はてなキーワード: 微分とは
常に会場に20台の可動カメラを用意して5~0.01Hz(手動で調整)でシャッターを切ると同時にサーバーに転送し写真判定計算を回す。
人のカメラマンも一人用意しておいて、その写真も同様に撮ったと同時にサーバーに転送し写真判定計算を回す。
ガウシアンフィルタを掛けるか微分するかして境界線(連続値)を得る。
顔検出はSURFとかで適当に。表情検知はCNNでできると予想。
顔が検出されなければ除外。
(そもそも「欲しい写真」「そうでない写真」を訓練データにしたCNNで「いい写真」が分類できないか?)
(全身・顔強調)(二人・一人・多数)などで分類しタグ付け
授業は微積分やベクトルなどの数学基礎、高校でもやらないような物理の授業など。クソみたいなレベルの教養学習をまずは受けさせられる。
さらに酷いのが、そのレベルの教養から教育をスタートしているクセに、急に教授の講義へバトンタッチし一丁前な指導をやり始め、無駄に厳しい評価基準によって学生の何割かが留年してしまう。
受験に数3が必要なかったり、センター利用なら落ちるほうが珍しいと思えるほどボーダーラインが低くく、「本当に義務教育受けた?」といった人間でキャンパスは溢れている。
何か話を振っても、「なにそれ?」「ちょっと分かんない」。ものを知らなさすぎて話がまるで通じない。まともな学習もできず、まともな人間もいない。
ふざけるな。
大学が独自に設計したポータルサイトがある。要は自作moodle。
理工系単科大学として、格好つけて技術自慢をしようと企んだのだろうけど、まるで駄目。
理工系特有のデザイン軽視による地獄的なUIや、いちいち書式が違ったり、いちいち新しいウィンドウで開いたり(Macで全画面で広げているとページを開くことも出来ない)で、とんでもない完成度の低さ。
普通に使いたいだけなのに、その普通の基準すら超えられない欠陥品。そしてこれにGOサインを出した大学。
素晴らしすぎて涙が出そう。
なめてんのか。
伝統にしがみつき、今時、手書きでレポートを何十枚も書かされる授業。
「実学尊重」を謳っている割には、効率の悪い仕様をやめない。考える時間よりも、作業する時間のほうが長い。
大学側は学生を信用していないようで(無理もないが)、未だにレポートを手書きで書かせている。勿論、グラフ・図・表もすべて手書きだ。
目に見える一番分かりやすい成果物、つまり『苦労した証』として、手書きレポートが受け継がれていく。
なるほど、実学尊重というのは、学習の実力を伸ばすという意味ではなく、いかにも苦労したように見せかける技術の実力を尊重する姿勢というワケだ。
バカにしているのか。
なんで勉強するのか? 多くの子供たちの疑問であることと思います。 大人になったら勉強したこと役に立つの?はっきり言います 勉強なんて大人になって役に立ちません。 昔は勉強しとけば将来仕事に役にたつって思われてきましたが ネット上で高学歴ニートを見かけることができるようになったためちょっとずつイメージも変わりつつあると思います。 東大京大からのニートもネットには何人かいますから
自分の今や前の職場を見てみると 若いころぜんぜん勉強して来なかった人がいます。私は中学、高校勉強ばっかりです。どっちが仕事できるかって?
そう 勉強して来なかった方たちです。 周りの方がなぜ こいつ勉強できるのはずなのに仕事できないんだろうって疑問に思うことが多いのですが、理由は簡単 勉強で得た知識は仕事で必要ないから。私は中学、高校と人と話すことも 運動もろくにせず勉強ばっかり ネトゲ廃人ならぬ勉強廃人でした。別に楽しいこともなかったけど ただ追い詰められて勉強してきた。 そしてそれがやっぱり無駄だったと・・・ 大学中退してやりました。 大学入試までは勉強だけでいけます。
ただ就職となった時不思議なことが起こります。 大学名は重視されるが学力は重視されない。 学力テストはあってもネット上で行われるため頭いい人に教えてもらえればバカでも余裕です。そして勉強できても面接で落ちます。特に女なんて顔で落ちますよ 会社はかわいい女の子ほしいですから・・・
そして、仕事もないままいろんな会社の採用試験に行くわけですが 20歳という若さでもなかなか採用されない、35過ぎたらダメって言われてたが20でもダメみたいです。 そしてとある小さな会社の採用試験 なんと自分の得意な数学だけテストをやって 数ⅡBあたりの内容だったかな?これこの会社の人もわからないとか言ってたけど・・ 満点とっちゃった(数学は問題数すくなく満点になりやすい) そして面接どう答えていいのかよくわからず・・・→不採用でした\(^o^)/
そうこう言っても 県内の零細企業(金属加工系)とあれば自分が卒業した高校名で驚かれることも多いのです。県内公立の偏差値2位だからかこういう会社の採用試験では珍しいのかな 就職難でこういう人間いくらでも余ってるはずだが その日だけで面接に5人 一人ずつ順番に そして、それを期待した社長が私を採用しちゃいました。馬鹿じゃねーのその社長ww 他に使えそうな人いたと思うけどなあ
体力的にきつい仕事でしたが、やってれば慣れるだろうと思い 無理をしながら働いてました。 他に行く当てないからね 零細企業の正社員でも仕方ない。みんな定時で帰ってる会社でした。他行けばここから+残業かなみたいに思ってました。 なお当たり前だが勉強はここでも役に立たない
そして1か月弱でクビになりました。 社長さん私の何を期待したんでしょう 勉強できる人ってこういうとこでは珍しいんだろう、見たことない生き物だから期待しちゃうとこもあるんだろうか。
自分にも問題はあるだろう ただ直前に採用した人がクビになったがやめたんだろう だから次の求人が出て私が採用された そして次の求人が・・・
こんなことを何度か繰り返しました 今の会社でしぶしぶ・・・ 勉強って何の意味あるの? その答えはいまだ見つかりません。
微分積分二次関数 一応自分はできるのですが何に使うんだろうね? 世の中にはこれを使う仕事もあるのでしょうけど それができてもそういうとこで採用されないのです。
http://anond.hatelabo.jp/20170204225930
これ読んで考えたけど、やっぱ勉強はしておいたほうがいいなあって思うんだよね。
自分は田舎の公立高校出身で、受験に対する姿勢も勉強に対する姿勢も弱い環境だった。
それが高3のある日、友達と勉強で勝負しようってなって、そこから勉強するきっかけを得て、旧帝大に受かった。
まあ東大に比べれば大したこと無いけどね。
ただ、本当に偶然学歴を得たと思うんだ。
そういう意味では、以前話題になった「高学歴の世界」と「低学歴の世界」の両方を何となく見てるので、
私の意見が参考になれば幸いです。
勉強しない層の価値観だと、勉強しなくても金持ちはいるし、コミュ力の方が大切だと思われている。
これは実際間違ってなくて、高学歴でも就職してからは技術職であってもコミュ力がモノをいう環境の方が多いだろう。
高卒でもアパレルやコンサルや飲食で起業して稼いでいる人もいっぱいいる。
厳密な知識や学問があまり重要で無い分野では、正直学歴なんて必要無い。
勉強で言えば読み書きそろばんができれば十分だ。微分積分や行列、群論や複素関数なんて一般の人は使わない。
だから「自分が生活していく」ことを考えれば、別に勉強なんて不要だ。
幸せかどうかも周囲との相対的なものなので、変に優秀な友達ばかり作るとかえって幸せに感じにくくもなるだろう。
だけど、それでも勉強はしておいたほうがいいと思う。
元増田の娘は頭がいいだろう。論理的に物事を考えることができる。
その場合、周囲に論理が通じないとストレスが生じやすいと思う。
こうすればみんな幸せ、こうすればもっと良くなる、なのになんでしないの?
なんて考える機会が圧倒的に減る。
理不尽に声出しさせられたり、嫌いな人を家族愛でつつめ!なんてわけのわからないことを言われないで済む。
泣く子と地頭には勝てないというのは、論理で対処しようとしない集団には論理は無力であることをうまく表現している。
だから、自分が論理的な行動を大切にしてしまう場合、論理的な集団に所属することが幸せになる重要な条件となる。
2つ目は、たくさんの人を幸せにできる力を得ることができることだ。
だが、多くの人を幸せにしたり、世の中の理不尽を減らすには、いろんな知識が必要となってくる。
発想は知識の量に影響を受けるので、知識がある分、いろんな方策を考えることができるようになり、それをもって主体的に世の中を良くしていくことができる。
また、論理的でない人をどう変えるかということも複眼的な戦略が必要となる。
自分勝手で、反社会的な態度の人と切っても切れない環境というのが世の中にはある。
そういう人たちを全て切り捨てるのは現実的では無い。切り捨てた人間が多数派になった時に割りを食う可能性もある。
だから、彼らがそうなった原因だったり、どうすれば考え方を変えることができるか、なんてのもいろんな知識や経験が必要になる。
「自分がそう思うから」だけで物事を進めていくと、感じ方が違う人との軋轢を生むことになり、不幸になる人が発生してしまう。
チャームは魔除けって意味だけど、学歴は魔除けとしては非常に優秀だ。
転職や就職でも学歴があれば相手の見方も変わるし、ずっとニートをしてても学歴がいいからもしかしたらすごいのかもと思ってもらえたりする。
それと、世の中には権威主義の人が跋扈していて、論理じゃなくて、どんな人間が言ってたかでしか是非を判断できなかったりする。
そういう相手から切り捨てられたり、学歴至上主義の人間から不条理な差別を受けないためにも、この魔除けはかなり有効なのだ。
それを凌駕する才能があればいいが、そんなものを持っている人間はごくわずかだ。
もし娘さんが突出した何かを持っていないのであれば、学歴チャームを持っていない場合、ただの偏屈な嫌な女になってしまうだろう。
そういう生きづらさから守ってくれる、不可視なお守りが学歴なのだ。
大学(と大学院)を卒業して思うのが、まだまだ勉強は必要だなあと思っている。
経験や勉強なくしては、自分はだれかの意見を垂れ流しているだけで主体性が無いなと感じてしまうのだ。
人生で一番辛いのは主体性を無くした時だから。そうなる時、生きることがバカバカしくなるのも理解出来る。
それを防ぐためにも、主体的な自分を手にいれるためにも、お勉強だけじゃ無い経験も含めた勉強は重要だと思う。
ただ、学歴だけは若いうちに手に入れた方がいいので、今は受験に関わる勉強をした方が効率はいいと思う。
余談だけど、学歴だけが欲しい人ってのは受験や仕事で使わない知識や経験を軽視しすぎていると思う。
経験も知識の一部なんだけど、俗的な合コンやナンパやクラブやゴルフや登山やサーフィンや釣りやスポーツなどなど、
どれも勉強になる面はあると思う。
理系の同僚は行動力がなくて、権威に認められた知識以外を軽視しすぎて考え方に偏りが多い子が多かったから。笑
(理由をいろいろつけてたけど、多くは傷つくのが怖いとかバカにされたくないとかそういうことだった。)
なので、こういう経験もいずれは手に入れて欲しいなと思う。
深夜2時。田舎のドンキホーテで俺は微分積分の公式をぶつぶつと唱えながら、カラコン売り場周辺を歩く。
バカみたいにでかい不自然な色合いのカラーコンタクト。派手な見た目の金髪ギャルがカラコンを一瞥し、バッコンバッコンとカラコンをほおりこんでいく。
ドンドンドン、ドンキ、ドンキ、ホーテー、とあの音楽が流れる。
安っぽい。また、少ししたら半額になるんだろうな、と思った。
深夜2時の田舎のドンキホーテで微分積分の公式を唱えると観客がバタバタと悲鳴をあげながら死んでいく。
そんな妄想を昔なんとなく思いついて、小難しい公式を覚えてるだけ口にしながら歩いていた。
情報強者の俺は、simロックをこじ開けたMVNO携帯を使いながら、スマートニュースでサッと今夜のニュースを巡る。巡る。
情報の上を指がなぞる。あるいは、情報によって指が動かされている。どっちでもいい。同じことだ。
バカそうな見た目のヤンキー。オナガのように襟足を伸ばしている。
「金がねーわw!」とやたらとバカでかい声でクリスマスコーナーの衣装を物色しながら、時折iphoneをいじる。
金が無いなら、そんなモン買わなきゃいいのに。
金が無いなら、MVNOにすればいいのに。
そんな意地の悪いことを、なんとなく、思う。
バカなヤンキーを一瞥し、またスマホに目を落とす。最新のニュースに思いをめぐらせる。
欧米に比べて日本は仕事に対する異常さが蔓延している。病的だと思う。
サッと検索をかけ、事件の背景や詳細を知るためにデータを集める。考察する。
ふーん、なるほど。面白い。後でツイッターにつぶやいておこう、と予約投稿しておく。
ヘアカラー剤売り場では、やたらとブリーチ剤だけが売れている。
なんなんだコイツらは、カラスの脱色でもしてんのか?それともスーパーサイヤ人か。
30歳くらいのピアス穴を開けたヤンキーがブリーチ剤を3つカゴにほおりこんだ。
粗悪な品。割高な電化製品。インスタントな、チープな商品が立ち並ぶ。
価格コムで買ったほうが安い。
知らない、という事は不幸なことだ。
この世には、もっと上質な物も、安くてよい者も、効率のいい方法があふれている。
知れば。知ろうとする態度があれば、コスパを考えれば、色んな方法があるのを彼らは知ってるのだろうか。
酒やタバコだけじゃない。もっと、難解であるからこそ知的好奇心をゆさぶられる者がたくさんあるというのに。
俺は自分の事に思いをめぐらす。
田舎の、低学歴な、貧困な家庭から、世界からやっと完全に脱出できる。
結果が出るまで長かった。長かった。
訪れることもあるだろうけど、別の世界にいけるのだ。待ち遠しい。
知るという事は、大切なことだ。
ニュースの通知が入る。SMAP解散についてだ。どうでもいい。興味ない。
サッとスワイプしてニュースを振り払う。誰かの書いた情報がこの店内に舞っていく妄想をした。
いんたぁ、ねっと。
こいつがいなければ。知らなければ、俺はあの世界にいたままだっただろう。
「知る。」
この一点だけだ。この一点が、情報の操り方が、人生の舵取りを大きく左右するのだ。
会いたくて、会いたくて震える~
懐かしい曲が。ふと耳に入る。西野カナだ。あの震えるやつ。
「最近見ないよねー、何やってんだろ。」
「えー、マジ?」
カラコン売り場で見たギャルが、ツレの女と歩きながらレジまで向かう。
「ドンキで西野カナ好き、ってなんかめちゃめちゃわかりやすいな。」と、思った。
「西野カナって、ああいう人たちにとっては、難解な比喩とかより、ストレートに歌われたほうがわかり易いんだろうな。」そんな事を考える。
そう思うと、メディアで「西野カナのバッシング」がおきるようになったのは、情報化が進んだ側面だな、と発見する。
おそらくスマホやメディアの普及がなければTVでそんな事は言われなかっただろうな。小さな考察。小さな発見。
20代っぽいけど派手だし、お水系かな。
やっぱ、そういう世界で生きてきたのかな。
ギャルたちの会話に耳を傾け続ける。
「うん、ぜったいいくねー!」
かわいいっぽいし、失敗しても結婚すればいいから、いいよなぁ。
俺は、そういえば何を目指してたんだっけ。
あの例のペンギンと目があう。
ピッ、ピッ、レジの音が何かの鼓動のように響いている。
ペンギン。あ、思い出した。
ペンギンだ。ペンギンの飼育員になりたかったんだ。そういえば。
ペンギン大好きだったんだよな。小学生のとき。ペンギンの飼育員さんになろうと思ってたんだった。
ペンギン好きだったな。そういえば。
「○○円っす、に、なりまっーす 、あざーっす」
金髪の店員のレジの声が近づいてくる。ちゃんと発音しろ、と思った。
ピッ。ピッ。レジの音が近づいてくる。これ、ペンギンの鳴き声にしたらかわいいかも。と思った。
でも、公務員よりいいかな。年収だって、かなり貰えるし。モテるかな。
ブーッ、ブーッ
携帯が振動する。Face bookの通知だった。友達がシェアした事についての通知。どうでもいい。通知が多すぎる。
今度設定変えて切らなきゃな。
俺、これでよかったのかな。
ペンギンの飼育員。ならなかった。趣味でやってた音楽。やめちゃったな。
書きかけた漫画。作りかけの絵。to doリストに入れる必要の無いことたち。
もう、会わないんだろうな。当たり前か。
けれど、
いつから、いつから、自分自身の話をすることが減ったのだろう。
ブーッ、ブーッ。
またface bookの通知だ。しつこい。
たくさん、たくさん色んな世界を知った。コスパ。要領のいい、ベターを選び続けた。
知ることで。コスパを選ぶことで、本当に大事な何かが消えてしまった気がする。
知ることで、考えることで、自分の夢や希望を自ら打ち砕いてしまった気がする。
ニュースも、face bookの通知も、俺には関係ないのに。
どんなカラコンを買おうが、どんな安っぽいコスプレをしようが。
関係ないのに。関係ないのに。そういえば、コスプレとか、そういう仮装。したこと無いな。俺。
「いらっしゃす、っす、っす。円になりっすー、」
俺の番だった。ちゃんと発音してくれ。
何十年後とかも、ドンキホーテ来るのかな。
たぶん来るだろう。大金もちになれるわけでもあるまいし、金持ちだってドンキ使うだろうし。
たぶん大丈夫。これで、これでよかったんだ。
文脈に応じて一般用語と専門用語の使い分けをしたり出来るのかしら?と思っていろいろ試してみた。
クリスマスの飾り付けが、街中のほとんど至るところで見られる。
Christmas decorations are found almost everywhere in the city.
It was a nice atmosphere when two people brought their bodies together and watch horror movies.
This function is almost impossible to differentiate almost everywhere.
The substance reacts vigorously under a specific atmosphere.
うーん、もうちょっと頑張ってほしい。
出来の良いSPIじゃね?
高卒のくせに面積の計算ができない人、大卒のくせに微分がチンプンカンプンの人、そういう人が沢山いるならもう就活に高卒や大卒なんて要求してもしょうがないじゃん。
大学入試や高校入試がSPIの代わりになってるなんて言うならそういう人達がいるのがそもそもおかしい訳でさ。
じゃあ何が必要かと言えばそれぞれの企業が必要だと思う能力を正確に測れるSPIなんじゃないかって事。
それを企業ごとにやっていたら大変だからセンター試験みたいに求職者全員で一斉に受ける仕組みにしたら良いんじゃないのって事。
その結果を見て会社は「まあうちは社会科は50点足切りでいいからこの内容の数学は90点超えてくれないと困るかな」とか「うちは営業だから算数クラスができてればいいよ。でも国語は80点超えてね」とかやっていけばいいんじゃないのって事。
どうかなこのアイディア?
色々いっぺんに解決出来ね?
おっと「奨学金返せない人は今泣いてるんですよ!」なんてただ過去を悔やんでばかりいるだけのネガティブ意見はサンキューノーノーでごぜーますぜ。
先月、韓国の「天才少年」が起こした論文盗作事件が日本でも韓国紙の日本語版記事としてインターネット上で報道された。
韓国の「天才少年」として有名なソン・ユグン少年(17)が彼の指導教官のパク・ソンジェ研究員と共に執筆した論文が、米国の天文学会が発行するAstrophysical Journalに掲載されたのち、韓国のネチズンの指摘をうけ撤回されたというものだ。少年は博士号を取得する間近で、国内最年少博士学位取得の記録も白紙となった。論文が撤回された理由に関してはすでに他に解説がある。
ここでは実際論文がどのようなものだったか、そして推測されることの経緯を探ってみたい。
対象になっているのはパク研究員の2002年の韓国内の研究会の集録に掲載された論文と少年が主著でパク研究員が共著の2015年のAstrophysical Journalの論文だ。論文の中身自体は購読していない限り読めないようだが、双方のページにある論文の概要を比べるとほぼ瓜二つで少年が自分の言葉で執筆していないことがわかる。また別の方法で論文の一部を確認できる。2015年の論文の1ページ目はgoogleの画像検索で確認ができ、google bookで2002年の集録論文のほぼ全文がみれる。見れる範囲では節の名前やほんのわずかな文を除いて、両者はほぼ一致している。
論文は概要と4つの節からなる本文で構成され、最初の3節は過去の研究の説明にあてられ4節目がこの論文の結果になっているようだ。コロラド・デンバー大学のJeffrey Beall氏のブログでは概要と最初の導入の節の比較図があり、そのままコピーされているのが示されている。論文の主要な結果が書かれている4節目もモナッシュ大学の天文学者Michael Brown氏のtwitter上で画像(リンク1、リンク2)が比較されている。こちらも式番号を除けばほぼ完璧に文章と式がコピーされている。氏によると多少の式の変形が見られるが、50以上の式がそのままコピーされているとのことだ。
前述のブログのコメントを読むと上記の部分以外に目を向けても、ほぼ全体にわたって式と文章が完全に位置するという指摘もある。研究者の世界では研究会で先行する成果を見せて、議論ののちに査読雑誌に本論文を投稿する、というのはよくあることだそうが、ここまで一字一句一致するとなると研究集録といえど著作権上の問題から二重投稿として判定されるのは極めて妥当だろう。
興味深いのは前述のブログのコメント欄にあるソン少年が導出したとされる偏微分方程式(論文中の式(4.24)のようだ)を含めた4節目の多くの式でミスがみられるという指摘だ。多変数関数をある独立変数で偏微分する際に他の独立変数を偏微分すると0になることは理系の大学1年生あるいは少し進んだ高校生なら理解できるだろう。ところがソン少年の論文では本来0になって消えるべきこのような項がたくさん残されているという指摘である。この指摘が本当だとすれば、ソン少年かパク研究員のどちらが導出したのかに関わらず、にわかには信じられないミスだ。
少年が導いた式(4.24)は論文の概要にある主要な結果である"Transfield Equation"の可能性が高い。そして上のコメントでは例えばφとωの上にドット(・、時間微分を指す)がついたものは0ではないかと指摘している。面白いことにこれらの項を消すとこの式は2002年の集録論文で同じ"Transfield Equation"と記されている式(61)にかなり類似している。ここからは私の邪推であるが、ソン少年の「功績」とは、式(61)の2、3項目のCの時間微分に式(54)を代入し、4項目のEの時間微分とmの内積を式変形したことなのではないだろうか。しかも上記の初歩的なミスを犯している可能性がある。さて私はAstrophysical Journalを読むことはできないので、論文にある初歩的な間違いが本当か、そして私の邪推が当たっているかはこの論文誌を読める天文学の専門家にぜひ検証してもらいたい。
いずれにせよ、2015年の論文の文章の大半を執筆したのは(13年前の)パク研究員であることにおそらく疑いの余地はない。さらにソン少年が導出した式(4.24)がもし論文の核となる"Transfield Equation"であれば、これはすでにパク研究員が2002年の段階で導いている。ソン少年のこの研究への貢献はその式の単なる変形だけであり、しかも初歩的な間違いを含んでいる可能性が指摘されている。
ソン少年の主著で論文を出版することは目をつぶっても、これを博士課程中の少年の主要な研究業績とするのは倫理的に問題があるのではないだろうか。
ことの経緯はソン少年が博士号を取得するプロセスに密接に絡んでいるようだ。
報道によるとソン少年が所属する科学技術聯合大学院大学校(UST)では博士論文の取得要件として、国際的な査読論文誌に主著で少なくとも論文を一編投稿し、受理される必要がある。ソン少年はこの条件を満たすためにパク研究員の13年前の研究成果をもとにパク研究員と共に論文に投稿したのだろう。
倫理的な是非はさておき、主著のソン少年がパク研究員の研究内容を咀嚼し、自らの言葉で書き直していればここまでスピーディーに問題が明るみにでることはなかった。ところがソン少年とパク研究員は、13年前の集録をごく一部を除いてほぼ一字一句コピーして提出してしまった。このことが原因でAstrophysical Journalから掲載を撤回される今回の事態に行き着いた。
韓国メディアの邦訳や英訳されている記事は、今回の論文撤回によって少年が博士号の取得を逃したということを報道するものが目立つが、ことの経緯が事実であれば倫理的には大きな問題である。本人の意思がどの程度介在したかは分からないが、ソン少年は、他人の業績を自分のものとして出版することにより、博士論文の取得条件をすり抜けようとしたと見られかねない。これは当然、学位を申請したソン少年も認識していたはずだ。これは韓国における"博士"の価値に大いに傷をつける行為なのだが、英訳されている韓国のメディアの記事を見る限り、メディアは国内の研究者への影響には着目していないようだ。
今回の件で合格は撤回されたものの、ソン少年は博士論文の審査に一度は合格したと報道されている。この論文が審査当時少年の唯一の受理された査読論文であった。博士論文の内容は報道では明らかになっていないようであるが、もしこのソン少年の博士論文に撤回された論文の研究内容が含まれていれば彼は他人の研究とみられかねない研究内容で博士号の審査を通り抜けたことになる。先進国の大学では退学などの大きな処分が免れないレベルの大きな不正行為だ。ソン少年は現在新たな論文を準備していると報道されているので、こちらの成果のみが学位論文にまとめられていると期待したい。
パク研究員は国立の天文学研究機関である韓国天文研究院(KASI)に所属しており、 ソン少年がUSTに入学した際に院長を務めているなど韓国を代表する天文学者のようだ。国を代表する研究者が論文の投稿を主導したとすれば、そのインパクトは大きい。
一方、ソン少年が主導したとすれば、彼は研究者の"免許"である博士号を正当な方法ではなく、自らの意思で非良心的な手段で取得しようとしたことになる。ソン少年はおそらく知的には非凡なのだろうが、それに見合う倫理観と良心を持ち合わせていないということを示してしまったことになる。
もっとも論文が13年前の集録の完コピーであったという事実は、彼がパク研究員の成果を咀嚼できておらず、自分の言葉で書き下すことができなかったということを示しているのかもしれない。いずれにせよこの件が明るみになった今、ソン少年の研究者としての信頼とキャリアに大きく傷がついたことは間違いない。
「問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい」という短歌がある。
どうやら天文学的には夜空を微分することは常識で星が強調され、見えない星も見えるようになるらしい。
それを知ってから、僕はこの歌が好きになった。
天文学に興味があるに違いない。
そして、問題文形式であることから、この歌は誰かから誰かに投げかけられたものである。
では誰に?
それは、友達以上恋人未満な男女では無かろうか。
受験勉強でスランプに陥る男、志望する天文学の判定が良くなかったのだろう。
志望する学部が揺るぎ始める。
そして、それを心配する女。
どうにか立ち直って欲しい。でも直接言うのは照れくさいし恥ずかしい。
そこである種フォーマット化した問題文の形式でメールを送ることで
照れ隠しをしたのでは、無かろうか。
(毎日、受験勉強お疲れ様です。たまには、息抜きに夜空でも見上げてみませんか?
模試の結果や周りの意見(街の明りのようなノイズ)が気になるかもしれませんが
自分の夢について、深く考え見つめて欲しいです。)
この歌には、そういった青春がこめられている気がする。
ところで「夜空、青い」といえば
「夜なのに 僕が見るのは あおいそら」を思い出す。