はてなキーワード: 月経とは
5ヶ月ほど前に、除毛クリームを使って人生初パイパンを経験した。
狂ったのはそこからでした。
ちょびっと生えてきたチン毛を毛抜きで引っこ抜くとめちゃくちゃ楽しい。2~3時間平気でやる。
触ってみてちょっとざらついてたら毛抜きで引っこ抜いてしまうので5ヶ月経っても未だにパイパン。
絵描きの民主化だと言われているが、画像掲示板のネタか、政治家揶揄するための画像作り、くらいにしかなってない。
そしてそれすら皆飽きるの早くて、書き込み量も減ってきている。
NovelAIでも1ヶ月経ち、サブスク登録した人も辞めていっている。
ネット上からかなりの量の画像を学習させているわけだが、お金が取れるクオリティの画像は少なく、結局の所ノイズにしかなっていない。
調整しようとしているパラメータに対して、自然言語だけでは調整しきれてないし、毎回違う画像が出てきてしまっている。
リコメンド機能もまだない。レイヤー構造もまだない。解像度も足りない。
次々と技術は出てきて、何かできそうだという感じはあるが、
水谷緑さんの「私だけ年を取っているみたいだ〜ヤングケアラーの再生日記〜」(文藝春秋)を読んで、病識のない精神障がい・患者を抱えた家族がどうやって社会と繋がれたか書こうと思った。
母も当時、自分を病気じゃないと思っていて(病識(びょうしき)がない、と今は言ってる)、明らかに家族や周りが見たらおかしくて、その認識の乖離のせいでさらに信頼関係が崩れたり、暴走が激しくなったりした。
精神科は本人を連れてきて、と言う。
母が調子を最初に崩した時、父がすぐに何か気付いて東京の病院に連れて行った。
そこで話を聞いてもらって、薬をもらった。
気分が落ち着くような薬で、代わりにうつ病のように1日のほとんど寝ていることになる。
お酒も飲めない。
それでも家族としては暴走されるよりマシだから飲んでて欲しいけれど、本人は「薬を一生飲むのかな」「薬がなければ家事をきちんとできるのに」「私は薬なんかなくてもまともだ」と思うのだろうか。
薬を飲んでいない時で躁状態の時、最初に行なったのは都内に出かけて高価な買い物をしてきたことだった。
出かけた先で予定を変えて夜遅くまで帰ってこなかったり、突然深夜に出かけることもあった。
おかしな行動をし始めた頃、父は必要あれば迎えに行ったり連絡を試みていたが、だんだんほっとくようになった。
お父さんは浮気してるとか、お父さんは嫌いと言って家出という形で出ていくことも多くて、父としてもあまり優しくして構うのも限界があったのだと思う。
ある時、学生時代の友達の家に遊びに行って泊めてもらっていた。友達も泊まるとは思わなかったし様子もおかしいので、父に連絡がくる。母が車で出かけていたので始発を待って翌朝父が迎えに行くと、友達の家のベランダから何かを叫んで怒っていて、友達は怯えて寝室に閉じこもっていた。
父が車を運転して母を連れて帰ってきて、その翌日、数年ぶりに病院に連れて行くことにした。
それまで母に「診てもらおうよ」と言ってもまた喧嘩になるから諦めていた。
その時は、妹や父が(色々あって)鬱かも、みんなで診てもらおう、と連れ出したらしい。
(私は進学で別の土地にいたのでこの辺りは伝聞だ。)
日曜だったのでやっている病院が少なく、隣の町の小さなメンタルクリニックに連れていった。
少し離れた有料駐車場に車を停めて3人でクリニックに向かう間も、母は「やっぱりやめようよ」「あそこに行ってみたい」「どこに連れてくの?」と、足を止めていたらしいが、なんとかクリニックの前まで連れてきた。
クリニックの看板には、「心療内科・整形外科・内科」みたいなことが書いてあった。
それを見て母は、「整形外科って何!私を整形させたいの!?整形しようとしてると思われる!みっともなくてこんなところは入れない!」と言ったが、とにかくいいから、と院内に入る。
待合室で少し待っていると、母がだんだん気分が上がってきて、診察を待たずに待合室で父と喧嘩になった。
妹が泣きそうになりながら、クリニックの人に「早く診てください」と言うと、クリニックの先生が出てきて、「うちではここまで調子悪い人診れないよ」と言った。
暴れたり叫んだりするのをやめないので、クリニックが警察を呼んだ。
警察。
これが初めての警察のお世話になった場面だった。
みんな家族が警察に捕まるなんて恥ずかしいしとんでもないと思うかもしれないけど、本当に家族がおかしくて困っているなら警察は悪手ではないと今は思ってる。
本人は嫌だったと思うけど。
警察が来ても頭がおかしい人は「捕まる」訳ではない。でも、一晩署にいて、そのあと病院に送還される。そこで度合いによるが「措置入院」となると、県知事や都知事、市長が入院しないといけない人と判断した、となり、その入院にはお金がかからない。
その分それくらいのレベル、ということで病院では拘束されたり外部との連絡や交流が制限されたりするが。
この時は措置入院になり、つまり母としては「無理矢理頭がおかしいことにさせられて警察に強制的に入院させられた」となっていたと思う。
母が署に一晩いることになって父と妹だけで帰宅した夜、初めて電話が来て、「なるべく早く、可能なら明日にでも帰ってきて」と言われた。
2人とも料理や洗濯もできないと言ってやり方を教えてくれ、と。
入院にあたってタオルなど荷物を届けるためみんなで病院にも行った。面会はできなかった。
入院は2ヶ月程度だったと思う。
2ヶ月経って面会が許された頃、病院に久しぶりに行くと、先生に「本人が退院したがっていて、症状も落ち着いてるのでこちらとしては患者さんの意向を尊重する」と言われた。
だが、面会した時に話した感じで、母に病識がないことがわかっていたので私と妹は反対だった。
だが結局その時は退院になってしまった。父が母を信用してみることにしたのだ。ここからの入院はお金がかかるから躊躇したものあるかもしれない。
案の定1ヶ月以内に躁状態は戻ってきたが、通院と薬で押し込めて落ち着けられた。
そのあと2年後に、大きな動きがあった。
入院の時お世話になった先生のところに、2ヶ月に一回のペースで通院していた頃だった。
その回の通院で話し合って、薬を少しだけ減らしたらしい。
そこから2週間ほど。
教育関係者の偉い人の講演会に感動して、ビラ配りに参加したり活動的になってきていた。
だがそんなもの趣味と同じ扱いで制限もできないと思っていたころからたった3日ほど経ったある日、パート先で勤務中に、母がいなくなった。
仕事着のまま、運動会中の近所の小学校に来て騒いでると小学校の教頭から父のところに連絡があった。
小学校に来て、〇〇さん(教育関係者の偉い人)が来てないかと騒いだと。
保護者や教員で取り押さえていたが、父が仕事中で母の実家に連絡をとっている間に脱走。
母の実母は、母の姉に連絡し、妹にも連絡し、様子を見に向かっていた。妹はデートに行く途中で連絡が来て、相手に断りを入れなきゃいけないし、自分の予定を邪魔されるし、そんな状態の母も見たくないしで泣きながら戻ってきたという。(私は妹にこの時、母のところに行きたくなかったら行かなくてもいい、時間をおいて帰宅したらどうか、と言った気がする。デートについてはなんて言えばいいかわからなかった。)
みんなが母を迎えに行こうとしている中、GPSで父が母の場所を探っていたが、急に移動のスピードが上がる。
教育関係者の偉い人の事務所の前にて、騒いでいるところを通報を受けて警察に連行された。パトカーに乗っていたからGPSが速く移動したのだった。
署で面談中、母は暴れ、叫んでいた。
服を脱いでいたらしく、警察に渡された布を纏って、面談相手とは距離を取って面談をしていたという。
気が大きくなっていたのもあるが、離れて会話するから叫んでいたとも思う。
前回と同じ流れで措置入院になり、前回より近所の病院に入院した。
私は今度こそ病識が持てるまで入院させよう、と強く主張し、妹・父と、先生に伝えたいことをまとめた。
また訪問看護も利用できないか聞きたかった。私は勘違いをしていて、家の中に来て少し家事をしたりしていってくれる人だと思っていたが、そのあと聞いたら訪問看護は薬を飲み忘れてないかとか様子がどうか見るだけのものらしい。
それでも家族以外の外部の人に見守ってもらえるなら今までよりいいと思う。
家族だけじゃ息が詰まる。
今回の先生は女性の先生で私たちの話をよく聞いてくれて、「病識を持ってもらう」というゴール設定をよく理解して汲み取ってくれた。
薬を性質の違うものに変えて代わりに量を増やし、症状を抑えていた。
私は「心理的なきっかけがあるんでしょうか?トラウマとか…」と聞いた。
先生は「違います。脳の障がいなんです。双極性は心理的な原因があることは少ないです。」と言ったと思う。(私の解釈が入っていて医療的に間違っていたらすみません。)自律神経の不調やホルモンの不調と似たものだという理解だった。
結局入院は3ヶ月程度だった。
退院した数日後に会いに行くと、母は前回と違い周りの患者さんと交流もできて、自分から「障がい者手帳」「障がい年金」をもらおう、と言っていた。
一緒に申請に付き添って行ったが、明らかに前回と違うと思った。
今は自宅で過ごしている。家事も自分のペースでして、やはりよく昼寝をしている。
作業所などに通うことも検討したが、落ち着いていればパートもできるのだから本人としては新しいところでパートを始めたいらしい。
今症状と付き合い始めて10年ほど経つ。
今やってる向き合い方が正解かはまた数年経たないとわからないが、とりあえず穏やかにやってると思う。
暴走の仕方によるが、私たちの場合は調子の良い時は家族同士仲がいいし母の暴走は人を暴行したりはしないので、暴走させて警察などの権力のある機関に介入してもらう、というやり方で結果的に良かったと思っている。これが暴走するのが父で、ほっといたら人を殺すような人だったら思うとゾッとする。
でも、私もすごく怒りっぽいところがある。「暴走」自体、他人事と思えないし、私自身いつそちら側に行くかわからない。その時入院となったら、犯罪を犯してしまったらと思うとゾッとする。
私は病気が原因で人の命がどうにかなってしまうことだけが恐ろしい。
双極性障がいは、鬱に振り切って自殺をしてしまう患者もいると言う。
母が自分を責めてそんな選択をすることもないよう気をつけている。
ヤーズみたいに生理の回数を減らす、もしくはディナゲストみたいに出血を完全になくすピルがあるから、それで生理をこなくさせればニオイ問題は解決
あるいは月経過多の人なら、月一で消退出血するタイプのピルでも、回数自体はいままでと変わらなくても出血量が減るから匂いは今までよりマシになると思う
インフラ系の企業で恐らく先50年は余程の事がないと潰れないと思う企業に勤めている。
このご時世にもかかわらずありがたい話でボーナスは年3回あるし、毎年昇給とは別でベースアップもあるから、辞めるにはもったいないとおもっているが、
とりあえず1年目からの流れを話そうと思う。
1年目
今の部署に配属となり右も左も分からない状態でその先輩と一緒の場所で仕事をしてきた。
この時から俺と先輩は同じ部署ながら別の仕事をそれぞれの上司に従いながらやってた。
俺の配属に伴っての玉突き異動があったため、先輩は前任者から仕事を受けながら、俺は先輩から仕事を引き継ぎながら仕事をこなす。
この時点から俺の上司からはその先輩の尻拭きからスタートだと聞かされていて、実際残していた業務は多々あったが、なんとかこなしていた。
また上司は俺にとって初めての直属の上司だったため、色んなことが新鮮で、なんでもそういうものなんだろうと思って受け入れてきた。
無茶苦茶な指示にもある程度応えていたし、言われた仕事は全力を尽くしていた。
先輩からは「あんまり言う事聞きすぎるなよ」と言われていたが、尻拭きさせられていた時点で「なんだこいつ」しか思わなかった。
2年目
この辺りから少しずつ「この会社おかしいぞ?」と思う事が増え始めた。
まず最初に上司同士の仲が悪い事を理由に同じ部署の癖に業務がちぐはぐで指示が右往左往する。
仮に俺の上司をA、先輩の上司をBとすると同じ部署なのにAとBでルールが異なるし、お互いに「あいつのいう事は適当だから」と俺に吹き込んでくる。
またAは機嫌に左右されやすく露骨に態度に表すことが多いのと、俺に対して「同年代のやつらはこれぐらいやってる」と言って業務を死ぬほど投げてくる。
基本的に自分が正しいと思うタイプでこちらが指摘しようもんなら逆ギレをかましてくる。あと小心者。
逆にBは自分で仕事を抱え込む癖があって、Bが休みの日に引継ぎが何もなくて困ることが多かった。
基本的に他人に仕事を任せられないタイプだが、今思うと先輩が糞すぎて任せられないのではないかとも思う。
加えて先輩はどっちの上司にも嫌われており、俺は全員から全員の愚痴を聞く役になっていた。
ここに派遣や得意先、協力会社との絡みがあり、2年目ぐらいから徐々に心が壊れていたのだと思う。
ちなみに2年目で派遣が2回入れ替わった。理由はいずれも「ここの上司(A/B)には付き合ってられない(意訳)」だった。
1回目の派遣交代時には俺の上司(A)が「俺も教えるから!」と意気込み、結果2カ月で派遣から「あの人は実務を何もわかってない」と烙印を押される残念っぷり。
2回目は先輩の方の派遣だったが、その時は先輩側の上司(B)が使い物にならず結局先輩が教えていた。
2年目ぐらいから先輩が席を離れることが多いことに疑問を感じ始めていたが、別の仕事だったため「まぁそんなこともあるだろう」と流していた。
実際は既にめちゃくちゃサボっていたし、上司(A/B)はそれを黙認していたわけだが・・・。
3年目
いよいよ3年目となった時に上司(B)が昇進し、今の部署は俺の直属の上司(A)が全て取り仕切ることとなった。
まず先輩のサボリが凄く激しくなった。何かあれば「得意先でトラブルが起きたから行って対応してくるわ!」と言って昼から直帰する。
じゃあその間先輩の仕事はというと止めるわけには行かないので、俺が肩代わりせざるを得ない。
またその間に発生するトラブルも先輩が居なければ言えないので、全部俺に回ってくる。
この状況を上司(A)は見ておきながら「あいつは叱ると拗ねて余計に仕事しなくなるから、褒めて乗り気にさせて仕事をさせる」とサボリを容認同然の発言をすると同時に「お前には期待しているから𠮟る」と抜かす。
はっきり言って、教員免許持ってる俺ですらそれが通じるのは教育現場ぐらいで給料貰ってる職場で何言ってんだこいつとは思ってた。
次に上司(B)の仕事がほぼ全て上司(A)に行ったので、上司(A)の仕事が俺に降ってきた。
つまり今の俺の仕事は①今までの仕事②先輩がサボった分の仕事③上司(A)の仕事と3つ抱えることとなる。
そうなると残業は必然的に発生するわけだが、これについては「お前の業務管理が悪い」「残業は出来る限り減らせ」という。
そして夏の連休で我慢の限界となり、人事に直訴してようやく先輩が異動することとなった。
この時人事には「3年目なんだから人事じゃなくてちゃんと上司(A/B)に相談しようと」と言われたが「上司(A/B)には何度も言ってるんですがどうしたらいいですか?」とは流石に言えなかった。
その後、この話は上司(A)に行ったのかことあるごとに冗談めいて「人事に走られたら困るから~」ということを言われることが増えた。
で、ようやく表題の話。
先輩の後任にもう数年で定年の人が来た。
しかも、これも俺が1年目と同じ流れで先輩の仕事を俺が、俺の仕事を後任が、後任の仕事を先輩がという三角トレード。この定年が無能だった。
まず後任の仕事を先輩に引き継ぐのに2週間以上あったのに異動初日になったのに引継ぎが終わってないという状況。
つまり俺の引継ぎ開始時点にて引継ぎが終わってない。結局1週目はそっちの引継ぎを優先し、俺は先輩の仕事と前の仕事のダブルパンチ。
ようやく2週目で仕事を引き継げるかと思いきやExcel必須の部署でExcelが全く使えない上にPCも怪しい。画像の挿入?印刷?ファイルの保存?このレベル。
加えてメモを取らない、メモの整理しない、わからないことは放置か勝手に判断。
結局、日中は引継ぎに全ての時間を取られ、そいつが帰ってからようやく自分の仕事がスタート出来る。
何回も心の中で確認したよね。派遣社員や新入社員じゃないよね?正社員だよね?って。
とどのつまりはトラブル発生した時に任せた仕事について確認したら「何も覚えてません」と協力会社の目の前で平然と言う、
「Aという部品がなくなりそうです!ないと作業が出来ないんです!」と協力会社に言われて「なくなったら教えてください」と言う脳みそ。
ちなみにこれらを上司(A)に伝えても「お前の教え方が悪い」「あの人はとても優しいからイライラするのはわかるが叱って委縮させるな。褒めてやる気にさせろ」という始末。
挙句の果てには「早くあの人に仕事を引き継がないとお前の業務が減らないぞ」「お前今月の残業45時間越えてるんだからもっと自分で管理しろ」と言い出す。
2年目から来た派遣2人からは「大変なのわかってるし協力したいけど次の更新は諦めて」と言われ、協力会社からは「あの人とはやっていけない」と言われる状況。
この状況でも上司(A)は自分は悪くないとどうやら思っている様子。
ここでようやく先輩も大概だが、実は上司(A)も大概なのでは?と気づくことが出来た。
遅いと言われるかもしれないが、2年目辺りはモラハラ+パワハラで洗脳されていたんじゃないかと思うレベル。
正直、会社自体を辞める勇気はまだ持てないが、そろそろ本気で心が折れそうになっている。
年内で全ての引継ぎを終わらせろなんて言われてるけど、一ヵ月経っても日常業務すら出来ていない人間にどうすんだって感じ。
とりあえずこの1カ月の日記は作ったから、何かあったらそれを叩きつけてやろうと思う。
上見ても、下見てもキリがないとは言うけど、八方塞がりすぎてどうしたらいいのかわからない。
社内よりも協力会社と得意先が憐れんで同情してくれてるのが更に辛い。
自分が無能なのもあり大した成果もでないので、仕事がどうでもよくなってしまい勢いで仕事を辞め無職になって2ヶ月経ってしまった。
現実に復帰しようとして就職の書類を書いているのだけれど、求人側の心がわかってないみたいで書類でどんどん落とされてしまっている。
まあろくに実績もないので、落とされるのは仕方ないなと思いつつも、どうしたら企業様に相手にされる書類が、志望動機が、自己PRが書けるのか悩んでいる時間が多く正直イップスみたいになって、何も書けなくなってしまっている。
さらに生きていれば税金やらなんやらでお金がどんどん減っていくので将来の不安で震えは止まらないくて、ちょっとしたパニック状態になってしまっている。
今のところ誰にも相談する相手もいないし、どこに相談したらいいかもわからない。
どうしたら俺はいいのか。後が無いことがこんなに怖いことなんて思わなかったよ。
【追記】
ロリは身体の丸っこさとか中の気持ち良さとかメスガキとか良い所あるけどやっぱりショタも捨てがたい。ロリは手出すとバレるけどショタなら逃げ切れる可能性もあるし。
ショタは後ろから見たとき尻がそんなに丸っこくなくてシュッとしてるのが好き。あと変声期前の高くて男の子だとはわかるけど頑張ればロリに聞こえなくもない声が大好き。叡智さでいうとロリの圧勝だけどね。愛でるならショタ。
ショタは私の性別的に近寄るとアウトだけどロリは近寄っても大丈夫。可愛い。
今いるネトゲ界隈はロリショタが大量発生してます。ここが天国か。平均年齢12歳!手出したら一発アウトだけどあの子達煽情的過ぎるわ...割と荒れてる界隈だから暴言いっぱい言ってるけど中身全員ロリショタだと考えたら何言われても許せる様になった。なんなら抱きしめたい。厨二病のショタがいるんだけど、その子下ネタ苦手だからセクハラできないんだよね...ロリショタを困らせる事は己の秩序に反するから。もう一人の暴言厨のショタの方は下ネタガンガンいけるからそっちの子に全性欲ぶつけてる。後、その界隈にいる中1のロリの娘がツイートしてた事まとめたらその娘の月経周期わかってしまった...Floに保存しとこ。その娘も割と厨二っぽいの所あるし、お絵描きしてる(Twitterにあげてる)のが微笑ましい。
本日は世界メノポーズデー、メノポーズってなんぞと思って調べたら「閉経」や「更年期」を意味する言葉で更年期障害のことを差すみたいですね。メノが月経を意味するメンストレーション、ポーズがそのまま停止を意味する方のポーズらしいです。
あと日本では統計の日、10月18日に因んでドライバー(10 1 8)の日らしいです。
ドライバーを出すということはつまり安全運転でいきましょうって書くために出しました。
体調も鑑みて安全に運転できるかをちゃんと判断していきましょうね。
体調が大丈夫だからこそ行動も大丈夫になるんだと、そう思いたいところですね。
5月24日(月)のゲストは、古美術鑑定家の中島誠之助さんでした。
大学を卒業後、マグロ漁船に乗りインド洋でマグロ取りの仕事をしていたという中島誠之助さん。
その後、叔父さんが古美術鑑定家をしていた事もあり、その仕事を手伝っているうちに、歴史や古いものが好きだった事もあり、古美術鑑定家としての道を歩んでいく事に。
若い頃からの経験上、買い物で「これは儲かった!」と思う品物は必ず損をする。自分が本当に好きな物を買うと、それに同調してくれる人が出てくるそうです。
そして、1994年に始まった「開運!なんでも鑑定団」では、番組がスタートする時に、番組のスタッフが訪ねて来て、鑑定士として番組へ出演のオファーがあり、現在もメンバーとして活躍されています。
色々な物を見てきた中島誠之助さんですが、許せない品物は、最初から人を騙そうと思って作られた物。そういう物は、約束通りに作られているので、すぐに分かる。
「開運!なんでも鑑定団」で、300万円と鑑定した物が、数ヶ月経つと必ず偽物が出てくるそうです。
聞いてるかア〇ゾンマケ〇レ・・・
増田がイライラするのは当然だと思うし、お互い時間がないのも仕方ないと思う。ただ今現在は、お互い敵と認識(毎日怒鳴り合うってそういうことだ)するくらいに関係が悪化しているので、その段階で嫁に対して精神科受診を薦めるのは精神的DVと取られて拗れる可能性がある。
増田にも言い分はあるのはもちろん分かってるけど、今はもはやお互い協力関係と認識できてないの。
嫁も増田も相手に変わって欲しいと願ってる状態だから、増田の提案は責任転嫁と取られやすい状況なんだよ。そうなったら相手はもっと意固地になる。
それを踏まえた上で、自分はまず増田自身の精神科受診→カップルカウンセリングへの移行→低用量CBDを始めたらいいんじゃないかと思った。
増田自身の精神科受診は、増田に病名をつけることや増田の投薬が目的じゃない。増田が大変精神的に参っていることを、嫁に対して客観的に納得させる必要があるから行く。
精神科や心療内科はそんな簡単に病名つけたり処方もしないから安心してくれ。
最初に、増田自身が病院で家族関係を相談したら、奥さんの心配をしてもらえるのがベスト。(つまり親身になってくれそうな通院圏内の病院を下調べしておくこと。逆にカップルカウンセラーをまず調べて、そこの提携病院へ行ってもいいと思う)
病院からカップルカウンセリングを勧めてもらい、カップルカウンセラーから妻の状態を心配してもらえたら、その段階で妻の通院って選択肢も見えてくると思う。
最初に相手の行動を変えようとすると逆に遠回りになるから、まず自分の変化を見せないと人は動かない。
CBDはカンナビノイドのことで、ヘンプ由来とホップ由来とかいろいろあるから、好きなのを選ぶといいと思う。
CBDは飲用とベイプを自分も試したことがあるが、ベイプの方が即効性があり、数十秒で苛立ちが消えて冷静になる。
精神安定作用や集中作用の他、頭痛や怪我などの痛みや月経痛、PMSも肩凝り冷え症も改善や軽減する。常習性はなく子供に悪影響もない。
人によっては食欲が増す。
まずは嫁に試してもらいたいところだと思うが、先に増田がやっていれば興味を持つし、聞かれたら嫁が興味ありそうなことを言えばいい。肩こりが楽になるとか、冷え性が楽になるとか、気持ちに余裕ができて作業が捗るとか。
多分嫁も使いたいとか、自分ばかり狡いと言い始めるから、そう言われて初めてプレゼントしたら押し付けにはならない。
退院してからは実家にいるんだけど、夫が来るたびに、妊娠中にされたことや言われたことの数々を思い出して、激しい嫌悪を覚えてゾッとしてしまう。
1ヶ月経ったし、そろそろ自宅に帰ってきてほしいと言われたが、こっちはまだ体力が回復してなくて、歩いてトイレに行くだけで息切れしてるのに、彼は出産のダメージを軽く見て、いつまでも実家でサボってないで、早く帰って俺の世話をしてほしいと思ってるのが透けて見えて、うんざりする。
こっちは死にそうな目に遭いながら出産しなければならなかったのに、コイツはピュッと出して気持ちいい思いするだけで自分の子供を得られたのか、と思うと、これから対等に父親ヅラされると思うと腹が立って仕方ない。
こっちはまだ悪露が出てるし、お股が痛くて仕方ないのに、夫が「普通の女性は里帰り出産しても一月で帰ってくるし、夫婦生活もしている」と言われて、もう無理と思ってしまった。
もう彼の顔を見たくないし離婚したいくらいだと、母に気持ちを話したら、母は離婚に反対しなかった。
母が言うには、妊娠中や出産後に夫に抱いた恨みつらみは一生モノ、時間が経っても決して忘れることはない、と。
でも、お母さんは一人で子供を育てていけないから我慢してお父さんと一緒にいたけど、今でもお父さんを許せないし、お父さんが定年退職して年金をもらえるようになったら、その時のお父さんの態度次第では離婚も考えていると。
でも、あなた(私)たちの時代は違う、今は子供がいても働いてる女性が多いし、あなたはちゃんとした仕事があって一人で生きていける収入があるんだから、嫌な夫に我慢して無理に結婚生活を続けることはない、育児には協力するから離婚して実家に帰ってくれば良いと言ってくれた。
自宅療養とは聞こえはいいが、39.5℃超が3日間、38.5℃超が2日間と、ロキソニンを飲み続けて寝込む日々。
症状は頭痛→咽頭痛→咳と続く。特に咽頭痛はフォークの先で喉の壁を何度も引っかいた感じで、水を飲むと地団駄を踏み、涙を流す激しいもの。でも飲まないと脱水で死ぬ。
ワクチン3回目接種から6ヵ月経過しており、その効能は薄かったようだ。
Withコロナの名のもとに、この凶悪なウイルスが市中に蔓延するのは世も末に感じるが、これが社会の要請であり、仕方のないことなのだろう。
もはや全人類が1回は感染しないとこのパンデミックは終息しないようであり、皆様におかれましては、フルワクチン接種などしてご自愛ください。
浅草キッドの水道橋博士が参院選で当選して2ヶ月経つけど、テレビやラジオがほとんど触れていない。水道橋博士はメディアの露出が増えてもよさそうなところ、逆に激減している。
何より恐ろしいのが、「伊集院馬鹿力」「爆笑問題カーボーイ」「高田文夫ビバリー」など、それぞれに親交の深い人たちによる、あけすけな毒舌やゴシップネタを売りにしているラジオまでが、水道橋博士を祝福するのでもイジるのでもなく、完全に黙殺していること。ほとんど犯罪者の扱いと言ってもいいレベル。
この理由は、水道橋博士が維新の会を激しく批判・攻撃する主張を繰り広げて全面的に対立していること以外に、およそ思いつかない。野党でもこうなのだから、もし維新の会が政権に入った時、その「言論統制」は現在の比ではないことが想像される。本当に恐ろしい。