての悲しみは湖南(ホナム)人の胸に数多くのあいくちをさしていた。
そしてその頂点に5.18があった。‘慶尚道(キョンサンド)軍人が湖南(ホナム)人をみな殺す’というデマが光州(クァンジュ)市民の胸に火を付けたのだ。筆者もその現場で確認したことだった。したがって光州(クァンジュ)市民はそのようなデマが追い込まれる程湖南(ホナム)差別に対する痛くて大変な数多くの経験があったのだ。
その辛い経験は深い傷で残って今でも有効に展開していると見なければならない。北朝鮮が操縦する韓国内葛藤の実体も湖南(ホナム)地域差別に根元を置いたことだった。おそらく北朝鮮は最後まで地域差別をそそのかすつもりだろう。
日帝が残した植民教育の毒素は、民族分裂のための地域差別だった。今でもこの呪いが生き残って繁盛する理由はその最初が北朝鮮の対南工作にあって、その次がまだ地域差別の実体を悟ることが出来なかった愚昧な国民にあるというだろう。
筆者は北朝鮮との戦いで勝つには、先に韓国内葛藤の根因を除去しなければならないと信じる。そのためにはこの葛藤の出発が地域感情であり,この地域感情は日帝の陰謀だったことを、もう天下に知らせなければなければならないと考える。
もう一度民族を考える。私は全羅道(チョルラド)の人だ。もし国家に危難がくれば、幸州(ヘンジュ)山城とミョンニャンに向かって走って行くだろう。明確にそうするだろう。
私たちは団結しなければならない。私たちが団結すれば、北朝鮮を自由民主体制に移ってくることができる。そして私たちが韓国、北朝鮮国力を統一すれば、日本を克服することができる。
したがって地域感情をはね除けて力を集めて、ついに平壌(ピョンヤン)を打って、列島を切らなければならない。 私たちの民族1世紀の間の怒りを必ず返さなければならないと信じる。
原文 韓国語
作って育てた人が、「作って育ててるうちに~」って比較した結果を見せてくれてるのに、
自分が比較しないと納得できないんだったら、不可能なので無理して作る必要はないと思う。
そんな斜に構えた人とやりとりするのは本当は嫌だけど、子を持つ親として我慢して言わせてもらうと、
自分の子作りのきっかけは、子は持つべきって一般論も前提にあれど、
やはり老後の面倒を見てくれたり、最後を看取ってくれる存在は欲しいってことも大きかった。
子にはそう言えないけど。
で、いざ生まれました。
そしたら自然とやっぱり父性ってのが出てくるのね。守らなくちゃいけない衝動が激しく出てきた。
そのために仕事にも一層精が出る。政治や社会制度なんかにも興味が出るようになってきた。
ついでに老後看取ってくれって思いはほとんど無くなったね。
逆に子に迷惑をかけないように老人ホームにでも入ってひっそり死ねるようにしようって思うようになり貯金を始めた。
そういうことが「作って育てるうちに~」なんだと思う。
多くの親はそうなってるはずだけど、全員がそうなるワケじゃないから、
やっぱり無理する必要はないよ。
桑田佳祐は国民に対して謝罪しろ! サザン所属事務所・アミューズ前で抗議行動
http://blogos.com/article/103243/
851 ソーゾー君 2015/01/13(火) 19:17:52 VFpmtUVQ
茶番だアホ。
サザンは仲間だアホ。
フランス銃乱射騒動と同じだアホ。
この騒動のお陰で反マスコミ、反政府はテロリストとレッテル貼れるだろ?
安部政権を批判する奴をサザンの仲間に纏める為のネタ振りだアホ。
↑これも有名だろ?
↑工作員の特徴はこれ。
「安部のアホ」
↑こんなもん批判にもならんぞ?論なしで騒いだら安部に利するだけだ。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1414594539/