はてなキーワード: 映画監督とは
誰かな。
組織委理事約20人 開会式の中止か簡素化を要望していた…武藤事務総長に記者会見で説明要望も開かれず(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
https://hochi.news/articles/20210714-OHT1T51146.html
五輪・パラリンピックの開閉会式の演出チームは波乱万丈だった。17年12月に野村氏、椎名林檎氏ら名だたるメンバー8人で発足し、当初は映画監督の山崎貴氏が五輪の演出で主導的な立場だったが、18年7月には狂言師の野村萬斎氏が総合的なトップに就任。19年途中からは振付師のMIKIKO氏が実質的な責任者へと変更された。
ところがコロナ禍による大会の1年延期に伴い、昨年12月には演出チームは解散、クリエイティブディレクターの佐々木宏氏が総合統括に就任していた。しかし佐々木氏はタレント・渡辺直美への侮辱的演出のアイデアが大問題となり、結局3月に辞任。MIKIKO氏の辞任に至る経緯も問題視され、表向きには責任者不在の状態が続いていた。
東京五輪・パラリンピック組織委員会は14日、大会の開閉会式制作・演出チームのメンバーを公表し、式典のコンセプトを発表した。
演出の実質トップとなるエグゼクティブプロデューサーに就いているのは元博報堂で、アイスホッケーの日光アイスバックスのGMも務めた経験を持ち、国際スポーツビジネスの場で活躍してきた日置貴之氏。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210714/k10013139621000.html
ことし3月から東京オリンピック・パラリンピックの式典の統括を担当する大会組織委員会の日置貴之エグゼクティブプロデューサー
http://www.smg-world.com/management#hioki
1974年生まれ。大学を卒業後、株式会社博報堂に入社、その後FIFA Marketing AGに転職し2002FIFA WORLD CUPKOREA/JAPANのマーケティング業務を行う。
https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202107140001278.html
「この状況での五輪。人によっては反対する人もいる。バラバラになった状況だ。大会の基本コンセプトに『ダイバーシティー&インクルージョン(多様性と調和)』とある。この時代に『国民は』とか『世の中の人々は』という表現は完全な時代遅れだ。国民って誰? 人々って誰? という時代。その人々とは日本人のこと? ということ。これを多様にイメージしていく。受け手の気持ちになって考えることが唯一、コミュニケーションの今後のあり方だ。それを考え開閉会式をつくってきた」
-その「ダイバー…」
「それを言えない段階でだめ。僕が大事にすべきは、みんながそれを言える、理解する開閉会式にしなければいけない」
-東京五輪招致の起源だった「復興五輪」という言葉をコンセプトに盛り込まなかった意図は
「省いたつもりはない。たまたま書いてないだけ。演出には復興の観点もあり、1ミリも忘れていない」
「見てもらえば分かる」
「受け取り方をこちらが定義してはいけない。医療従事者の代表としてとか、そういう考え方自体がこの時代にそぐわない。日本の人は、同じような生活をしてきちゃっている人たちの考え方と、世界のいろんな考え方を認めていくことが大事。まあ、皆さんは日本人しか読まないメディアかもしれないけど(笑)。僕自身、海外でずっと生活してるので、やっぱりすごく不思議に思うところも日本にはある(笑)」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/598439
「開閉会式の制作チームの約7割が女性で、LGBTの方や外国人もいる。3月に再出発して最初に取り組んだ課題がジェンダーのバランス。常に大勢のチームの中で議論している」
https://olympics.com/tokyo-2020/ja/news/news-20210714-03-ja
プロデュースチーム
https://twitter.com/Zangiri_mono
ドリフターズは、昭和44年から昭和62年まで続き、最高視聴率50.5%を記録した、TBSの土曜夜8時「八時だよ!全員集合」において、過度のいたずら、食物を大切にしない態度、汚い言葉づかい、いじめ思考などを子供達に植えつけ、そのモラルを引き下げた。
タモリはそれまでタブーだった地方(田舎)を馬鹿にする言葉について、テレビに「市民権」を持たせた。
それ以前は、東北や四国、九州などを、少しでもその都市化の遅れゆえに貶めるような発言は、
テレビの中では、絶対的にご法度だった。ほんの少しでも、地方を馬鹿にした言葉が誰かの口から出ると、
「ただいま、放送上不適切な発言がありましたことをお詫びいたします・・・・・・」
と謝罪の言葉を、司会者は述べさせられていた。しかしタモリは、
「イーじゃねーか、本当のことなんだから」などとニヤニヤ笑いながら言い、「チバラギ、ダサイタマ」などという言葉を放送に乗せ、地方(田舎)を馬鹿にする風潮を、テレビの中に定着させた。
「どちらからいらっしゃいました?」
などという出だしのシーンがよく見られ、またそのシロウト参加者も
「ボクにも笑いが取れました」
とばかりにうれしそうな顔をするが、まったく嘆かわしいことである。
方言は、その地方の人にとっての昔からの伝統的な標準語である。
なお沖縄は、政治的な問題を抱える地域なので、こうした笑いの取り方は、少なくとも
タモリについては、「社空きの化粧厚塗りギャグ」のように、人の悪口を面白おかしく囃したてる、心の荒んだトークについても、「許容されないライン」のかなりの引き下げに、関与した罪は大きい。
などと笑いをとりながら、汚い言葉といじめ遊びをブラウン管に乗せた罪は、免れられない。これは、現在の極まりない悪意に満ちたいじめなどと比べれば、ずっと無邪気な、許されてもいいようなレベルのものではあるが、次世代に一層の悪化をまねいたその足場を作ったものとして、責められるべきものは、間違いなくあった。
ビートたけしは最近は、映画監督・文化人としてのイメージを高めているが、たとえばベネチア映画祭でグランプリを取ったのだとしても、悪いものは悪い、大いに批判されるべきタレントである。「早く死ね、このババア」といっていたことを、99年8月に母親を亡くした後も後悔していないか、聞いてみたいものだ。
90年代前半のとんねるずは「うるせえんだよ!」ダウンタウンは「じゃかあしい、このガキ!」とテレビカメラやライブ会場に向かって、青筋を立てて怒声を浴びせるところまで、凶暴さを増した。よりキレた、狂的な凄みで押しまくるスタイル。いじめも一層残酷で、理不尽なものとなっていった
90年代後半に台頭してきたナインティナイン、ウッチャンナンチャン、ロンドンブーツ1号2号は、それと比べると一見、やや静かで落ち着いた、おとなしい話し方をするが、サッと一瞬人の隙を突いて見せるようないじめ、暴言などは、一層いやらしさを増し、カマトト顔の裏で、陰湿さをさらに増した性格が、見てとれる。
こうしたタレントの作り出す“笑い”びたりとなっている子供たちが、弱いものいじめに走るのは、
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 58 | 11798 | 203.4 | 79 |
01 | 60 | 9165 | 152.8 | 57.5 |
02 | 49 | 6318 | 128.9 | 74 |
03 | 18 | 3088 | 171.6 | 79 |
04 | 10 | 1754 | 175.4 | 48 |
05 | 32 | 7362 | 230.1 | 77.5 |
06 | 41 | 4210 | 102.7 | 48 |
07 | 60 | 8865 | 147.8 | 84 |
08 | 99 | 9755 | 98.5 | 47 |
09 | 81 | 12407 | 153.2 | 66 |
10 | 169 | 20409 | 120.8 | 53 |
11 | 158 | 16439 | 104.0 | 46.5 |
12 | 176 | 26817 | 152.4 | 75 |
13 | 210 | 13801 | 65.7 | 37 |
14 | 168 | 13516 | 80.5 | 41 |
15 | 173 | 13461 | 77.8 | 42 |
16 | 171 | 17688 | 103.4 | 38 |
17 | 215 | 19681 | 91.5 | 43 |
18 | 192 | 18368 | 95.7 | 35 |
19 | 150 | 15441 | 102.9 | 34 |
20 | 151 | 13474 | 89.2 | 35 |
21 | 148 | 16313 | 110.2 | 44 |
22 | 210 | 26125 | 124.4 | 39.5 |
23 | 129 | 13728 | 106.4 | 42 |
1日 | 2928 | 319983 | 109.3 | 44 |
悪魔のいけにえ(4), 弁護士ドットコム(16), eca(4), 105日(3), モスキート音(3), マイクロ波(10), ライ麦(3), 池袋暴走事故(3), 14億(7), もすこ(3), ファスト(4), ヤンキー(18), 接種(35), 弟(20), 打て(8), 名古屋(11), 氷河期世代(11), 民主主義(25), 自慰(8), セックスレス(6), 福岡(9), 打た(11), ワクチン(74), 2021年(11), インド(12), 中国(82), 弁護士(18), 反(22), 打っ(19), 性欲(35), 加害(15), 都会(16), 高級(12)
■既婚中年男性の性欲はどう解消されればいいのか? /20210619231725(48), ■ /20210621123615(46), ■「誰でもよかったとか言いながら弱者を狙ってる!誰でもいいというのは嘘だ!」みたいなやつ /20210621104507(25), ■2021年春アニメ、ほぼ悪口 /20210621121141(21), ■弟から性被害を受けていた子供の記録 /20210619214056(18), ■自分の母親が「インターネットでよく見かけるバカ」で辛い /20210620220545(18), ■弁護士ドットコムについてはてなの人が絶望的に誤解してるので2点ほど間違い指摘しておきますね /20210620232938(17), ■お前らさんざんマイルドヤンキー馬鹿にしてたよな /20210621091800(17), ■後ろ回し蹴りを覚えて人生が楽になった /20210621091807(15), ■「男性は生きてるだけで加害性があるのを自覚してほしい」みたいなやつさ /20210621013302(14), ■反ワクチン連中、マジで一人で死ね /20210621110946(12), ■リニアトンネル工事で大井川を渇水させない方法は無い事は中学校で習 /20210621184521(11), ■ /20210621104015(11), ■マタニティマークとサラリーマン /20210621184731(10), ■生理の対を性欲にすな /20210620213452(10), ■今日考えたSF設定 /20210621004949(8), ■モスバーガー /20210620140730(8), ■ /20210621190515(8), ■ /20210620171226(8), ■地方を切り捨てるっていう人いるよね /20210621205624(7), ■ラノベ=レーベル論が絶対正義 /20210620135554(7), ■普通にクズな男から女奪う話にNTRタグ付けるな /20210620225109(7), ■トラウマかかえた桃太郎 /20210620231340(7), ■好きな映画監督羅列するからおすすめの監督か作品教えて /20210620233839(7), ■ホラー映画の傑作『悪魔のいけにえ』って名作と言われてるけど /20210621045034(7), ■物言わぬ株主 /20210621123458(7), ■もうすぐママンになるのにリストカットの痕が消えないンゴ /20210621141547(7), ■結婚すなわち退職 /20210617113031(7)
たくさん知らない映画教えてくれてありがてえ、本当世界にはThank youが溢れてる多謝。
昔作業所のこと増田で書いてバズったけど、増田もはてなも親切な人ばかりで素晴らしいな
追記ここまで
好きな映画監督羅列するからおすすめの監督か作品教えて (みての通りニワカです)
竹中優介
統一感があるかわからないので 一応説明しておくと、好きな作品はゆるいやつが多い。森田芳光、荻上直子、山下敦弘など
特に洋画でゆるいやつとか全く知らないので知りたい「バグダッドカフェ」とか?
アニメも少しだけ観る、、鬱っぽいのも好き。もちろん日常系も好きだった。でも、萌え萌えみたいなのはちょっと苦手になってきた。SF好き。アニメは最近まじでみてない。直近でみて面白かったのはゆるキャン、91days、ジョーカー・ゲーム。
ポンポさんは一昨日観た。めちゃくちゃ面白かった。アニメ映画ならみれるかなって思ってる。
「(ハル)」「間宮兄弟」「僕達急行 A列車で行こう」てか森田芳光監督荻上直子監督は全部
「めがね」「かもめ食堂」「運命じゃない人」「天然コケッコー」「リアリズムの宿」「ラヂオの時間」「マジックアワー」「愛のむきだし」
「サッド・ヴァケイション」「害虫」「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」「ゆれる」「花とアリス」「南極料理人」「キサラギ」「サマータイムマシンブルース」「クヒオ大佐」「パビリオン山椒魚」「博士の愛した数式」「勝手にふるえてろ」「好きだ、」「3年目のデビュー」
ご覧の通り2000年代ばっかです。
映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的な昭和の思い出話である。
歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家の本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌が本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。
それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画、オカルト映画、パニック映画が流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。
やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSF、オカルト、パニック作品に関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれた子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異の経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである。
話を戻すと、こうして結果的に活字記事も読むようになった私は、雑誌『SCREEN』に淀川長治の連載記事が掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者からの質問や相談に淀川長治が答えるコーナーであった。
読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。
「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法や手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。
馬鹿な小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品『オネアミスの翼』を製作・劇場公開した時のことである。
中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語の最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。
さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品で監督を務めた山賀博之氏のインタビューも掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである。
雑誌『SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女とコーチの奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』である。テイタム・オニール、かわいい。山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。
「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図に気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。
ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代はコンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定の理由や合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分のレーダーに引っ掛かるモノを持つ作品に出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。
ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayやDVD、レーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードやカセットテープが販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品のフィルムテープのリールも販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から、兄弟のツテでカセットテープにダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフを暗誦できる。何の自慢にもならないが。
そして、歳月が流れた。
後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家もビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生で作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対の行為である。
ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。
大人になって、現在の宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的な評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。
子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。
それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手に想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞を暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。
スタイルの癖を隠すために再翻訳され、さらにテキストの意味を復元する程度に修正されています。
私は大阪に住んでいるのですが、3月末、仕事が終わって買い物をしていると、近所の人に会い、「今日、公園にお花見に行くんだけど、一緒に行かない?」と言われ、思わず「えっ!」と思いました。吉村だって第4波だと認めているのに、何を言っているんだ?非常識だと思いましたが、近所の人たちもみんな来ると言っていましたし、お世話になっていたので、断るとややこしいことになると思いました。ジャイアンのリサイタルの誘いを断る勇気のある人はそういないだろう。今思えば、「今日は友人と電話の約束があるので、......」というのがベストな答えだったと思います。当時はそんなこと考えもしませんでしたが。また、正直なところ、私は料理上手な彼の美味しい料理を久しぶりに楽しめることを期待していました。
とにかく、私は愚かにも彼に付き合ってしまったのである。彼の言うとおり、近所の人たちがほとんど集まっていて、予想通り、食べ物はたくさんあった。桜は満開ではなかったが、ちゃんと咲いていたし、我々のような馬鹿な集団は他にいなかった。公園の椅子が空いていたので、せめて距離をとって静かに食べようと安心していたのですが、いつの間にかマスクを外した主催者が桜の近くにブルーシートを敷き始めていました。そうそう、そうなんですよ。こんな時期に近所の人たちを招いて花見をする人は、コロナ対策をちゃんとしていないのだ。
しかし、それにしても、近所の人たちのほとんどが本当にそこにいるのだ。どことは言いませんが、近所に大学があって、若者がたくさんいます。無名のお笑い芸人、お騒がせな自称映画監督、ユニバのスタッフもいる。最近は特にお金に困っているらしいので、彼らは食事をするチャンスを逃したくない。医師国家試験に合格したばかりの幼馴染とその両親(医師と看護師)を見つけたときは、勘弁してくださいと思ったが、今さらコロナを理由に断るのはもっと大変だと思い、すべてを諦めた。自称監督が撮った集合写真には、4人どころか10人以上が写っており、料理を前にしてマスクをしている人はほとんどいない。料理をつまむ箸がないので、直箸で食べることになる。
それでも、ほんの少しだけだが抵抗してみた。マスクをして、黙々と逆さ箸で料理を皿に盛り、小さなブルーシートを出て、公園のベンチで(つまりブルーシートに出入りするたびに靴を脱いだり履いたりしなければならない)、口元に持っていくとき以外はずっとマスクをして、静かに食事をしました。こんなことをしていたのは私だけだったが、喫煙者の中にはタバコを口実に距離を取ろうとしている人もいたようだ。前述の医師とその家族は、全員がアルコールスプレーを常時携帯しており、その習慣を知っている私も常時携帯し、動くたびにスプレーをした。
すべての料理を一通り食べ終わった後、一人が帰ることになったので、私も一緒に帰ることにしました。それでも1時間半ほど滞在しました。帰宅後すぐに、手洗い、うがい、スプレー、シャワーなどをして、まるで風邪を引いたかのような格好でベッドに入りました。
幸い、私は4月から自宅で仕事をしているので、まだ一人で家にこもっています。その気になれば、すでにあと3週間は持ちこたえられるだけの物資を持っているし、食料品をオーダーすれば、さらに長く居座ることができるだろう。昨年から続けているように、滋養強壮の薬をおまじないのように飲み、毎朝体温を測り、花粉症の症状をコロナの可能性を気にしながら過ごしています。今のところ、参加者が感染したという報告はありませんが、もし感染していたら私も感染しているだろう。そんなことを考えています。先日の集合写真では、桜の木の幹に何かが巻き付いていました。よく見ると、「ブルーシートの下で飲食しないでください」と書いてあるんです。もう、大阪バッシングに何か言い返す権利はありません。皆さんも、急なお誘いに断れるかどうかシミュレーションしてみてください。私と同じ轍を踏まないようにしてほしいものです。
韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督の2020年の作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である。
描かれる時代は、アジア太平洋戦争で日本帝国が敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争の責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去を清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。
その標的はまず、戦前は絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前・戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。
戦後日本を象徴する言葉は、長いこと、「平和と民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。
天皇の戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年→1945年)アジア太平洋地域で戦争を続けた近代日本の実像を覆い隠し、この戦争の全体像を、最後のわずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島・長崎の「悲劇」を前面に押し出し、米軍占領下の沖縄は辺境ゆえに無視して、日本全体があたかも戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦・平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。
1960年の安保闘争の時にも、1965年の日韓条約反対闘争の時にも、戦前の日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在を分析する言動はほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会は総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。
1960年代後半、この社会・思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長の過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長の最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。
時代はあたかも米国のベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島に輸送される米軍物資の調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジアの民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。
加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人や先住民族(インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配が人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。
「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本の近代史と現在が孕む問題群に、「民族・植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。
「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み
「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計』から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。
「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係な一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーションで流れる。
多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。
その責任の一端が、「反日」そのものの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。
画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊の大道寺将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係も自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶と悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。
映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えのなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。
「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画を制作したのは、韓国の映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画を制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議=編『支援連ニュース』420号、2021年3月6日)。社会的正義のために、加害国=日本に搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日」メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。
だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品の制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場用パンフレット所収)。
74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本の自分たちが戦後の「平和と民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本の植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。
そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現と言論の自由を獲得した韓国の新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画が日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本も韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援連ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。
最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性の存在だと思われる。
刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たちの闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。
キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。
死刑囚の獄中書簡集を読んで、あんな事件を引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつうの青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑囚である義兄とは、媚びへつらいのない、上下の関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。
そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督も女性だ。弱い立場にある労働者の現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規の女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこの作品に脈打っていたフェミニズムの視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。
町山智浩「映画監督とかアニメ作家とか漫画家、物書き、なんでも売れてる人がいたら絶対コイツのところにエロい女が来てる!」
町山「絶対思ったほうがいい。なんかすごくリアルなキャラクターが漫画とかアニメに出てきたらこいつ実在と思ったほうが」
町山「大抵実在です。結局そういう人たちって女について想像力ないから、実在以外描けないんだ」
町山「俺は庵野秀明監督とは直接知り合いじゃないけれども、俺から見ると全部実在だもんね。アニメに出てくるキャラクターね」
町山「けどどっかでその話したら、アニメしか知らないような人たちから『何言ってんですか』って反論されたの。はあ、君ら何も知らないね。大抵実在だよ。ホント」
吉田「漫画家さんはほんとわかりやすいですよ。花沢健吾先生とか全部そうですもんね」
町山「なんかこの女の子の描き方すごいリアルだな、こんな人がホントにいる感じがするな、と思ったらいるから(笑)。大抵いるから(笑)」
吉田「『ボーイズ・オン・ザ・ラン』のヒロインいるじゃないですか。あれが今の奥さんってすごい話ですよね。ビッチだなんだと罵り続けた相手が(笑)」
町山「ホントに女性経験ないからまったくフィクションの女性ってのを作れないんだよね。オタクの人、サブカルの人、映画監督、作家。皆そうだけど大抵本物だよね(笑)」
町山「けど普通の読者は大抵知らないわけだ。特にアニメとか見てる、アニメファンの人たちとかホント知らないよね」
町山「まさか皆作ってると思ってるだろうけど、作ってません!作る能力ありません!オタクの人には、女性というキャラクターを」
町山「そういう気持ちでアニメを見ること!この女とヤってるぜェ~!監督このあたりでヤった!ヤってるから。ホントにヤってるから。はい(笑)」
「いい歳してアニメとか特撮なんてみっともないですし、日曜の朝を子供と楽しむだけで十分です。もう映画監督は趣味でいいかなと」
更に大人になったQアンノ監督、トマ・ピケティの「21世紀の資本」を読み、演出家や映画監督を続ける気力がなくなったという。
「エバーでは陰謀論のフリーメイソンとか死海文書をあくまでネタとして、物語に深みがあるように見せかけるための道具として使いました。本当は物語の中身なんて最初からないんです。アドリブでいきあたりばったり付け足していっただけなんです。敢えてそうすることでこの世界に謎と真実があるように演出する。でも、不動産運用から始めて、映画監督が趣味になるぐらい富から富を再帰的に生み出せることを実感するようになると、もしかしたら陰謀論は本当で、この世界の裏側には見えない支配層が存在し、それがディープ・ステートとして表の合衆国を操っていてもおかしくないのではないか、そう思うようになりました。そしてトランプ大統領はそのディープ・ステートと戦っていた、つまり碇ゲンドウのような存在ではないか」
タイトル通り。
そこそこ金を出し、自主的宣伝活動もして、普段映画館に行かない両親を動員し、ブルーレイとDVDを自腹購入し、少しの見返りを受け取り、映画の内容に納得できなかった。
クラウドファンディング形式だった。出資額としてはそこそこ上位に入る。
エンディングクレジットに名前が出たが、金額順および申込順で並んでると思われる中、割と目立つぐらいの位置だった。
上映直前にクラウドファンディング参加者による宣伝活動をお願いされ、名刺大の宣伝カードをあちこちに配った。
取引先や、とある新年会で同席した市議会議員先生なんかにまで配った。
製作元とは別にクラウドファンディング参加者が自主製作したチラシも自分から手を挙げて譲り受け、行きつけの飲み屋に置いてもらったり自分の店に貼ったりした。
公開から2日目に高齢の両親を連れて行った。母が映画途中で少し具合が悪くなりかけた。
慣れない2時間座りっぱなしに付き合わせてしまった自分の不手際を後悔した。
自分の分としては付き合いのつもりでブルーレイだけ購入するつもりだった。
祖母が西の出で、大叔父の出征のとき呉まで歩いて付き添ったことを聞いていたので、祖母にも見せようかと思いDVDを購入した。
ただ後述するように自分が映画内容に必ずしも納得していないことと、作中の効果音などがかなり過激なのもあり、悩んだあげく放置し、結局、見せないうちに祖母が他界して終わった。
何回かハガキが届いた。クラウドファンディング出資者として自分の受け取った「特別な報酬」としてはそれだけになる。あとはクレジットでの記名。
本来なら映画スタッフの集まりや試写会に参加できる権利があったのだが、メールアドレス登録時に自分の不手際があり、運営から来た問い合わせをこちらで対応しきれなかったのもあって、一回も参加していない。
かなり充実した内容と聞いているので、参加してさえいればクラウドファンディング額に十分に見合う内容だったと思う。
これは難しい。
原作はそれなりに優れている、という評価だったが、自分の好みと合致しているとは言えず、また、内容的に扱いが難しいことも知っていた。
映画監督は優れた表現者であると考えていたが、同時に自分の好みに完全に合致してないことも知っていた。
そのうえで、クラウドファンディングという形式による協力に興味があったのもあり、好みを度外視すれば十分に充実した内容になると判断して出資参加した。
結果、出来上がったものを見た感想としては、十分なクオリティ、水準以上の作品だったが、自分がすんなりと受け取れるものではなかった。
自分が納得しきれないという結果は、心のどこかで想定はしていた。予期しつつ自分が決めたこととして受け止めていた。つもりだった。
映画は自分が当初に想定していたどころではない大ヒットとなり、マスメディアでも取り上げられ、半ばブーム化した。
オンライン上で語られる評価はほぼ誉める一辺倒と言っていい流れになった。
それどころか「さきの悲惨な戦争を語る際の新しいフォーマット」にすらなってしまった。
これが辛かった。
ブーム化し、評価が定型化し、扱い方も定型的となり、当然ながら映画内容からもズレていったし、原作内容からはもっとズレていったと感じた。
原作はほとんど何も情報が入ってこない地方の主婦という極めて限定された視界と、作品に投入される高密度の情報量の間に生じる緊張を元手に作品を動かしていた。
映画化された際、高密度の情報量のほうはボリュームアップが半端ないことになったが、一方で視点の限定が担っていた圧力や緊張感についてはだいぶ緩んでいると感じていた。そのバランスの崩れが自分は気になった。
映画がブーム化し誰もが語る段階になり、ほとんど朝の連続テレビ小説と同じジャンルになったなと感じた。朝ドラ主演女優を声優に据える演出がそういう読解を促したのも否定できない。
そして朝ドラジャンルとして受け入れられた形で「戦争を語るフォーマット」という役割を与えられていった。
超高密度の情報はジャンル朝ドラの枠組みと切り離されてアクセスされるとっかかりを失い、単なる後景になった。
もともと原作の時点で、自分の好みとしては全肯定しかねていた。気が付けば、それすら形骸化していた。