「映画監督」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 映画監督とは

2021-07-23

怒れる20人のオリンピック組織理事

誰かな。

組織委理事約20人 開会式の中止か簡素化を要望していた…武藤事務総長に記者会見で説明要望も開かれず(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

No. 役職所属名前 森辞任前組 森辞任後組
1 理事作詞家秋元 康
2 理事麻生セメント株式会社代表取締役会長麻生 泰
3 理事公益財団法人日本スポーツ協会副会長 泉 正文
4 理事公益財団法人日本スポーツ協会副会長/一般財団法人世界少年野球推進財団理事王 貞治
5 理事一般社団法人日本パラリンピアンズ協会会長/公益財団法人日本障がい者スポーツ協会理事大日方 邦子
6 理事日本政府代表/中東和平担当特使 河野 雅治
7 理事東京都議会議員小山 くにひこ
8 理事東京大学公共政策大学院客員教授/公益財団法人日本スケート連盟副会長/公益財団法人日本ラグビーフットボール協会理事 齋木 尚子
9 理事株式会社イー・ウーマン代表取締役社長/株式会社ユニカルインターナショナル代表取締役社長 佐々木 かをり
10理事公益社団法人東京都障害者スポーツ協会会長白石 弥生
11理事東京大学大学院人文社会研究科教授白波瀬 佐和
12理事東京都議会議員 髙島 なおき
13 理事公益財団法人日本オリンピック委員理事/公益財団法人日本陸上競技連盟理事高橋 尚子
14 理事株式会社コモンズ代表取締役会長高橋 治之
15 理事公益財団法人日本サッカー協会会長/国際サッカー連盟カウンシルメンバー 田嶋 幸三
16 理事オリンピアン体操田中 理恵
17理事オリンピアン柔道谷本 歩実
18 理事トヨタ紡織株式会社取締役会長豊田 周平
19 理事東京都オリンピックパラリンピック準備局長中村 倫治
20理事公益財団法人日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員参事 中森 邦男
21 理事 パラリンピアン(水泳成田 真由美
22 理事写真家/映画監督 蜷川 実花
23理事登別アシリの会代表芳賀 美津枝
24理事衆議院議員 馳 浩
25 理事桜坂法律事務所パートナー弁護士 林 いづみ
26 理事東京都議会議員東村 邦浩
27 理事桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部教授/ウースター大学スポーツエクササイズ学部名誉教授日比野 暢子
28理事公益社団法人関西経済連合会会長/住友電気工業株式会社取締役会長/近畿陸上競技協会副会長/公益財団法人日本陸上競技連盟評議員/公益財団法人大阪陸上競技協会会長松本 正義
29 理事スポーツ長官室伏 広治
30 理事国際医療福祉大学医学部医学教育統括センターセンター長・教授/同 感染症教授矢野 晴美
31理事公益財団法人日本スポーツ協会常務理事 ヨーコ ゼッターランド
32 理事公益財団法人日本陸上競技連盟名誉会長横川 浩
33理事中京大学スポーツ学部教授 來田 享子
34 理事国際オリンピック委員会委員/国際体操連盟会長渡邉 守成

2021-07-21

アフターオリンピッグ

https://hochi.news/articles/20210714-OHT1T51146.html

五輪パラリンピックの開閉会式演出チームは波乱万丈だった。17年12月に野村氏、椎名林檎氏ら名だたるメンバー8人で発足し、当初は映画監督山崎貴氏が五輪演出で主導的な立場だったが、18年7月には狂言師野村萬斎氏が総合的なトップ就任。19年途中から振付師MIKIKO氏が実質的責任者へと変更された。

 ところがコロナ禍による大会の1年延期に伴い、昨年12月には演出チームは解散クリエイティブディレクター佐々木宏氏が総合統括に就任していた。しか佐々木氏タレント渡辺直美への侮辱演出アイデアが大問題となり、結局3月に辞任。MIKIKO氏の辞任に至る経緯も問題視され、表向きには責任者不在の状態が続いていた。

開会式の9日前となる7月14日、「開閉会式コンセプト」と多くの新規メンバー(小山田ら)を迎えた「制作演出チームメンバー」を初めて公開した。日置佐々木の後任になったこともこのタイミングオープンになった(たぶん)。

東京五輪パラリンピック組織委員会は14日、大会の開閉会式制作演出チームのメンバー公表し、式典のコンセプトを発表した。

 演出の実質トップとなるエグゼクティブプロデューサーに就いているのは元博報堂で、アイスホッケー日光アイスバックスGMも務めた経験を持ち、国際スポーツビジネスの場で活躍してきた日置貴之氏。

日置東京五輪パラリンピック組織委員会 組織職員であり、数年前からエグゼクティブプロデューサーとして「開会式および閉会式制作演出チーム」に所属していた(たぶん)。佐々木辞任後に統括としての役割兼務するようになった(たぶん)。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210714/k10013139621000.html

ことし3月から東京オリンピックパラリンピックの式典の統括を担当する大会組織委員会日置貴之エグゼクティブプロデューサー

http://www.smg-world.com/management#hioki

日置 貴之(ひおき たかゆき

1974年まれ大学卒業後、株式会社博報堂入社、その後FIFA Marketing AG転職し2002FIFA WORLD CUPKOREA/JAPANマーケティング業務を行う。

2003年スポーツマーケティングジャパン設立

https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202107140001278.html

-開閉会式で何を伝えたいか

「この状況での五輪。人によっては反対する人もいる。バラバラになった状況だ。大会の基本コンセプトに『ダイバーシティーインクルージョン多様性調和)』とある。この時代に『国民は』とか『世の中の人々は』という表現は完全な時代遅れだ。国民って誰? 人々って誰? という時代。その人々とは日本人のこと? ということ。これを多様にイメージしていく。受け手気持ちになって考えることが唯一、コミュニケーションの今後のあり方だ。それを考え開閉会式をつくってきた」

-その「ダイバー…」

「それを言えない段階でだめ。僕が大事にすべきは、みんながそれを言える、理解する開閉会式にしなければいけない」

東京五輪招致起源だった「復興五輪」という言葉をコンセプトに盛り込まなかった意図

「省いたつもりはない。たまたま書いてないだけ。演出には復興観点もあり、1ミリも忘れていない」

-どのように岩手宮城福島の方々にメッセージを届けるのか

「見てもらえば分かる」

医療従事者への感謝を表す内容はあるか

「受け取り方をこちらが定義してはいけない。医療従事者の代表としてとか、そういう考え方自体がこの時代にそぐわない。日本の人は、同じような生活をしてきちゃっている人たちの考え方と、世界のいろんな考え方を認めていくことが大事。まあ、皆さんは日本人しか読まないメディアかもしれないけど(笑)。僕自身海外でずっと生活してるので、やっぱりすごく不思議に思うところも日本にはある(笑)

-コンセプトが全て英語だが高齢者の方も読むし、日本新聞なので日本語表記がほしい

「コンセプトの日本語は用意していない。世界に分かってもらいたいということで英語のみになった」

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/598439

 ―LGBTなど性的少数者への配慮も。

 「開閉会式制作チームの約7割が女性で、LGBTの方や外国人もいる。3月に再出発して最初に取り組んだ課題ジェンダーバランス。常に大勢のチームの中で議論している」

https://olympics.com/tokyo-2020/ja/news/news-20210714-03-ja

プロデュースチーム

・4式典の制作進行管理

クリエティブチーム、スタッフの選出

・式典全体におけるジェンダー平等多様性の推進

プロデューサーチームメンバー

エグゼクティブプロデューサー日置 貴之(東京2020組織委員会

交友関係業務実績等の複数の断片的な情報から推測するに、日置は元博報堂社員であり電通社員ではないが現在は"ほぼ電通名誉社員"と捉えてもよさそうだ(たぶん)。


留意事項

https://twitter.com/Zangiri_mono

オリンピック開会式を手がけるのは私ではなく、同姓同名の別の方です。もし何か起きても私は無関係なので凸らないで下さい。

江戸明治時代演劇戦争災害病気等をどう描いたかなどを研究しています明治大学情報コミュニケーション学部准教授

統合失調症患者は本当は安全だと漫画家アニメ関係者も思っている

ヤクザ悪党として描く漫画は少ない

良い人として描かず映画監督みたいになるからいかヤクザを実はいい人みたいに描く漫画アニメが多い

精神病者はその逆

統合失調症患者は本当は安全だと漫画家もアニメ関係者も思っているからこそ徹底的に面白おかし危険物みたいに描くんだろ

anond:20210719205459

2021-07-15

 ドリフターズは、昭和44年から昭和62年まで続き、最高視聴率50.5%を記録した、TBSの土曜夜8時「八時だよ!全員集合」において、過度のいたずら、食物を大切にしない態度、汚い言葉かいいじめ思考などを子供達に植えつけ、そのモラルを引き下げた。

 タモリはそれまでタブーだった地方田舎)を馬鹿にする言葉について、テレビに「市民権」を持たせた。

それ以前は、東北四国九州などを、少しでもその都市化の遅れゆえに貶めるような発言は、

テレビの中では、絶対的ご法度だった。ほんの少しでも、地方馬鹿にした言葉が誰かの口から出ると、

 「ただいま、放送不適切発言がありましたことをお詫びいたします・・・・・・」

 と謝罪言葉を、司会者は述べさせられていた。しかタモリは、

 「イーじゃねーか、本当のことなんだから」などとニヤニヤ笑いながら言い、「チバラギ、ダサイタマ」などという言葉放送に乗せ、地方田舎)を馬鹿にする風潮を、テレビの中に定着させた。

 現在テレビ番組では、シロウト参加者などが、

 「どちらからいらっしゃいました?」

 「岩手です(あるいは、秋田高知鹿児島など)」

 「それは、またドイナカから(笑)!」

 などという出だしのシーンがよく見られ、またそのシロウト参加者

 「ボクにも笑いが取れました」

 とばかりにうれしそうな顔をするが、まったく嘆かわしいことである

方言は、その地方の人にとっての昔から伝統的な標準語である

それを一方的に笑いものにすることが、果たして許されるのか?

 なお沖縄は、政治的問題を抱える地域なので、こうした笑いの取り方は、少なくとも

オンエアされる画面からは、見出すことは皆無である

 タモリについては、「社空きの化粧厚塗りギャグ」のように、人の悪口面白おかしく囃したてる、心の荒んだトークについても、「許容されないライン」のかなりの引き下げに、関与した罪は大きい。

 80年代ビートたけしも、

 「おメエ、馬鹿ヤロ、なーに言ってんだよ、コマネチ!」

 などと笑いをとりながら、汚い言葉いじめ遊びをブラウン管に乗せた罪は、免れられない。これは、現在の極まりない悪意に満ちたいじめなどと比べれば、ずっと無邪気な、許されてもいいようなレベルのものではあるが、次世代に一層の悪化をまねいたその足場を作ったものとして、責められるべきものは、間違いなくあった。

 ビートたけし最近は、映画監督文化人としてのイメージを高めているが、たとえばベネチア映画祭グランプリを取ったのだとしても、悪いものは悪い、大いに批判されるべきタレントである。「早く死ね、このババア」といっていたことを、99年8月母親を亡くした後も後悔していないか、聞いてみたいものだ。

 90年代前半のとんねるずは「うるせえんだよ!」ダウンタウンは「じゃかあしい、このガキ!」とテレビカメラライブ会場に向かって、青筋を立てて怒声を浴びせるところまで、凶暴さを増した。よりキレた、狂的な凄みで押しまくるスタイルいじめも一層残酷で、理不尽ものとなっていった

 90年代後半に台頭してきたナインティナインウッチャンナンチャンロンドンブーツ1号2号は、それと比べると一見、やや静かで落ち着いた、おとなしい話し方をするが、サッと一瞬人の隙を突いて見せるようないじめ暴言などは、一層いやらしさを増し、カマトト顔の裏で、陰湿さをさらに増した性格が、見てとれる。

 こうしたタレントの作り出す“笑い”びたりとなっている子供たちが、弱いものいじめに走るのは、

必然的とさえ言いうるものであり、彼らの番組スポンサードする企業たちには、“社会的存在

としての自らについての認識が、決定的に不足していると、言わざるをえないのである

2021-06-23

お前!父さんだったのか……

マジで、つまんねえ

才能ないか映画監督やめたほうがいいぞ

2021-06-22

[]2021年6月21日月曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
005811798203.479
01609165152.857.5
02496318128.974
03183088171.679
04101754175.448
05327362230.177.5
06414210102.748
07608865147.884
0899975598.547
098112407153.266
1016920409120.853
1115816439104.046.5
1217626817152.475
132101380165.737
141681351680.541
151731346177.842
1617117688103.438
172151968191.543
181921836895.735
1915015441102.934
201511347489.235
2114816313110.244
2221026125124.439.5
2312913728106.442
1日2928319983109.344

本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

悪魔のいけにえ(4), 弁護士ドットコム(16), eca(4), 105日(3), モスキート音(3), マイクロ波(10), ライ麦(3), 池袋暴走事故(3), 14億(7), もすこ(3), ファスト(4), ヤンキー(18), 接種(35), 弟(20), 打て(8), 名古屋(11), 氷河期世代(11), 民主主義(25), 自慰(8), セックスレス(6), 福岡(9), 打た(11), ワクチン(74), 2021年(11), インド(12), 中国(82), 弁護士(18), 反(22), 打っ(19), 性欲(35), 加害(15), 都会(16), 高級(12)

頻出トラックバック先 ()内の数字は被トラックバック件数

■既婚中年男性の性欲はどう解消されればいいのか? /20210619231725(48), ■ /20210621123615(46), ■「誰でもよかったとか言いながら弱者を狙ってる!誰でもいいというのは嘘だ!」みたいなやつ /20210621104507(25), ■2021年春アニメ、ほぼ悪口 /20210621121141(21), ■弟から被害を受けていた子供の記録 /20210619214056(18), ■自分母親が「インターネットでよく見かけるバカ」で辛い /20210620220545(18), ■弁護士ドットコムについてはてなの人が絶望的に誤解してるので2点ほど間違い指摘しておきますね /20210620232938(17), ■お前らさんざんマイルドヤンキー馬鹿にしてたよな /20210621091800(17), ■後ろ回し蹴りを覚えて人生が楽になった /20210621091807(15), ■「男性は生きてるだけで加害性があるのを自覚してほしい」みたいなやつさ /20210621013302(14), ■反ワクチン連中、マジで一人で死ね /20210621110946(12), ■リニアトンネル工事大井川渇水させない方法は無い事は中学校で習 /20210621184521(11), ■ /20210621104015(11), ■マタニティマークサラリーマン /20210621184731(10), ■生理の対を性欲にすな /20210620213452(10), ■今日考えたSF設定 /20210621004949(8), ■モスバーガー /20210620140730(8), ■ /20210621190515(8), ■ /20210620171226(8), ■地方を切り捨てるっていう人いるよね /20210621205624(7), ■ラノベレーベル論が絶対正義 /20210620135554(7), ■普通にクズな男から女奪う話にNTRタグ付けるな /20210620225109(7), ■トラウマかかえた桃太郎 /20210620231340(7), ■好きな映画監督羅列するからおすすめ監督作品教えて /20210620233839(7), ■ホラー映画の傑作『悪魔のいけにえ』って名作と言われてるけど /20210621045034(7), ■物言わぬ株主 /20210621123458(7), ■もうすぐママンになるのにリストカットの痕が消えないンゴ /20210621141547(7), ■結婚すなわち退職 /20210617113031(7)

2021-06-20

追記した」好きな映画監督羅列するからおすすめ監督作品教えて

追記 

たくさん知らない映画教えてくれてありがてえ、本当世界にはThank youが溢れてる多謝。

教えてもらった映画の中で観た+好きなのは

トイレット」「百万円と苦虫女

作業所のこと増田で書いてバズったけど、増田はてなも親切な人ばかりで素晴らしいな

追記ここまで

好きな映画監督羅列するからおすすめ監督作品教えて (みての通りニワカです)

敬称略

森田芳光

荻上直子

西川美和

内田けんじ

山下敦弘

青山真治

竹中優介

新城毅彦

統一感があるかわからないので 一応説明しておくと、好きな作品はゆるいやつが多い。森田芳光荻上直子山下敦弘など

すごいエログロホラーあんまり。 

特に洋画でゆるいやつとか全く知らないので知りたい「バグダッドカフェ」とか?

アニメも少しだけ観る、、鬱っぽいのも好き。もちろん日常系も好きだった。でも、萌え萌えみたいなのはちょっと苦手になってきた。SF好き。アニメ最近まじでみてない。直近でみて面白かったのはゆるキャン91daysジョーカー・ゲーム

ポンポさんは一昨日観た。めちゃくちゃ面白かった。アニメ映画ならみれるかなって思ってる。

好きな監督湯浅政明今敏


何も考えず大好きな映画邦画)羅列する

(ハル)」「間宮兄弟」「僕達急行 A列車で行こう」てか森田芳光監督荻上直子監督は全部

「めがね」かもめ食堂」「運命じゃない人」「天然コケッコー」「リアリズムの宿」「ラヂオの時間」「マジックアワー」「愛のむきだし

サッド・ヴァケイション」「害虫」「エリ・エリ・レマ・サバクタニ「ゆれる」花とアリス」「南極料理人」「キサラギ」「サマータイムマシンブルース」「クヒオ大佐」「パビリオン山椒魚」「博士の愛した数式」「勝手にふるえてろ「好きだ、」「3年目のデビュー

ご覧の通り2000年代ばっかです。

映画趣味は周りにいるんだけど似た好みの人がいないどうしたらいいんだろうか。

破壊屋さんのツイッターとかブログとか見て情報収集してる

2021-06-10

倍速視聴とSCREENカセットテープ

 映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的昭和の思い出話である

 歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。

 それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画オカルト映画パニック映画流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。

 やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSFオカルトパニック作品関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれ子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである

 話を戻すと、こうして結果的活字記事も読むようになった私は、雑誌SCREEN』に淀川長治連載記事掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者から質問相談淀川長治が答えるコーナーであった。

 読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。

 「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。

 馬鹿小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品オネアミスの翼』を製作劇場公開した時のことである

 中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。

 さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品監督を務めた山賀博之氏のインタビュー掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである

 雑誌SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女コーチ奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』であるテイタム・オニールかわいい山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。

 「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。

 ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代コンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定理由合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分レーダーに引っ掛かるモノを持つ作品出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。

 ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayDVDレーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードカセットテープ販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品フィルムテープリール販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から兄弟のツテでカセットテープダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフ暗誦できる。何の自慢にもならないが。

 そして、歳月が流れた。

 後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家ビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対行為である

 ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。

 大人になって、現在宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。

 子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。

 それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。

2021-06-07

anond:20210607224820

まあねー、たくさん摂取して自分の好きを見つけられるといいよね

しかエド・ウッドかいう最強の映画監督は熱意だけで語り継がれてはい

クオリティーは…察しだしね

anond:20210606213802

芸術家は、あなたが今まで欲しいとも思わなかった「何か」をあなたに与えてくれる人です。それは、知る以前には欲しいとも思わなかったけれど、一度知ってしまったら、次回からは欲しくてたまらない「何か」です。”

デビッド・クローネンバーグ映画監督

http://plaza.harmonix.ne.jp/~k-miwa/magic/singen/si_cronenberg.html

2021-06-06

anond:20210606095940

実際舞台装置って金かかるし

幻想的な表現とかするならアニメのほうが安上がりって結構昔に読んだ

世の中の映画監督気づいてくれ〜〜〜〜〜いやまじで

2021-05-12

anond:20210512100808

レベルEの高評価は、外国映画監督黒澤明に感銘を受ける話と同じで、格好をつけているだけ

特定作品特定作家固執しない、漫画文化全般の古くからファン自称したい人が高尚ぶっているだけ

2021-04-19

監督とかそんなのどうでもよくない?

女の映画監督が少ないことがいったいなんの社会問題になるのか理解できない

女だろうが男だろうが映画を楽しむ側からするとどうでもいいし監督オカマでも同性愛者でも全然どうでもいいし

10代の監督でも90代の監督でも本当全然どうでもいいんだけど

2021-04-14

anond:20210414111529

それが現実でどのくらいありえるかの体感東京大阪で差がありそう。

読書家のビートたけしと本を読まない松本人志の違いが典型的

本業お笑いじゃなくて、映画監督ニュースコメンテーターなどに未経験者として参入するときスタンスの違いね

2021-04-05

お花見に参加しました

スタイルの癖を隠すために再翻訳され、さらテキスト意味復元する程度に修正されています

私は大阪に住んでいるのですが、3月末、仕事が終わって買い物をしていると、近所の人に会い、「今日公園お花見に行くんだけど、一緒に行かない?」と言われ、思わず「えっ!」と思いました。吉村だって第4波だと認めているのに、何を言っているんだ?非常識だと思いましたが、近所の人たちもみんな来ると言っていましたし、お世話になっていたので、断るとややこしいことになると思いました。ジャイアンリサイタルの誘いを断る勇気のある人はそういないだろう。今思えば、「今日は友人と電話約束があるので、......」というのがベストな答えだったと思います。当時はそんなこと考えもしませんでしたが。また、正直なところ、私は料理上手な彼の美味しい料理を久しぶりに楽しめることを期待していました。

とにかく、私は愚かにも彼に付き合ってしまったのである。彼の言うとおり、近所の人たちがほとんど集まっていて、予想通り、食べ物はたくさんあった。桜は満開ではなかったが、ちゃんと咲いていたし、我々のような馬鹿集団は他にいなかった。公園椅子が空いていたので、せめて距離をとって静かに食べようと安心していたのですが、いつの間にかマスクを外した主催者が桜の近くにブルーシートを敷き始めていました。そうそう、そうなんですよ。こんな時期に近所の人たちを招いて花見をする人は、コロナ対策ちゃんとしていないのだ。

しかし、それにしても、近所の人たちのほとんどが本当にそこにいるのだ。どことは言いませんが、近所に大学があって、若者がたくさんいます無名お笑い芸人、お騒がせな自称映画監督、ユニバのスタッフもいる。最近特にお金に困っているらしいので、彼らは食事をするチャンスを逃したくない。医師国家試験合格したばかりの幼馴染とその両親(医師看護師)を見つけたときは、勘弁してくださいと思ったが、今さらコロナ理由に断るのはもっと大変だと思い、すべてを諦めた。自称監督が撮った集合写真には、4人どころか10人以上が写っており、料理を前にしてマスクをしている人はほとんどいない。料理をつまむ箸がないので、直箸で食べることになる。

それでも、ほんの少しだけだが抵抗してみた。マスクをして、黙々と逆さ箸で料理を皿に盛り、小さなブルーシートを出て、公園のベンチで(つまりブルーシートに出入りするたびに靴を脱いだり履いたりしなければならない)、口元に持っていくとき以外はずっとマスクをして、静かに食事しました。こんなことをしていたのは私だけだったが、喫煙者の中にはタバコを口実に距離を取ろうとしている人もいたようだ。前述の医師とその家族は、全員がアルコールスプレーを常時携帯しており、その習慣を知っている私も常時携帯し、動くたびにスプレーをした。

すべての料理を一通り食べ終わった後、一人が帰ることになったので、私も一緒に帰ることにしました。それでも1時間半ほど滞在しました。帰宅後すぐに、手洗い、うがい、スプレーシャワーなどをして、まるで風邪を引いたかのような格好でベッドに入りました。

幸い、私は4月から自宅で仕事をしているので、まだ一人で家にこもっています。その気になれば、すでにあと3週間は持ちこたえられるだけの物資を持っているし、食料品をオーダーすれば、さらに長く居座ることができるだろう。昨年から続けているように、滋養強壮の薬をおまじないのように飲み、毎朝体温を測り、花粉症の症状をコロナ可能性を気にしながら過ごしています。今のところ、参加者感染したという報告はありませんが、もし感染していたら私も感染しているだろう。そんなことを考えています。先日の集合写真では、桜の木の幹に何かが巻き付いていました。よく見ると、「ブルーシートの下で飲食しないでください」と書いてあるんです。もう、大阪バッシングに何か言い返す権利はありません。皆さんも、急なお誘いに断れるかどうかシミュレーションしてみてください。私と同じ轍を踏まないようにしてほしいものです。

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2021-03-16

町山智浩映画監督とかアニメ作家とか漫画家、物書き、なんでも売れてる人がいたら絶対コイツのところにエロい女が来てる!」

吉田豪(笑)。そういう目で見たほうがいい?」

町山「絶対思ったほうがいい。なんかすごくリアルキャラクター漫画とかアニメに出てきたらこいつ実在と思ったほうが」

吉田漫画はまずそうですもんね」

町山「大抵実在です。結局そういう人たちって女について想像力いから、実在以外描けないんだ」

町山「俺は庵野秀明監督とは直接知り合いじゃないけれども、俺から見ると全部実在だもんね。アニメに出てくるキャラクターね」

町山「けどどっかでその話したら、アニメしか知らないような人たちから『何言ってんですか』って反論されたの。はあ、君ら何も知らないね。大抵実在だよ。ホント

吉田漫画家さんはほんとわかりやすいですよ。花沢健吾先生とか全部そうですもんね」

町山「なんかこの女の子の描き方すごいリアルだな、こんな人がホントにいる感じがするな、と思ったらいるか(笑)。大抵いるか(笑)

吉田「『ボーイズ・オン・ザ・ラン』のヒロインいるじゃないですか。あれが今の奥さんってすごい話ですよね。ビッチだなんだと罵り続けた相手(笑)

町山「ホント女性経験いからまったくフィクション女性ってのを作れないんだよね。オタクの人、サブカルの人、映画監督作家。皆そうだけど大抵本物だよね(笑)

町山「けど普通の読者は大抵知らないわけだ。特にアニメとか見てる、アニメファンの人たちとかホント知らないよね」

町山「まさか皆作ってると思ってるだろうけど、作ってません!作る能力ありません!オタクの人には、女性というキャラクターを」

吉田想像つかないですからね」

町山「想像つかないもん。全部本物ですから

吉田「身近なサンプルを使うと」

町山「そういう気持ちアニメを見ること!この女とヤってるぜェ~!監督このあたりでヤった!ヤってるからホントにヤってるからはい(笑)

2021-03-12

anond:20210312123553

映画監督美人ばかりではマズイ。ブスを連れてこい」

マネジャーはいフェミニストを連れてきました」

2021-03-11

Qアンノ監督最近アニメを作らなくても不動産運用収入だけで余裕のある生活ができる」

「いい歳してアニメとか特撮なんてみっともないですし、日曜の朝を子供と楽しむだけで十分です。もう映画監督趣味でいいかなと」

更に大人になったQアンノ監督トマ・ピケティの「21世紀の資本」を読み、演出家映画監督を続ける気力がなくなったという。

エバーでは陰謀論フリーメイソンとか死海文書あくまネタとして、物語に深みがあるように見せかけるための道具として使いました。本当は物語の中身なんて最初からないんです。アドリブでいきあたりばったり付け足していっただけなんです。敢えてそうすることでこの世界に謎と真実があるように演出する。でも、不動産運用から始めて、映画監督趣味になるぐらい富から富を再帰的に生み出せることを実感するようになると、もしかしたら陰謀論は本当で、この世界の裏側には見えない支配層が存在し、それがディープステートとして表の合衆国を操っていてもおかしくないのではないか、そう思うようになりました。そしてトランプ大統領はそのディープステートと戦っていた、つまり碇ゲンドウのような存在ではないか

次回作である「帰ってきたエバンゲリオン」ではネルフやゼーレと戦うトランプ大統領を描きたいと息巻くQアンノ監督

78歳になった今でも映画監督としての情熱を失ってはいない。

2021-02-20

anond:20210220132728

チェンソーマンで、インディー映画監督メジャー大作映画を撮った!みたいな変貌があったよね。どっちも好きだけど。

チェンソーマン2も楽しみだし、その次も何を描いてくれるのかなぁ〜わくわくが止まらね〜

2021-02-15

嫉妬してしま

大人気の女性フードエッセイスト

慶應卒で博報堂。夫も若いから活躍中の有望カメラマン。夫の父親も有名映画監督

本人の実力はもちろんあって、顔も良くて、センスも良くて、実家も太そう。もろもろの仕事や縁に恵まれるということは性格も良いんだろう。

こんなん嫉妬するしかないじゃん。

ないものねだり。ここまで全部揃わなくても良くない?ってくらい揃ってる。

この人だけは憧れとともに嫉妬ちゃう

2021-01-21

映画投資したが内容に納得できなかった件

タイトル通り。

そこそこ金を出し、自主的宣伝活動もして、普段映画館に行かない両親を動員し、ブルーレイDVDを自腹購入し、少しの見返りを受け取り、映画の内容に納得できなかった。

 

そこそこの金額

クラウドファンディング形式だった。出資額としてはそこそこ上位に入る。

エンディングクレジット名前が出たが、金額順および申込順で並んでると思われる中、割と目立つぐらいの位置だった。

 

自主的宣伝活動

上映直前にクラウドファンディング参加者による宣伝活動をお願いされ、名刺大の宣伝カードをあちこちに配った。

取引先や、とある新年会で同席した市議会議員先生なんかにまで配った。

製作元とは別にクラウドファンディング参加者自主製作したチラシも自分から手を挙げて譲り受け、行きつけの飲み屋に置いてもらったり自分の店に貼ったりした。

 

普段映画館に行かない両親を勧誘

公開から2日目に高齢の両親を連れて行った。母が映画途中で少し具合が悪くなりかけた。

慣れない2時間座りっぱなしに付き合わせてしまった自分不手際を後悔した。

 

DVDブルーレイを自腹で購入

自分の分としては付き合いのつもりでブルーレイだけ購入するつもりだった。

祖母が西の出で、大叔父の出征のとき呉まで歩いて付き添ったことを聞いていたので、祖母にも見せようかと思いDVDを購入した。

ただ後述するように自分映画内容に必ずしも納得していないことと、作中の効果音などがかなり過激なのもあり、悩んだあげく放置し、結局、見せないうちに祖母他界して終わった。

 

見返り

何回かハガキが届いた。クラウドファンディング出資者として自分の受け取った「特別報酬」としてはそれだけになる。あとはクレジットでの記名。

本来なら映画スタッフの集まり試写会に参加できる権利があったのだが、メールアドレス登録時に自分不手際があり、運営から来た問い合わせをこちらで対応しきれなかったのもあって、一回も参加していない。

かなり充実した内容と聞いているので、参加してさえいればクラウドファンディング額に十分に見合う内容だったと思う。

 

映画内容に納得してない

これは難しい。

原作はそれなりに優れている、という評価だったが、自分の好みと合致しているとは言えず、また、内容的に扱いが難しいことも知っていた。

映画監督は優れた表現者であると考えていたが、同時に自分の好みに完全に合致してないことも知っていた。

そのうえで、クラウドファンディングという形式による協力に興味があったのもあり、好みを度外視すれば十分に充実した内容になると判断して出資参加した。

結果、出来上がったものを見た感想としては、十分なクオリティ、水準以上の作品だったが、自分がすんなりと受け取れるものではなかった。

自分が納得しきれないという結果は、心のどこかで想定はしていた。予期しつつ自分が決めたこととして受け止めていた。つもりだった。

 

映画内容に納得していないこと以上に、その先の展開が少しこたえた

映画自分が当初に想定していたどころではない大ヒットとなり、マスメディアでも取り上げられ、半ばブーム化した。

オンライン上で語られる評価はほぼ誉める一辺倒と言っていい流れになった。

それどころか「さきの悲惨戦争を語る際の新しいフォーマット」にすらなってしまった。

 

これが辛かった。

ブーム化し、評価定型化し、扱い方も定型的となり、当然ながら映画内容からもズレていったし、原作内容からもっとズレていったと感じた。

原作ほとんど何も情報が入ってこない地方主婦という極めて限定された視界と、作品に投入される高密度情報量の間に生じる緊張を元手に作品を動かしていた。

映画化された際、高密度情報量のほうはボリュームアップが半端ないことになったが、一方で視点限定が担っていた圧力や緊張感についてはだいぶ緩んでいると感じていた。そのバランスの崩れが自分は気になった。

映画ブーム化し誰もが語る段階になり、ほとんど朝の連続テレビ小説と同じジャンルになったなと感じた。朝ドラ主演女優声優に据える演出がそういう読解を促したのも否定できない。

そして朝ドラジャンルとして受け入れられた形で「戦争を語るフォーマット」という役割を与えられていった。

超高密度情報ジャンル朝ドラの枠組みと切り離されてアクセスされるとっかかりを失い、単なる後景になった。

もともと原作の時点で、自分の好みとしては全肯定しかねていた。気が付けば、それすら形骸化していた。

今、あちらもこちらも、自分が見たものだけで構成される、カジュアル自分語りが、歴史のものになってる。

いったい自分は、何に加担してしまったんだろう。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん