はてなキーワード: 情報処理とは
この記事を書いているのは法学部卒の人事畑なので、他の学問分野の学生に当てはまるかわからないけれど、殴り書きの私見。
仕事柄、学生が大学の課題をネットなどから盗用して単位取り消し、内定取り消しにあったという事例を直接的・間接的に目にする。
「大学での勉強の成果です!」と自主的にレポートの類を添付してくる学生もいるが、企業としては、文系学部の新卒採用内定者のレポート類の中身の良し悪しや学問的意義にあまり関心を持っていない。
たとえば、法学部では卒業論文が必修でないことも多いが、ゼミ論などで先行研究や根拠などを適切に要約して、現代的な課題に従来の理論で対応可能かを自説として検討してると採用側として好感が持てる。他学部の学問でも同様だ。
しかし仮に自説に学問的・実務的な意義が見出せなくても、既出の情報を専門外の人間にもわかるように的確に要約しているだけでも情報処理能力の評価材料になる。
ところが、情報の出自が二次ソース・三次ソースだと学生・将来の社員候補の将来が不安になる。ソースWikipediaはもう見慣れたが、虚構新聞のようなネタサイトをソースにしているのには頭を抱える。しかもそれなりの大学なのに。。。
あと、実際問題、サークルで役職についていましたとかごく短期間の海外滞在などのアピールは聞き飽きた。学業以外のアピールポイントで面接官を唸らせるアピールができるのは本物の才能の持ち主だし、そういう人たちはおのずから成績もいい傾向にある。
さて前置きが長くなったけど、大学の課題で書くレポートのたぐいは「Wikipediaに載せても恥ずかしくないもの」を目標に書いて、教授らのチェックを通したのちに実際にWikipediaに記事として掲載してはどうだろうか。
「専門知を一般向けに過不足なくわかりやすく紹介する」というのは企業においても重要なことだと思うし、大学で得た学問的知見・教養を社会に還元するという意義もあると思う。
何はともあれ、大学生は学業が本業でそれ以外はプラスアルファであって、各企業の方針の違いはあれ、学業を重視する風潮が増えてきたように思える。
大学で少なくとも4年間学業に励んできたなら、Wikipediaに掲載して恥ずかしくない文章を書けるようにはなってほしいものだ。そしてそれは社会人になっても役に立つと私は思う。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20151101-00051024/
読んだ。
伊藤弁護士もそうだが、それに絡んでる人間がよりクソなのでどっちにも関わりたくない。
現行法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律、略して「児童買春・児童ポルノ禁止法)では児童ポルノは以下のように定義されています。
第2条3
この法律において「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。
一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの
この「三」というのがいわゆる3号ポルノと言われるもので、児童ポルノの範囲を拡大しました。しかし、現実には「着エロ」と言われるビデオが広範に流通していますが、3号ポルノに該当すると思われるのに、規制が十分ではありません。
「現実の18未満の女性」を巻き込んでいるのに規制対象にならずに流通しているビデオがある、ということですよね。
三号ポルノ問題に関しては、そもそも法の筋が悪いので全面的に変えた方がいいんじゃね?という話を別の弁護士の方がされていた気がする(という話があるのを伊藤弁護士が知らないのかちょっと気になる)
これは別途議論されなければいけないんだけれど、ここまでまじめにチェックしてる人がそもそも少数だと思う。
私は児童ポルノについてだけお話しし、「漫画やアニメの規制はどう思うか」と聞かれたので、「日弁連は規制に反対しています」ということを紹介しました。
明日、来日中の国連の児童ポルノ・児童買春に関する特別報告者とおあいする予定。この秋葉原の街は未だに、児童ポルノと児童買春にあふれています。警察はなぜあからさまな児童ポルノを野放しにしているのか疑問。国連から厳しい報告書を出してもらうよう、明日はしっかりプレゼンするつもりです♪
このツイートで伊藤和子さんが意図したのは「現実には「着エロ」と言われるビデオが広範に流通していますが、3号ポルノに該当すると思われるのに、規制が十分ではありません」という話であって、二次オタ規制の話などしてないと思うのだが。
仮に内面で伊藤和子が二次ヲタへの嫌悪を抱いていたとしても、こちらの対応としては「これは三号ポルノの話で、今回は二次元コンテンツには関係ありませんよね」と聞いて、向こうがアッハイと言えば、問題なかったと思うんだよね。
後は「三号ポルノはどのくらいの数確認されたのですか?」と聞けばよかった。そして、その数がそれほど多くなかったのであれば、「児童ポルノと児童買春にあふれています」という表現は言いすぎですよね、秋葉原に対して失礼ですよ、といえば穏やかに訂正できていたかもしれない。
だが実際には秋葉原や二次元オタの被害者意識が強すぎて話がだいぶこじれてしまった。
ブコメのコメントたちもマウンティング思考が非常に強く嫌悪感を感じる。
狐アイコンのおじさん、この手の話題以外では面白い記事を書く人だが、フェミの話題になった瞬間
毎回毎回狂ったようにフェミのひとたちを殴りに行くので家庭でDV的なことをやらかしてないかが心配になるレベル。
自分が女性だったらこの人とだけは結婚してはいけないなと思う。
言ってる事は解らないでもないんだけど、井藤氏が秋葉原を問題視する理由がよくわからない。その手のビデオは新宿でも売ってるわけで、秋葉原限定の問題ではないような
いやちゃんと摘発されてるのを「野放し」と秋葉原を名指しで言ったことが疑問なわけですよ。背景にマンガやアニメの表現規制を実施する意図があるのではないかと疑うのが当然でしょうこれは。
秋葉原在住の弁護士なんだから自分の活動拠点である秋葉原の問題にフォーカスしてついて述べているだけだと思います。
とはいっても秋葉原について言及することのデリケートさについて若干甘えがあったのは事実かなと思いますが。
まさかヤフーの記事だけで事足りると思っているのなら、臭いものに蓋をしようとしてより火に油を注いでしまっている。
冷静に話し合う気がなくて、相手をただ殴って黙らせよう殺そうとしている二次オタの方がより恐ろしいが
自分の発言に責任を持たない伊藤和子さんもあまり真剣に耳を傾ける人ではないと感じる。
どっちもクソ過ぎて近寄りたくない。
全然言いたいことが伝わってないアホが何人かブクマで喚いているのでもうちょっとだけ補足する。
まずこれだけわかりやすくどっちもどっちだと書いてるのに伊藤弁護士擁護だと思ってるやつは、自分に100%味方しないやつは敵だと思ってんのか。かんべんしてくれ。
俺はどっち側も事実ないがしろにして言葉遊びばっかりやってるのがアホらしいって書いてるんだよ。なんでわからんのかな。さすがにいらつく。
事実以外を焦点にして、相手がこういうやつだとレッテルを張り合ったり印象批判で戦い方はまったく無駄にしか感じないんだよ。
今回で言えば両者が、「三号ポルノに該当するのに規制が不十分な対象」がどれほどあるのか、という事実を核として戦うべきだろう。
ここ明らかにしないかぎりなんどでも役者を変えて同じような問題が何度でも蒸し返されるのだから、気に入らないやつをみんなで叩いてすっきり、問題解決なんてことにはならない。
ああいう発言を言った言わないだの、ましてその発言によってこいつはなんとか主義者だというレッテル貼りは「お前がそう思うんならそうなんだろうな」でしかない。
そういう無駄なことはアホと暇人がやっていればよいのであって、公に発信している人間はまじめに取り合ってはいけない。
伊藤弁護士に絡んでるやつらがそういう戦い方を知らないバカの集まりなのはまだわかる。
しかし伊藤弁護士側が、バカと戦い方をしているのは全く理解に苦しむ。なので今回の件に関してはどちらかというと伊藤弁護士側の言い分に疑いを持っている。
しかし詳細は調べるつもりもないが
某芋屋とかジュニアアイドルのソフトを専門に扱う店の存在やJKビジネスにおけるアキバでの摘発例といった“事実”を見てみぬふりして「フェミニストの捏造」にしたい人がたくさんいるってこと。 / “秋葉原における児童ポルノの問題、両陣営…” https://t.co/OEN3iQv4Yd— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) 2015, 11月 1
こういう話があるようだ。伊藤弁護士側の人間も、叩いている人間もちょっと調べたらいかがか。
というより、この董卓さんが記事でも書けば済む話であり、アホが群がってギャーギャー騒いでいるのも、伊藤弁護士のすっとぼけた討論もどちらもクソすぎて近寄りたくない。
『右の義手も、左の人造の目を隠す様に伸びた前髪の下にかけている、一見ただの眼鏡にしか見えない処理端末装填済み縁なし眼鏡も異常なし。』
右の義手も⇒異常なし
かけている⇒眼鏡
右の義手も⇒かけている
左の人造の目を⇒かけている
と読めてしまう(全体を読めばコンテクストを理解し把握できるが、読みづらい。thatが四回出てくる英文みたいです)
隠す様に⇒伸びた前髪
なのか
隠す様に⇒かけている
なのか分からない。
『前髪は左の人造の目を隠す様に伸びている。その下に、一見ただの眼鏡にしか見えない処理端末装填済み縁なし眼鏡をかけている。右の義手にも、眼鏡にも異常なし。』
『前髪は左の人造の目を隠す様に伸びている。その下は一見ただの縁なし眼鏡だが処理端末装填済み。右の義手にも、眼鏡にも異常なし。』
『カーチャンスレィは風に乱れた髪を右の義手で押さえて直す。左の人造の目を隠した。縁なし眼鏡に表示された眼鏡自身のステータスと、接続された義手のステータスを確認。異常なし。』
こうすると眼鏡に情報処理端末が装填されていることが行動の中で明らかになる。
かかる語と受ける語は近づける『http://www006.upp.so-net.ne.jp/inamoto/writing/kumitatekata/kakari_chikadukeru.html』
一例。
『右の義手も、左の人造の目を隠す様に伸びた前髪の下にかけている、一見ただの眼鏡にしか見えない処理端末装填済み縁なし眼鏡も異常なし。』
正しくは
右の義手も⇒異常なし
かけている⇒眼鏡
だが、この文章では
右の義手も⇒かけている
左の人造の目を⇒かけている
と読めてしまう(全体を読めばコンテクストを理解し把握できるが、読みづらい。thatが四回出てくる英文みたいです)
また
隠す様に⇒伸びた前髪
なのか
隠す様に⇒かけている
なのか分からない。
コレを直すと
『前髪は左の人造の目を隠す様に伸びている。その下に、一見ただの眼鏡にしか見えない処理端末装填済み縁なし眼鏡をかけている。右の義手にも、眼鏡にも異常なし。』
『前髪は左の人造の目を隠す様に伸びている。その下は一見ただの縁なし眼鏡だが処理端末装填済み。右の義手にも、眼鏡にも異常なし。』
また、小説なのでただ説明するのではなく、行動を通して説明してみます。(このあたりは好みかも)
『カーチャンスレィは風に乱れた髪を右の義手で押さえて直す。左の人造の目を隠した。縁なし眼鏡に表示された眼鏡自身のステータスと、接続された義手のステータスを確認。異常なし。』
こうすると眼鏡に情報処理端末が装填されていることが行動の中で明らかになる。
参考
かかる語と受ける語は近づける『http://www006.upp.so-net.ne.jp/inamoto/writing/kumitatekata/kakari_chikadukeru.html』
http://anond.hatelabo.jp/20150816093352
おススメプランは、
髪、服、靴、鞄等、身だしなみに気を付けること。正社員に負けないように。
挨拶、姿勢なんかも気を付ける。※学歴や職歴は見えないので、見えるところで勝負するのです。
ライン作業、フォークリフト作業、運転手、ガードマンみたいなのはその後広がりが難しいので避ける方が無難です。
フェイズ② 社会人になる。(3~5年) 仮年齢33歳~36~38歳
中小企業のパートか正社員に応募し、採用になる。ハロワにもたくさんあります。
中小でビジネスとしては回っているのに本当に人手がなくて廃業の危機の会社沢山あります。
ここで3,4年仕事をして職歴を作ります。30台前半で当座の受け答えがハキハキキビキビしていれば
バイトでも正社員で来てくれよ、っていう話になることが多いです。手取りはカツカツになりますが仕方ありません。
現場で必要な技術を身に付け、必要な資格があればとっておくと吉です。配管溶接とか電気工事士2種とか情報処理○○とか
そこで一人前の仕事をできるようになるのが目標です。中小は人材がいないので、仕事が振られるチャンスは多いです。
社長に娘さんがいれば嫁にもらい、そのまま社長のあとを継ぐのもありかもしれません。30台で健康でキビキビハキハキしていれば
そういう話になることもあるようですよ。
一部上場に中途採用に応募します。リクルートとかの仲介会社を利用すると良いです。
一部上場では、実は実務は下請け会社がやっていて本社は管理だけしているような場合も多いです。
もし、フェイズ②の仕事が大手の下請けならそのまま大手の管理側に転職することができます。
管理するためには実務内容を知っていることが必要なのですが、大手ではその実務内容を知ることができないからです。
フェイズ②で作った職歴が財産ですので職歴表はしっかりと書きます。
「○○電気○○工場新設の配管施工で○○部分を担当/○○ビルリニューアル工事(元請○○)の配管施工で○○部分を担当」とかそんな感じで。
履歴書の空白期間の説明は何か考える必要がありますが、新卒採用じゃなく
現場のエキスパート採用なので何とかなります。家業があれば家業を手伝ってた、とか書けるので楽ですが。
情報処理には順位があり、例えば脳では触りたいと思っても、熱いものに触ると手を引っ込める。
これは脊髄反射が優先された例。
脊髄反射、延髄反射は、脳で考えた行動よりも優先されるが、脳内での情報処理にも順位づけはある。
オーディオマニアの中では長年の不思議だったそうだが、テレビの音はオーディオスペックのわりには良く聴こえすぎるという謎があった。
その答えは、映像が脳で音を補完しているということだそうだ。
鼻の神経は脳に直結しているし、眼球は脳の出張所のようなところだ。
聴覚情報が視覚情報に影響されるということは、脳の構造的にも頷ける。
体臭を気にしろというレベルのことではなく(実は、異性の体臭については好きという人もいるので難しい)たとえばこういうことだ。
好きな相手といればいい音楽に聴こえるし、嫌な相手といればいい音楽には聴こえない。
ライブハウスの空気(薄暗い視覚情報や、肌に伝わる空気の振動)は、演奏の上手い下手に関係なく気分を高揚させる。
一緒になにかを食べるとして、”臭いけど美味しいもの”と、”いい香りだけど不味いもの”だったら、後者のほうが受け入れられやすい。
なぜならば、嗅覚情報は味覚情報よりも優先されるので、“臭い”を許容して美味しいと感じてもらうためには、相当な慣れを要さねばならない。
他方、香りがよければ、甘い、塩っぱい、酸っぱい、苦いはかなり許容される。
一番犯しやすいミスは、”見た目はアレだが美味しい料理を出す店”や”見た目は不味そうだが美味しい料理”というチョイスである。
デートではまず見た目を重視すべきだ。
当たり前のようで、多くの男性はこれを間違える。
ヒトの本能行動はかなり少ないと言われている。
数少ない本能行動というと、全人類に共通するコミュニケーションが挙げられる。
たとえば、”目をみて頷く”という行動がある(実は、頷く前にわずかに眉を上げるという行動も含まれている)。これは全人類で共通とされている。
緊張すると早口になるとか、怒りや不快を示す時に低い声になるとか、下から睨むような目つきをするとか、これらも本能行動なのではないかと言われている。
目をみて、よく頷くこと。こんな単純なことだが、相手にコミュニケーションが円滑に進んでいるという安心感を与える。
決して怒りを露わにしないこと。怪訝に思っても睨みつけたりしない、これだけで相手の警戒は軽減される。
早口にならないこと。気持ちが浮ついていることは必ず悟られる。これさえ守れば、おどけた道化を装っても、落ち着いて構えていられる自信に満ちた男ということが相手に伝わる。
以上、ナンパ本やコールドリーディング本に足りないとおもったことなど。
続く、かもしれない
サイコキラーの心理分析チーム(FBIの行動分析課)を扱った題材だから、
そういうのが嫌いな人は無理だけど、毎回毎回こうきたかっていう事件の幅があってあんま飽きない。
キャラクターが魅力的だから、暗い題材だけど、なんか見てられる。
こいつの前にギデオンっていう超しぶいやつがいたんだけど、こんな殺人ドラマにもう出とうない!
ってギデオンの役者がやめちゃった後は、こいつがチームの長老ポジション。
アラブ系の顔してるのが踊りだしそうですごく最初は戸惑ったけど、こいつと殺人犯の心理戦は手に汗握る。
・デレクモーガン(男)
ただの脳筋野郎かと思いきや、意外と空気読めるし頭の回転も速いし情に熱い奴。
・アーロンホッチナー(男)
チームリーダー。いつもしぶい顔をしてるので、眉毛と目の間がすごく狭い。
途中の展開がヘビーすぎて、こいつ絶対立ち直れんでしょって思ったら
不死鳥の如くチームリーダーに舞い戻ってきた。ある意味一番タフガイ
イケメンで天才という高スペック。このチームはこいつの頭脳に大分依存してるんじゃねえのかって
くらいの知識の量や記憶力分析力を持っているが、一番の若手で若干空気が読めないので、扱いが雑。
頭のおかしい犯罪者から慕われたり、監禁されて薬中になりかけるという危険な目に合う不運な奴
・エミリープレンティス
前任者も好きだったけど、こいつは性格がさっぱりしてて個人的に好き。
凄惨な現場にいるのに「あらあら」ってな感じだ。基本的に感情がこもってない
喋り方だが、意外と冷静に周囲に気を配れる縁の下の力持ち。
・ジェニフアージャロウ
とにかく可愛い。美人。チームの花。気配りに長けているし可愛いし仕事ができる。
出産をしてから子どもの事件にさらに敏感になり冷静な判断ができてない感は否めない。
ちょい役だったはずなのにその可愛さにあまりに人気がでてチームに加わったラッキーガール。
元天才ハッカー。リード同様、チームはかなり彼女の情報処理能力に依存してる。
大阪のおばちゃん並にド派手でよく喋る明るい彼女だが、犯罪被害者のためのボランティアをこっそり
ちきりん化は誰にでもおきることだけれど、大抵の人は、ちきりんのレベルまで到達する前にその状態になってしまう。
稀にちきりんよりダサいブックマークの使い方を始めてしまう人もいるけれどどちらにせよ成長は止まってる。
一線級のウォッチャーであるわんこ紳士によると、ちきりん化を起こした人は、自分より上の人間にちょっかい出された時は次のどれかの処理を行う。
いち 「こんなすごいひとに声かけられました」という点だけ記憶に残って、武勇伝を語りだす
に たとえルパンの記事を書いて「會川 昇 (@nishi_ogi)」や「ゆうき まさみ (@masyuuki) 」にアニメのことでダメ出しされても
「あの人達がこんなにレベル低いとは思わなかった」という返しをする。
どう理由をつけようがやることは同じ。さん一択のちきりんは、得られる可能性をバッサリ切り捨てることで最も情報処理コストの低い選択をしている。
ちょっとザワついてると、至近距離でも言葉が聞き取れないのでなにかと同行者に不快な思いをさせてしまう。
発達障害由来だろうということで、自分で何とかしようと思ってもあまりできることがなさそうなので困っている。
先日も妻と二人でスーパーに買い物に行って商品を見て回りながら、妻がふと発した言葉がほぼ100%正確に聞き取れなかった。
さっぱり意味不明なら聞き直すし、それっぽいことが聞こえたときはオウム返しして合ってるかどうか確認して、なるべく誤解のない会話を心がけてるのだけど、
少しザワつきがひどいと2回目同じことを言ってもらっても注意してるのにやっぱり聞き取れなかったりする有様だった。
妻も私が耳からの情報処理能力に難があることは知っているけれど、何を言ってもずーっと聞き返しになってしまうので、
「2回も3回も言うほどのことじゃないし……」という感じで最後には会話することを諦めてしまったりするので申し訳がないし、私もさびしい。
正「よかったトウモロコシまだある」
誤「ウリとキウィやなあ」
正「割と小さいなあ」
誤「スイカのみ別やね」
正「スイカの季節やね」
誤「朝のパンにパニーニ?」
正「朝ごはんにパンいる?」
誤「ゴーヤチャンプルー苦かったマズイかな」
正「ゴーヤチャンプルーにはまだ早いかな」
誤「タマゴみつかった」
正「軟骨なかった」
誤「ワクテカッ」
正「肉でかっ」
誤「遠くまで草津 and 蓮」
正「豆腐はまだ二つあったはず」
正「納豆まだあるよね」
誤「サンドパン並に塩?」
正「晩御飯なににしよう」
誤「えばだでっちニュアってョ」
正「枝豆あっちに売ってたよ」
誤「Ready and Go?」
正「レジいくで」
なんかもう、一緒にいるだけでストレス溜まるだろうと思う。
ざわつき+不意打ちでかなり精度が落ちている感じがするので、「今から喋るよー」というときに肩でも叩いてもらえば注意や視線をそちらに向けられて多少認識率が上がりそうなものだけれど、
いちいち発言前につついてもらうというのは、妻はまだしも普通の友人知人相手ではなかなかお願いしづらいものがある。
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追記
本を読まない人種とはそもそも気が一定以上合わないってことがわかった。結果論としてね。特にちゃんとした理由はない。
読みまくってる人ってわけでもないし、たまに読むってだけでもいい。全く読まない人とだけ、気が合わないんだと思う。
別に自分がめっちゃ文字に対するこだわりだとか、愛があるわけでもなく、また別に自分が論理的な思考に長けているとも思わない。
この文章に関して言っても、自分の言語表現と思考のアウトプット能力の低さを感じるし、別に自分が本を読んでいて論理的な思考を得たとも思っていない。
そもそも論理的な思考ってはたして自分が頭の中でしている「これ」なのかもわかってない。
まったく本を読まない人って、ほぼ例外なくほんと直感的に生きている感じはすごくする。
湧き出した感情だけで行動する人、いるじゃん?
A「手伝ってよ!」B「え~」みたいな。
で、本を読むと鍛えられるのは言語能力はもちろん、情報処理能力、多角的な思考力の上昇に効果があるといわれているし、すごく実感している。
たぶん本を読まない人って、本を読むことによって得られるコミュニケーション能力を、失ったことに気付きたくないんじゃないかな。
やはりこうまとめていて思ったけど、たぶん本を読まない人って、ある意味頭が鈍いって言い切っていいと思う。
おそらくもう慣れすぎていて本を読むことにすら脳がその疲労に耐えられないんじゃない?
それが「本読まないんだよね」っていう言葉に隠れているけど、
ようは「本を読むの耐えられないんだよね」っていうことだよたぶん。
また、本を読む人は本を読む人とレベルが合うし、本を読まない人は本を読まない人とレベルが合うんだろうね。
良し悪しはない。
結構この読書するかどうかによる人間の分け方は信用できると思う。
本を読む人って、やっぱり論理的な思考、そのアウトプットにも優れているから、
それが本を読まない人にとって「理屈っぽい」「冷たい」っていう言葉になって表わされるんだと思う。
本を読まない人にとって本を読む人の言葉というのは感情を感じないんじゃなかろうか。
「冷たい」「理屈っぽい」って、ようは少しでも文語的な表現になるのに慣れてないだけで、
ただ、本を読む人っていうのも、そりゃもともと人間うまれたとき「ほん」なんてものは知らないわけだし、
文字を読むことを知ってしまってから脳みその構造が変わってしまっているだけで、
もしかしたら生物的に見たら本を読む人の方が、毒されているというか、普通じゃない可能性もあるね。
要するに本を読む人は文語的な表現を口語でするようになるから、
本を読むことに脳が耐えられない人にとって「冷たい」「理屈っぽい」という表現になる、
しかし本を読むことってはたして常識かといわれると、本当は人間は本を読まない状態が自然であるといえる。
さぁいったいどっちが正しいのか?
そりゃ本を読む人だよ。
だって1900年以降の現代社会の進化って、論理的な思考なしには不可能だからね。
いまのこの世を回しているものに、自らの価値を反映させるには、論理的な思考が絶対的に必要だからね。
この言葉が持つ意味は現代では広すぎるけど、これ以外の言葉もないんだよね。
一般職や専業主婦を目指す女性か、人と接し続ける仕事をする男性にのみ効果があって、それ以外の人が感覚的に生きると、
自分の意見がない、周りに合わせる、協調性があるとしか言えない、自分の長所短所がわからない、
そういった事態に陥るので、決してよくないと俺は考える。
一番なんとなく腹が立つのは、こういう人間に限って自分の長所を「情に熱い」っていうんだよね。
その熱さ、みんなあるよ。
本を読まない人に告ぐ。
君らが思う、「あいつは何考えてるわからない」という言葉って、
要するに「俺には理解できない。俺に合わせろ。」って言ってるのと、同じことなんやで。
本を読む人からしたらね。
ただ、本を読まない人にとって、本を読む人がそれに対して立腹すること自体が理解できないから、
俺ほんと頭悪い文章書くな。
「このプロジェクトは、この試験とこの試験に合格してないと参加できません」くらいに。
試験と能力は関係ないって人がいるけど、実務能力があるけど試験は合格できませんってことはないわけでしょ。
採用条件でよくある「Java歴3年以上」より「Javaのブロンズに合格してる人」のほうが能力判定の確実性はよっぽど上だと思うよ。
一番いいのは「わかってる人」が直接質問することだけど、この業界は「わかってる人」の数が少ない。
たとえばPHPの入門書さえも読んだことがないであろうレベルの人がPHPのコードレビューをやってるとか、そんなのザラ。
でも、レビューをやってる方は自分は10年選手だからって理由だけで、上級者だと思い込んでる。
そんな感じだから「PHP歴3年以上」みたいな基準とか、根拠ない自信で自分は上級者だと思ってる技術者の変な基準で実力判定して採用して、そういう環境で育った人間が同じことを繰り返すという負のスパイラル状態になってる。
生物の名前をいくら沢山憶えていても、基盤となる情報処理・モデリング能力(=数学)がなければ応用なんて絶対できないと思うよ。
数学や物理の(観点の)本質は、現象を抽象化して本質的な要素以外を削ぎ落したモデルを取り出すというところであって(本当は言い過ぎだけどまあ素人レベルではそれは無視してよい)、抽象の世界で議論を進めたあとにそれを現実世界に適用する、という手法が実際にワークするということだと思う。それが応用ということ。
マスダに記録する。
韓国は、10才から18才までとにかく大学受験の試験勉強のマラソンが始まる。
この4年間でとにかく詰め込んで詰め込んで習い事させる。
そしてそれは、課外授業という形で学校の中で行われる。
これは社会人になってからもそうで、朝の出勤前に英会話スクールで
1時間の塾に通っている人も多いそうだ。
そして、できあがるのは、
頑丈で、早く、元気な人間。
相当な学力成績を残して帰ってくる。
之以外には無い。
ホワイトカラーとで、社会的立場が明らかに違うのもおもしろい。
興るようで、彼らはディスリスペクトされる。
情報処理をすることには長けていても
イノベーションを興したりすることは不向きだそうだ。
美しい髪をつくる美容師、さまざまな職種がリスペクトされている場合がある。
GPS(これは米国の技術)、翻訳機能、匠の技から生み出される工学機械は
両者では、労働の質が違うと言える。
いやこれはさすがに言い過ぎた。そういうわけでない。
正確に言うと、
粘り強さがなく諦めが早い弱点がある。
付加価値を創造するには、日本人的な面も必要であると言いたいのだ。
ハードワークに耐えうる体力を持つ。
情報処理だけじゃなくて、JavaとかPHPとかオブジェクト指向とかWebプログラミングとか細かく細分化して、このプロジェクトはC#認定試験とWindows認定試験をもってるプログラマしか採用しませんとか。
ペーパーテストで分かるのかって言われるかもしれんけど、今の経験年数で測るやり方に比べたら格段にマシになると思うわ。
経験年数10年だから技術力があるってことになっているけど、実際は初心者レベルだとかゴロゴロいるし。
Javaの入門書さえまとに読んだことないだろってレベルの人が飲み会で「Javaに関しては任せられる新人が育ってなくてね」とかドヤ顔で語っていて、サラリーマンだから形だけ顔を立てられるって認識でなくて本人もマジで技術力あるつもりなのかってビックリしたことあるわ。
で、そういう人がプロジェクトの技術的な方針を決めてるから、本当にぐちゃぐちゃで効率悪い。
プロジェクトに応じた各種認定試験に通ってないと、コーディングさせないとか設計させないとかっていうのが常識になったら、最低でも水準に達してないような人がプロジェクトにかかわることは避けられるからね。
まあこれやると、日本のプログラマやSEの60万人のうち、3割とかへたすると半分くらいは仕事できなくなっちゃうんじゃないかって気がするから、実行は無理だろうけど。
このまえJavascriptをコピペだけで10年やっていて初めてまともに勉強したってエントリが何百もブクマを集めてるのをみて、モヤモヤっと思ったから書いた。
現代のストレスを抱える人々に勧めるカジュアル瞑想の時間です(ここ笑うところです)。
現代人は様々な情報を五感や論理野などで処理しなければならず、論理野や脳に非常に多くの負担を抱えています。
これらの負担を解消する為にもっとも適しているのが、質の良い適切な長さの睡眠なのですが、中々そういった睡眠を得ることは難しいのが実情です。というわけで、この質の良い睡眠の代替物としての、「カジュアル瞑想」を勧めていく次第です。
人間は情報処理の為に普段から脳を酷使しているので、その処理を一時的にストップ、あるいはスローダウンさせ、そして休憩を行わせるというのが、この「カジュアル瞑想」の主旨でございます。
して、そのような処理のストップ・スローダウン・休憩はいかなる方法で、いかなる瞑想で達成されるのかと言えば、大したことをする必要はありません。
要するに、目を閉じ、呼吸を深くし、できるだけ言語による思考をしないようにする、という、この三つです。この三つを守れば、自ずと脳の休憩は達成されるでしょう。
同時に、そのような瞑想の際に、できるだけストレスが掛からないようにする、というのも重要です。
瞑想というのは、何かを悟る手段のものとして使われる場合があります。
これを、カジュアル瞑想に対して、「フォーマル瞑想」と名づけましょう。
しかし、そのような瞑想は真剣味を帯びるあまり、人間にストレスを掛けてしまいます。「どうしても言葉が浮かんでくる! これじゃダメだ!」とか、「もっと集中しなきゃダメだ、こんなんじゃ真理に辿り着けない」とか、そんな具合に己を追い込む瞑想になりがちです。
しかし今回紹介する「カジュアル瞑想」は、そういったストレスとは切り離された形のものです。
要するに、上記の三つ、目を閉じ、呼吸を深くし、できるだけ言語による思考をしないようにする、を行っていて、消そうとするところの言葉が浮かんでくるようでも、別に気にしなくていいし、更にそのような瞑想を続けていてストレスが掛かるようであれば、すぐに瞑想を停止して構わない、というのが、この瞑想の主旨なのです。
言葉が流れていてもいいのです。どんな言葉が浮かんでくるか、観察する(*)くらいの余裕を持ちましょう。
ストレスを感じるようなら、パッと目を開けてしまいましょう。別に、自分を追い込む必要はないのです。
そうすることによって、脳は然るべき休息を得ることができます。ストイックな瞑想とは違い、あくまで今回の主旨は、「情報処理を一時的に停止し、脳を休憩させ、そして脳の能率(……)を上げていく」ということなのです。
この瞑想は、ストレスが掛からない限りで、心ゆくまで続けてもらって構わないのですが、ただ、個人的には、普通、そこまでストイックにではなく目を閉じ、呼吸を深くし、思考を停止させようとすると、長くて三分後くらいには、目を開けたくなる欲求を感じることになるんじゃないかと思います。短くて十五秒とか、三十秒とかでも、そういう欲求を感じるタイミングがやってくると思います。
あるいは、寧ろそういう「欲求」を意識するまでもなく、自然と目が開いてしまう時があると思います。
ぱっと目を開けてしまいましょう。なんたってカジュアルなんですから。
というわけで、脳を然るべき形で休憩させることの効果は、欧米の研究でも盛んに取り上げられており、多くのメリットを持つと言われています。
貴方もちょっとした安らぎの為に、カジュアル瞑想をしてみては?
(*)更に余裕があれば、『「言葉を観察している自分」を客観的に、一歩引いた視点から観察する』、というのもいいかもしれません。「俺は今言葉を観察してるんだなー」と、ぼんやりと考えてみて下さい。