はてなキーワード: 排外主義とは
はてサブロガーは口が裂けてもそんなことは言わないだろうけど、人権重視排外主義反対とか彼らの主張に共感してる人は右翼議員主導のデフレ脱却議連より自民の上げ潮派のほうがましと思えるはず。
上げ潮派のリーダー格の中川秀直はアムネスティー議員連盟会長や外国人材交流推進議員連盟会長をやるような政治家。どう見ても人権派で排外主義とは対極にある議員といえる。
デフレ脱却議連って民主党議員ばかりなのに政界のリフレ派はそこにしかいないと思い込んでる人が多そう。
ついでに言うと参院選公約でも自民党は高所得者の負担増が書いてある。民主党とかの他の政党は税額控除とか低所得者向けの給付増はあっても高所得者負担増を明記してるところはほとんどない。せいぜい共産党ぐらい。
http://twitter.com/hokusyu82/status/21463201782
共産主義だって労働者の生活向上のための手段であって北朝鮮のような生活水準政治体制になってでも共産化しろなんてのはいまどき共産党員の中にすらいないんじゃなかろうか。
様々な価値観・利害の人と共闘するのが通常の民主主義である以上、目標の優先順位を論じるのはあまり意味ないように思う。特定の政策が各自の目標を実現するのにふさわしい手段かどうかってのを問う方がいいはず。某右翼リフレ議員についてはリフレ政策を実現することで修正主義者の影響力が高まるかどうかと景気回復で排外主義に傾きにくくなるかどうかというのを考えて判断すべきなんじゃなかろうか。公務員改革についてもみんなの党・上げ潮派の影響力が強まるかどうかとインフレ景気回復で財政健全化・民間企業社員の待遇改善が進んで公務員人件費削減圧力が減るかどうかあたりを考えて判断すべきなんじゃなかろうか。個人的には左翼勢力がリフレ政策を主導して景気回復を国家主義新自由主義の手柄にしないのがいいと思うが。
「行動する保守」といわれる集団で、映画「ザ・コーブ」上映反対の姿勢をとる「主権回復を目指す会」の西村修平氏らが、6月26日早朝、横浜テアトル支配人長谷川氏の自宅へ早朝から押しかけ、本人不在で代わりに応対した高齢の母親に対し罵詈雑言を浴びせ、拡声器を用いて恫喝まがいの行動に出た。その後禁止仮処分中にも関わらず映画館前で街宣をかけ、「上映に命をかけるならここで死んでみせろ」と支配人に詰め寄る動画がアップされていた。そして続く30日にも同様に自宅と映画館に押し掛けている。
そして同じく「行動する保守」在特会こと「在日特権を許さない市民の会」も朝鮮学校への街宣(街宣とは名ばかりの嫌がらせと恫喝、器物破損。動画には映っていないが教室の中では児童たちが泣き叫ぶほどの恐怖を感じていたという)で、同校の200メートル以内で拡声機を使うなどして同校関係者を非難、中傷することを禁じる仮処分を3月19日付で受けている。
「行動する保守」という人たちの行動がネット上で目立ち出したころ、これは新しいスタイルの市民活動だなと思った。メディアを意識した方法、動画サイトなどを利用し広く賛同を呼びかけるなど、既成のいわゆる「街宣右翼」とは異なったアプローチであると感じた。と同時になにか一般の市民活動とはかけ離れたある種の「違和感」を感じた。某掲示板に溢れる「レッテル貼り」や「民族差別」を得意とする「ネット右翼」と呼ばれる人々の「抑圧された自己愛」が顕在化したような印象を受けた。
彼らの攻撃は主に「在日外国人」「反日分子」に対して向けられる。デモ行進などの時に上げられるシュプレヒコールは「不逞朝鮮人は日本から出て行け」「朝鮮人を叩きだせ」といった具合に排外主義に満ちたヘイトスピーチである。そしてそのような光景を逐一ネット上にアップするという方法に強い自己顕示欲を感じさせる。ネットの世界での情報が全て「事実」であることを大前提に、定かではない「在日特権」や「朝鮮義勇軍」という事象を捏造してまでもせっせとネット上で広めるための努力を惜しまない。
これらは全て「行動する保守」自身の「肥大した自己」を満足させるための手段ではないかと思える。「在日外国人」や彼らの言う「綺麗ごと左翼」に対しての優越感を保ち続ける事でしか充足感を得られない「強烈な自己愛」を持つ個人が集まり、同調現象が生まれる。一度この現象が始まってしまえば、「他より優秀な我々」の意見を補強する意見のみが歓迎され、異論に対しては論理ではなく、個人攻撃、人身攻撃で反論するようになる。在特会の行動内容を報告する動画の中では、彼らの忌み嫌う対象以外に通りがかりの一般市民や、時には警察官にまでもその攻撃の矛先は向けられている。
彼らを「自己愛性人格障害」である、とまで断定する気は毛頭無いが、その行動にはかなりの点で「強い自己愛」が顕著に現れているのではないかと思う。ちなみにDSM-IV(精神医学的問題を診断する際の指針)での判断基準では次の項目が挙げられている。
・自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
・限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
・自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
・過剰な称賛を求める。
・特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
・人間関係で相手を不当に利用する。つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
・共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない。
・しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
・尊大で傲慢な行動、または態度。
彼らはしばしば「自分たちは他の団体とは一線を画す存在」だと主張し、「極右」であると報道した海外メディアに食って掛かる。「美しい日本」を守るのは自分たちのような特別な存在であると信じて疑わない。そして自分たちの攻撃する相手を全てひとまとまりの「敵」であると断定し個々の持つ多様性を受け入れない。「日本人」であることに誇りを持ち、それ以外の人間を「ゴキブリ」呼ばわりして日本人に従うべきだと公言して憚らない。時には警察と対立するが、「不逞外国人に発砲した警官」を英雄視し自らのデモに利用する。そしてそれらの「蛮行」をネット上で公開する事で賞賛を求め、現状に不満を持つ「ネット右翼」というラウドマイノリティの声が、彼らの主張を後押しする。
映画「ザ・コーブ」をめぐる一連の騒動を見ても彼らの行動は非難されるべきである。彼らの「表現の自由」と等しく映画を上演する自由も守られるべきで、暴力を持って封じ込めようとするやり方では到底賛同は得られないであろう。ましてや禁止された行動の決定的な証拠をネット上にアップするなど愚の骨頂である。私は彼らの活動は永くは続かないのではないかと思う。在特会の徳島教委への抗議行動で西村修平氏が関与した数名を「トカゲの尻尾切り」のように除名した事でもわかるように、個々が「自己顕示欲」の強いこのような集団は一度亀裂が生じると崩れ去るのも早いものであるからだ。東京地裁が下した街宣・抗議活動を禁止する仮処分中の行動や、暴力団並みの厳しい京都地裁の決定から判断すると、彼らの外堀は徐々に埋められていく過程にあるのだろう。狂乱の憂さ晴らしのような「祭り」の終焉が近い事は彼らが一番感じているかもしれない。
そりゃ日本人の感覚でしょうに。大陸の人達からしてみれば、生活費をタダでもらえる制度でしかない。
でもって彼らが大量に受給する状況が認知されれば、日本人で需給出来なかった人らの不満が声を上げ始める。
当然、そんな彼らを味方に付けようとする社会活動家も跋扈し始める。そうなったら若年世代の右傾化傾向と相乗効果で先進国並の排外主義のできあがり。
中国人48人が来日直後に生活保護申請 大阪市、受給32人
2010.6.29 13:42
大阪市西区に住む70代の姉妹2人の親族の中国人48人が5~6月に入国した直後、市に生活保護の受給を申請し、32人がすでに受給していることが29日、分かった。市は「入国直後の外国人がこれほど大量に申請した例は初めて。非常に不自然」として調査を始めるとともに、法務省入国管理局に対して入国管理の厳正な審査を求める。
市によると、姉妹2人は残留孤児とみられ、平成20年7月、中国・福建省から来日、11月に日本国籍を取得した。今年5~6月、姉妹の介護名目で同省から親族48人を呼び寄せ、大阪入国管理局が審査した結果、48人は1年以上の定住資格を得たという。
48人は外国人登録後、平均6日間で市内5区に生活保護の受給を申請。いずれも日本語は話せず、申請窓口には同じ不動産業者が付き添っていたという。
あーあ。
こういうのがどんどこ増えるぞ。
『外国人への憎悪を煽る者たち』それはこのエントリに、デマやリテラシーなどとタグやコメントをつけてキリッとしている、はてサやリテラシ厨や民主信者、お前らの事だ!
あ?なに訳わからない寝事抜かしてんだってか?
特別に知能は低い癖にプライドだけは高いバカなお前らにも分かるように噛み砕いて説明してやるわ。
先ず、この590人という荒唐無稽な数字の"デマ"の拡がる背景を考察する。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100404/trd1004040702001-n1.htm
ここにあるように、既に税金対策のために戸籍を偽って扶養者を増やす手口は常套手段となっている。
ここでは節税と表現しているが、これは実態を捕捉出来ない点をついての脱税に他ならない。
悪質外国人が働きに来たところで日本の貨幣が外国に流れるだけで、日本の行政サービスはフリーライドされ税金は入ってこないのである。
このように税金を納めない外国人が、同じ手法でブローカーを通じたり組織だって子どもや養子縁組をしたならば、それをチェックする方法はない。
とってつけたように、
などと施行前日に通達を行っているが、そんな事実際にどうやって調査するんだ。現地国とネットワークをもって組織だって書類を仕上げてくるプロに対し、窓口の公務員がそれをチェックできるとかどんだけお花畑なんだよ。
こんな稚拙なザルなシステムを強行した事に民の怒りが蓄積されている事をまず理解しろ。
この590人登録事件は、その真偽が問題なのではなく、このような不正な請求が実際に組織的に可能である事そのものに起因して発生した現象である。
可能であるならば、やってくるに違いないという思い込みは、たとえそれがバイアスがかっていても消去する事は出来ない。
いいか?ここでそのバイアスを責める前に、システムに不備がある点が問題だという事実、それをその物覚え悪い頭に叩き入れておけよ。
で、そのような条件下で、蓄積した怒りの発散先として、この"デマ"が590人登録騒ぎという形を為し、市井の民の怒りのシンボルと化した。
そしてそのシンボル化がさらに、怒りの表明の焦点を一箇所に集中させる事が、薄ぼんやり暮らしているバカどもに有効に認知を拡めるツールとして機能する事に気づかせ、さらなるスパイラルを描いたのは至極当然である。
高津区役所が電話攻撃でサービス不能になる程度の事で、政府の愚策の問題点を浮き彫りにできるのならば実に合理的な抵抗であろう。
市井の民が、お上の決めた暴挙に対抗するならば、このような手段で対抗するのは当然でありレトリック的に言えば防衛本能の発露でしかない。
だから、これをデマだよキリッとか言ってるだけのうすらバカのみなさま方におかれましては、その指摘になんの意味もない程度の事は理解していただけませんかね?
この"デマ"に寄り添って声を上げる人間の事を、リテラシー強者(笑)なるデマの真偽の判断を否定ツイート一つ如きで判断しておきながら、『デマに乗せられる情弱』という構図で見下して、空っぽな脳を自尊心だけで満たしているだけの単なる思考弱者どもは、妖怪どっちもどっちどころではなく救いようがないうすらバカなんだよ!
まぁバカに言っても無駄かww
もっとも、はてサ脳に侵されてない人間の中でも、"デマ"を使ってこのような煽りを蔓延させる事に眉をひそめる良識的な立場のまっとな人もいるだろう。
だが、その認識は甘いと謂わざるを得ない。
この"デマ"騒ぎさえ、民主教に帰依したバカのやり口に比べるととてもまともな穏当な反対意思の表明にしか過ぎないんだよ。
たとえば、この頭を叩くと空っぽでぽむぽむするから名前が id:pompom20 のブコメ
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/2987779.html
id:pompom20 ネトウヨ 子ども手当で民主党叩きしている、この手のレイシストウヨは全員逮捕すべき。ネトウヨの存在は日本の民度を下げる害悪のガン細胞、よって切除手術が必要。
まぁ充分これでもすごいが、これを省略せずに説明すると、つまりはこのような思想である。
これほどまでにガチでやばい本物のキチガイ思想になんの留保の情も抱かないロボット達に今の政権政党が支えられている。
これを敷衍していけば、本当の言論弾圧・ニーメラーが待ち構えているのに、非実在青少年なんていう言論の自由(笑)ごっことかやってる場合じゃねーってのwww
さて、まとめておくか。この"デマ"に乗じて声を上げる者たちを、ネトウヨだの排外主義だの情弱だのと呼びあらわす者たちに告ぐ。
この現象を生み出した最大の責任は、票とりのために拙速な法案を施行した民主政権にある。
致命的な欠陥に対し、とりあえず緊急的な方法で指摘をしているだけに過ぎない者たちに、その手段の稚拙さを謗る事を良識などと考えているうすらバカどもが、いくらヘイトスピーチ、レイシストとレッテルを貼っても、それは外国人を差別する意志(意味もなく外国人にお金を渡すのを阻止するのは差別じゃないよw念のためww)もないのだから事実とは異なる誹謗中傷でしかない。
こうして普通の日本人を悪魔にでっち上げるのは、思考回路の作り方の失敗が産み出した幻影であり、それこそ日本人へのヘイトスピーチ以外の何物でもない。
そのような不当な中傷により、本当にレイシズムが発生する事態が起きる事があったら、お前達こそ本物のレイシスト生成装置であり、非難されるべきはお前らだ。
民主教徒の諸君。自民時代の児童福祉手当と同じとかレイシズムだとか言っても世の中何も解決しないんだよ。
根本的な原因に向き合い、民主政権を支持した自分がバカでしたごめんなさい。
まずそこからはじめるんだ。わかったかな。まぁわかんないだろうがなww
ただ、自らの罪の償いを他罰に求めてもなんの解決も得られないぞとだけ言っておくわ
日本の文化が、かなりマズい方向へと進み始めている。私はこれを止めなければならない。そのためにこれを書く。
まずはひとつの記事を紹介しよう。あまり人に広めたくないあまりにも醜悪な文章だ。
しかし、現代における様々な問題を見事に一点に凝縮しているので、思い切ってリンクする。
http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html
例えば「格好悪いふられ方」とか「深夜高速」とか「ザ・ミーハー」とか「はっきりもっと勇敢になって」とか。
オレにはその絶妙なセンスがツボで
「おっ、大江千里か!」とか「フラカンね、はいはい」とか「森高かよ!」とか
「ついに岡村ちゃん使ってきたかあ」とか
毎回楽しみにしていて連戦連勝ですべて当ててきたのだが
去年の秋ごろに初めて「・・・知らんなあ・・」となった。
後悔した。やはり醜い。スノッブとはこいつのことを言う。
何が醜いかというと、モテキの作者がただ見栄えをよくするためだけに楽曲タイトルを引用する態度と
その引用元がわかることに喜んでしまうという読者との共存関係だ。
同じように注目されているマンガで『ザワさん』というものがある。このマンガでも全く同じ現象が存在した。
それは耳にイヤホンを指している男子高校生に対して矢印書きで書かれた「伊集院のラジオを聞いている」という文字だ。
「そんな高校生、今どきいるか」という二重の意味で驚愕したのだが、本当の問題はそこじゃない。
この引用は作品のクオリティに何の影響も与えていない。ただただ、作者が好きなものを作品内で提示したにすぎない。
わかってる奴だけが気づいて不気味にニヤリと笑うだけだ。この醜悪な一連の行為はいったい何なのか。
はっきり言うと「私はあなたの仲間である」というマーキングにすぎない。
ザワさんで言うと「私は伊集院のラジオを聞くような人間です」「伊集院のラジオが好きな人は仲間です」というメッセージ。
作品内にわかる人間だけがわかる符牒を忍び込ませ、その意図は仲間意識を強めるためだけ。
これはニッポンのサブカルチャーのもう至るところに散見される。
例えば映画秘宝文化圏。こいつらはやたらと「俺たちボンクラは」という言葉を連発する。
「ボンクラ」というキーワードだけでただ連帯している。このような囲い込みは排外主義を伴なう。
事実、映画秘宝は「ボンクラ」というキーワードに引っかかる人間だけを相手し、
お決まりの作法を繰り返して、自分たちの文化圏外を口汚く批判するだけでゼロ年代を終えた。
現代の創作はもうほとんど仲間意識を強める言葉や引用を散りばめるだけで成り立っている。それが最近の貧困さの原因でもある。
最近のサブカル好き同士の会話なんて、お互いが好きなキーワードを連発し合ってにやりと笑っているだけの、
本当に貧困で醜悪で、言葉にできない酷さだ。そんな人間が日本の文化を滅ぼすんだ。どんどん自閉していき緩やかに自滅していく。
島本和彦が『天元突破グレンラガン』を評した言葉を紹介しよう。
一応釣られとくが、話の発端になった「男は獣」を書いたのは渡辺淳一って男なんだけど。
あ?渡辺淳一?渡辺淳一がはてなーなのか?第一エロ小説家の言うことを真に受けるとか、もうアホかとバカかと。
それで、渡辺淳一が全ての男の代表なのか?んなアホな。
そもそも「男はケモノ」という言葉は性犯罪者を弁護するためではなく「男はケモノだと思った方がよい」という警句だろうが。自衛すれば万全なんて誰も思っちゃいないが、自衛することで防げる被害だってあるわけでな。それは毎晩俺が玄関に鍵を掛けて寝るのと全く同じことでな。
これを「予防拘禁」と要約することに異存はあるまいな。
それも文脈読めば明らかなように反語でしょうに。
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。反語のつもりで語るに落ちてるのが問題なんだよ。
「優しい僕アピール」がなぜ批判されるべきなのかわからん。僻みにしか見えない。逆に「レイプは元気があっていい」とか「やさしくない俺様アピール」なら批判されるべきじゃなくなるの?
僻みとかwwwwwアピールしようがしまいがあれでモテると思ってるのかwwwwwhokusyu乙。マジで乙。
後半は全く意味不明。対極にある極端な例を出しても何の意味もない。優しいアピールだろうが優しくないアピールだろうが中庸から外れたものはイタい。
ネトウヨではないのはそうなんだろうけど、在日参政権賛成でも反対でもないし、自衛しろともするなとも言ってないように自分の態度を明らかにしてないなら、別にリベラルでもなくね?中立と言うほうがふさわしいように思う。
他の記事まで通読してからものを言えといいたいところだがまあよい、「中立」でいいんだな、「中立」で。よろしい結構だ。で、その「中立」であるiteauを査問したお猿さんはいったい何なんだね。
まずお前の言う「自衛論者」って誰だ。いったい誰のことだ。
曾野綾子を除いて一体誰が「女は自衛すべき」って言ったんだ。え?
(中略)
そして、「男はケモノ」という「説」をとなえた男がいったいどこにいたんだ?あ?
一応釣られとくが、話の発端になった「男は獣」を書いたのは渡辺淳一って男なんだけど。その文で「男は獣だから女は自衛しろ」と言う話も出てくる。似たようなことをいうやつは性犯罪関連でいつものように出てくる。
これを「予防拘禁」と要約することに異存はあるまいな。
それも文脈読めば明らかなように反語でしょうに。
どう考えても、「被害者の尻馬に乗って、『女性に理解のある優しいボクチャン』をアピールしたいだけ」だろ。hokusyuは。それをiteauは批判しただけだ。
「優しい僕アピール」がなぜ批判されるべきなのかわからん。僻みにしか見えない。逆に「レイプは元気があっていい」とか「やさしくない俺様アピール」なら批判されるべきじゃなくなるの?
それのどこがネトウヨなんだ。はっきり言ってそんなことが読めてなかったんならお前は本気でバカだ。
ネトウヨではないのはそうなんだろうけど、在日参政権賛成でも反対でもないし、自衛しろともするなとも言ってないように自分の態度を明らかにしてないなら、別にリベラルでもなくね?中立と言うほうがふさわしいように思う。女にもてようとするリア充叩き(?)をしたがるあたりなんかが、排外主義ネトウヨとは別種のねらーっぽさを感じてしまうけど。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fl20100202ad.html
非日本人の参政権と人種差別(Non-Japanese suffrage and the racist element)
By DEBITO ARUDOU
1月17日、平沼議員は同じ国会議員の蓮舫議員について「言いたくないけれども、もともと日本人じゃない」と発言した。
相手のアイデンティティに対してこれほどまで厳しい非難をぶつけた所以ははたして何なのだろうか?
与党民主党の蓮舫議員は、資金を要求するお偉方に対して「(コンピューター性能で)世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのか」という簡単な質問をした(それが彼女の役目である)。しかし、平沼議員はこれについて「政治家として不謹慎だ」と指摘。
はたして実際に不謹慎なのだろうか?他の政治家達がこれよりもよっぽど馬鹿らしい質問をしているのを私は見ている。また、財政の厳しい今のデフレ社会で、官僚に正当な理由を求める事は十分合理的と言えるだろう。
実際に不謹慎な質問をして晒し者にされるのは別だが(不謹慎か否かは個人の解釈にもよるが)、国に対して、そして代表者としての国民に対しての責任感を、非日本人のルーツ(蓮舫議員は台湾人の父と日本人の母を持ち、後に日本国籍を選択)を持つというだけで疑われる事が人種差別以外の何だというのか。それも国会議員からだ。
予想通り平沼議員は主張を撤回してきた。まず最初にマスコミがセンセーショナリズムとして取り上げた事を批判し、また蓮舫議員は日本人であるから人種差別には当らないと主張した。
誰か平沼議員に、自民党が与党だった1996年に日本政府が批准した国連条約に記されている公的な「人種差別」の定義を教えてやってくれないだろうか:「人種差別とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう」(人種差別撤廃条約、第一条1)
つまり、蓮舫議員の家系・民族・生まれを取り上げて彼女の信用を疑う平沼議員は、どう転んでも「有罪」となるのである。
しかしこの背景にはより大きな問題がある。平沼議員の爆弾発言は日本の極右が持つ不可解な権力の徴候とも言える。
彼は以前、2006年に「危ない!人権擁護法案:迫り来る先進国型値全体主義の恐怖」という本を通じて人権擁護法案を潰しにかかり、同署でも「人権擁護法案は日本を滅ぼす」と主張している。また同じく2006年に女性天皇は認めるべきではないとし、「仮に愛子様が留学なさって、青い目の男性と恋に落ち、そのお子様が天皇になられることは断じてあってはならない」と、人種差別と女性差別のダブルパンチを炸裂させた(何故女性天皇は男性天皇よりも強欲な外国人に弱いと決めつけるのか?)。
2008年に国籍法が改正され、その数ヶ月前に最高裁が違憲と判決した父親の認知に関する方の抜け穴が修復された時も、平沼議員は必死に止めようとしたが成功しなかった。彼は、両親が結婚していない子供に日本国籍を与えてしまうと、「日本のアイデンティティを弱めてしまう」と主張した。
しかし彼は今だこりていないらしい。今度は今年国会を通過する可能性のある、永住権取得者への地方参政権の授与に対して必死に抵抗している。
このコラムが永住者への参政権授与に関して賛成である事は言うまでもないだろう。在日韓国人や中国人等、50万人近くの特別永住者は日本で生まれ育ち、ずっと納税し続けてきただけでなく、彼らの祖先は過去に日帝の国民だったという経歴があり、戦争のため日本に強制的に連れて来られ、国のために貢献し、中には死んでいった者達もいる。その子孫である彼らが日本国籍を得ていないなど、他のどの近代国家でもそんな事は絶対に有り得ない。少なくとも以前は所有していたのだから。
そして今度は更に50万人ほどいる通常永住者(いわゆる「ニューカマー」である)がいる。日本の役人達の、妨害的とも言える裁量(Zeit Gist May 28, 2008)によって妨げられているにも関わらず、彼らは長く複雑な道をたどって(中には20もの年月をかけ)永住権を取得している。
これほどの年月と労力を費やして永住者として日本社会と同化した彼らに、選挙も含めたコミュニティ活動に参加する権利が与えられるのは当然の事ではないだろうか。少なくとも他36ヶ国では外国人に参政権が認められており、それらの国は別に崩壊の危機に瀕してなどいない。
しかし、平沼議員を筆頭とした反参政権活動家はその逆を主張する。日本では政治的な話題は大抵温和なものだが、右翼が必死に行う排外活動が見せる黙示録的ディストピアの幻影は強烈なものだ。
彼らが言うに、外国人に参政権を与えると、日本は釣り上げられたマグロのように切り刻まれ、沖縄は中国領になり、日本政府は北京に牛耳られ、また平沼議員は韓国が対馬を併合するだろうとまで言っている。日本にとって外の世界は敵だらけという訳だ。
彼らは、非日本人が参政権が欲しいのなら帰化するべきだと言う。確かに正論だが、私自身の経験から言わせてもらうと、そんな簡単に帰化できるものではない。手続きはあまりにも専横で、場合によっては日本人ですら審査が通らないのではないかと思うほどである。理屈はよくわからないが、これで外国からの脅威は中和されるらしい。
しかし、蓮舫議員の非日本人としてのルーツを非難した事で、平沼議員はこの「帰化すればいい」という主張が嘘である事を自ら曝け出してしまった。
蓮舫議員は日本国籍を選択しただけでなく、日本の一級大学を出ており、ニュースキャスター・ジャーナリストとして日本の社会に貢献し、また国会議員として同じ日本人から表を得て当選までしている。
しかし平沼議員にとってそれらには何ら意味はなく、心が日本にあっても血統的には彼女は外国人であり、これは永遠に変わる事はない。
ここで平沼一派の偏屈な主張が嘘である事が証明される。たとえ彼らが何をしようと、外国人は決して信用できるものではない。「真の日本人」の言う事に逆らう者達なら特に、だ。
何故日本ではこれほどまで露骨な人種差別的主張がまかり通るのか?それは、日本の政治のマーケットにおいてマイノリティには主張権がろくに与えられていないからだ。商品であろうがアイディアであろうが、どのような市場であってもそこに壁を作ってしまうと極端で常識外れな価値観が発生してしまう。しかし市場をオープンにすれば、問題は自然解決する。
熱狂者達が一番恐れている所は正にこれだ。「よそ者」を恐れているだけでなく、一般市民の恐怖心を煽る事で票を集める事が出来なくなってしまうという恐れ。「よそ者」を受け入れてしまうと、今まで横行されてきた極端なイデオロギーを持つ者達は、新しく生まれた有権者達と彼らが提供する多様な価値観を許容、もしくはそれに対してアピールできなければならない。
非日本人の永住者に選挙権を与える一番の理由はそこにある:日本の排外主義者から力を奪い、こういった差別者や偏屈者どもを政界から叩き出す事だ。次に平沼議員が人種差別的な発言をした時に、それに影響された人々が次の選挙で彼を落選させられるだけの影響力がある、そんな仕組みがあるべきである。
http://anond.hatelabo.jp/20100119124726
上のエントリーについて、こちらのブログ(http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034)でコメントを頂戴したので、もう少し書いてみたい。
植民地の立場を脱してからはじめて、旧植民地は近代国家経営のお手本としての大日本帝国モデルを自国の発展に生かせたのです。植民地支配体験が韓国民にとって有益になり得たのは、植民地から脱して後のことです。
最初にいただいた反論は、日本の植民地政策は朝鮮人からの収奪のためであって、朝鮮人の生活水準の向上にはまるで寄与しなかったと言う点。こちらのブログでは、その論証として以下の3点をあげている。
まず、第2点目に付いては、むしろ韓国人による起業は植民地時代に始まったものであると言うKohli教授の指摘と矛盾する(上のエントリーを参照のこと)。また、目に見える工場などの資本以外に、経験や知識が蓄積されていたという彼の指摘は無視されるべきではないだろう。
また、第1の点については、当時の朝鮮人の大半は小作農であろうから、朝鮮人地主の土地保有が若干減少したとしても、それで朝鮮人一般が搾取された、収奪されたという結論に結びつけるのは難しい。
重要なのは3点目。朝鮮人の米消費が植民地時代に減少していたと言うこと。これは朝鮮人の生活ぶりに直結しうる大切な指摘だ。しかし、我々は米だけ食って生きているわけではない。代わりにパンかうどんでも食えるのならば、少なくとも私は文句はない。もっと言えば、Quality of Lifeというのは食い物だけで決まるわけではない。教育、娯楽、医療水準、すべて食欲と同程度に重要だ。
で、そんなさまざまな要素を私が知りうるはずもない。ここはやはり専門家の出番だ。で、例によってGoogle scholarにお伺いを立てると、”calories Japan Korea colonization”でど真ん中の論文が見つかった。「植民地時代の朝鮮の生活水準:大衆の生活は日本統治下で改善されたのか、それとも悪化したのか?」という論文がそれで、著者は帝塚山大学の木村教授。ちなみにこの論文はJournal of Economic Historyという、経済史学のトップジャーナルに掲載されており、信頼性は高い。面倒なので最初の要約部分だけ和訳すると、
この論文では日本統治下での朝鮮大衆の生活水準の変化について研究した。世帯辺りの農業収入、農業部門の実質賃金、必需食料品からの一人当たりカロリー摂取量は減少した。一方で、初等教育の履修者数、識字率、生存率は上昇し、また平均身長は少なくとも減少はしていない。この論文では、識字率や生存率、それに平均身長は、他の条件よりも生活環境により直接的に関係している数字であるということを主張した上で、朝鮮大衆の生活水準は植民地化から1940年までの間に向上したと結論付けた。ただし、この問題についてのいかなる概括も、さまざまな要素のどれを重視するかと言う点に決定的に依存する。
言うまでもなく、識字率とはハングルの識字率のことである。もちろん、生活水準などと言うあいまいな言葉は如何様にでも定義できてしまうので、このような研究を胡散臭く思う人も多いだろう。しかし、木村教授はここでノーベル賞経済学者のアマルティア・センの生活水準基準を適用することで、一定の客観性を確保している。これは、資産や効用といった経済学でおなじみの基準を使わず、平均余命や生存率、識字率、栄養摂取などに着目しようというものだ。
ちなみに、木村教授の推計では、米および穀物からのカロリー摂取は1918年までの5年間で急速に向上した後、以降1936年まで年率-0.4%で低下し、それ以降はまた急速に増加している(前者の増加は穀物消費によるもの、後者は米消費の急増によるもの)。これはもちろん好ましいことではないが、この時期の生存率はむしろ改善しており、日韓併合前と比べても朝鮮人の身長はほとんど変化していない。少なくとも、朝鮮人の健康を損ねるレベルでカロリー摂取が減ったわけではなかったようだ。
一方で、男子の就学率は日韓併合直後の20%から1940年には60%へ、女子の就学率もゼロから20%へと、大幅に上昇している。識字率や生存率も統計上有意な上昇を示している。
これらの要素から、木村教授はアマルティア・センの基準に基づいて、
M Kimura (2005), "Standards of Living in Colonial Korea: Did the Masses Become Worse Off or Better Off Under Japanese Rule?", Journal of Economic History.
http://www.jstor.org/stable/2122408
日本は英国なんかよりもずっとましな植民地経営をしたというのが、歴史修正主義や排外主義の立場の人の言い分ですね。
しかし香港やシンガポールは英国の植民地でしたが、素晴らしく発展していますよね。
この点については、Reynolds (1983)の論文が参考になるだろう(著者はイェール大学教授、収録されたジャーナルJournal of Economic Literatureは一流誌)。彼はまず世界中の植民地政策は国によって大きく異なることを指摘した上で、まず日本に言及し、『日本は、自国にあっても植民地においても、いつも経済成長重視の政策を貫いていた。そして日本の統治が朝鮮と台湾の急速な経済成長のきっかけとなったことは明らかである。フィリピンも、アメリカの統治開始以降高度成長を達成している。またイギリスも概して経済成長志向であったが、イギリスは当地の殖民政府へと権限を大きく委譲する傾向があったため、各地の為政者次第でまるで政策が異なる。』イギリスの植民地経営が悪い見本だったと言う主張は、少なくとも私は見たことがない(ミャンマーについては、かなり悪い例に入ると思うが)。一方で、Reynolds教授が「失敗国家メーカー」の烙印を押したのは、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダ、そしてポルトガル。アフリカとかでにっちもさっちも行かなくなっている国は大体この辺の国々が荒らし回っている。ちなみに今大変なことになっているハイチの宗主国はフランスである。
http://www.jstor.org/stable/2724912
あの国は自業自得だというなら、逆に韓国の発展は韓国人の努力の賜物だとも言えますよね。
まあ経済発展の要因はいろいろありますから、単純には言えませんね。
教育の普及やインフラ整備はたいていの植民地に施されていますから、日本が特に特別な恩恵を残したとまでは言えないと思いますよ。
後段については上で説明したので繰り返さない。1点のみ付け加えると、前のエントリーで引用したCumings教授は、日本の統治下で朝鮮の鉄道網はアジア最高(日本を除く)のレベルにまで整備されたことを指摘している。
前段については、「北朝鮮が経済成長に失敗したのだから、日本の統治はたいした影響がなかった」という議論はやはり無理がある。韓国の経済成長が韓国人自身の努力の賜物であることは自明だが、努力だけでは補えない経験や技術、各種インフラ、教育制度、官僚機構などを日本の植民地経営がもたらした、というのが前回のエントリーで紹介した「学界のコンセンサス」なのだ。もしそれを「経済成長の必要条件であった(十分条件ではないのは北朝鮮の例から明らか)」と言い換えることが出来るなら、やはり日本の植民地政策は韓国にとって有益であったと言うことは出来ると思う。
最近、狂気的な殺人ってなくね。ニュースとかやべーって奴そういうのみないじゃん。
加藤とか市橋って狂気じゃないよね。単なるダダコネだもん。すねて飯食わないとか聞いて腹抱えて笑ったよ。
殺人件数が過去最低らしいけど、そんな気がするよね。なんかめちゃくちゃ平和じゃね。
だから、ニュースで政治ばっかに目が向くのよ。景気悪いし、そんくらいしかないのよ。
じめじめとした平和って感じ。
なんか「平坦な戦場でぼくらが生き延びること」とか「終わりなき日常を生きろ」とかのクリシェっぽいな。
もうそんなんでもない。それすらあほらしい。
自民党の綱領がくだらないもんだったのでちょっと話題になったみたいだけど、しょうがないのよ。
こういう雰囲気なんだもん。内向きになるしかないよね。そしてちょっとの排外主義。
で、民主もこんな感じでしょ。笑っちゃうよね。
つーか、今なら上手くやれば独裁者になれる気がするのよ。本気でなりたいんだったら。
グダグダでじめじめしてて、うってつけの感じするよ。やろうと思えば。
政権交代で得た教訓は、思ったより今の政治家頭良くないってことと、ドロドロした世界ってのが意外にも本当にあんのかもなってこと。
なんか面倒な世界なんだなって感じでしょ。
俺他力本願だからさ、頭良い人に変えて欲しいと思うけど、頭いい奴が今官僚なるか?政治家目指すか?
糸井重里が「今コピーライター目指す奴はコピーライターに向いてない」って数年前言ってたけど、そんな感じがするよ。
やっぱ海外行った方がいいかもね。
でも、いつか戻ってきてね。
とか言って、その時俺もいないかもだけど。それってなんか悲しいけど。
ekkenを責めている増田は福耳先生を助けてあげて。はてサに殺人予告されている。http://b.hatena.ne.jp/toled/20090208#bookmark-12013040
下のコピペが詳しい。
はてサ三大巨頭に質問
id:hokusyuさんは、いっつも差別と戦う責任がどうのとかいってるけど、要するに自分は何やってんの?
http://h.hatena.ne.jp/hokusyu/9258649461275237978
こんなAA書いてりゃOK?
id:mojimojiさんは、私生活を犠牲にしてがんばってる人(いしけり先生みたいな人?)について「一般論としては、それはどうか、とは思う。」って書いてるけど、
http://www.mojimoji.org/blog/0213
やっぱりブログで排外主義反対って書くぐらいでやめとけってこと?
id:Apemanさんは、この質問には答えないの?答えられない場合はスルーなの?
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20091016/1255671464
:ピック toledさんはhokusyuに削除依頼をした人を捕まえて「ごみのようなメンヘル。ナチスに処分させるべき。」といいましたけどねhttp://b.hatena.ne.jp/toled/20090208#bookmark-12013040
なんで暴力を振るった在特会をクズと読んだ彼がナチのSSだのスターリンの秘密警察呼ばわりされるんですか?
:Apeman ///toledさんはhokusyuに削除依頼をした人を捕まえて「ごみのようなメンヘル。ナチスに処分させるべき。」といいましたけどねhttp://b.hatena.ne.jp/toled/20090208#bookmark-12013040
文脈をふまえろ、と。
:ピック どう見ても文脈云々では擁護できないぐらい酷い表現だったのでそう書いたまで。
それなら、それでは削除依頼を出した福耳騒動の文脈と、精神病患者や障がい者に対してナチスがした事の史実をふまえたうえで、id:toledの
「人格が歪みまくってるなー。生まれてくるべきじゃなかったよ。死ねば? 人類にとってマイナスでしかない。なんでそんな人格攻撃するんだよ。人格攻撃する奴の人格は最低最悪。品性下劣。しかもバカ。会えばわかる。」
を擁護してみなさいよ。南京大虐殺を論証し(言っておくけど貴方のこの仕事に限れば私は敬意を抱いているよ)
ヘイト規制を声高に主張している普段の態度との矛盾を来さないように。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ^^ 面白いからコピペしたよ!! はてサのみんなぁ、見てる~~^^?(オタアイドル風に) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091101145506
元のエントリ
id:hokusyuさんは、いっつも差別と戦う責任がどうのとかいってるけど、要するに自分は何やってんの?
http://h.hatena.ne.jp/hokusyu/9258649461275237978
こんなAA書いてりゃOK?
id:mojimojiさんは、私生活を犠牲にしてがんばってる人(いしけり先生みたいな人?)について「一般論としては、それはどうか、とは思う。」って書いてるけど、
http://www.mojimoji.org/blog/0213
やっぱりブログで排外主義反対って書くぐらいでやめとけってこと?
id:Apemanさんは、この質問には答えないの?答えられない場合はスルーなの?
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20091016/1255671464
:ピック toledさんはhokusyuに削除依頼をした人を捕まえて「ごみのようなメンヘル。ナチスに処分させるべき。」といいましたけどねhttp://b.hatena.ne.jp/toled/20090208#bookmark-12013040
なんで暴力を振るった在特会をクズと読んだ彼がナチのSSだのスターリンの秘密警察呼ばわりされるんですか?
:Apeman ///toledさんはhokusyuに削除依頼をした人を捕まえて「ごみのようなメンヘル。ナチスに処分させるべき。」といいましたけどねhttp://b.hatena.ne.jp/toled/20090208#bookmark-12013040
文脈をふまえろ、と。
:ピック どう見ても文脈云々では擁護できないぐらい酷い表現だったのでそう書いたまで。
それなら、それでは削除依頼を出した福耳騒動の文脈と、精神病患者や障がい者に対してナチスがした事の史実をふまえたうえで、id:toledの
「人格が歪みまくってるなー。生まれてくるべきじゃなかったよ。死ねば? 人類にとってマイナスでしかない。なんでそんな人格攻撃するんだよ。人格攻撃する奴の人格は最低最悪。品性下劣。しかもバカ。会えばわかる。」
を擁護してみなさいよ。南京大虐殺を論証し(言っておくけど貴方のこの仕事に限れば私は敬意を抱いているよ)
ヘイト規制を声高に主張している普段の態度との矛盾を来さないように。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ^^ 面白いからコピペしたよ!! はてサのみんなぁ、見てる~~^^?(オタアイドル風に) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091101145506
id:hokusyuさんは、いっつも差別と戦う責任がどうのとかいってるけど、要するに自分は何やってんの?
http://h.hatena.ne.jp/hokusyu/9258649461275237978
こんなAA書いてりゃOK?
AA以外にもいろいろ長文かいてるだろ。AAだけ取り上げるのはミスリード。
id:mojimojiさんは、私生活を犠牲にしてがんばってる人(いしけり先生みたいな人?)について「一般論としては、それはどうか、とは思う。」って書いてるけど、
http://www.mojimoji.org/blog/0213
一般人はそれでいいだろ。一億人全員が一斉にデモとかしたら大変なことになる。
それに個々人を守るための運動なんだから犠牲を求めるのが行きすぎというのは当然。
弁護士として職業でやる行為を私生活を犠牲と捉えるのもおかしい。
を擁護してみなさいよ。南京大虐殺を論証し(言っておくけど貴方のこの仕事に限れば私は敬意を抱いているよ)
ヘイト規制を声高に主張している普段の態度との矛盾を来さないように。
正しい暴力もあると普段から言ってるんだから普段の態度と矛盾なんかないだろ。
id:hokusyuさんは、いっつも差別と戦う責任がどうのとかいってるけど、要するに自分は何やってんの?
http://h.hatena.ne.jp/hokusyu/9258649461275237978
こんなAA書いてりゃOK?
id:mojimojiさんは、私生活を犠牲にしてがんばってる人(いしけり先生みたいな人?)について「一般論としては、それはどうか、とは思う。」って書いてるけど、
http://www.mojimoji.org/blog/0213
やっぱりブログで排外主義反対って書くぐらいでやめとけってこと?
id:Apemanさんは、この質問には答えないの?答えられない場合はスルーなの?
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20091016/1255671464
:ピック toledさんはhokusyuに削除依頼をした人を捕まえて「ごみのようなメンヘル。ナチスに処分させるべき。」といいましたけどねhttp://b.hatena.ne.jp/toled/20090208#bookmark-12013040
なんで暴力を振るった在特会をクズと読んだ彼がナチのSSだのスターリンの秘密警察呼ばわりされるんですか?
:Apeman ///toledさんはhokusyuに削除依頼をした人を捕まえて「ごみのようなメンヘル。ナチスに処分させるべき。」といいましたけどねhttp://b.hatena.ne.jp/toled/20090208#bookmark-12013040
文脈をふまえろ、と。
:ピック どう見ても文脈云々では擁護できないぐらい酷い表現だったのでそう書いたまで。
それなら、それでは削除依頼を出した福耳騒動の文脈と、精神病患者や障がい者に対してナチスがした事の史実をふまえたうえで、id:toledの
「人格が歪みまくってるなー。生まれてくるべきじゃなかったよ。死ねば? 人類にとってマイナスでしかない。なんでそんな人格攻撃するんだよ。人格攻撃する奴の人格は最低最悪。品性下劣。しかもバカ。会えばわかる。」
を擁護してみなさいよ。南京大虐殺を論証し(言っておくけど貴方のこの仕事に限れば私は敬意を抱いているよ)
ヘイト規制を声高に主張している普段の態度との矛盾を来さないように。
たくさんブクマがついてるのは知っていたが、無視してたんだが、読んでみりゃあくっだらない話。
http://d.hatena.ne.jp/harutabe/20091012/1255348374
http://d.hatena.ne.jp/harutabe/20091015/1255541833
http://d.hatena.ne.jp/harutabe/20091017/1255761383
ようは、手を出したら出した方が負けってことだけでしょ。それ以上のことは id:harutabeさんは言っとらんだろう。
id:mojimojiにしても、id:hokusyuにしても、あいつらバカなんじゃないか。彼らが言いたいことはid:T-3donさんのコメントが、よく言い当ててると思ったんだが、
mojimojiさんやhokusyuさんのエントリーは、排外主義や差別に際して「法に反してないから」「直接的な暴力に及んでいないから」それは暴力ではないと目を背ける人々に向かって、「いやそれは立派な暴力だから」と断じ問題に直視させる意図があるように思います。
http://d.hatena.ne.jp/harutabe/20091012/1255348374
それは、意見としては分かるんだよ。文脈を無視してここだけ抜き出せばね。
でも、排外主義そのものの暴力性と、実際に暴力をふるうこととは次元が違うのは当たり前の事だ。
人間には思想の自由、内面の自由があるよ。たとえ排外主義であっても、心のうちでそういう思想をもっていること、そういう内面そのものは誰にも否定できないよ。当たり前のことじゃないか。もし排外主義は暴力的だからいけないといってそれを否定する、そういう思想さえもつなというというなら、それはどんな独裁国家なんだろって話。
ただ、議論にできるとすれば、その排外主義を「表現する自由」がどこまであるかどうかという話。これは社会や国によって事情が違うでしょう。でも、id:mojimojiがいうような一方的な議論は成立しやせんよ、そりゃ。あんな議論が成立するなら、もしも左翼の思想なり議論なりが社会の根本にかかわって危険だとなったとき、「みんなで左翼を叩きましょう」なんて運動になりますわ。そういう正当化の根拠を与えようとしている、だからバカだと言うんだ。
手を出された時に警察は何をしてるんだというのは当たり前の話だ。そりゃid:harutabeもid:mojimojiもid:hokusyuも、みな社会に生きていて、その構成員である以上、法に縛られるのは当たり前の話であって、原則論を言えば実力として手を出したなら罰せられるべきなのは当然だ。もちろん、建前としてはね。でも、法としてどう運用されるかは、別。そこらの小さいもめごとでいちいち暴力だと言って警察を呼びたてるほどのものでなければ、無視されるのもそれは当たり前。そこには右も左もない。
そこを屁理屈こねて自由民主主義がとか2たす3がとか言うんじゃないよ。欧州の国でヘイトスピーチ規制があるのは、法として規制されてるんであって、それは社会の合意でしょう。排外主義者によるヘイトスピーチが本当に認められないと考えるなら、法によって社会的に規制する以外手がないのが現実だ。それを、国家権力に頼るのはいやだから、自分たちで何とかしようって話にしてるだけ。馬鹿馬鹿しい限り。