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はてなキーワード: 帰納とは

2018-07-16

anond:20180716132559

一応過去判例とかから帰納された公式のようなものはあるんじゃないでしょうか(被害の規模とか)

判決には、そこに酌量という要素が加わるとは思いますが。

2018-04-08

LGBTは冷静になれないほど困窮しているのでしょうか

この類の話ってのは、まあよくある話ですし、帰納することでLGBT以外のマイノリティにも同じように演繹できるんですよね。

で、わたしもそのLGBT以外の属性マイノリティなんですけども(メンタル系)、社会を殴りたいのはありますよ。毎日しかしいちおう働けて経済自立できているし、恋人は作れないけど性欲のほうは自己完結できてるし、そこまで困窮してないから冷静に言えるのだろうけども。困窮してたら冷静になれないだろうなーとは思う。保護してくれ。

ちなみに自分がどのくらい社会を殴りたいかというとこのくらい:https://anond.hatelabo.jp/20170817024451

わたしは例の記事からLGBT自戒として、力いっぱい社会を殴り続けるようなことをしてはらない。そんなの相手が辛いだけだ」という教訓を得ることを狙っている、と受けとったのですが、その狙いとは真逆の反応が多くて困惑した。

https://withnews.jp/article/f0180406003qq000000000000000W03j10101qq000017134A

から、なおさらこの記事の狙いであろうことを今後も言い続けたほうがいいのでは、と思いました。何を言われているかちゃん理解していますか?してないでしょ・・そんなだからこの記事を書かれてるんでしょう・・・。まさに。

しかし譲ってさらに突っ込んで考えると、「もはや冷静になって非LGBT者を対等な人間と考えてコミュニケーションを図る余裕すらないほどに深刻に困窮している」と捉えることができ、それはもはや自戒を課すことのできる状態ではなく、それ以前の問題であり、つまりは自立した人間でなく要保護・要介護レベルと見なさざるを得ないことになるのですが・・、その判断をするにはちょっと躊躇している。

そんなことは無いですよね。

もちろん、自立できますよね。

もし本当に対等にコミュニケーションが取れないほどに困窮してるとなると、うーん生活保護とか、カウンセリングとかを申請することになるのでしょうか。よくわからないけども。

2018-01-24

友達としては好きだけど恋愛対象にはならない」

を察知する判断基準存在するだろうか?

私には、何度も二人で出掛けている女性(Aさんと表記する)がいる。

Aさんとは趣味共通しており、ここ半年くらいの間、2週間に1回の頻度で、遊んだ食事に行ったりしている。

毎回楽しい時間を過ごせている(と私は思っている)し、食事基本的に割り勘であるのにAさんからはお礼のメールが毎回届く。

恋愛関係話題になることもある。

しかし、告白はしていない。

恋愛関係話題になっても、どこか会話のメタ度が高く、私たち次元まで会話が下りてこない気がしている。

二人でいるときムード高まることもない。それどころか手を繋いだこともない。

先日は、二人でランチに行った。

待ち合わせ場所に行ってみると、Aさんと共にAさんの女友達(私とも面識がある)がおり、Aさんにとって「男との約束を友人に公言する」状況になった。

Aさんは彼女と別件があったそうだが。

兎に角、私は彼女挨拶し、彼女は帰った。

その後は楽しく二人でランチに行き、付近散歩して夕方解散した。

これは、表題のように私が箸にも棒にもかからないからなのか、半ば交際宣言なのか、頭を悩ませている。

私は別にAさんに嫌われていないと思う。

近い内にハッキリと交際を申し込もうと思うのだが、そのとき気にかかるのが、表題の状況に陥ってはいいかである

何分、私は交際経験がないので、自力経験則帰納することはできない。

そのため、他人体験談から表題基準を私なりに抽出したいと思う。

賢明なる増田諸氏の話を伺いたい。

2018-01-07

anond:20180107193703

無駄だよ、低能先生の言う差別は、

字は同一でも低能先生オリジナル定義から

何を言っても意味を調べろとしか回答は来ない。

俺は、帰納的に低能先生使用事例から意味特定しようとしたがループになるので諦めた。

2017-12-12

https://anond.hatelabo.jp/20171212000608

本当に役に立つ研究は弾き出すものでなく、見出すものだぞ。演繹でなく帰納一般論としてな。

これ俺の他の研究

https://medium.com/@0h0n0/-18429d1b8d73

2017-12-07

anond:20171207122902

誰かが左翼理屈ものを考え、右翼感性ものを考えると言っていたが、自分は明らかに好き嫌いという感性から理論帰納させてるから右翼なんだよなあ。(そして感性立脚した理論美学と呼ばれる)

これは結局のところトップダウンで考えるかボトムアップで考えるかの違いでしかなく、辿り着く先が両者一致することも想定される。

2017-11-02

https://anond.hatelabo.jp/20171102015354

>そのリンク先で説明してる個々のアルファベット意味をどんな事実から帰納したのか説明できないといけない

そりゃあ英単語からでしょう。


帰納的な議論を展開する論文もあれば演繹的な議論を展開する論文もある。

じゃあ仮に英単語からこの法則見出したとして、何を根拠にそれを査読するわけだ?

帰納というのは本質的に飛躍があるもんだぞ。音の意味なら根拠になるのは文法でなく単語しか無いし、そこから法則見出した以上のもの理論上あり得ないなら仕方ないでしょう。

https://anond.hatelabo.jp/20171102011105

Aからからいか、Bが分からいか、とか教えてほしい。


論文にしないのは、これは論文にならないから。この理論あくま帰納的なものしかなく、演繹的な論文という形式にはなり得ない。

入門書など読んで努力した事はあったが、そういう原理から無理だと分かった。審査根拠が無い。

しかそもそも自然言語研究というのは既に分かっているもの明確化する作業なわけで、演繹でなく帰納なはずなんだけどな。

2017-10-25

https://anond.hatelabo.jp/20171025203444

ああ、やっぱり分からない感じなのか。

twitterで、英単語ツイートした適当な奴にいいねを送っていたが、打率が悪いんで今回も分かりにくいんだろうと思っていた。

日本言語学会にもこういう脅迫めいたメールを送って、4日ほど経った。今回も返事は帰ってこないだろう。twitterでは半年ほどは動いているはずだから放置してメールが来たら良いなぐらいのスタンスでいこうと思う。


『三度目の送信になります。(本名)です。

http://otoimi.net/

このようなサイトを作り、宣伝して周っていますが、あなた方が「日本言語学会」などという普遍的名称を掲げ、権威として振舞っているおかげで、こちらはそれに認められてないというだけでデマとして扱われ迷惑しています

あなた方は論文審査と言いますが、そもそも自然言語分析というのは既に知っているものについて明確化する作業なのであって、本来的に演繹的でなく帰納的なものであるはずです。

あなた方が何をもって論文審査するのか理論的に分かりませんし、そのようなもののために無職である私が7000円も支払うわけにはいかないのです。

最初に書いたように、意識しないにしても、あなた方は間接的に私の活動障害になっています

今回に限らず、あなた方はその名称をもって一般的に、権威と認められ、障害として存在しています

であるからあなた方は社会的にこの質問に答える義務があります

返答を待っています。』


追記:ああ、あんた、本当にありがとな。

2017-10-22

リベラリズムって、単に経験主義や「科学主義」のことなんじゃないの

昨今、議論するほど取っ散らかって、結局ちっともまとまらないリベラルとは何か、ということについて

皆さん自由はもちろん、権利や、公正や、分配のことだと言うんですよ。でもね、それって本当にそうですか?そもそもなんでそんな考えが出てきたんですか?

遡るとリベラリズムジョン・ロックという人に行き着きます。ここまでは普通です。彼はイギリス経験論の人でした。そう、この時代までに経験哲学が生まれ、同時にそこから近代科学誕生したのです。

ロック氏は経験論を根拠に、国王統治権王権は“神”に与えられたものではなく、各人の持つ自然権を守るために委任されたものだ、という思想発明します。これがリベラリズム誕生です。本当です。

これってさ、科学じゃん。観測に基づいた帰納と仮説じゃん。リベラリズム自由の生みの親は、経験主義科学思考方法論なのです。

ブコメなどから社会契約説元ネタ聖書である、だから信仰一種である科学ではない)とのご指摘がありました。

私はこの時代科学宗教を、そんなに区別していませんでした。ガリレイキリスト教の“異説”を唱えたキリスト教徒であり科学者です。経験主義の祖のベーコンキリスト教徒です。

なので、ロックプロテスタント(だから王権神授説の異説を唱えた)であり社会科学者のプロトタイプなのではないでしょうか。

(続き)ロックから始まるリベラリズムは、この仮説をもとにして以後、市場経済功利主義ロールズ正義や公正などを発明していきます。また、自由科学知識をもった者は産業革命を担い、社会そして個人生活科学技術的に豊な方へと変えいきました。

でも私は思うんです。いつの間にが、現代リベラリズムからは「科学主義」が失われているんじゃないか自由のための公正や分配もいいけど、まずそれらを科学的に考えることがリベラルなんじゃないか

リベラリズムの遠戚である共産主義には、最初科学がありました。そしてその頃までは栄えていました(笑) これはリベラリズムにも言えて、現在低調と言われたりするのは、科学手法科学技術を援用し政治することが足りてないからなのではないのか!?

翻って日本リベラルを見てみると、どう思いますか。あれ、自民党の方が「現代経済学に根差し金融政策」してませんか?なんで理系ギーク系が自民党支持なんてすか?自民党リベラルと言うのは、なしです(笑)

日本、または世界リベラルが低調なのは、きっと保守科学手法を上手く使われているかなのだと、私は思いますリベラル革新的な利点そのものが無くなりますからね。必ずしもナショナリズム感情時代から、ではないのです。マイナンバー制度の根幹はIT技術です。IT技術であるツイッター世界でも保守言論がよく使っています

からリベラルは、ごちゃごちゃとリベラルとは何だなどと議論する前に、現代科学議論に基づいた政策と、科学技術振興策を取ってください。

そして物理科学社会科学者と科学技術者の信頼を取り戻し、本来科学進歩的リベラルに戻っていただきたい。 枝野さん、お願いしますよ。

2017-10-15

anond:20171015093633

単純に、帰納的な復讐連鎖のはじまり、その原因を無くせば良いだけではないのか?

2017-05-27

元増田提案する「標準ライセンス」が妥当ではない理由

http://anond.hatelabo.jp/20170527185142

元増田は、炎上メカニズムに触れた。

炎上は「誰かが決定的に間違っている」から続くのではなく、「ある立場の人からみると、別の立場の人のやっていることが極めて無作法に見える」ということによって起こる。

という指摘は、まったく慧眼だと感じた。元増田はその課題として対象の慣習が不可視であるということを挙げ、解決策として基準Eを提案したが、私は基準Eの妥当性には大きく疑問がある。

利用規約化」「標準ライセンス」は無駄努力であるルールがどこで策定されているか、それが法なのかコミュニティなのかは、関係ないし、炎上の防止にとって本質的ではない。例えば今回のケースでは、腐女子界隈が引用を正しく理解していなかったことが炎上に大きく寄与した。ここから言えることは、いくらルール存在しても、それが構成員ひとりひとりに周知されていないかぎり、炎上のような民主的プロセス意味をなさないということである学校であればリテラシー教育という形を使うことができるだろう。しかインターネット自己組織的コミュニティにそういう「知識強制」を適用することはできない。

また、「腐女子に頑張ってほしい」というのも奇妙だ。頑張るモチベーションが弱い。こういうことが起こるたびに燃やせばいいと考えるかもしれない。「なんであんなやつらに協力しなければいけないのか」というのが平均的な感覚であろう。とはいえ、後述するが、何らかの協力は求めなければならない。

自分たちけが弱者被害者という立場でないことは理解してほしい」というのは、ナイーブアプローチである理解を達成することを甘く見すぎている。また、ルールの衝突が根本にある問題にたいして、また更にルールを以て解決しようというのは、「ルールがあれば、問題解決する」という盲信だとすら思う。

私なら、これは学術側が主体的努力する問題だと考える。研究に伴う炎上を防止したいというのは学術界の都合だ。方策としては、「界隈に存在する研究ガイドライン推定すること」が良いだろう。具体的には、研究にあたり「どこが論点なのか」を洗い出し、腐女子インタビューを行うことで、我々は妥当であろう研究ガイドラインを成立させる。

当事者へのインタビューは、かならず肌感覚をともなって収集しなければならない。よって事例に対する反応を収集し、良さそうか悪そうか判定してもらうのがよい。我々はそこから帰納的に基準を見出すべきだ。逆に、いきなりルールを探る試みは失敗するだろう。「法律視点からプライバシー配慮するなど、完全に合法範囲であれば、研究可能ですか」に当事者が首肯しても、いざ事態となれば、やっぱりだめだったとなるのがオチだ。

では、そうしたインタビューを誰がやるのかというのが次の問題である。個々の研究者責任を負わせるだけでは、やはりめんどくさいので研究が停滞してしまう。「XX界隈に対する適切な研究ガイドライン推定」というのも一つの研究ジャンルになりうるため、それを確立するというのはどうだろうか。そうすれば、これ自体研究足りうるので、研究者として動機づけられるはずだ。

2017-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20170518155121

"所謂呼ばれる層"というのであって、

からそこの定義曖昧なら話が始まらないじゃん

頭蓋骨に脳の代わりにチンカスでも詰まってるのか?

別に彼らが一枚岩とも思っていない

一枚岩か否かっていうのは

当該集団自体存在した上でその内部が統制取れてるか否かって議論だろ

自分と考えの違う人間を見た時に、どうしてそう思うのか、もう少しよく知りたくはならないのか?

例えば俺から見てお前は頭悪すぎるけど

お前の頭の悪さを何かに帰納することは出来ないよ

どうしてお前がそんなに頭悪いのか?

遺伝子的にあんまりよくない&勉強する場に恵まれなかったんだろう

それ以上の推測は無意味

頭を打ったことが有るとか特殊事情があるなら申告してくれてもいいけど

2017-04-02

suicaPASMOオートチャージ普遍的仕様として提供されない理由

結局、様々な日本問題の一部を帰納的に言い表している気がする。面倒くさすぎ。交通クレジットカードビューカードだけとかアホじゃなかろうかと。

2017-04-01

熊谷千葉市長「貴方普通じゃない」が物議【男性保育士問題

https://togetter.com/li/1096027

宇野氏の主張を帰納して別のことに演繹すると、例えば

「女はバカから調理場に立つな」「X国人犯罪者から入国禁止

とかになるんだけど、本人はそれを自覚してるのかな。自覚しているとはとても思えないのだけども。

自分がどのような結果を招く言動をしているか自覚がない」いつものパターンだけど。

結局このテのバカフェミの人たちの主張って、ジャイアニズム次元から抜け出せていないんだよね。

というかバカフェミだけじゃないけど、どうして特権の確保を目指そうとしてしまう輩は後を絶たないのかね。

それでは上手くいかないよと歴史証明しているのに。

2016-10-25

安易双極性障害診断に異議あり

最近やたらとネット上で「私は双極性障害です。」というカミングアウトが目立つ。医師がそう診断したというのが根拠だ。


ネット上でメンタルヘルス界隈を見続けて18年超の私から申し上げると、「一昔前までは、双極性障害を自認するメンヘラーはまずいなかった」という事実がある。病名が、躁うつ病 → 双極性障害 に変わったから当たり前なのだが、じゃぁ以前に「躁うつ病」とカミングアウトしたメンヘラーがいたかといえば、とても少なかった。(うつ病自称者はウジャウジャいた)

精神医学商売にもトレンドがある。世紀をまたぐ頃から長らく「うつ病の診断とSSRI抗うつ薬)の処方」という流行があった。それがここ数年で「双極性障害の診断とラミクタールの処方」に変わった。かなり露骨・・・

SSRI抗うつ薬)に反応しない患者双極性障害治療をしたら治癒するシチュエーションは確かにある。双極性障害なのにうつ病診断されていた患者に、適切な病名が告げられるようになったともいえるかもしれない。

しかし、そんな医学進歩的理由が主因だとは思えない。今、メンタルヘルス医者が儲けようとしたら、薬価の高いラミクタールとエビリファイという、うつ病治療とはベクトルの違う処方をした方が単純に儲かる。加えて、うつ病だと寛解したら治療が終わってしまうが、双極性障害の診断をすれば長期的な通院が期待できる。この二つが真の理由(あえて断言したい)

医療世界でもメンタルヘルス界隈ほど製薬会社戦略安易に乗っかる分野はない。SSRIを売りたいトレンドでは「心の風邪」なる言葉と共に不必要な人にまで抗うつ薬が胃薬のように安易に処方された。それが今、双極性障害の診断の名の下に高価な薬がやたらと処方されている。それだけなのだ

厄介なのが双極性障害にはⅠ型とⅡ型があって、後者抑うつがメインで躁状態は軽微というパターンで、これはうつ病との診断の見極めが難しい。ちょっと前までは「新型うつ病」の新しい概念を使って患者を量産してきた、それに疑義を唱える雰囲気が濃厚になった昨今、精神科医が胡散臭くなくて、薬を選びやす双極性障害Ⅱ型に診断名を変えてきただけだ。こんな恣意的診断にも医療費健康保険から支払われる。長谷川豊的嘆かわしさだ。

私の個人的経験から帰納すれば心療内科メンタルヘルスクリニックの大半は他の医療分野と比較してあからさまにレベルが低い。安易になされた双極性障害診断に納得してはいけない。((参考:気分障害の当事者活動と「双極性Ⅱ型」について))

2016-09-19

国語教育

現職の高校国語教員

国語の授業というのは現在変わりつつあるらしい

今の20代以上の人なら、きっと、現代文の授業は、

形式段落意味の上で大段落に分けて、第一段落…のように形式段落ごとにちまちまと読解した覚えがあるだろう

自分も未だにそのやり方を続けている

これは、小学校先生に言われれば、古式ゆかしい方法論らしい

アクティブラーニングなんかが好きな人はたぶん生理的に受け付けないんだろう

しかし、自分はこのやり方を変えるつもりは今のところない

現代文(特に評論)の読解には、大きく分けて2つの読み方がある

1つは、トップダウン式の読み方で、全体をざっと理解してから細部に及ぶという、いわば演繹的な読み方である

もう1つは、ボトムアップ式の読み方で、細部を精読してそれを有機的に繋ぎ合わせるという、いわば帰納的な読み方である

多くの国語教員後者のやり方を取ってきた、特に中学高校教員

今、それが古式ゆかしいと批判されて、トレンディではないらしい

トレンディであるかないかじゃなくて、もっと別の方法から自分トップダウン式の読み方を授業に持ち込むのは反対だ

まずもって、トップダウン式の読み方というのは、まともに書かれた文章をまともに読もうとするとき、まともに使うことは稀であるように思う

それこそ、難関国立大の2次試験程度だ

そして、トップダウン式の読み方というのは、何より、それを履き違えた形で身に付いてしまうと、

自分の都合のいい/自分が読める箇所だけを繋ぎ合わせて何となく理解した気になって、こんなもんだろう、と都合のいい物語勝手に作り上げてしまう」

危険性が、ボトムアップ式の読み方より強い

それに、ボトムアップの読み方すらできない人は、トップダウンの読み方なんて絶対無理

しろもっともっと、細かい部分をきちんと読み込めるようにしないとダメだと思うぐらい

時代の流れだとか言うけど、

過去より現在が常に正しくて、未来もっと正しくなる」って考え、進歩主義以外の何物でもないと思うんだよね

「新しいものから」とか、「時代の流れなんだ」とか、それは主張の正当性を裏打ちするものではないと思う

「進んでる」とか「遅れてる」とかそういうフレーズ価値判断と絡めて使う人は大抵、論理的正当性を主張できないから、進歩で殴るしかない

から自分はこのままつまらない授業を続ける予定

2016-07-15

どうして分数のわり算は気持ち悪いのか

折にふれてはおもひでぽろぽろ引用して出てくる分数の割り算の話題で思ったこと。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47340

りんご6個を(1/2)人で割ると12個に増える気味の悪い事態が発端であり、

通例的な説得手段は概ね、

りんごや人という離散量を扱うのを諦める

時間や速度など演算結果が別の単位となる例題を使用する

方程式アイデアを利用して帰納的に結果の正しさを言う

の三択になる。だからといって増えるりんご気持ち悪さは拭えない。

そもそもなぜ掛け算が減っても気にしないのに、

割り算結果が増えると気味が悪いのかといえば、

掛け算が分け前の「要求であるのに対して、割り算が「譲歩」であるからであり、

要求しない」ときと「譲歩しない」とき字面数字差異が出るからではなかろうかと思う。

掛け算は一人前の要求が×1であり、半量なども問題なく要求もできる(×1/2)。

要求しない」とは×0のことであり、ない=0が対応して問題ないと思う。

割り算が譲歩であるのは、りんごの総量が決まっていて

一人が全部とってしまうとけんかになるから

みんなで譲歩して一人前を決めましょうということで妥当かと思う。

割る人数が増えれば譲歩の量が大きくなる。

ところが困ったのは、「譲歩しない」が÷1となることである

ない=1自体理解はさほど困難ではないが(競合相手がいない=自分一人)、

1より小さな数で割るときに「ないより小さいもの」を扱わねばならない。

この「無の先」こそが負数や虚数に似た気味の悪さを醸しており、

誤魔化されている感覚を発生させるのではないかと思う。

机上の空論かもしれないが、分数の割り算は結果が増えない演算からはじめると良いように思う。

(仮分数という小学教育でのみ厄介扱いされる存在を扱う必要があるが)

6個のりんごを、大人(=1人)と大人の半量を食べる子供(=1/2人)の3/2人で割る。

大人が4個、子供が2個という結果は不自然でないし、

その為に6÷(3/2)を6×(2/3)という逆数をとる手順を追うことも受け入れられるかと思う。

手順を覚えたあとに6÷(1/2)=12の異常事態に結局のところ直面するであろうが

ひっくり返して逆数を取ることへの嫌悪感は幾分か減るかと思う。

2016-07-10

ネトウヨネトサヨはなぜ相手バカだと感じるのか。

私の交友関係の中には右寄りの知人も左寄りの知人もいる。

不思議なことに彼らはお互いを見下しあっている。

両者ともに、相手方論理的思考ができていない、と批判しているのだ。

仮に両者が論理的であれば、そうは感じないはずだが、なぜそういった現象が起こるのか。

 

twitter小学生から高齢者まで、本をまるで読まない層から執筆している側の人間まで幅広く存在する、希少で特殊な場だ。

知的レベルの高いものは少数派で、多くは感情的だったり、自分思考の偏りを認識していなかったりする。

考えもせずに相手に噛みつき反論という名の文句をつける。

それはもはやイチャモンだったり、ヤンキーによるカラミに近い。

彼らは議論という手続きの進め方がわからず、相手攻撃することしか考えていないのだ。

そんな人間多数派であるがゆえに、頭の良い層はその態度に辟易し、相手サイドは頭が悪い帰納的に印象付けらてしまうという寸法だ。

 

ただし、それは少し考えればわかることである

マクロミクロは使い方が異なる。

右よりだからバカ、左よりだからバカと決めつけるのは非常に頭の悪い考え方だ。

どのような経緯で相手がその結論に至ったかという観点が抜けてしまっている。

 

から私は言いたい。

その属性相手バカだと短絡的に主張している人間バカであると。

 

つっこみ、期待しています

2016-05-30

デマ記事に騙されないための記事の読みかた

はてなでは、水素水やら塾生肉やらサーモンやら、世間話題になった記事批評炎上が多い。

スマホが普及し、ニュースはキュレーションメディアやSNSで知り合いがシェアしたものを読むのが主流になりつつある中で、大量に流れてくる記事でどれがデマなのか、判断するのはなかなか難しい。デマ記事を見分ける方法としては、

バズワード流行もの似非科学に類する話題特に注意して読む(怪しそうな話題嗅覚を磨く)

・はてぶのコメントを見る(他人の知覚を借りる)

批判的な姿勢で読む(自力論理的に考える)

などがある。情報収集効率観点から、すべての記事批判的に読みいちいち吟味するより、基本は専門家の伝聞を鵜呑みにし、1つ目、2つ目の方法がよい気はする。

ただ、自分の頭で考えて判断するのが本質的重要だと思うので、3つ目のやり方を書く。

自分ディベートを5年ほどやっていた。ディベートではそのテーマについて資料・文献を大量に読み漁り、使える資料を見つけることが重要である。また試合中、反駁(はんばく)のパートの人は、相手の主張を切り崩す必要があるのだが、どこに着目して突っ込めばよいのかは経験を積まないとなかなか身につかない。

そこで、今回はディベートテクニックを使って、

例のサーモン記事 (http://www.salmon-garage.com/entry/2016/05/29/175437)を例に、いか批判的に記事を読むのかを説明する。

まずは、議論構造を把握することが大事。今回の場合議論構成

主張:日本スーパーで売られているチリ産サーモンを買うべきでない。

理由チリ産サーモン養殖過程で深刻な海水汚染が行われているか

海水汚染①:魚の餌による汚染

海水汚染②:寄生虫を殺す殺虫剤による汚染

海水汚染③:抗生物質による汚染

海水汚染④:密集飼育による大量死による汚染

深刻性:??

こんな感じの構成記事タイトルとこの手の記事によくある食品品質問題で間違えそうになるが、この記事の主張と根拠は決して

チリ産サーモン品質管理問題がある」からチリ産サーモンを買うのはやめよう」ではない。

この記事の著者の書き方は、(意図的か)海水汚染の話に混ぜて、日本人が食いつきそうな、チリサーモン品質的にどうなのか、みたいな話を混ぜて書いていて紛らわしいしよろしくないと思う。

ちなみに、このサーモン反論記事

http://www.salmon-garage.com/entry/2016/05/29/175437

も、おもいっき品質管理問題があると勘違いしていて、

サーモンの餌は魚ではない」「養殖場には殺虫剤は流れてこない」「抗生物質サーモンにさほど影響がない」「狭いかどうかはサーモンが決める」

という的外れ反論をしているので注意。

こうした主張において、メリットなりデメリットが発生するポイントとしては、「発生確率」と「重要性・深刻性」がある。これは同時に反論ポイントでもある。

例えば、「発生確率」を削ってしまえば、「それそもそも起きないよね?」ということになる。

重要性・深刻性」を削ってしまえば、「それって起きたとしてもそんなに重要じゃなくね?」となる。

ディベートでは、

メリットデメリットの大きさ」=「発生確率」×「重要性・深刻性」

という考え方をするので、基本は両方突っ込む。

今回の例で構成を見てみると、海水汚染がそれが世の中の人にどれほどの影響を与えているのか、記載されてないため、「重要性・深刻性」に対してこうした反論ができる。

サーモン養殖による海水汚染がどれだけ深刻なのか分からない」

次に、個別海水汚染の発生過程についての反論

発生過程反論基本的には、どういう話の筋でそれが起こるのかをきちんと把握することから

できるだけ細かく、矢印で、AAABBBCCC、というように分割する。

そこで、AAABBBが起きる理由があるかを疑う。これは演繹的な根拠を崩す方法

もし理由があっても、全てのAAABBBにならない例を探して削っていく。または、他の原因があることを示唆する。

もしAAABBBが実際に起きてるという実例が書いてあるなら、その前提条件を疑う。こっちは帰納を崩すやり方。

・魚の餌による汚染

話の筋としては、魚の餌が海水に流れる→赤潮になる、となる。

①魚に比べて鶏肉の餌が赤潮になりやすいという根拠がない

海水に流れ出した餌が赤潮を発生させる確率をどの程度高めているのか不明

③2500万匹の鮭が死んだ赤潮の例は、赤潮の発生原因はエルニーニョ現象であり、魚の餌による汚染とは無関係

エルニーニョ現象比較して、魚の餌による赤潮発生寄与不明

という反駁ができる。あと直接な反論ではないけれど、

⑤鶏→鮭→牛→鳥のエサの連鎖海水汚染とどう関わっているか不明

⑥死んだ鮭を健康な鮭に食べさせたことの何が問題不明

というのもある。

寄生虫を殺す殺虫剤による汚染

本筋は、チリの鮭には寄生虫免疫なし→殺虫剤必要殺虫剤が海に流れ甲殻類を殺す、な感じ。反論はこんな感じ。

①どの程度の量の殺虫剤使用しているか不明必要性

②全ての施設甲殻類を殺す殺虫剤を利用しているか不明

養殖から海に流れ出るまで浄水設備があるのでは?

④海に流れたとして、現状の甲殻類への被害不明

抗生物質による汚染

本筋は、チリ産鮭が成長するには抗生物質投与が必要ノルウェーより1000倍くらい使ってる→海に流れて汚染

免疫がないなら、品種改良抗生物質不要にできるのでは?

抗生物質は魚に注射されるので、海に流れないのでは?

③海に流れたとして、抗生物質が海に影響を与える原因、程度が不明。実被害不明

・密集飼育による大量死による汚染

筋書きが明確に書いてないなく、正直この項は破綻していると思う。

始めは、多国よりかなり密集して飼育されてる→水質が悪化大量死汚染

もしくは、多国よりかなり密集して飼育されてる→ウイルス感染が広がりやすい→大量死

シナリオかと思ったのだが、ウイルスで死んだ実例根拠もない、密集してることのデメリットで述べられているのは酸素濃度だけで、酸素濃度が低下したら何が問題なのか分からない、と具体的に何が悪いのか述べていない。

挙句の果てには、鮭が大量死したのは、測定されていないプランクトン大量発生が原因、と述べられている。

こんな感じで個別論点に対して反論を考えていく。

例としてサーモン記事を使ったが、記事のあちこちに、いかにも関連しそうでサーモン養殖ネガティブな印象を与えそうな、サーモン関係のない情報が入ってくるのでとても読みづらかた。また基本的に伝聞の情報ばかりなので、根拠不明だったり、ロジックがかなり適当

こういう読み方をすれば、かなり浮ついている文章ということが分かる。

2016-04-02

帰納的な逃げ道

もし、私が白い白鳥を何度かみて

すべての白鳥は白いと断言しだとしよう

いかなる反論も、現時点で白い白鳥しかいないことで

私は肯定される。

もちろん、私はもし黒い白鳥発見されたら

自分の考えを正す準備はあると言ったとしよう。

さて、ここで黒い白鳥が見つかったとしよう。

もし、誰かに責められれば私はこういうだろう。

今まで白い白鳥しか観察されなかったじゃないか

さらに私はすべての白鳥は白いと言う発言撤回する。

過去の私は帰納的に見て正しく、現在の私も帰納的に正しい。

だけど、すべての白鳥は白いというの発言は、本来はこうあるべきではないか

現時点ですべての白鳥は白い

こういうべきだった。

私は自分の考えを正すというのを、間違いをただ肯定するだけであり

もし、間違っていたとしても現在の私も、過去の私も責められる理由は全くない。

自分の考えを正すどころか、肯定することを運命付けられている。

ある断言を悪いというわけではないが、あまり信用できないものでもある。

そもそも間違いを責める必要性はなく、ただ彼に認めてもらわなければ

彼の発言との整合性がとれなくなってしまうだけだ。

しかし、彼は認めないだろう。

まり、彼のすべての白鳥は白いと断言した、時点での訂正が求められる。

それがお互いのためだろう。

2016-03-28

まっつね系チルドレンは正しい答えしかさな

ミイラ取りがミイラにならぬよう、目的手段化してはいけない。

客観視ってどうあっても不可能から、そんな演繹に走ってる場合じゃねえよホント

定義から出る答えは同じ。トートロジーに陥ってしまうな。

やることは、演繹でも帰納でもいいけど、

何かの事象に対し特別意味を見出すこと、それ以外にはない。

正しい答えを出すことがやることじゃない。

2016-03-27

まっつねとそのチルドレンの無個性

まっつね(中原芽衣)のブログは一時期(2011~2013ごろ?)大分流行したけど、

あれがアニメカテゴリはてダはてブではテンプレになった感がある。

すなわち、問題の中身(内容)に対してダイレクト見方登場人物感情機微や状況の変化から物語というもの解釈する、のではなく、俯瞰的見方レイアウトがどうなっていて(富野からの上手下手の話など)、もしくはメタフィジカル目線(これまでのスタッフのやり方、手法とか)からどうなっているか、という点から物語解釈する、という方法。前者は帰納的な見方といえ、後者演繹的といえる。後者に絞って考えよう。

後者定義ありきである。すなわち、「レイアウトがこの状態であれば、キャラ同士の優位性は変化しない」みたいなカミシモ信仰を元に物語を考えていくのだから、いくぶん柔軟性にかける。客観的物語解釈しているというよりは、定義に従って解釈している。演繹から導かれる解釈は、違いがなく、またスタッフから解釈することもさほど異ならない(そもそもクリエイターは常に同じ手法で描くわけではなく、変化しているのだから、作っている人間から何か物語解釈しようとすることは変なのだ)。つまるところ、(彼らは否定するだろうが)一般論になってしまう。基本的評論というもの一般論に対しての反論であるのに対し、まっつねとそのチルドレンたちは、演繹的な解釈をすることによって、”間違いではないが、反論になっていない(一般論をなぞった)”意見を乱発させている。だから、無個性文章が増え、面白くないのだな。そう思った。

彼は、りきおを「結論ありき」と批判しているけど、同じ穴のムジナであることに気付いてないのが悲しさ満点である

2016-03-21

東工大にいるけど、ニートになりそう。

お前ら"東工大ニート"てワードに釣られて見てるだろこれ?

からファックなんだよお前らは。

俺は仮面浪人して結構前に東工大に入った。勉強するモチベーションが全くなくて、なんて言い訳して東大行けなかったからな。

入った時は意識超高かったよ、俺。勉強ももちろん頑張るし留学だってするし彼女だってつくる。

でもな。授業はクソつまんねえし、なんのためにやってんのか分かんねえ。周りの奴らは目がフシアナキモい奴らばっかりとくる。やる気なんて起きねえよ。うちの制度は少し特殊だが、なんと院含めて俺の通算GPAは1.8だ。これでも誤魔化し誤魔化しやってこれなんだ。授業なんて、出なくていいやつはひとつも出てねえよ。

留学もしたよ、半年間。英語もある程度は話せる。TOEFLだって90点台だ。

彼女はつくれてねえよ。俺は太ってるからな。今は82kgだ。その上人前ではヘラヘラ笑ってるぜ。

でもな、俺はようやく気づいちまったよお前らのくだらなさに。レールに載せられて、外れて憐れまれて、仮面していたときから微かに思っていたが、ようやく気がついたよ。

お前らホントファックだ。結局、何も考えてねえ。お前らのくだらなさに、反吐が出る。

俺もくだらねえ。中身が何もないことにこの年になって気がついちまった。こうなると、夜に眠れなくなっちまったよ。今は春休みからいいが、これからどうするんだろうな。

なあお前ら、どうしたら良いと思う?やりたいことなんて、ねえんだ。三島由紀夫とか、ショーペンハウアーとかクソ卑怯ソクラテスでさえも、結局は死んでいった。俺は自殺が最適解なんじゃねえかと、帰納的に思っちまうよ。

今はスプラトゥーンしてS+カンストして、もう頭が痛えよ。助けてくれ。どうすりゃいい俺は。

別に死にたくもねえが、ダラダラ生きることが苦痛で仕方ねえんだ。どうすりゃいい。

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