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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。
今は大学生だから何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。
私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。
私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。
父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。
最初は子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的なアプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。
父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。
※毎日というわけではありません
中3で私が他の男性の子を妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。
それからは、私がどんな男性の相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分のお仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。
それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。
今は、普通の大学生はしないであろう仕事(風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。
それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。
思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。
お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。
さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。
ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。
それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。
経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。
私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。
もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在の感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議な感覚になってしまう。
私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的な意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。
性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいからパパ活をしていたのかもしれない。
私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。
母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。
ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。
少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。
なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。
子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。
確かなのは、父が来てから、普通の暮らしができるようになったこと。
私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。
もしかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。
それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係。
そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。
母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。
私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。
思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。
それが性的虐待の兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。
今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。
「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメなことなんだ」という意識はあった。
いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。
でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。
私には疑問がある。
父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。
きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。
ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。
つまり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者に定義しやすいのかも。
「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。
でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。
母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さらに半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。
嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。
単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。
具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。
「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。
でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。
「おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。
そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性でしかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。
いま私は、風俗の世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。
精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。
そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。
身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通の女の子ではいらなくなったと
いう実感が体中に広がった。
でも。そう感じるのは自分がわがままだからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。
私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。
今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。
処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。
計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。
一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たちは言葉にしなくても通じ合っていた。
妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形・オナホ扱い。でも、ときに恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。
私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。
それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。
学校に行く前にされることもあった。
妹には絵本を読んでてもらったり、タブレットで動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔で学校へ行く。
口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。
父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。
嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。
心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。
同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。
そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。
思春期だから、友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。
私が父に相談すると、父はかなり積極的に担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。
正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。
これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。
ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。
それはきっと、主に性的なイジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。
中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。
正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。
実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。
表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。
でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。
回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初は抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為の時間が長くなる。痛いことだってあった。
でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。
でも、そのうちに気が付いた。自分から相手を気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要なものを買えるようになった。
子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。
その時、感じたことは2つ。
父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安。
後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。
でも、今思えば、今まで自分の役割だって必死に応えてきた、そんな自分が否定されるのがいやだったのかもしれない。
ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。
でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。
父はなんだったんだろう。
小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要な存在だった。
いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。
ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。
どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。
ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。
もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。
それでも。
繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。
「あれはなんだったの?」
って。
「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心を回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心はボロボロになるかもしれないし。
ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。
最後にまた、父について思い返してみる。
改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。
そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。
家庭内の性的虐待というと、どこか乱暴なイメージがあるかもしれないけど、私の場合は基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。
いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。
父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。
ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。
父は家事をほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。
生前、母がいくつか基本的な家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときはスマホで検索したり、学校で先生に聞いたりした。
とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。
端から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活の一種として。
すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体的虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。
もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも、経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。
「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。
正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーでしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。
ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵の存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。
今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。
私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。
よくテレビで殺人犯が誰でもいいから社会に復讐したいと言うと理解できない、信じられないと言う声をテレビやネットでよく聞く。
ただ自分は絶対に実行に移さないだけで彼らの考えには強く共感する。
この考えは本気で努力した事のない人間と本気で努力して負けた経験がない一握りのエリートには理解できないのだ。
自分は学生時代ぼっちでクラスで孤立しているのを改善しようと会話術の本を読んだりテストで良い成績を取って注目されようと勉強で努力したり話したことがない人間に話しかけたりした。
一方陽キャ達は難なく努力することなくのうのうとクラスで関係性を築いていた。
100努力した人間と5努力した才能がある人間なら後者が勝つのを知ってしまったのはこの時だった。
筋トレや有酸素運動で体を鍛え自己啓発本を読み自炊を学び勉強に励んだ。
結果はB型作業所に6年通っても就職できない職歴ほぼ無し実家暮らしの発達障害者がいるだけだった。
筋トレもせずにダルダルの体を持つサラリーマンが自分が就けていない仕事に就いていた。
コミュニケーションの勉強もロクにした事がない奴がトラブルを起こさず同僚と会話していた。
世の中努力は無駄ではないが絶対的才能には勝てないことを思い知らされたしこんな世の中を許せないと思った。
だって障害が無いって才能を持った人間だけが無双するのって差別じゃん。
差別を許すなよ。
しかもロクに努力をしたことがない人間に限ってネットで声高に自己責任!努力不足!と叫ぶ。
そいつらに自分がしてきた努力や読んできた自己啓発書を列記してやると嘘認定するか努力に難癖を付ける。
おっさんが臭い、っていう話は、日本で、普通に風呂と洗濯へのアクセスがとても限られている人たちが出てきているってことだよ。以前なら社会生活が営めず淘汰されるか生活保護的に救われるかっていう人達が、通販の普及やビジネスカジュアルの普及で社会的に死ににくくなって、普通にその辺のスーパーとか駅とかを歩いている状態。洗濯はやりかたが解らないか、コインランドリーに都度お金払うのに躊躇するハードル。コインランドリーに着ていく服がないハードル。風呂は、汚部屋で入れないし、銭湯に都度お金を払うのに躊躇するハードル。住所はあるけれどホームレス暮らしに近い人達が出現している。汚部屋の話題とかも共通味ある
自分用 書かざるを得ない身体から湧き上がるままに記しておく。
生きてても一個もいいことがない。この一年、相談所で婚活し、ゴミみたいな女を掴んでしまって2か月で入籍2か月で離婚という
まさかこの俺が と思わざるを得ない世にも奇妙な体験をしてしまった。
ただでさえ相談所にも高い報酬料を払ったのに、入籍してから本性出して精神疾患持ちであることさらけ出しやがった。
意味不明な被害妄想と、ひたすらテイカーみたいにあれこれ注文、難癖つけて自分の意のままに俺を操ろうとしてきたゴミ女
同居しているわけでもないし、住んでいる場所も50㎞近く離れているのに「夫にストーカーされている」と職場で発狂したキチ女
そんな奴から離れて半年、再婚活をしている最中、友人と酒を飲んだ。友人は何も悪くない、本当に素敵な人なのだが、俺が最低な人間ゆえに変な嫉妬をしてしまった。
彼は職場の年上女性からアプローチされて、付き合って半年ほどで同棲開始、毎朝行ってきますのキス、俺がこの先言えるのかわからないセリフ「一緒に暮らしてみると、いろいろ見えてくるからね...」 俺は一つも持っていないものを彼は持っていて、本当に、本当の本当に苦しくて悔しくて、自分の人生が嫌いになった。
人間、他人と比べずには生きていけない 比べることをやめよう なんて欺瞞なんだよ。気休めでしかない。
経験しなくてもいいことを俺がたくさん経験している一方で、経験したほうがいいことをフツーに難なく経験している人が居る。 どういう人生だよ本当に
人口衛星がうじゃうじゃ地球の周りを飛んでてシャッター構えてる時代だし
なんかロマンがないんですわ
サンタマリア号に乗ってレッツゴーなんて
不衛生だし~
ベッドもないし~
メシもまずいしな~
第一エアコンも冷蔵庫もない世界で夏を過ごせなんて考えられない
もう地球上は何もかも筒抜けになってさ~
味気ないし~
リモートワークの時代に陽もあたらない、家庭菜園もできない、太陽光発電もできない、エントランスからエレベータ待ちで家に入るまでさらに5分、
そんな暮らしがうらやましいわけないわw
賃貸か持ち家論争って、予算とかライフスタイルとか立地によるのでは?
「建てるんだったら注文住宅!高気密高断熱!」
みたいな話をしても仕方ない。
どこに住むか、何年住むか、どういうライフスタイルで住むか、それを踏まえて選ぶし、それで理想の住まいが手に入るかっていうと、予算の制限もある。
ホテル住まいから、木造築古ワンルームまで、全ての不動産は需要があるから存在してるわけで。
そんで、正解はなかなかわからないよ。
俺だって、10年前に戻れたら無理してでもタワマン買いたいし、戻れたところでお前の年収じゃ審査降りないって言われてるかもだし。
・ダッチ
みんなに愛される蠱惑的な男
・アーサー
主人公 ダッチのことが大好き
両親を失いダッチを父代わりに育つ
・ホゼア
アーサーの育ての父2号でダッチのことが大好き
・ジョン
両親を失いダッチに拾われる ダッチのことが大好き
・マイカ
上のメンバーは10年以上の古株ばかりだが、サークルに最近入った新人 ダッチのことが大好き
口が悪く乱暴でダッチを取り合ってアーサーとよく揉める
20世紀が近づき秩序が生まれ「無法者」が駆逐されていった時代のアメリカが舞台
ダッチサークルは肥えた金持ちから暴力で金を巻き上げ、貧乏人たちには恵みを与える義賊的なギャングだった
しかし急速に文明が発達する中でその生き方は許されなくなり、サークルを率いるカリスマであったダッチは衰えていく
大掛かりな強盗でドカンと稼いだ後で遠くに逃げようと計画するも、強盗失敗
ダッチはその中でうっかり老婆を殺害してしまい、非戦闘員を殺めたショックでダッチはますますおかしくなっていく
金はないが遠くへ逃げ、ダッチの無根拠な「大丈夫だ、俺には計画がある」という言葉にアーサーは従うも、こいつおかしいなと察し始める
追手はどこまでも執念深くダッチを追い(多分こいつらもホモ)、逃げるために資金必要→危険な強盗→失敗、を繰り返し仲間も死んでいきサークルはボロボロ
サークルは、ホゼアが計画を立てダッチが鼓舞しアーサーが実行というのがメインだったがホゼアが殺されて無軌道な集まりになり内部崩壊していく
なぜ敵はこちらの居場所をすぐ知ることができるのか、それはマイカが敵のスパイで情報を流しているからだった
アーサーはをマイカが裏切り者だと告発するも、ダッチは最近能力を疑い冷たくなっていたアーサーよりもマイカを信じて寝取られる
それから8年、ジョンはサークルクラッシャーのマイカの居場所を突き止め山の頂上に隠れた小屋へと辿り着いた
そこにはマイカだけでなくダッチもいた
かつての輝きを失い枯れたじいさんになったダッチは、サークル崩壊後気力を失い
マイカに手籠にされ山奥で8年も二人きりの生活を強いられていた
俺のことを信じず見捨てたお前らよりマイカを取ったのだと言い、ジョンはショックを受ける
ジョンがマイカに銃を向け、ダッチがジョンに銃を向けるという緊迫した状況
ジョンはアーサーが死んだことを告げ、サークルを壊したのは裏切り者のマイカだ、マイカを信じるなと説得する
ダッチは正気に戻りマイカを殺害し、それでもジョンとよりを戻すことはできず孤独にその場を去っていった
最初はホモだと思わなかったが、激狭山小屋で二人が暮らしているのを見た瞬間こいつらはホモでホモサークルの話だったのだと全てに納得が行った
マイカの裏切りについては「明確な証拠はなく、冤罪だ」という説もある
裏切って場所教える→銃撃戦を何度もやっていたとしたら、マイカだってリスクが高く死と隣り合わせだ
金のためにそんなことできるか怪しいが、愛のためだったらできるかもしれない
いや、あり得る話だと思うよ。
私は空調機器の企画・開発をやってまして、エアコンクリーニング業界は近いフィールドなので、ゆるふわっとアンテナ立ててる。
先に背景を説明させて頂く。
エアコンクリーニング業界って、ここ10年で凄まじく伸びてて、新規業者の数もバンバン増えてる。なんなら脱サラガテン系の中では儲かる起業筆頭と言っても差し支えないレベル。
ここ毎年酷暑がひどいのに加えて、エアコンを清掃して使うという習慣が認知されてきたせいもあって、初心者でも参入しやすくすぐ稼げる市場がある。
で、ここからが本題なんだが。
レッドオーシャンでライバルが増えると、多くの業者が手を出すのが独自配合の洗剤なんですよ。
エアコンクリーニング業界の謎の慣習として「使用する洗剤は企業秘密」って文化がある。
なんなら、市販のエアコン用洗剤(有名なものだと、エアコン洗浄プロ505や404など。Amazonでも購入できる)ですら、「企業秘密」として公に書かなかったりする。
実はエアコンクリーニングで一番差が出るのは洗剤とは言いがたい。研修を受けたプロなら、ぶっちゃけどの洗剤を使っても仕上がりに大差はない。(少なくとも消費者目線では違いが分からないレベル)
流せる範囲の汚れは流せて、洗浄機が届かない範囲は汚れは取れない。全部の汚れを取るには完全分解するしかないのだが、まぁ要するに洗剤ひとつでたいした差は出ないのだが、そこをエアコンクリーニング業者はどういうわけかボカしたがる。
エアコンを100%完全に新品レベルで綺麗に清掃するという事が事実上不可能なので、その事実に対して距離感がつかめずにスゴい洗剤というまやかしに走るんだろう。……と推測している。彼らの認識は、本当に謎としか言いようがない。
なので、被害者増田が語ってる業者も、おそらくは「独自配合の洗剤」ないしは「高付加価値の仕上げ薬剤塗布」とか、そういう事をやってるんじゃないだろうか。
なおその洗剤や薬剤が本当に独自開発なのかは私は知らないし、そもそもエアコンクリーニングが原因で被害者増田が健康被害を被ったかどうかは、もちろん私には判別がつかない。
だが独自配合の洗剤は最近よくある話というか、ある種のブームなので注意してほしい
余談だが、プロのエアコンクリーニングについて簡単にアクセスできるのは、YouTubeの暮らしのマーケットのチャンネルと言える。
ここのYouTubeチャンネルでは、くらしのマーケットというポータルサイトで入賞したレベルの高い清掃業者が「XX社のエアコンの洗浄方法」と題し、分解が難しいエアコン洗浄テクニックを披露している。
養生や洗浄技術やコミュニケーションはなるほど一流だと思うが、科学的知識が欠けてる発言もそこそこ目にする。たとえば「私が使ってる洗剤は自然由来の成分だから安全です」とか言っちゃってる業者もいるが、自然由来だから安全なんてことはない。トマトだって4t食べれば死ぬし、ふぐ毒だって自然由来だからね。自然由来で安心安全なら、茶のしずくの薬害事件なんて起きてませんよね。
……まぁちょっと揚げ足取りっぽく書いてしまったが、元来ガテン系の方々が科学知識がなく盲目的に洗剤を取り扱ってる空気感はそこかしこに感じ取れる。どうせSDSすらまともに読んでない業者が多数派だろう。
エアコンクリーニングのトッププロですらこのレベルなので、何か根本的に間違えた業者が出てきてもおかしくないと思います。
わかる。大変だな。
自分の場合、紙巻タバコの煙とか有機リン系殺虫剤とか、界面活性剤系の消臭剤とか、臭素系の難燃剤とかプラスチックの可塑剤とか離型剤とか塩ビ用の接着剤とか極微量でも頭痛がして気分が悪くなる。
最近は以前より暮らしやすくなってきてはいる。「マイクロカプセル」系の言説はたしかにちょっとどうかなと思うけれど、気のせいとか精神疾患とかじゃなくて
病態として割合はっきりしているし、気をつけていくつかの物質から離れると快適至極で普通に暮らせる。
・喫煙者から距離を取る(図書館の本とかレンタルCDとか盲点。大学院の時海外の専門書が煙くて結構しんどかったが、当時喫煙者が本につけたタバコ臭が原因とは気づかなかった。喫煙者が多い昭和的飲み会がとても憂鬱だ。カラオケボックスとか使いにくい。最近は改善されているのかな。
・食品容器のプラスチックに気を付ける。(PETボトルのお茶や水は今のところ問題ない。厚手のポリエチの袋の酸化防止剤やアンチブロッキング剤で気分悪くなることがある。ラップ加熱やタッパー加熱を避ける。念のため電気ポットを使わない。テフロンフライパンを使わない。ガラスか陶磁器を使う。
久しぶりに夜の繁華街に出掛けたらかわいいね的な声掛けを受けた。ナンパ目的じゃなくキャットコールの類いだと思うのだけど小さい頃から全然他人にそういう言葉をかけてこられなかったのでそういうのでさえちょっと嬉しくなってしまう自分が気持ち悪い。
親戚が多かったのだけど男が多く、女はすごく年上が数人と同い年が1人いた。その同い年が小さな頃からかわいくて向こうの親が自営業で収入も不安定だからということで祖母がえらくかわいがっていたのはうっすら覚えている。自分に対してはまあ幼子特有のかわいさはあるよね!化粧を覚えたら女は変わるし!な雰囲気をずっとずっと感じていた。
そんな自分はある程度の年齢になっても身なりを整える発想が出てこず、典型的なオタクになっていたのだがその頃すでに同い年の親戚は化粧を覚えてかわいさに拍車がかかっていた。親戚の集まりに行けば比べられるから行きたくないなと思う頭はあるのに、身なりを整えることはしなかった。整えたところで笑われて終わりだと思っていたから。
そこから更に時を経て、社会人になって身なりもそれなりに整えられるようになってから出来た友人は自分を褒めてくれるので昔ほどコンプレックス大暴れは収まってきたが、今でもコンプレックスは背中に張りついているのを感じてる。
祖母はとっくに亡くなっているのだが墓守は私が任されているし、かわいかった親戚は両親こそ亡くなったが幸せに暮らしているしなんか毎回飲み込みきれないモヤモヤを抱えてブス根性でこのまま生きていくんだろうなーと、ふと思っただけの話である。
思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています。
そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分の出会ってきた)アラビア語とイスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます。
大前提ですが、自分は基本、道楽で勉強してきた人間で、職業的な研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくまで個人の体験を元にした個人の感想で、学問的裏付けのあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。
(いきなり余談ですが、わたしが出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリッジムスリム、つまりムスリムと結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通は言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)。
シリア人と結婚しシリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたいな構図とは全然違って、目を開かされました。
また日本在住のマリッジムスリムでも、家族親族との交流やクルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます。
ほとんどの場合、ムスリム男性と日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が相当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした)
先述の通り、わたしがアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。
イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンのアラビア語はお経みたいなもの、イラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います。
お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。
日本の仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味も勉強すると思います。非アラビア語話者のムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。
何ならアラブ人にとっても、クルアーンのアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。
(お世話になっていたエジプト人の先生とクルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートとかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見のアラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからん」ものです)
一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代の言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います。
ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハーを勉強します。普段使っているアーンミーヤ、エジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています。大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。
外国人視点で見れば、フスハーとアーンミーヤはラテン語とフランス語くらい離れていて、勉強すれば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます。勉強しないで自然にできるわけがありません。
話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。
キリスト教の聖書は色んな言語に訳されていて、普通は各自の言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書の大衆口語への翻訳が本格的に行われるようになったのは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。
何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的に理解できるものを第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味や論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。
現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップに全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味的整合性が全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味があいまって全体の美しさが練られると思います。歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みたいな作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。
英語のヒップホップの歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉はダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為、信仰というものは、容易に翻訳可能で知的に了解しやすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。
特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語とヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語に翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまいます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳と原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。
クルアーン、特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教のルールブック」みたいなイメージが強いかもしれませんが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火獄の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象的イメージが多いですね。
音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょとエピソード的な話が続くと、とてもわかりやすい言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりのフレーズがビシッと入ります。ごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。
またヘブライ語聖書(旧約聖書)のエピソードが知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフ(ヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードがアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。
こうしたエピソードっぽいフレーズは時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます。
この文体は翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります。
わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーンの読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。
良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。
余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記は学問的な界隈では結構前からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのは「コーラン」ですよね。
カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります。
「クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います。
では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。
英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。
ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時になぜか前半アクセントのイメージで「コ」の後に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセントを表現したようです。
実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人の感覚で簡単なカタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。
別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語のラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。
同様にラテン文字表記(英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。
あと不思議なのは「アッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈で表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。
これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います。
その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為そのものは単なる殺戮で肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚の殺戮者であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。
では実際のところ、平々凡々たる市井のムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います。
色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般常識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身の立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。
キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですから、ムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリムの感覚に同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから。
この低水準の信仰感覚というのは、あくまでわたし個人の感じてきたところでは、幼い頃から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います。
大人ですから知的に敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています。
そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています。言語、文化、宗教は連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとしてもなかなかうまくいきません。
まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います。
そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢でしょうが、違う場所から違う視点でものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。
人生、旅じゃないですか。
私は50代半ばの女性です。
昨年一緒に暮らしていた母を看取りました。
私は母大好きっ子だったので、とても淋しい気持ちです。
ただ、大好きっ子だからこそ覚悟もずっとしていて、私の人生にこれ以上辛いことは訪れないことは少しほっとしています。
介護も私的にはベストを尽くしたつもりです。それでもまだ後悔はありますが。
私は一人になり、何の指針もなくただ生きています。(仕事はあります)
あとこういうのはどのくらい続くのか、ずっと正気を保っていられるのか心配になることもあります。
今現在は家で仕事をしていて(正社員とかじゃないので、これがいつまで出来るかわからない)、肉体的な疲労は少ないのですが、昼に家にいることで昼飲みとかし始めて(今してないですよ)アル中になったりしないか不安です。
でも、家族に先立たれて長年一人の方とか、そもそも家族いないとか、そんな方はいくらでもいるわけで私の言っていることは甘えなのかもしれないけれども、今の気持ちを書き留めました。
ところが調べれば調べるほど、考えれば考えるほど差別肯定派になった
「理由」を記した文章なんてまったく出てこない、びっくりするよ
パーソナライズド俺環だが、トップはアグネス・チャンのページが出てくる
文章の中で「なぜ」は書かれていない
フワっとした抽象論
他のどのページも「理由」を明瞭に解説した言説にはたどり着かない。
「他人を尊重できないなら出ていけ」米空軍士官学校校長のジェイ・シルベリア中将のスピーチは有名だが
これもお涙頂戴の感動スピーチなんだが、冷静に聞くと
好意的に解釈するなら「多様性が強さの源泉」とダメな理由を語っているように受け取れるが。
バシバシ差別やってた時代の方が経済も科学も文化も猛烈に進歩してたやん
結局ね、誰も差別がダメな理由を論理的に構築できてねぇのよ、だって嘘だもん
考えてみりゃ、差別イクナイと言い出してから世の中がおかしくなり始めた
こんなもんいくらでもある
それが現実だ
一人の生徒を犠牲にすれば他の数十人の幸福度は上がる、学習効果も上がる
ストレス抱えたやんちゃ君がはけ口が無く学級崩壊してクラス全員がバカ
どっちがいい?
しらんがな
理由になってない
差別する俺はちっとも可愛そうではない、はい論破で終わってしまう
純日本人と喧嘩になったら「黙れ敗戦劣等国民の分際で戦勝国の血を引く俺様に逆らうとは生意気だ、もう一度メッタメタのボッコボコにされたいか?ああぁん?」
言うたれと教育している