はてなキーワード: 我孫子とは
https://togetter.com/li/1353321
Aの身長は150cm
Bの身長は155cm
Cの身長は160cm
Dの身長は165cm
この5人の中で、Cの次に背が高い人は?
これ
②「配列Aの中で、Xの値の次に{大きい/小さい/次に来るもの}は?」
の2通りの解釈で迷ってる人が多いんだろうが、今どちらも①はねーぞ
・「素数」は条件たり得ているが、「大きな」と言ってるから②である
だから答えはBと7
例えば、以下のようにすると①足り得る
Aの身長は150cm
Bの身長は151cm
Cの身長は180cm
Dの身長は185cm
Eの身長は190cm
平均身長:160cm
この5人の中で、Cの次に「平均身長より大きい人」は?
これは答えはD
「平均身長より大きい人」は大小ではなく、条件であるから②ではない
答えは13
「5より大きい素数」は大小ではなく、条件であるから②ではない
答え割れるよね〜じゃねーよ
ちなみに、①は「前の」と言えるが②は「前の」とは言わない
ex:「次に大きい人」「前に大きい人」
_____
取手、天王台、我孫子、北柏、柏、南柏、北小金、新松戸、馬橋、北松戸、松戸、金町、亀有、綾瀬、北千住、・・・
と停まる
このうち特快が停まるのは
1 北千住
2 金町
3 柏
常磐線沿線から、内房の方に結構な大荷物で出かけることがあるんだけど、とにかく千葉に出るまでが超面倒。
武蔵野線は千代田線に乗り換えないといけないし、西船橋は黄色い帯の電車しか止まらないと来ているし、そもそも蘇我行きなんてあったっけ?だいたい東京行き?あとディズニーの行き帰りで混む時間帯もあるし。
東武線は私鉄なので切符買い替えが…(長旅ではSuica使わない人)
東京まで行って総武線か京葉線って、それ地下何階?てか何百メートル歩けばいいの?
何より大きな駅に大荷物で行くと、長い距離を歩かされるわ、エレベータ探してウロウロウロウロさせられるわで、そもそも大きな駅が苦手だ。
というわけで我孫子から成田線で成田に出て、そこで総武線乗り換えというルートで行くので、移動だけで壮絶に疲れてしまう。
そしてこの話をすると、聞いた人全員から
「なんでそんな遠回りすんの?」
と返されて釈然としない。
ブコメであげられてるタイトルがことごとくマニア視点だったので、ミステリに馴染みがなくても面白いと思えるんじゃないかなーってタイトルをつらつら。
定番ばかりです。
またいわゆる「日常の謎」ってくくりに入る話も多いので、元記事で苦手な要因とされてた「ミステリの定型」からは割と離れています。
アニメ化もされてて別の意味のマニア受けもあったりするけど、そんだけ物語性が強いってことだと思う。
で、この日常の謎ってジャンルは、普通の生活の中の違和感から話が転がっていって人の業にたどり着くなんてことが多く(もちろんそんなのばっかりではなく、かるーい話もあるよ)、またそれが唯一絶対の解とはされていなかったりするので、他ジャンルの小説をよく読む人なら面白がれる確率高いんじゃないかなと思います。
我孫子といえば「殺戮にいたる病」ばっかり話題にあがりがちだけど、あれはトリックもすごいけどグロもなかなかのものだからね…。
殺人も起こったりするけど、基本なんかゆるいです。ほんわかしてる。
探偵役は腹話術の人形なんだけど、こいつを操ってる腹話術師は人形がないとまともにしゃべれない。
で、主人公の視点は女性なんだけど、彼女と腹話術師と人形の関係が少しずつ発展してくのが見所。
で、こういうゆるい雰囲気が好きだったら「ユーモアミステリ」でぐぐると幸せになれるかも。
最近なら東川篤哉がよく挙げられるね。個人的には「謎解きはディナーのあとで」よりは、「密室の鍵貸します」から始まる烏賊川市シリーズがおすすめ。
この短編集は事件の真相よりも、事件を起こした理由を通して人が秘めたものを炙り出すことが主眼になってる。
これから広げるなら「ホワイダニット」になるかなと思ったけどくくりが広くて「定型」に当たる確率が高すぎるかなー。
元記事書いた人だけでなく、ブコメでミステリ苦手って言ってた人にも興味持ってもらえたら嬉しいな、みたいな気分です。
(初心者に勧める定番?イニシエーションラブは、あれはマニア向けの本だと思ってるので敢えてあげなかった。恋愛小説よく読んでるなら、途中で投げ出しかねない描写の陳腐さにも定評があるのでな)
3)2に加えて吉祥寺などは都会に含む――上京者。過去を振り切るように田舎者弾圧をする。
4)2に加えて銀座有楽町からお台場あたりのウォーターフロントは都会――トレンディドラマの亡霊。月9好き。
6)5に加えて浅草中心史観――急進的江戸教徒。隅田川文化を喧伝して上京者に優しくすることで優越感を得る。
7)環八の内側は都心部――マイホーム購入族及びその末裔。いいようのない不安感にさいなまれている。
8)山手線に1時間で接続できるのは首都圏――大宮や赤羽、我孫子などをふくむ。若年層は地元アイデンティティが薄く自分を首都圏民という奇妙な生き物だとみなす。
9)帝都北方の武――具体的には北区と足立区の住民。武力と都会度の区別がついていない。
a)地方の大都会で疲弊してる人お疲れやす――京都民。東京方面に住んでいるやつはみんな坂東の田舎侍。馬でも育ててるんだっけ?
バイクでGhettoに通っていたので酒は飲んでいなかったが
プロジェクトがとりあえず納品されて力つきた。
すぐに山口に帰った。
前歯を抜いてそれでもダメで、でもたまぁに痛みから解放される時間があって
その瞬間はとてつもなく幸せだった。
すぐ慣れちゃうんだろうけど。
2年前かな復職したが、すっかりハプバーの住人になっていて
睡眠薬とお酒を飲むとハイになって出かけては、あびるように酒をのみ
翌日休んでいた。
我孫子にかよっていた時は久々にプログラムがかけて楽しかった。
週末はハプバーで朝までのんで日曜はドロのように眠り、月曜会社に
通っていた。
1年前に出禁になるが酒がのみたい。ハプバーのようなインスタなセックス
と会話を求めたが、それに変わるものもなく、ガールズバーだのキャバクラ
などで何十万か使った。
鎖骨が折れて、くっつけて、でまた離れて。。
で膝を骨折してもうて、もうなんだか焼けぼっくりだった。
でまあ膝も治って、よし運動だぁ。とスケボーに乗って出かけるも
そこは歌舞伎町。見事なまでに記憶をなくし、うん万円がなくなっていった。
病気ですね。
哲もゲマもおかしかったが、あっちでシポしポやってりゃよかったかなぁ。
でまぁ、1年ぐらい英語でエッサホイサ仕事しる間に10キロ太っていた。
産業医面談は毎回苦痛だったが、体重計に乗るたびにビビってた。
昼飯食べて、よるも酒となんか食って、運動もしないからそりゃあ太るさね。
なんでかかんでか、大東田町にぶっ飛んだ。
ドロドロプロジェクトには覇気がなく、ひっそりしてれば、何もしなくてよかったので
ひっそりしていたのだが、大将に上手く踊らされた。
これは良くないですね。
頭もめっきり回らない。当たり前ですね。
なので、酒ダメ・ゼッタイと思っているのだが、週末はもう何も用事がなくて昼から
酒。で下痢。
体が摩耗していった。
大将の旗振りで頑張って走ってみたけど、摩耗した体は風呂はおろか洗濯さえも
めんどくさくなるほど。
でガラシさんがやってきて、これがダメだ。
まぁ勉強がんばってるのは分かるが、長い。
もう。厳しいと思ってまた休んだ。
休んだ最初の週に酒のんで、もう飲まない。と思ってまた飲んで。
まぁアル中だったのですね。
そういうのなくなるともう、酒。
で昨日も飲んでもうて、寝ようとおもって眠剤のんだら、なんだか
歌舞伎町へ。
夏にも同じようなことがあったなぁ。
もう死にたい。
今も酒が飲みたいが、なんとか我慢できている。
一日家にいても酒をのまずにいれるようになれば
気分が良い日もきっとくる。
それが出来たら、やっと前に進めるきがするのだ。
バイクでGhettoに通っていたので酒は飲んでいなかったが
プロジェクトがとりあえず納品されて力つきた。
すぐに山口に帰った。
前歯を抜いてそれでもダメで、でもたまぁに痛みから解放される時間があって
その瞬間はとてつもなく幸せだった。
すぐ慣れちゃうんだろうけど。
2年前かな復職したが、すっかりハプバーの住人になっていて
睡眠薬とお酒を飲むとハイになって出かけては、あびるように酒をのみ
翌日休んでいた。
我孫子にかよっていた時は久々にプログラムがかけて楽しかった。
週末はハプバーで朝までのんで日曜はドロのように眠り、月曜会社に
通っていた。
1年前に出禁になるが酒がのみたい。ハプバーのようなインスタなセックス
と会話を求めたが、それに変わるものもなく、ガールズバーだのキャバクラ
などで何十万か使った。
鎖骨が折れて、くっつけて、でまた離れて。。
で膝を骨折してもうて、もうなんだか焼けぼっくりだった。
でまあ膝も治って、よし運動だぁ。とスケボーに乗って出かけるも
そこは歌舞伎町。見事なまでに記憶をなくし、うん万円がなくなっていった。
病気ですね。
哲もゲマもおかしかったが、あっちでシポしポやってりゃよかったかなぁ。
でまぁ、1年ぐらい英語でエッサホイサ仕事しる間に10キロ太っていた。
産業医面談は毎回苦痛だったが、体重計に乗るたびにビビってた。
昼飯食べて、よるも酒となんか食って、運動もしないからそりゃあ太るさね。
なんでかかんでか、大東田町にぶっ飛んだ。
ドロドロプロジェクトには覇気がなく、ひっそりしてれば、何もしなくてよかったので
ひっそりしていたのだが、大将に上手く踊らされた。
これは良くないですね。
頭もめっきり回らない。当たり前ですね。
なので、酒ダメ・ゼッタイと思っているのだが、週末はもう何も用事がなくて昼から
酒。で下痢。
体が摩耗していった。
大将の旗振りで頑張って走ってみたけど、摩耗した体は風呂はおろか洗濯さえも
めんどくさくなるほど。
でガラシさんがやってきて、これがダメだ。
まぁ勉強がんばってるのは分かるが、長い。
もう。厳しいと思ってまた休んだ。
休んだ最初の週に酒のんで、もう飲まない。と思ってまた飲んで。
まぁアル中だったのですね。
そういうのなくなるともう、酒。
で昨日も飲んでもうて、寝ようとおもって眠剤のんだら、なんだか
歌舞伎町へ。
夏にも同じようなことがあったなぁ。
もう死にたい。
今も酒が飲みたいが、なんとか我慢できている。
一日家にいても酒をのまずにいれるようになれば
気分が良い日もきっとくる。
それが出来たら、やっと前に進めるきがするのだ。
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2014/04/23/093914
という文章について。
文章のはじめで「新本格ミステリってなんやねん、というひとを意識してる軽いもの」「ざっくり主観的に書きます」と逃げは打っていますが、単純な事実誤認があるのでコメントします。
この文章では
これらを読むと解るんですが、新本格とは「古典的な本格ミステリのコード(お約束、定番)を意識しながら現代風に書かれたミステリ」を指します。ですから何でもかんでも今のパズラーミステリを「新本格」と呼ぶのは誤用なんですね。
と書いています。
しかし引用している島田の文章は、1995年(ここ重要)に出た『本格ミステリー宣言II』に載っている「新本格の七則」というもの。
また「新本格宣言」と書いているのは、おそらく『本格ミステリー宣言』を指すのだと思いますが、これが出たのは1989年12月。
一方、一般に「新本格」という言葉が使われたのはそれよりも前、1988年に発表された綾辻行人の第2作『水車館の殺人』の帯の言葉
とされます。
とありますが、デビューはそれぞれ、綾辻87年、法月88年、有栖川89年。しかも有栖川有栖は東京創元社からのデビューです(「鮎川哲也と十三の謎」の一冊として)。
また『本格ミステリー宣言』の内容は、新本格の作家からも異議や反発する発言があったように記憶しています。
したがってそもそも島田荘司の言葉を引いて「新本格はこういうもの」と言うのはおかしいわけです。
80年代終わりの状況としては、講談社(おもに講談社ノベルズ)で、綾辻のデビューをきっかけとして本格を書く新人をデビューさせていくという流れがありました(京大勢の場合、書ける人を募ったところ法月と我孫子が手をあげた)。
一方、東京創元社で海外ミステリだけでなく日本人作家も扱うようになり、その手始めに日本探偵小説全集が編まれて(デビュー前の北村薫が実質的な選者、出版は1984年~1996年)、叢書「鮎川哲也と十三の謎」(1988年~1989年)、鮎川哲也賞(1990年~)、『創元推理』(1992年~)という流れがありました。
こうした同時代的な流れに与えられた名称が「新本格ムーブメント」だったので、
『メフィスト』「メフィスト賞」にしても宇山秀雄(宇山日出臣)の立ち上げたもので、少なくとも出発点としては明白に新本格でしょう。京極夏彦、森博嗣、清涼院流水などはデビュー当時はっきりと(良くも悪くも)新本格作家とみなされていましたし。
京極夏彦は、講談社に原稿を送ったのは講談社ノベルズで新本格を読んでいたから、というような発言もしていたはずです。『姑獲鳥の夏』裏表紙の推薦文が綾辻、法月、竹本健治という時点で(※当時(今も?)竹本は新本格に属する作家と見られていた)、自身を新本格作家だと思っていたかどうかはともかく、デビュー初期において新本格の流れにのっていたという認識はあったでしょう。
怖い思いをしたからここに書いておこうと思う
あの日、俺は仕事帰りに近所のイオンで大学時代の友人をみつけた
こいつとは一年生の初めの頃よく一緒につるんでて、懐かしくなって声をかけた
はなしかけるとそいつは俺のことを見て、おー久しぶりだなーなんて言って、しばらく話をしていた
あれからどれだけの間話していたのか、夕方って事もあってかなり人が多くなってきた
たちどころに人が増えて、ちょっとした地方の通勤ラッシュ時みたいな人の密度になってきた
のんびりしてたら帰れなくなるかもなーなんて言ってたら、ますます人は増えて、ほとんど身動きができない状態になってきた
後ろをみても人が途切れる気配はないし、さすがにこれは酷いなんて思って、中のフードコートに移動しようと思って友人を見たら、3mくらい後ろに友人がもう一人いた
人間でぎゅうぎゅう詰めになっているのにもう一人の友人は涼しい顔でこっちをじっと見ていた
怖くなって、友人にそちらを向くようにいった
なんかおかしいと思って、俺は人をかき分けてやつの手を掴んで引っ張った
ドラマなんかだったらここで振り向くともう一人の友人はいなくなってるんだけど、やつはまだそこに存在してるんだ
友人の腕を引っ張ってもう一人の方に引っ張って連れて行ったんだけど、あいつは逃げることはなくそこにいつづけた
なんとか人をかき分けてやつの方に連れて行って、後ろを振り向いたらさっきまで土気色だった友人の顔は真っ青になって言うんだ
なんでお前がここにもにいるんだって
俺は友人が二人いることに驚いてこんなふうに頑張っているのに
昔から彼にはそういうところがあって、いつも俺が頑張ってお膳立てしてやるのを自分のわがままで台無しにするんだ
今回もそんなことだろうと思ってもう一人の我孫子を見ると、やつは呪死してはんぶんいじょういなくなってた
じゃあ俺が掴んでる我孫子はどうなってるんだと思って振り向くと、掴んでいたはずの友人も油と変わらなくなってて
まあ、どのくらいの数のミステリ読みがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「ミステリ読みではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、 その上で全く知らない新本格派の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アニメのことを紹介するために見せるべき10冊を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にミステリを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うシリーズものは避けたい。できれば一冊完結、長くても数冊のシリーズものにとどめたい。
あと、いくら基礎として本格派の知識が必要といっても古びを感じすぎるものは避けたい。古典好きが『Yの悲劇』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。そういう感じ。
彼女の設定は
ミステリはいわゆるNHKの「名探偵ホームズ」的なものを除けば、コナンの劇場版アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「メフィスト以前」を濃縮しきっていて、「メフィスト以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。S&Mシリーズとしてもぎりぎり10冊、四季シリーズとして考えれば残り4冊だし。
ただ、ここで密室談義全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「ミステリ読みが考える一般人に受け入れられそうな新本格派(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ミステリ読みとしてはこのシリーズは“青春もの”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のミステリ読みが持ってる安楽椅子ものへの憧憬と、我孫子竹丸のオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも我孫子竹丸らしくない
の二人をはじめとして、ミステリ読み好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「井上夢人だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。二人のコンビがその後続かなかったこと、「99%の誘拐」が実際の誘拐犯罪で参考とされたこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり新本格派はキャラクタあってこそだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「百鬼夜行」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける京極の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも分冊で各800ページ以上、っていう長さが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
宴の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが森や高田だったらきっちり400ページにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて分冊した上で各800ページも書いてしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ京極がそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で乱歩を読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。金田一耕助よりも前の段階で、江戸川の哲学とかトリック技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品がこの時代に書かれていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくミステリ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるコナンの劇場用アニメでしかミステリを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
横溝の「目」あるいは「話づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。「ミステリはやっぱり大量殺人だよね」的な感覚がミステリ読みには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ八つ墓村の結末は犯人自殺(のようなもの)以外ではあり得なかったとも思う。
「最低五人は殺さないとミステリとしては失格」というミステリ読みの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「ミステリ読みの気分」の源は八つ墓村にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。こういうばか風味のミステリをこういうかたちで小説化して、それが非ミステリ読みに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9冊まではあっさり決まったんだけど10冊目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
「すべてがFになる」から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のラノベの先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10冊目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
追記
最後のは「涼宮ハルヒの消失」にして欲しかった。
その通りですね。書き直しました。
crowdeer 綾辻入れなきゃ始まらない、絶対うーんと言わせたい/かと言って「軽く紹介」するものじゃないだろうしなぁ。
ほんとうは、横溝正史やら江戸川乱歩は新本格ではないので、代わりに入れればよかったんですが、
綾辻行人や有栖川はほとんど読んだことないので。にわかですいません。
wideangle 『F』もなんか違うよねえ、と思ってしまう。
やはり最初を綾辻にするべきだったのでしょうが、前述の通りということで。
買ったばかりのi-Phone(笑)を見せびらかすように車内で使い始めた。
「あ、携帯i-Phone(笑)に変えたから。デコメ(デコメール)とか受けらんねえから。」
とi-Phone(笑)を周囲に知らしめるように会話まで始めた。
周囲も気がつき始めたのかザワザワし始めた。
「i-Phone(笑)だよ、もう持ってるよスゲー!」
「私、生i-Phone(笑)見るの初めて!」
等の声に気を良くしたのか、指で操作するブラウザを得意げに使い始めた。
「i-Phone(笑)のブラウザスゲー!」
「i-Phone(笑)のタッチパネル、マジヤバくね!?」
もうみんながi-Phone(笑)に注目している。
すると周囲の一人が
「i-Phone(笑)のカメラ機能って凄いのかな?使いやすいのかな?」
「あ、それ知りたい!どうやって使うんだろう!?」
なんて話し始めたのでピザが得意になってi-Phone(笑)をカメラモードにして
向かいの座席の人に向けた。
すると向かいの席に座っていたヤクザが
次の駅で降りろや!顔貸せや!」
と怒鳴り、i-Phone(笑)を持ったピザは我孫子駅でヤクザに引きずり降ろされていた。
ヤクザとi-Phone(笑)を持ったピザが電車から降りると、
周囲の人達は何事もなかったように振舞っていた。