はてなキーワード: 孔明とは
個人的に呂布が好きってのもあるけど、処刑シーンにおける劉備のスネ夫ぶりがムカつくので。
あれだけ豪語しておいてあっさり曹操を見逃すのかよ…やる気がないなら出てくるなよ…。
孔明に止められて最後まで出撃できませんでした、という方がまだ良かった。
せめて誰かに譲るなりしろよと思いました。
あの錦馬超が劉備の仲間に!うおお五虎大将軍!と思ったらほとんど出てこなくなりいつのまにか死んでいた。
RPGとかでよくある強敵が仲間になったら使えなかったみたいなやつだ。
中国の名将について検索をかけたときによく挙げられている人物を紹介する。
春秋 | |
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孫武 | 世界史上に名高い兵法書「孫子」の著者。伍子胥と共に呉王が覇者となるのに貢献した。 |
戦国 | |
呉起 | 孫子と並び称される兵法家。いわゆる「呉子」。魯・魏・楚などに仕えたが、強引な改革で周囲の恨みを買って殺された。 |
孫臏 | 「孫臏兵法」の著者。友人に裏切られて罪人となり脚を切断されたが、逃げ出した先の斉で将軍となり、「馬陵の戦い」で復讐を成し遂げた。 |
白起 | 秦の名将。包囲殲滅戦の名手にして虐殺者。「長平の戦い」では四十万人もの捕虜を生き埋めにした。そのあまりの強さから王に恐れられて賜死された。 |
李牧 | 趙の名将。匈奴に大勝を収め、秦の大軍を退けたが、離間の計によって王に疑われて殺された。趙が滅亡したのは李牧の死からわずか三ヶ月後のことだった。 |
王翦 | 秦の名将。趙や楚を滅ぼし、始皇帝の中華統一に多大なる貢献を行った。猜疑心の強い始皇帝に誅殺されることもなく天寿をまっとうした。 |
楚漢 | |
項羽 | 反秦軍の中心となり西楚の覇王と号す。戦では無敗を誇ったが、それまでさんざんに勝ってきた劉邦に最後になって敗れ、自害した。 |
韓信 | 漢建国の功臣。漢の三傑。「背水の陣」で有名。魏・趙・斉を降して劉邦の天下統一を大いに助けたが、皇帝即位後は冷遇され、謀反を企んで処刑された。 |
西漢 | |
李広 | 対匈奴戦の名将。弓の名手として知られる。若い衛青が台頭したのち、その下で不甲斐ない戦いをし、それを恥じて自刎した。 |
衛青 | 対匈奴戦の名将。苦労人で人格者。低い身分から取り立てられ、匈奴と戦って連戦連勝し、その功績により大将軍にまで出世した。 |
霍去病 | 対匈奴戦の名将。衛青の甥。天才肌で直情径行。若くして匈奴との戦いで活躍し、衛青を凌ぐ名声を得るが、24歳で夭折した。 |
東漢 | |
劉秀 | 東漢の初代皇帝。「昆陽の戦い」では100万と号する軍勢をわずか1万の兵で撃破した。皇帝としては一代にして創業と守成を成し遂げ、功臣を粛清することもほとんどなかった。 |
班超 | 中央アジアを平定し、東漢の最大版図を現出した。西域に三十年間も留まったのち、洛陽に帰還して一ヶ月後に亡くなった。 |
三国 | |
曹操 | 東漢末における群雄のひとりから三国鼎立中の最大勢力にまでなり、後の魏・晋の礎を築いた。兵法家、詩人としても名を残す。 |
周瑜 | 呉の名将。美男子で有名。「赤壁の戦い」において魏の大軍を破った。 |
南北朝 | |
韋叡 | 梁の名将。身体が弱かったため、戦場では鎧を付けず輿に乗り、竹杖で指揮していた。南北朝最大の決戦「鍾離の戦い」にて百万の大軍を破る勝利の立役者となった。 |
陳慶之 | 梁の名将。わずか7000人の「白袍隊」を率いて北伐を敢行、連戦連勝で洛陽まで陥とした。「千軍万馬も白袍を避ける」と賞された。 |
唐 | |
李靖 | 唐建国の功臣。内戦においては中華統一に貢献し、外征しては騎馬民族を騎馬戦術によって滅ぼした。中国史上屈指の名将とされ、李靖に仮託して兵法書「李衛公問対」が書かれた。 |
李世民 | 唐の二代皇帝。李淵の次子として、隋末唐初の戦乱において多大なる軍功を挙げ、そのまま兄を追い落として皇帝となった。政戦両面における名君として知られる。 |
郭子儀 | 安史の乱を平定し、吐蕃やウイグルの侵攻を撃退するなど、幾度にも渡って国を救った。子孫、財産、長寿に恵まれ、万民から敬愛された。 |
宋 | |
岳飛 | 対金戦の名将。忠臣として名高い。私兵を率いてたびたび金軍を破るも、和平派によって冤罪を着せられ殺された。 |
明 | |
常遇春 | 明建国の功臣。常に先陣を切って戦った猛将で、日頃から「10万の兵士を率いて天下を横行したい」と語っていたため「常十万」と呼ばれた。 |
徐達 | 明建国の功臣。謹厳実直にして冷静沈着。総司令官として北伐を行い、元をモンゴル高原へと追いやった。朱元璋からは功績第一と称賛された。 |
朱棣 | 明の三代皇帝。甥の二代皇帝に反発して挙兵、圧倒的不利を覆して正規軍に勝利し、帝位を簒奪する。皇帝となった後も、自ら軍を率いて積極的な外征を行い、明の最大版図を築いた。 |
戚継光 | 私兵を率いて倭寇討伐に功を挙げ、また北方に赴いてモンゴルの侵入を防いだ。倭寇に対抗するため、中国全土の武術をまとめあげ、日本の剣術を研究したことでも知られる。 |
清 | |
左宗棠 | 自らを今孔明と称した。太平天国の乱の鎮圧に貢献し、洋務運動を推進した。さらには回民蜂起の鎮圧、捻軍の鎮圧、新疆の奪回など、清軍の大黒柱として活躍した。 |
益州攻略で軍師として活動していたのは法正だってそれいちばん言われてるから。
馬超の武勇を評するエピソードからも分かるようにプライドの高い関羽をいちばん上手く扱えたのは孔明だし、
それだと益州取れなくなるか。
必然的に地理に詳しい孔明を呼ばざるを得ないのはしゃーないか。
とはいえ、あの段階で関羽の他に荊州統治を任せられる人が本当にいなかったのか
街亭でたまたま馬謖しかいなかったから彼に任せて駄目だった事があったけど、
関羽も前評判はすごく良かったから荊州も大丈夫だろと統治を任せたら
荊州全土取られた挙句関羽自身も敗死して、その後の荊州奪還と仇討ちなんてイベントが
起こるはずが無かっただけに、関羽の身勝手さには反吐が出るし、
さすが人材コレクター曹操さまが一目置くだけの事はあるなと思った。
実際、曹操の目に適ってなかったら荊州統治という大任もなかったかもしれない。
曹操は目聡く将来自分にとって害になるかもしれない人物を起用する事によって将来の害を取り除いたかもしれない。
そう考えたら関羽はある意味然るべき所に収まったに過ぎないのではないか。
歴史関係で三国志が話題に昇った時、非常に地味だったという記憶がある。
何故なら、呉といえば大事な戦が孔明の引き立て役となった赤壁、周瑜が頑張った荊州南郡、呂蒙が頑張った樊城、陸遜が頑張った夷陵、孫権が大敗した合肥と
数えるほどしかなくて、その中でも孫権自身が直接赴いた戦争が合肥くらいで、
その上、張遼に始まって満寵や曹休(石亭でのやり返しは陸遜・周魴による)、王凌などにボコられて負けたくらいのエピソードしか持たない
戦争に行けば必ず負ける郭図のような人物だったらしい。
そのため、甘露寺での劉備との同盟といった正に英雄と呼べる場面もあるのに
張昭の家を放火したり陸遜を根拠なく憤死させたり二宮の変での優柔不断さが原因で呉の滅亡を早めたりと
対する曹操が徐州大虐殺、劉備が長坂で妻子を捨てて逃げた事なんかよりもずっとクズだし、
何よりも孫権は上二人の英雄に比べて戦争に強いイメージがなければ、政治家として優れてたかすら疑問だ。
何せ、これまで暗愚扱いされてきた劉禅は宦官政治で朝廷が腐敗したとしても少なくとも40年は国を維持してきたとして
良君として再評価されつつあるのに対して、
孫権は二宮の変や晩年の後継者選び等の老害ぶりを発揮したおかげで若い時の事績が霞む程の暗君ぶりや兄孫策の偉業を評価せず
皇帝即位後、父は皇号だったのに兄には王号しか与えなかった事からも孫権自身の人間性を物語るのに十分だ。
そのため、彼に関して三国時代の三人の名君の一人に挙げられるとこれまで評価されてきたが、筆者はそれには否としたい。
偶然三国時代に入ったため、たまたま呉国の君主だった孫権が英雄扱いされてしまっただけだろう。
明確に裏切るだろうっていう根拠がないし、ましてや張飛さしおいて漢中太守に任じてくれた劉備に
魏が来たら必ず防ぎ、機会があれば戦線を押し上げ劉備の夢に全力を尽くすって宣言した魏延が
蜀攻略戦以降ずっと劉備に附き従って大いに戦功を挙げた叩き上げの軍人で、これは孔明も非常に認めてる。
実際は当時敵対してた同僚楊儀が何だかんだ理由付けて誅殺したのが正しいんじゃないかと思う。
それが適わなかったので今度は自分が裏切ろうとして最後は流刑になったのを踏まえると
どう考えても魏延が殺される理由というか彼は確実に冤罪だった。
そしてこれは孔明も魏延を何度か庇ってる生前を見ても遺言で魏延殺せと命じたとは考え難いんだよな。
一体全体何が起こったのか、三国志に詳しい人教えて下さい。
ちょっと前に吉川三国志の著作権が切れてパブリックドメインになった。
僕はこれを喜ばしいことだと思っている。きっとAmazonでも無料公開されるだろう。Kindleで三国志が無料で読めるんだ。
と思っていた。
が、いつまで経っても孔明の巻、6巻までしか出てこない。私は待ちきれずに青空文庫からデータを引っ張りだして、どうやったのかもう覚えていないが幾つかの変換サイトのお世話になり、7巻以降のmobiファイルを自分で作成した。
そうこうしていたら、つい先日序章と余録を除いたKindle版10巻全巻パックが発表されたという知らせが来た。さすがAmazon、まとめてくれるとは粋だな、と思ったら、しれっと200円で売られていた。
別にパブリックドメインのものを有料で売るのは悪いことではない。批判はしない。ただ、なんとなくカンに触ったので自分が以前にmobi形式に変換したものを公開しようと思った。
売ることも悪いことではないが、タダで配るのも悪いことではないはずだ。それがパブリックドメインだ。
と思ったらもう公開してる人がいた。
DropboxにファイルをアップロードしてそのURLを貼るつもりだったのだが、kindle mobi 吉川 三国志 で検索するとあっさり見つかった。もう消してしまったがこのエントリはそもそもそのDropboxのPublic領域へのURLを公開しようと思って書いたものだ。
大事な休日の2時間ほどを費やしたエネルギーの持って行き場がない。ただ僕と同じように変換に労力を割く人って結構いるような気がするのでそこのURLを紹介することにする。
http://www.nantoka7.com/kindle/
言っておくけど僕はここの人とは何の関わりもない。たぶんこの人と同じようにパブリックドメインを有料で売る人がちょっと気に入らないだけだ。このエントリを宣伝だと思ってる人に付け加えておこう。この人はAWSのS3を使っているようだ。そして広告は貼っていない。ダウンロードすればするほどこいつは月の支出が増えるのだ。俺がS3じゃなくてDropboxを選んだ理由もそこにある。自作自演だと訝るなら絨毯攻撃的にmobiをダウンロードしまくればいい。ダメージは少なくないはずだ。
http://www.youtube.com/watch?v=esaEPq1_0zA
上の動画を見た。おおいに笑った。とくに次の個所。
まずね、根本的な大問題。戦略がなかった。[…]戦略がないってね、脚本書かずに映画とるみたいなもんなんですよ。組織がないなら、組織がある人以上に頭を使う必要がありますよね。[…](田母神氏の選対をつとめた水島総は)軍師タイプの方ではないんですね。どちらかといえばね、武闘派ですよ。三国志で譬えるなら孔明のポジションに張飛がいるようなものです。
ようするに、水島総はバカだって言ってるわけです。まあ、おっしゃる通りなのでしょうが、それにしても「映画」のハナシをもってくるあたりはKAZUYA氏も面白いね。一応、水島氏は「映画監督」でもありますから(笑)。次の個所もよかったです。
公式Youtubeチャンネルをつくって田母神としおをアピールする短めの動画を作った方がいいんじゃないですか、ってね、まあ選挙スタッフの知り合いの方に言ったんですよ。そしたら「あ~、いいっすね~」ってすぐに採りいれてくれたんです。さっそく公式チャンネルがつくられて、動画がUPされたんですけど、候補者って誰でしたっけ? 田母神さんですよね。記念すべき一番目の動画ね、これね、水島さんの動画なんです。これね、ぼくね、パソコンの前で、「新婚さんいらっしゃい」の時の桂三枝並のズッコケ方をしましたね。
上の言葉とあわせて総合してみると、水島氏は目立ちたがりのおバカさんで田母神氏の足を引っ張っていただけとKAZUYA氏は言っているわけでしょう。いや、それどころか、チャンネル桜の存在自体が問題だったってことでしょう。KAZUYAという、これまた付焼刃の知識(動画中にあった『孫子』からの引用には失笑した)を切り貼りしているだけの若者にこれだけ罵倒された水島氏がどのように反応するのか、正直なところ今から楽しみです。それにしても田母神氏もたいへんだねえ。でも、これは自業自得でもあるよ。けっきょく最終権限はご自身にあるのでしょうから。選挙人事も、航空幕僚長として航空自衛隊五万人を指揮していたのと同じ要領で、できていたらよかったのにね。
☆
で、他方水島氏についてですが、こちらで選挙について反省なさっています。
http://www.youtube.com/watch?v=I7hUXVmOPwM
http://www.youtube.com/watch?v=JlFU5DWXsy8
【桜プロジェクト】東京都知事選スペシャル[桜H26/2/10]
水島氏は「軍師タイプ」でもないのにあいかわらず「司会役」をつとめていますが(注:基本的にこうした企画では水島社長が司会をしています)、ご本人も(お目出度いことに、と言うべきか)選挙が終わった後に、KAZUYA氏が言っているようなことご自覚なさったようですね。
ところで、この討論会は支離滅裂でじつに面白い。田母神支持率が6%から12%に上ったことを喜んだかと思えば、大雪の中田母神に投票してくれた61万票は「堅い支持層」であると言ってみたり(フツーに考えて、堅い支持層をたった一ヶ月で6%も上乗せして作れるはずないでしょ)、三橋貴明氏が「自分も選挙にでたことガー」で珍説をぶちはじめたかと思えば、大高未貴氏は「李登輝のように、目的を隠しながら国民党に潜り込んで…」といった国民をバカにしたスパイまがい、あるいは革命思想を奨励したり等々……。で、こうした方々が田母神陣営であったということはKAZUYA氏の主張とは逆に、もっと国民に知らしめていくべきだろうと思う。「イメージが悪くなる」って? 選挙終わったんだし、もういいでしょ。実際のはなしなんだから。で、それで日の丸掲げて「国民運動」しましょう。おまつりワッショイ♪
ちなみに私見では、田母神氏の敗因は、KAZUYA氏や三橋氏が主張するように、ノンポリ層にアピールすることが出来なかったからではないと思う。「アピールしてなお拙かった」のである。「自分の意見は正しかったけど浸透しなかった」ていう言い訳は、むしろ共産党がよくやる手口でしょう? ようするに、政策レベルでもダメだった、てこと。三橋氏は一応「エコノミスト」であるだけあって、するどいところもある。安倍のグローバル化を促進させる「構造改革」、ぶっちゃければ新自由主義への批判をより大々的に展開して、「政治的には右、経済的には左」という路線を明確化して強調したほうがよかったのではないか。……ちなみに、その典型は歴史上、ナチスではないかと私は思うのだけれども。以上。
いまさら馬謖の失敗の内容を説明されても、みんなそれを踏まえて議論してるんだが…。
そりゃ、孔明にも 人並なことはいくらでもあるだろ。空が飛べるわけでも、火をはけるわけでもない。
でも、孔明に人間的なところがあったからといって、孔明が普通のやつってわけじゃないし。
そもそも、孔明にも普通のところはあるという例えが 泣いて馬謖を斬る だろうに。 孔明でも泣くことは有るというたとえだろうに。
↓
蜀は大きな組織だからルールを守らせないと統制が取れないからだ
↓
逆に言えば小さな組織ならルールよりも状況判断が優先されることもあるよね
↑
こういう流れっしょ。
どう考えたって「ルールは絶対」という話だもん。
http://anond.hatelabo.jp/20130829102759
もし小さな組織であれば全ての状況でも判断できるだろうけど
大きな組織になればなるほど全ての状況で自分が判断するということはできなくなる
その為のルールなんだ
あのなあ馬鹿。
当時の蜀なんてのは「よく天下三分なんてほざいたな」って感じの小国なんだ。
政治も軍事も諸葛亮がトップで判断してると言うお手盛り国家だ。
お前が我田引水のために三国志を例に引いただけなのはわかってるが
お前の言いたい結論は「中小ならコンプライアンスは遵守しなくてもよい」だよな。
でも例に引いた泣いて馬謖を斬るは
「中小企業のかなりワンマンなCEOが軍法遵守の為に子飼い部下と自分を処分した」って話なんだ。
「中小企業と言えどもルールはなあなあじゃいかんし最有能かつトップの俺も例外ではない」というのが孔明のサジェスチョンだ。
これはお前の言いたいことの例として正反対だろ馬鹿たれ。
お前が本当に引くべきなのは「目的の為に手段は正当化される」みたいな故事で
そんなもんいっくらでもあるのに、
なんでよりによって泣斬馬謖を持ち出す?
せめて、なんでもいいから、「斬らなかった」故事を持ち出さないと。
あとお前の主張したがってる結論だけどさあ。
規模の大小問わずあり得ない判断だと思うんですが。
お前が言ってるのって自分では「柔軟・臨機応変な思考」ぐらいのつもりだろうけど
お前みたいな馬鹿を管理する為に「これだけは守った上で判断しろよ」というコンプライアンスやルールがあるのに
馬鹿が勝手な判断で「必ずしも守らなくてもいい」とか言い出してるのがお前だ。
お前みたいなののせいで関係者は頭が痛い。
国とか関係無くネットにはいろいろこじらせている人達が野放しだから
そういう人達は「承認願望」「発狂トリガー」を何かの拍子に押されると属性に向かってすっ飛んでいくんだよね
煽り上手な人にとってネットにいる人達は何も手を汚さずに動かせる只の「駒」「鴨」に過ぎない
ネットは三国志演義でいう東南の風を吹かせて火計を成功させ逃亡する孔明みたいなことができちゃう場所
「中国人にもこういう良い人が」って書き込み見ると「グットコップ、バットコップ」を思い出す
発言者の「クラスタ」「コミュ」とかそのIDいつ作ったとか仕事での金の流れとかそこまで洗ってやっと信じて丁度良い
聖火リレーで大量に中国人集まった時の流れは憶えているでしょう
日本では統制取れていたけど、韓国では留学生の統制取れずに暴徒と化した事を
まあ孔明をリアル割れするのは無理だろうから、ネチズン一人一人が流されなくなって地道にスイッチ押された人のスイッチオフに空気変えていくしかないあるね
かつて劉備の代理として孫呉に訪れた際、共に赤壁を打ち倒しましょうと言ってすり寄った。
実際には漁夫の利を得た形で約束違反である荊州を簒奪した。漢朝廷にすら許可を取らなかったため、後に曹操に利用されて公式に周瑜を南郡太守、荊州総督を任せる等として荊州統治を孫呉に委ねたのだ。そうなると当然荊州の正当支配者は孫呉になり劉備は違法にそこを占拠してるに過ぎなくなる。そこで孔明は一計を案じて周瑜を誅殺し孫権から荊州を借りる形を取って劉備を統治者とした。当然条件付きで蜀を取れば荊州を全て返還するという劉備・孔明両名のお墨付きである。しかし蜀、そして漢中を奪っても返さなかった。孔明は嘘吐きである。これがきっかけで荊州争奪戦および関羽処刑事件に繋がるのである。また、後継者問題では自身の優位を絶対にするため、劉備信者の魏延らをあることないこと誹謗し続けたのである。これは一政治家としてあるまじき愚行であろう。ともすれば、これを手本とする日本の某政党は嘘吐きであることを肯定しているも同じである。
嫁に関して「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」という諺が存在するほどで人を見る目が全くない。
後に重用された悲劇の名将魏延も反骨の相(史実では不明)としており、一方で劉備が重用するなと言っていた登山家馬ショクへは自身の片腕以上の待遇だった。また、後蜀将として蜀漢を直接滅ぼす原因を作り滅んだ後も劉禅に迷惑を被って死んだ姜維へも彼は特別待遇にしていた。そう、孔明は老練の将軍よりも口先だけの若造を重用する傾向にあったようだ。だがそんな彼でも老練を重用することがあったのである。名前は李厳。後に李平と改名する政治家である。彼は孔明いわく「陸遜に匹敵する名相」だったが、才覚は確かにあったらしい。しかし性格に難があり、孔明はたびたび彼への諫言を聞くことになるが無視し重用し続けた。その結果231年の北伐の大惨敗を引き起こすことになる。とんだ見立てである。実は李厳だけではない。後に魏に投降したのち蜀に再び寝返り新城の戦いで司馬懿に瞬殺された孟達も孔明は重用した。実は孟達も才能はあったが、李厳同様性格に難があった。日本プロ野球選手に例えると中村紀洋である。孟達の面白い所は劉備に信任された上庸を守らず更に関羽からの援軍要請を無下に断り見殺しにした所であろう。彼は李厳と同じく才覚はあったが考えるところは常に目先の小利だけである。その結果、関羽は死にその責任を負わされることになった孟達は曹丕の元へ逃げそこで厚遇を受けた。しかし曹丕が死ぬと冷遇された孟達は蜀に帰りたいという非常に自分勝手な判断のもと蜀に保護を求めて降伏してきたのである。それを大いに喜んだ孔明は自らドツボにハマる事に気付かず結局孟達の死をきっかけに北伐は失敗に終わる。逆に彼が冷遇し続けた魏延は殿軍を務めるなど蜀を守る役目に徹して彼以上に功績を挙げてしまった。孔明は自分が貶めようとした者が成功するのを見ていられなかったのだろう。死の間際にこれまた後に蜀を滅ぼした姜維に後事を託して五丈原で病没した。その託した後事が問題で当時重用していた文官楊儀と確執のあった名将魏延を排除したのである。これを機に蜀は滅ぶ道を辿ることとなる。オチとしては魏延を廃した楊儀も後に謀反を起こして流刑となったことくらいか。
結局孔明は人を見る目が皆無で、結果として劉備に信頼されておいて蜀を守りきれず滅ぼす遠因を作ったのである。
漢の四相と称される孔明だが、それは内政だけの話でこと軍事においては亡きホウ統や法正に劣る。後の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名になる司馬懿は電撃戦を得意とし曹操にも警戒された天才で普通なら孔明では太刀打ち出来ない相手なのだがここでも孔明は嘘吐きの才覚を遺憾なく発揮するのだ。また、火刑オタクの陸遜は孫武に勝るとも劣らないと称された天才で孔明も対呉では慎重論を唱えたほどだ。実際には孫呉は派閥政権なので内側から崩せば安易に滅ぼすことも可能だった。また曹魏にしても司馬懿の専横を煽る批判文を口先だけは超一流の馬ショクがやって見せたように続けていたら内部亀裂は免れておらず面白いことになっていただろう。孔明は情勢音痴だったのだ。また地理にしても荊州や益州では無双だった孔明も長安への道についてはこれまでにない慎重な姿勢を貫いていた。これを地理に詳しい魏延にたびたび批判されていたことは有名で、子午谷を通る国士無双の名将であった韓信の攻略法を提案し続けたものの、却下し続けた。その結果が成果の見えない3度の北伐である。しかも孔明は人を見る目がなかったので要所要所を劉備にすら諫言された将を大将に据えて任せており、その都度名将魏延を殿軍にするなどして引き離すといった愚行を演じている。こと軍事においては後世の学者からしても魏延の方が上回っていたと指摘されることがあるが、実際その通りだったのかもしれない。孔明は何も成果を挙げられていないのだから。しかも北伐にかまけて劉禅の教育を怠り漢王朝滅亡の原因である宦官制を敷いていたことが後に蜀を滅ぼすのだから孔明は実は内政も言われてるほど優秀ではなかったのかもしれない(宦官は劉備提案かもしれないが)。
結論として孔明は、無能だが口先だけは一流の人間を重用し、まともな武将を片っ端から左遷しちゃうクソ政治家である。ま、そんな政治家を神としちゃう某政党も流石だとは思いますけどね。
以上、孔明は歴史捏造が生んだ最大の恩恵者であり、また稀代の嘘吐きである。某政党もこれを真似たのだから面白い。後に筒井康隆がその政党が政権を取ると日本が終了するといった旨の小説を書いているが、これは単なる偶然の一致なのだろうか。