はてなキーワード: 小さな政府とは
GoogleやAmazonが出てきた時、このままじゃヤバいと大騒ぎしていたが、結局何もできずに終わった。
中国のように、検索技術も、ロジスティクスに必要なロボット技術も持てなくなっている。
優秀な人材をアメリカに留学させつつ、帰国した人材を活用するといったことも出来ていない。
プログラミング人材が必要だと言われているが、Webに偏りがある。
航空機設計がとん挫したが、他の産業に必要な物理現象や、大規模なシステムをプログラミングできる人材を育てられなかった。
品質管理はなんとか立ち上がったので部品は作れているが、システムが作れない。
結果、Appleから物理限界に近い無理難題を吹っ掛けられつつ、札束で殴られて無理な契約でノウハウは筒抜け、
利益は出ている間はいいが、Appleがそっぽ向かれた時点で事業を畳まないといけなくなる。Intelですらそうだ。
アメリカは返品文化で豊かになったが、返品されたものは使いまわされず、ほとんど廃棄だった。
アメリカに住んでいる消費者には優しいシステムだが、その負担はどこが被っているのか?
Facebookから顔出し文化が日本に来て、TwitterやYouTubeにまで広がり、
毎日のように問題やスキャンダルに多く人の時間と労力を奪っているし、日本の集団リンチとの悪い面との相性が合わさり酷い物になっている。
日本政府は小さな政府を目指した結果、コロナで何か大規模な対策を取ろうとしても何もできなくなっていた。
民間に目を向けると、転売のような流通やシステムの間に入ってマージンを取るのが当たり前になっている。
社会倫理には反するが、グレーゾーンをつかない方が馬鹿だとなっている。
GoToのように自分に責任がなく政府を責任を負わせられるものはドンドン活用している。
ふるさと納税もルールの範囲内なのだから使わない方が馬鹿だとなっている。
アメリカの一部にあるような、お金持ちは社会に還元するような行動をしないといけないといった規範があるわけでもなく、
中国のように近親、親戚を助けないといった規範があるわけでもない。
日本に1億以上の資産がある富裕層は100万世帯以上いるが、どうだろうか?
クラウドファンディングも既にお金を持っている人が、さらにお金を集めるような事象が出てきている。
日本「結果が出そうなところにだけケチってカネを払う。身の丈にあった教育を受けろ」
中国「若い奴らは大学にいけ。もっと教育を受けろ。海外の大学に行ってもいいぞ。教育は投資だー!」
の結果、片方は科学技術が先細り、もう片方は世界の大強国へと躍り出た。
理由は、将来への小さな政府を志向してケチったかケチらなかったかで、「日本は経済的に小さな政府を選択して、公金投入をケチって失敗した」ので中国は日本の失敗に学び逆をやったんだよね。有名な話なんだけれど。その結果、日本は経済的に停滞して科学技術も先細る一方、中国は繁栄してる。
今の状況を「日本はうまく行った」と思ってるひとは左翼にも右翼にもいない。
なのに、「国はケチるべきだ」と右翼も左翼も主張してる。なんなのこのケチは。MMTとかじゃなくて、そもそも失敗したんだったらいつまでも失敗する政策を続けるのはやめろって話でしょ。
別に大阪都構想も道州制もそれ自体ではたいへんけっこうお好きなように主張なさればよろしい、という感じなんだけど、両立しない主張なんだよね。
大阪都構想は大阪市と大阪府の担当区域が被りすぎなんだから大阪市を分割して広域行政は大阪府に一本化しようという主張であり、
道州制は現在の都道府県よりも広い領域を州という行政区画にしようという主張なんだから、
仮に道州制を採用するなら大阪都市圏の広域行政を担う自治体としての大阪市は必要じゃねーか! って話になる。
この2つを同じ口で言ってる時点で維新はほんと信用できないんだよな。モノ考えてないか詐欺師かの二択なんだから。
(もちろん理論的には都道府県を存置したままで上位の行政区画としての州を設置するという道州制もありうるしそれなら大阪都構想と矛盾はしないけど、小さな政府大好きの維新がそんなの支持するわけないだろうし)
とある鍵垢同人女より商業作家さんのお気持ち表明についての構造整理
https://anond.hatelabo.jp/20200712141747 さんの激おこ文章、同人女サイドでは、ひとくくりに糾弾されて普通に嫌な気持ちになったけど、気持ちはわかる。
(私は同人女ですが、かつて別名義の本名で文学系一次創作詩歌・評論を発表していた人間です。自分の作品を私物化・海賊業されて…という経験はありません)
主さんもおっしゃる通り、商業として作品を商品にした以上、それを自分のものと主張するのは難しくなります。
「作者」と「読者」ではない、お金の介在する生産者と消費者の関係は、金銭契約により生産者と使用者の関係を生み、その生産者も雇用主・被雇用者に細分化するものです。
作品の発表に当たり人の手を経れば経るほど、その作品の所有層全体に見る自分の割合がちっぽけになっていきます。
この問題を切り分けて考えると、
(1)作品を発表した
(2)ゆがめて解釈された
(4)それにより純粋な「作者」の契約外の人間に利益が発生した
(なお、前提として、「作者」は作品を発表するにあたり企業などの商業的な発表媒体と契約を結び、「作品」は「商品」となっています。)
発信者の解釈する自作品と、受信者の解釈するその作品の間に、何らかの解釈の違いが生じることが、第一の難しさ。
・アート作品をプレスリリースした際、一方向から撮影した1枚しか写真が載らず、別の一面の情報が伝えられなかった。
・カラーの風景画を取材され、新聞にモノクロで掲載され、色味の再現が十分でなかった。
・詩吟の節回しとして本来長音が入らない箇所を、聴き手の記憶頼りのレビューで長音のように表記された。
・使用楽器の質にこだわってリリースした楽曲を、百円均一の音質の悪いスピーカーで再生された。
・ある特定のホットサンドメーカーを使った料理のレシピを、異なる製品で作った結果、焦げておいしくなかった。
ここには、「発表媒体」による不自由と、「ツール」による妨害が存在します。
いずれも、その作品の情報の伝達時の「再生」方法が、その作品を表現しきるに満たない、という問題です。
今回の漫画作品では、おそらくこうした再現性の問題はほぼないでしょうが、
【「作品」を再生する受信者は、必ずしも「作者」の思惑通りに「作品」を享受しない】。
その結果、【本来の作品のポテンシャル外の評価・解釈が生まれる】。
これは、芸能人や政治家が発言した内容を任意に切り取って報道する偏向報道もそうです。
本来与えられるべき情報量に到達できないまま受信者が作品を評価することが、作品発表の第一の関門です。
「××くんは○○くんを好き。▲話で腰に手を回してるからセックスした」
「▲▲さんは実は●●ちゃんを嫌いなんじゃない?」
「●●ちゃんは本当は腹黒で、○○くんに近づく奴を陰で×してる」
二次創作は、「●●という作品の○○という人物がもしも××したら」から端を発するものです。
つまり、二次創作の原動力は、作品の「余白」と「違和感」です。
その「違和感」の着眼点や「余白」の範囲は、作者によって規定できません。
二次創作には「パロ」という文化が存在し、読み手側が「もしも○○だったら」と仮定することで、作品の余白は無限に継ぎ足されます。
さらに、「違和感」は、疑えばいくらでも生み出すことが出来ます。人の行動の裏の意味について考えすぎてしまうとか、創作に関わらない人間関係と同じように。
【「余白」や「違和感」などの、二次創作の要因は、作品のいたるところに存在する】。
【作品を、想像力を持つ人間に届ける以上、この「解釈のゆがみ」の発生を止めることはできない】。
これが第二の問題です。
少年少女が生きる意味・死ぬ意味に向き合い、あらがい、自己を実現する、人生の解の物語です。
その物語では、一人一人の死には厳然たる尊厳があり、死は尊重されるべき、という観念が少年たちに獲得され、通底していました。
しかし、その物語がアニメ化された際、監督の好みで物語の大筋が改変され、少年たちの命運も、登場人物の人生の意味も、その監督の解釈により書き換えられました。
「アンインストール」というテーマ曲が有名なゼロ年代のアニメですので、主様やこの記事をご覧の方もご存知かもしれません。
こうした、【自己解釈による横取り・ただ乗り】が、主様の同人女に対する一番の怒りなのではと感じています。
これが第三の問題です。
例えば原作ファンが実写化を叩くのも、おそらく類似した心理によるものです。
そして、このただ乗りを素人(同人女)がする場合、その目的は3つが融合しています。
「自己実現」「他者からの承認」「何かに打ち込み成し遂げる快感」の3つです。
自己の考えを開示・表明することで自己を実現する。それを承認されて行為が加速する。同人イベントなどの目標を達成し、達成感を得る。
これらが融合し、「カップリング界隈」という一つの社会に生きる「同人女」としての個性を、一人の人間の中に築いている。
「趣味の活動」という、第一の人生を生きながらある程度の匿名性が担保された第二の自己を獲得することが、「二次創作界隈」では可能なのです。
しかも、その第二の自己は、第一の人生を妨げません。いざとなればアカウントを消去して関係を断てる、切り捨て可能なインスタントな人生。だから同人活動は気楽に楽しめます。
一次創作主ほどの切迫した人生・生活感が、二次創作主でいる間には、必要ないのです。
【「自己実現」「他者からの承認」「何かに打ち込み成し遂げる快感」は、「同人女」に第二の人生を与え、同人女を生きやすくする救済である】。
これが、SNS社会の現代で、同人作品の発表がなくならない理由ではないでしょうか。
しかし、取れる策が自衛しかない小さな政府・大衆民意・経済の尊重の今の世の中では、二次創作されるのが嫌な一次創作者は二次創作嫌だ二次創作禁止と言える会社で発表するしかありません。アルファポリスとかしか思い浮かびませんが。
一次創作で金儲けしながら作品を自分一人のものとして主張したいなら、同人でやるしかない。
企業に自分の作品を買い上げてもらうことはあきらめる。企業の製造ライン・企業の販路・企業の広報、そういうものに載せてもらった時点で、作品の方針を取る手綱は自分のものではなくなる。
生活のために金儲けすればするほど、作品の権利元が分散して、作品が多くの人の手を経て連帯の所有物になっていき、純粋な「作者」の手元を離れていく。
「商」業の性質上仕方ないです。
両得で叶えることは難しいと思います。残酷ですが、主様のおっしゃるとおりですね。
これに言えることはありません。
「利益」と「権利」に対する、同人活動者の考えの浅さに直面するたび、私もくやしくなります。
公式が発表していない自作ねんどろいどの写真をSNSに発表する。
公式のロゴに類似したロゴを使ったスマートフォンケースの受注生産。
全てアウトです。公式の受け取るべき権利の横取り。公式の意図しない第三者の営利活動が原因で、立体商品が発売されなくなったジャンルもあります。
それでも横行しています。「痛い目を見ていないから大丈夫」なんですね。
私が同人活動をしている作品は二次創作に好意的で、二次創作の中でも特に禁じるものを明記したガイドラインもあり、公式サイドで映像制作に関わっている方によるファンアートの投稿も盛んです。
それでもガイドライン中で明記されている禁止行為をする人が後を絶ちません。
「みんなやっているからいい」。
公式から二次創作全面禁止のお達しが出るまで続けるのでしょうか?
そこに倫理はないんでしょうか?
ここを踏みとどまってほしい、という、主様のメッセージの最後の一文だけでも、少しでも多くの同人女に届いてくれればよいと思います。
以上。
構造の整理と言って、結局私のお気持ち表明でしたが、以下に内容をまとめます。
●まとめ
(1)作品を発表した
【問題1】「作品」を再生する受信者は、必ずしも「作者」の思惑通りに「作品」を享受しない。その結果、本来の作品のポテンシャル外の評価・解釈が生まれる。
(2)ゆがめて解釈された
【問題2】二次創作の要因は、作品のいたるところに存在する。作品を、想像力を持つ人間に届ける以上、「解釈のゆがみ」の発生を止めることはできない。
【問題3】「自己実現」「他者からの承認」「何かに打ち込み成し遂げる快感」は、「同人女」に第二の人生を与え、同人女を生きやすくする救済である。
(4)それにより純粋な「作者」の契約外の人間に利益が発生した
あらゆる方策を提言されても、それをやれる人間がいないのである。
銀英伝のイゼルローンに例えると、アレックス・キャゼルヌがいないのである。
はっきり言えば、どんな優れた対策を立てたところで、それを吟味してよいものだけをすくい上げる官僚のマンパワーが圧倒的に不足している。
通常業務ですら、国会中は深夜タクシー、数時間ほど寝て、また始発で職場に直行便というのがデフォルトの国家公務員である。
コロナウィルス対策で、勤務時間も足りず、予算も人も足りないものだから、使命感だけで何とかギリギリまわせるモノだけまわそうと必死にあがいているのがいまの状況だ。
過労死ラインの倍を超える残業時間で働いて、わけがわからないことになっている部署はわんさかある。
コロナウィルス対策で最初の死者は、過労状態にあった官僚だったことをもう忘れている。
誰も助けてくれない。
人を助けようと思ってもその政策を吟味し、実行可能な状態に持っていくだけのリソースがない。
一度動いた政策も、コロナウィルス対策下では、すぐに取りやめなければ危険ということが良く起こる。
これではもう、どうにもならない。
政策を実行する人が単純に足りないのだ。
民間が、最も大変だということはわかる。しかし、それを非常時に助けて対応できる人が根本的に不足している。
政府が悪いというのはいいが、じゃあ、その脆弱な政府の状態を作ったのは誰だ?
政府のせいか? いや、小さな政府を目指し続けてきた国民の責任は極めて大である。
行政サービスが極限まで求められる非常事態に、小さな政府では、そもそも対応しきれないのだ。
しかし、行政職は、専門職だ。極めて面倒な法律的事務を、他の部署から来た人間が代わりにやることはほぼ難しい。
勉強しながら対応だが、ある程度習熟しないと役に立たない。皆華やかなラインハルトや、ヤンウェンリーはもてはやすが、キャゼルヌ先輩がいかに偉大だったのか、理解しておらぬのだ。
いまの日本は、アレックス・キャゼルヌがいない。というか、いたんだけれど、給料が高いと追い出してしまった。
どうするんだろうねこれ。
権力「からの」リベラル(自由)……ヨーロッパの自由主義、「小さな政府」論、リバタリアンやネオリベ
権力「による」リベラル(自由)……アメリカ民主党など、社会自由主義とも
前者は、原則として規制の反対側におるけど、後者は「ワシらが安心して『自由』に暮らせるように、権力は●●を規制すべし」と主張するんやで。一緒にするから混乱するんやわ。経済学で言えばハイエクvsケインズ。水と油の関係なんよ。
あくまでリベラリズムの派生であるネオリベラリズムと、リバタリアニズムは全然別系統の思想だ
リベラリズムは社会の公正を目的として、そのために自由を利用するのが最適だと判断する思想だ
あくまで目的は公正。ロールズが善に対する正義の優越と言ったのは、元増田の文脈ではgoodに対してlawを優先すると行っている
増田もchaosの方が楽と言っているだけでlawを否定しているわけではないだろ。ちゃんと自由で公正な社会を模索してるし
リバタリアニズムはlawの完全否定だ。ノーランのリバタリアン党では徴税や再配分すら認めてない
これは目的が自由意志の達成に置かれているからだ。自由意志が全うできなければ、いくら個人に快がもたらされても意味はない
もはや信仰の類い。lawが否定できればgoodでなくてもevilであってもいいような思想だ
多分アメリカの建国当初の精神に立ち返りたいのだと思う。アメリカ人以外には恐らく根本的に理解できない。
それは何を目的にしているのかというところを見定めないといつまでもリベラリズムとリバタリアニズムを混同することになる
[追記]
半端な知識でFGO等のアライメントに例えたらやや理解が間違っていた
とにかく主眼としてはリバタリアニズムは出自が全然別の思想なんで
我々ではない(ソーシャル要素を重要視していない)リベラリズムを指し示すために
この指摘から先の、細かな定義の話は、大本の増田のリベラル男性の苦悩の話からテーマが反れてしまうので
このツリー以外のところでいずれ書きたい
ある程度強気に出ないとならない側面があるが、一番大事なのはいま日本で重大な課題は何か?だと思うよ。
経済以外ないんだよ。
経済が良くて法的整合性が悪い政権と、経済が悪くて法的整合性が良い政権では間違いなく前者が選ばれる。
昔のウヨサヨ、保守革新というのも1980年代以前はケインズ社会主義(右、保守)とマルクス社会主義(左、革新)が競っていたという考え。だけど、ケインズ社会主義が新自由主義に乗っ取られ、マルクス社会主義が無くなった状態では、
所詮右翼、左翼単独では強者より、弱者寄りぐらいの意味合いしかない。
けども単純な怒り、あいつらが敵だという罵りは他の課題を覆いつくせる。また新自由主義の小さな政府化のために公務員、公的セクターを破壊するのにも用いられた。
公務員は政権トップに従わないとならないから、政権が石を投げるようになれば黙って従う以外ない弱い存在。いくら公務員、公的セクターに石を投げようが経済はバブル崩壊後の企業の保守化、高貯蓄・低設備研究投資化による長期低迷を脱することはできない。
なので、共存とか愛が重要なのではない、何が重大なのかを考えることだと思う。いずれにしても、「あいつらが敵だ」系の物は疑ってかかるべきというのは言えるが。
景気や金の動き無視して小さな政府がいいという連中が政権を握って大暴れしたからな。小泉と民主党政権だ。
不況の時は政府が金を使うのが正しいんだったんだよ。もうちょっというのなら、大規模経済危機を迎えると企業は保身に入って高貯蓄・低設備研究投資に入るから、使ったら減税、溜め込んだら増税で、
しかししたのはフリーハンドの法人税減税で、むしろその法人税減税はため込む力を増やし、景気を悪くするだけだった。
中小企業は財サービスの需要が強い時に力が強くなる。なぜならある程度客をえり好みできるようになるから、悪い客、安くしか言ってこない客を切れるから。
労働者は労働需要が強い時に力が強くなる。なぜなら求人が多いから、いやな職場から逃げて、職場をえり好みできるようになるから。
とどのつまり中小企業、労働者が幸せになるには経済第一の党を選ばないとならんのよ。
けど新自由主義は、大規模経済危機を迎えた後の企業は放置して不景気温存するだけだし、売り上げから遠い基礎研究に金を出すのを嫌うから、結果的には経済的には失敗を招く思想なんだよ。