はてなキーワード: 宗主国とは
この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代的国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮と西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍がキリスト教徒虐殺事件(丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮の江華島を攻撃・占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国もジェネラル・シャーマン号事件(1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮の江華島に攻撃・占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮と通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。
当時朝鮮の政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である。清朝から西欧列強の情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策を積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国を夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。
また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国が朝鮮を守ったため、今回も中国が朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国は東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮の認識ですから、親分である中国に自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。
他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはやく開国し明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係を樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月に明治政府が樹立するとすぐに書契、すなわち国書を対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためである。しかし国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。
この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である。日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から、条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係を位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国の王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである。
征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。
1868年以来、何度か日本からの国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いから両国の関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国の官僚同士が険悪となっていた。長崎の出島のごとき釜山の倭館に限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである。釜山の倭館は朝鮮側が日本、特に対馬藩の使節や商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府は対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収し日本公館としたことから事態が悪化したのである。結果、必要物資の供給及び密貿易の停止が朝鮮側から宣言される事態となった。
日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年、朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約、日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉を忌避する朝鮮を、交渉のテーブルに着くように促したのである。
1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本が朝鮮に出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本からの国書を受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊を意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。
国交交渉再開の気運が高まり、1875年に交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚が交渉のテーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山の洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢に朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山は4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍の砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月に派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目で示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。
詳細は「江華島事件」を参照
9月20日、首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島の要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器、旗章、楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件は朝鮮側が日本海軍所属の軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。
明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。
またこれらが満たされない場合、軍事行動も含む強硬な外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見はほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さらに朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強の干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである。
さらにボアソナードのいう軍事行動も含む強硬な外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦や兵士の護衛がつき、威圧効果を朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋が山口県下関に入り、広島・熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのである。さらにいえば、日本の砲艦外交的姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。
ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシアや清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。
以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。
砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。
江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係を樹立すること。
また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮の宗主国である対清朝政策でもあり、清朝の干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀、欧米列強のアジア侵略に対抗するため、清朝は朝鮮やベトナム、琉球などの冊封国を保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジアの伝統的な国際関係をそのまま近代的国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴル、チベット、新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。
この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである。
日本がポツダム宣言を受け入れた、と小学校の授業で習ったとき、幼かったわたしは戦争の閉会宣言のようなものだと認識し「ああ、これでこわかったアメリカさんとも仲良くなれるのだなあ。平和になったのだなあ」と思った。無条件降伏という言葉の意味や重さを意識したことがなかった。
ところが戦後どうだ。「日本はアメリカの植民地」というのは自虐でも揶揄でもなく、まことにそのまま言葉通りのものだ。
日本の仕組みは徹底的にアメリカに利益を吸い上げられるように組み替えられ、誰もそのことに気がつかないレベルで綺麗に植民地化された。
隅々まで道路が発展し、どんなに歩行者や運転者に危険だろうと、アメリカの利益になっているうちは車社会は止まらない。
一流企業の社員でさえ、死ぬまで働かされるし死ななかった場合は自殺に追い込まれる。
誰も自分を幸せにしようと思わないし、他人を幸せにしようなんてなおさら考えたこともない。
日本が豊かになろうと貧しくなろうと、何人死のうと平均寿命が伸びようと、アメリカにとってはアメリカの利益になればいいし不利益になればバッシングが起きる。
ある晴れた昼下がり、芝の上にごろんと横になって半日を潰そうかとか、向こう40年間で一度でもできる時が来ると思うだろうか。思わないだろう。なぜなら、わたしは奴隷の子孫だからだ。
「中国では旧正月を祝うのです」あるとき中国のそんな文化を聞いてふーんと思った。ふーんと思ったのち、しばらくして気がついた。中国人は「旧」正月を祝っているつもりなんてない。中国は戦勝国だから、自分たちの暦で好きなときに祝えるのだ。日本はアメリカの植民地だから、アメリカ経済に都合のいいように暦も書き換えられているのだ、と。
そんな何もかも失った日本で、唯一といっていいくらい独立国家らしい真似事が残されているのが「和暦の制定」
ひとは面倒くさいからこの際和暦も捨て去ってしまった方がいいという。
なるほど、文化というのは、人が使わなくなったら廃れていくことこそが自然なのだから、その考えもいいだろう。
どうせ和暦といってもアメリカの太陽暦に合わせて元号だけつけさせてくれる、「独立国家の真似事」の名残みたいなものだし。
昭和から平成へと、敗戦後一回だけ和暦の平定を宗主国アメリカ様からゆるされたが、次の元号は国民自ら捨て去ってもいいと言うようになった。植民地被支配これに極まれり。先人たちは、平定の先に何が見えると考えていただろう。合理の名のもと、独立国家のおままごとが終わろうとしている。わたしは少し寂しさを覚えた。
http://blog.tatsuru.com/2016/11/15_1128.php
その理由はとりあえず周知されていない。誰でも知っている理由なら、こんな特集は組まれない。
ふつうリベラル批評家が発言力を持ち続け得るのは(事象に即した言説のクリーンヒット時の「ご祝儀」を除くと)批評のまなざす先の恩沢に現にリベラル市民が浴しているからである。
だが、内田樹はそうではない。
特別顧問で参画した大阪市政改革は頓挫した。旗を振るったSEALDsは見るべき成果を上げていない。野党連合の結託をいくら煽っても鳥越の醜態や民進のグズっぷりばかり悪目立ちしてしまい 自民党打倒の糸口が見えない。安保法案への言及ではシーレーンや国防、自衛隊員の命の軽視と反知性主義の態度が露呈した。五輪計画や福島原発や豊洲移転問題では共産党の走狗となり知性の欠如があきらかになっている。どれも老いたリベサヨの末期の徴候である。にもかかわらず内田は高い読者数を保持している。その根拠は何なのか?
一番簡単なのは、「リベサヨ市民は現状認識の適否を判断できないほど愚鈍になった」という解釈である。
リベサヨの過半が愚鈍であるなら、こんなあげつらいも何の意味も持たないからだ。だとしたら、問いの次数を一つ上げるしかない。「リベサヨは内田を支持することでどのようなメリットを得ているのか?」である。
保守速報などネトウヨまとめサイトの観測によれば、内田支持理由のトップは「他に適任者がいないから」である。
だが、現実には「他にどのような言論人が適切か?」という問いは誰も立てていない。いずれ支持層が急逝して「ポストリベサヨ」がリベラル市民の話題になればリベラル市民は「人気投票」を行うだろうけれど、今は話題になっていない。
私の解釈はこうだ。国益が損なわれ、国民が日々損害を被りそうな諸言説を垂れ流すにもかかわらず、「内田を黙らせろ」という声が上がらないのは、リベサヨ代表格の適格性を最終的に判断しているのは「リベラル市民たちではない」とリベサヨが思っているからである。
残念ながら、リベサヨ界隈において、内田言説の適格性を判断しているのは理性ではない。
リベサヨは自分たちの歪んだ情念から現実を歪ませて認識することはできる。でも、現実に即した言説に身を委ねるはできない。
リベラル市民たちが誰を選んでも、中共が「不適格」と判断すれば、リベサヨメディアでのオピニオンリーダーの座には就けないし、就けても短命に終わる。そのことをリベサヨは知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。それを認めてしまうと、リベサヨは権力の圧政に反して日本社会や市民生活をより良くしようという正義や善意の集団ではなく中共の野望の片棒を担ぐ工作機関であるという事実を直視しなければならなくなるからである。
2008年頃からネトウヨ嫌韓豚の吹き溜まりである保守速報などのまとめサイトで「朝日新聞は中共の工作機関である」との言説が広まった。反日朝日の誌上におけるオピニオンリーダーの任免権は事実上中共が保持している、と。
日本のリベサヨ言論はこの発言をまともに取り合わなかった。違うと思うなら反論すればいい。だが、「反日朝日は中共の工作機関ではない」と述べたリベサヨ言論は一つもなかった。
サントメプリンシペの政治学者ガバーヌ・マンコニックは〜中略〜同じことを指摘した。だが、リベサヨはそのような意見がネトウヨ社会では当然のように行き来している事実そのものを組織的に黙殺している。
内田樹は「宗主国中華人民共和国の属国の報道官」である。実質的な権威づけは中共が握っている。もちろん、外患誘致に問われるから、権威付けの作業は「アウトソーシング」されている。中共の情報誘導は朝日新聞や日刊ゲンダイへの記事やコラムを通じて醸造され、外国人特派員クラブやワシントンポスト、ニューヨークタイムズなど外信へ逆輸出することでマッチポンプ効果で言説の信憑性がより強化される。そういう仕組みでリベラル言説が制御されていることをリベラル市民はもう知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。
「他に適任者がいない」というのは朝日新聞など反日工作メディアの判断である。
内田樹は日本の国益よりも中共の国益を優先的に配慮してくれる「理想の言論人」である。だから反日メディアがそう評価するのは当たり前である。そして、リベサヨの多くは朝日新聞の判断の方がリベサヨ当人自身の生活の延長線上にある主観的な現実評価よりも夢想的でありかつ幻想的であると信じている。
「追記」
ただ、アメリカの大統領がドナルド・トランプに交替したことで、「宗主国の代官」にどのようなタイプのオピニオンリーダーを選好するかについての判断基準がこの後変わる可能性はある。
これまで、「属国の代官」の適不適を事実上判断していたのは辛淑玉たち「差別の当たり屋」であった。
リベサヨのグズっぷりに「市井の人々」は巨大な「マイノリティ利権」をひさしく貪っていた「差別の当たり屋」たちから取り上げようとするだろう。
「差別の当たり屋」たちのお気に入りであった日本のリベサヨ言論人たちはこれから新たに「オーディション」を受けなければならない。
明日11月17日に安倍首相はトランプを西側首脳として最も早く表敬訪問をするが、これは「日本の総理大臣」である以上当然のことであり、これは安倍首相にとっては「新しいカウンターパート」に対する「牽制」に相当する。
日米の関係がより進歩的に発展するという「(中共にとって残念な)結果」になった場合、反日メディアではオピニオンリーダーもリテラもマガジン9も「アベシネホントシネゲリグズ野郎」と(はじめはおずおずと、そのうち猛々しく)言い始めるだろう。
この件ね 難波のとらのあなでヘイト本平積み - Togetterまとめ
まず
廃墟/怖音 @haioku
知人が難波のとらのあなでこんなことしてるって教えてくれた(;´Д`)死ねよオタク pic.twitter.com/NBZQdsslvX
この、発端となった@haioku氏について。
この人は元書店員らしいけど、1年ちょっと前にこういうツイートをしてるんですよね。
廃墟/怖音 @haioku
僕はもう本屋じゃないからこんなことを言える立場じゃないが、てめえらがAmazonだの同人誌ショップだのにばっかり金を落としてるから街の本屋は宗教だのネトウヨだのに股を開かないと食えなくなったんだよ。ただでさえ食えねえ書店を見捨てて置いて今さら本屋がおかしいだの言ってんじゃねえ糞が
https://twitter.com/haioku/status/499119511635636224
廃墟/怖音 @haioku
お前らは書店を見捨てたんだから書店が生き残るために糞を食おうが自分の身に火を着けようが関係ねえだろ。それとも書店が清貧を貫いて死んだら満足かコラ。それは特攻を美化する脳足りんどもとなんか違いがあるのか?書店の売り場が酷いって騒ぎたてる前にお前らは書店になにをしたのか考えろ。糞が。
https://twitter.com/haioku/status/499121044507357184
なるほどなるほど、「書店」は「食えねえ」から「宗教だのネトウヨだのに股を開」いてもおかしくないが「同人誌ショップ」は金を落とされてるから「とらのあなは糞」だということなんですかね?凄いロジックですね。とらのあな難波店が経営苦しかったらこの人は意見を変えるんだろうか。「オタク死ねよ」という気持ちが先走り過ぎなんじゃないですかね。
あと、これは別にhaioku氏批判というわけではないんですが、4ヶ月ほどまえに山本夜羽音氏とこんなやりとりをしてらしたんですが
山本夜羽音@「メガ秘書」9.28新作発売 @johanne_DOXA
ヲタだったことで就職が叶わなかったのか?
ヲタだったことで起きた理不尽は「修正可能」だが、その為にどんな努力をした? もしくは「ヲタで在り続ける」ことにどんだけ「誇り」を抱いた?
俺は、キモヲタであることが誇りだもん。全く、後ろめたくない。強いて言えば、内心の劣等感との格闘。
https://twitter.com/johanne_DOXA/status/612587887222112256
廃墟/怖音 @haioku
オールドスクールなオタクだなあ(;´Д`)僕とおんなじだ
https://twitter.com/johanne_DOXA/status/612587887222112256
https://twitter.com/haioku/status/612591726427967488
山本夜羽音@「メガ秘書」9.28新作発売 @johanne_DOXA
そう。オールド・スクール。
しかしニュー・スクールが真実でも救済でもないのだとしたら、抗うしかないのです。
https://twitter.com/haioku/status/612591726427967488
https://twitter.com/johanne_DOXA/status/612592235385741312
廃墟/怖音 @haioku
@johanne_DOXA どうせ僕らは老害ですからね(;´Д`)消え去るならオタクどもに取り憑いた変なのを叩き出してからにしましょう
https://twitter.com/haioku/status/612593365209649152
「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか
@01sep1923
【報告】「レイシズムへの抗議行動・知らせ隊」からのお知らせです。これまで対外的な発表任務を担っていた山本夜羽音氏が、メンバーから外れることになりました。山本氏が一人のメンバーに対しセクシャルハラスメント行為(身体に抱きつきキスを迫るなど)を犯したことがその理由です。
https://twitter.com/01sep1923/status/662577120854470656)
一体何本何羽音氏のことなんだ………?
えーとですね、オタクとしてオタク批判するのは勿論どんどんやって頂ければと思うのですが、ただ「オールドスクールなオタク」は今のオタクと違ってまともだった、みたいなことだけは思わないでください、ということはhaioku氏に申し上げておきたいと思います。このように「オールドスクールなオタク」が俺らキモヲタは「生かされてる」んだよ。俺ら実際キモいんだよ。妄想の範囲を逸脱して性暴力に至る奴ら許しちゃならんのよ。とか言いながら性暴力に至ってたりするという事実がありますからね。いえ、もちろん一部の人ではあるんでしょうけど、そんなこと言ったらヘイト本を買うのも一部の人ではありますからね。よろしくおねがいします。
余談だけどhaioku氏ってはてなユーザーなんですよね。 http://d.hatena.ne.jp/haikyo/ ぁゃιぃの出身の人で同郷のkyoumoe氏と時々戦ってたりしてた覚えがある。まあ、これは今回の話には関係ないです。
で。
それはそれとして、haioku氏を批判している連中の中にはクズみたいなネトウヨも混じってるし、その点については同情します。なのでその辺のことにも触れておきます。
とりあえず俺の立場を明らかにしておくと
という感じです(なのでhaioku氏を批判はしたけどとらのあながああなってるのを教えてくれたこと自体には感謝しますよ)。さて、
Amazon.co.jp: テコンダー朴: 山戸 大輔, 白 正男: 本
この本のことは知らなかったんですけど。
この商品を見た後に買っているのは?のところに並んでるのが現時点で
よつばとがこの並びに入るの風評被害すぎる……。一緒に買ったの誰だよ。それはともかく、このヘイト本の並びを見た上で上記Togetterのコメント欄の
HINO @desire5225 テコンダー朴は大日本帝国批判、韓国文化礼賛してる作品だったはずだが…俺あんま好きじゃないけどあの漫画
HINO @desire5225 あ、ようやくわかった。テコンダー朴は日本ヘイトだから許さないって意味?なら納得が行くわー
地方妖怪 PGERA @PGERA_RX ところで、テコンダー朴は「テコンドー使いの主人公が悪辣な日本人を懲らしめる」のにどの辺がヘイトなんすかね?
というようなコメントを見るとバカじゃねえの?と思いますね。何が日本ヘイトだよ。
内容紹介
著者からのコメント
思い知るがいい日本の罪の深さを、そして我ら大韓民族の偉大な歴史を!
最強格闘技テコンドーで劣等民族チョッパリ(日本人野郎)を一蹴!!
劣等民族・日本人は反省しろ! 世界最高民族・韓国人を尊敬しろ!
韓流ファンタジー(妄想)を具現化したテコンドー最強伝説の幕開けだ!!
空手・柔道・剣道・相撲・孔子・仏教・漢字・ムエタイ・飛行機……この世は全て韓国起源!?
世界最高民族・大韓民族に全人類の名により心から感謝!
世界文明宗主国・大韓民国に永遠無窮なる栄光あれ!
どっからどうみても韓国人を(皮肉として)disってる本ですよね。
俺はこの紹介文を読んだ時点で「韓国人に対するヘイト本」とみなしたけど
(もうちょっと調べたら http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2015071711340398027 に
この漫画は盧前大統領の死を嘲弄の種とした。 劇中オ・ムヒョンは日本帝国主義者と対決中頭蓋骨破裂で死亡するのに該当場面が盧前大統領の死亡瞬間を連想させる。 また、ポケットに立ったまま死亡するというあきれる設定では過去盧前大統領が民主平和統一諮問会議で演説した姿をそのまま借用した。 【引用者注: 韓国語をexcite翻訳で翻訳したため正確ではないと思います】
とかあって確信を深めましたが)
「この本はヘイト本」という主張に対して「いや、これは韓国人に対する批判であってヘイトとは違う」と主張するなら、あるいは批判とヘイトを区別することがどこまで妥当かとかそういう方向で攻めるなら、賛同するかはともかく理解はするよ。
でも上でコメントを引用したような連中は「韓国人に対するdis(批判かヘイトかはともかく)である」という点すらワザと無視して「日本人がやっつけられてるのになんで韓国人ヘイトなんだよw」っておちょくりだすわけで、どうしようもないゲスだなあと思いました。
ちなみに、
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/haioku/status/662919309191024640
big_song_bird 大体「テコンダー朴」って、韓国人がデタラメな「韓国起源説」を主張するから、それに対する皮肉なだけだぞw。それすらレイシズムとかw。
このbig_song_birdという人ははてな左翼を「おまエラ」と呼ぶ正真正銘のレイシストなんですが、俺はこの人の上の意見に同意しないけれども、本音を隠してないぶん上のゲスどもよりは幾分上等だと思った。下には下がいる。
以上。
はっきり言ってしまえば、虐殺器官のトリックもハーモニーのアイディアも、SF的観点からするとさして目新しいものではない凡庸なものだ。
にも関わらず、「夭逝の天才作家」として祭り上げられる以前から○○おじさんを含むめんどくさい連中に評価されている理由は何かと考えると、ディティールの積み上げる圧倒的なリアリティにあるのだと思う。
虐殺器官に出てくる心理的マスキング処理、ハーモニーに出てくるアマゾンめいた個人評価のスター、これらは今現在からの延長線上の未来として演算される現実的なもので、一部の組織や企業内では既に現実のものとして実装されているものであろう。
彼の死から早6年、彼の最後の作品である屍者の帝国が、Project itohの最初の映像作品として公開される、それも彼が最も愛した映画という形をとってだ。
6年間、それはあまりにも長い時間でした。僕らの好きだった計劃さんは、どうしようもなくめんどくさい(そして愛すべき)はてダの映画おじさんという存在から、いつの間にかに「夭逝の天才作家」という世間を騒がすアイドルになっていてProject itohなるものが始動してしまう始末。
それでも、それでも、Projectに苦虫を噛み潰したような表情で立ちすくむ○○おじさんたちも、御大の小説が映像化されることには公開される前は素直に喜んで胸のときめきを抑えきれなかったはず、そう公開される前は。なんなんですか、いざ公開されたとなればハダリーたんのおっぱいとか階差機関に対する言及はあれども映画そのものに対しては皆口をつぐみ、挙句の果てに「地獄はここにあるんですよ」と指差す始末。
はっきり言おう、○○おじさんたちは生前の計劃さんから何も学んでいないと。
映画批評っていうのはレビューではない。もっと体系的だし、少なくともウェブに溢れる「面白い」「つまらない」といった感想程度のゴシップではない。
批評とはそんなくだらないおしゃべりではなく、もっと体系的で、ボリュームのある読みものだ。もっと厳密にいえば「〜が描写できていない」「キャラクターが弱い」「人間が描けていない」とかいった印象批評と規範批評の粗雑な合体であってはいけない。厳密な意味での「批評」は、その映画から思いもよらなかったヴィジョンをひねり出すことができる、面白い読み物だ。
だから、こいつは映画批評じゃない。まさに印象批評的で、規範批評的で、それはすべて、ぼくが紹介する映画を魅力的に見せるためにとった戦略だ。
このページでいろいろ書いていることは、結局そういうことだ。
「おかえり、フライデー」
人間は死亡すると、生前に比べて21g体重が減少することが確認されている。それが霊素の重さ、いわば魂の重さだ。我々は魂が抜けた肉体に擬似霊素をインストールすることによって死者を蘇らせる。
原作は我らが伊藤計劃、そして円城塔。といってもたった30枚の遺稿は映画化にあたってオミットされている。メディアミックスなるものは今日当たり前のものになりつつあるのに、なぜかこと映画化に関しては地雷であるという評価が当然のものになりつつある、特にマンガやアニメの原作付きのものに関しては顕著だ。本作もその類に漏れず、○○おじさん達から大変な不評を買ってしまっているが、伊藤作品の映像化という観点からすれば私は十二分に楽しむことができる傑作だと思った。
原作付き映画に何を期待するかは人によってそれぞれ違うが、原作のストーリー通りに話が展開するだとか、セリフを忠実に再現するだとか、冒頭の30枚を残すだとか、少なくとも私はそういったことには重みを置かない。小説には文字の、映画には映像の文法がそれぞれあるのだから、単に忠実に再現するだけでは翻訳として成り立たないし、少なくともメディアミックスとしての価値はない。それは原作ファンを称するクラスタに向けた言い訳に過ぎず、怠惰な姿勢だと思う。
文字とはすなわち情報であり、映像もすなわち情報である。その違いがどこにあるかというとtxtファイルとwmvファイルの容量を比べるまでもなく、圧倒的な情報量にある。つまり同じシーンを描写するにあっても、映像化のためには不足する情報を画面に徹底的に描き込まなければならない。では不足する情報をどこから補ってくるかといえばやはり原作であるのだが、単に帰納的演算に基づいて情報を付加すると、あたかもjpeg画像を拡大したように荒く違和感を感じるものになってしまう。そこで映像化にあたっては、原作を入念に読み込み世界観を理解したうえで、原作に存在しなかった情報を加えることでディティールを明確にする。一方でその情報量が過剰であるが故に、人は文字を3時間追うことができても、映像を3時間観ることは困難なのもまた事実(現実的には予算だとか尺の問題だが)。そこで行われるのは物語の圧縮である。先に述べた情報の付加と異なり、如何に情報量を減らさずに短い時間に収めるか、如何にディティールを残したまま圧縮できるかが肝になる。
こうして完成した映像作品は、個々人の頭の中に存在する「原作」とは違ったものとなっているので、ほぼ確実に違和感を与えることになる、場合によってはそれが不評の原因になるかもしれない。だが、ここであえて言わせてもらえば、その違和感こそがメディアミックスとしての醍醐味であって、映画を見る楽しみの観点であろうと。
私はかつて植民地だった地域によくある上海の租界のような場所が好きだ。それは現実の宗主国の建築物を現地にある材料で模したまがい物に過ぎないのだけれども、望郷の念からか過剰に演出されたそれらの建物は本物のフランスやイギリスの建物より本物らしく見える。例えるなら歌舞伎の女形が女性より女らしいようなものだ。
映像化された屍者の帝国に、私は原作より原作らしいもの、あるいは書かれることがなかった、この世界線には存在しない真の原作の面影を感じることができたと思う。
ボンベイにたむろする屍者の労働者、○○おじさんにも大好評だった圧倒的なディティールの階差機関、白く荒涼としたカザフスタン、目黒雅叙園に相撲の浮世絵ジャパン、映像化に際して付加された情報量についてだけでも映画として申し分ない。かつて彼が愛していた世界観型の映画のように、産業革命の時代に屍者技術なるものが存在した場合どんな世の中になるかというSF的観点なif、たったひとつの嘘による世界構築がなされている。
「あなたにもう一度逢いたかった、聞かせて欲しかった、あなたの言葉の続きを。」
原作ではフライデーが円城塔で、ワトソンが伊藤計劃にあたる。彼が残したテキストを読み足りない情報を補って、作家伊藤計劃を脳内にエミュレートして続編を書くという行為を考えれば当然の配役である。小説のエピローグで、彼岸に渡ったワトソンを思ってフライデーは自らの意思を持ち動き出す。一方、映画ではその立場が逆転して、ワトソンが円城塔でフライデーが伊藤計劃にあたり、旅の目的は伊藤計劃の復活である。映画の文法としては旅の目的の明確化だが、○○おじさんにとっての不評の元凶となる改変だ。BLだノイタミナだとdisる気持ちもわからなくはないけど、ヴィクターの書記を手に入れて伊藤計劃を復活させるという話が映像化第一弾として公開されることに意味を感じる。
冒頭にも書いたが伊藤計劃の小説は言ってしまえばそんなでもないし、同じようなものを書ける人は出てくる。けど、彼の映画批評のような愛と薀蓄に溢れた文書を書ける人はもう出てこないような気がする。それでも彼がもし生きていればこの映画をどう評論しただろうか、死んだ彼がこの映画を見たらどう評論しただろうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%BA%90%E3%81%AE%E5%91%AA%E3%81%84
簡単に説明すると
資源があることで甘えが出てほかの産業への投資が怠る事や、資源があることで紛争や汚職がはびこる原因になることです。
資源がある国の多くが途上国であることからそう言われるようになりました。
資源は恩恵をもたらすものではなく、甘えや政治腐敗、紛争を引き起こすものであるという発想。
私はこの面白い考えが、今回のVWのディーゼルエンジン問題にも言えるのではないかと思いました。
日米貿易摩擦の時、ジャパンバッシングで日本車をひっくり返すパフォーマンスなどをやっていた時代
関税など、ビッグ3を守るためにあれこれ政治的に日本企業を妨害していましたよね。
しかし結果的にビッグ3がどうなったかみるとわかりますよね。政治力って本当に企業のためになるんでしょうか。
国際的な日本企業は、自国の国際政治の立場の弱さを知っているため、国を当てにしていません。
トヨタなどはそれこそ日本の政治家や官僚以上にアメリカ政治に対して神経とがらせています。
おなじくらい気を使っているのは、確かな技術です。技術は誰の目から見ても公平に評価ができる分野です。
なので私は、日本企業がまじめに技術と向き合っているのは、かなしいかな政治力のなさによって起こったものではないかなと思うのです。
なのでそういった理由からなのか日本企業の多くは国際的には技術押しで紳士に対応しますが、内政だととたんに横暴な態度とったりしますよね。
政治力が使える相手なら政治で楽に対応する。そんなイメージがあります。
かつてのドイツもそうだったのではないかと思うんです。
運よく政治力がなかったと。
歴史的にドイツが技術力で他国を圧倒するようになるのは第一次大戦以降ではないかと思っています。
大航海時代に出遅れたために植民地もてなかったドイツが、産業革命に出遅れたドイツが、第一次大戦に負けたドイツが、
その結果のヨーロッパでの政治的立場の弱さを、技術の習得に注力したのではないかと思います。
そして、そういったドイツの稲穂の垂れるような態度を作り上げた外的要因が、ことごとくEUの誕生、そしてユーロの誕生でなくなったと思います。
アメリカロシアに対抗するために誕生したスイミー作戦EUによってドイツは宗主国的立場になりました。
ドイツを仲間にすることでヨーロッパの争いを解決するというのもあったわけですが
皮肉なことにユーロのせいでユーロ圏内では、比喩ではなく本当に宗主国状態です。
ナチスに例える人も出てくるくらいですが、けして大げさではないと思いますね。あれはもはや帝国です。
いろいろケチをつけましたが、とにかくスイミー作戦EUによってドイツは国際的影響力を持ったわけです。
メルケルもさぞかし楽しい政治ライフを送っていることでしょう。
しかし、その強い政治力が、産業に悪い影響を与えているのではないかという考えが、私のなかにうかびました。
つまりドイツはEU宗主国的立場を利用し、ディーゼルをクリーンなものだということにして、技術開発競争から目をそむけたのではないかと。
かつてのアメリカのように。アメリカ化とでもいうんでしょうかね。
政治力が必要ないとはいいません。軍事産業やインフラ分野などは政治力が必要なところもあるでしょうね
標準規格の争いも政治がものを言いますよね。アメリカEU、そして中国が立場を強めています。
日本企業が勝手に行動するとむしろ国内の識者からガラパゴスだなんだとたたかれますし。
しかし、今のところ一般の車はどこぞの団体が規格を握っているわけではないですし、
政治がかかわるにしても今回のように排気ガスの規制などくらいです。
自動車産業は自由に技術を見せられる分野でうらやましいなと思います。
私は家電屋ですが、今になって白物家電がもてはやされているのは規格に縛られずに作れるからだと思います
将来OSが重要になり自動運転などが登場したときにどうなるかわかりませんが。
今のところ、日本の自動車メーカーは大丈夫だと思いたいですね。
その辺、作話事情を知らぬ海外の人たちからは「『わが国では誘拐婚は合法』とか『だんなの不倫は女性側がムチウチで罪をつぐなうことが伝統で合法』とか言われてもね。未だにそんなこと考えているのか?最悪だなおまえら」と思われるのが実際のところだろう。
もちろん、当時の時代背景を(そいつら自身の当時の世相を思い出させつつ)説明しつつ事実を伝えていくことはとても重要。
正しいと思われる反論は「お前ら、当時有色人種差別してたじゃないか?謝罪や保証はしているのか?」「魔女狩りとか最悪な女性蔑視だったよな」「植民地で何していたんだ?植民地を今でも持っている上にそこで核実験なんかして、反省していない証拠じゃないのか?」「ベトナム戦争では偽旗作戦してたんだよな?太平洋戦争より新しい時代だな」とか言ってやることなんだが、本邦は直近の戦の敗戦国でもあるし、軍事的宗主国さまのお気持ちを逆撫でするには勇気がいることで...
なんて最近思う。ヘロデ時代はローマとくねくねだったのに、後にユダヤはローマと絶望的な戦争をするようになる。
アメリカを宗主国とか言ってる人たちは、どこかで、この古代のユダヤの人たちが抱えていたパトスを抱えてるんだよ、きっと。
そしてこれも人間の業という奴かな。
国民国家というのは、ある国民がその中で様々な権利を享受する枠組みで、その外に一歩出たら基本戦争状態なんだな。
だから武器が必要で、ぶっちゃけいつでも戦争できる状態じゃないといけないわけ。日本がそれを免れてるのは、日本との戦争でかなりのコストを負担せざるを得なかったアメリカと、痛手を負った中国との絶妙な利害のバランスによるものなわけだよ。
アメリカがこの極東地域から手を引けば、日本は、かなり現実的な意味で核を持って中国と対峙することになるんだろうなと思う。そうなった時に、やっぱりアメリカを仲間にしといた方がお得だったよな、が見えてるから日本は安保を支持してんだろうなと思う。
http://toianna.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
に惹かれるものがあった。「自国」って何? とは思うが。もしかして「自分」の書き間違いか?
ポルトガルで学んだポルトガル語学習者、とブラジルで学んだポルトガル語学習者間で「さやあて」があるのだろうか、興味がある。
中南米のスペイン語の盟主というのがどの国かわからないが、同じような構図がありうるように思う。
cやzの発音を巡って話者の品定め的なトピックがあるのは知っているが、もっと具体的生々しい感情というものがあるのではないかと思う。
ともあれ、留学した先の言語や文化に自分を一体化するということは実際にあるのだな、
「新大陸のほうの分家が今や主導権を握っていること」に対する複雑な気持ちも共有できるくらいに自分を変えてしまうことができるのだな、と思った。
一方で、日本国内にも、イギリス人として生まれたわけではないのにイギリス英語(イギリス文化)にかぶれた人や、
フランス人として生まれたわけではないのにフランス語(フランス文化)かぶれた人もいる。
これらは少数派としての挟持、マイナーな選択をした自分に対する誇りを上乗せしている感じがあって、
それは自分語りの道具として、由緒の有りそうなものを利用しているのだと思っている。
つまり、「誇り」の有効範囲は日本国内までであるということを、おそらく自覚していると思う。
イギリスやフランスに行って名誉イギリス人、名誉フランス人として扱ってくれるとは、まさか思っていないだろう。
その意味では、このブログを書かれた人とはやや違うのかもしれないと思った。
後、旧制高校などではドイツ語選択、フランス語選択などを元に、自分の文化上の宗主国を主体的に選ばせるような習慣があったのだろうか、と思うこともある。
一方で、諸外国()では、ある国・ある地域の言語を学ぶことはその言語の文化圏の代理人になることを意味しない。
中国の王毅外相は、日本語の機微まで理解し、日本人も舌を巻くような日本語使いだが、彼にとって日本語は手段であり、知日派ではあるが親日派ではない。
サイデンステッカーやドナルド・キーンみたいな人もいるよ、と言われるかもしれないが、実務の人と文学者はまた別ではないかと思う。
そもそも戦時中に不可侵条約してたはずの国に攻め入った大日本帝国が悪い。
ついでながらドイツもロシアとの条約を勝手に破って攻め入ったから負けた。
自業自得。
ま、そこまではいい。
問題なのは今回の記念式典の中継はあたかも原爆投下によって平和が保たれたかのような印象操作が目につく事だ。
でも、それが戦争である事を胸に刻むという意味で今回の式典ならば問題ないが、
今回自衛隊をテロ対象になる戦地に赴かせる閣議決定に当たって今度の式典となると意味合いが全く違って来る。
すなわち原爆投下は日帝時代の日本は決して悪くなかった、アメリカが全ての元凶だと言わんばかりに聞こえる。
まずはじめに、マンガ「ナウシカ」をお読みになっていない読者のために、そのあらすじをやや詳しく説明しておこう。
すでに多少説明したことでもあるし、本書の読者であれば、マンガ「ナウシカ」を読んでおられなくても、すでに何度となく
テレビで放送され、どこのレンタルビデオショップにも置いてあり、へたをすればほとんど国民的映画扱いのアニメ「ナウシカ」
をごらんになっているであろうから、アニメと漫画双方に共通する限りでの設定の説明は省略する。
しかし、漫画「ナウシカ」のストーリーはきわめて複雑に錯綜しているため、必ずしもテクスト通りには整理できないがご容赦いただきたい。
もちろん、この記述で納得なさらずに漫画「ナウシカ」のテクストに実際に当たられることが一番である。
物語の発端はアニメ「ナウシカ」と同様に、風の谷」付近の「腐海」でのナウシカとユパの再会、ユパの風の谷訪問である。
平和なこの国も別転地ではなく、「腐海」の毒は確実に浸透し、人口は年々減り続けているし、近々始まる戦争にナウシカは
時期族長として、病める父、ジルに変って、同盟宗主国トルメキアの軍に従軍しなければならない。
そんな時、谷付近で不時着した飛行船から隣国ペジテが同盟国であるトルメキアから滅ぼされたとの報が入る。
飛行船に乗っていたペジテの姫ラステルはいまわの際に、ナウシカに謎の「秘石」を渡し、それをトルメキアの王に渡すことなく
兄の元に届けるように依頼する。
ペジテ避難船の動向を察知したトルメキアの部隊は程なく、風の谷に現れ、谷の代表として対峙したナウシカと一瞬即発の事態
の空気が流れるが、ユパの仲裁によって事なきを得る。しかしその際トルメキア兵を一人殺めてしまったナウシカは自分の中に
眠る力と凶暴性に恐怖する。
出発前夜、ユパはナウシカが管理する城の地下最下層にある部屋に案内され、そこでナウシカが管理する「腐海」の植物群を
目にする。通常の「腐海」の環境下では瘴気を発する植物群も、清浄な地下水と土で育てれば、毒を発しないのである。
これを見てユパは腐海の生態系が土壌中の有害物を還元して無害化し、かつての産業文明が汚染した地球環境を浄化している
という自らの仮説に確信を抱き、独力で実験的に結論に到達したナウシカこそ、人類の未来を握る存在だと直感する。
ナウシカは谷の将来のためにあえて、若者を残し、老人達ばかりの戦闘従者率いて、ガンシップ(小型の戦闘用高速飛行艇)とバージ(艀
ガンシップに牽引されて滑空する輸送用グライダー)で、近隣の、同じく「腐海」のほとり(この地域は「辺境」あるいは「エフタル」と呼ばれる。)に位置する小国家郡の軍勢とともにトルメキアの部隊に従軍するべく出立する。彼女達が合流する部隊の長はトルメキアの第四皇女クシャナである。彼女は本来一大軍団の長であるが、自軍の兵力の大半を主戦線に召し上げられ、今はペジテ攻略のためのわずかな兵力しか手元にない。彼女の任務は当初、ペジテで偶然発見され、その危険性を察知したペジテ当局によって封印された最終戦争「火の七日間」の超兵器、巨神兵の奪取だったが、其の復活の鍵である秘石の紛失によって当面巨神兵は役に立たない。
ついで新任の参謀クロトワによって、現有兵力プラス辺境諸族の同盟軍によって「腐海」を突破し、主戦線とは別方向から遊撃を行えとの指令が中央からもたらされる。彼女の側近たちは激昂し、この作戦自体が彼女の政敵である兄皇子たちによる、彼女を陥れる為の罠ではないかと憂慮するが、クシャナはおとなしく指令どおりに行動することを決める。
クシャナの軍とナウシカら辺境諸族の軍は「腐海」上空で合流するが、ランデブーポイントに突如ペジテのガンシップが飛来し、攻撃を仕掛けてくる。それはラステルの双子の兄アスベルであった。攻撃に巻き込まれて風の谷のバージは牽引ロープを切られ「腐海」に不時着する。
初めて本格的な戦闘行動に直面したナウシカは、機敏な行動でバージを不時着へ誘導し部下の命を守ったものの、殺戮に軽いパニック状態になりテレパシーでアスベルに攻撃をやめるよう呼び掛ける。
そのため隙を作ったアスベルもまた、クロトワの操るコルベット(戦闘用高速飛行艇)撃墜され「腐海」に不時着する。
「腐海」に降りてバージを救ったナウシカは、そこで「腐海」の主とも言える巨大な蟲王蟲と接触し、アスベルの生存を察知し、ただ一人メーヴェ(一人乗りの動力凧)に乗って救出に向かう。辛くも生き残ったアスベルは「腐海」の蟲たちを殺しすぎ、蟲の群の集中攻撃を受けていた。
ぎりぎりのところでナウシカはアスベル救出に成功するが、二人して「腐海」最下層へ落ちてしまう。気を失ったナウシカを守ろうとするアスベルの前に現れた王蟲は、ナウシカを小サキ者と呼び、彼女がそう望むから殺さない、早く去れ、自分達は助けを求める遠い南の森へ行く、と言い残して去る。
「腐海」最下層は瘴気が無く、空気も水も清浄な場所であった。ここでナウシカは「腐海」が地球環境を浄化しているという自らの直感の裏づけを得る。そしてナウシカとアスベルはメーヴェで「腐海」から脱出するが(ここまでで単行本第一巻)
スレ主は優しいね。おかしな奴にもわざわざ相手してあげている。
移民受け入れなんて、経団連加入大企業がさらに増益したくて仕掛けているのかと思っていたけれど、確かに都心でのバイト時給はびっくりするほど高いし(それでも働いているのはアジア系外国人が多数)、私が思っていたよりずっと困っている企業が多いようですね。
にしても、小売や飲食業界がこんなに(経営はしたくないとして)夢のない業界になってしまったのは、何が原因と思われます?全員が経営者になるなんてありえないし、強制されるのもおかしな話だし。安売りチェーン店の台頭ですか?(私が飲食は避けたのは、個人的にそんなに料理の流行やもてなしに興味を当時持っていなかったことと、人付き合い(お客さんよりも、社内の舎弟的人間関係がすごく嫌)で、得意の分野で働いています)。
あと、外国の人たちはサビ残(早め出勤も含む)なんて概念はないので、労使の意識改善につながることには被雇用者としてちょっと期待。
移民受け入れについては、日本国の政治が特定国に乗っ取られる(すでに大手マスコミの殆どが手に落ちた感じ...けど宗主国は違えど戦後からずっとですけどね)ことに大きなる懸念あり。なるならば、機能していない大手マスコミに変わる、地域内外での人々のつながり・横の連携構築と多民族国家になる意識改革・教育改革(たとえば、ヤマト人という自分の民族意識をもつこと)が急務ですかね。
214 :ソーゾー君:2014/01/19(日) 18:54:07 ID:peu9rhDI
↑の国際的に認められている税基準を約束したが、実施が十分でない国・地域
旗を見るだけで怪しさ満点だろ?タックスヘブンがマネロン=資金洗浄のための糞制度だと解る。
従わない?元首に言えよ?植民地の植民地議会の頭に文句を言うなよ・・
宗主国=元首がタックスヘブンで行けと言うんだから仕方がないだろ?
ワーテルロの戦いから歴史を再度語ろうか?欧州が銀行家に支配され私物化されている事をまた証明しましょうか?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/
214 :ソーゾー君:2014/01/19(日) 18:54:07 ID:peu9rhDI
↑の国際的に認められている税基準を約束したが、実施が十分でない国・地域
旗を見るだけで怪しさ満点だろ?タックスヘブンがマネロン=資金洗浄のための糞制度だと解る。
従わない?元首に言えよ?植民地の植民地議会の頭に文句を言うなよ・・
宗主国=元首がタックスヘブンで行けと言うんだから仕方がないだろ?
ワーテルロの戦いから歴史を再度語ろうか?欧州が銀行家に支配され私物化されている事をまた証明しましょうか?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/
273 ソーゾー君 [] 2013/09/15(日) 12:15:53 ID:3A4c9ZmE Be:
アメリカは例外的に植民地政府と入植した連中が欧州の銀行家の手口を知っており
支配が出来なかったから宗主国のイギリスを使って滅茶苦茶な要求をして弱体化をさせたんだぜ?
産業も破壊される。残るのは一次産業のみ・・「物を加工して作る」行為は絶対にさせない。
特に日本は植民地のインフラ、教育、医療を進歩させて産業を育てるから
鉛筆一本作ることも許さないのが欧州の銀行家の植民地政策だぜ?
奴等が望むのはライン作業だ・・
耕すだけ・・種を撒くだけ・・雑草を抜くだけ・・収穫するだけ・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1365862741/l50
「付き合わない」という選択肢は、ない。いいか?「付き合わない」という選択肢はない。
この国際化の時代に付き合わないなんて選択肢はないの。それこそファンタジー、妄想、夢想のレベルでありえないの。
まずそこを理解しよう。
次に、「武器」はどっちももってるの。しかも「武器に、より金をかけているのはこちら」なの。それでお互い相手のもってる武器にケチをつけてるの。どっちがどうと言える話ではないの。
それから、「お前のものは俺のもの」について言えば、どちらかと言えば「それを『した』のはこちら」なの。
有史以来数千年間のスパンで考えれば、大陸→列島への侵攻は、鎌倉時代の一度(まあ2回と計算しても良いけどさ)。一方、列島→半島・大陸への進出を図っての出兵は、百済の件、秀吉の件、そして明治時代には一時的に成功して国までぶっ建てたの。百歩譲っても「お互いさま」と言われれば感謝されるレベル。むしろ、「蒙古系(元)のやったことへの文句はモンゴルに言え。オレらは有史以来一度も列島へ侵攻なんかしたことねえ」って中国と半島の人々に言われても何も言えないの。
まあ対馬に関しては「何言ってんだこの○○○○」と俺も思いはしたけどさー。でも、ちょっと調べてみると、対馬を代々支配してた連中も結構怪しいぜ? 連中、密貿易を私物化して儲けるために日本列島と半島の間でうまく双方の権力者に顔を使い分けながらコウモリかヌエ的な感じでいろいろ小細工してるんだよね。それ考えると、せいぜい、この前ニュースに出ていた「日本は元宗主国として台湾の独立に力を貸す義務があるのでは?」とかいう、台湾の独立派の与太程度には聞き流せる話だと思う。
一応、論理的思考力はあるようだから、この辺を手掛かりに、再度結論を組み立て直してみてはどうかね。そうしたら少しはその人の言うことも分かるんではないかな。
まあね。君が中国大陸・朝鮮半島の国やその人々に対して「何考えてんのか分かんねえ。信用なんてできるわけねー」ってのは分かるよ。でも、それは向こうも同じ。日本が安全な国なのか? 日本人は何考えてんのか、なんて、向こうにだって分かるわけないわな。違う文化に生きてる違う人間なんだし、そもそも日本が侵攻を企てているかいないかなんて、本当のところオレにも分かんねえもん。なんであれだけの事故があっても原発がなくならないか。半ば公然と「いずれ核開発するためだ」なんてことを、真顔で公人が言ったりする国なんだぜ? 国際的に見て、日本人がおおむね安穏でノンポリで馬鹿でエロくて、でもって愛すべき文化をもつ人間だということは重々オレも実感しているけれども、かといって日本という国が周囲の国にとって公正で平和的で安全な国と言えるかどうかは、オレには分かんねえ。新聞とかTVにさーっと煽られたら、あっという間にこの国はまた正義なき戦争であっても突き進むんじゃないかという不安は常に抱えてる。どこの国も、そんなもんじゃないか?
237 ソーゾー君 [] 2013/03/09(土) 01:56:24 ID:Zvx2kqmU Be:
235続き
南軍が悪者扱いされる理由が解ったかな?奴隷商人=欧州の銀行家のお得意様は南軍だろ?
だけど欧州の銀行家は北軍が勝つように北軍に資金と武器を多めに供給した。
1、独立してコントロール不能になった大国=米国の弱体化(227-229-231参照)
227-229-231を見たら解るが米国は
「自分たちの貨幣、いわゆる“殖民券”と呼ばれている紙幣を発行し」産業大国になっていた。
これでは欧州のように「自分達の意志」で米国をコントロール出来ない。
自分達の意志で米国をコントロールする為に宗主国の英国議会は1764年に「通貨法」を決議し、
アメリカ植民地の各州が独自の紙幣を発行することを禁じ、イギリス政府への納税には、すべて金と銀を用いるように
これが原因で米国は失業者が溢れ経済=流通が悪化し独立戦争の引き金になった。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1365862741/
植民地問題を語るときによく言われるのが「独立を唱える時点で、既に独立主張を唱える側に植民地意識がある」て理屈で、ポストコロニアル理論でよく言われている理屈の一つ。
正直な感想言わせてもらうと、既に日本は韓国を植民地と思っていない、なのに韓国は未だに日本から独立とか思ってるなんて可哀想、いい加減に意識的にも日本とは無関係の一つの独立国になってくれ、という感想。
が、この箇所が気になった。
君も気にならないで書いたのなら、君とその知人は韓国人か在日朝鮮人?
しかし韓国の場合は「宗主国(=日本)の消滅」という特殊な独立形態を辿ったため、
「独立時点で、宗主国と独立国を関係付ける条約類が一切不在」という特殊状態に陥った。
それゆえ、旧宗主国と独立国の関係を、後付けで現状追認する必要が出てきて、
現状追認的な条項が多い日韓基本条約で誤魔化すことになった。
1945年ポツダム宣言 第二次世界大戦での負けを日本が認める
1951年サンフランシスコ講和条約 韓国の独立と共に韓国の領土を明記し、日本が朝鮮を手放す
1965年日韓基本条約 戦後賠償や平和保証の取り決め、および独立の「再確認」
韓国の独立は1951年のサンフランシスコ講和条約によって認められて、
1965年の日韓基本条約は、あくまで再確認として記載してる。日韓基本条約前書きにも書いてある。
[文書名] 日韓基本条約(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)
[年月日] 1965年6月22日作成,1965年12月18日発効
[備考]
[全文]
両国民間の関係の歴史的背景と、善隣関係及び主権の相互尊重の原則に基づく両国間の関係の正常化に対する相互の希望とを考慮し、
両国の相互の福祉及び共通の利益の増進のため並びに国際の平和及び安全の維持のために、両国が国際連合憲章の原則に適合して緊密に協力することが重要であることを認め、
千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約の関係規定及び千九百四十八年十二月十二日に国際連合総会で採択された決議第百九十五号(III)を想起し、
この基本関係に関する条約を締結することに決定し、よつて、その全権委員として次のとおり任命した。
日本が消滅していたのなら、サンフランシスコ講和条約で「朝鮮を独立させる」との内容に米国と誰が締結したの?
そのサンフランシスコ講和条約を元にした、この日韓基本条約は、日本と何処の国が締結したの?
韓国ではサンフランシスコ講和条約は存在していないように語られているとの噂を聞いたことがある。
本当に、韓国では「サンフランシスコ講和条約の存在」は知らされていないの?内容も知らないの?
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/pdfs/g_sfjoyaku01.pdf
自分たちの独立根拠になる条約の存在を知らされていない、て・・・・。
本当に知らされていないのなら同情するよ。
大石英司氏が、
「従軍慰安婦問題や竹島問題は、韓国にとっては付属的利益(本質的利益ではない)だが、
天皇制否定は、韓国国家体制にとっては「体制正統性のレーゾンレートル」なので、
この部分で韓国側が妥協することはありえない、この泥沼は数十年間に及ぶ」と看破していた。
一方の日本にとっては、(立憲君主制ではあるが)天皇制、もとい「国体」は、
日本の、少なくとも保守派にとっては国家のレーゾンレートルになっている。
「国家のレーゾンレートルの正面衝突」という事態に発展してしまった。
以前知人が
「韓国は自力で独立を達成できなかった原罪を抱えている」と投稿していたが、
あの書き込みは本質を言い当てていると思う。
別の言い方をすれば、今回の天皇謝罪要求は「韓国にとっての、第二の独立運動」となる。
(その過程で武力を伴うケースも多い)
しかし韓国の場合は「宗主国(=日本)の消滅」という特殊な独立形態を辿ったため、
「独立時点で、宗主国と独立国を関係付ける条約類が一切不在」という特殊状態に陥った。
それゆえ、旧宗主国と独立国の関係を、後付けで現状追認する必要が出てきて、
現状追認的な条項が多い日韓基本条約で誤魔化すことになった。
日韓基本条約の「日韓併合条約は『もはや』無効」条項の仕切り直しを意味する。
つまり「原初的に無効」であり、それゆえ、不法支配した天皇は謝罪責任が生じる、というロジックである。
その意味では韓国独立のレジティマシーの再確認、第二の独立運動なのである。
「日本は自力で民主化できなかった原罪を抱えている」と投稿したことあるが、
「俺達は自力で民主化した」という自負のようなものを、持っているのでは?
「日本は民主主義国家を自称しているが、天皇を抱えていて、天皇タブーがあったりして、
と内心思っていたりしているのでは?
論点が「竹島」だけに限定されると、国際司法裁判所で不利な立場になるが、
加えて、天皇責任まで持ちこんだことで、日本国内の足並みが乱れることになった。