はてなキーワード: 暴走とは
ユークリッド幾何学不要派のような知識だけを得て万能感に浸っているのは愚者だと思う
ガロアによる方程式の不可解性定理や作図不可能性定理、ゲーデルの不完全性定理などにより
知性の限界を認識し、世界に対して謙虚になるのが真の教養というものだろう
表面的に数学の問題が解けたからと世界に対して傲慢になっている者たちの顛末が
などのカタストロフィだ
一歩もフェミに譲るべきでないばかりかもっと町にポルノが溢れるべきである
書店にもコンビニにももっと堂々とエロ漫画エロ雑誌を置くべきであるし
もはや特殊性癖を生み出す装置にしかなっていないモザイクも不要であるし
セックスワーカーやポルノ提供者の地位はもっと向上すべきであるし
それによって一般の女性はより性欲にさらされない社会になるのである
自分の気持ちと社会正義の区別が全くつかないアホ女のお気持ちに一歩も配慮すべきではないどころか
性が隠されれば隠されるほど男の性欲は危険な方向に暴走しうるという事を理解すべきだ
小学校低学年の頃、温泉旅館のゲームコーナーで遊んだゲームと、つい最近再会した。
当時、私の家族は年に一度、伊豆の温泉旅館に2泊3日で旅行をすることになっていた。
毎年行くその温泉旅館のゲームコーナーに、それは置いてあった。
男がどこかの施設の階段を猛烈な勢いで駆け下りる姿、海が干上がって砂漠となった地球の風景、3Dステージで自機にロックオンされて轟音とともに撃ち落とされていく敵。いつも微妙なゲームしかなかったゲームコーナーにあって、一際目立つシューティングだった。
デモを見ていて心を動かされたのは、私ではなくて当時中学生だった兄のようだった。
普段まったくゲームセンターに出入りしない2人にとって、ゲームそのものはとても難しく、兄の力をもってしても2面までしか進むことができなかった。
兄はなにより曲に感動したようだった。後日、サントラを購入して一緒に聴いた。
数年後、それはセガサターンに移植されることになる。かつての感動をもう一度、と始めたゲームは、「覚えゲー」であり、家庭用シューティングはたくさんプレイしていたので、ラスボスにたどり着くまでに時間はかからなかった。
だが、ラストに衝撃的な演出が待ち構えていた。ラスボスの背景は、宇宙の創生から人類の誕生、戦闘機や戦車、ゴミの山とそこに埋もれる日本人形、こちらを見つめる猫、と目まぐるしく変わり、倒すと地球が真っ二つに割れて終わるーー。
2人ともこれを「真のエンディング」とは思えず、ラスボスの倒し方を巡って話し合い、色々と試してみたが、どうしても地球は滅亡した。
結局なにがなんだか分からないまま、ゲームからは離れていった。
やがて自分が中学生になる頃には、兄は大学生になり、一緒にゲームをすることもなくなった。毎年の家族旅行もなくなった。複雑な事情で父親は最後の数年間は一緒に行くこともなかった。
思い出の旅館も、負債を抱え込んだ挙句、事業再生の名のもと、名前も経営者もコンセプトも変わり、跡形もなくなった。
そのまま忘れ去れるはずだったが、高校生になる頃、ゲームの別の側面を知ることになっていく。
あるとき、何気なくネットでゲームの名前を検索してみると、演出が高く評価されており、カルト的な人気があることを知った。2chでは主人公になりきったマニアの書き込みが人気を博していた。
自分も引きずられてのめり込んでいった。兄が買ったのとは別に出たアレンジのサントラを買い、ライナーノーツに書いてあるストーリーを読み込み、曲を聴き込んだ。
絶望的としかいいようのない世界観、それに比して明るい1面の曲。
人類の侵略者を叩く反撃作戦は停戦交渉を前に永久に凍結された。それを拒否して暴走し、一人立ち向かう主人公。
作戦名には「純然たる自由」とあった。主人公を操るプレイヤーが1面で聴く曲は「born to be free」だ。しかし、自由をもぎとろうと行動した結果、最後に地球は割れる。なにが自由で、なにが不自由なのか。
地球が割れるのが実は心象風景なら、そうならないで済む未来は、どうしたら実現できるのだろうか。何が正しくて、何が正しくないのか。
大学受験に失敗したときも、つきあっていた彼女と別れたときも、サントラを聴いた。
社会人になってしばらく離れていたが、一年ほど前から、なんとかしてまた実機をプレイしたいと思うようになっていた。なにぶん古い上にマニアックで、なかなか見つからない。レトロゲームを扱うゲームセンターが、基板を所持していることも知ったが、同じ会社が作った名作シューティングが稼働していても、このゲームが稼働しているのは見たことがなかった。
と思っていたが、先日ついにゲームセンターで稼働しているのを見つけた。温泉旅館で実機に触れてから、28年ぶりの対面だった。
当時のままのゲームがそこにあった。完全にステージと同調するサウンドも、真っ二つに割れる地球も、そのままだった。サターン版では正確に移植できていなかった部分も、当たり前だがちゃんと表現されていた。
サターン版をやり込んでいた記憶が蘇ってきて、2回目にはワンコインでクリアすることができた。
しかし、懐かしいと感じるのは、2面までだった。
2面終盤の難所で撃墜されながら、自分は何を求めてこのゲームをしているのだろうと自問し、答が出ないので、今日もそのゲームセンターに通っている。
土曜日。今日はしゃぶしゃぶを腹いっぱい食べてやろうと思い、八月の日差しと蝉の声なか、電車に揺られ、ゆず庵に向かった。
席に着くと迷わず一番高い「黒毛和牛コース」を注文し、制限時間が始まるが早いか、薄切りの牛肉を箸で手繰り寄せ、それを軽く湯通ししてから、一気に頬張る。イクラ六貫、ウニ六貫を瞬く間に平らげる。うまい。食べる物が無くなったら、パネルでつぎつぎと新しいものを注文して、怪獣が街を壊す勢いで、黙々と食べ進めていく。タピオカミルクティーを一気に飲み干して小さなゲップをする。幸福だった。
ふと自分を、暴走するカオナシみたいだなと思った。食べても食べても満たされない感覚、いやそれよりももっと根源的な空虚感を覚えた。心にぽっかり大きな穴が空いたかのようだった。それに自分というものが、盲目にして貪欲にかられた哀れな消費者たるを感ぜずにはいられなかった。何だか急にどうでも良くなってしまった。周りの席からは賑やかな、楽しそうな話し声が聞こえてくる。家族連れ、学生のグループ、会社の同僚たち、カップル。みんな誰かと、しゃぶしゃぶを楽しんでいる。それに対して私はひとりだ。何をやっているんだろ、と、言いようのない寂しさに襲われる。心なしか店員さんの視線が痛い。目の前では出汁だけになった鍋がふつふつと音を立てながら、濃くなっていく。さもそれが孤独の深さとでも言いたげに。虚ろな気持ちで二杯のタピオカミルクティーを飲み干すと、氷だけが残る。
粛々と会計を済ませてから外に出る。八月の日差しは相変わらずである。ふと目を見やると、隣に本屋があるのを見つけた。いろんな本を物色してから『異邦人』を手に取った。いつからこの本はここに置かれてたのだろうか。それはどうでもいいことだ。ただ、何だか仲間が見つかったようで嬉しかった。今日はもう帰ろう。それから今日も今日とて増田を綴っている。
「天皇陛下万歳」といえば、在日なんたらも障害者もLGBもなんであろうと優しくしてあげるわ。
しかし、皇室に敵意を示すなら、なんであろうと生かしてはおけない。
https://twitter.com/hashimotokotoe/status/1299128504903020546
「日本会議を恐れている人は陰謀論信者」みたいにバカにされることも多いけど、プロフィール欄に堂々と日本会議会員と書いている、一度立候補までしたことのある人間がこんな発言をしているなんて、やっぱり怖いよ。そんな考えの人が日本を牛耳ることになったら地獄じゃん。
もしこれが単なる個人の暴走というのであれば、日本会議側もきちんと声明を出すべきでは?いつも左側にそういうこと要求してるよね?
好きな子のリコーダーをこっそり舐める、というような暴走した思春期男子のエピソードは妄想やら漫画やらでまれに見かける。
自分は全くそんなつもりは無かったのだが、危うくハメられかけたことがある。
中学生の頃だった。
背が低く、運動も得意じゃなかった自分はいじられキャラというか軽いいじめを受けていた。
(執拗に狙われるわけじゃなく暇つぶしに罵倒される、因縁を付けられる、殴られる程度だったので軽いと書いたが、未だに思い出す度に腹が立つ)
何かいつもと違うがそれがなんなのかわからない…と授業の半ばまで気づかなかったのだが、ふとリコーダーの頭の裏側を見たときに違和感の正体が判明した。
(どこの学校でもやってるかはわからないが、当時学校のリコーダーには3等分したうち、
内心ものすごく慌てたが、コトがコトだけに騒げない。
すげ替えられた先の女子は、これまた微妙な間柄のクラスメイトだった。
クラスで上位の可愛い子でもなければ、クラス下位のいじめられっ子でもない。
自分にとってはほぼ会話したことがないんじゃないか?というような接点の無い普通の子だった。
一人でパニックになりつつ、このままどうすれば波風立たずに終わらせるか?を授業が終わるまで必死に考えていた。
・リコーダーを包む革袋の名札には自分の名前が書いてあったので、
革袋にしまっていた本体の頭パーツか本体ごとかを意図的にすげ替えられている
・その女の子が替えるなんてあり得ない(そもそもの繋がりが薄すぎる)
・騒ぎが起きれば、自分も被害者なのに確実に変態の烙印を押される
結局、「自分でこっそり入れ替え直して無かったことにする」しかなかった。
いつのタイミングだったか忘れたが、教室から人がほぼ掃けたタイミング(移動教室とかで放課後ではなかったはず)にこっそりと戻しておいた。
誰かに見られなくて本当によかったと思う。
結局あの後再発することは無かったが、犯人としては
・双方気づかなかったら、気づいたふりをして騒ぎを起こして俺を変態扱いする
のどちらかを企ててたのだろうか。
結局、卒業までそのリコーダー関連で何かが起きることはなかった。
犯人もわからずじまいだった。やりそうなクズの候補は複数人浮かんでいる。
中学卒業後から数年経った後、地元を離れたのだが成人式には参加した。
友達は地元に残っていたので会いたかったし、自分は頑張ってそれなりの大学に入ったので
当時のクズ達は「どうせ地元でチンピラでもやってるんだろう」と考えていて
今はもうこちらが上なんだ、という独りよがりな思い上がりもあり、とにかく自分の中で決着を付けたかった。
遠目で見ただけで、会話もいちゃもんもつけられることはなかったが、
TVに出るようなDQN新成人の格好で、成人式の立て看板を破壊しているところを目撃した。
下手に更生されてたら余計に腹が立っていたところだ。
みっともない罪状の現行犯で、新聞の片隅に名前が載ったやつもいた。
改めて、自分がいた地域は吹き溜まりだったんだなと思い知った。
もう、地元に帰って暮らすことはないと思う。
これで今では自分も結婚して幸せです、とまでいけばよかったのだが
なんであの子だったのか、それだけ、今でもそれらしい理由がわからないままだ。
アクタージュ原作者の件でジャンプ編集部をしつこく叩いてる奴らって
加害者である原作者当人は自分の意思で犯罪を犯したのではなくジャンプの体質のせいで犯罪を犯したって理屈みたいだから
なんでジャンプ編集部が謝らなきゃいけないのかさっぱり分からん
それってあいつらが日頃叩いてる、夫の浮気で何故か妻が謝るような事例じゃないの?これはいいの?
ジャンプ編集部が男ばかりとか言っても、漫画の流通全体に関わる過程では女性も普通に沢山いるだろうし降ってわいた事件に忙殺されていると思うんだけど…
紙の雑誌を作って流通に載せるまでにかかる時間とか、関係者の多さとか考えろよって思うんだけど、叩いてる奴らは社会人経験ないのかな
子供を対象に商売している雑誌だから未成年が被害者になった事件では被害者についてコメントしろとか言われても
じゃあ成人向け雑誌だったらいいの?とか、被害者が仮に成人だったらほっかむりして連載続けてもよかったの?って思うし
性犯罪を許さない事を表明しろとか言われてもそんなの当たり前なのでいちいち言う必要ないだろと思うし
第一あいつらの暴走ぶりを見ていると、性犯罪を許さないと言ったら言ったで「性犯罪を助長するような漫画を載せているくせに心にもない事を言うな」とか何とか理由を付けて叩きそう
はっきり言って、作画担当が出したのと全く同じようなコメントを、もしも編集部が出したとしても叩いてる予感しかしないんだよね
作画担当についてもたまたま若い女性だったから持ち上げてるだけで、もし男だったら共犯者扱いして叩いてそうなくらいにジャンプ叩きは暴走してる
ファンのほとんどが、少なからず思い描いていたと思う。舞台化(これは実現しかけてた)、アニメ化、映画化、その他もろもろの華々しいメディア展開を。
ご存知の通り、それらは全て根こそぎさっぱり駄目になった。
原作マツキタツヤの卑劣極まりない性犯罪によって、大体の良識ある人が「まあ、そうなるよね」と言わざるを得ない形で。
私は作者と作品を切り離して考えられない。SNSの炎上や、ちょっとしたスキャンダルで騒ぎになった程度ならいざしらず、悪質な痴漢の書いた話なんか吐き気がするからもう要らない。
いい作品は世の中にいっぱいある。魅力的なキャラだっていくらでもいる。アクタージュにこだわる必要なんかない。
マツキタツヤに関しては、「取りうる全ての手段を以って償え」としか思っていない。出版社とか読者とか宇佐崎しろとかはどうでもいいから被害者のために全力で罪を償え。償ってからならどうなってもいいからまず償え。
アクタージュは原作マツキタツヤ、作画宇佐崎しろ、この2人の溢れ出る才能の結晶だった。
作画宇佐崎しろはアクタージュファンに向けてTwitterで意見表明をした。アクタージュの連載終了についてと、暴走するファンの言動への釘刺しだった。
それは非常にまともな内容だった。
多くのファンが「宇佐崎先生も辛いのに、こんな誠意に満ちた言葉ではっきりと言及してくれてありがたい」と言っていた。外野は事情もわからないまま「文筆家の原作者よりまともな文章書けるじゃん」と囃し立てた。集英社はろくにアナウンスもせず引用RTで適当に乗っかった。外野はそれを叩いた。
場外乱闘はあるけど、とにかく誰もが宇佐崎を褒め称える。全力で支えますと言っている。
だが、私はこう思う。
「そもそも宇佐崎しろがまともに漫画が描けてれば、ファンはこんなに絶望してなかったんだよ」
と。
宇佐崎しろは、(アクタージュを読んだことがなくて表紙だけ見たことある人なら誰もが抱く疑問があるだろうが、その通りに)顔面だけが上手い『絵描き』だ。
肩書きは漫画家ではあるが、宇佐崎の漫画を描くスキルはとうてい週刊少年ジャンプの連載陣レベルではない。
上手いのは基本的に顔面と髪だけだ。無機質でざっくりした背景は簡単に真っ白に飛ぶし、体付きでキャラ立てができるようなマンガ的な描きわけができるわけでもないし、ていうか顔もそんなに上手いか?
もちろん、私は宇佐崎の絵が大好きだ。漫画を楽しむ時に、絵の欠点なんて関係ない。宇佐崎の絵には、宇佐崎が描く人物には、それらを凌駕して有り余る魅力がある。それは大前提だ。
しかし、週刊少年ジャンプで作画だけを担当しているような漫画家は、だいたいにおいて凄まじく絵が上手い。その中にあって、宇佐崎の下手さは異色だ。
絵が下手だけど漫画が上手い、という期待は、宇佐崎に関してはできない。
アクタージュの全話のネームはマツキが切っていた。宇佐崎はストーリーはおろかセリフ一つ考えられないのではないだろうか。そう思わせる兆候はいろいろあった。
アクタージュの続編なんか望んでいない。
だが、アクタージュでついた読者を引き込むような作品を宇佐崎が作ってくれる、と期待できれば、アクタージュファンの気持ちはもう少し違ったはずだ。
アクタージュは2年以上連載していた。その中でファンが期待していた宇佐崎の成長はなかった。ほとんどのファンが好きになったのは痴漢の作った話、痴漢が考えたキャラ、痴漢が書き連ねたセリフだった。
アクタージュファンは知っている。自分たちが好きになったもの、その穢された作品の中できらめく「かつて自分たちが好きになった要素」を継いだ新しい作品を、絶対に宇佐崎は作ってくれない。事件とかマツキとかは関係なく、ただただ作る力がない。
きっと集英社は才能ある、ネームまで作れる原作者をまた見繕って宇佐崎につけてくれるだろう。
宇佐崎はそれを描くだろう。
良い作品が出来るかもしれない。私はまた夢中になるかもしれない。
けれど、そこにかつて好きだった漫画の影はない。
実は宇佐崎がものすごく漫画が描ける人で、アクタージュよりずっと面白くて読者の心を掴む漫画を描いてくれたら、こんな邪推は全てゴミクズだ。
でも、きっとそうではない。
インターネットの生きづらさを感じる。
「認知」だ。本人そのものや作者からの認知。認知してほしい感情やまた本人側から認知する行為そのものに対して否定したいわけじゃない。ただ、多すぎる気がする。
私はインターネットの中でも引きこもりROMをしており、自分のTLのみの世界で数年生きていた。そんな私が最近アカウントを新しくして鍵を開けてちょっとジャンルのことについてつぶやく、みたいな事をし始めた。
理由はどハマりしてしまったジャンルAへの感情がただ1人で引きこもっているだけでは抑えられず制御のきかないまま飛び出してしまったようなものだ。
まず本人(作者)がいて、それの特に仲が良いらしい絵描き、次に別ジャンルでサークル活動等をしているオフの人間、最後にたまに絵や文字を書いたりする人間やツイートのみの人間、とピラミッドがすぐに見えてきた。
そしてそのピラミッドの一番下にいる人間まで、ここにいる人たちを8割9割把握できるような狭さだった。
そしてそのファン層は結構「本人の反応を求めてツイートするタイプ」の人間が多かった。
直接、本人から自分の妄想ツイにいいねまたきたー!うれしい♡♡みたいな内容をツイートし、またそれに本人からいいねがくる…みたいな世界だった。
ここまでは別にいい、私に他人のやり取りの世界は関係無いのであ〜そういう感じね、と理解しひとりで壁打ちしてよう、あわよくば似たような壁打ちアカウントが既にどこかにいたりもしくは新しく出てきてフォローできないかな〜と思い、鍵を開けて壁打ちしていた。
つまるところ私は本人に反応されたくなかったので検索避けをしてきたつもりだったのだが、ある日その検索避けの中にもエゴサワードが入っていたのか突然存在がバレてしまった。
バレても何もしてこないならこちらはバレていることに気付かずタラタラとツイートし続ける事だろう。
でも突然通知欄に本人のアイコンが表示され、と思えば本人のフォロワーたちがわらわらと私のしょうもないツイートを拡散やいいねしていくのだ。1ツイートだけじゃない。本人は私の過去数ヶ月のツイートを私がアカウントを作った頃まで遡り複数にわたってツイートをRTしていった。
怖かった。もちろん鍵を開けて世界発信しているツイートなのだから、拡散やいいねの自由は向こうにある。あるから別におかしな事ではないとわかっている。
だけど怖かった。本人の名前も出していなければ作品名も登場人物名も何もかもを検索避けしていたつもりだった。見つかったのは仕方がない、私が先に本人や関係者のアカウントを先行ブロックしていなかったとか、打てる手はまだあったと思う。
でも本人のアカウントで、いいねだけならともかくRTをそこまでするか??
ただのオタクでも「さすがに過去ツイまで遡っていいねするのは通知欄荒らすからやめた」とか言っていたりするのでその思考回路が本人にないとは思えない。
過去ツイまで遡るくらいなのだから新しくジャンルに入ってきていたファンのアカウントは本人としてもチェックしておきたかったのかもなと思い、じゃあ即鍵をかけたら「そんなに見られて反応されるの嫌です」というこちらからの匂わせに気付くんじゃないかと思ったのだ。
そしておそるおそる鍵を開けて2ツイートしてみた。検索も避けて、何ならそんな大したことない「〇〇かわいい」くらいの中身のしょうもないツイートを。
早すぎる反応で確信してしまった、本人に絶対ファン閲覧用の非公開リストか何かがあるんだろう。鍵を開けて1分でもう限界だった。
エゴサした時に出てくる「〇〇かわいい」をいいねするとかはわかる。本人が褒められているわけだからエゴサしてそれに反応するタイプの人はいいねするだろう。でもこちらは検索避けをしているツイートだ。かつ、私はジャンルによくある「検索避けとして使われているけど正直避けられてなさそう」みたいな略称等からもまた避けて完全に自分しか使っていないような単語の組み合わせでツイートしていたので、たまたまそれで検索していましたなんて事はありえない。
本人に見つかってしまってから、何かをツイートする際「本人に見られている」という意識が私に貼り付く事になった。それが嬉しい人は何もストレスないのだろうが、私はそういうのがとんでもなくストレスなタイプの、こっちからは見ているけどそっちからは絶対に見られたくない引きこもりだった。
今になって思うがたぶん本人は自分に関するレビューのいいツイートをRTする事で少しでも自分の宣伝にしたかったのだろう。単純に自分への感想が呟かれていて嬉しかったとかの気持ちも含めて。
でも私としては「本人を宣伝したいよ」という気持ちで鍵を開けてツイートしていたわけではなかった。ちなみにたまに絵を描いたりもしていた。フォロワー0の環境で絵を無言で投げ、今日も描けたな…と思うだけ思って終わっていた。自分の感情のメモ代わりに絵を描いていたような感じだったので、本人に見つかってその絵も拡散されたのだが、引きこもりROMをしていて今さっきまで誰からの反応もなかった絵に突然数十人、数百人と反応がくることにどうしても怖くなってしまいTwitter以外の場所に絵を移してツイートは消した。
わかっている、たぶん「嬉しい、描いてくれてありがとう」みたいな気持ちでいいねしているのは。RTは「こんな絵を描いてくれる人がいるよ見て見て」みたいな感じだと思うのだ。学生の頃一次創作をしていて友人に自分の創作キャラのことを話してもらえるのが嬉しかったので、自分が何かしらの本人や作者ならたぶんうわ〜〜〜〜!!!!!かわいい嬉しいありがとう!!!!!!!!って思っていただろうから。
でも、もし存在に気付いていてもFAタグをつけている者だけに反応を留めるとか、検索避けがされていないツイートだけに反応するとか、何か線引きは出来なかったのだろうか。私はFAタグは「そのコンテンツを応援、宣伝したい」意思のある作品が集まっているのだと思っているのでそれに対し公式が反応するのは何も思わない。
だけど、FAタグが存在するのにそれを使っていない理由とかって本人側は特に考えないのだろうか。
そんなこんなで私はそのジャンルAに公開アカウントでい続けるのが精神的に厳しくなってしまい、またひとりでひっそりアカウントを作り直した。鍵はあけているがそのジャンルAの話はしていない。
もちろん今でも好きで本人のアカウントをたまに眺めたりしているのだが、言い方は悪いがファンのツイートに見境なく反応しているところを見ると、界隈にもそれぞれあるだろうがここではそんな感じの事を続けているからなかなか新規が寄ってこないんじゃないかと思った。
相手を観察して、相手が嫌がってる行為をしたら深呼吸して一歩ぐっと抑えることだな。
場合によってはマインドフルネスや瞑想みたいな脳の疲労を下げる手法も試してみるのもよい。ただしあの辺りは霊感商法とか弱まってる人間をかもにしようという商売も手を出しているから本だけで。かつ、霊魂や先祖やあの世などのことが多く書かれてる本はまがい物だからその本はだめだ。
依存もタバコでもパチンコでもそうだけど、制御ができず身を崩したり破滅するのが問題なわけで。
そして何かが好きだとかでのめり込んでる状態では脳の疲労も高まってるのよ。で、脳の疲労が高い状態では自分自身の抑えも効かなくて暴走する。暴走しても大丈夫なときならいいんだけど、暴走したらだめな時は破滅する。
そこを理性でどこでは暴走してよいか、どこは暴走したらだめで抑えないかを識別しないとならない。識別できないのなら一度全部ぐっと離れる。
就職してから出会いなんかないし、何より6連敗中であり、自由恋愛で結婚まで行く自信がなかったので、ぼちぼち結婚相談所に登録して婚活しようと思っていた(コロナのせいで先伸ばしにしている)。
相手は、入社したときから1人際立って気にはなっていたが、自分は惚れっぽいと気づいていたので何もしなかった。
ちょうど1年後に少しだけ一緒に仕事をすることになり、そのときにめちゃくちゃ意識してしまった。とはいえその仕事が終われば相手がまた別の事業所に戻るので、何もしなかった。
その1年後、今度は自分と同じ部署に来ることになった。最初に異動の話を聞いたとき、正直気が狂うかと思った。席も相手と向かい合わせなので、意識してしまう相手と顔を合わせて仕事をすると考えると、正気が保てる自信がなかった。
とはいえ仕事は仕事なので、LINEを送ってみたら、どうでもいい話でも1週間くらい続いたので、いけるかもしれないと勘違いしてしまった。相手も自分と共通点をたくさん持っていて(数えると4つだった)、とても親近感を持つようになった。「社内恋愛は煩わしいが、1ヶ月くらい様子を見てアプローチしてみよう。自由恋愛は最後にして、ダメなら婚活しよう」と思った。
配属後、上司を交えてくだけた話をする場があった。上司はオープンな人なので彼氏彼女の話題を振ってきて、そのとき彼女に彼氏がいることが発覚した。やけになって浴びるほど酒を飲んで酔っぱらって帰ってきた(今ここ)。