はてなキーワード: 性善説とは
まず最初にハッキリいいたいんですけど、これバットマンですからね。
あくまでこの作品はバットマンにおけるスーパーヴィラン(敵の大ボス)のスピンオフ作品でしかなく、結局は単なるヒーローショーなんですよ。
そこを理解しているのか不思議なレビューが多すぎる。そういうレビューの方が多いぐらいですね。
たとえそのストーリー中「トランプ王国のドナルド大統領とキムチ王国のキム・チー将軍が喧嘩しました」って話があっても「いやまあ不思議の国のアリスとかその辺がモチーフで、別に政治の話がしたいわけじゃないでしょ」ってスルーされてたと思うんですよ。
いっそ「カバオくんの顔は黒っぽくて、ミミ先生の肌は白いのはなにかの病気なの?」って話をしても、「ま、まあ子供目線で見たらそういう疑問が出てくることもあるし普通のセンスオブワンダー的なアレで共感をもたせたいって意図やろ」ってこれまたスルーだと思うんですよ。
多分、日本人はアメコミに変な幻想をいだいているんでしょうね。
日本にもいますよね仮面ライダージオウが超すごくて平成の集大成で天皇が退位したからこんなすごい作品が見れたぜみたいな寝言いってるオタク。
それと同じレベルのことでも外人がしてたら何か凄く見えちゃうんですよ、だって多くの日本人は英語が分からないから、特にスラングがね。
つまりは、アメコミひいては外国文化に対する大きすぎる作品イメージによって、単なるヒーロー映画に対して意識の高い人がいっちょ噛みしてるわけですね。
まあ確かに子供を持つ親がプリキュアに対して暴力的だの性善説に無理があるだの言いたくなるのは分かる気がしますよ。
でも実際、そういう発言に対して返ってくるのは多くの場合「あたなが思うほど子供は馬鹿ではない」って回答だし、実際それで正解なんですよね。
見るのは「いい年こいてバットマンがんばれーしにきた子供ハートおじさん」なんですね。
逆に意識の高い皆さんからしたら「子供ハートおじさんなんて子供より信用できない!彼らを正しく導く義務がノブレスオブリージュなんだ!俺のIQを見せてやる!」ってシチュエーションで正義が燃えちゃうんですかねー。
でも流石に一度落ち着いて欲しいですね。
地元に帰ると最終学歴が中卒で社会に出たような連中の話を聞いたりする。
高校くらいのときに中卒と一時期遊んでいたが彼らの周囲の人間はほとんど中卒(定時制やら高校に行くが中退)だ
地元の誰が強いだとか悪いだとか本当に低レベルで低知能な物差しである。
彼らは何もしていないか仕事をしている。※仕事をしていても偉いと思ってはいけない。
だいたいは不良(これも中卒)先輩つながりで仕事に就く。
そのほとんどは土方である。※「土方」と本人たちは当たり前のように自称している。
昼間は仕事をして仕事が終わると原チャや単車で友人と合流したり女友達とたむろする。
先輩に呼び出されて彼らはどこかへいつも行っていた。
次の日あのあと何していたのか?と聞くと大した用もないのに呼び出されただけだと愚痴を言っていた。
彼らはこのように無駄に朝まで過ごしたり、夜はそのまま暴走したりひったくりをしたりしているだけだ。
仕事をしているからといって真面目なわけでもないし、ほとんどは社会に迷惑をかけている存在だ。
いまの子供らと20年30年と年齢差があるかもしれないがツール(SNSなど)が増えただけでやっていることはそう変わっていないだろう。
男子の草食化、性欲が無いなど言われているが、それもこいつらの世界ではそんな変化はないのではないだろうか。
だいたい15歳から16歳で童貞は卒業するし女の場合は年上の先輩にあこがれるので中学の時点ですませているのが多い。
私もそのような繋がりからすぐに彼女ができたし出会い系サイトをよくやっていた。あの時代のほとんどはスタービーチなどをやっている。
たまに18歳で彼女ができたやつを知ったときは「え!? 遅っ!」という反応しかなかった。
それほど彼女ができるとか童貞を捨てるというのは普通の感覚なのだ。
むしろ高校生活で何もしてないやつらは何をしていたのだろうか、といまだに思う節はある。
中卒の連中とはたまに遊んでいた(原チャでコンビニにたむろしてタバコを吸うだけ)が、ごく普通の人とも遊んでいたし、アニオタの友達もいた。
彼に魔術師オーフェンが面白いというのでその本編ではなく外伝を読んだ。たしか無謀編だったか。そんなオーフェンも今年になって再アニメ化だそうだ。
中卒のやつらは18になるころには単なる犯罪者になっている。
彼らは鑑別所にいったり少年院にいったりたばこどころか草(ガンジャ)や早いの(覚せい剤)をいったりしている。
18になると車の免許をとるので車のチームに入るのが多かった。当時は池袋ウエストゲートパークなどがはやっていたのでギャング系が多かったと思う。
石田衣良による負の功績は大きい。
それより少し前にドラゴンアッシュがじぶらなどのヒップホップをかなりメジャーにしたことでそっち系のファッションも広まっていた。
ギャル系のブームで、男子ではサーファー系やギャル男もいて、選ぶならヒップホップなどのB系か前述のどっちかである。
ちょっとおしゃれをしたいやつはB系でもなぜか髪を伸ばしていてミスマッチがひどかった。
車のチームに入ると意味のないドライブや深夜から朝にかけてずっとナンパをするのである。
そして、どこどこのだれだれが揉めているだとか、誰かの先輩の女とやったのでそいつを捕まえるなど、延々と揉め事を繰り返す世界線へ突入してゆくのである。
彼らは当然いま社会問題となっているあおり運転を平気でするし原チャを幅寄せしてけんかをふっかけたりする。
原チャに乗っていて襲撃されたという話をきいたことがある。白色のハイエースが幅寄せしてきて停められて中から全員バットを持った連中が出てきてどこのやつだと
殺されそうになったそうだ。
彼はこの出来事を地元の先輩に話をすると今度はその連中が白色のハイエースを片っ端から探す。彼らは武勇伝として話をするのでまわりまわって
白色のハイエースの連中がどこの人間なのか判明するとそいつらの縄張りまでいってけんかをふっかける。
そして喧嘩をしたりヤクザがでてきたりして白のハイエース側が「筋違い」となり彼らにお金を用意しろということになるのである。
まあひったくりなどをしてお金を集めるのであろう。白のハイエースの後輩つまり15歳から16歳のヤンキーデビューした人らにも至急金を集めろとなるのである。
そうして彼らはお金集めのために後輩を深夜に呼び出したりするわけだ。
やがてこのような生活に馬鹿馬鹿しく感じると20代前半で彼女もできたしとか、落ち着くのがかっこいいと思い込んでいる単純な不良は仕事一筋になり始めるのである。
これらは遊びはごく普通になるがやはり根は社会のクズなのだ。車ではあおり運転をするし暴力などをちらつかせて周囲になめられない負けないようにするのだ。
しかし、彼らは単純なので、簡単に操ることができる。とりあえず敬語で話していればいいのだ。不良同士だといくらでも馬鹿がいるので、同じ年くらいと思えばタメ語で話すやつがいて
あいつ舐めてるのか?となり良い印象がないまま喧嘩に発展するのである。そして、とりあえず武勇伝とやらをすごいなと褒めてやればいいがあまり食いつくと仲良くしてくるので
注意が必要だ。かれらは馬鹿なので気がよくなって飲みに連れて行ってくれる。普通のやつが勘違いして元不良とかと接点を持つとあとで大変な目にあうのだ。
まれにいる酔うとキレるやつとかだ。不良同士なら喧嘩ができればそれでいいが、普通のやつはそれができないのでたいていは殴られ支配下におかれるなんてこともある。
親しくなると彼らは金遣いが悪く馬鹿なのですぐに金を貸してくれと言ってくる。しかもやばいのが金を基本的に返さないのだ。
彼らが返すのは自分より力がある人間だ。つまり先輩だとかヤクザだとかそういうたぐいだ。
ほとんどはブラックだ。借りても途中から返さない。返すわけがないというのが彼らの認識だ。しかし金に困るので犯罪を犯す。
私の知っている限りほとんどの中卒や高校中退は犯罪者だ。当時の人らのうわさ話を聞くとやはりヤクザになってそのあとどこかへ消えたとか、
刑務所に入っているだとか、入っていただとかを耳にする。
たまに大卒も悪いやつはたくさんいるという人がいるが、実感するだけでも大卒なんて真面目なやつしかいないのが事実だ。
2010年の法務省『矯正統計年報』によると,同年中に刑務所に新たに入所した者の数は27,079人です。この27,079人の学歴構成を整理
⑫:不詳 ・・・ 21人
「新たに」であるが、こうなるようだ。※小卒中学中退などというのはおそらく古い世代だからあまり気にしなくていい。
②+④+⑥を「小・中学校卒」,
⑥+⑨を「高校卒」,
⑩を「大学卒」とします。順に10,609人,4,919人,812人なり。この数を,2010年の『国勢調査』から分かる学歴人口(男性)で除して,3群の刑務所入所率を計算
「小・中卒の率が飛び抜けており,この群の入所率は全体の4.6倍,大卒の27.5倍です。」となっている。
http://tmaita77.blogspot.com/2013/03/blog-post_21.html
男女とも,中学校卒業というカテゴリーが最も多くなっています。
男性入所者では42.1%,女性入所者では37.6%を占めます。均すと約4割。
刑務所入所者の5人の2人が,中卒の学歴ということになります。
当然ですが,高校進学率95%超,大学進学率50%超という今の社会において,
中卒者はこれほど多くはありません。2010年の『国勢調査』の抽出速報結果によると,
15歳以上人口のうち,最終学歴が小・中学校卒業の者が占める比率は,男性は14.3%,女性は16.7%です。
社会全体の学歴構成を勘案すると,刑務所入所者は,低学歴層に明らかに偏しています。
刑務所の入所率
男性でいうと,
小・中卒の入所率(219.0)は,
http://tmaita77.blogspot.com/2012/02/blog-post_29.html
ヤクザにもいい人がいるなんて少数であってもヤクザはヤクザ、みんなクズでひとくくりするように、
中卒は危ないとひとくくりにして、つるむべきではありません。ヤクザと並べるな?
刑務所入所率が219倍。それでもいい人はいるはず?と性善説を信じて友達作り、人脈をしたい人がいるならどうぞ作って下さい。
中卒のほとんどは不良だったやつら。それ以外のわずかな人なんてなかなか出会えませんよ。まあ出会ってる人は出会ってるんだけどなんて言うけどね。
それはたまたま。
偶然。
ADHD,ASD、LD、ODD……最近そういった若者が多すぎる。
よく"キツネ憑き"と言われていたものが狂犬病だったりハンチントン病だったり脳腫瘍だったり
そういった現代科学によって怪異めいたものが細分化、表在化したものだとばかり思っていたが
実際は性善説よろしく"性ADHD説"が正しいんじゃないのか?人類総ADHD化ということだ
それでパソコンを使う程度の人たちは大抵自覚ありきで診断を受けに行く母数も多いので、ADHDの報告例が顕在化する
一方、自覚のない人はパソコンやSNSに触れないことも多いし、概して自己肯定感にあふれていることからADHDだと気づかない
"悪い"にも色々あるだろーよ。
この人の場合は相手が悪人だと見抜けなかったこと、そうだと分かっていたのに関係を続けたことが"悪い"のであって、そうなってしまったのは相手に問題があるからだろーよ。
バランス感覚を欠いた魔王メンタルの政治勢力が影響力を増やすのが世界的に進んでいるけど、これって民主主義のバグですよね。性善説によってそれなりに上手くいっていた民主主義だけど、バグを突いてくる勢力が力を増しているのでもうダメなのかなーって感じ。
バグに食いつぶされてしまう前に、民主主義自体を見直さなければならないんじゃあないのかなー。
とはいえトランプ現象のような揺り戻しもまた、民主主義のメカニズムではあるのですが。「誰がどこに投票したか」が秘密であることがミソですね。
よく言われることだと思うけど、独裁ってイコール悪とは限らないんですよね。独裁というのはただ単に統治メカニズムの一形態に過ぎない。それが悪になるか善になるかはまた別の問題で。
世の中が複雑すぎて、彼方立てれば此方が立たぬ、バランス取るの難しすぎて、功利主義がいいのかなあと思ってはいるけどもそれにも問題はあって、何が正しいのかよくわからなくて、自分は匙を投げつつあって、無難そうなシングルイシュー党に投票したほうが自分が理解できる範疇なので有意義だしそうなりつつあるなぁ。
自分で言うのもなんだけど、世の中が複雑に見えるというのは、どんなトンデモであっても全ての主張に対して同情的な視点も持って尊重する成分を見出すからです。
「あーたしかにそんなつらい目に遭ったら魔王になるよなー」 って理解できる。殺意が内に向くか外に向くか、あるいはこじれるか、ということなのかな。
「つらい」ことは同情できますが、「つらい、だから魔王になる」は尊重しかねますが・・。
とはいえそれは自分が処理できる範囲の辛さしか経験してない甘チャンなのか、あるいは処理能力が高いのか、わかりませんが。いずれにせよ不幸自慢の土俵には上がりたくないですね。
つらい目に遭って、それを処理できないと、人は魔王か芥川になるんですかねー
なので、それでもその複雑なものに対してひたすら真摯にバランス感覚を持って、バランスを保とうと試み続けて、統治に取り組む人は偉いと思う。皮肉や子供をほめるようなやつでもなく、ただ純粋に「偉い」です。
そして、そういう人たちによって、この世はまだ捨てたモンじゃねーな、と、保たれているのだなあと思います。
ツイッターを眺めていると、世のコミュ障で人生ハードモードなオタク達は結構ネガティブな傾向がありそうに思う。そこには人間や社会を嫌い呪う声が蔓延している。それは別にいいと思う。インナントカグラムとかナァーントカブックみたいに自分を繕わず、弱い所をさらけ出して良い環境は本当に大事だ。
だが私はなるべく性善説に基づいてこの世と人々を愛し、ハッピー☆ポジティブでいたいので、あまり頻繁にネガティブツイをしないよう心掛けている。闇オタク達の辛い過去現在を嘆く声を見ると、もう少し無理矢理でもポジティブにした方が気楽では?と思うこともあるが、個人の勝手だ。どちらが良い悪いではない。
しかし、世の中にはもっとずっと超々光属性の、目を細めてしまうくらい眩しい人達がいるのだ。
先日、たまたま初対面の同年代数人としばらく行動を共にすることとなった。
彼等はめちゃくちゃいい人達だった。初対面の相手とも明るく親しげに話し、当然のように他者を何でも肯定、尊重する。他者の親切心を最大値に想定しないと出ないようなアイディアを提案し、実行してしまう。
人を疑ったり、拒んだりすることを知らないかのようなその人達はあまりに眩しすぎて私はクラクラした。
余暇で交わされる会話も他愛のない内容だけども、それは穴場のグルメとか海外旅行の話とかスポーツとかで、どことなくハイソな印象を受けた。挙句「美味しいお酒とお茶を買ったから今度家で友達と飲むんだけど来ない?」と誘われてしまった。彼らは高学歴のエリートで、それなりにお金持ちなのだろう。たぶん。
え?私?私のことと言えば、話の流れでLINEスタンプを作った件を出したら彼らは「可愛い!すごい!」と褒めた上に即購入してくれた…うん。
ともかく偶然そういう人が集まっただけかもしれないが、私は彼らがあまりにいい人なので少し途中で辛くなってしまった。
一体どんな育ち方をしたらこんな何ルクスか検討もつかないくらい眩しくなるんだろう。
どんなご家庭なのだろうか。
どういう人間関係を経験すればこんなに他者に親切寛容になるのだろうか。
彼らは学校の下駄箱から自分の上履きが消えてるみたいな経験をしたことがないのではないか。
しかしそこで私は気づいた。この疑りと妬みは、闇オタク達の見慣れたあの振舞いそのものであると。
ああ、光あるところに影あり。じめっとした日陰で隣の苔とキノコを見比べて、自分は違うと高を括っていただけで、私も結局は同じ穴のむじなであった。TLにこだまする怨嗟には私の声も混じっていたのに気づかなかっただけだ。私は「トラウマは一生消えないんだよ!!!」とかTLで叫ぶ暗い声に、前より少しだけ共感が持てるようになった。
今日も、絶えぬ愚痴と体調不良と映えない食べ物画像と推しへの偏愛とポリコレとリア充への怨嗟を煮込んだTLの地獄の釜は、42℃くらいで冷え性の私には丁度いいのだ。この薄暗闇で、私はポジティブ(笑)を続けているくらいでいい。
おそらくお前の考えは
「(意図的かそうでないかはともなく)その気になれば簡単に人を殺せる殺戮マシーンをみんな使ってるのっておかしくね?」
ってもんだろうが全然違う
車が殺戮マシーンとしてのポテンシャルを持っていることは充分認識されているから、公道で車を運転できるのは普通自動車運転免許という公的な資格を持った人間にしか許されていない
増田自身が否定しているが第一種免許で車の運転ができる人間というのはある意味(非営利目的に限定された)パイロットやふぐの調理師等に近い
自身が刑罰を受けたり死傷したりすることを度外視すれば人を殺すというのは非常に簡単な構造になってる
むしろそういう人間が紛れ込んだときの潜在リスクは自動車依存社会より都心の満員電車のが遥かに高い
毎日満員電車に乗っている人間なら気づかないだけで間違いなく「その気になればサリン並みの殺傷力があるものを車内に持ち込める権限や能力を持った人間」と同乗した経験があるだろう
仮にそんな権限がなくても満員電車のような逃げ場のない空間なら刃物一本で一人二人くらい簡単に殺すことはできる
なので車の運転だけ取り上げて
『自動車や、それを用いた交通の仕組みって、想像していた以上に性善説というか、
運転する人間の良識や適切な注意力にゆだねらているんだと思って正直ゾッとした』
・交通ルール、事情をいままで知らなかっただけでそもそもこの世の中自体が良識と注意力に委ねられているだろう。
『ましてやもらい事故、不意な飛び出しなんかに至っては、どんなに気をつけていても回避不可能の運ゲーに近い
それを解決する手段が「かもしれない運転」って、なんというか個人の注意力や能力や時々の運にゆだね過ぎじゃない?みたいな』
・急に強盗に入られるのも一緒。自分に落ち度なくても運が悪いのはそりゃどうしようもない。
『地方や郊外に住むとなったら、もう「乗らない」っていう選択肢自体が存在しない 社会インフラが車前提に整備されてるもんね
おとなもおじいちゃんもおねーさんも、好むと好まざるとにかかわらず運転することを「強いられているんだ」って感じ』
・人は皆生まれてくるところを選ぶことはできないから生きていくところを選べるようになるしかないよ
『そういう「運転しない自由」「自動車社会に参入しない自由」が実質的に与えられてないよね
ましては最近は公共交通が衰退して、街の中心部の店が潰れ郊外ショッピングモールに集約、みたいにどんどん流れがそっちに行ってる
高齢運転者問題もそうだけど、車前提でインフラや制度設計しておいて
他方で「能力や覚悟が足らないやつは運転するな」っていうのは、それはそれで「死ね」って言ってるのに近くない?』
・残念ながら口にしないだけで社会は死ねって言ってると考えていいでしょう。でもその現状は資本主義に基づいた合理化、効率化の結果なので不満があるなら違う環境にうつるか、自分が環境を変えられるようになるしかないかと。
『「お前は車の恩恵を受けていないのか?荷物配送やバスやタクシーも使うなよ」
→それはプロドライバーの仕事じゃん。運転の技量がある(大型なり二種免許をとっているような)人達が、業として行ってるわけで
例えば飛行機の運行がプロのパイロットだけに許されているように、自動車の運転もプロのみに許されていれば、
状況はまたちょっと違うことになっていたと思う』
・違う環境になれば違う結果を呼ぶのは当たり前。あともしも運転はプロドライバーだけがすればいいと考えたなら人類には早すぎるではなくてヘタクソは運転するな、になるわけで。
『もちろん、現状の自動車社会をすぐに転換することは現実的には不可能だと思う
だから、上記の記事などにも指摘されているように、現在の技術でできる限りの安全装備やシステムをどんどん義務付けてしまったり、
(具体的には信号の右直分離・歩車分離の徹底や、エンジン起動時の免許・ドライバー状態のチェック、など)に変えて、
可能なタイミングがきたら、一気に完全自動運転社会に転換してしまったほうが良い』
・車の安全装備の高水準化、交通整備システムの徹底などに関しては全面的に同意。関係ないけど完全自動運転って事故が起きたとき誰が悪いのかで揉めそうで実現すんのかなぁと思う。
『そういう極めてスポーティかつハイリスクな行為を公共インフラとして存置させてくのはどうなのよ
エンタメは、サーキットや有料道路の中でやってくれよ、という感じ
免許取り立ての若者から80代の爺さんまで参入する「交通社会」に持ち込むべきものではないよね』
・自動運転技術の成熟した未来がきたらもしかしたら自分で操縦するという行為は安全性の観点から任意の趣味でしか行えなくなるかもしれないが、当然今の社会にはまだまだ運転技術が必要なシーンは多くそして適切に運転している人々からすれば危惧されるのは心外でしかないと思う。
パンティーの着用って難しすぎない? なんで社会で許されてるの? - 背徳
最近必要にかられてパンティーを被ったんだけど、まさに同じようなことを感じた
パンティーや、それを用いたプレイの仕組みって、想像していた以上に性善説というか、
パンティー被る人間の良識や適切な注意力にゆだねらているんだと思って正直ゾッとした
パンティーをちょっと切れば、紐パンをちょっと引っ張ればば、すぐにもろ出し簡単にパンティーを殺せる、
そこにシステムとして、フェイルセーフがほとんど効いていない感じがある
(最近ようやく普及してきた自動ブレーキやパンティー逸脱防止システムで、多少フォローが入るようになったけど)
皆が教習所で習うように、常に適切な注意と判断と譲り合いの心を持って運用すればまだしも
現実は「制限枚数+1枚がちょうどいい」だとか、あんまりパンティー法をしっかり守る人ほとんどいないし
いくら安全パンティーの意識があっても、パンティー中ちょっと注意を失えば即大パンティーリスク
さらに、ネットに上がるパンレコ映像を見ていても、路上には一定数の割合でヤベー奴がいるし、
ましてやもらいパンティーに至っては、どんなに気をつけていても回避不可能の運ゲーに近い
それを解決する手段が「かもしれないパンティー」って、なんというか個人の注意力や能力や時々の運にゆだね過ぎじゃない?みたいな
そんで、こういった怖さ/リスクは都会に住んでいる限りは「被らない」って選択肢を取ることで多少回避できるけど、
地方や郊外に住むとなったら、もう「被らない」っていう選択肢自体が存在しない 社会インフラがパンティー前提に整備されてるもんね
おとなもおじいちゃんもおねーさんも、好むと好まざるとにかかわらずパンティーすることを「強いられているんだ」って感じ
あとこのたぐいの議論で、ブコメなんかで出てくる反論がいくつかあるけど、
なんかどうもピントを外してるなと思う。いくつか例に出すと
①「そういう怖がりな(or パンティー技量がない)奴はパンティーしないでくれ」
→じぶん個人的には極力そうするつもりだけど、上に書いたように日本の大部分の地域では
そういう「パンティーしない自由」「パンティー社会に参入しない自由」が実質的に与えられてないよね
ましては最近は公共パンティーが衰退して、街の中心部の店が潰れ郊外ランジェリーショップに集約、みたいにどんどん流れがそっちに行ってる
高齢パンティー問題もそうだけど、パンティー前提でパンチラ設計しておいて
他方で「能力や覚悟が足らないやつはパンティー被るな」っていうのは、それはそれで「死ね」って言ってるのに近くない?
②「お前はパンティーの恩恵を受けていないのか?スキャンティーやハイレグやローレグも使うなよ」
→それはプロパンティーの仕事じゃん。パンティーの技量がある(大型なり二種免許をとっているような)人達が、業として行ってるわけで
例えばブラジャーの運行がプロのパイロットだけに許されているように、パンティーの運転もプロのみに許されていれば、
状況はまたちょっと違うことになっていたと思う
もちろん、現状のパンティー社会をすぐに転換することは現実的には不可能だと思う
だから、上記の記事などにも指摘されているように、現在の技術でできる限りの安全装備やシステムをどんどん義務付けてしまったり、
(具体的にはパンティーの右直分離・スキャンティー分離の徹底や、パンティー起動時の免許・パンティー状態のチェック、など)に変えて、
可能なタイミングがきたら、一気に完全自動パンティー社会に転換してしまったほうが良い
でも、おそらくそういうものには一定の感情的な反発があるだろうし、そううまく運ばない気もする
結局のところ、「パンティーは、身体を拡張し、自由を与えてくれる装置である」
「パンティーを被る楽しさ」「被る歓び」とかそういうやつ
そういう極めてスポーティかつハイリスクな行為を公共インフラとして存置させてくのはどうなのよ
エンタメは、サーキットや有料ランジェリーショップの中でやってくれよ、という感じ
免許取り立ての若者から80代の爺さんまで参入する「パンティー社会」に持ち込むべきものではないよね
なんかアメリカ人が、あれだけ乱射事件を起こしながら「銃を持つ自由」を手放さない、みたいなとこに近いのかもなあ
もちろんこういう状況は日本だけではないんだろうけど
車の運転って難しすぎない? なんで社会で許されてるの? - 拝徳
http://tokunoriben.hatenablog.com/entry/2019/05/18/211416
最近必要にかられて免許を取ったんだけど、まさに同じようなことを感じた
自動車や、それを用いた交通の仕組みって、想像していた以上に性善説というか、
運転する人間の良識や適切な注意力にゆだねらているんだと思って正直ゾッとした
ハンドルをちょっと切れば、アクセルをちょっと踏み込めば、すぐに死ねるし簡単に人を殺せる、
そこにシステムとして、フェイルセーフがほとんど効いていない感じがある
(最近ようやく普及してきた自動ブレーキや車線逸脱防止システムで、多少フォローが入るようになったけど)
皆が教習所で習うように、常に適切な注意と判断と譲り合いの心を持って運用すればまだしも
現実は「制限速度+10kmがちょうどいい」だとか、あんまり道交法をしっかり守る人ほとんどいないし
いくら安全運転の意識があっても、運転中ちょっと注意を失えば即大事故リスク
さらに、ネットに上がるドラレコ映像を見ていても、路上には一定数の割合でヤベー奴がいるし、
ましてやもらい事故、不意な飛び出しなんかに至っては、どんなに気をつけていても回避不可能の運ゲーに近い
それを解決する手段が「かもしれない運転」って、なんというか個人の注意力や能力や時々の運にゆだね過ぎじゃない?みたいな
そんで、こういった怖さ/リスクは都会に住んでいる限りは「乗らない」って選択肢を取ることで多少回避できるけど、
地方や郊外に住むとなったら、もう「乗らない」っていう選択肢自体が存在しない 社会インフラが車前提に整備されてるもんね
おとなもおじいちゃんもおねーさんも、好むと好まざるとにかかわらず運転することを「強いられているんだ」って感じ
あとこのたぐいの議論で、ブコメなんかで出てくる反論がいくつかあるけど、
なんかどうもピントを外してるなと思う。いくつか例に出すと
①「そういう怖がりな(or 運転技量がない)奴は運転しないでくれ」
→じぶん個人的には極力そうするつもりだけど、上に書いたように日本の大部分の地域では
そういう「運転しない自由」「自動車社会に参入しない自由」が実質的に与えられてないよね
ましては最近は公共交通が衰退して、街の中心部の店が潰れ郊外ショッピングモールに集約、みたいにどんどん流れがそっちに行ってる
高齢運転者問題もそうだけど、車前提でインフラや制度設計しておいて
他方で「能力や覚悟が足らないやつは運転するな」っていうのは、それはそれで「死ね」って言ってるのに近くない?
②「お前は車の恩恵を受けていないのか?荷物配送やバスやタクシーも使うなよ」
→それはプロドライバーの仕事じゃん。運転の技量がある(大型なり二種免許をとっているような)人達が、業として行ってるわけで
例えば飛行機の運行がプロのパイロットだけに許されているように、自動車の運転もプロのみに許されていれば、
状況はまたちょっと違うことになっていたと思う
もちろん、現状の自動車社会をすぐに転換することは現実的には不可能だと思う
だから、上記の記事などにも指摘されているように、現在の技術でできる限りの安全装備やシステムをどんどん義務付けてしまったり、
(具体的には信号の右直分離・歩車分離の徹底や、エンジン起動時の免許・ドライバー状態のチェック、など)に変えて、
可能なタイミングがきたら、一気に完全自動運転社会に転換してしまったほうが良い
でも、おそらくそういうものには一定の感情的な反発があるだろうし、そううまく運ばない気もする
結局のところ、「車は、身体を拡張し、自由を与えてくれる装置である」
「自動車を操る楽しさ」「走る歓び」とかそういうやつ
そういう極めてスポーティかつハイリスクな行為を公共インフラとして存置させてくのはどうなのよ
エンタメは、サーキットや有料道路の中でやってくれよ、という感じ
免許取り立ての若者から80代の爺さんまで参入する「交通社会」に持ち込むべきものではないよね
なんかアメリカ人が、あれだけ乱射事件を起こしながら「銃を持つ自由」を手放さない、みたいなとこに近いのかもなあ
もちろんこういう状況は日本だけではないんだろうけど