はてなキーワード: 文明開化とは
「関係無い第三者が勝手に権利者の代弁をする」ことの恐ろしさは他にもあって、
この手の話題でしゃしゃり出てくるような論客はジャンルそのものには一切興味を持ってないってこと。
例を挙げるとライオンキングとディズニーに呪詛をまき散らすけど、ジャングル大帝本編は一切観ずに、手塚プロの寛大な対応をクールジャパンと持ち上げておしまい。
こんな感じの憎悪クリエイターが書いたコタツ記事が既存マスコミやネット上で30年以上量産されまくった結果、ジャングル大帝のTVシリーズの存在すら知らないオタクが多数を占め、
手塚治虫や虫プロスタッフが伝えたかったメッセージ「文明開化・浪漫の探求・生命の尊重」は一切無視される悲しい世界が出来上がってしまった。
この悲劇を繰り返さないためにも、競馬ファンは外野の喧騒をいったんシャットアウトして、競馬文化発展の歴史の流れをキチンと保全し、若い世代に積極的に伝えていってほしい。
菜の花ばたの、あたたかい月夜であった。どこかの村で春祭の支度したくに打つ太鼓がとほとほと聞えて来た。
巳之助は道を通ってゆかなかった。みぞの中を鼬いたちのように身をかがめて走ったり、藪やぶの中を捨犬のようにかきわけたりしていった。他人に見られたくないとき、人はこうするものだ。
区長さんの家には長い間やっかいになっていたので、よくその様子はわかっていた。火をつけるにいちばん都合のよいのは藁屋根わらやねの牛小屋であることは、もう家を出るときから考えていた。
母屋おもやはもうひっそり寝しずまっていた。牛小屋もしずかだった。しずかだといって、牛は眠っているかめざめているかわかったもんじゃない。牛は起きていても寝ていてもしずかなものだから。もっとも牛が眼めをさましていたって、火をつけるにはいっこうさしつかえないわけだけれども。
巳之助はマッチのかわりに、マッチがまだなかったじぶん使われていた火ひ打うちの道具を持って来た。家を出るとき、かまどのあたりでマッチを探さがしたが、どうしたわけかなかなか見つからないので、手にあたったのをさいわい、火打の道具を持って来たのだった。
巳之助は火打で火を切りはじめた。火花は飛んだが、ほくちがしめっているのか、ちっとも燃えあがらないのであった。巳之助は火打というものは、あまり便利なものではないと思った。火が出ないくせにカチカチと大きな音ばかりして、これでは寝ている人が眼をさましてしまうのである。
「ちえッ」と巳之助は舌打ちしていった。「マッチを持って来りゃよかった。こげな火打みてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア」
「古くせえもなア、いざというとき間にあわねえ、……古くせえもなア間にあわねえ……」
ちょうど月が出て空が明かるくなるように、巳之助の頭がこの言葉をきっかけにして明かるく晴れて来た。
巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。――ガソリン車はもはや古い道具になったのである。EVという新しいいっそう便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。古い自分のしょうばいが失われるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、男として何という見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいは棄すてて、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。――
巳之助はすぐ家へとってかえした。
寝ているおかみさんを起して、今家にあるすべてのガソリン車に石油をつがせた。
おかみさんは、こんな夜更よふけに何をするつもりか巳之助にきいたが、巳之助は自分がこれからしようとしていることをきかせれば、おかみさんが止めるにきまっているので、黙っていた。
ガソリン車は大小さまざまのがみなで五十ぐらいあった。それにみな石油をついだ。そしていつもあきないに出るときと同じように、車にそれらのガソリン車をつるして、外に出た。こんどはマッチを忘れずに持って。
道が西の峠とうげにさしかかるあたりに、半田池はんだいけという大きな池がある。春のことでいっぱいたたえた水が、月の下で銀盤のようにけぶり光っていた。池の岸にははんの木や柳が、水の中をのぞくようなかっこうで立っていた。
巳之助は人気ひとけのないここを選んで来た。
さて巳之助はどうするというのだろう。
巳之助はガソリン車に火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝に吊した。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木にいっぱい吊した。一本の木で吊しきれないと、そのとなりの木に吊した。こうしてとうとうみんなのガソリン車を三本の木に吊した。
風のない夜で、ガソリン車は一つ一つがしずかにまじろがず、燃え、あたりは昼のように明かるくなった。あかりをしたって寄って来た魚が、水の中にきらりきらりとナイフのように光った。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
と巳之助は一人でいった。しかし立去りかねて、ながいあいだ両手を垂たれたままガソリン車の鈴なりになった木を見つめていた。
ガソリン車、ガソリン車、なつかしいガソリン車。ながの年月なじんで来たガソリン車。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
それから巳之助は池のこちら側の往還おうかんに来た。まだガソリン車は、向こう側の岸の上にみなともっていた。五十いくつがみなともっていた。そして水の上にも五十いくつの、さかさまのガソリン車がともっていた。立ちどまって巳之助は、そこでもながく見つめていた。
やがて巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つ拾った。そして、いちばん大きくともっているガソリン車に狙ねらいをさだめて、力いっぱい投げた。パリーンと音がして、大きい火がひとつ消えた。
「お前たちの時世じせいはすぎた。世の中は進んだ」
と巳之助はいった。そしてまた一つ石ころを拾った。二番目に大きかったガソリン車が、パリーンと鳴って消えた。
「世の中は進んだ。電気の時世になった」
やーん、文明開化やん。おしゃんてぃー♥
ついでに手塚ファン・アニメファンとして俺もお気持ち表明しておくけど、いい加減ジャングル大帝を武器扱いするのはやめてほしいわ
お前らがパクリの証拠として挙げてる画像、大半がライオンキングの公開日(94年6月24日)以降に公開された劇場版ジャングル大帝(97年8月1日)からの引用なんだが?
そもそもお前ら原作が弱肉強食否定・文明開化・大陸移動説証明の為のSF探検物だって知ってるの?
今海外のYoutuberが今まで誰も指摘してこなかった(無視してきた)その他もろもろを動画で告発してるんだけど、2時間半ある長尺だがとりあえず黙って見とけ。
まとめ動画をソースにディズニーを叩いてた大学教授の存在とかこっちはこっちで闇が深すぎるぞ……
https://www.youtube.com/embed/G5B1mIfQuo4
おまけにアトランティスを叩いてナディアを持ち上げる層は十中八九ネトウヨ層だし、そのせいかは知らんが貞本義行氏もおかしくなっちゃったんだぞ!
「キッタネー少女像」エヴァでおなじみ貞本義行先生の慰安婦像へのコメントをご覧下さい
「アメリカで何かあるたび、いつまでも真珠湾攻撃持ち出されるん嫌や……」
「どうするん?」
「あの戦争を立案実行した気風を持つ関東というエリアを、日本から独立させたらええんよ。『この国は首都圏が支えてる』『地方はお荷物』と日頃言う類の関東人なら、喜んで日本脱退を支持してくれるはず。胸張って日本から出て行けばいい」
「国際連盟脱退した時みたいに?」
「独立してやっていけるだけの力が、あのローム層にあるとは思えんけど。いいかげん気づくべきやわ。捏造、隠蔽、誇大妄想、鎖国から文明開化、進め一億から一億総ざんげという極端……あの大本営的でファナティックな気質は関東ならでは。痛々しいプライドが先行してるんは、ここ数か月の右往左往を見てもわかるはず」
「土地の空気は馬鹿にできへんよ? 乾いた強風の吹く痩せた平原という歴史(の弱味)が、今もあちらに影を落としてる気がするわ」
ルネサンス(芸術復興)を経験していないから(というか復興しなければならないような芸術破壊を経験していないから)ではないだろうか。(強いて言えば信長とか廃仏毀釈とかだが全体的なものではない)
西洋においては、ルネサンスの後でも、写真の発明とジャポニズムの発見によって印象派やシュールレアリズムが生起された。現代芸術はその流れの上にある。
中国においては共産革命、文化大革命によって既存の芸術は壊滅的に破壊され、その損失を穴埋めするために、世界に散逸した古典芸術を買い戻すだけでなく、中国人現代アーチストの作品を買い求めている。
日本においては、明治の文明開化によって西洋美術が導入したが、日本美術にとってかわったわけではない。日本美術は西洋美術の技法・思想をとりいれてさらなる進歩を遂げたといえよう。日本美術は現代美術のコンテキストを独自にとりいれているともいえる。
日本における西洋美術は、それ自体が現代芸術のようなものであったし、それを完全に消化、定着しきったわけではない。したがって、それにとってかわる現代芸術も海外の見た目だけを真似たものにしかなっていないのではないか。
「ダメな例」の断定的な表現と比べて「いい例」は「そうで無い人もいる」という逃げ道を残しています。もちろん、この前では「主語を小さく見せちゃう」ではなく単に本当に主語を小さくしているだけになってしまいます。
そこで!
次の文では一気に畳み掛けて主語の大きさを有耶無耶にしてしまうのがコツ★
こうして考えてみると、日本人は積極性に欠け、うじうじと人ばかりに思えます。この日本人の性質は文明開化以降、白黒はっきりした欧米文化の登場によって注目されるようになりました。しかし、日本人が古来より積極性に欠けた人間であったことは、次の文献の一節からも見て取る事ができます。
はじめの「日本人は〜」では積極性に欠けた人間が「多い」「ように思う」とかなり譲歩した表現にとどまっていますが、次の文の「この日本人の性質は」では、「積極性に欠けうじうじとしている」が日本人の性質として断定されています。最後の「日本人が古来より積極性に欠けた人間であったことは」などと、大昔からそうであったと言い切ってしまっています。
もちろん、このようなテクニックを用いて主語の大きさを有耶無耶にし、畳み掛けるてしまえば文章は雑に見えてしまいます。しかし、大半の馬鹿は主語がどんどん拡大されていることに気がつきません。
だから、多くの著名人、インフルエンサーと呼ばれる馬鹿を騙して有料メルマガで搾取する連中がこれと似た手法を使っています。はじめに提示した前提条件を巧妙に隠し、すり替えることで、自分の言いたいことを言いたいように言っているのです。
もちろん、論理の展開の粗雑さは丁寧に読めばわかるものです。だから!有料メルマガなのです。馬鹿にしか見せないことで、馬鹿だけを楽に騙すのです。主語の大きさに限った話ではありません。
投資アフィブログではよくこのような畳み掛けが読めます。「投資は小学生でもできる(衝撃的な嘘)」→「投資に使われる云々は〜(関係ない話、小難しい話で曖昧にする)」→「つまり投資は凡人こそが勝てるのです(結論のすり替え)」
これが顕著なのが、三田紀房の「インベスターZ」だ。はじめにドーンと反感を抱くようなことを言うが、きちんと読んでみればそのはじめの一言は命題は真である、と結論が付けられることはない。
君の頭を叩いても文明開化の音はしなさそうだな
動物は人間のご飯でした。過去数千年も人間は狩猟採集で生きていました。
狩で仕留めたマンモスを食べて氷河期を生き抜き、山でシカやイノシシを食べて生き抜きました。私たちの祖先はヤギや豚や牛や羊や鶏を、長い長い長い年月をかけて家畜化しました。家畜化なんて一朝一夕一世代で出来ることではありません。祖父から父へ、父から子へ、飼育のノウハウを受け継ぎながら、家畜を食べる肉食文化を発展させました。
色々な国で色々な食文化が発展してきました。それは日本のように仏教によって禁止されながらも、こっそりと楽しまれたり、文明開化とともに最先端の料理として食べられたり、ヨーロッパのようにソーセージやベーコンや干し肉なんかにして長期保存できるようにされたり、焼いたり蒸したり揚げたりして、美味しく食べれるように工夫されたりしてきました。イヌイットのように生食する民族も、沢山の香辛料でスパイシーに食べる民族もいます。食文化は、宗教やその土地の気候と密に絡み合いながら発展してきました。
文化は人間が長い歴史の中で作り上げた叡智の結晶です。衣、食、住の1つである、生き物にとって欠かせない「食」の文化は何にも劣らない人類史の大切な要素です。文化人類学的な価値を持つものです。
生物学的にも人間が動物を食べるのには意味があります。日本人だけが海苔を消化できるように進化したことは有名ですが、お肉も同じです。人間が肉を美味しく食べて、消化して、エネルギーとして利用できるのも、人間が長い間肉を食べ続けて、そのように進化したから美味しくお肉が食べられるのです。お肉を食べるのは人間が生態です。人間は雑食なのですから。
連綿と続くこの歴史の中で、動物が可哀想だという考えを持ち、肉食をやめることもまた文化です。人類がそのように方向転換し得る可能性を持つこともまた大切なことです。
しかし、それを望まぬ人に強要すること、人間全体から肉食文化を奪うことは文化の破壊です。畜産家や肉屋やコックさんから仕事を奪う権利は誰にもありません。
食文化は生活に根付いて始めて意味があります。レシピの本だけあっても仕方がありません。肉を食べないということは今まで育んできた肉食文化を永久に手放してしまうことになります。日本の和食が文化遺産であるように、世界の肉食文化は和食よりもうんと重要な文化です。ヴィーガンの肉を食べない「食」が尊重されるべきように、私たち雑食の食文化も尊重されるべきです。