はてなキーワード: 守備範囲とは
まあ自分の身体と実生活にストレートに幸福を感じられない人間がオタクになりがちってのはあると思う。「男の生きざま」とか「女の幸せ」とかそういう感じの。異性からみて守備範囲かどうかは本人にはあまり関係なく、フィクションの過剰摂取で理想があがってしまっているから、「アリだよ」って言われるレベルじゃだめなんだよな。「きゃー素敵」ぐらいでないと。
そういうキラキラした正常世界からハズレた自分にもちょっとしたサブキラキラワールドを与えてくれるのがLGBTワールドなんだと思うよ。
だから大半はほんとうの意味での性自認じゃなく、単に「イレギュラー」の舞台としてLGBT世界の住人権を得たいだけだと思う。
本誌をリアタイで追っていた時から話に違和感を覚え始めた、サッポロビール工場編が本格始動する。
ビール工場編で一番特に何を成し遂げたわけでもやらかしてしまったわけでもないヴァシリが表紙。
2巻のレタラとアシリパツーショット表紙を思い出させる、幻想的な雰囲気を漂わせる良い表紙に思う。
肝心の中身については、当時覚えた違和感と加筆修正部分と最新話までの物語との整合性について感じたことを書く。
ころころ視点が変わるビール工場編にのっとり、自分の感想もしょっちゅう行ったり来たりする。
最新話まで読んでから改めて読むと、ビールの洪水とかのギャグがとても懐かしくあの頃には戻れないのか…と思った。
菊田とアシリパの問答が、菊田が死んだ今読んでまた違った気持ちになった。
アシリパの使命感の強さと、身近な人の死を極力減らしてやりたい菊田の違いがよくわかる。
ここの問答の完全上位互換が、教会での鶴見アシリパソフィアだと思うとやはり菊田は価値観が普通の人すぎる。
武器もなく縛られアチャを悪し様に言われまくり金塊はアイヌの持つものじゃないとルーツを持ち出して屁理屈を言われても折れなかったアシリパの心を、ソフィアの殺害未遂でようやく少し折ることができたと思うと…
土方勢に追い詰められて「どうしヨう」と焦るジャックザリッパーは、以前から本誌と単行本で全くキャラが異なる。
もうあまり覚えていないけれど、ヤンジャン連載のジャックはアシリパと対面するまでは、娼婦に対するコンバンハと鼻歌くらいしか喋っていなくて何を考えてるのかわからず不気味だったのが、
単行本では、子どものような片言日本語の独り言をしょっちゅう言い冷や汗も垂らしまくる。
なんでジャックはここまで本誌と単行本でキャラが違うんだろう。
この巻の宇佐美の屈強さは非常にいいと思う。パオパオ対決は引いたので、こういう暴力のやりあいを待っていた。
急に気づいたけど、だいぶ前の話で杉元と牛山がときめいた「植物を根っこからとろうと失敗したけど成功したら恋人が迎えに来てくれた(うろ覚え)」アイヌの言い伝えの男女のシルエットって、ウイルクとリラッテだったんだね。
ジャックの顎をヒットさせたアシリパのコマは、単行本で読むとなんか味気なかった。
本誌の時はもっと勢いがあり面白かったような気がしたんだけどな。あおり文が無いから勢い不足に感じたのかもしれない。
毒矢で殺そうとする自分に恐怖するアシリパを庇うように登場した杉元。
26巻の加筆でおそらく最初の加筆盛シーン。
「誰から生まれたかよりも 何のために生きるかだろうが」本誌の時から杉元ってこういうことを言うキャラだっけ?と思ったけど、ここからの加筆には驚いた。
杉元のバーサーカーシーンは今までたくさんあった(偽アイヌ村やら樺太逃走やら)けど
即死させる殺し方ではなく嬲り殺しにしてるシーンはなかったんじゃないだろうか。
これ見て冷や汗ひとつかかないアシリパも10代半ばにして強い。
尾形は流氷でアシリパに右目を射られたからこそ生き残ったんだなと思った。
尾形があそこでアシリパに右目射られずにいたら、多分杉元からジャックに対する攻撃と同じくらいのものを喰らって殺されてたよな。
尾形の悪運の強さを感じる。
ジャックは殺人鬼なので殺すなとは全く思わないけど、ここまで嬲り殺しにする必要はあったのだろうか。
単行本作業してるころの連載が動きが無い絵ばかりだったから、作者がここで発散したのだろうかというくらいの熱量だった。
外国人キャラなのに鼻歌以外ずっと日本語だし、作者がジャックザリッパーというキャラに興味が無いのが丸出しでもったいなかった。
作者がロシア語とアイヌ語には興味があるけど、イギリス英語には興味がないのか。
せっかく現実世界のキャラモチーフなんだからただのサンドバッグ扱いでなく、面白くすればよかったのに非常に肩透かしだった。
宇佐美VS尾形のシーンも順序だてて丁寧な描写に加筆修正されていた。
うろ覚えだけど本誌の、衝動的に殴りまくりその勢いで「商売女の子どもの分際で誰が一番安いコマだ!?」から一転「それだけは言いたかった」ウンのテンポが、小気味よくて好きだった。
「取れよ」のコマの宇佐美のチャック前が相手謎の白いものがチロリしてるけど、ここの宇佐美タってるのか…
前日はパオパオで次の日門倉の尻スパンキングで尾形の顔面殴打と、宇佐美の性的守備範囲広すぎる。
宇佐美VS尾形といい、馬で逃げる宇佐美を狙撃する尾形のシームレスなコマといい死に際の鶴見との対話といい、
255話と256話の宇佐美の出来事が、映画のように丁寧に仕立てられていると感じた。
宇佐美の鶴見に対する想いが読者が思っていたより複雑だったことが前の単行本で判明してたので、どうなることかと思っていたけれど
宇佐美はこじらせているので、ここでも「またみんなの前だからって嘘ついちゃって」と思いながら死んだかもしれないが。
言うても鶴見と他の部下たちや右腕自負の月島との関係は、軍隊に入ってからの上司と部下でしかないので、
前からの知り合いかつ自分に対して異常な執着を抱いているのに、死に際になっても敬語を崩さず任務の成果を報告しようとする20歳下の子どもを見て、贔屓してしまうのは情けだと思う。
にしても綺麗なシーンになった時だけまつ毛バシバシになる鶴見と宇佐美が、まさに劇場の舞台俳優たちが『お涙頂戴』な安いシーンを演じてるように見えるのは作者のわざとな魅せ方なのだろうか。
あと改めて読んでなんとなくキロランケの死のシーンと似ていると思った。
そんなに共通点もないんだけどコソコソ話に安堵して死んでいったシーンが被ってそう思った。
キロランケは死の間際に少数民族の暮らしや子どもや在りし日のウイルクとソフィアを回想し、宇佐美は鶴見と見つめあう、
上エ地もだいぶヤンジャンと単行本で性格が変わったので、どうなるんだろうかと思ったけど
上エ地の性格が変わっても周りの反応は何も変わらなかったので、上エ地はあの世界の人間にとっていてもいなくてもいい存在なんだなと思った。
犬の首子どもに見せつけ首絞めシーンの丸々差し替えと煙突での癇癪と、人となりがわかる加筆は嬉しいけれど前後の繋がりが両方とも急だと思う。
しかし、周りの反応は変わらなくても自分の気持ちを言語化できる程度には意思があるようになっていて少し安心した。
ヤンジャンでの死にざまが哀れ過ぎたのでどうやってもアレよりはマシになるだろうけどね。
煙突で言ってることもまあ間違っちゃないしな。正直とか美しいとかはよくわからないけど(今後のほかキャラへの布石なのか)
誰もがっかりした顔を見せてくれないから自分のがっかりした顔みて笑って死ぬという結末は変わらなかったけども、本人が満足ならヨシ。
でも上エ地頭破裂後のコマのナレーションは全く意味が分からない。日本語がおかしいと思う。
この物語で明らかにされた~仕掛けって作中のキャラじゃなくて読者のことを指してるのか?
上エ地のお披露目は杉元にも土方にも鶴見にも誰にとっても情報としては±0だよ、とついさっき話してるのにこのナレーションが差し込まれる意味が全く分からない。
これって結局鶴見と杉元&土方がほぼ同時に暗号解いたから五稜郭の攻防戦が速攻始まるよってことを言ってるだけなの?
にしても3話連続で名有りキャラが一人ずつ死んでるんだな。アニメ化したら下手したら1話で3人死にそうだ。
最新話で土方には「神」「光」「智」などカッコよさげな漢字が入ってるとわかった後で、門倉の刺青見ると漢字が平凡すぎて草。
房太郎はここで抜け駆けしようとしたから死んだんだと思うと悲しいな。
徐々に負傷していくのがゆっくり描かれ始めるのがきつい。
というか今の負傷具合で泣き言一つ言わない房太郎が屈強すぎる。
ジャックと上エ地はキャラメイク微妙だったけど房太郎はいいキャラだったのに残念だな。
会話の成り立たない奴に殺されそうになり、火事の煙を吸いまくり、縛って袋詰め状態で馬車に揺られて、精神的拷問を受け、房太郎と有古の死体(片方生きてる)を目の当たりにして、寝ずに暗号解読する…ってハードスケジュールすぎる。
読者としても非常にカロリーを消費する巻だった。
次巻は教会の鶴見回想・キロランケの手紙が丸々入って終わりかな。
おそらくギャグ的なシーンがほぼなくなる。大阪房太郎がそのままならそこだけか。
真面目な話ばかりになり、急激に話が進みつつ矛盾も多々あるので加筆修正が26巻並みかそれ以上になると思われる。
とても楽しみ。
27巻の表紙は久々に鶴見だろうか。
もう5番煎じくらいだけど、書きたくなったので筆を執る。
こういうところがいけないんだよなあとは思う。
増田でも満たせそうだがどっちかってえと読む方なんだよな。増田でも承認欲求満たせるかな?
今期放送のアニメとかを適当に消費してTwitterあたりに感想を書くだけで共感が貰える。こんな楽なもんはないよ。
重要なことは、どこか人が見てるところに吐き捨てるってところだ。
オタク的な深堀りや探求をしようとすると苦痛になるだけだからしなくていい。
この目的のために見たくもねえ定番コンテンツを消化しようとするから続かないのさ。
やりたいことは知識バトルでバチバチすることじゃないはずさ。なら、やることは決まってくる。
俺はバチバチしながらチヤホヤされたいから自分が生まれる前のクソ映画の消化してるよ。ああ。
ジャンルを間違ってしまったので反応が薄く、あんまり承認欲求は満たせなかった。
短期目標で1エピソード何字くらいってボリュームをきめて、毎日投稿できる量を書いた。
プロットと設定を大まかに決め、1話あたりの展開を前者に沿って、たまに外したりしてた。
液晶タブレットや左手デバイス、参考用の画集やらを買ったりするくらいは投資している。
俺がやりたいのは絵が描きたいんじゃなくて絵で承認欲求が得たいんだ。
だけど、そのためには手が早くないといけない。手が致命的に遅くなってしまったのでコスパは最低。
別にうまくなくていいんだが、中途半端に絵を描く人間やってるせいでうまくなりたいと思ってしまう。
あー、絵でバズんねえかなー。
練習が苦痛なら手先も不器用で運指もままならねえ。続くわけがない。
ちょっとでも内容についてぐぐったらトップに出る程度にはネットで有名になった。
細かく色々ジャンルはあるけど、自分の守備範囲のコミュニティで「しってるー」って言ってもらえる事が多くて満足している。
だが信じていて頭がいい連中を欺くには相当気合を入れて自分から騙す必要がある。
まあアイヌで「ゴールデンカムイ」を毎回持ち出されるのと同じ感覚だと思うんだが、元増田は「中央アジアや遊牧民族の文化…」関係の人なんかな?
まあヒットマンガに自分の守備範囲が晒される側になった場合に 「またか…」 となるか 「そーなんですよ!」 ってなるかは分かれるし、聖地巡礼関係でもうまくいかないパターンは「またか…」派が多いケースだろう。
「乙嫁語り」がものすごく下品なマンガとかなら同情するが、あのマンガはよく描けていて面白いと思うし「そーなんですよ!」派で生きたほうが楽だと思うのだが、大変だな。
神社仏閣で「刀剣乱舞」が増えたときも、歓迎派のほうが楽そうだったからな人生。
「観光客なんて、どこの国の誰にとっても迷惑に決まってまス!それでも受け入れるのは稼ぐためです」ってはっきり言った観光アドバイザーの言が好き。
他の男がどんな会話をしていくのか気になったのと、単なる暇つぶしだ。
チャットに入って聞かれるのは「年齢」「現在の職業」などだった。
モテそうだなと思う男は、そこから趣味や最近の出来事を語って、相手に話をさせる。
基本的に相手に話をさせようとするのだ。間違っても下ネタにはいかない。
モテないな、振られるなと思う男の多くは
年齢と職業が分かって守備範囲内だと「痴漢されたことある?」「一人エッチってどのくらいの頻度でするの?」と
急なエロ話をぶっこんでくる。
友達とあまり話しないんだろうなっていう会話の展開が多かった。
当方成人済み腐女子である。漫画アニメは昔から好きだったけれど、十代から二次創作およびBLの存在を知ってしまい
ガラケーでは推しカプの小説ランキングサイトを上から順に訪れ、個人小説サイト様で素敵な作品を貪り読ませていただき、
スマホに変わってから丁度ピクシブなる存在を知り、この歳になっても相も変わらず推しカプ小説+イラスト漫画を血眼で読みあさる日々である。
オリジナルや商業作品も勿論好きですが、二次創作ってファンアートとして込められた熱量が伝わってきてまた別の良さがありますよね。
ちなみに隠れオタクかつビビり野郎なので、リアルでもネットでも誰かと萌え語りも交流もしたことがなく、
皆様の素晴らしい作品群に性癖が着実に歪められ、その性癖が他者との交流ゼロによって純粋培養かつ煮詰められた哀しい存在になっている気がする。
とりあえず目に入ったものは何でも口に入れるタイプなんだ……。守備範囲がバリ広かつマニアックになってしまったんだ……。
閑話休題。
創作については他人事、あるいは対岸の火事のように「わぁーすごいな大変だなー」と捉えていたのですが。
とあるキャラに沼りました。ソシャゲのキャラで、元々キャラデザした方のイラストのファンだったのでそこから興味を持ったのですが。
いやー落ちた。沼だった。ビジュアルがそのキャラデザした方の持ち味がよく出ていて、その時点で好きだったんですが
中身性格含めて性癖にぶっささる要素てんこ盛りで最早推すしかなかった。
彼には好敵手とされる天才キャラがいるんですが、もうこいつのことしか頭にないんですよ。
彼自身も優秀なのに、その相手に何をやっても勝てない劣等感と自分への怒りを燃やしながら自壊するような不器用さがあって。
ゲーム内では悪役ポジで登場して、悪行の限りを尽くす非道なんですが(でもそんなところも好き)、
そこに至る前の彼、至ることになってしまった心理とそこまでの道筋を想像するともう……もう……(語彙力)
当方BL嗜好としては関係性萌えが強いので、ゲームもぼちぼちやりつつ
エロとか健全とか気にせずこの天才キャラと推しのカプ二次作品も漁っていた訳なんですが。
萌えが高じすぎて初めて自分での創作に手を染めましたね。はい。
長いお話はまだ書けず、1本3000字ぐらいのたいしたことないSSばかりですが。
一時期話題になった、同人活動をする女性達の群像劇漫画を呼んで、
ROM専だった一人が小説の練習をしまくって、初めて二次小説を書き上げるお話を読んで憧れたのもあります。
だんだんせっかく書いたんだし誰かに見てもらいたいとか……欲が出ちゃいますよね……。
個人サイト様のWEB拍手を押すだけで緊張していたやつがネット投稿なんてハードル高いわ。
ツイッターもフォローのみ交流ゼロのROM専の使い方しかしたことないわ。
とりあえずピクシブとぷらいべったーで非公開にして、そもそも作品をアップロードすること自体の練習をしている。
タグ付けとはなんぞや?!地雷への配慮とか検索避けってこういう感じで合ってるのか?!ページ分けってどうやってるの??みたいな状況。
先に苦しみを知っていた方が良いと思って、推しのアンチスレだの二次創作の愚痴スレだのも読んでいるんですが(予防接種みたいな使い方……)。
いや所詮ファンアートで自己満足なんだから自分だけで書いて楽しめばいいとは思うんですが、
でも誰かに読んでもらえたら嬉しいだろうな……。自分なりにめっちゃ推しの推しポイント描写してるんだよな……。
あわよくば推しを好きにならなくてもいいから知ってもらいたい……(いややっぱり好きになってもらえると嬉しい)。
いやでも誰かに添削頼めるようなもんじゃないし文章力も自信ないな……でもな……。
上記の状況が続き早2ヶ月。
頭の中で悶々とし続けるのもあれなので、整理のためにも匿名ブログで吐き出した次第。お目汚しすみません。
異動の内示が出た。三年いた企画部門からイベント系の部門へ。今の職場は夜は遅いし(アベレージ22時退社)、守備範囲は広いし上司に忖度しなきゃだし、課内で唯一の女だから、自分の業務以外にも身綺麗にして役員秘書やったり備品の管理したり冷蔵庫の掃除したり色々やらなきゃいけなかった。
それに比べれば新しい職場は残業はないし休みも取れるし働きやすいらしい。女性も多くて女性が働きやすい職場だと思うよ!と既に在籍している同期の女子がにこにこしている。なるほど、そりゃあいい。
だというのに、憂鬱で仕方ない。私のいいところは、男性並に残業してもピンピンしてるのに、女性らしさがあるところだとかつて上司に言われたことがある。聞いた瞬間はおいおいこのご時世に?と目の前が真っ暗になる心地だったが、いつのまにかそれがアイデンティティになっていた。若くて可愛いのに、根性があってぐいぐい仕事をする、みたいに評されるのが、いつのまにか嬉しくなっていた。
男の中にいるから評価されていたものが、女の中にいくと評価されないかもしれないと思うと怖くて仕方ない。女社会では少なくとも、残業が長くできるとか仕事をたくさん抱えられるとかは褒められるポイントではない気がする。物おじせずに総会でプレゼンできることも、コンサルとやり合えることより、いつもニコニコしていて家庭的で、夫や子供のお弁当を毎日作ってます!みたいなのが評価されるとしたら?
内示は間違いだった、まだ今の職場にいなさいって言われないかなと毎日思ってしまう。自分のことを女性的でジェンダーなんかにも興味があると思っていたから、自分がこんなに男性性を内面化しているとは思わなかった。でも、理性とは別の場所で怖くて仕方ない。
最初非モテ(男)が活躍する漫画が見たい、にしようと思ったが意外と思いついたので止めた。
昨今のジェンダー論に基づき性別を逆にして考えるとこちらはあまり思いつかない。
女性向けの漫画にはあるかもしれないが守備範囲外なので範囲は少年・青年漫画としたい。
例えばBLEACHはハゲもチビも爺もデブもいるがみんな見せ場がある。
一方で女性はといえば巨乳で頭が悪いか貧乳で口が悪いかの二通りしかない。顔はみな美女だ。
女性は整った顔のモデルによる資料を見なければならないからブスは描きなれていないのだろうか。
こんなことを書くと「漫画に出てくるキャラは三枚目ではあるがブサイクではない、本当のブサイクってやつを見せてやりますよ」論になりかねないので
作品内で非美人と描かれているキャラであればよい。GANTZの初登場時のたえちゃんみたいな感じだ。
※追記
こんなにブクマクしてくれてたのね。自分のお知らせに出ないんだね。気づかなくてごめんね。みんなありがとう。
あとコメの中にあったツルモク独身寮だと刈り上げの子がちょうどいい感じ。
ブス界へようこそは読んでみる!
そこで卒業にあたって、情報共有と備忘録を目的に6年間の系譜をここに記そうと思う
【高校生】
・プログラミングに興味を持つ
ゲームが大好きで当時は家に帰ると深夜3時までネットゲーム、寝不足で授業爆睡という感じだった
ゲーム作りたいという意識が芽生えて見様見真似でプログラミングを始め、理系志望になった
親から埼玉の家から通える国立に行けといわれ、不幸にも電通大に進学を決めてしまう
【電通大1年】
最初から新入生合宿があって北関東に知らない奴らとバス旅行した
これで友達ができるかと思ったが、なんと陽キャグループとそれ以外が自然と分かれる
俺は自然と陰キャ側へ、しかし守備範囲がバラバラでオタクトークが盛り上がることはなかった
1年はだいたい全員同じ授業で履修の自由度は皆無だった
散り散りになった陰キャ達に居場所はないし、後から仲間に入れてとも言えない雰囲気だった
大学生活終わったと思った
・助け合わないと生き残れない
意外と授業は簡単で過去問も大学が公開するなどぼっちに優しかった
時間割も高校に比べるとスカスカで暇すぎて時間を持て余していた
もう精神さえ保てば大学ぼっちでもいいかなと思い始めたところで
体育と実験が始まった
[体育]
電通大には体育がある(必修)
中学の「はいペア組んで〜」が大学でも発生するとは思わなかった
やめろ
[実験]
2人1組でペアを組む
協力が大事
やめろ
そういうわけでいくら勉強がどうにかなっても知り合いを増やさないと精神が摩耗するのは明らかだった
俺は早急に単独行動者に声掛けを行ってなんとか生きるための知り合いグループを作った
・無慈悲な別れ
なんとか1年間過ごしてみたが
頑張って繋いだ薄い人間関係は専攻分けでズタズタに寸断された
【電通大2年】
・慣れた
開始直後に生きるための知り合いグループを作った
このタイミングにグループに入る重要性は去年痛いほど学んでいた
授業は相変わらず楽だが、面白くもなかった
内容としてはプログラミングを少しやるかぐらいで基本的には数学の勉強が続いた
2年からだがサークルに入ってみたところ利害関係のない友達ができた
精神的な安定感や大学への通学欲が増したのは確かで人間関係の重要性を再認識した
【電通大3年】
・楽しくなってきた
そうだよこれを待ってたんだよ俺は
・研究室配属
電通大では3年生のうちに学生が行きたい研究室の希望を出し、成績と面接で教授から選ばれる
有名企業に行くために大学に通っているんだから、就職の悪い研究室なんて行きたくない
ずうずうしく質問して回り徹底的にサーチした
研究室配属が希望通り決まるとまともな学生生活はこれで終わりなんだと実感した
【電通大4年】
研究室に配属が決まると
興味のあることでもずっとやるのは気が滅入るなと思った
・何かに追われている
研究室は1週間に1回、進捗報告があった
大学でも家でも研究成果を出さないといけないという気持ちになり
俺は大学院に進む前提で将来を考えていたため3年生で就活をしていない
院試に落ちたらどうしようと思った
結果的には2月頃から早めに勉強していたのが功を奏し、危なげなく院試に合格した
・何も変わらない
大学院に進むと授業がほぼない
ただ研究をやるという日々が変わることはなかった
自分との戦いになってきた
・学会で発表
そんなの無理に決まってると思っていたが
俺の英語が下手だとわかると英語話者も優しい英語で話してくれた
・就活がある
でもだいたい知ってくれていて良かった
第一志望だったので満足
・何も変わらない…だがコロナ
・そして卒業
とくに何も起きずに卒業を迎えた
【総括】
Q. 電通大で良かったのか
A. 分からない
後半は貴重な友人もできた
しかし自業自得でもあるが、一般の大学生のような学生生活は送ってこなかった
生まれ変わったら文系に進んでもっと別の大学生活を送ってみたいとも思う
A. 研究室選び
基本男性向けの乳丸出しゲーは守備範囲外だけど、ウマ娘の話がよくTwitterで流れてくるようになって、ゴルシちゃんが大好きになって始めた。
背が高い感じの容姿もめっちゃ好きだし、相手のことを1ミリも考えてなさそうな自分勝手さが何よりキュートだと思う。
これは「女なのに」なのか「女だから」なのか?なんか個人的には後者だと思ってて、ゴルシが気になってる女オタクは多いと思うわ。
日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。
どの作品を入れるべきか迷った。古典の翻案に見られる知性とユーモア、晩年の作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に「歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活の不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。
「河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界の架空の言語に魅せられたのか、その理由はわからない。
アンデルセンの小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。
で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。
ところで、ディズニーの作品の価値を貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫」だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニーは普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)
「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンがニュートンとアインシュタインの物理学を自力で発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者とエンジニア最高、政治家と宗教家と文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。
そうしたえぐみが比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。
友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代に適応できない英国の執事の物語である。
彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものだから、登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。
カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。
彼の作品は不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい。
作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき、人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯に思考した書物である。
ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。
僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程を子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。
そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物の意識から別の人物の意識へと、外界の描写や連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本の映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分の意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。
「灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。
さえない少年が万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれてしまう。これは主人公が異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式でチートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白い小説なのに、その小説が現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨の台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。
ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆のメッセージのストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人と商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。
基本的に自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉や文字で物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。
元々SFの人だけれども、最近は日本の古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。
どうしてこれほどあなたを信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやかな奇跡であなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。
以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。
ただただ弱くて情けない人物が遠藤周作の作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。
「男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である「女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。
世界の文学をパロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語の関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマが物語レベルとメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。
知的障害者のチャーリー・ゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者とセックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。
チャーリーは女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。
天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか。
素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点が距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。
子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類の運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。
人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙で意味があるのか。
人類の運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。
「可愛い、愛おしいものを表現したい。みんなと共有したい。」と思いながらも挫折してきた。
今は、色々あって閑散期。
今の仕事を突き詰めるのも手段だが、奇跡的にやりたかった事を実現する時間を取れる。
自分が欲しかった「時間」、「ツール」、「学習環境」がすべてそろった奇跡的な状況。
…なのに、心がざわつく。
諦める事に慣れてしまっていた自分が嫌だったはずなのに、「何の意味があるんだ?」と自分が自分を否定する。
確かに人生は豊かになるかもしれないが、それが何だと思えてしまう。
俗にいう、コピペで何でも解決してしまう人だったから、コピペで解決できなければ、次のコピペを探し続けるような事しかできなかった。
社会人になってからも幾度とチャンスも時間もあったはずだけど、習得に時間がかかるのと日頃の仕事で忙殺されて表現するスキルが身につかなかった。
結局、ドキュメントを見ながら解決できる思考力が身についたのは30代になってからだと思う。
上は見えず下ばかり見えるような生活。
それに、30代。若くない。
そんな考えが視界を曇らせる。
もっと勉強していれば、もっといい大学出ていればとかいう後悔はない。
そもそもこんな性格だから、遅かれ早かれうつ病も経験するだろうし、何事も他人や環境のせいにして自暴自棄になる経験をするはず。
1歳年上のセフレとベッドでダベってたら、マンガと幼馴染キャラの話になった。
ちなみにセフレは少女マンガも読んできた分だけ、守備範囲が広い。
おすすめされてフルーツバスケットとか読まされた。面白かった。
幼馴染ヒロインってフレーズがあるくらいに、男にとって幼馴染は重要なポジション。
マンガ史とか知らないけど、タッチの南ちゃんって人気だったんでしょ?
もちろんマンガの話だけど。
みたいなことを俺が言うとセフレは「キモッ」と切り捨てた。結構表情冷たかった。
じゃあ少女マンガではどうなのかと言うと、そもそも大抵の女にはお姫様願望があって、つまりこれまでの私は偽物、ステージを駆け上がった私が本物、みたいな願望があって、少女マンガもその願望を満たすような構造になっているのが王道なのだと。
となると幼馴染キャラってのはかつてグレードの低かった私と釣り合う程度の男でしかないわけで、白馬に乗った王子様から絶賛求愛中の主人公の眼中にまるでない。
それにしても幼馴染かわいそうだな。