はてなキーワード: 微分とは
「結果がガウス分布になるように調整」というのは本質的にできないよ。その意味は「データからガウス分布をフィッティングした」という意味でしかない。例えば範囲付きで直線状になる分布関数が得られてしまった場合や一様分布になってしまった場合を考えてみればよい(一様分布と言うとBox-Muller変換を思い浮かべてしまうかもしれないけど、あれはサンプリングの話なので)。
モーメントというのは、確率分布関数があったらそのz変換のようなものとしてモーメント母関数というものを定義することができて、モーメント母関数のn回微分をn次のモーメントと言ってx^nの期待値に一致することから来ている。だから平均を1次モーメント、分散を2次モーメントと言う。
あとべき分布とコーシー分布は別物だよ。べき分布はp(x) ~ x^{-a}となるような分布のことで、他のレスにも書いたけどx>>1でのp(x)の挙動がそれに従うという意味で言うことが多い。コーシー分布もそうだけど1次や2次のモーメントが発散するような分布に従う変数については中心極限定理が成立しないんだけど、それでも一般化中心極限定理というのが成立する場合があってそのような変数の和は安定分布という分布に従うことがある。安定分布の裾はべき分布になってる。
世の中には「勉強や学校なんか社会に出てもなんの役にも立たない」という人は結構いるし、彼らはそう信じている。だけど俺の本能はこれを受け入れてはいけないという方向にいつも働いている。せっかくのクリスマスイブ、聖なる夜にこういうことについて考えるのも悪くないかと思ったので書いてみようかなと思う。
まず、「社会に出てもなんの役にも立たない」という話だが、これは少し抽象的でよくわからない。
まず、社会ってなんだろう、ということだ。社会というのはおそらくだが「自分の職場や生活」とかそのへんだと思う。彼らの話を聞いていると「仕事してて、生活してて微分や積分を使う機会なんかないだろう」ということを割というからだ。つまりここでは「社会」というが、噛み砕くと「自分の生活圏内で」ということになる。
一方で「役に立たない」の方だ。役に立つ、とはどういうことかという話だが、これについては解釈がいくらでもできる。生活が充実する、お金がたくさん手に入る、自慢できる、テレビのクイズ番組で回答できる、などなどあるので、この部分は解釈のしようがない。
だが、ここで視点を変えてみる。先程の発言「微分や積分を使う機会なんかない」の部分だ。ここにすべて集約されているのは、役に立たないのではなく使う機会がない、ということだ。
つまり「社会に出ても勉強なんかなんの役にも立たないから学校や勉強は時間の無駄だ」というのは「自分の生活の中で学校で習ったことを使う機会がないから学校や勉強は時間の無駄だ」というふうに解釈するとなんとなく落ち着く。
さて、ここで先程の言葉を真に受けて「でもそんなこといったら新聞も読めないし電車にも乗れないよ」という人がいる。こういう人たちは彼らの言うことを真正面から受け止め過ぎだ。彼らの言いたいことはそこじゃない。ここで問題になるのは「そんなあなたはなんで勉強したんですか?自分が必要だと思う科目だけやってとは捨てちゃっても良かったではないですか」という質問に行かないところだ。
なんでこれをしなかったのか?というとまぁ大概の場合は「シャカイガー」になるわけだ。
社会として現役で高校を出て現役で大学をでて、現役で仕事について、という既定路線を踏襲することが求められている、のはわかるのだが、「それを外れたらもうこの国ではろくな暮らしができなくなる」という強迫観念に負けて大学まで頑張ったが、意味もわからずやってしまったので大学を出た時点で力尽きて燃え尽きた、ということを言いたいのだろう。
確かにこれはこれで悲惨だと思う。かける言葉が見つからない。別に高校なんかハタチすぎてから言ったっていいじゃないとも思うし、大学なんかは40過ぎてからやったっていいだろうとも思う。
そういうわけで応答するなら「辛かったですね、わかりますよ、お疲れ様でした」が正しい答えなのではないだろうか、と思いましたとさ。
いや100%は固定値であり微分値でいえば0だぞ
大微分に突っ込んでほしいの?
スレ乱立しすぎているのでいちいちリンク貼らんけど盛り上がってるみたいなのでタイトルとこれ込で3行だけ言わせてくれ。
投資の目的や種類って非常に広くて単なる財テク的なものからガチでそれをメインの職業にするところまで極めて幅広いと言うか資本主義かつ株式会社しか設立できない現代日本においては単純消費以外のほぼ全ての経済活動が投資の一環と言えるし、広義の「投資」の中には自己研鑽や精神療養さえも含まれるのに、「投資」の話になるとまず老後向けの積立に急に飛んでく時点でもう全てが異常としか言えないわけだが当人たちにその自覚がなくて、そしてこれの何が恐ろしいって投資ってのは見えない所で食い物にされる可能性をまっさきに警戒する必要がある(ドラマに出てくるような詐欺スレスレの先物持ちかけとか最たるもんだけど)んだが、老後向けの保険商品がそういった警戒をせずに脳死でポチれる作りがされていることに甘えきっている層が「投資?楽勝っすわ!老後に向けて積み立てるだけやし!!やらない奴はバカっすね!」みたいに語るのは「私はカモです」と顔面に貼って金融街を散歩しているような状態の一歩手前だってことを知ってほしいわけよね。
よっし3行!
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1番目のHUMAN+は日本産科婦人科学会が監修した健康手帳。以前からあるコンテンツのようだけどTwitterでは8月14日頃から盛んに言及され始めた。
公理から初めて論述によって命題を示すという手法は現代数学の基本
ユークリッド幾何学では厳密な論証を学ぶことができる
もしユークリッド幾何学を学ばなければ抽象代数学などが理解できなくなることは明らか
微分積分などだけを教えていると群論やガロア理論などが理解できなくなってしまう
ガロア理論では作図が主に扱われるからユークリッド幾何学応用になっている
ユークリッド幾何学はまず中初等教育において論述を教える題材として適している
代数などはただの計算であって厳密ではないがユークリッド幾何学は公理から始めて曖昧さなく命題を示す
これは現代数学の基本であって群論やガロア理論を学ぶ際に必要な能力
代数では多項式とは?集合とは?などが厳密に説明されていないがユークリッド幾何学には曖昧さは無い
ユークリッド幾何学が扱う題材は図形であって初等教育にも馴染みやすい
現代数学を厳密に展開するには公理的集合論まで遡らねばならないが
このような条件を満たす単元は他には無い
群論やガロア理論などの抽象代数学はユークリッド幾何学の考えを継承している
これらが確立されたのは18世紀であり微分積分などはそれよりも大分昔の理論だから厳密性がない
ユークリッド幾何学は現代数学のモデルであるから論述を教えることができる
群論やガロア理論は対称性を扱う数学で対称性とは回転や相似変換などの一般化だから
やはりユークリッド幾何学を学ぶことは群論やガロア理論を学ぶことに役立つ
特に群論では、群の正規群(特異点を持たない群)による商で対称性を分類する
この割り算にはユークリッドの互除法のアルゴリズムを用いることができるからユークリッド幾何学の応用になっている
群論の一部であるリー群ではユークリッド空間の回転である直交群を扱うからこれもユークリッド幾何学が直接役に立つ
ユークリッド幾何学では公理系から始めて命題を証明するがこれは現代数学の基本
群論やガロア理論もこのスタイルを継承していてユークリッド幾何学を学ばないと抽象代数学が理解できない
ガロア理論はユークリッド幾何学と同様に、対称性の公理から作図可能性を論ずる
これはいくつかの公理から始めて可能な手順の組み合わせを厳密に論述することで様々な図形を作図していく
ヒルベルトが提唱した円積問題などもこの応用であって、現代数学において極めて重要
ユークリッド幾何学は公理から始めて論述のみによって命題を証明する
これは現代数学の基本であってガロアの理論やヒルベルトの理論などがその手法を受け継いでいる
ユークリッド幾何学をやらないと抽象代数学などを理解できなくなってしまう
ここでいう「ユークリッド幾何学」とは、座標空間、ベクトル、三角関数、微分積分などの解析的手法を用いないいわゆる総合幾何学のことです(*1)。2020年8月現在の高校数学のカリキュラムでいえば、「数学A」の「図形の性質」に該当する分野です。
ユークリッド幾何学が不要だと思う理由は単純明快で、何の役にも立たないからです。大学に入って、「補助線を引いて、相似な三角形を作って~」とか「コンパスと定規による作図」みたいなパズルゲームをやることは絶対にありません(*2)。これは常識で考えても分かると思います。たとえば工学の研究で、ある物体の弧長や面積などを測定しなければならないとして、ユークリッド幾何学の補助線パズルが適用できる多角形や円などしか測れないのでは話になりません。一方、座標空間、ベクトル、三角関数、微分積分などの手法は一般的な現象を記述する上で必ず必要になります。
もちろん、たとえば三角比を定義するには、「三角形の内角の和は180度である」とか「2角が等しい三角形は相似である」といった初等幾何学の性質が必要になります。そのようなものを全て廃止せよと言っているわけではありません。しかし、高校1年生で習う余弦定理:
を証明してしまえば、原理的にはユークリッド幾何学の問題は解けます。それ以降は、ユークリッド幾何学的な手法や問題設定にこだわる必要はないと思いますし、実際それで問題ありません。
現状、少なくない時間がユークリッド幾何学に費やされています。数学の1単元を占めているだけではなく、その他の単元にもユークリッド幾何学の発想に影響された例や問題が多く登場します。たとえば、複素平面において4点の共円条件や垂直二等分線を求めさせる問題など。そして最も労費されているのは生徒の自習時間です。以前よりマシになったとはいえ、大学入試等には技巧的な図形問題が出題されるため、受験生はその対策に多大な時間を費やしています。
高校数学では以下のような事項が重要だと思います。ユークリッド幾何学を学ばせている時間があったら、このような分野を優先的に修められるようにすべきです。
これらの分野は数学の手法としても非常に強力ですし、大学以降で数学を学ぶ際、現実的な問題を数学や物理の問題として正確に記述する際に必ず必要になります。仮にユークリッド幾何学が何らかの場面で応用されるとしても、微分積分などと同レベルに重要だと真剣に主張する人っていらっしゃるでしょうか?
ユークリッド幾何学を初等教育で教えるべきだとする根拠には、大雑把に言って以下の4つがあると思います。
まず①は明らかにおかしいです。ユークリッド幾何学に限らず、数学のあらゆる命題は証明されるべきものだからです。高校の教科書を読めば、相加平均・相乗平均の不等式、点と平面の距離の公式、三角関数の加法定理、微分のライプニッツ則や部分積分の公式など、どれも証明されています。そもそも、数学の問題はすべて証明問題です。たとえば、関数の極値問題は、単に微分が0になる点を計算するだけではなく、そこが実際に極値であるかそうでないかを定義や既知の性質に基づいて示す必要があります。したがって、ユークリッド幾何学だけが特に証明の考え方を学ぶのに有効だという理由はありません。
②もおかしいです。図形問題を扱うのはユークリッド幾何学だけではないからです。ベクトルや微分積分でも図形問題を扱います。たとえば、三角形の5心の存在や、チェバの定理、メネラウスの定理などはベクトルを用いても容易に示すことができます。また言うまでもなく、曲線の接線は微分で求めることができ、面積や体積は積分で求めることができます。また、ユークリッド幾何学の手法は問題ごとに巧い補助線などを発見しなければいけないのに対し、解析的な手法は一般に方針が立てやすく汎用的です。したがって、図形問題を扱うのにユークリッド幾何学の手法にこだわる理由はありません。
③は単なる個人の思い込みであり、科学的な根拠はありません。そもそも、数学教育の目的は「地頭」などを鍛えることではなく、「大学や実社会において必要な数学の素養を身につけること」のはずです。また、これも上ふたつと同様に「ユークリッド幾何学以外の数学では、『数学的直観』などは鍛えられないのか」という疑問に答えられておらず、ユークリッド幾何学を特別視する理由になっていません。
④もおかしいです。そもそも「歴史的に重要である」ことと「初等教育で教えるべき」という主張には何の関係もありません。歴史的に重要ならば教えるというなら、古代バビロニア、インド、中国などの数学は特に扱わないのはなぜでしょうか。もっと言えば、文字式や+-×÷などの算術記号が使われ始めたのでさえ、数学史的に見ればごく最近のことですが、昔はそれらを使わなかったからといって、今でもそれらを使わずに数学を記述するべき理由があるでしょうか。
数学で重要なのはその内容であるはずです。ユークリッド幾何学を擁護する論者は、「(表面的に)計算問題に見えるか、証明問題に見えるか」のようなところに価値を置いて、一方が数学教育的に有意疑だと見なしているようですが、そんな分類に意味は無いと思います。
大昔は代数の計算や方程式の解法(に対応するもの)は作図問題に帰着していたようですが、現代でそれと同様の手法を取るべき理由は全くありません。記述する内容が同じであれば、多項式や初等解析のような洗練された方法・重要な結果を導きやすい方法を用いればよいに決まっています(数学史家は別として)。同様に、ユークリッド幾何学も、解析的な手法で解ければそれでよく、技巧的な補助線パズルなどに興じたり、公理的な方法にこだわる必要はありません。
たとえば、放物線は直線と点からの距離が等しい点の軌跡として定義することもできますが、初等教育で重要なのは明らかに2次関数のグラフとして現れるものです。放物線を離心率や円錐の断面などを用いて導入したところで、結局やるのは二次関数の増減問題なのですから、最初から2次関数のグラフとして導入するのは理にかなっています。数学教育の題材は「計算問題か証明問題か」などではなく、このような観点で取捨選択すべきです。
三角比などを学んだあともユークリッド幾何学を教えたり、解析的な手法では煩雑になるがユークリッド幾何学の範疇ではエレガントに解けるような問題を出して受験生を脅したりするのは、意味が無いと思います。それは、「掛ける数」と「掛けられる数」を区別したり、中学で連立方程式を学ぶのに小学生に鶴亀算を教えるのと同様に、無駄なことをしていると思います。
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(*1)
現代数学では、n次元ベクトル空間R^n = Re_1⊕...⊕Re_nに
(e_i, e_j) = δ_i,j (クロネッカーのデルタ)
で内積が定義される空間上の幾何学はすべてユークリッド幾何学に分類されます。したがって、上にあげた座標空間、ベクトル、微分積分、一次変換なども敢えて分類すればユークリッド幾何学です。しかし、ここではその意味でのユークリッド幾何学が不要と言っているのではありません。飽くまでも、技巧的な補助線問題や、公理的な方法にこだわることが不要だと言っています。
(*2)
数学科の専門課程で学ぶガロア理論では、コンパスと定規による作図可能性が論じられますが、これは「作図問題にガロア理論が応用できる」というだけであり、「ガロア理論を学ぶのに作図の知識が必要」というわけではありません。
いつまでも冷めないままで 飢えた感情に馳せた想いは 想定外の空間のどっかに存在してる
まるで僕らの前の視界が 最初からそうだったかのように思えるんだ
取捨選択を迫られる時代に 引き起こされた大合併の如く 許容していくんだ
心から湧き出したって 解いた問題にひかれた赤線は 未熟な発想の域を超えていく
まるで僕の知らない次元で 別解を作り出す奴がいるようだ
微分積分の意味さえ知らずに その場をしのぐ丸暗記の如く 見失ってたんだ
あの日聞いた噂の続報なんてもちろん知らない
さよならも言えぬままで 消えた後輩に涙した先輩は 追いかけることもなく諦めていく
Amazonのレビューなどに書くと過去のレビューから身バレする可能性があるのと、わざわざ別アカウントを作ってまで批評するほどのものではないと思ったので、こちらに書きます。
初めに断っておきますが、本稿は別に加藤文元先生の人格や業績などを否定しているわけではありません。また、IUT理論やその研究者に対する批判でもありません。「IUT理論が間違っている」とか「望月論文の査読体制に問題がある」などと言う話と本稿は全く無関係です。単純にこの本に対する感想でしかありません。
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加藤文元先生の「宇宙と宇宙をつなぐ数学 - IUT理論の衝撃」を読みました。結論から言って、読む価値の無い本でした。その理由は、
「ほとんど内容がない」
本書は、RIMS(京都大学数理解析研究所)の望月新一教授が発表した数学の理論である、IUT理論(宇宙際タイヒミューラー理論)の一般向けの解説書です。
1~3章では、数学の研究活動一般の説明や、著者と望月教授の交流の話をし、それを踏まえて、IUT理論が画期的であること、またそれ故に多くの数学者には容易には受け入れられないことなどを説明しています。
4~7章では、IUT理論の基本理念(だと著者が考えているアイデア)を説明しています。技術的な詳細には立ち入らず、アイデアを象徴する用語やフレーズを多用し、それに対する概念的な説明や喩えを与えています。
まず、数学科の学部3年生以上の予備知識がある人は、8章だけ読めばいいです。1~7章を読んで得られるものはありません。これはつまり「本書の大部分は、IUT理論と本質的に関係ない」ということです。これについては後述します。
1~3章は、論文が受理されるまでの流れなどの一般向けに興味深そうな内容もありましたが、本質的には「言い訳」をしているだけです。
などの言い訳が繰り返し述べられているだけであり、前述の論文発表の流れなどもその補足のために書かれているに過ぎません。こういうことは、数学者コミュニティの中でIUT理論に懐疑的な人達に説明すればいい話であって、一般人に長々と説明するような内容ではないと思います。もっとも、著者が一般大衆も含めほとんどの人がIUT理論に懐疑的であると認識して本書を書いたのなら話は別ですが。
4~7章は、「足し算と掛け算の『正則構造』を分離する」とか「複数の『舞台』の間で対称性通信を行う」などの抽象的なフレーズが繰り返し出てくるだけで、それ自体の内容は実質的に説明されていません。
のように、そこに出てくる「用語」にごく初等的な喩えを与えているだけであり、それが理論の中で具体的にどう用いられるのかは全く分かりません(これに関して何が問題なのかは後述します)。そもそも、本書を手に取るような人、特に1~3章の背景に共感できるような人は、ここに書いてあるようなことは既に理解しているのではないでしょうか。特に6~7章などは、多くのページを費やしているわりに、数学書に換算して1~2ページ程度の内容しか無く(誇張ではなく)、極めて退屈でした。
8章はIUT理論の解説ですが、前章までに述べたことを形式的につなぎ合わせただけで、実質的な内容はありません。つまり、既に述べたことを並べて再掲して「こういう順番で議論が進みます」と言っているだけであり、ほとんど新しい情報は出て来ません。この章で新しく出てくる、あるいはより詳しく解説される部分にしても、
複数の数学の舞台で対称性通信をすることで、「N logΘ ≦ log(q) + c」という不等式が示されます。Θやqの意味は分からなくてもいいです。
今まで述べたことは局所的な話です。局所的な結果を束ねて大域的な結果にする必要があります。しかし、これ以上は技術的になるので説明できません。
のような調子で話が進みます。いくら専門書ではないとはいえ、これが許されるなら何書いてもいいってことにならないでしょうか。力学の解説書で「F = maという式が成り立ちます。Fやmなどの意味は分からなくていいです」と言っているようなものだと思います。
本書の最大の問題点は、「本書の大部分がIUT理論と本質的に関係ない」ということです(少なくとも、私にはそうとしか思えません)。もちろん、どちらも「数学である」という程度の意味では関係がありますが、それだけなのです。これがどういうことか、少し説明します。
たとえば、日本には「類体論」の一般向けの解説書がたくさんあります。そして、そのほとんどの本には、たとえば
奇素数pに対して、√pは三角関数の特殊値の和で表される。(たとえば、√5 = cos(2π/5) - cos(4π/5) - cos(6π/5) + cos(8π/5)、√7 = sin(2π/7) + sin(4π/7) - sin(6π/7) + sin(8π/7) - sin(10π/7) - sin(12π/7))
4で割って1あまる素数pは、p = x^2 + y^2の形に表される。(たとえば、5 = 1^2 + 2^2、13 = 2^2 + 3^2)
のような例が載っていると思います。なぜこういう例を載せるかと言えば、それが類体論の典型的で重要な例だからです。もちろん、これらはごく特殊な例に過ぎず、類体論の一般論を説明し尽くしているわけではありません。また、類体論の一般的な定理の証明に伴う困難は、これらの例とはほとんど関係ありません。そういう意味では、これらの例は類体論の理論的な本質を示しているわけではありません。しかし、これらの例を通じて「類体論が論ずる典型的な現象」は説明できるわけです。
もう一つ、より初等的な例を出しましょう。理系なら誰でも知っている微分積分です。何回でも微分可能な実関数fをとります。そして、fが仮に以下のような無限級数に展開できたとします。
f(x) = a_0 + a_1 x + a_2 x^2 + ... (a_n ∈ ℝ)
このとき、両辺を微分して比較すれば、各係数a_nは決まります。「a_n = (d^n f/dx^n (0))/n!」です。右辺の級数を項別に微分したり積分したりしていい場合、これはかなり豊かな理論を生みます。たとえば、等比級数の和の公式から
1/(1 + x^2) = 1 - x^2 + x^4 - x^6 + ... (|x| < 1)
arctan(x) = x - x^3/3 + x^5/5 - x^7/7 + ...
π/4 = 1 -1/3 + 1/5 - 1/7 + ...
のような非自明な等式を得ることができます。これは実際に正しい式です。また、たとえば
dy/dx - Ay = B (A, B ∈ ℝ、A≠0)
のような微分方程式も「y(x) = a_0 + a_1 x + a_2 x^2 + ...」のように展開できて項別に微分していいとすれば、
よって、
a_0 = -B/A + C (Cは任意の定数)とおけば、
- a_n = C A^n/n! (n ≧ 1)
「e^x = Σx^n/n!」なので、これを満たすのは「y = -B/A + Ce^(Ax)」と分かります。
上の計算を正当化する過程で最も困難な箇所は、このような級数が収束するかどうか、または項別に微分や積分ができるかどうかを論ずるところです。当然、これを数学科向けに説明するならば、そこが最も本質的な箇所になります。しかし、そのような厳密な議論とは独立に「微分積分が論ずる典型的な現象」を説明することはできるわけです。
一般向けの数学の本に期待されることは、この「典型的な現象」を示すことだと思います。ところが、本書では「IUT理論が論ずる典型的な現象」が数学的に意味のある形では全く示されていません。その代わり、「足し算と掛け算を分離する」とか「宇宙間の対称性通信を行う」などの抽象的なフレーズと、それに対するたとえ話が羅列されているだけです。本書にも群論などの解説は出て来ますが、これは単に上のフレーズに出てくる単語の注釈でしかなく、「実際にIUT理論の中でこういう例を考える」という解説ではありません。これは、上の類体論の例で言えば、二次体も円分体も登場せず、「剰余とは、たとえば13 = 4 * 3 + 1の1のことです」とか「素因数分解ができるとは、たとえば60 = 2^2 * 3 * 5のように書けるということです」のような本質的に関係のない解説しかないようなものです。
もちろん、「本書はそういう方針で書く」ということは本文中で繰り返し述べられていますから、そこを批判するのはお門違いなのかも知れません。しかし、それを考慮しても本書はあまりにも内容が薄いです。上に述べたように、誇張でも何でもなく、数学的に意味のある内容は数学書に換算して数ページ程度しか書かれていません。一般向けの数学の本でも、たとえば高木貞治の「近世数学史談」などは平易な言葉で書かれつつも非常に内容が豊富です。そういう内容を期待しているなら、本書を読む意味はありません。
繰り返し述べるように本書には数学的に意味のある内容はほとんどありません。だから、極端なことを言えば「1 + 1 = 2」や「1 + 2 = 3」のような自明な式を「宇宙と宇宙をつなぐ」「正則構造を変形する」みたいに言い換えたとしても、本書と形式的に同じものが書けてしまうでしょう。いやもっと言えば、そのような言い換えの裏にあるものが数学的に正しい命題・意味のある命題である必要すらありません。本書は少なくとも著者以外にはそういうものと区別が付きません。
ここまでネガティブなことを書いておいて、何食わぬ顔でTwitterで加藤先生のツイートを拝見したり、東工大や京大に出向いたりするのは、人としての信義に反する気がするので、前向きなことも書いておきます。
まず、私は加藤先生のファンなので、本書の続編が出たら買って読むと思います。まあ、ご本人はこんな記事は読んでいないでしょうが、私の考えが人づてに伝わることはあるかも知れませんから、「続編が出るならこんなことを書いてほしい」ということを書きます。
まず、上にも書いたような「IUT理論が論ずる典型的な現象」を数学的に意味のある形で書いていただきたいです。類体論で言う、二次体や円分体における素イデアル分解などに相当するものです。
そして、IUT理論と既存の数学との繋がりを明確にしていただきたいです。これは論理的な側面と直感的な側面の両方を意味します。
論理的な側面は単純です。つまり、IUT理論に用いられる既存の重要な定理、およびIUT理論から導かれる重要な定理を、正式なステートメントで証明抜きで紹介していただきたいです。これはたとえば、Weil予想からRamanujan予想が従うとか、谷山-志村予想からFermatの最終定理が従うとか、そういう類のものです。
直感的な側面は、既存の数学からのアナロジーの部分をより専門的に解説していただきたいです。たとえば、楕円曲線のTate加群が1次のホモロジー群のl進類似であるとか、Galois理論が位相空間における被覆空間の理論の類似になっているとか、そういう類のものです。
以上です。
加藤文元先生、望月新一先生、およびIUT理論の研究・普及に努めていらっしゃるすべての方々の益々のご健勝とご活躍を心からお祈り申し上げます。
以下、センスという言葉は字義通りの意味、つまりテクニカルな要素に先立つ感覚的な要素の意味で用いる。
これは考えてみれば当然だ。
たとえば力学の質量や速度などの概念は理論的に定義されるから存在するわけではなく、それに対応するものは感覚や認識として存在しており、理論はそれを上手く反映したモデルなのだ。
いくら数式の変形が得意でも、速度という概念が日常的な感覚として理解できていなけれは、力学を理解することは不可能だろう。
もちろん、知識によって補強されるセンスもある。たとえば電磁気学の概念の多くは、力学の概念のアナロジーであるから、力学を正しく理解していることが、ここでいうセンスに該当する。
なお、センスというのはプラスアルファの特別な才能ではなく、必要条件に過ぎない。
彼らは、自分が理解できないことを話し手の説明のせいにしたがるが、ほとんどの場合、彼らのセンスが無いのである。
普通の人に何かを系統立てて説明する場合、以下のような手順を踏めば、よほど前提知識が足りていない場合を除いて、おおよそ通じる。
2番目と3番目は入れ替えても構わない。これは演繹的に考えるか、帰納的に考えるかの違いであり、どちらか一方が優れているというものではない。
およそどんな分野にも、異常にセンスのない
奴は存在して、奴らは、どんなに言葉を変えて説明しようが、具体例を示そうが、たとえ話をしようが、絶対に理解しない。
何せ、センスの無い奴は上の工程のどの箇所も、特に(1)すら理解していないからだ。奴らはたとえば、「2次方程式を解くのは1次方程式を解くよりも難しく、別の方法が必要になる」というところからまず理解していない。こういう奴らに平方完成とか教えても無意味である。
教育にナイーブな幻想を抱いている奴は、適切に教えれば誰でも理解できると思っている。特に、分からない原因を突き止めて改善すれば分かるようになると思い込んでいる。たとえば、微分法で接線の方程式が分からないのは、2点を通る直線の方程式の立て方が分からないからだ、とか。
もちろん、これは原理的には正しいのだろうが、ほとんど現実的ではない。おそらく、小学校低学年まで遡らないと、そういう原因を解消することは不可能だろう。
センスの問題を感じる奴の多くに欠けていると思うのが、言語的なセンスだ。
たとえば、プログラミングを教えていると、「ソースコード」や「オブジェクト」という言葉の意味が分からなかったとか、フィードバックしてくる奴が結構いる。もちろん、一部はやる気が無くてそういうことを書いているのだろうが、数が多いので実際にそういう奴はいるのだろう。
普通の人はそんな感想は抱かない。その話の中でそれらの語が何を指しているのかは明らかであるし、そもそも「それらの語の厳密な定義を知らなくても内容は理解できる」ということは分かるからだ。