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はてなキーワード: 映画監督とは

2020-03-08

Followersの批判noteについてちゃんと考えてみた

新世代のリアル」をテーマにしたNetflixの「FOLLOWERS」が化石みたいな価値観まみれな件について

https://note.com/akiko_saito/n/n9b1b3581843c

っていうnoteがバズっているので読んだんだが、「この人蜷川実花に村焼かれたんか??」と思うほどのdisり具合だったので、followesを全話一気見したうえでひとつひとつ考えてみた。

まずは上述のnoteを読んでみてほしい。

東京を描くテーマ東京タワーに向かってデジタル一眼のシャッターを切りまくるカメラマン

もうこの時点で「陳腐」と感じた人を脱落させる、素晴らしいファーストシーンだと思います

ファーストシーンだけなのにこのdisりっぷりに私も脱帽した。

私が田舎出身からかもしれないが、未だに東京タワーは東京象徴する一番のものな気がしている。特にこの作品日本から世界に発信されるわけだから、わかりやす象徴として東京タワーのカットが抜かれることには何の違和感もない。

私のこの感覚が「ダサい」「古い」なのだとしたらそれまでなんだが。

で、次。

「女の幸せ」ってド演歌みたいな言葉ですが、それはなんと子どもを生むことだそうです〜〜〜!!!ドンドンドンパフパフ

いやあ、これ作中で別に言ってないんだよな。続く

じゃあ何かいあんた、

子どもを持たない人は

女の幸せ

ってやつが手に入らないってえのかい

に関しても、誰もそんなことは言ってない。飛躍している気がする。

八代亜紀中谷美紀の母)「粉ミルクの方が栄養価が高いのよ」

中谷美紀「今は母乳の方がいいって言われてるの!できるだけ母乳を飲ませたいのよ、粉ミルクはやめて」

エッ母乳の方が愛があるみたいなやつ?!?!?!?!?!!!??!!?はるか古代に滅びたやつ??!?!を今もってくる?!!!?!

これに関しても、作品の中では「粉ミルクの方が良いもの」も「母乳こそが素晴らしい」も描かれていないんだよね。

もう少しだけネタバレをすると、中谷美紀母乳あんまり出ない。だから中谷美紀の子育てを手伝いに来た実母が「(そんなに完母に固執せずに)混合で育ててもいいんじゃない?」という趣旨のことを中谷美紀に言う。

まり、完母が素晴らしい!と思い込んでいる中谷美紀に対して、「そんなにこだわらなくても大丈夫よ」と肩の荷を下ろしてあげているシーンなのだ母乳の方が愛があるって価値観押し付けているシーンでは決してない。

液体ミルクについてはこのシーンで言及されていないが、話がややこしくなるからわかりやすく「粉ミルク」って言っただけの話だろう。

「ざんねん〜!!MIYAVIの遺伝子が〜〜!!」

って叫ぶんですよ、、怖すぎだろ、、MIYAVIが何も知らされてなかったらほんとに訴訟もんですよ。

これについては、まあ女子会の中だったらこのぐらいの悪ふざけはあるだろう、という感じ。ただし、MIYAVIが何も知らされずに父親にさせられようとしている部分に関してはわたしも恐怖を覚えたので、同意

精子バンクとか、養子とか、いろいろあんだろ、、

やはり

自分の腹を痛めた子を生んでこそ女のしあわせ」

ってことなのかな?

ここに関してはもう少しミリの心の中を想像したほうがいいんじゃないかなーと思った。まあ確かに精子バンク子どもを授かる方法もあるかもしれないが、どこの誰だかまったくわからない人の遺伝子を使うのはちょっと怖いっていう気持ちもわかるよ、私はね。

「腹を痛めた子を生んでこそ女のしあわせ」っていうのが読み取れる発言も作中にはないよ。養子という選択をとらなかったのは、シンプル自分遺伝子を残したい、育てたい、と思っただけなんじゃないだろうか。

子どもに関する価値観はそれぞれで、誰かの遺伝子をもらうとか、養子をとるとか、里親になるとか、さまざまあっていい。そこに正しいも悪いもない。特定価値観を、本人以外の誰かがジャッジすべきではない。

役者が全員大根

ここに関しては私はあまり映画テレビも見ないため評価できず。見る人によると思う。

YouTuberは遊んで動画撮って楽な稼ぎ方してて最悪

これは、池田エライザYoutuber出会ってすぐのころそんな認識をしているという描写があったけど、話が進むうちに認識が変わっていくサマもきちんと描かれている。

たとえば、作品をとるためにめちゃくちゃ身体を張っていること。時間をかけて企画をしていること。極めつけは、Youtubeアナティクスの画面を見ながら研究をしているところ。

見る人が見れば、(Youtube投稿したことのある若い世代であれば特に)その大変さをきちんと作品の中でも描いているというとらえ方をするはず。

YouTuberは楽な職業

映画監督の方が上

という世界線になっている。

なっていない。そんなことは作中で誰も言っていない。

モデルeスポーツも楽ちんな職業

うーんこれも言っていないと思うよ。

池田エライザが「女優になりたい!」と言い続けていたのは、「女優の方が格上だから」ということではなくて、ただ単純にモデルという職業じゃなくて女優という職業になりたいから、ってだけだと思う。

水泳選手じゃなくて陸上選手になりたいんです!みたいなもんだと思ったけど違う?

蜷川実花監督なのに、「モデル=楽な職業」として描かれているわけはないでしょう。

売れない歌手バーチャルアイドルとして再デビューして見事復活みたいなことやってるんですけど、バーチャルアイドル作るのってすごいお金かかるんですけど首になった歌手がどっからその予算出したんすかね

違う違う。サヨは売れない歌手からクビになったんじゃないんだよ…ちゃん作品見ました?サヨはめちゃくちゃ売れてる歌手で、サヨのおかげで事務所が大きくなったといってもいいくらい稼いでる人だった。だからお金はあるんですよ…。バーチャルアイドル作るのにすごいお金がかかるのは事実なのかもしれんが、そのくらいの金はあるんじゃないの。事務所トップシンガーだったんなら。

コムアイレズビアンの設定で、友人である売れない女優に「あなたのことが好き」と一大決心して告白するのだが、売れない女優は「言ってくれてありがとう」とハグをしてなんか終了。彼氏のもとに戻っていく。別にコムアイの悲しみは描かれない。

このシーンは、コムアイから池田エライザへの「告白」だったわけじゃないんだなあ。愛だ恋だが絡んでいる「好きだよ」じゃなく、「あなたの演技が好きだよ」「そのままのあなたが好きだよ」という、池田エライザ存在をまるごと受け入れる受容のシーンなんだよ。だからそれに対して「私も好き!」とか「ありがとう…でもわたしは好きじゃないから付き合えない…」とはならんやろ。

ちなみに「言ってくれてありがとう」っていうそれこそ陳腐なやりとりもしてない。

この場面ではコムアイの悲しみは描かれないけど、それはすでに彼女が悲しみを乗り越えてるからなんだよね。

彼女の悲しみは、部屋に引きこもって作品絵画)を仕上げているなかできちんと描かれてるよ。痛いくらいの悲しみの表現がされているよ。もう1回見直してくれ。

なんで女だからってしなやかに生きなくちゃいけないの?

てかしなやかってなに?

「しなやか」はね、柔軟で、弾力に富んでいるサマのことだよ。「おしとやか」とは意味が違うからね。辞書を引こう。

女の子なんだから女の子らしくしなさい」は「しなやか」ではないし、「男のひとを立てなさい」もしなやかではない。それらから解放されたサマが「しなやか」という言葉表現されてるんだと思うが、違うか?

と、まあ事細かにいろいろあげつらったんだけど、一つ一つ否定していることにそんなに意味はなくて。

一番言いたいのは、「批判noteバズることの危険性」についてなんだよなー。

しか作品を見て何を感じるかは人それぞれだし、注目度の高い作品であればあるほど賛否両論どちらも出てくるもんだとは思う。

だけど、激しい批判が独り歩きすることで(そしてそれが歪んだ認知のもとに書かれているとしたら特に)、楽しみながら作品を見られるはずだった人たちが、「最悪な作品」というバイアスのもとに鑑賞せざるを得ないということなんだよな。

私は全話通して楽しんでみたし、前評判ほど「古い」とか「化石みたい」とかは感じなかった。みんなが批判だけに踊らされて「私は見ない!」「(みんなダサいって言ってるし)ダサい同意!」というのが起きないといいなーと思った。

2020-02-28

日本映画海外みたいに金が無いから、大作が作れないのだ!!」という意見

正直アニメの方に優秀な人材が流れて、映画監督技術力も熱意も能力も無い人が2000年代蔓延っていた。

そこらへんで努力してこなかったから、2010年代に金が集まらないのも当たり前なんだよな

結局その斜陽を救ったのがアニメ畑の人で、マジで2000年代あたりの映画監督って何も積み重ねず何も生みださな

マジで何のために生きていたのかって感じになってるよな

2020-02-14

イスラエルユダヤ系っているの?

映画監督とか特にそうだけどホロコーストメタファー入れがちなんだけどじゃあお前イスラエルのやってる蛮行についてはどう思うん?と真面目に聞きたくなる

そこにダンマリなんだったら何撮っても響かないよなと思ってしま

今だったらジョジョラビット

2020-02-12

anond:20200212111233

ものすごい男尊女卑時代なので女性活躍するのは世界観的に不自然 

現代時代にそぐわない表現

白人しかそもそも存在しないという世界観なので黒人アジア人が出てくる余地はない 

白人しか世界に認めないという差別主義助長する!

愛の神が人間を男女ペアとなるように作り出しているという裏設定なのでLGBT概念はない

LGBTは神の作り出したものではないという主張は攻撃的で許されるものではない!

映画監督キャリアは終わる

2020-01-26

anond:20200125103007

映画監督のスコセッシだか誰かが映画学校の学生に「孤独が癒されない、どうしたらいいか」と聞かれて「その思いを映画にしなさい」と伝え、

後日学生から映画を撮ったけど孤独は消えません」と言われ「僕もそうだ」と返したとかなんとか。

ちなみにチェコ好きは、自殺した人が当日までの行動を綴ったブログに対して「最後に食べる食事ファミレスとか想像力がない」なんて書いて炎上したくらい他人への想像力がない。(奇しくもzaikabouの批判トップコメントだ)

芸術と長い時間向き合ってようがこれじゃ何の意味もないなと思った。

2020-01-22

漫画家映画監督呼び捨てにできない。

絶対先生とか〇〇監督って呼んじゃう。

単純に尊敬してるってのもあるけど。

でも小説家呼び捨てだわ。

尊敬しているのに。

謎。

2020-01-14

夢を諦めたら年収が上がった。

まあ、ワナビだった。

声優なのか、ラノベ作家なのか、漫画家なのか、イラストレーターなのか、ゲームクリエイターなのか、カメラマンなのか、俳優なのか、映画監督なのか、そこはあえて言わないでおく。

30代。大きな病気をして人生を転がった。

そして、もう無理だとあきらめて、2年。そして今。

いわゆる障碍者になった。

でも生活保護で生きていくには欲が深かった。

自分の持ってる技能を持って、就職活動した。

その結果、一気に年収が上がった。

なんか、できることをそのまま履歴書に書いて、送り、そして就職活動した。

で、結果として、年収が倍に上がった。

200万行かない生活だったのが、400万になった。

そして、これからまだまだ昇給する予定。

しか仕事は楽で、定時に上がる。


納得いかない。夢を追ってるときにはあれだけ努力して、あれだけ報われなかったのに。

それから降りたとたんに、一気に年収が上がった。

どういうことなのか。

理屈ではわかる。

でも、あんなに努力して結果が出ずに報われなかったのに、こんなに簡単だったのかと思った。

視野が狭かったのだ。



自分クズだといつの間にか心の中で思っていた。

でもそうじゃなかった。

自分社会のだれから必要とされないクズの才能のない人間だ。替えなんかいくらでもいる一山いくらゴミだと思っていた

しかし、自分のやってきたことに、前の競争から降りて別の人が値札を付けたらきちんとした値段が付いた。

ただ、視野が狭くて蛸壺の中でもがいてたのだ。

自分クズじゃなかった。

その事実が今は少しうれしい。

2020-01-05

anond:20200105023335

AVとの違いでいえば、AVは実際に挿入する(実は日本法律では挿入行為を記録した映像を公開すると猥褻物頒布になってしまうので、挿入してないという「建前」になっているが)のに比べ、ピンク映画の濡れ場は擬似本番で挿入行為をしないことがほとんど。

挿入行為を行うものは「ハードコア」(欧米発祥呼び方)と呼ばれて区別される。

またピンク映画の「18禁」はあくま自主規制レーティングであり、AVのように条例でも指定されるものとは種類が違う。

そのため、未成年に見せても法律的には問題がない。

もちろん倫理的には問題があるため、年齢制限があるのだが。

普通R-15映画ゲームレーティング等と同様に考えてもらえればわかりやすい。

からレンタル店などでもAV条例に基づき暖簾奥などに隔離されるが、ピンク映画は「18禁」の表示がありながらも一般の棚に並べられる。

これも他のR指定映画と同じ。

条例なので、地域によって扱いに差はある)

ピンク映画出身で他に有名な映画監督だと、近年クリーピーでも存在感を見せたJホラー黒沢清平成ガメラ実写版デスノートでおなじみの金子修介か。

あとたしか園子温ピンク出身ではない。

それこそ日活ロマンポルノ復活企画ロマンポルノリブートプロジェクト」で初めてピンク作品を撮ったはず。

ちなみにこの企画ではGOセカチュー行定勲リング中田秀夫らも参加している。

2020-01-03

anond:20200103195343

ロマン・ポランスキーって映画監督未成年強姦

ゴーンと同じように国外脱出して(こちらは米国を)悠々と生きてるけど

罪の種類は置いといて、その行為を許せるかどうかと思うと

ゴーンも微妙なとこだなー

2019-12-07

何物でもないけど持て囃されたい

お気に入り妄想:「この作品監督歌手作家だったら、友達同級生はどう私を羨望するだろうムフフ

 数ある妄想のなかで一番ダサい妄想だと我ながら思う。

 中二病患者だって自作の技やらキャラ設定やら異世界やらを夢想できている。既存創作物インスパイアしているにせよ、琴線に触れたイメージを再構築して、膨らませているのはすばらしいことだと思う。

 比べて、私の「すごい奴になって周りを見返す」妄想は、周囲の反応が主で、それは現実の素敵な誰かへのまなざしを継ぎ接ぎしたもので、創造性のかけらもない。であるのに、映画監督漫画家といったクリエイターに憧れる思いだけが強い。だから優れた作品に触れるとまず第一に、これ私が作ったことにならないかな、と願う。さらに、おこがましいことに、「下ネタ強すぎると下品な奴だと思われるからこのシーンはカットして~」なんて、作った人がどんな人格だと思われるかを指標脳内改変したり。あと感想ブログで惜しいと評されている部分もその通りに脳内修正してから脳内作品公開して脳内賞賛を浴びる。

 コンテンツは好きなのに、作る才能も批評する才能もないからこういう妄想に浸って、他人評価されたい気持ちけが募っていく悪循環死にたい。大きな評価はされていなくても、ただの趣味でも、何かに打ち込んで何者かになっている人が羨ましい。

2019-11-29

裏方の方が仕事楽しい

作曲家よりも編曲家の方が楽しい。いろんな作曲家仕事できるから

漫画家よりも編集者の方が楽しい。いろんな漫画家仕事できるから

映画監督よりも映画プロデューサーの方が楽しい。いろんな映画監督仕事できるから

2019-11-16

増田の知っても知らなくても得も損もしない知識教えてよ

東京オリンピックエグゼクティブディレクターする映画監督山崎貴

CCさくら山崎くんのモデルだとかそういうレベルのやつ

2019-11-13

anond:20191113131638

たとえば「敵国の重要書類を盗み出す」というスパイ映画があったとき

その重要書類というのはただ「主人公活躍するための小道具」にすぎない。

書類の内容が「政府高官スキャンダル」でも「新兵器の開発計画」でも「第三国との密約」でも本質的にはどうでもいい。

映画監督は別に重要書類を描きたいんじゃなくて主人公活躍させたいだけなんだ。

こういう物語の都合で登場する深い意味のない小道具を「マクガフィン」と言う。

2019-11-09

俺の中の境界線について書く!!!

同様の主張をどこにも見ないのでここに書き出す!!!

俺の話なのでこれは絶対ルールではない!!

ある程度いろんな人が見る場所に出すにあたって、何が過度に性的なのでアウトで、何がそうじゃないのからセーフなのかという話だ!!!

簡単に言うと「どれだけ建前をちゃんと持っているのか」あるいは「あからさまではないか」というところが基準!!!

話題秋葉原広告エロゲ広告であることがあからさまなのでアウトだ!! 煽り文言だって完全に性的なところを隠していないではないか!!! 女の子があの格好で並んでいることに対して何らかの非エロ的建前があるのか!!! なかろう!!!

一方、献血ポスターはアウトではない!! なので、あの絵があからさまに胸を強調しているので性的なのだと言う人とはここでわかり合えない!!

まり、あれが乳袋なのであからさまだという人とはわかり合えない!!

俺の中の乳袋のあからさまのラインは「下乳の丸みでのみで描かれる輪郭がはっきりと出ていること」だ!! あのポスターの3巻の表紙イラストは、はっきりとした輪郭線ではなく影の具合でとどめているのであからさまでなく、アウトではないという判断!!!

そういう意味では2巻の方の表紙はあからさまに乳の形を曲線の輪郭でかたどっているので、俺の基準ではアウトだ!!! 

総合的な話もする!! 月曜日のたわわはタイトル込みだとアウトだ!! 単体のイラストだけならアウトだと思うことはそんなにない!! あれはタイトルがくっつくなら駄目だ!!! たわわってあからますぎるだろ!!!

an・anのセックス特集の表紙はどうか! これはちゃんと見たことがないのではっきりとは分からないのだが、建前として「より性生活品質を上げたい」というのがあるとするのなら、そこはセーフへの加点だ!! 建前は大事だ!! ただ、セックスとあからさまに書いてあるのなら、そこをどう読むかだな!! 中身については知らん!! 建前をちゃんと整えているのならそこを評価する!

思い出したので、他のエロゲ広告の話もする!!

基本的エロゲコンテンツエロなのであからさま度が高い!! ただ、エロゲにも色々ある!!! 建前としていわゆる純愛系というか!! らぶらぶいちゃいちゃしてるやつで、それで露出の少ない制服姿とかであればそこはセーフ加点だ!! 逆に痴漢だとか陵辱だとかそういうの!! そういう奴はアウトだ!!!!!

アズールレーン広告の話をする!!! なんかホノルル浴衣の乳が目立っていた奴だ!! あれは建前上浴衣からそこはセーフで、乳袋については乳の丸さに沿ったくっきりとした輪郭ではなく、まだ浴衣の布地の皺だとか影があるから俺の中ではあからさま度が高くないという判断になって許されている!! アウトの境界に近いというのは認める!! もしあれが浴衣ではなくゴム表面のようにぴったり身体の表面にくっついた素材だったら俺でも乳袋判定されていたであろう!!!

次!! バニラカーについて!!! あれはバニラカーとあの広告ソングだけ見るのであればアウトではない!!! 単に高収入求人が欲しいという建前があるから!!! 俺の中ではその間接化・切り離しが妥協ポイントとなっている。抜き系のエロゲ広告はそれそのものエロであり何の建前もないので駄目だ!!!

なので!! もし、エロゲエロゲという売り出し方ではなく、例えば「映画監督をするゲーム(ポルノムービーも撮ることができますけど……)」だったらセーフに寄っていく!!! 建前だ!!! 純愛だとか切ないだとかなんでもいいけど、そういう感じの建前が重要なのだ!!!! 


大体こんな感じだ!!! 俺の中においては「目的が単なるエロではないという建前」と「エロをあからさまストレート表現しないだけの距離感」で判断している!!

そういう意味で言うと、芸術系解釈が難しいですね。当時の視点としてあからさまにエロ目的であればみんなが見られない場所に置くべきですし「これは美しさを描いた物なのだ」みたいな建前の立て付けがしっかり構築されているのならセーフです。

芸術で思い出したけど、俺が覚えている感じだと、ろくでなし子作品についてはあれは本人が「そもそも女体そのものエロではない」という主張でやっているので、それを受け入れるのならセーフになります。ついでに女体で思い出したけど、つまり医学的なものだという前提があるので、人体の図鑑・解剖図だとか保健体育の教科書はアウトではないという判断になります

逆に!!! イメージビデオ!!! 俺が認識している限りはあれはダメダメ!!!! そこになんかの建前があるのなら良いけど!! ただ「大事なところは見えてない」というだけでパンツバーン! だったり、肌色を増やしているのだとすると、それはあからさま度が上がっていくからダメ!!!

そういう肌色だとかパンツを増やすのではなく、単にコスプレみたいなものであれば……そのコスプレの建前によるけど……少なくともアウトではない!! そういう判断!!!

そういえば宇崎ちゃんの話に戻る!! 増田だと適当に書けるから楽だな!!! 漫画の方の話だ!!

キャッチコピーが「ウザい! カワイイ! でもウザい! ウザカワ系後輩とのドタバタラブコメディ!」であるのなら、建前としてはそれになる!! セーフ!!

「ウザいけれどカワイイ巨乳後輩宇崎ちゃんとのドタバタラブコメ」になると曇る!! 装飾成分表としては「ウザい、カワイイ巨乳、後輩、ドタバタラブコメ」になって、このコピーだとどうしても巨乳があるのでそこはあからさま減点がどうしてもある!! 老若男女が安心して眺める場所に出す場合このコピーダメ!!! 巨乳文字は書くな!! これが献血ポスターに書かれていたらアウトと言われても仕方ない!!!

繰り返しになるが、巨乳という文字で売り出すのはアウト! 特に言及しないのならセーフ!! 3巻の表紙は俺基準では乳袋ではないのでセーフ! 2巻の表紙は乳袋というか輪郭があからさま乳形状なのでアウト!

……という感じで、結局はお気持ちの延長だとは思いますが、俺の中ではこういう言語化に至りました。それを作る側、見せる側がちゃんと建前を持つこと、あるいはあからさまなものとして置かないこと、このあたりです。

2019-11-04

東京五輪見たくないわぁ

開会式閉会式担当してるのが

狂言師野村萬斎(陰陽師など)

シンガーソングライター椎名林檎(無罪モラトリアムなど)

振付師MIKIKO(恋ダンスなど)

映画監督山崎貴(三丁目の夕日ドラゴンクエストユアストーリーなど)

映画プロデューサー川村元気(電車男君の名は。など)

クリエイティブディレクター栗栖良依(アーティスト障害者をつなげた参加型物作りスローレーベル)

クリエイティブディレクター佐々木宏(電通マン、お正月を写そうフジカラーで写そう、缶コーヒーボストヨタの実写ドラえもんCMなど)

クリエイティブディレクター菅野薫(土管から出る安倍総理などを担当した広告マン)

どんな方向性開会式閉会式を作りたくてこの人達を集めたのかよくわからない

つーかでかい演出専門家もっと必要だろ

130億使うらしいけど、絶対にクッソダサい辛い。

今までは開会式閉会式のダサさに耐えれば良かっただけだったのに、今回はオリンピックもまともに開催できない日本無能さをこれでもかと晒して恥がつのってる所にとどめを刺しそう。

2019-10-31

学生のころにクリエイター現実を教えてほしかった

漫画家よりも編集者のほうが儲けていること

映画監督より映画プロデューサーのほうが儲けていること

ミュージシャンよりレコード会社社員のほうが儲けていること

タレントよりもタレント事務所のほうが儲けていること

名前の出ない裏方のほうがリスクが少なくて安定していて給料が高いってこと誰かに教えてほしかった

2019-10-29

あの妄想力は、プロジェクトリーダーシップをとるには誰もついていけないけど

映画監督は向いてるかもな

2019-08-30

昔々、ハリウッド

 

 『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が目前に迫っているというのにまだまったく心の準備ができていない。大波が押し寄せてくるのを確かに認めながら、砂浜で引き波に足を取られたまま呆然と立ち尽くしてしまっているような、そんな状態だ。

 

 『Once upon a Time in...Hollywood』というタイトルをはじめて聞いたときマジで引退しようとしてるの…!?と思った。現時点では「10作品撮ったら引退する」と言っていたり(今回が9作目)、「今度のが大ヒットしたらこれでおしまい」と言っていたりまだ判然としないのだが、そういうゴシップ的な憶測はさておき、このタイトルが持つインパクトはあまりにも大きい。セルジオレオーネ意味合いもさることながら、それ以前にこの響きだ。

 『昔々、ハリウッドで』。響きとしてあまりにも最終回すぎるのだ。仮に『クエンティン・タランティーノ』というドラマがあって、その主人公クエンティン・タランティーノ監督した作品が、ドラマ1話ごとのタイトルになっていたらと考えてみてほしい。第1話「掃き溜めの犬ども (Reservoir Dogs) 」、第2話「三文小説 (Pulp Fiction) 」、第3話「ジャッキー・ブラウン (Jackie Brown) 」、第4話「ビルを殺れ (Kill Bill) 」、……と進んでいって、第9話「昔々、ハリウッドで」である。どう見ても第9話で最終回じゃないか。こんなに引退作にふさわしいタイトルってなかなかないと思う。

 

 なんてことをメモしていたら、タランティーノ子供が生まれるとのニュースが飛び込んできた。引退について語るのを話半分に聞きながら、だがこれで子供でも出来たりしたら本当に映画撮らなくなるかもな……とか考えていたのだが、うーん、思ったより早かったなあ。つまりこのところとみに饒舌になっていた引退話は、子供が生まれるという予測のもとに展開されていたわけだ。それにしてもさ。田中裕二子供が生まれたり、タランティーノ子供が生まれたり、そんな日が来るなんておれは考えたことなかったよ。

 といっておいて何だが、タランティーノの言う「引退」について想像するとき、たしかに寂しくはあるけれども、意外と悲観的な気持ちにはならないというのが今の正直な気持ちだ。

 というのは、ひとつには、映画監督以外のフィールドでの仕事が見られる可能性に期待しているからだ。これは本人も言っていることだが、本を書いたりしたいらしい。タランティーノが書いた批評本なんて出たらぜひ読んでみたい。もしかしたら小説を書くかもしれない。それこそパルプフィクションを。あるいは脚本を書くかもしれない。脚本タランティーノ × 監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルなんて映画がつくられたら……など夢想するのも楽しい

 書く仕事ばかりとも限らない。いまのところ引退を語るうえでタランティーノが前提としているのは「劇場公開用映画」の監督業であって、フィルムに対する彼の偏愛と執着も、その前提があればこそ要請されてきたものだったと思う。その最前線から(いったん)身を引いたときある意味でそれは「引退」だが、またある意味でそれは「解放」ともいえるのではないか。何が言いたいかというと、Netflixなどでタランティーノドラマシリーズ制作する可能性はかなり高いのではないかということだ。この期に及んでタランティーノ劇場長編映画デジタルで撮る可能性はほとんど考えられないが、これがドラマシリーズだったら話は別だ。

 タランティーノがつくるNetflixドラマがあったら、それはどんなものになるだろうか。そのヒントになるような発言最近あった。自身監督作に登場したキャラクターのなかで、タランティーノが今でも折に触れて思いを馳せる人物がいるという。彼が挙げたのはザ・ブライド、ビル、ハンス・ランダアルド・レインの4人。タランティーノはそれぞれの人物にまつわる、いわばスピンオフ的なサイドストリーについての妄想を語っていた。

 ①ザ・ブライドが10年後、15年後、どうしているか。娘はどんな人物に成長したか。これは長いあいだ噂されてきた『キル・ビル Vol.3』がもし実現した場合ストーリーになるだろう。

 ②ビルはいかにして巨悪となったかエステバン・ビハイオ、服部半蔵、そしてパイ・メイという3人の「ゴッドファーザー」との関係を通して、ビルという悪魔人物オリジンを描く物語

 ③ハンス・ランダナンタケット島でどんな生活を送っているのか。ナチスきっての「名探偵」だったランダが、戦後20年くらい経ったナンタケットで起こる殺人事件解決してゆく物語

 ④アルド・レインは戦後どうなったか教科書に載るレベルの「英雄」としてアメリカに帰ったはずのアルドが、ナチスにおけるフレデリック・ツォラーのように映画に主演する…という話。

 なにこれ超おもしろそうじゃん!!!!! 全部見たい。見たすぎる。小説でもいい。読みたすぎる。ここで思い出したのだが、そういえばタランティーノこそ、地味に自分作品世界相互につなげてきた人だった。別の映画に登場するキャラクターたちが生きる一つの世界について語るとき、若き日の彼はたしかサリンジャーを引き合いに出していたように記憶するが、これって今風の言い方をすれば「タランティーノバース」だ。もちろんタランティーノ世界MCUのようになってほしいなんて気持ちは毛頭ないけれど、ジャンゴのサイドストリーはすでにコミック化されていることだし、劇場映画としてはおそらくもう実現しないであろうヴィック&ヴィンセントヴェガ兄弟の話だって、何かしらのかたちで語られる可能性は全然あるわけだ……ということを、妄想できることがうれしい。それにしても「私立探偵ランダ in ナンタケット」は見たすぎるだろ。

 で、仮に、タランティーノがこの次に撮る映画が本当に彼の「引退作」になるとするならば、その一本はやっぱり『キル・ビル Vol.3』であってほしいと、私はそう願わずにいられないのだ。 

 

 話を元に戻そう。『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の公開が迫っているのに心の準備がなにもできていないという話だ。この映画タイトルからしてこの有り様なものから映画監督クエンティン・タランティーノいかにも「集大成」という感じがしてしまうのだけれども、しかし実際はそうでもなくて、むしろ今までになく「タランティーノっぽくない」映画になっていたりするんではなかろうかと期待している。それはひとえにこの作品が、タランティーノ本人にとってきわめてパーソナルなものとなっているような印象を受けるからだ。

 『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について、現時点で、私は予告編以外の情報をすべて遮断している。サントラにも触れてすらいない。だから実際どんな映画になっているのかはまったくわからないのだけれど、タイトルをはじめポスター予告編を通して強く喚起されたのは、「郷愁」の念だ。それは1969年、大きな変革を遂げようとしていたハリウッドとその時代精神タランティーノは "zeitgeist" という単語を本当によく使う)に対する郷愁であり、タランティーノ自身の幼少期へと向けられた郷愁でもある。しかしながらこの郷愁こそ、これまでのタランティーノ映画からほとんど感じてこなかったものであり、ゆえに今作はどうにも「タランティーノっぽくない」ような気がしてしまうのだ。

 タランティーノは、過去映画音楽からさまざまな要素をためらいなく取り入れることで自分映画をつくってきた人だ。その特徴はたしかタランティーノについて語るうえで欠かせないものだろう。でも彼の作品に宿る魅力を考えるうえでもっと重要なのは、そうした引用(あるいは盗用)のひとつひとつが、観客に郷愁を呼び起こすための装置には決してならないという点だ。観客を過去へといざなうことで「懐かしさ」に浸らせるのではなく、かつてとてもエキサイティングものとして消費された文化の「エキサイティング感覚自体をそのまま現在再現してしまえる才能。それがタランティーノのすごいところだと思うし、その意味で、郷愁、というのはむしろタランティーノ映画から最も遠いところにあった感情ではないかと思う。ところが今回の『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドから郷愁が強く香ってくる。そのダイレクトさがとても気になるのだ。それはとりもなおさず今作の特異な舞台設定によるものだと思うけれど、開映が迫っているためちょっともう書く時間がない。超中途半端

2019-07-27

アニメ映画ファン元増田演劇??あんまりたことなぁい。」

ってかんじだろ?? おまえほとんどアニメ映画しか見てないだろ??自分の知ってる範囲のことしか言ってないだろ?? それってお前が批判してる人と何にも変わらねぇじゃねぇか!


アニメ最近批評対象として主流になっているよ。お前が言ってるみたいなアニメ馬鹿にしてる批評家と、お前みたいな「てにおは」すらしっかりできてない批評家の意見なんか聞かなくていいんだよ!

映画だって多すぎるんだよ。


かに傑作をバンバン飛ばしているのだが、佳作も多い…というかクオリティの高さから何作っても佳作レベルにまでは持ち上げていた。

傑作の意味1:作品が非常にすぐれたできばえであること。また、その作品

佳作の意味1:文学作品芸術作品などで、出来栄えのいい作品

クオリティの高さから何作っても佳作レベルにまでは持ち上げていた。」ってなんだ??違和感を感じる。熟考で考えすぎて頭痛が痛いわぁ。評論家アコガレで難しい難解単語を使うと、後で後悔するぞ。



アニメは見ねぇんだよとか言ってる映画監督も、そんなこと言ってるから庵野演出に超されてしまったのだと気付かないんだろうか。

アニメは見ねぇんだよとか言ってる映画監督」って誰だよそれ??そいつ映画見たいから教えてくれよ!


サブカルメインカルチャーになったこと。星野源小林さんちのメイドラゴン主題歌を真っ先にかけること。

いい加減認めたほうが良い。置いて行かれているのことに気付いてほしい。


つーか"サブカル"なんて古い言葉を使うなよ!!

星野源平井堅評価しなくたってジャパリパークおジャ魔女カーニバル青空のラプソディ名曲だわ。 みんなが好きなものが好きでもそれでもいいのよ。

"映画"評論家宇多丸さんも"映画評論家"評論家のお前さんも評価しなくたって、俺はおじゃる丸が大好きだわ!! 

おじゃる丸見てねーだろ!アニメファンさんよ!! 見てくれよ!



傑作の意味2: 言動などが突飛でひどくこっけいなこと。また、そのさま。

これからも傑作をバンバン飛ばしてくれよ!


あーーーーーーー!

でも気持ちはわかる!

anond:20190724033623

2019-07-24

映画批評家はもはやアニメを見てないとついて行けないのではないか

アニメをよく見る映画ファンなんだけど批評家が今更それ言う?ってことによく直面する。

アニメも見るけど映画に重きを置いている映画ファンだ)

いくら批評家が「新しい!」と言ってもそれアニメ漫画が散々やってきたことだよって思う。

分かり易いものだと「シン・ゴジラ」だろうか…。

あれはただのエヴァです。新しくもなんともない。同じことをしているだけ。

なんなら実写版キューティーハニーで同じことしてるけどどうせ当時「アニメ監督が…」と見てないだろう。

映画ファンの中にもアニメを見る人はいる。

しかし妙に実写映画しか”見ない人が居る分野でもある。

ただ文化としてアニメはもう無視できない存在になった。

そしてアニメは名作と呼ばれるものがたくさん生まれていて、追いかけるのは並大抵のものではなく

もはや「佳作」レベル過去作に関しては作品名情報として入ってこなくなっているだろう。

例えば京アニ作品

かに傑作をバンバン飛ばしているのだが、佳作も多い…というかクオリティの高さから何作っても佳作レベルにまでは持ち上げていた。

京アニ作品を今からまっさら状態で追うだけで一苦労である

さら時代観もあるので今ハルヒを見て面白い!新しい!と思っても現代っ子感覚としては古い価値観アニメである

時代観が違っても面白いもの面白い

から実写映画しか見てこなかった人は、最早今の感覚で何かを語ることは出来ないと昨今感じている。

君の名は。のヒットの時も「深夜アニメ映画になったもんだなぁ」という感想アニメファンの中には多かったと思うし

なんなら「ゼロ年代エロゲ文脈」だなぁと思った人も多いかもしれない。

多分、実写しか見てこなかった批評家には新しいものとして映っているだろう。

セカイ系なんて言葉アニメを見ていない映画評論家には理解不能だと思う。

しか感覚としては20年前に生まれていたものスタンダードになったと言うだけの話だ。

『天気の子』を新しいものとして捉えている批評家は、多分もう古く今の時代にはついていけてない。

白状すると、ツイッターで古いタイプ評論家リストを作って突っ込んだ。

例えば名探偵コナンが毎年爆発的ヒットをかましている中で、コナンのあらすじさえ知らない宇多丸さんとかは古いタイプ批評家なのだ

(ただ彼はコナンで儲けようとして1年前はじめて読んで本を作った人をラジオに招くなど、ついて行こうとはしている。ニワカに教えてもらう程度には)

彼らは彼らで培った知識があるし、言葉の切れ味も良い。消えてほしいわけでは無い。

しか時代観は失われた批評として受け取ることにした。

新しい文化を受け入れなくなった時点で、きっと終わっていたのだ。

さて、これから映画クラスタ批評家を名乗る人もいるだろう(批評家自体時代遅れかもしれないが)。

その人たちは、アニメを追ってほしい。いや、追わざるを得ないんだと思う。

その時に流行っているアニメくらいは追って見ろとしか言えない。

アニメは見ねぇんだよとか言ってる映画監督も、そんなこと言ってるから庵野演出に超されてしまったのだと気付かないんだろうか。

サブカルメインカルチャーになったこと。星野源小林さんちのメイドラゴン主題歌を真っ先にかけること。

いい加減認めたほうが良い。置いて行かれているのことに気付いてほしい。

創作物」「創造のもの」「芸術」という点ではアニメも実写も同じなのだから

2019-07-13

未来のミライ面白かったな!(≠いい映画だったな)

はじめに 細田守映画には2種類ある

細田守を知らないほうが楽しめる映画

 デジモンサマーウォーズ

細田守を知っているほうが楽しめる映画

 バケモノの子未来のミライ

つの細田守らしさ

描きたい内容を単純化しつつわかりやすい折り目をつけ、誰でもついていきやすい速度でありながら明確な変化を持って描かれる最大公約数的なストーリーテリング。画面を広く使いつつ視点を大きく動かさないようにする雄大カメラワーク日常幻想の間に半透明の敷居を置き両者をはっきり区別しながら横へと並べる非連続的な非日常性。これがいい意味での細田守らしさ。

ショタコンにしてケモナー自意識過剰キャラクター。誰もが承認欲求に飢えているという断定の元に進む構ってちゃんストーリー。全てを自分の口で説明してしまう自信のなさ。ヒステリックさと寛容さの両極端。これが悪い意味での細田守らしさ。

悪い意味での細田守らしさを楽しめるか?

未来のミライ面白かったと言えるかの全ては、細田守の悪癖、性癖嗜癖理解した上で、その発露を作家性として消費することが出来るかにかかっている。逆に、そういったものに対して一切無頓着に、ただ何も考えずに綺麗な映像流れる時間パラパラ漫画だと思って鑑賞するかだ。

未来のミライには細田守内面”だけ”が描かれている。”だけ”である。この映画は主成分が細田守なのではなく、すべての成分が細田守なのだ。全スタッフの労力、作業製作過程で全て細田守分として返還されてしまう。そこに慈悲はない。この映画は全力で細田守であり、それ以外のものが含まれることは認められていない。実際、この映画制作にあたってスタッフ細田家のホームビデオが見せられたというエピソードすらある。スタッフが「家庭」というものに描くイメージを、「細田家の家庭」というイメージで塗りつぶし、他の家庭から異物を混入されることを防ぐ徹底した管理体制である

登場キャラクター全員が細田守である

くんちゃん

甘えん坊でわがまま自分を認めてもらいたくてたまらない子供は当然細田守であり、彼の成長を通して鑑賞者から贈られる称賛を求めているのも細田守自身なのだ。彼が作中では徹底して直接その苦しみを認められることがないのは、そういうふうに世界を見る細田守細田守の中に居るからである電車好きである点などは細田守の実子がモデルとなっている。彼にとってこの映画自分の子供が成長する姿を通して「かつて自分子供だった頃に成長したこと客観的に見ることになった」という事実を描いたものでもあるのだ。ケモナー成分を取り込んだりハチゲームクネクネしていたりと(ショタコンケモナー向け)サービスシーンも多く、彼が主人公であるということは、細田守にとってはケモナーショタコンであることが自己同一性の核であることを示す。

ミライ

客寄せパンダとして使われまくったのに、出てくるシーンは意外と少ない。未来という名前赤ん坊であること、婚期を逃すことを気にする発言、最終的にくんちゃんに血縁上のつながりを思い出させる役目、これらの要素から「男女の関係によって子孫を残すこと」のメタファー、ひいては「(ショタコンではなく)普通人間として生きること」のメタファーであることが伺える。同時に「世間で受け入れられ、未来に繋がる作品」のメタファーでもある。最初キャッチコピーとして登場し、最後クライマックスにおいてただの細田守回顧録であった映画一般向けの娯楽映画へと引き戻す役目を追っていることからもこれが分かる。

父・母

仕事人間であり、子供の親でもある細田守一般役割に対して性別が反転しているのはジェンダーフリーというよりも、それぞれに細田守に繋がる要素をもたせることで、どちらもを細田守にするためである。時折ヒステリックなのも妙に余裕ぶってみせるのも、自分たちが変わってきたと殊更に言うのも、全て細田守独り言なのだ

ゆっこ

オスケモ。王子だったという発言は、細田守の中で最も大事ものケモナー性癖だったことの暴露である。それにかつてという言葉をつけるのは、今の自分はそれを卒業したという自負である

曽祖父

ホモホモしい外見、言動であるのだがそれがハッキリと語られることはない。ここまで赤裸々にショタコンケモナー自己開示してきて、それをあえて語らないのは、細田守の中において自分ホモセクシャルへの興味がまだ疑問の残るものであるからである。逆に言えば「それすらも」赤裸々にスクリーンに映し出したのだ。

ストーリー解説

ミライが生まれる=『普通家族感』に侵食される

上で述べたようにミライは『普通の家庭』や『世間一般価値観』のメタファーであり、それが細田ハウスに持ち込まれるのは、ショタに興奮だけしていればよかった世界の終わりを意味している。ミライファースト生活否定する姿は、一般向け要素を散りばめた映画を作らされてきた細田守の姿である。その中で雑な反逆に出ては怒られる。悪い意味細田守らしい映画を作ってきたことへの反省と、それに対する怒りが描かれる。『自由ショタでケモいアニメだけやらせてくれ』、くんちゃんが繰り返すミライ否定発言はつまる所こういうことなのだ・

雛人形を戻す=結婚して家庭をもつ

雛人形を毎年1日ずつ出し続けていたら1年ずつ婚期が伸びる』という会話は、ずっと結婚できないということを意味している。それを片付けてミライちゃん未来結婚できるようになった。これは、細田守自分の中で幼少期から積み上げてきた結婚感を今一度棚卸しして、普通恋愛をして普通結婚をする人生を受け入れたことを意味している。作中に置いて、未来ちゃん過去にやってくるのは、細田守の中で過去細田守と共に今の細田守気持ちの整理をつけた経験を描いているのだ。そこに犬が加わっている理由は、それが彼の性癖に置いて重要意味を持つからである普通に見ていると何がしたいのかわかりにくいシーンも、このように整理していくと理解できる。これが未来のミライ面白さだ。

父や母と喧嘩したり和解したりする

これもうそのまま細田守自分の親に対して「心の中で」やっていたことです。自分が親になって子供を持つ身となってそれで子供の頃の両親の大変さとか知って感謝してーっていうアレです。そのままかよ!そしてその中で全部セリフにしちゃうのかよ!このシンプルさ!観客への信頼の無さ!そして自分表現への自信の無さ!これもまた細田守なんですわー。自分ちゃんと愛されているか不安だとそのまま口にするのは、自分映画ちゃんと観客に伝わっているのか不安だっていう宣言でもあったりするわけで。メタいぜー。

曽祖父自転車練習

ホモホモしいアンちゃんとの初体験。遠くを見据えろと語られるが、そのさきに見えるのは廃墟。この道の先に未来はない。細田守も分かっている。ショタコン一本では子孫は残せない。アニメだって歴史に残らない。分かっている。分かっているけど、そうして進んだ先で結果を出したのが今の細田守だろ?そんな叫びが聞こえてくる。補助輪無しで突き進むには、遠くに廃墟を見据えなきゃいけなかったんだ。そうしてバケモノの子が生まれしまったんだ……。

迷子ホーム

自分を見失ったとき、戻ってくるためには家族名前を呼ぶ必要がある。自分流れる血の繋がりを思い出す必要がある。そして、そのためにはミライを認める必要がある。ミライは「普通の家庭」「普通価値観」のメタファーであり、自分がそれと深くつながっていることを認めることが、自分を取り戻すためには必要だと、最後最後で認めることになる。途中からひたすらショタキャラメインで妙な話ばかりしていた映画が、ここで突然なんとも一般受けしそうなキャラと共にさもストーリーがしっかりとある映画であるかのような物語へと戻っていく。細田守の敗北宣言だ。人間としての細田守がここにいるには、彼の父親祖父ショタコン一本で通さなかったかである映画監督としての細田守がここにいるのは、デジモンサマーウォーズといった一般向けに迎合した作品を作ってきたかである自分が今ここにいるなかで、ケモナーであったことや、同性愛的な面を抱えていたことはたしかにあったが、それでも『普通』を受け入れてきたからだ。そう認めることで、見失っていた自分は取り戻される。そして、和解は結ばれた。ケモノショタへと一度は預けられた細田守界の王位継承権は、最後には『普通未来』へと託された。

これは、細田守が『普通』と和解するまでの物語だったのだ。

凄まじい映画だった。「作家性の塊」と呼ばれる映画はいくらでもあるが、純度99%作家性の劇物はそうそうはないだろう。アニメ映画というと娯楽作品ばかりで、文学性や哲学性を謳っておきながら結局は娯楽作品に片足と重心は置きっぱなしにした作品ばかりな中で異彩を放っている。そんな世界にこんなものが現れたらそりゃ受け入れられないだろうな。ましてそれを作った人間の最大のウリ文句サマーウォーズ時をかける少女なんていう痛快娯楽一般層向け作品なら。サマーウォーズ時かけ期待してこれ見に行ったら羊頭狗肉も良いところだって怒りたくもなるだろうな。

この作品には作家性以外を求めちゃ駄目なんだよ。日本広告業界映画業界はそれを頑なに伝えようとしなかった。そこは紛れもなくEVILだね。

ミライちゃんがただの客寄せパンダであり、その使われ方も「はいはいこのへんでパンダ投入すれば良いんだろ?」っていう態度で行われることに、細田守の中に渦巻いた鬱憤を感じ取ろうっていう気概最初から持って見る分にはね、いい映画なんですよ。

そこは分かってあげて欲しい。

でも娯楽映画としては本当に駄目だけどな。俺はこれを娯楽として楽しむことは出来たけど、それは正しい意味での娯楽じゃなくて単に俺の見方が捻くれてて性格が悪いから娯楽に出来ただけだわ。素直な心の持ち主が素直に楽しめる娯楽映画を作った方が最大多数の最大幸福だよ。新海誠君の名はと、細田守未来のミライ。このコントラストある意味美しいけどね。

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