はてなキーワード: 悪所とは
「ゲームのせいで攻撃的になる」って散々騒がれてたことが、まさか「ソース出せ」とか言われて歴史修正されるとは思わなんだ。
こいつらにとっては何がそんなに都合が悪いんだ?
逆に、「暴力的なゲームは人間を攻撃的にしない」研究があることを考えれば、「ゲームは人間を攻撃的にする」と如何にバッシングされてきたか簡単にわかるだろ。
https://wired.jp/2016/02/10/children-violent-video-games/
https://jp.gamesindustry.biz/article/1902/19021501/
これらの記事でもバッシングや、報道で犯罪と関連付けられたことが書かれている。
外国で言われてるようなことが、PTAの力が強かった日本で言われてない訳がない。(あの頃は普通にPTAがテレビに出て「悪所追放!」とか言ってたし、ロックバンドの歌詞にPTA批判なんかが普通に出てくる)
攻撃性以外にも「人間を相手にしていないから機械のように冷たい子になる」「TVゲームは操作が複雑なようでいて簡単な足し算より頭を使っていない、馬鹿になる」と平気で言ってた。
俺は「多動症(当時もそう呼んでたかは知らない)の危機を煽るワイドショー」かなにかで、多動症の子供が癇癪起こして暴れてる姿をTVゲームと結びつけた映像を見た記憶がある。
TVゲームをやらせてるとこんな子供が増えますよ、怖いですねみたいな感じで。
親からも、多少残酷なゲームをしてただけで「そんなんだから宮崎勉や酒鬼薔薇聖斗みたいになるんだ」とキレられたよ。
ゲーム以外にも、おぼっちゃまくんだクレしんだセーラームーンだ、ダウンタウンだとんねるずだで子供がおかしくなる、って散々騒いでた時代。
ちなみに30年前はまだ未来に目を向ける余裕があった時代なので、討論番組でも「この子たちが大人になったときのことを想像してみてください」系の言説が今より圧倒的に多かった。
まずは『長野まゆみの偏愛耽美作品集』より『魔術師』と『昆虫図』を。
実を言うとあまり得意ではない作家の作品(いうて主に食わず嫌いなのだが)が多々収録されているので、買ったはいいが読む気にならず、遅々として読み進まない。長野まゆみ作品のファンなので、頑張って読むけど。買ったし!
主人公の「私」は異国の町にいた頃のある夕べ、恋人から「公園」に行ってみようと誘われた。その公園とは日本でいうところの浅草六区をもっと酷くしたような場所だった。いい歳をした男女達の狂乱する怪しげな公園の最も奥まった所にある城が、恋人の目的地。そこでは魔術師が見世物をしており、どんな人でも一度観たら病みつきになってしまうのだという。「私」はついノリで城に入ってしまったが……。
中二病が二十歳を過ぎても治らなかった人の好きなやつ……THE大正ロマンって感じの。こういうのあまり詳しくないんだけど、航海技術の発展で新大陸への憧れが強まったりとか、産業革命からの社会不安なんかがまざりあって世界的に流行ったのかな。
まあこういうのに憧れたシーズンが私にもありましたね、という感じ。似たような路線だと、スティーヴン・ミルハウザーの『ナイフ投げ師』と『パラダイスパーク』も私は好き。
「十二階」という建物に少し言及されているけど、これは「浅草凌雲閣」という建物のこと。明治時代には東京で一番高い建物だったよう。長野まゆみ先生のインタビュー記事に、「十二階」という固有名詞は今となっては校正者にすら通じない、と書かれていた。
選集に入れられた理由は魔術師が美少年だからなのか。面白いオチだった。『春琴抄』ほどクレイジーではなかった。
すごく短い話なので省略。タイトル通り虫がうじゃうじゃする話ということだけ。
えっ、これ「耽美」なの? ……グロいんだが。耽美とは美に耽ることなのであり、常人が忌み嫌うようなものにすら美を見出だす、通人の遊戯なのだとすれば、まあ、耽美なのか? 『魔術師』に出てくる浅草六区だって、悪所の代名詞のように使われているみたいだし。
気持ち悪いし、とりわけ過激というほどの話でもないのだが、サクサク読めてなんか心に嫌なものを残す。なるほど、「文体の魔術師」か……。
『長野まゆみの偏愛耽美作品』は今回はここまで。これでやっと半分読んだことになるのか。先はまだまだ長い。うへぇ。
絵本『たくさんのふしぎ傑作集』シリーズのうちの一冊。ポルトガルのお菓子パン・デ・ローが日本に伝わり、カステラという名の伝統和菓子となるまで。
絵がなかなか渋くて好み。昔の日本の人々の顔が、そこらへんに普通にいそうなリアルさでいい。華美だったり汚らしかったりする着物を着て、髷を結っていても月代を剃っていても、現代日本人と地続きな存在っていうのがよく伝わる。
そんなに珍しいことは書かれていなかったが、パン・デ・ローの作り方は伝わったのに、パン・デ・ローを焼くには欠かせないオーブンは伝来しなかったというのには、ちょっと驚き。和製フライパンのような鍋に蓋をし、蓋の上に墨を置いて上から下から加熱してカステラを焼いていたというの、面白いなあ。何で誰もオーブンを作ろうとしなかったんだろう?
今日はここまで。