はてなキーワード: 応援団とは
2000年代後半から2010年代初めにかけて、経済学クラスタの声がネット上で人気があったけど、安倍政権中期以降、とくにコロナ以降さっぱりダメになったね。
ネット経済論壇の中心だった高橋洋一や田中秀臣は完全にリベラル左派叩きの自民応援団でネット右翼化しまったし、もはや政商としての地金が明白になっている竹中平蔵を批判するよりも、竹中を批判する左派を嘲笑的に批判している。学術会議問題では政府の擁護に走っている。仲間内から激しく攻撃されながら、高橋・田中を執拗に批判し続けていたbewaad氏の正しさが完全に証明された形だ。
良識派の飯田泰之や松尾匡なども、「民主党政権のもたらした不況でリベラル左派は支持を失った。アベノミクスは消費増税さえなければ成功した」という、明確な事実誤認を含む、身内以外に説得力のない理屈にしがみついている点で、高橋・田中と変わらない。また、社会保障など個別の問題に対する知識の浅さやいい加減さが目につくようになり、正直もうあまり読む気はしない。だいたい白饅頭の本に帯なんか書いちゃダメだろう。
一時期は飯田とべったりだった荻上チキも、自民党政権への甘すぎる姿勢に業を煮やしたのか、最近は距離をとっているようだ。彼のラジオにも「リフレ派」の面々は登場しなくなり、最近は驚くべきことに反リフレ派の中田大悟などが出演している。田中秀臣を最後まで擁護し続けた稲葉振一郎は、周りの社会学者を散々巻き込んだくせに今は知らん顔をしている。
コロナ禍で経済学者は役立たずぶりを遺憾無く発揮している。トイレットペーパーやマスクが深刻に不足している時に、安田という経済学者が、配給制よりも値段を2倍にすればいいという提言を真面目にしていて(別に経済学者に言われる前に値段は5倍10倍になっていたわけだが)、さすがに失笑を買っていた。政府に招聘された経済学者たちちも、ニュースでその提言が取り上げられないほど存在感がない。
「普通・常識人だね」と言われたり、「大人しいね」という言葉は、一見誉め言葉のように見えて
深く人を傷つける言葉だ。どこにでもいる無害な人間、その辺の石ころと同じと言われるのと同義だからだ。
「お前はモブだ、存在していないのだ」に言われているに等しい。
こういわれる事にコンプレックスを持っている人は、頑張って克服しようとする。
しかし大方空回りして、「時々突拍子もないよね(無理してるよね)」「喋る時はめっちゃ喋るね(陰キャだね)」と言われるのがオチだ。
なぜそうなってしまうか、と言えば、「普通」とか「大人しい」は『行動』ではなく『在り方』だからだ。
「右に動いている」の反対は「左に動く」だから、「逆の事をしたい」なら「反対に動け」ばいい。これは『行動』だ。行動をすれば達成できる。
しかし「反対に動く」の反対は「反対に動く」だ。これは『在りかた』だから、どうあがいても変わりようが無い。
具体的に言えば、凡人は何をやっても凡人という事だ。「普通でない事に憧れる」のは「普通でない人」には出来ない。
一見自分を変えているように見えて、その実凡人を地で行っているということだ。
例えば変わっている事をしたいと海外に行ったり、ビッチになってみたり、髪を派手に染めてみたり、ピアスを開けたり刺青を入れたり外でいきなり叫んでみたり。
そういう人を見ても、皆「普通に髪を派手に染めている」だとか「普通なのに急に叫んでる」としか思わない。
大人しい人が「うるさい人に憧れる」のは「うるさい人」には出来ない。
ちょっと調子がいい時にめっちゃ喋ったり、自分語りを長時間したり、大きな声で話してみたり。
皆も見たことが在るだろう。そういう人は、「二人きりになると話し出す大人しい人」だとか「急におかしくなる大人しい人」になる。
一つは「凡人に憧れる事」だ。例えば鬱になったり、統失になったり、家に隕石が落ちたり、望まない形で異常が達成された時、初めて変人になる。
普通に戻りたい、普通の方が良かった、そう思うのは「変人」だ。そして「普通に戻りたい」と思った時点で、もう普通には戻れない。
大人しいにも同じことが言える。「大人しい人に憧れる」。例えば躁病になったり、ヤクをやって四六時中落ち着かなくなったり、周りにムカつく奴が増えて、罵声を毎日言わなくてはいけなくなったり。
気付いたら応援団に入ってたり。大人しくなりたい、大人しいころに戻りたい、そう思えば、うるさい人になる。
でもこれらは運命に自分をゆだねるか、かなり自己のコントロールスキルが必要である。
現実的な解決策は、「自分は凡人に憧れている」「大人しい人に憧れている」という設定、思い込みをする事。
そうすれば、何をすれば変人になるのか、うるさくなるのか自ずとわかってくる。
子供の頃、あんまり倫理観の良くない街に住んでいた。胸糞悪いことがたくさん起こって、人生に決定的な影響を受けたので、成人して数年経つ今でも話題にしてしまう。付けられた生傷をいいかげん古傷にしたくて話す。あの街を忘れたくないけど、肉が見えたままでは動けないので。
でも、話せることと話せないことがある。
学級崩壊や軽いいじめは話せる。似たようなことは相手も経験してる場合が多いから。常識レベルの差とか、応援団に女子が入れなかったとかもギリ話せる。いじめに軽いとかないという気持ちもあるのだが、犯罪に対する軽い重いと同じ意味だと思って欲しい。なお私もいじめられたことがある。
障害者の子に対する酷すぎるいじめ、中学生の頃友達が同じ中学生の彼氏に別れたいと言ったら物理的暴力を受けたこと、性被害に遭って警察沙汰になり、逮捕された人が私の家から徒歩10秒のところに住んでいて、私の親友に小さい頃からよくしてくれた人であったこと。主にこの3つが、聞かせた人に負担になってしまうから話せない。インターネットも誰が見るか分からないからこれ以上詳しいことが書けない。
特に最後の性被害は、ここに書けないし皆さんも想像できないだろうことが理由で10年以上経つ今でも血を垂れ流している状態で、どうにかして傷を乾かしたいのだが、絶対顔見知りには話せない。話せる相手がいれば話せるくらいにはなったのだが。
どこか、友人や恋人関係ではない人間に、対面で、相手に同意を得て、こういうことを話せる場所はないですか。できれば口外しない人がいい。金は払う。精神科のカウンセリングとか行けばいいんでしょうか?
2020年6月にZoomを使って公式開催されたオンライン応援イベントに参加した。有料だったが即チケットを購入した。
ゲストにチーム大好きな野球声優がいたのが一番大きな参加理由。
球場で応援するのがすごく好きな人間なのでコロナの影響で球場に行けなかったのが非常に辛かったし、めちゃくちゃありがたい企画だった。正直思ってたよりめちゃくちゃ楽しかったし盛り上がった。応援団が応援歌歌ってるZoomに参加できて、応援バット振るだけでめちゃくちゃいい運動になった。見ている中継映像が人それぞれ違うからネタバレが起きるとかは仕方ない。
ところでゲストとして参加している声優さんが昔参加していたユニットに関係する、モラルを欠いた発言を執拗に行う参加者がいた。正直やっていいこと悪いことの分別が全くついてないレベルだった。
オンライン応援はZoomの映像が球場ビジョンにそのまま映る。つまり中継にも写ったりする。コレ自体は悪くない。選手に声は出せなくても応援していることを伝えられる(たぶん伝えられている…?)というのはファンとしては嬉しいことである。Zoomでのチャットもビジョンに映されたりする。これもまあうん。
ほぼリアルタイムでZoomの映像をそのまま球場ビジョンに流している。これは人間の善意ありきで成立しているシステムだと思う。そして悪意に本当に脆弱であるとも感じた。
こういうオンライン応援の取組みをなくせとも思わないし、むしろ積極的にやってほしいのだが、悪意のある人間がその場に紛れ込んだらそれだけでろくでもないことが起きるよ。例えば有害なもの写したりね。
リアルイベントだったら明らかにヤバい人間はスタッフがマークしておいたりできるけど参加型オンラインイベントだとそうはいかないっていうのが見えてきて怖くなった。
昨年放送されたかぐや様は告らせたいというアニメ、既に両想いの主役二人が何としても相手から先に告白させよう!と頭脳戦を繰り広げる鈴木雅之の主題歌が素敵なラブコメ作品だった
今年の四月から第二期が放送されていて勿論録画はしていたけど都合があって中々見れない…という状況だったけど、何故か11話だけはリアルタイムで見れてしまった
生徒会会計の石上くんが、中学生の時自分の勝手な正義感でイケメン彼氏との仲を破局させてしまった同級生大友さんや同学年の女子から嫌われてしまってかなり精神的に参ってしまい、それでも生徒会や応援団の優しい先輩達の励ましのお陰で過去を吹っ切り、大友さんもそのイケメン彼氏のゲスな面を知らず笑顔のままで居られて良かったね!という割と爽やかなグッドエンドのお話だったんだけど
どうもこの大友さんが好きになれない。いや本当はそのイケメン彼氏の荻野君が元凶で大友さんはあわやリベンジポルノをかまされる所だった被害者なんだけども、話の流れも大友さんが笑顔で居れて良かったという物なんだけど
大友さんはクラスで浮いていた石上に積極的に話しかけてくれた優しい女の子である、あの状況で演技が上手くて優しいイケメンの彼氏より時々話す程度のクラスメイトの言う事なんて信じられる訳がない、石上は自分が中傷されようが進学出来なかろうがそれでも大友の笑顔を守りたかったからあれで良い、そもそも大友が彼氏のハメ撮りやその友達からの輪姦される事を嫌がるだろうという事が石上の勝手な想像で荻野や大友はそういうプレイ込みで愛し合っていた、石上贔屓から大友を非難するのは作中で石上を中傷したモブ達と何も変わらない、大友への非難はその大友を守ろうとした石上を非難してるのと一緒だ、石上への悪口にしても普段悪口を言い慣れていない感じがあって良い人である子が伝わってくる、等々まあそうだよなあ…という正論な感想を視聴後に沢山見た
そこら辺の事情を分かった上でああ、自分は大友の事大嫌いだなあ…と素直に思って、理屈として悪い人じゃないという事と感情としてその人の事を大嫌いになるのは全く別なんだなと感じた
大友が荻野にハメ撮りさせなきゃ今回の話は初めから起きなかったんじゃない?また新しい彼氏が出来たとしてもその男が荻野みたいな悪い男だったらまた同じような事繰り返すだけじゃない?
石上側の視点からするとやり方こそ間違ってはいても悪い男と引き離してくれた石上に何も知らないとはいえ唾を吐くような事ばかりするこの女の事は、幾ら本当は優しくて良い子なんですよって言われても好きになれないな
全く関係ないけど「バカになれなきゃ人を愛するなんてできんよ」という言葉を誰かから聞いて、人が人を愛するってそういう事なのかもなあ…とも思った