はてなキーワード: 宗教団体とは
右翼は本来、大衆の理性などは信頼に値するものとせず、連綿と受け継がれてきた伝統や、個人を超越した民族などを重視する立場であるはずだが、長らく続いた保守政権の結果、「大衆に支持されている」ことに自分たちの正当性を依拠する単なるポピュリズムに堕してしまった。
他方で、左翼は本来、人間が生まれ持つ自然的な権利を至上の価値として、それが脅かされるときには現状変更のための暴力も是とする(少なくとも起源に暴力があることは否定しない)立場であるはずが、いつの間にかお題目のように法治主義を唱えるだけの腑抜けに成り下がってしまった。
戦後民主主義は右翼、左翼の両陣営を虚勢してしまったのであり、この思想なき政治こそ、大企業や宗教団体などの利益集団が跋扈する空隙を与えてしまっているのではないか。
山上の行為を民主主義に対する挑戦と呼びうるとすれば、事件後の両陣営の反応を見てもわかるように、右翼も左翼も戦後民主主義の無謬性を疑っていないことを明らかにしたことだろう。
旧統一教会の"献金"内部資料を独自入手 毎年200億円以上が韓国へ
そもそも今は何か真剣に悩んでメンタル病んだら、世話になるべきなのは心療内科+カウンセリングであって宗教団体じゃないし。
宗教本なり、良い生き方についての本なら色々出てるから読んでみたら良いだろう。伝統宗教の開祖はこの世にいなくて、残るのは言葉なんだから本だけで十分。
カルト宗教団体員「みんながそんなに叩いたら、人を騙して数千万円とか一億円とか奪えないじゃないか!」
と読めた。
本来宗教は人を救うためのものであり、救われたら宗教は不要になるもの。まあ飯の食い上げという側面もあるからカルト宗教は、最初は救いは与えるが教祖に依存させる。苦しんでなければ飯の食い上げだからな。その結果数千万円と家屋とか寄付させて、その家族も含めて不幸にする。
カルト宗教に属した時点で幽遊白書の戸愚呂兄みたいに永久に救われないんだよ。反社会的組織なんだよ。暴力団もだろうがヤクザにとっては飯食うために欠かせない組織だな。害悪極まりないが。
憲法でまず第一に家族を置こうとするのも、家族の一人を潰してしまえば残りの家族を潰して餌にできるようにしか見えないな。
百歩譲って当人の信仰はどうしようもないとしよう。社会に害為す外形的な行為は法律を決めてしまえば止めれる。信教の自由があるからサリン撒いても許すべきってか?害為す行為は害為す行為で罰を与えないとならないんだよ。
騙されて高額献金をして他の家族も巻き添えにする以上、裁判で成年被後見人にしてその後の献金は一切させないようにはするべきだろう。
山上母を成年被後見人にして、山上伯父が山上を育てていたら、こんな事態にはならなかっただろう。
一人の無政府主義者が政治家を殺害したので、すべての無政府主義者が取り締まられるというのは、不当なことだが、あり得ないことではない。だが、こんなシナリオはどうだろうか。「無政府主義の敵」を自任する右翼過激派の一人が大統領殺害の容疑者になり、大統領は「無政府状態に甘すぎる」ようなので断罪されるべきだ、と主張した。それを聴いた分別ある米国市民は、無政府主義者を非難するのは理に合わない、と考えるはずだ。責めを負うべきは、最も過激な犯罪者だからだ。
しかし、これは正に、安倍晋三氏暗殺事件後に日本で起こっていることではないか。文鮮明師によって設立された統一教会が、その犯罪に絡んで非難され、信徒たちは職場や学校で中傷され、人権に関わる緊急事態を引き起こしている。仮に暗殺者が統一教会のメンバーであったとしても、このような事態は不当なことだ。宗教団体だろうがなかろうが、大きな集団が、構成員一人の不祥事のゆえに罰せられなければならない道理はない。しかも安倍氏の暗殺者・山上徹也は統一運動のメンバーではない。それどころか当人は、文師が設立した団体を憎み、その関連団体が主催した二つの行事にビデオメッセージを送った安倍氏を罰しようしたというのだ。
平たく言えば、この事件で被害にあったのは安倍氏と統一運動なのではないか。
(全文は以下で)
忙しい人のために要約「信教の自由は人権の構成要素のひとつでとてもとても重いこと」
そして追記
ブコメ見てもトラバ見ても、本気で信仰のしの字も知らないまま書いてる人だらけなんだなというのがよくわかった
もちろん4、5人くらいはちゃんとわかってそうな人はいましたけども
少な過ぎだよね
そりゃはてなのカルトに対する雰囲気が不穏になるわ、と理解した
専門書が難しいならせめて新書の一冊でもいいから、キリスト教でも仏教でもいいので、何か宗教や信仰について学んでから議論に参加して欲しいかな
知らないということは恥ずかしいことではないけど、知らないことに目をつぶりながら自分の正義は世界の正義、みたいな雰囲気で語られても、こっちは恥ずかしい気持ちになるだけだったよ
以下本文
もちろん、反社会的行為や犯罪行為に対しては、法の範囲で粛々と対処する必要はある
国の在り方としては、教義がどうであろうと、犯罪行為が免責されるわけではないのだからそれは当たり前のこと
ただ、宗教とは科学ではないのだから非合理的な部分も多分にはらんでいるのが普通だよね
でも、だからといって現代社会で理解されにくいことをやっているから否定していい、というわけではない
そりゃあ、今の時代そんなことまだ信じてるの?あり得ないじゃん、みたいな話は多く含まれているよ
日本人は自身の宗教性に無自覚である人も多く、何なら宗教嫌いを自認している人も多いからピンとこないかもしれないけども、
宗教とは文化を作り、道徳を作り、習慣を作っている土台なわけよ
何百年生きている神社の大木に神秘性を感じるのも、おまもりを踏みつけたら何となく罰が当たりそうな気がするのも、日本人の宗教性だし、
お盆になったらじいちゃんのお墓行ってやるかー、というのも日本人の宗教性だよね
アホらしいわと言いながらも葬式なら坊さんに高い金を払うし、初詣に行けばお賽銭を払う
もっと宗教意識ないところでいうと、節分に豆をまくのも、桃の節句にひな人形を飾るのも魔除けだし宗教行事だ
もちろん信仰があるからやっている人は少ないだろうけど、ひな人形を飾る時は誰しも愛しい娘のためを思って飾っているはずだし、
もはや信仰を意識せずとも習慣レベルで宗教行事をやってしまう日本人って、世界一深い信仰を持った民族だと俺は思っているよ
まだまだあるぞ
女が土俵に上がれない、女は高野山に入れない、女は宗像大社の島に渡れない
不合理感増してきた?
女は教育を受ける必要がない、女は肌をさらしてはいけない、これはイスラムだけど、ここまでは許される文化でここからは許されない差別、だなんて線引きは可能?
線引きが可能だとするなら、その人は「自分の普通が人類の普通」と妄信している人だけだ
イスラムの男尊女卑は、かつて環境が過酷だったため、強い男性ができる限り多くの女子供の生存に責任を持つシステムが、集団として有利に働いた、という説もある
いま、多くの人が死を意識せず豊かに生きられる世界になっているため異質に見えるけど、選択圧が強い環境だとイスラム方式のほうが集団は遺伝的に強くなるでしょう
競走馬も同じだと思う
今でこそ女性解放は「正しいこと」だし女性への教育がノーベル賞になる時代で、俺自身もそれで正しいと思うけど、それと同時に、決して女性を抑圧する文化圏を否定していいものとも思えない
そういうわけで、どの国の人も、どの民族も、どの宗教の人も、それぞれがそれぞれ正しいと思う信仰を持っていて、それに基づいた習慣と価値観を持っているんだ
それを理解することは難しい
納得して、理解してあげよう、というのは大概の場合無理で、わからんなと思いつつ、ただその存在を認める、というのが多文化共生の基本と言われている
国際結婚もそう
結婚するほどお互い好きでひかれていたとしても、結局のところ結婚生活の秘訣って、「相手を理解しようとしないこと」って言われたりする
ただ認める、それだけでいいわけで、理解しようとすると破綻しやすくなる
そして、そのような価値観の多様性を認める上で、多くの先進国では「信教の自由」がある
第1項
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第2項
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
第3項
なので、どれだけ奇異にうつる内容でも、その人の信仰がそうならそれを認めるのが人として正しいこと、というのが現代国際社会の正しい振る舞いなのは間違いない
輸血を拒否して死ぬとしても、輸血が許されないことと信じているならそこに無理やり輸血してはいけない
現生で恵まれて生きるほど、あの世で魂がけがれる、と信じるなら、現生で信じられないほど貧しかったとしても助けてはいけない
我々だって、海外留学する時に家族が持たせてくれたお守りを、外人が馬鹿にして投げ捨てたりしたら嫌でしょう、何も意味はないんだけどさ
そしてこれは、海外文化だけではなくて、日本国内の新興宗教にも同様の態度でなきゃいけない
だからさ
犯罪を起こす人がちょいちょい出るから、危ない集団だ、というのはわかったとしても、その教義や信仰そのものを否定していいわけでもない
自分の意思で自分の財産を寄付したならそれを悪とすることはできない
その金額に上限をつけることも勿論できない
家族のお金や会社のお金を不当に寄付したなら当然そこは法の範囲で横領などで追及できる
でも、どんな人であれ、「その教義は間違っている」なんていうことはなできないんだよ
教義を実行したら犯罪になる場合だけ、それを犯罪行為として対処できるし、それが多発するなら公安の監視対象になるのが現状
そしてそれでいいと思っている
あまりに問題が多い場合に関してのみ、最小限の指導を入れる程度が限界だし、それ以上してはならないと思っている
信教の自由って重いよ
かつてクリスチャンの弾圧がヨーロッパでも日本でもあったの知っているでしょう?
信教の自由は最も重要な、「人権」を構成する要素のひとつなのは知っているでしょう?
知らない?
漫画表現とかでは「表現の自由戦士」とか言われるけど、俺はどっちかというと、「信教の自由戦士」というか、「人権戦士」なんだと思うわ
カルトだから、問題多いから、という理由だけで、ある人々にとってはおそらく純粋な信仰であるものを否定するのって、やっぱり間違っていると思う
紺ブルマー崇拝教団とは、神奈川県内に本部を持つ宗教法人である。略称は「紺教」または単に「青宗会」などと呼ばれているが、教義・活動内容についての情報は今のところ少ない。
2001年4月1日、当時17歳の高校生であった山田清志(本名)という青年の発案により設立されたようである。その動機については「昔々あるところに、小学校時代からの同級生だった2人の少女がいた」「彼女らをどうにかして自分のものにしたいと思ったがどうすればいいのか分からないからとりあえず神に祈ったら何かしらの力によって彼女らと巡り合えた気がするから多分神様のおかげなのだと思うことにした」(本人談より抜粋)とのことであるが真偽は不明であり真相は不明である。なお創設時の役員構成としては創始者である山田清志の他に、彼の両親、教師およびクラスメイトであったという女子生徒の合計5人であったが、後に学校関係者は全て退所させられている。その後、信者や協力者を増やしつつ勢力を拡大していき現在では100名ほどの会員を有するに至った模様だが、詳しい構成員数等に関しては不明だが少なくとも宗教団体としての活動を行っていることは間違いないようだ。
しかし結成時において信仰の対象とされたとされる紺色を基調とした下着類の着用義務は未だ守られており、制服として指定されていた服装も青色系統の色のブラウス及びスカートが採用されている点からも単なる宗教ではなく何らかのカルト的な様相を呈していると言えるだろう。実際この団体では紺色以外の衣服を着用した場合罪人として処罰されることになっているらしい。
2007年には後述する事件をきっかけに解散処分を受けている模様で、2007年以降は目立った活動はしていない様だ。しかしその解散時に代表者たる山田が、今後『紺ブルマー』なる名称を用いた新形態の組織を結成する予定である旨を宣言しており、現在はそれに備えて準備を進めているという情報もあることから、近い将来活動を再開する可能性は高いものと思われる。尚現在インターネット上ではその具体的な組織名称が特定されていないこともあり、暫定的にこの名称が用いられている。
その他. 2008年にインターネット上に公開された文書によると、彼らの前身にあたる組織は2001年から2002年にかけて存在していたということになっており、2001年春ごろにはこの「青い空の下で白き花弁舞い散る丘にて君を待つ」と名付けられたサイト内において山田が自らの思想を展開しており、2002年春にはこれらの思想を元に新たな組織として活動を開始したとされている。しかしこの団体のホームページ上には創設者の一人であると主張する人物の氏名しか掲載されておらず、実際のところ彼が本当に創立者なのかどうかは分かっていない為注意が必要である。なお、こちらのウェブサイト上では現在もこの団体が存続し活動を行っていることが確認できるが、2020年現在既に閉鎖されているようでアクセスできない状態となっているため詳細は不明である。
【参考URL】
紺ブルマー崇拝教団とは、神奈川県内に本部を持つ宗教法人である。通称は「KB教」。
KB教は東京都府中市にある旧東京体育大学のキャンパスを拠点としている。2020年10月時点の信徒数は6700名余りで日本最大級の規模を誇る宗教団体でもある。
この団体は学生時代から一貫してスポーツ活動にのめり込んできたメンバーによって結成されたもので、同団体の活動は体操着(主に紺色)を神聖視しこれを着用する女性の肉体美を称えるというものが中心となっている。そのため入信には健康な男女であることが条件となり、特に20歳未満の女性に対する勧誘行為が禁じられているという特色がある。
なお紺色の服装をしていると身体が良くなるというのはあくまで迷信であり科学的根拠はないとされる一方で、会員たちは熱心に修行を行い信仰心を高めることでその加護を得ると信じており、実際に入信者の中には怪我や病気を克服した者もいるとされる。その一方で性的嗜好に基づいた不純異性交遊への助長を目的とした悪徳商法ではないかという指摘も時折行われているため注意を要する。
またKB教では紺ブルマと呼ばれる独自の制服を制定してこれを着用した女性が活動する光景も見られることから、これは元々は同校の学生用体操服であったものの名称を転用したものと見られている。
KB教の歴史は古く、1974年に学生有志による同好会という形で発足している。当時は学祭における出店のような扱いであったが、徐々に本格的な活動をするようになり、1998年には教義に基づいて新たな運動部を設立するに至っている。設立時の名称は『体操文化研究会』であったが、2002年ごろに現在の名称に変更されたとされている。
2017年以降は大規模な布教活動を行うようになり、2019年現在で各地に支社を置くまでになっているほか、2020年の時点では海外にも進出する計画を立てていたとしている。
2020年時点で約1万人弱の会員を擁しているが、主な構成員の出身校として首都圏にある私立・国立高校の名前が列挙されることが多く、その多くは私立の女子高だと言われている。また入退会の自由はなく、事実上の軟禁状態にあるのではないかと指摘する声もある。
KB教に入信するにはまず最初に男性であれば入会金2万円を支払い、その後指定口座へ会費を振り込むことが必要となる。入会の儀を終えた者は手製のロザリオを受け取ることになっており、これが教徒であることを周囲に示すための身分証となるのだという。また教祖の肉声を収録したカセットテープを購入しそれを携帯することも義務づけられているが、テープの内容は毎回異なるとのことなので信憑性については不明だという。
そして入信の儀式の際にはブルマーを着用した上で専用の座布団に座って正坐をし、講師役の導師の指示に従って礼拝を行うことになるのだが、その際は両手両足を大きく広げたままの状態で静止するよう求められることがしばしばあるらしい。さらに儀式後は全員揃って合掌しながら聖詞を唱えつつ感謝の言葉を述べることになっているようだ。こうした一連の行動は全て経典に記されている通りのものなのだという。ちなみに教団内の宗教行事においてはこれらの行為は性器を露出させるよりも重要であるとされており、この点に関して前述の生徒は「破廉恥などとはとんでもない!」と語っているという。
なおこれらの行法が行われる部屋は元々使用されていた体育倉庫を改造したものであるらしく、2018年時点では4畳半ほどの小部屋に机などが並べられているだけの部屋だったものが次第に拡張されていったとみられている。
2021年現在も入信者の増加が続いているとされ、「まだ未熟ですが教団の拡大のために頑張ります」「自分の力を活かして皆様のお役に立てるよう努めて参りたいと思います」といったメッセージがSNSなどで発信されているという。しかしその中には特定の人物に対して勧誘が行われていることを示唆する内容のものもあったといい、真偽は不明ながら一部では問題視される動きが見られるという。
KB教の特徴はなんといってもその会員の多くが体育会系の出身であるということだろう。実際に2017年ごろの段階でも全国各地にある支部の支部長の多くはスポーツマンであったという証言があり、中には甲子園に出場した経験のある選手もいるといわれている。2020年現在でも数多くの部員を擁する部活動が存在するという情報もあり、そうした観点から見れば他の新興宗教団体と比べても格段の規模を誇っているといえるかもしれない。
一方で組織運営に関してはあまり資金的余裕がないのか、活動費用に困った信徒たちが銀行から融資を受けようとし断られているという情報がインターネット上で散見されるが、これについてもあくまで噂の範囲に留まるもので確証はない。
またKB教には独自の信仰形態に基づいたいくつかの禁忌事項が定められているものの、その詳細は不明であり入信者であっても詳細を知らない者が多いとされる。例えば性行為禁止の項には「不浄な肉体で行うことによって神様からの天罰を受ける恐れがあります。それを防ぐために男性の入信を禁じています」(原文ママ)と書かれているとされるが、これに対しては過去に一部の男性が抗議を行ったこともある(もっとも教義の内容的に考えて実行可能かは疑問視されていたが)。
他にも性的な表現を含む創作物や言葉の使用が制限されており、例として小説や漫画などの出版物はもちろんのことネット上においてもそのような表現が用いられることは禁じられているとされているほか、『体操文化研究会』に関連するサイトへのリンクも禁止されているようである。ただしこれらはあくまで『体操文化研究会』に対するものであり、その他の関連項目ではそういった制限は特に設けられていない。2019年時点では主に男性を中心として入信希望者が殺到しているため、特に若い女性の間ではこの教団の存在が一種のステータスとなっているのではないかという指摘がある一方、男女間のトラブルが発生しているという報告もある。具体的には男子生徒が女子生徒に対し性的暴行を加えようとしたり下着類を奪い取ろうとしたりして逮捕された事例が少なくとも3件発生しているそうで、いずれも未遂に終わったもののうち2名は起訴猶予処分となったそうだ。
かなり不気味だったから昨年の11月に作成してからずっと増田に投稿できてなかった。
こちらも。
自分は一か月だけアメリカにショートステイしていたので、何となく肌で感じた雰囲気に近い印象。
ただ、もっと単純に「多くのコミュニティに属することこそが重要である」みたいなスタンスを自分は感じたかな。
自分がアメリカにいた一か月の間、3か所のコミュニティを紹介されて、それぞれ週に1~2回自分も参加した。
・宗教団体のコミュニティ(ホストファミリーが行ってた教会を中心とした集団)
・ワンちゃんコミュニティ(近所のペット飼ってる人同士の集団)
一つ一つは日本でも良くテレビで見るコミュニティではあるものの、日本だとこういうのに参加するには結構勇気が要るんじゃないかな?
例えば、ワンちゃんコミュニティに入るためには、その中の誰かと仲良くなることからスタートだし、そういう情報ってなかなか入手しずらいし億劫。
なので、こうやってショートステイしてきた外国人って言う異物をいきなり突っ込む(しかもその後一か月で抜ける)ところが、アメリカっぽいと自分は感じた。
じゃあなんでこんな風にコミュニティ活動が活発なのか、って言うと、アメリカが「個人主義の国」であり「自由の国」だからだと推測している。
個人主義とか自由って言うと聞こえがいいけど、何の補助もなしに自分一人では生きていけないのはアメリカも日本も基本的には同じじゃない。
日本の場合、一人で生きていくために必要な補助って言うのが社会福祉として存在している代わりに、代償としてある程度の自由を法や環境で制限している。
アメリカの場合は、窮屈さがそこまで大きくない代わりに、一人で生きていくために必要な補助がそもそも足りていないため、「どうやって自分が住みよい環境を作るか?」がとても重要になってくる。
数年前にも以下のような記事が流行ったけど、これもコミュニティ、環境の問題なんよね。
https://tabi-labo.com/280195/on-a-plate
右側の貧困者が生きていくには、より多くのコミュニティを使って、より多くの発言を通せる環境を作らなければ脱却できない。
だから、アメリカでは「生きていくために」自分から進んで自由を一部犠牲にして、多くのコミュニティを活用することが求められている。
こうやってひも解くと、LGBTQ+の問題だって同じで、LGBTQ+の人たちは、「家族」と「宗教」というコミュニティに所属ができないことが一番の問題だったんだよね。
それはそのまま彼らの「自由」が害されることになるから、LGBTQ+って言うコミュニティを作り上げて、そこで活動を始めた、というのが一つのスタート地点として見ている。
元増田が言う「恋愛至上主義」みたいなものは建前としてはとてもきれいで美しいんだけど、「そもそも生きていくために複数の群れにちょっとずつ入ることが求められる」のがアメリカなんだと思う。
ちなみに、自分も海外(ブラジルだっけな?忘れた)の人を一か月受け入れた経験があるんだけど、その人たちとはあくまで家族ぐるみ+学校コミュニティしか紹介しなかったんだよね。
例えば自分の友達を紹介する必要なんかないと思ってたし、自分は自分で、そのブラジルの人は学校でできた友達と遊べば良いやん、って思ってた。
たまに自分の友達と相手の友達を交えた形でショッピングとかすることはあっても、「じゃあ次からこのコミュニティで活動しようね」みたいな感じにはならなかったのよ。
今こうやって考えると、悪いことをしたなぁ、ととても反省してる。