はてなキーワード: 少女マンガとは
懺悔させてください。
快適すぎて、今までの自分は一体なんだったんだと思うほどです。
adblockというのは、インターネットのページ上の広告バナーをどういうわけか非表示にしてくれるふしぎな機能です。
存在は今までも知っていましたが、
『無料でサービスを利用させていただく以上、広告費で運営しているサイトの広告を非表示にするなんて私には出来ない!』というポリシーを貫いていました。
さっきまでは。
スマートフォンでページを閲覧していて、スクロールして次のページに飛ぶリンクをタップしようとした時に
急に半透明のバナーが降りてきてちょうどリンク位置に重なってタップしてしまい、
『あいつたまにウザいけど、本当はいいやつだからな…』と、まるで腐れ縁の友人を懐かしむようにそこまで腹を立てないようにしていました。
さっきまではな。
ある意味、意地になっていたのでしょう。
『個人的にどうしても受け入れられない内容の広告バナー』が表示されました。
『友人に恋人を取られた経験がある人間にNTR系エロ漫画の広告が』
『結婚相手の両親との折り合いが上手くいってない人間に真っ最中の人間に嫁VS姑イジメ漫画の広告が』
『バナーに映っている女が自分の家族にとても似ているアダルトサイトの広告が』
もう、絶対に許せない。
いやな事を思い出してしまった。
これから先ずっと、同じバナーがいつ出るかいつ出るかと怯えながらネットサーフィンをしなくてはならないのか?
自分で言うのもなんですが、堪忍袋の緒が切れた、というのはきっとこういうことをいうのでしょう。
ガラケー時代の漫画の広告バナーなんて台詞ちょっととキャラの目と鼻が写るくらいで大して気にならなかったのに、
昔はあのちっちゃい中に情報を収めるのにどれだけ苦労したことか。
それが今の広告バナーなんだあれ、ほとんど正方形に近いじゃん!
そして人の目を引きつけるためにエロ漫画なら最中、いじめ漫画ならいじめ現場のシーンを抜き出して見せ付けてくる。
苦手な人からしたら、心の準備なしに『グロ画像』を見せ付けられているようなものです。
(どうしようもなく苦手なものを『地雷』と表現する人たちも居るようですが)
それと同じです。
◇◇◇
色々と書きましたが、adblockを導入した今はびっくりするくらい快適です。
それでも、良心的な広告のみをこれからもずっと掲載し、広告費で運営しているサイトさんに申し訳ない気持ちはあります。
ただ『広告うぜ~~!!!見えないようにしてやろ!!』という気持ちではなく、
『精神的苦痛を与えられる心配がないのなら共存していきたいのに、残念だなあ』という気持ちがまだあるからです。
それでもこの現状が変わらない以上はadblockを解除する気にもなりません。
いきなり精神的苦痛を味わわされる恐れを考えたら当然と言えるでしょう。
広告自体が悪いのではなくこのシステムがまだ未熟なんだろうと思います。
しかし、
私は情弱なので詳しいことはわかりませんが、
明らかに検索ワードからそれにマッチするものを出してくるタイプの広告もありますよね?
結婚式場へのアクセスを調べただけでブライダル系の広告が出るようになったりした経験があります。
そういう事が出来るなら、
『エロ漫画バナーなら全然OK!ただイジメ漫画系は勘弁!』とか
『少女マンガやエッセイ漫画のバナーならどんどん表示して欲しい!でもBLはちょっと…』等、
閲覧側が最初から細かく設定できたらいいのに…と常々思っています。
(現在も広告についている×印を押すと報告できる、等のアレもありますがあれはほとんど気休め程度)
広告提供側はadblockをどうにかかいくぐるタイプの広告表示方法の開発じゃなく、
閲覧者にマッチした条件の広告のみを提供するようにするシステムを整えたほうが絶対に利益上がると思うんですよね。
私自身は広告を毛嫌いしているわけではなく、むしろ内容がマッチしていれば全然ウェルカム派なんです。
(大昔無料レンタルサーバーでホームページを自作する際にそういった『広告』との深い付き合いがあったこともあり……)
私が興味あるもののみの広告が表示されるようになればadblockも解除するしリンク先に積極的に飛んでみるようになるだろうと思っています。
どうにかならないのでしょうか。
私は…いや、私以外の他の多くの人もきっと共存を望んでいるはずなのに。
ああ、広告の神様ごめんなさい。私はadblockを導入してしまいました。どうかお許しください。
結論からいくと、「百合作家に『私、女の人とお付き合いするのは生理的に無理なんですよね』って言う人、いるの?」だ。
百合を書く作家は女性が多いと思う。Twitterを見ていても、百合を書く作家は少なくとも過半数が女性だ(異論は大いに認める)
それで、女性が多いといえばやはりBLである。だが、BLと百合とでは作品と作家の関係が大きく異なる点がある。
BLは扱っているキャラの性別は男性、書き手の性別は女性である。
百合は扱っているキャラの性別は女性、書き手の性別も女性である。
お分かりの通り、BLと百合も勿論同性同士の恋愛(に近い関係)を扱ったジャンルである。
話は変わるが、少女マンガを読む少女達が「私もこんなステキな恋愛したい!」「私も風早君みたいな彼氏ほしい!」と思う様子は想像できないだろうか。
ベルセルクに自分の人生を重ねる女子高生がいるかはわからないが、スポーツ漫画を読んで「俺も全国大会に行きてえ!!」とかヒカルの碁を読んで囲碁を始めましたとか、ハイキュー!!読んでバレー始めましたとか、そういうことはありそうだ。
で、話は戻すが、百合作家にもこれと同じ現象が起きてもおかしくない、ということだ。
ましてや創作していれば思い入れは一塩だし、その作品に対して一番考えているのはまぎれもない創作した自分自身である。自分が考える理想的な百合を仕上げた後に「あーあ、私もこんなだったらな……」と考える姿くらいは、あってもおかしくなさそうだ。
さあ、そこでだ。百合作家が純粋な異性愛者はいないのでないかという問題が出てくる。
確かに、ストレートアライと呼ばれる人も存在する。創作物に対して自己投影をしない人ならそのような立場でもありうるだろう。しかし、居たとしてもそれはごく少数ではないだろうか。
現に、百合が好きな人同士の出会いを目的としたオフ会が開かれている(のを見たことがある)。
「コミケッコン」なんていう言葉もあるが、百合作家同士のカップルが居てもおかしくはないと思う。
今回は書き手という括りにしたが、これは重度の百合好きには共通する話題だと考えている。
勿論百合作家の方や百合が好きな方でも異性のパートナーがいらっしゃる方は大勢いるとは思うが、社会的な面はひとまず置いておいて「私、お付き合いする人は男性じゃないと生理的に無理です」と言う人はあまりいないのではないかと考える。
数年前に「女性は誰しもレズかバイ」だという研究結果があるとのことだが、この狭い界隈の中では、首を縦に降らざるを得ないのではないかと思う。
ちなみにこれを書く私はバイセクシャルです。
子供3人はみな独り立ちし、夫婦ふたりと猫一匹で暮らしている、ありふれた家庭
しかし夫は気難しく家で妻に対してはまったく会話をしない
おいお茶、程度
そんな夫にいろんなことを話しかけたり、旅行に行きたいと訴える妻
まあ妻が我慢しているならいいかなと思いきや、妻は娘に離婚したいと爆弾発言
猫もいなくなってさーどーなる
それがメインかと思いきや、序盤でがらっと絵柄が普通の少女マンガみたいになって登場人物も変わったりして戸惑った
熟年夫婦だけじゃなくて、その娘(いきおくれ)からも描かれているマンガだった
いきおくれの娘関連の恋愛エピソードが、ちょっと微妙だったな・・・
両親たちとダブらせることが目的だったのかもだけど、あまりにも男がいけすかないっつーか最低のやつすぎて、全然好感持てなかった
純粋に夫婦だけにフォーカスあてたほうがよかったんじゃないかなあ・・・
夫婦の現在と過去のなれそめ、最終的にXXXというとこだけでよかったと思う・・・
でもうちの父親も、ここまではないけど、かなり頑固で自己中の潔癖的なところあるから、いつか離婚になってもおかしくないなあと思う
今回はとなりのヤングジャンプ
メンバーの中で特段目立ったことをしていなかったキャラを、ここにきて主体で喋らせるあたり、バランス感覚はあるなあと思った。
過不足の話をするなら、まあもっと語れることはあるんだろうなあと思いつつ、それなりにちゃんと畳んだあたり力量は感じる。
それにしても、『わびさびティールーム』のときも思ったけれども、このスッパリ終わらせる感じは、ジャンプよりもチャンピオンを髣髴とさせるなあと思ったり。
まあ、連載についての方針を知らないので、普通に完結しただけかもしれないけれども。
なにせ、如何にもな少女マンガっぽい作風で、となジャン目線で見た場合は浮いてたからなあ……。
もちろん細かい差異はあるから別にパクりだとか真似しているだとかそういうことを言いたいわけではないけれども、ガワが実質同じでその中身に特筆した魅力を感じられないと、凡庸だという印象がどうしても拭いきれないんだよね。
結局、漫画の供給が飽和している時代で評価されるものを出そうとするなら、既存の作品より優れているか、珍しいテーマやプロットで勝負するのが近道なわけで。
それを踏まえると、定番の話を割と高いクオリティで仕上げたエントリーNo.3『蒼の閃』のほうが、ド直球勝負な分印象が良いかもしれない。
ただこの手の読み切りのプロットにありがちな人間ドラマ、設定、起承転結きっちりできているのは地力を感じる。
メタ的にみればこじ付けもいいところだけれども、ちゃんとキャラの能力の設定や、話のテーマに繋がりを持たせているのも悪くない。
さて、第三回のシンマン総括。
とはいってもこれまでの感想で色々と語ったので、今さら語ることもあまりないんだけれども。
ヤンジャン本誌も読んでいるので、はがきは既に出している状態で感想書いているし。
インパクトなら『ヒトリアソビ』が突出しているが、いかんせん主体となるネタが下品なので特定の層からウケが悪そう。
『灰とリコピン』、『蒼の閃』、『シゴソウ』は特筆するものが少なくて個人的に微妙。
『蛉目奇譚』はかなり気合入っているしプロットも良いと思うんだけれども、情報量の多さと絵柄のクセに辟易する人もいそうな気がするので未知数。
『FLYend!』は前半の世界観の説明が、というか全体的に説明くさくて、ストーリー構成も読みきり的にいただけないんだけれども、逆にそこに将来の展望をする人は少なくなさそう。
プロットの、テーマと見せ方が最も好みなのは『ブルーフォビア』だけれども、他の優勝候補になるエントリー作と相対的にみてみると特筆するようなものが少なくて、影が薄い印象はある。
ちょっと前に、「ラブライブ!」が某バラエティで紹介され、ライブシーンのVTRが流されているときに、ワイプに写っていた芸人が「これ少女マンガ?」とつぶやいていたのが気になった。
私自身も、田舎に行ったとき家から持って行った「ぱにぽに」を読んでいたら祖父から「お前、男なのに少女マンガ読んでいるのか!情けない!」と言われたのを覚えている。
また、軽巡「矢矧」の生き残りであるハウステンボス経営者への雑誌の取材で、艦これの矢矧を見せたら、彼は「最近は女の子も船に興味を持ってくれてるんだね」的なことを言っていた
私のようなオタクからしたら、このような系コンテンツはどう見ても男性向けとしか思えないので、不思議だった。
中年以上には、萌え系コンテンツは女向けのように思われてしまうのだ。
でも最近ようやくわかった。彼らは男向けのコンテンツとは「巨人の星」や「あしたのジョー」みたいに、ほとんど男しか出てこないコンテンツと思っているのではないかと。
逆に女向けコンテンツも「アタックNo.1」、「エースをねらえ」のようなほとんど女しか出てこないコンテンツと思っているのではないかと。
逆なんだよなぁ・・。むしろ今では「女ばかり出ている」作品こそ男向け、「男ばかり出ている」作品こそ女向けなんですよ・・。もちろん例外はあるけどね。
【自己紹介】
女子校に通い異性に慣れないまま大学というところにぶち込まれるも、自分の雰囲気に合わない学科もあってかウェイな周りの流れについて行けず、引きこもる。
自己紹介おわり。
喪女を称するということは「自分はモテない存在である」を自認しているわけで、それから=私に魅力がないからモテない=私はブス
この私はブスという自覚は一種の呪いのようなもので、中学高校大学とパコリまくって来たリア充には理解できない感覚であると思います。
①自覚はブスであると強く思っているので、気になる人がいたとしても好意をぶつけられない。
→これは私なんかにアプローチされても相手は全然嬉しくないし、
私なんかがアプローチしても上手く行くことはないであろうという逆タラレバ的思想からやって来ます。
必ずと言っていいほど好意を向けられて嬉しくない人はいないと思うよ!
じゃあお前に聞きたいが猫に好意を向けられたら嬉しいのはわかるけど、ゴキ●リに好意を向けられて嬉しいって思うの?って反論したいです。
【結論】
②恋愛経験が不足しているので、1人で脳内お花畑しているうちに先手を取られる。
→喪女の恋愛話は大体少女マンガから来てるので実践なんてしたことありません。ので少女マンガ風に気になる人ができたらあの人と付き合えたら?!だとか、あの人にアプローチするにはどうしたら?!というifの思考のみ作動します。
脳内お花畑しているうちに、違うやり手の女に奪われてしまうのです。女は怖いです。これを読んだ男性の皆さんは、女性は本命がいたら3人はキープがいると思って欲しい。わりと本気です。
【結論】
③気になる人ができても相手が興味を持ってくれない
→喪女じゃなくてもこの悩みは誰にでもあると思います。レミゼのエポニーヌ役。ちなみに私は誕生日はいつも1人で迎えているのでレミゼを観て号泣するのがここ近年の誕生日の迎え方です。言ってて悲しくなって来た。
・・・余談は置いておいて、喪女は喪女ゆえ、自分の売り込みというのができません。わかりません。今もわかりません。教えて欲しいくらいです。教えろよ!なので気になってもその一歩が進めないんです。①にも書きましたが、自分にアプローチされても相手は嬉しくないだろうと考えて②のように1人で脳内お花畑しているうちに③で記載した相手が自分への興味がないまま別の人と付き合う...鉄板だわぁ〜(大号泣
告白(アラサーになって告白ってあるの?)もしない限りは相手が自分に向き合ってくれるとはわからないんですけど、その一歩が進めないんだなあ、なぜか。
心のATフィールドが強いのかわからないけどもそんなかんじです。
アラサーなので職場で好意を示して拗れたらややこしくなるのでは、だとかそういう自己防衛を前提として考えちゃうのかもしれない。プライドが高いと言うのは一理あるし向けられた好意には真摯に対応したいと思っているものの、なにせ向けられる好意がゼロなので土俵にすら立てていないという。
【結論】
いや無理だから。
にしても、上記の通りあっ、こいつ恋愛経験ないなという雰囲気は察していただけたかと思います。たくさん書いてますが私はアラサーです。通説ですとアラサーはそこそこたくさんの経験もして結婚に踏み切る方も多い年頃です。そのたくさんの経験をした人が10とすると私は1くらい。この経験差を埋められない限りは私はホモサピエンスとしての繁栄を手に出来ないかもしれない。難しく考えすぎですか?とりあえず私は好きな人にアプローチすらできないチンケなアラサーです。
元増田です。
はてブでホットエントリ入りしていてびっくりした。皆さん読んでくれてありがとう。
少女漫画男子がこんなに現れるとは思わなかった。何となく白泉社が人気かと思ったらやっぱりそうなんだ。自分は他の雑誌社だと生々しい女子高生が出てきて苦手なことが多い。白泉社だと現実離れした女子が多いから、男性でもとっつきやすいのかも。
そもそも少女漫画が好きな人と現実で会う機会が、女性を含めても今まで本当になかった。だから、今、ネットと現実との落差に驚いている。コミケに行った時も、少女漫画ブースがBLに比べて活気がなくて残念だった(BL、百合の同人活動は男子も女子も活発だった)。
id:natsukitchen この増田とお見合いしたいです。なお123の条件が揃ったヒロインでいえば秋里和国『花のO-ENステップ』と清水玲子『輝夜姫』をオススメします。むしろ既読だったら結婚したい。
そこまで言っていただけると恐縮です。その二作は読んだことが無かったので読みたいです。
id:TokiMaki わかる。私はつねにヒロイン側に感情移入して読んでいるので、安易なパンチラやラッキースケベのある作品はあまり受け付けない。少女漫画の方がどちらかと言えば《萌え》の波長が合う。あと百合漫画も好き。
まったく同感ですね。ただ『山田くんと7人の魔女』のパンチラは許せます。女性作者の魔力でしょうか。
私も百合漫画好きです。最近だと『citrus』『捏造トラップ』読みました。『恋愛ラボ』も大好きですが百合ではないか……宮原るりのファンでもあります。
id:tokidokioh 僕も少女漫画大好きなんだけど、少女漫画のヒロインって残念美人、自己評価の低い子が多くて、自己肯定感の低い面食い男オタクからすると理想のタイプなのではと思っている
己の駄目な部分を指摘されたようで、一番堪えるコメントでした。私の自己評価の低さは自認してます。
ただ、自己評価の高い子もタイプではあります。むしろ「私って何の取り柄もない女の子なのに……」と思っているようなヒロインは苦手です。キャラが自分のコンプレックスでヘコんでいる姿に、萌える人がいますが、私は共感出来ないです。モデル体型が好みですが、「貧乳コンプレックスフェチ」はまったく持っていないです。
id:ata00000 萌え漫画の女性キャラは記号的というか自我のないロボットみたいに見えることがある。そういうのは苦手だ/理解できない人には、少女漫画の男キャラが好きと言われるとどう思うかを想像してもらえば理解されるかも?
私は萌え漫画の女性キャラは記号的であると同時に男性的でもあると感じます。逆に少女漫画の男キャラは中身が女子であることが多いですね。『ラストゲーム』は柳が女子っぽいので、半分百合として読んでましたwww
id:ruka98 私は漫画全般好きだけど特に少女漫画が子供時代から一番読んでるから嬉しいですし身近にいたら話したいですけどね。その辺り読んでる世代なら清水玲子さんとか知ってますかね?/谷川史子さんとか好きですか?
お二方の名前は知っているんですが読んでないです。申し訳ないです。私は20代半ばなので、その年代の有名作家がすっぽり抜けています。花の24年組の時代の作家は母の蔵書を借りてよく読んでいました。『輝夜姫』読まないと……
id:etr “花ゆめいと”では無いことだけはわかった。
下野さんと島崎さんのラジオですか?最近存在を知って、ちょくちょく聴いてます。確かこの前男子リスナーのお便り読まれてましたね。数少ない仲間かと思っていました。
id:pyhu 同じく少女漫画男子。男が少女漫画読むのキメエってなる風潮が辛い。増田よかったら俺のブログ見に来てよhttp://tekitounakansou.hateblo.jp/
ありがとうございます!参考にさせていただきます!
id:twikkun 放浪息子が少女マンガだと……という下らないツッコミは置いといてさおりん最高クソメガネ滅びろ/挙がってるの最近の作品が多くて現役バリバリ感ある。僕は量は読めてないけど吉住渉先生の作品が大好きです
志村貴子は言われてみると連載誌が青年誌ですし、少女漫画とちょっと違うかもしれませんね。夏目房之介の説に引きずられていました。でも表現方法からすれば少女漫画でいいとは思います。
千葉さんが二宮くんを選んだのは多くの読者の欲望を裏切るものですが、千葉さんの視点からは現実的な判断だと感じます。明らかに作者が読者の欲望を意図的に裏切ったのだと思いました。『青い花』の杉本先輩の変貌も同様の意図なのでしょうね。読者の欲望をあえて否定することが、志村貴子作品が他の恋愛マンガ(特に百合)と一線を画す点かもしれません。
id:yokoshimauma 支援!!少女漫画男子大歓迎!!男子目線での新しい発見がありそうだから語り合いたい。/漫画のジャンルわけは便宜上で、少女漫画→少女のためのものってわけじゃないと思う。少年漫画好きの女子もメジャーだし。
ありがとうございます。語り合える場所があったらいいですね。
ただ、少年漫画と少女漫画の非対称性はあると思います。女性→少年漫画は多くても、男性→少女漫画が少ないのは、多岐にわたる構造的な理由がありそうです(恐らく読み方の文法の違いに起因するかと。また少女漫画の流行の後を少年漫画が追っているという、宮台真司の論考は読んだことはあります。それも関連しているかも)。
元増田ではないけど、
ブクマの反応がどうも芳しくないので
空気ではなかったよね
エースをねらえやアタックNo.1みたいなのって今は少ないのかな
ちはやふるもスポーツものとして扱っていいと思うけど男もたくさん出てくるよね
セーラームーン(もうあんまり覚えてないけど)とかそうなのか? エスの系譜は細々とあってはっきりと復活させたのは今は亡き百合姉妹であった...とかそんな感じだと思っておく
セーラームーン、なるほどたしかに(自分もアニメで知った程度でマンガは読んでないけど)
百合姉妹、なんで少女マンガ誌の掲載ではなくて独立した専門誌が必要だったんだろう
ひょっとすると高年齢層向けのを多く見てるのかもしれないけど、低年齢層向けのなら結構あるような……。
自分も低年齢層向けはカバーできてないから人のことは言えないのだけど
エースを狙えはまさに女子だらけのスポーツ漫画じゃないですか。プリキュア、セーラームーンとか有名所でも少女中心の有名少女漫画は思いつく。ろびこさん、たあもさんの漫画も人気がある。少女漫画をもっと読んで。
やっと具体例ありがたい
ttp://anond.hatelabo.jp/20161108203943
を見て、あー俺も最初は恥ずかしかったなーと思いつつ、当時が懐かしくなった。
有名どころが多いけど、それなりに読んだわ少女マンガ。
というわけで誰にも聞かれてないけど俺的オールタイムベストを挙げると――
でつ!
あーもーこれほんと好き。高校生活は毎日がお祭りでとにかくキラキラしてるってのを臆面もなく出してくるあの感じが最高っすわ。今で言うリア充。当時はそんな言葉なかったけどさ。
舞台が新設の高校の生徒会で、なんやかんやイベントがあるってのも良かったよねー。あと絶妙極まる人間関係。主人公の同年代だけじゃなく一個上の世代も絡んでくるのがうまかった。
あと相手役の須藤晃最高。これだけカッコいい少女マンガヒーローってのも中々見ないぜ。
他には『カレカノ』とか『片道切符』とか『星の瞳のシルエット』とか『こどちゃ』とか好きだったなー。忘れちゃいけない『姫ちゃんのリボン』。少女マンガ的なものへの入りは、これのアニメが最初だった。EDの『はじめての夏』がすげー好きで。あとは『ベイビィLOVE』とか『ママレ』とか。吉住渉なら『ミントな僕ら』が一番好きだなー。って清々しいほどのりぼんっ子。
白泉男子だった時期もあって、『ディアマイン』とか『花の名前』とか、『お兄ちゃんと一緒』とか。田中メカはわりとどれも好き。恥ずかしがるヒロインを見てほっこりする『キスよりも早く』から男かと思ってたけどwikipediaみたら女なのな。
唐突に終わる。
こないだ増田でおもしれえって書かれてたから読んでみたけど2巻の途中でギブアップ
主人公があまりにもノーリスクでまわりを悪意なく振り回す悪女になっててタチが悪い
文化祭でキャッキャ言いながら取り巻きイケメンにコスプレ用衣装作って着せて一人で勝手に興奮して・・・
男の一人が「俺は別に男同士でなかよくしたいわけじゃない」って言って、そりゃそうなるよなって思ったけど、結局「じゃあタイムテーブルで主人公独占時間を決めよう」とか男側で勝手に割り振ったりして、あまりにも主人公女に都合よすぎる
いやいや独占したいって思うのが普通だろ
ことごとく作者の感覚がずれてるし主人公があまりにも悪意のない調子に乗りすぎた悪女すぎて読んでて不快でしかない
フィクションにこれ言っちゃおしまいだけど、好きな二次元キャラが死んだくらいで1週間ひきこもってやせてそのあと一切リバウンドしないのもありえないし
もう2巻以降この調子だったらただの無神経オタク女に振り回されるイケメンズってだけじゃん
異世界転生で最初こっちの現実世界がちょろっと出るけどもう転生後はずっと異世界ファンタジーで転生ものって設定がないに等しくなってるやつと同じタイプだわ
見た目でころっと態度変えて迫ってくる男のどこがいいんだよ
(ああ一人だけ部活の先輩?は態度かわってなかったね)
「全てのセックスは性差別」とフェミニズムの一部が主張している、と俗に言われる。これは半分正しいが、半分間違いだ。
正確には、「マチズモが強く機能している社会においては」という条件下にのみ「全てのセックスは性差別になる」という主張である。
この条件さえ付ければ、「全てのセックスは性差別」という主張は決して間違いではない。
しかし、だからと言って「セックスを滅ぼせ」という主張は、大半の人にとって受け入れられないものだろう。
現にフェミニストの大多数はそのような主張に与していない。
そもそも、そんな主張は受け入れる必要すらないのだ。
仮にある作品が差別的だとしても、あくまで特定の社会状況下で差別的力学を発揮する、ということにすぎないのだ。
だから「性差別表現を含むフィクションを好むこと」と「性差別を批判すること」は問題なく両立する。
どころか、「性差別を含む表現」を好むからこそ、現実での差別を批判するとも言えるのではないか?
別の例で言い換えてみよう。
「(ミステリー小説など)殺人表現を含むフィクションを好むこと」と「殺人を批判すること」は問題なく両立する。
どころか、「殺人表現」を好むからこそ、殺人表現が現実の殺人へと結びつかないために、現実での殺人を批判するとも言えるのではないか?
いずれもまったく同じ構図だろう。
それゆえ、性差別に抗議する人が「性差別を含む表現」を愛好しても何ら問題はないのだ。
言うまでもないことだが、上手く書かれたフェミニズム批評は、正当な批評である。
分析の仕方が卓抜で、深く作品を読みこんでいる批評であれば、それは正当に評価されるべきだろう。
しかしその批評の正しさを認めることは、決して批評された表現自体が悪であると認めることではない。
現に古典文学に対するフェミニズム批評は以前から行われており、たとえば『源氏物語』をフェミニズム的に読解する批評などはすでに存在している(興味がある人は探してみてほしい)。
しかし当たり前のことだが、これは決して『源氏物語』が劣悪で評価に値しない作品だということを意味しない。
批評理論は、「ジャンル批評」や「読者反応批評」や「精神分析批評」や「マルクス主義批評」や「文体論的批評」など、数多く存在する。
「フェミニズム的な批判を認める」=「批判された表現をなくさなければならない」
だからオタクは、別にフェミニズム的批判の正しさを認めても構わないのである。
(もちろん他の批評と同じく、低レベルなフェミニズム批評まで認める必要はない)。
そしてこれはフェミニズム側についても同じことが言える。
「性差別的である」ことを理由としてただちに「表現を取り下げよ」と主張するのは、基本的には不当な要求である。
(もっとも、厳密に言えば「表現を取り下げよ」と発話すること自体は自由である。しかしその発話内容が不当である以上、当然批判が殺到するであろう。
不当な主張をすることは自由だが、その主張に対する「評価」は本人が責任を負わなければならない)
あたかも「オタクとフェミニズムが対立している」かのような構図をでっち上げることこそが、議論の妨げとなるのである。
そういった点も踏まえて、後述するように「マンガ・アニメという表現様式一般が性差別である」などという乱雑な主張は退けなければならない。
●結論
辛辣な批評、伸びない人気、そういったことをすべて作者自身が引き受けることである(もちろん、低レベルで無意味な批評は無視すればよい)。
フェミニズム的な批判を、何か特殊な批判だと考えない方が良いだろう。基本的に、それは批評である。
フェミニズム批評もまた一つの評価軸であり、その軸上における評価もまた、作者自身が引き受けなければならない。
そして表現者の責任とは、「評価」を引き受けることがすべてだ。
(もちろん、プライバシー侵害など個別具体的な人権侵害等は例外だが)
酷評に耐えかねて、自ら作品を非公開にすることは、確かに一つの選択肢ではある。
仮に「ある作品が性差別的な効果を発揮する」としても、その効果を止める方法は「表現を取り下げること」だけではないだろう。
「その作品は性差別的な効果を発揮している」と論理的に指摘できれば、それだけで性差別的効果を止めるには充分である。
「この作品における○○○○な描写は、性差別的意味を持っている」と評すれば、充分に、現実世界で○○○○することが悪いと告発する効果を発揮できるから。
批判的言説を生産することによって、ある表現が発揮しうる性差別的効果を止めること。これは充分に可能である。
批判的言説では飽き足らず、表現自体の取り下げ等を要求することは、(性差別解消につながるかも疑問だが)性差別以外の領域において不合理を引き起こす
(この点については、また別の機会に述べようと思う)。
そして、(あえて厳しい言い方をするが)表現の取り下げを要求することは、批評の力を、言論の力を、見くびる所業でもある。
だけど忘れてはいけない。
フェミニズム的解釈が妥当性を持つのは、作品外の社会的文脈があるからだと。
そして、これも再度強調しておかなければならない。
「(現在の社会的状況において)性差別(と位置づけられるような)表現を好むこと」と「性差別を批判すること」は両立する。
どころか、前者を好むからこそ、現実での差別を批判するとも言えるのではないか?
しかし、そのことだけを理由に表現の取り下げや禁止を要求することは不当である。
同様に、そのことだけを理由に「フェミニストが表現の取り下げや禁止を要求している」と早とちりすることもまた不当である。
●最後に補足を二点
もちろん私は、「マンガ・アニメという表現様式一般が性差別である」などという乱雑な主張には与しない。
たとえば大城房美が指摘するように、「日本の少女マンガは、女性が周縁化されてきた20世紀後半のアメリカのコミックスの状況を変える一因となった」という側面を見落としてはならない
(大城房美編著『女性マンガ研究 欧米・日本・アジアをつなぐMANGA』青弓社 2015 p.25)。
日本においては、マンガによって女性が表現する場所が確保されてきたのである。
そして少女マンガは女性表現の源流であると同時に、いわゆる男性オタク向け表現の源流の一つでもある。
以上の指摘を受けて、なお「男性向けオタク表現については性差別である」と強弁する方がいれば、
たとえば佐倉智美先生によるこちらの記事などをご覧いただけると、その主張が極めて一面的で乱雑であることが理解いただけるかと思う。
http://stream-tomorine3908.blog.so-net.ne.jp/2016-04-09_GP-LoLv-5(「ラブライブとガルパンをフェミニズムが評価すべき5つの理由 [メディア・家族・教育等とジェンダー]」)
セクハラとかには気を付けているつもりです
自分でいうのもなんですけどね
でもね、どうもおかしいのは
そんな俺は全く持てずに、それセクハラだろみたいなおっさんが割かしモテてるってことなんですよ
※ってわけではないと思うんです
どういうことなんですかね
世の中というのは女性に優しくしなさいってなってるじゃないですか
セクハラはやめてよねって
それで1年前に転職したんですけど
前の職場の同僚に言われたんですよ
お前Aちゃん覚えてる?あの子お前のこと好きだったらしいよ?
ってね
まじで?俺けっこういいなって思ってたんだよなってショックでしたけど
なんでそんなこと今言うのさって感じですけど
なんとその同僚がAちゃんと結婚するんですって
勝利宣言したくて俺に報告してたんでしょうか
その同僚下ネタばんばんいうし、Aちゃんも嫌がりながら愛想笑いっていうのやってて
Aちゃんかわいそうだなとか思ってたんですよ。セクハラけしからんなくらいに
僕の目がおかしかったんですかね
いやよいやよも好きのうちってやつなんですかね