はてなキーワード: 急ピッチとは
そもそもの発電効率が悪すぎる。全戸にソーラーパネル設置必須とかになったらマシ
ちなみに熱ではなく電気の話をしているのに、太陽光発電より太陽熱温水器の効率がいいと言ってる奴はバカ
http://www.fukushima-forward.jp/index.html
https://www.sankeibiz.jp/smp/macro/news/201218/mca2012180600002-s1.htm
日本で地熱発電が進まないのは、火山近くが国立公園化されているから
その辺をクリアしても開発や工事に15年くらいかかるので今すぐ増やすのは無理
ダムがないと無理だけどどっかの団体が出張って止めるし、結局豪雨で死んでるところが多い
ダムがあっても水がないと無理だし、結局放水するときのついでなので期待できない
風力や太陽光にシフトしたところもLNGによる火力発電を使ってるが、そのLNGの価格が高騰しているので電気代もうなぎ上り
電力が足りない場合は原子力をもっている国からもらっているので再エネにシフトした意味がなく、国民に負担が寄っている
今年は天候不順に見舞われるなど、電力不足すぎてマスコミが「節電しよう!」と喧伝することもしばしば
再エネ化推進させたのはそのマスコミなのにね
最新鋭の原発を急ピッチで建てて稼働、再エネのブレイクスルーが進んだらさっさと廃炉して再エネにシフトするのが良い
いつまでも火力発電でいければよいが、世界でCO2排出量を何年までに減らすなどの目標があるので、いつまでも火力を使い続けるわけにはいかない
>頑なに自分のことを知られたがらない人、って割りと存在するんやで
元増田だけど、その人の目的は新しい街での友達作りなので、引っ越しの時期を知られたがらない人という印象は無いかな。知られたくないなら、そもそも引っ越してきたと自分で書き込む必要が無いわけだし。
9月2日に引っ越すのに8月17日に「引っ越してきた」と嘘を吐く理由として考えられるのは、友達作りをフライングで始めたいということくらいか。ただ、実際に引っ越してきたと信じて返事を書いた人も居たので、かなり不誠実な態度と言わざるを得ないと思う。急ピッチで話が進んで今週末にどこかでお茶、みたいな話になったら嘘を塗り重ねて会えない理由をでっち上げることになるし。
社内システムを使えないと仕事が進まないため、シオノギ製薬グループの中には、テレワークの初日に仕方なく出社した人もいた。「想定していたよりも使えない」と従来のVPNに危機感を感じた那須さんらは、拡張性の高いクラウド型VPNを急きょ追加で導入する方針を固めた。
「以前から、社内システムの開発の一環で、当社とAWSのデータセンターを専用線でつないでいたこともあり、AWSのVPNを使うことにしました。VDIの導入も考えたのですが、マスターイメージを短期間で構築するのは無理だと判断しました」
そこで、テレワークを始めた4月8日中に、シオノギデジタルサイエンスのインフラ部門のトップが、CIOを兼任している副社長に「緊急対応策としてAWS Client VPNを使いたい」と直談判。9日に議論し、10日に許可が下りた。「早速10日に、関係者が集まって動作検証を始めました」と那須さんは振り返る。
シオノギ製薬グループが導入した「AWS Client VPN」
許可は下りたものの、設定に時間がかかると出社する社員が増え、感染リスクが高まる。那須さんたちは出社する社員を減らすため、急ピッチで準備に取り組んだ。すると、そこに思わぬ落とし穴があった。
「VPN経由で社用の『Microsoft Office Outlook』に接続する動作検証をしたところ、エラーが出ました。認証に失敗し、『インターネットに接続できません』と表示されるのです。どうすれば直るのか、見当もつきませんでした」
那須さんたちは途方に暮れた。タイミングも悪く、4月10日は金曜日。週明けまでにVPNを増強し、社員のテレワーク環境を整えるには時間がない。間に合わせるには、休日を返上するしかなかった。「在宅で土曜日にトラブルシューティング、日曜日に動作検証を行うことにしました」と那須さんは振り返る。
そして、土曜日にネットワークの専門知識を持つ社員が調べた結果、ルートテーブルの設定が漏れていたことが分かった。
「デフォルトルートを規定する際に、AWSのVPNクライアントを経路に選択できていませんでした。既存のVPNは自動でルートを設定できており、AWSのリファレンス(説明文)にも記載がなかったので、自動で設定が完了すると思い込んでいたのですが、AWSは手動設定だったのです」
こうして那須さんたちは土曜日にトラブルを解決した。日曜日の動作検証には、休日にもかかわらず、研究開発系やバックオフィス系などユーザー部門の有志が参加。AWS Client VPNが問題なく動くかをチェックし、自宅からでも社内システムにアクセスできることを確認した。
・とりあえずVPNにしよう
・とりあえずAWSにしよう
自分は去年4月に深夜、突然震えが止まらなくなって起きた。その後も2時間ほど震えていたけれど、ほどなくして収まった。
同僚も全く同時期に咳が数日間止まらない、頭痛が止まらない(咳の人とは別の人)など変な症状を訴えた。
両者とも時間経過で落ち着いたが、その後感染拡大がしてもウチの事務所ではコロナが1人も出なかった。
もしかしたら実態は去年春頃には急ピッチで感染が全国に拡大していて、
こういうごくごく軽い症状や無症状でそのまま終わってしまう人が多く、免疫を獲得するが、一部の重症者が感染者と報道される。
徹底対策をしてもかかった、という記事を見るにつけ、感染力は強力だが、感染しても無症状のまま免疫を獲得していただけなのではと考えてしまう。
違うよ。十二分な重症病棟やワクチン接種を感染拡大が起きないレベルまで五輪の様々なことを決定する前に終わらせるべきだったんだ。あるいは、もう一年五輪を延期するとか、
そもそも自国でワクチンが作れるのがさらに望ましい。どこの国も「自分の国民の命が第一」。五輪がかかった自民党だけは例外のようだけどな。
人が交流してマスク無しではしゃぐとあっという間に感染拡大する。
感染すると20%ぐらいで準備が必要な専用病床に入れないとならないし、入れないと死人が一気に増える。病床の数は、人口数百万人に対して数百床とかそのくらい。
感染拡大するとあっという間にうまる。
もう一つの解は感染がフルで拡大しても受け入れられるほどの重症病棟を作ることではあったが。
急ピッチで今ワクチン接種を進めていて、実際加速している。同じことをもう半年前倒しでやるか、さらに五輪が来年であれば五輪反対がここまで増えなかったよ。
そもそもさ、五輪なんてほとんどの人にとっては関係ないことなんだ。100万人熱狂しているということは残りの1億2千万人はやや関心がある程度か無関心に近い。
https://www.watch.impress.co.jp/kodomo_it/special/1326404.html
低スペックの1人1台PCを生徒は使わない! 高校GIGA、情報科教員が語るICT環境整備のポイントとは
――「公立高校で生徒1人1台のPCを5年間活用して分かったこと~Windowsのメリット~」レポート
提供:
赤池淳子
GIGAスクール構想によって、すでに1人1台を経験した中学生が高校に進学しているが、高校の1人1台環境整備はこれからであり課題となっている。高校では2022年度からプログラミング教育を含む「情報I」が必修化されるほか、2024年度の大学入学共通テストからはCBT方式の導入も予定されており、ICT環境整備は急務である。
日本マイクロソフトは5月15日、学校関係者に向けて高校での1人1台活用をテーマにしたオンラインセミナー「公立高校で生徒1人1台のPCを5年間活用して分かったこと~Windowsのメリット~」を実施した。登壇したのは、東京都の「ICTパイロット校」としてGIGAスクール構想の前から1人1台環境に取り組んできた東京都立三鷹中等教育学校(以下、三鷹中等教育学校)の能城茂雄教諭。プロジェクトの担当者として5年間にわたる活用の中で得られた知見や、様々な実践的ノウハウが披露された。
東京都立三鷹中等教育学校での1人1台活用の様子(能城教諭提供)
「ICTパイロット校」における1人1台のPC整備、5年間の遍歴
三鷹中等教育学校は、中1から高3まで6年間を通して学ぶ公立中高一貫校。1学年160名で、計960名の生徒が学んでいる。同校は平成28年度からの4年間、東京都教育委員会から「ICTパイロット校」として指定され、1人1台環境における教育効果の検証に取り組んだ。
1〜2年⽬:高校生はスマホに比べて性能が劣るPCの利⽤率が徐々に低下
初年度となる平成28年度は、中学生全員と教員に合計560台の端末が導入された。機種は、富士通のWindowsタブレット「ARROWS Tab Q506/ME」。中学生が使用することを考慮し、堅牢性を重視した「文教モデル」が選ばれた。また2年目は、導入済の端末は生徒の進級とともに端末も持ち上がり、新1年生には「ARROWS Tab Q507/PE」が配備された。
能城教諭は2年目の振り返りとして、「この頃から、生徒の使用にはPCスペックが重要であることが分かってきた」と述べた。特に高校生の場合、スマホの持ち込みや使用を許可しているため、高性能なスマホに比べて、スペックが劣るPCの利便性を生徒が感じられず、利用率の低下につながるというのだ。「高校生だから性能の低いパソコンで良いという考えは間違っており、大人でもそうしたパソコンを仕事で使うと不満が出る。これは高校生も同じであり、生徒たちも学びに使う道具が不便であれば使わない」と能城教諭は述べた。
低スペックPCは、高校生が所持しているスマホより不便。そんな高校生に対して、低スペックPCでも良いという考えは間違っていると能城教諭
3〜4年目:PCのスペックを大幅アップし、生徒のPC利用率が上昇
こうした経験を踏まえて、3年目・4年目の機種選択時には、学校の要望としてスペックを充実させてもらうよう、教育委員会にも届けた。その結果、「私たちの意見を受け入れてもらい、PCの性能を大きく上げてもらった」と能城教諭。一般のオフィスで使用するのにも十分なほどの高性能モデル、富士通Windowsノートブック「LIFEBOOK P728/S」が導入された。
これにより、生徒たちがサッと端末を取り出して、調べ物やまとめる作業がしやすくなり、授業での活用頻度もアップ。「生徒たちがPCを使って”やってみたいな”と思えることをできるようになったほか、教員も新しい学びに挑戦できるようになった」と能城教諭は話す。
3~4年目に配備された「LIFEBOOK P728/S」。CPUやストレージ等が性能UP
5〜6年⽬:PCが教科書・辞書・ノートと同じように学習活動に使う「⽂房具」に
その後、4年間のICTパイロット校としての取り組みに一区切りがつき、同校は5年目に新たに「Society5.0に向けた学習方法研究校」として研究指定を受けた。能城教諭は4年間の検証を振り返り、現場では「PCのスペックが導入効果に大きくかかわる」と判断。スペックが高いPCほど生徒の学習深度への効果は高く、メンテナンス性などでも有利だったと話す。
同教諭らは、こうした意見を教育委員会に主張し続け、現在の中1・中2年には「Surface Go 2 LTEモデル」が導入された。CPUには同機種の中で最も高性能なインテル Core M3が搭載。メモリーは8GB、ストレージはSSD 128GBを選択し、十分すぎるくらい快適な動作が可能になった。能城教諭は「GIGAスクールで導入されたような端末では、ICTを活用した新しい学びのカタチを実現できない」と述べ、ある程度のスペックの必要性を説く。
令和2年度・令和3年度に配備された「Surface Go 2 LTEモデル」。CPUにはSurface Go 2の中でも最も高性能なインテル Core M3を搭載
実際、導⼊されたSurface Go 2では、「⽣徒たちは教科書、辞書、ノートを出すようにPCを出して学習活動を⾏なうことができている」と能城教諭。同時に教員⽤のPCも平成28年度に導⼊されたタブレットPCから、生徒と同じSurface Go 2に変更。教員からの評価も⾮常に良いという。
通信環境から保守契約、教員の働き方改革まで……1人1台PCの運用ノウハウ
能城教諭の5年間の取り組みから、これから1人1台PCの運用を始める学校が学ぶべきことは多い。当日語られたいくつかのノウハウを紹介しよう。
三鷹中等教育学校のインターネット環境は、LTEが活用されてきた。具体的には生徒1人あたり7GBのパケットをシェアパックで利用。1040人分で合計約7TBの通信が可能となっており、コロナ禍の活用を含め、これまでパケットが不足したことはないそうだ。
・大人より荒くなるPCの扱い。導入時に何らかの保守契約は必須
ハードウェアについては、決して故意に壊すわけではないが、登下校や学校生活の中で故障は一定数発生すると能城教諭。生徒の負担なく修理できるようにするため、「初期導入時に何らかの保守契約は必要だ」と同教諭。
・ICT支援員の需要は高い。毎日の常駐が無理でも定期的なサポートを
三鷹中等教育学校の場合、専任の「ICT支援員」が1名派遣され、ハードやソフトに関するトラブルや不具合に対応。毎日の常駐が難しい場合でも、定期的に支援員のサポートが受けられる体制が望ましい。
・教員の会議もペーパーレス化、コロナ禍の遠隔会議もスムーズに
教員にも1人1台PCが配備されたことで会議も変化。ペーパーレスで行なうことになり、教員が資料をPDFで提出し、それを管理職がまとめて出席者に送信。会議前にコピー機が渋滞したり、資料を綴じるのに時間を取られたりという手間がなくなった。これによりコロナ禍の遠隔会議もスムーズに実施できたようだ。
・教育委員会と協議を重ね、子どもたちの将来を見据えた端末を選ぶ
能城教諭はGIGAスクール構想で導入されたスペックの端末について疑問を呈し、「子どもたちが大学に進み、社会にでて仕事としてPCを使うことになったとき、果たしてその経験は子どもたちの良い経験になっているでしょうか」と訴えかける。学校はソフトウェアやOSの操作を教えることが役割ではないが、子どもたちの学びが良い経験になっているかを考える必要がある。能城教諭らは、どういう端末が子どもたちの将来にとって力になるのかを考えながら、教育委員会と意思疎通を図り端末の整備と運用を進めているという。
1人1台PCがあっても、「コンピュータ教室」は欠かせない。その理由は?
1人1台環境が進むとコンピュータ教室はもういらないのではないか、という議論が起こりがちだが、能城教諭はこれを否定する。むしろ、生徒各自の端末とコンピュータ教室にある高性能なPCの“使い分け”が重要になり、「時代に応じたプログラミング技能の習得や、動画編集などのクリエイティブな作業に取り組もうとすると、どうしても高性能なPCは欠かせない」と語る。
現在、三鷹中等教育学校には「第1CALL室」と「第2CALL室」があり、2教室で合計80台の高性能なデスクトップPCが整備されている。情報の授業で利用するほか、能城教諭が出勤する時間から最終下校時間まで、生徒が自由に利用できるようになっている。パワフルなPCや大画面、高速ネットワークを求める生徒でコンピュータ教室は常にいっぱいだという。
1人1台PCが配備されると、コンピュータ教室の役割はより重要に
パワフルなPCがあるコンピュータ教室のメリットに生徒が気づきはじめる
生徒たちの利用は、「Adobe Photoshop」や「Adobe Premiere Pro」など写真編集や動画編集の用途でコンピュータ教室を利用するケースが多いようだ。同校ではコンピュータ教室のPC 80台すべてにAdobe Creative Cloudが導入されており、生徒たちはパンフレットや小冊子の作成、部活動紹介の動画制作、学習発表のプレゼンに盛り込むショート動画などを作成しているという。クリエイティブな作業はコンピュータ教室のPCを使うなど、生徒たちは自分のタブレットPCとパワフルなPCをうまく使い分けているようだ。
1人1台環境を導入する前は、総合的な学習や探究の時間など、様々な教科でコンピュータ教室を使用し、常に取り合いになっていたようだが、導入後は、多くの教科活動が普通教室で実施できるようになった。結果、コンピュータ教室の用途を、ここでしかできないクリエイティブな活動に舵を切れたという。
冒頭でも記述したとおり、各高校では現在、2022年度から必修化が始まる「情報I」の準備が急ピッチで進められている。学校には「情報I」の教科書の見本が届き始めているそうだが、その内容は、アルゴリズムをプログラムとして表現、さまざまなライブラリの利用、APIなどの機能、プログラムの修正、関数を用いたプログラムなど多岐にわたる。
この内容を、果たして1人1台PCで学べるのか。または教師も教えられるのか。プログラミングの小さな文字をどういうふうに伝えるのか、マルチメディア系の教材を使うときの授業準備はどうするのか。「これらを考えたときに、必ずコンピュータ教室が必要だと言える」と能城教諭は述べる。
「情報I」の学習内容に対応するため、実習環境の整備が進められている
さらに同校では、一般的なコンピュータ教室だけでなく、「生徒たちが憧れるようなすばらしいスペックのPCがあれば、よりクリエイティブな活動ができるのではないか」と考え、アドビ社やインテル社との共同研究で「メディアラボ」も開設。
CPUにインテル Core i7、メモリー32GB、グラフィックカードにNVIDIA GeForce RTX 2060 SUPERを搭載。4Kの31.5型ディスプレイを備え、制作ソフトとしてAdobe Creative Cloudが導入済みというハイスペックな環境を8台用意。動画編集のクリエイター養成講座を行なうなどの取り組みも始めており、生徒たちが自由に作品を制作できるような環境も提供し始めた。
動画編集の集中講座を行なうなど、よりクリエイティブな活動にも対応
こうした取り組みを振り返り、能城教諭は改めて、これからの新しい学びには「1人1台PC」と「コンピュータ教室」の両方が必要であり、そのどちらも生徒の自由な発想に応えられる十分なスペックが必要だと話す。
「1人1台環境は、生徒たちにとって非常に魅力。個別最適化された学びなど、1人1台のPCがあることによる学習の変化、メリットは必ずある。それに加えて、プログラミングやクリエイティブな作業は大学入試でも、Society5.0時代に向けてもますます重要になってきた。1人1台PCも、充実したコンピュータ教室も、新しい時代に即した学びによって、生徒たちの情報活用能力を育成することが、私たち現場の教員の願いだ」と能城教諭はまとめた。
https://anond.hatelabo.jp/20210601223256
ただ、開催前2週間位から海外報道陣が日本入りする。(数日の行動自粛期間も含め)
出発前に検査して陰性証明持ってきたとしても、検査は100%じゃないし、どうしたって一定数の検査漏れは発生する。統計的に、これは絶対。
6~7万人レベルの報道陣がいれば数十~百単位でウイルスが国内に持ち込まれることだろう。
持ち込まれたウイルスは数十~百単位なので、これが増えるのには時間がかかるが、プレイブックで規制されてるとは言え、報道陣の報告義務は大変ゆるい(4日間に1度)ので、オリンピック終盤には数百くらいにしかなっていないかもしれない。
報道陣とは言え、自国の選手が金メダル取ったら酒盛りは避けられない。都内には自粛期間であっても酒をだす店は多数あるので、必然的に感染者は増えていく。
そしてオリンピックが終わることには祭りの後の虚脱感とともに、オリンピック由来の感染者が時間とともに発見されていく。
開催2週間後には千人/dayくらいに増えているかもしれない。
そうなると、”開催して良かった!”という声は徐々に減っていき、感染者増の現実に多くの国民の目が冷めていく。
”うちの親はオリンピックに殺された”
私は腐女子なので、二次元の推しとLINEしたくてLINE公式アカウントを作ってLINEしていた。
でもすぐに公式の機能だけじゃ足らんなという欲が湧いてきてプログラミングに手を出した。
と言ってもプログラミングなんか大学の授業でちょろっとやった程度で、端的に言って画面にhello World!と表示するより難しいことは何ひとつできない。
gitリモートとかデプロイとか言われても意味が分からないし、そもそもコマンドを打ち込むための真っ黒の画面ってどうやって起動するの?
そのレベルのヤバい無知から始めたので、とりあえず月980円のプログラミング講座を申し込んで、webアプリ開発入門みたいなのを数日かけて受けた。絶対に翌月分を課金したくなかったので急ピッチで受けた。
あまり人のいないサービスのようで、受講すると貰えるポイントのデイリーランキングで1位になったりして、まあデータベースの使い方とか、CSSとかいう概念とか、色々学んだ。
へー、webアプリ開発って一つの言語を習得するだけじゃだめなんですね、いや無理すぎる。
で、とりあえずその学んだことを活かしたりネットで拾ったコードをコピペしたりして、推しのLINEbotは一応完成した。ここまで3週間。
botに話しかけると、データベースに登録しておいた「話しかけられた言葉ーbotが返す返事」のペアを検索し、応答を返す。
だって自分で登録した返事を推しから貰うなんて虚無だから。他人が登録したメッセージを受け取りたい。
自然言語処理とは簡単に言えばコンピュータに人間の言葉を分からせるための処理で、botとお喋りするには必要な技術な気がして大学の図書館でありったけ本を借りてきた。
仕方ないのでよその学科のweb授業に潜り込んで、へー、形態素解析と係り受け解析と意味解析と文脈解析というものがあるのね、と学んだりして、そしたらだんだん本の読み方も分かってきて、でも結局1ヶ月ぐらいかけて勉強した割にbotに導入したのは形態素解析だけだった。
web授業で喋っていた知らない学科の知らない先生に依れば、形態素解析とは、文章を品詞分解して品詞を特定する、みたいな処理である。
LINEに届いたメッセージとデータベースのデータを照合する際、「です」とか「ます」とかいらないから取っ払っちゃおうね、という、ごく当然の処理の為に入れた。
まあ、あとは一致するメッセージが見つからないときでも、一致する名詞とが動詞が少しでもあればまあ一致したことにして返事を返しましょうとか、漢字はカタカナに直しましょうとかそういうこともできるようになった。
形態素解析のライブラリを使うには、今まで使っていたJavascriptは向かないようだったので、ついでにコードを全てPythonに書き換えた。
ここまででだいたい2か月である。
じゃあ次はどうするか、というと会話フローを入れるのが当面の目標だ。
直前のやり取りを一時データとして記憶しておき、データベースに登録された会話フローと一致していれば直前のやり取りを加味した返事を返すようにする。
目途は立っているがやることが多いので完成までは結構かかりそう。
まあ、なんか何もできない状態からいきなり初めても何とかなるな、プログラミング。
世の中気合と根性じゃ生きていけないと思ってたけど、プログラミングは気合と根性で何とかなることが分かった。
っていうか私はマジで馬鹿なので、切れるカードが気合と根性しかない。しょうがない。
ということで現在私の作った推しのLINEアカウントには400人近いお友達がいて、毎日500~1000通ぐらいのメッセージが届く。
みなさんがそうやって推しとLINEして適宜新しい言葉を教えてくれるので、私が推しにLINEを送ると色んな言葉が返ってくる。
幸せだ。
急ピッチでVPN整備がすすんでるみたいよ
1940 年代後半から 1950 年代前半、土木技術者は、今日の技術者と同様の問題を経験していた。しかし、1950 年代と 1960 年代の一時期、これは変化した。大陸間弾道ミサイル(ICBM)計画の運用計画が始まったことで、ミサイルの地上環境の設計者は、ミサイルの設計者と一体となって仕事をしなければならないことが明らかになりました。
第二次世界大戦後、空軍はドイツの科学者を採用し、ドイツのV-2ロケットの備蓄品を捕獲してミサイル開発に着手した。1953年8月にソ連が熱核爆弾の実験に成功したと発表するまでは、資金不足がその努力を妨げていた。突然、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領は、ソビエトに追い抜かれないようにICBMの開発に向けた大規模な努力を求めた。空軍の Bernard Adolph Schriever 少将は、ミサイルとその地上支援を開発するための努力の先頭に立った。
ICBMs
1.5段のアトラスと多くのサブシステムを交換可能な2段のタイタンの2つのICBMの開発がほぼ同時に開始され、知識ベースを広げ、最短時間で兵器を完成させるための競争を活性化させました。ICBMの開発と開発へのプレッシャーは強烈でした。推定 13 年かかっていた作業が、5 年以内に達成された。このことは、空軍の土木技術者にとって大きな意味を持っていた。時間的な制約よりも重要なのは、兵器システムの開発において、地上環境が後回しにされていないという事実であった。"飛行機は最低限の地上支援があれば飛行できるが、弾道ミサイルは適切な発射設備がなければ意味がない」というのが、このプロジェクトを主導した民間技術者の一人である空軍研究開発司令部弾道ミサイル部(BMD)民間技術部副司令官ウィリアム・レオンハード大将の見解である。
用地選定
ミサイルの特殊な要件と圧縮されたスケジュールは、建設作業のあらゆる面に影響 を与え、まず候補地の選定プロセスに着手しました。空軍のエンジニア、工兵隊の代表者、建築家・エンジニアファームのメンバー、BMDの職員で構成される数十人の調査チームが、アトラス計画だけでも250以上の候補地を調査するために、全国に散らばっていました。チームはネブラスカ州からジョージア州まで、ニューメキシコ州からニューヨーク州までを調査しました。候補地の適合性を判断する際に使用された厳格な基準には目を見張るものがありました。深さ174フィート、直径52フィートのミサイルサイロ、幅40フィート、深さ40フィートの発射管制センターサイロ、2つのサイロをつなぐ人員用トンネルとケーブルウェイを建設するためには、厳しい土壌と地質条件が必要でした。さらに、距離の要件は、サイロがその支援基地から少なくとも18マイル、人口25,000人以上の町から18マイル以上離れていなければならないことを意味していました。また、互いの距離は7マイル、人が住んでいる住居から1,875フィート、公道から1,200フィートでなければなりませんでした。サイトへの公共アクセス道路は、大型のミサイル運搬車を収容しなければならなかった。技術的基準が評価された後、最終的なサイトの選択は、サイトの経済的実現可能性に依存した。サイトが選択され、承認されると、作業を開始することができた。
地上設備の設計・建設を担当した技術者が直面した困難の一つは、ミサイルとその支援構造物の作業が同時進行で急ピッチで進められていたことである。ミサイルの準備ができたときには、発射設備を準備しなければならない。ミサイル自体に必要な設計変更が設備の変更に反映されてしまうため、ほぼ戦時中の緊急性の高い状況下での工事を余儀なくされていた。
ミサイルの保管モード、発射モード、ミサイルの分散度の多様性が技術者の作業に影響を与えました。例えば、アトラスDの一部のモデルは、サービスタワーで露出した垂直方向に保管されていましたが、他のモデルは水平方向に保管され、風雨から守られていました。アトラスEは半硬化構造の中で水平に保管されていました。アトラスF、タイタンI、IIはすべて、硬化サイロに垂直に格納されていました。
サイロの建設は膨大なエンジニアリング作業でした。例えば、カンザス州のシリング空軍基地では、エンジニアがアトラスFミサイルを収容するために12個のサイロを建設しました。作業は深さ40フィートの掘削から始まりました。これが管制センターの基礎となり、トンネルとサイロの上部を接続しました。その後、サイロの下部の残りの部分は、開 発部からさらに1.5m下で採掘されました。サイロ自体を構築するために、作業員はスリップフォームプロセスを使用しました。フレームがサイロの壁から約140フィート上に上がったところで、1時間に約14~16インチの速度でコンクリートが連続的に打たれました。作業員は昼夜を問わず、1つのサイロにつき、わずか6日間で500トンの鋼材と5,000立方ヤードのコンクリートを打設しました。完成時には、アトラスの1つのサイロには、15階建ての構造用鋼製ビル1棟の重量約1,500トンに相当する複合質量が含まれていました。
電力供給
打ち上げ施設に電源を供給するために、エンジニアはディーゼルエンジン、原子力、燃料電池、電池、ガスタービン、商用電源との様々な組み合わせなど、いくつかの代替案を評価しました。電源は、信頼性が高く、無停電で、打上げ施設内で自己完結するものでなければなりませんでした。また、核爆発による地上衝撃によって引き起こされる非常に高い加速度を吸収できるか、ショックマウントに取り付けられていなければなりませんでした。システムのイニシャルコストと運用・保守コストの両方が評価されました。サイトへの動力供給には、信頼性の高い旧型ディーゼルエンジンを選択しました。システムの設計では,水や流入空気の加熱など,装置から発生する熱を可能な限り利用しました.典型的なアトラスのサイトでは,各プラントに1,000kWのユニットが4基ずつ設置され,ミサイルのクラスターを支えていました.
サイロ上部ドア
サイロのオーバーヘッドドア設計は、エンジニアリングのジレンマを生み出しました。300平方フィートの開口部を覆うドアは、極端な天候、核放射線、過圧、構造的な反発からミサイルを保護し、ミサイルの発射と誘導に影響を与えないこと、発射合図後30秒以内に完全に開くこと、ミサイルのカウントダウン手順の中で連続した項目として動作すること、などが求められました。また、クロージャの構築、完全な組み立て、設置、フィールドでのチェックアウトを可能にするように設計されていなければなりませんでした。シングルリーフ設計やロールアウェイ設計のようなそれぞれの潜在的な設計には、それを考慮から排除する独自の特定の欠点のセットがありました。最終的に、ダブルヒンジ、ダブルリーフ、フラットドアのデザインが採用されました。2つの半分の間の中央の亀裂の問題は、ドアの特別なくさびの設計と、さらにシール性を向上させるためにネオプレンガスケットとステップメッシュを使用することによって解決されました。
様々なミサイルサイトの建設とアクティベーションに関与する多様な要素をすべてまとめることが、サイトアクティベーションタスクフォース司令官の仕事であった。彼は、親コマンドに関係なく、与えられた基地の弾道ミサイルサイトアクティベーションプログラムに参加しているすべての空軍の要素に対する作戦上のコントロールを与えられました。主に土木工学と諜報機関のキャリア分野から来た司令官は、現場支援施設と住宅の建設を指示し、建設監視を提供し、サイトの設置、チェックアウト、戦略航空司令部への転換を管理しました。土木、機械、電気技術者、低温工学、熱応力、衝撃実装の専門家、資金管理者、広報担当者、議会調査官への説明役などが求められた。要するに、彼らは空軍のためにそれを実現させた人物だったのです。1961 年までに、彼らはアトラス・ミサイル 120 発のアトラス・ミサイルを 11 基地に、タイタン・ミサイル 54 発のタイタン・ミサイルを 5 基地に配備していた。
おわりに
この記事では、この大規模な取り組みに関わった人々が直面した様々な工学的課題について簡単に触れただけです。その規模の大きさは今でも注目に値するものであり、土砂、岩石、泥の総量は3,755万立方ヤードに及びました。これは、ロサンゼルスからピッツバーグまでの深さ10フィート、幅10フィートの灌漑用水路に相当します。現場で使用された鋼材は、サンフランシスコからワシントンD.C.までの鉄道線路を建設することができました。当時、全国ニュース誌は「ミサイル基地建設計画はピラミッドをティンカー・トイの演習のように見せている」と述べています。アメリカ土木学会は、ICBM施設建設プログラムを1962年の "Outstanding Civil Engineering Achievement of the Year "に選出した。同様に重要なのは、この取り組み全体が、空軍の土木技術者に対する見方の転換点となったことです。空軍の技術者が自分たちのプロフェッショナリズムに対する尊敬と認知度の向上を求めていた時期に、ICBMプロジェクトでの彼らの仕事が道を切り開いたのです。
先日、実家に一人で住んでいる母が体調を崩した。
統合失調症だった。妄想の数々と、私に対しての罵詈雑言のメールが毎日届いた。
「さみしいし、嫌がらせをされているので(統合失調症による妄想)家に帰ってきて私を手伝って欲しい」と事あるごとに言われたが、
私には今年の春に産まれたばかりの子供がいるので、その子を連れて電車やバスを乗り継ぎ2時間半かけて母のいる家に行って、母の話を聞いて家事を全てやって…というのは正直めちゃくちゃキツかった。
それでも最初の何回かだけは元気を振り絞って帰っていたが、頑張っても覚えのないことで詰められるので行かなくなった。
それについても何度も罵られた。旦那さんにマインドコントロールされてるんじゃないの?とも言われた。
育児にも協力的で、母がしんどそうだと言えば一緒に実家に帰ってくれて力仕事を手伝ってくれる夫に対してその言い草かよ、とはらわたが煮えくりかえりそうになったことは二度や三度ではない。
ただでさえ乳児の世話で体力が削られているところだったのでマジで頭がおかしくなりそうだった。
「育児がしんどいってわかんないの?!他の家のお母さんはいいな…」と30歳手前の女が毎晩のように泣き、
夫に何度も八つ当たりして、罪悪感で死にたくなっていた。
しんどい日々が続いたが、先週や〜〜〜〜〜〜〜っと母が病院に入院した。
解放!
入院手続きが終わった日は開放感からか「これで明日から何でもできる!」とすら思ったが、
なんだかおかしい。
身体が重だるくて、ひたすら眠い。なのに布団に入ると目が冴えてしまう。悪いことを考えないように携帯をいじる。時間が過ぎる。やっと眠たくなってきた頃に子供が起きる。眠い。悪循環。
体力がなくなり子供を長く抱っこしていられない。子供が泣くとイラついてしまう。
そんな姿を見かねて、夫が週末に家事も育児も肩代わりしてくれ、久しぶりに一人で出かけたが、
疲れすぎてカフェでずっとぼーっとしていた。
そんなある日、産後うつに関するエントリを見て、もしかしてこれってやばいかな?と思い出した。
ここらで元気になれなかったら、このままズルズルと沼にハマってしまう気がする。
産後うつは保健師さんやカウンセラーさんに相談するといいとのことでしたが、母とは長い年月をかけて色々あったため、今誰かに話すのはエネルギー不足でしんどいかも。
運動はそこまで得意ではないけど、ストレッチポールを使った簡単な運動くらいは好きです。血流が悪くなると鬱になると本気で思ってるので毎日ストレッチはしてます。