はてなキーワード: 奇行とは
昨日メチャ伸びてた天才の人の記事、素直にすげえと思う一方えもいわれぬ不快感があった
まず「しょうもない」って言っときながら明らかに権威ある肩書きだったりデータをバンバン出してくる、自虐風自慢っぽいところが鼻についたのは間違いない
まあでも21歳ならそういう照れ隠しはしたくなるし、俺だって多分するだろうからそれは別にいいんだ
MENSAとかIQの話に関しては、セルフブランディングというか「格」を印象付けることでヘンな難癖を防ぐ目的もありそうな感じがした あれで明らかに頭いいってことを示すデータがなかったらもっと攻撃的に噛み付いていく人は沢山いるだろうしな
でも、自虐風自慢であること以上に嫌だったのが、すげー几帳面に奇行の写真や動画を撮っていること、そしてそれをまとめて記事にしちゃっていること
俺の中で天才は無自覚かつストイックであって欲しいというか、「異常行動だと自覚した上で異常行動をし、それを記録してネットにアップする」って行為はダサく見える
作品とか行動自体は分かりやすいし面白いのに、それを自分でまとめて「見て!面白いでしょ!ヘンでしょ!」ってやっちゃうと途端に冷める
そういう感じなんですよね
いやまあこれ嫉妬なんだろうなあ いや嫉妬か?凄いと思ってるのは事実だしうまいこといって欲しいとも思ってるから嫉妬じゃないかもしれん
あの感じで行くなら本当に自分は正常だと思ってるか、ただ怒りのままに異常行動をとるだけで自己演出のことは一切考えないでいてほしかった
すげえ勝手な話だなコレ
でも本心なんだよな! せっかくいい感じに天才っぽいんだから俗っぽさ・ダサさを出さないでほしい、あの記事を出すのはその才能に惚れ込んだサイドキック的な存在の人であって欲しかった、と言う気持ちがある
https://ima.goo.ne.jp/column/article/9229.html
ギフテッド凄いね。この人はソフバンの禿に飼われてるみたいで幸せだね。でも本当の天才以外は興味無いのが禿らしい。てめぇ自身は凡人なのに。
結局この人レベルじゃないと周りは助けてくれないわけで、この少し下レベルや才能を発揮する方向が違うだけで世間は途端に冷たくなる。たぶん禿も見向きしてくれない。
天才の奇行は許されるべきという話もあるが、当事者にとっては別だ。実際自分がそうだ。
我が家は毒親じゃなかったし母親が専業主婦な昭和~平成の一般的家庭だった。自分は診断を受けたこと無いが所謂定型で弟がギフテッドだった。なんでもそつなくこなす弟に対して不思議と北斗の拳のジャギみたいな感情にはならなかった。そんな暇が無かった。
ギフテッドって『痴呆じゃない元気な若者』なんだよ。興味があれば何でもやる。家族とか気にもしないし世間体も気にしない。季節も時間も気にせずやりたい放題するので尻拭いは家族である。なんか徘徊老人の世話してる家族に共感を覚える。高速道路を歩くとかは無いけどそのレベルのやらかしはたくさんある。
ギフテッドに理解がある社会になればとかいう人も居るが、では貴方の家の敷地になんか分からないモニュメントを作られて「ああ、なんて素敵な作品だ」と縁側で茶をすすりながら眺める余裕があるか?賃貸物件の家主なら部屋がビビットピンクに塗られて「これは青春の怒りと葛藤を…」とか言って原状回復をしなくて済むか?もっと色々あるけど実際貴方に彼らの活動が降り掛かった時に受け入れるだけの度量があるのか?
禿の財団が尻拭いしてくれるのかは知らないが、してくれるなら最高だ。でも禿のお眼鏡に適わないレベルや方向だった場合、その家族や周囲にソフトバンク並みの資金と社会的地位を要求されるのだ。
禿の財団だろうと国だろうと、ギフテッドは鎖で繋げられないし、その被害は必ず多くの一般人に行くしその時全てを受け入れられますか?国の宝だと優しく接しられますか?私は弟は親族だし糞みたいな言動と行動の裏の葛藤も知ってるから好きだし、助けることに義務感を感じていない。普通の家族的思考だ。でも赤の他人のギフテッドは嫌いだし、出来るなら彼らの被害に遭いたくはない。
プレイしてみたけど正直言ってあんまりおもしろくはなかったです。
今はこのカードゲームの話題の八割くらいは中心になってる某店長の奇行になってますが、
それを抜きにしてカードゲームとしてどうなの?って所が大きかったかな。
ルーラーっていうものによって異種格闘技戦的なことができるのが
多分このゲームの一番のウリだと思うんだけど、
散々言われてるけど毎ターン2デッキトップ2枚をタダ出しできるデッキと
馬鹿正直にコスト払わないと出せないデッキが殴り合ったらそりゃさ。
とは言え、坊主めくり側は手札自体が無いから例えば手札回収カードとかは使えないわけで、
そういう所で今後バランスはとれていくかもしれないという希望はある。
そのせいで一見さんお断りの面倒くさい仕様になってるのはいかがなものか。
両方ともテキストの内容なんも違いがないんですよね。
何が違うのかっつったらわざわざカードに書かれたQRコード読み取って
で、実際この2種類何が違うのかっつったらデッキビルディング制限が違って、
所属軍は2種まで、同名カード4枚まで(レジェンドカードは同名1枚のみ)、
H-8ハイランダーはその名の通り、
っていうこんな程度の違いしかないんですよね。
所属軍ってのは遊戯王で言えば属性、デュエマで言えば文明みたいな
カードを組み分けするもんだと思ってくれればいいんだけど、
他のカードゲームだったらそういうのって自分で決めるじゃないですか。
ハイランダー構築も作ろうと思えば好きに作れるじゃないですか。
わざわざカードに指図されることじゃないし、こんなん異種バトルとは言わんでしょ。
精々ボクシングでマウスピースがゴム製かプラ製かくらいの違いしかないじゃないですか。
煩わしい上に自由度下げるだけにしかなってないかなと思いました。
ルーラーについての話終わり。
ルールの説明がわざとやってんのかってくらいわかりにくいのです。
なんで公式サイトにカードの並べ方、置き方すら書いてないのか。
一応無料体験デッキについてるQRコードの中の隅っこのほうには載ってたけど、
【ゲームの準備】【ターン開始時】【ルール】までしか載ってません。
それより先のデッキ構築ルールはさらに個別の詳細ページを見ないとわかりません。
せめて「ここに書かれてないルールがあるのでチェックしてね!」
変に誤解を生むこともなかったと思うんですよね。
どうやら坊主めくりルーラーがめくったカードを使うまで一時的に置いとく場所のことらしいけど、
公式ツイッターがなくて一番話をしてくれるのが某店長のアカウントってのもおかしい。
いや、普通ならそれでいいんだけども、
あの人に今質問したら晒し首にされるしご機嫌損ねたらブロックされるし、
売る気があるのか疑問に思うレベルですよ。
普通のコスト払ってプレイするほうでも基本的にめくりまくります。
デッキトップからダメージ値分めくってダメージゾーンに置くんですが、
そのめくった時にCNT(カウンター)能力を持ったカードが出れば
1枚につき1点分のダメージをキャンセルして効果撃つんですね。
で、今の所はCNT枚数割合上限が16/50のルーラーしかいないので大体1/3です。
ルーラー自身のSTRでも3ダメージ出るわけなので1体でも期待値1枚、
他のユニットと合わせて攻撃したら1度のバトルフェイズで2~3枚くらいめくれます。
このゲームでターン開始時にデッキから得られる枚数は2枚なので、
大体、自分のターンにプレイする枚数とデッキトップめくれて出てくるCNT枚数が
同じかそれ以上になるんですよね。
半数以上をめくって解決するんだから嫌が応でも運ゲー合戦なんですよ。
坊主めくりルーラー使ってなくても結局坊主めくりみたいなもんなんですよ。
戦略もクソもねぇわめくれるかめくれないかのほうが比重が大きいじゃないか。
確かに、デッキ構築を自分のやりたい内容に傾けることはできるものの、
セットしたカードをいつ使うとか誰を殴るかとかのお陰で
辛うじてTCGの体を成しているものの根本的に運運アンド運でした。
ここが本当にどうなのって思ったし面白くなった主要因です。
期待値通りにめくれてくれれば実質18はあるということですね。
びっくりするくらい抑揚がないですね。
それがターン経過で大きなコストが払えるようになっていき~って流れが、
遊戯王もエクストラデッキから出す為に素材集めてどうたらこうたらってあるけど、
序盤から終盤までやってること変わんないんですよ。
そりゃ坊主めくりルーラーは常時無限のコストがあるんだから当たり前だし、
普通に払ってプレイするルーラーもゲーム開始時からある3枚分のコストが
増減することは無いわけですからね。
ターン開始時に2枚めくって使い、殴り、相手のデッキトップをめくってCNT使われ、
今度は相手が同じことやって…。ずっとこれです。
いくつか対戦動画見てみたんですがやっぱり内容は同じなんですよ。
ひたすらお互いにめくりあって出たカード投げ合ってる感じ。
このゲームにおける強い弱いってのは
めくっていいもん引けることを強いっていうんだろうなと。
まだ発売されてないのに無料体験で何語ってんだって思う人もいるかもだけど、
無料体験ってそのゲームの楽しさを体験させるためにあるものなんで。
無料体験ではこのゲームの楽しさはわからないんだぜってそれ売る気あるの?
ルーラーどうこうに関わらず運が介入する要素が多すぎるので、
運ゲーじゃねえかつまらんって思う人はやってもつまらんと思います。
ダメージ判定でCNTがめくれないのが続いたらめちゃあっけなく負けるんで、
真面目に勝ち負け競いたいって人にも向いてないと思います。
めくった結果に一喜一憂してウッキャアアアア!神引きィィィィィ!!
少なくとも精神的に落ち着いた大人の方には合わないんじゃないでしょうか。
運に自信があって、魂のドロー!うおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!
要はプロモーションビデオのノリだよ。あれが楽しいなら楽しいよきっと。
粉末の妹のsora事件とは2016年8月から発足した人狼onlineの荒らし事件である。被害者は粉末の妹のsoraを始めとするにゃんにゃん会議のメンバー(雑魚どもにちやほやされて良い気になってるおじさん、荒らしにツイート見られて鍵垢にした人、可愛くもない自称妹を必死に庇うにいさん、朝一ノイズ長文でログを流す詩人、地味によく村をたてる野球ファン、必死に発言しても狩目で見られて逆に噛まれる猫、よく顔文字を使う狐好きの中学生、ゲーム中にwiki読む奴、影薄いけど割とよくいるかもしれない人、目立たなすぎて安否不明の奴、リア狂をフォローする偽善者等)である。
ことの発端は粉末の妹のsoraが対抗を占う等の稚拙な立ち回りで周囲の顰蹙を買った挙げ句に「ロラとは?」(もう一度言うとゲーム中に!)と聞いたことである 。それを見て不快に思った荒らしは早速攻撃を開始する。
まず、sora死ね、soraキモいなどの名前で入退室を繰り返し、下界と霊界の両方を騒がせた。更にロラ知れない奴は死ね等と暴言を吐き、本人を含め当事者たちを動揺させた。ことの発端は粉末の妹のsoraが対抗を占う等の稚拙な立ち回りで周囲の顰蹙を買った挙げ句に「ロラとは?」(もう一度言うとゲーム中に!)と聞いたことである 。それを見て不快に思った荒らしは早速攻撃を開始する。まず、sora死ね、soraキモいなどの名前で入退室を繰り返し、下界と霊界の両方を騒がせた。更にロラ知れない奴は死ね等と暴言を吐き、本人を含め当事者たちを動揺させた。
その後、soraは暫く鯖に姿を見せなかったため、一時的に荒らしは収まった。 その頃、soraはらっどを始めとしたにゃんにゃん会議のメンバーと接触し、友好関係を結ぶ。らっどは荒らしに対して厳しい態度で望み、soraを守ろうとした。その事に気づいた荒らしはらっどに対して暴言を吐く、蹴り誘導をかける等の嫌がらせを行ったり、sora不在のにゃんにゃん会議を荒らすなどした。
夏休みが終わると、soraが鯖に現れる頻度は下がり、荒らしも下火となった。それでも、荒らしはsoraを目撃したときには容赦なく攻撃し、sora本人も深刻に悩まされた。
10月頃にsoraはにゃんにゃん会議の元祖RM粉末剣士=おにぃと親密な関係にし、HNを粉末の妹のsoraに変えることすらした。その事を知った荒らしは粉末の妹のsoraという名前で次から次へと村を巡り、ログ破壊や暴言などの荒らしを行った。いわば成り済ましである。それでも飽き足らずそのコテハンでにゃんにゃん会議を建て、村の説明に「ガイジ死ねガイジ死ね…」と暴言を書き連ねることもした。soraが荒らしでないことを知っている者は、成り済ましに対して眉を潜め、彼女の代わりに弁解すらした。その一方でsoraのことを知らないものは彼女が荒らしであると認知し、その名前で入ったものを即蹴りするようになった。
ある時、偽物の建てたにゃんにゃん会議に入室したsoraは自分が深刻な成り済ましに合っていることを悟った。早速報告村を建て、弁解を行った。(ログは即座に消された。) 成り済ましが始まった当初、みかん、伊予寒、ゆきは荒らしが本物であると勘違いし積極的に攻撃していたが、この事により偽物であると気づいた。
因みにこの頃はsoraの活動が活発になったときであり、荒らしも本人への直接的な攻撃を頻繁に行うようになった他、不在の時ですらにゃんにゃん会議の霊界でログ破壊をするようになった。 荒らし活動が活発になると、soraは荒らし被害から逃れるためコテハンを「luna」に変えて活動するようになった。それでも、夏休みの時のように荒らしには見破られてしまった。 また、新たな荒らしの手口としてsoraの語録が使用されるようになり、ゲーム中にらっどテロでログを破壊し、廃村に追い込まれる事案が多数発生した。また、荒らしはsora以外のにゃんにゃん会議のメンバーをも積極的に攻撃するようになり、関係の薄かったリュカも前述のらっどテロの被害をよく被った。 こうして廃村が続くと荒らしは深刻な問題となり、活動再開当初は荒らしを挑発するなどの余裕を見せていたlunaも罪悪感を感じるようになり始めた。
更に新手の荒らしが「粉末の妹のsora」のコテハンを使っために、soraはかつてのコテハンを使うことは不可能となった。こうして追い詰められてヒステリックになったsoraは意味もなく村を建てたり、トリップ非公開で参戦しようとするなどの奇行に走り出した。
2017年には、余りの荒しの酷さに粉末団教祖、らっど等の幹部は姿を消し、自分を守ってくれる大切なおにぃを失ったsoraは引退へと追いやられた。引退直前には一矢報いようと荒らしに支離滅裂な煽りを行ったが、逆に自分が受けたダメージの大きさを知らしめ、荒らしを歓喜させることとなった。幹部を失ったにゃんにゃん会議は崩壊状態に陥った。
目標がある程度達成させられたことによりsoraの攻撃も全盛期ほど激しい物ではなくなったが、それでもにゃんにゃん会議の残党を見つければ容赦なく攻撃した。きじとら、けー等は細々と活動を続けたが、かつての勢いはなく、自然消滅した。
こうして、荒らしのsoraは完全勝利を収めたわけだが、それでおわりではない。未だになりすましを続け、鯖へ復帰することすら阻んでいるのである。
大学生のごとくサボりきれるギリギリを狙って投稿するもインフルになって詰んで留年する奴。
喧嘩や奇行を繰り返した挙げ句、周りから鼻つまみものになるのに耐えられず辞めていった気違い。
修学旅行で風呂覗いたの見つかって民事裁判起こされたけど結局中高6年普通に卒業してった不良グループ。
万引きしてヤフオクに流しまくってたら普通に少年院送りになった不良グループB。
割れエロゲの話ばっかしてるからいつもドン引きされてた優等生グループ(なお高校に上がった辺りから急激に成績が下がって皆ニッコマクラスへと消えた)
超絶ボッチのコミュ障だけど勉強はマジで好きらしく成績は上位1桁代で東大にも行ったけど同窓会で誰も名前思い出せない陰キャ。
マンガみてえな奴ら一杯いたけど?
ヤベエじゃん。
そもそも今から20年前、自民党様の小泉閣下With麻生閣下が「今の日本人の数は多すぎるから減らすべき」とか堂々と公言してた政策今も引き継いでるだけじゃん
だから子供一人に教育投資を極振りできる上流階級やパワーカップルやアッパーマス層が貴族教育レベルで教育を施すか、考えなしの底辺DQNが娯楽としてセックスするしかないのでその余波でポンポン子供増やして半グレ化か学生時代の内に将来絶望して自殺か青葉予備軍作ってるだけの二極化をしているわけで
冷静に考えたら、前者に入れるように目指したうえでチャンスが叶えば子作りや結婚を狙うしか普通かやや平均より上の大卒労働者程度の人間は狙える方法がない
大多数の日本人や日本の金持ちや上級国民が持ってなくて、少数しか保持し得ないスキルがあるとかそんなのがあるにしたって、犯罪スレスレもしくは裏稼業的な怪しいグレービジネスやって上流入りを狙うか
それさえない人間はウシジマくんみたいな世界に徒手空拳で半グレやって奇跡を信じて、戦争でも天災でもおこって小〇元首相の祖父とかみたいに言い方悪いがヤクザの犯罪稼業が当たって上がるくらいしか上流階級に入れる方法がない
なのに、自分たちが発達障害や毒親育ちとかそういう奴ほど、異常にハードルが高い虚構の「普通」に憧れるから、そこに付け込んでやれ恋愛工学がとか婚活ビジネスがとかそんなものに惑わされる。
普通に考えたら結婚ができるっていう段階で現代ではもう普通を飛び越えた異常で、結婚できないのが一般国民の「普通」になってるのに、それに狂って最後は青葉コースかポリコレ棒振り回すキチガイフェミになるか、狂って女子高生や幼児を誘拐して速攻警察にとっ捕まるキモカネオッサン化して破滅していく
それなりに賢い普通の増田は、男も女も口に出さないだけで、そこそこ家同士のつながりや共働きの財を合わせて結婚して、子供は育てるとか、セフレ関係でとどめてとっかえひっかえした後消去法で嫁や夫を選ぶ「古い」とか「悪い」とバカにされる方法を取って、承認欲求に狂った発達や毒親育ちの増田が奇行のような試行錯誤を繰り返すのを愉悦をもって見ている
そういう「本音側の残酷な現実側の人間」にならないと、増田や女増田が血涙流して渇望するほどやりたいと思っている刀剣乱舞とかみたいなイケメンや、FGOとかアズレンとか艦これみたいな女子校生とか女子中学生くらいの美少女と付き合うなんてスタートラインに立てないのに
本音と建て前という文化が薄まったから、建前信じて不幸になる奴がいるわけだが、このコロナ禍で犯罪や他者に危害を加えるほど煮詰まった「建前信じた側」の人間が大量に出てきている
いつの時代も、ありもしない青い鳥を追う人間ってのは、他者の食い物にされるんだなと思うと、俺はそういう増田たちが憐れにさえ思えてくる
Q1.どの薬が使われたの?
https://www.info.pmda.go.jp/go/pack/1129009F3060_1_08/
ジェネリックが色々発売されているが、これは2013年12月発売。
いずれにせよ事件時点から今に至るまで、日本の病院でふつうに処方されている。
Q2.特徴は?
A2.副作用として夢遊症状や内服後の記憶がなくなるなどの報告がある。これはアルコールとの併用で起こりやすくなる。「OD」というのは「口腔内崩壊錠」という意味で、水なしで口に入れるだけで溶けてしまうという特徴があるため、今回のような犯行には用いやすい。
夢遊症状の報告。
https://plaza.rakuten.co.jp/hirokohjiclinic/diary/200603260000/
Q3.証言ってどんなだったけ?
店主
22:00頃 1回目のトイレに入った。このとき混入された可能性が高い。
22:30頃 2回目のトイレに入った
酔ってはいたがしっかりとした様子で歩いて退店した
二人で乗り込んで普通に会話
数分で静かになった
「掃除するの、私が汚しちゃったんだから綺麗にしなきゃ」などと言うままにホテル入口へ引っ張られ、
「うわーん」と泣き声
ポイントは、「第三者には意識がないようには見えない」「数十分で症状がエスカレート」「奇行、幼児化」がみられるというところ。
http://ushirotaro.hatenablog.com/entry/2018/05/31/093631
飲酒と睡眠薬を一緒に内服した人による記録。ここで出てくるフルニトラゼパムは、ゾルピデムとまぁ同じ系統の薬。
ポイントは
2.内服2時間後に就寝するまで、妻と会話などして過ごす
3.翌朝、内服25分後以降の記憶がない
というあたり。Q3と照らし合わせながら読んでほしい。
Q5.薬をどうやって混入させるの?大変じゃない?
https://medical.eisai.jp/products/MAX_DT10/
↑これはマクサルトRPDという水なしで飲めるという特徴がある薬を水に溶かしたときの様子。
Q6.薬を混ぜたら色や味が変化しますよね?
ただ、ふつうに処方されている薬なので複数入手することも容易で、何度でも実験を行える。頚椎症を患っているとのことですから、病院で痛み止めをもらうついでに「時差ぼけ対策で睡眠薬がほしい」といえば簡単に処方されるだろう。
Q7.あんなに明るい店内でどうやって混入させたの?
1.事前に薬剤を水に溶かす。量は1錠ぶんでよいだろう。
2.「お弁当に入っている魚型の小型しょうゆ容器なもの」に詰めて、ポケットに忍ばせておく。
3.ターゲットがトイレに入っている間、店員さんの目を盗めばピュっと1秒ほどで混入可能。
Q8.薬物を混入させるなら個室のほうがやりやすいはず。
それはその通りだね。金曜の夜だから2人で個室を予約することはできなかったのかも。
Q9.そんなにうまくいくとは限らない。
それもその通り。混入に失敗したところで性交ができないだけの話。
Q10.店主によれば1回目のトイレ前から裸足で歩いていたとのことだったけど?
「1回目のトイレに入る前から奇行が見られていたと話すよう依頼した」のでは。
そうすることで、「トイレに入ってる間に薬をいれられた」というストーリーを打ち消すことが出来ます。
注目すべきは、本人尋問で「自分は裸足で歩く姿を見ていないが、店主によるとそうだったらしい」と言ったことです。これ、飲酒量についてもそうでしたよね。
つまり、「依頼」したことは「自分は見てないがそうだったらしい」という言い方をしているのでは。
Q11.髪の毛で睡眠薬を検出できる技術がある。本当に薬を使われのならなぜそれを受けたはずだ。
https://www.sankei.com/west/news/181229/wst1812290031-n1.html
夫婦でホームレスの取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為は奇行と捉える人がいても不思議ではない。
現在は夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトのきっかけは妻である私の原体験が基となっている。
20年以上前、新宿駅の地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。
今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌を安値で売る者すらいた。
その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボールの小屋だった。秘密基地の様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であることをうっすらと理解した。
そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである。
これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。
興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネットの検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。
検索結果は田舎のホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。
2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事を支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である。
初めて会う相手に自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去の情報を他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情を配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。
これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦の第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。
A氏はホームレス支援の活動として、インスタント食品や保存が可能な食材、周辺のパン屋、農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動は不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。
我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒、作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。
食材と日用品を仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。
A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。
A氏からのアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。
失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。
(おじさん達の家の棚の写真)
(おじさん達の竈の写真)
(おじさん達の物干し台の写真)
おじさん達は森や河川敷に個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。
ダンボールや古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。
突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。
一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。
それはそれまでの日常では出会ったことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。
自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。
2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。
おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。
このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。
「家がない」ところから「生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。
興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎の河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、
それまでの偏見と先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。
車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。
おじさん達の暮らしは時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。
勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。
家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的な安心があることは否めない。
我々夫婦が田舎の河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。
我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれた生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。
出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ。
ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。
その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活と普遍的で同じであるかという事を探していきたい。
取材を始める前に我々が抱いていたような偏見や先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。
今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心の生活からは程遠い。
不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。
おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。
取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレス」から「不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は
彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間で生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。
いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。
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こちらの投稿のベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります。
筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。
これを描かれた筆者は更に若い中学生や高校生が、社会の偏見でホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。
華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図を勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。
夫婦でホームレスの取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為は奇行と捉える人がいても不思議ではない。
現在は夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトのきっかけは妻である私の原体験が基となっている。
20年以上前、新宿駅の地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。
今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌を安値で売る者すらいた。
その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボールの小屋だった。秘密基地の様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。
そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである。
これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。
興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネットの検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。
検索結果は田舎のホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。
2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事を支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である。
初めて会う相手に自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去の情報を他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情を配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。
これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦の第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。
A氏はホームレス支援の活動として、インスタント食品や保存が可能な食材、周辺のパン屋、農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動は不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。
我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒、作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。
食材と日用品を仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。
A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。
A氏からのアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。
失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。
(家の写真3枚)
おじさん達は森や河川敷に個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。
ダンボールや古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。
突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。
一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。
それはそれまでの日常では出会ったことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。
自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。
2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。
おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。
このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。
「家がない」ところから「生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。
興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎の河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、
それまでの偏見と先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。
車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。
おじさん達の暮らしは時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。
勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。
家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的な安心があることは否めない。
我々夫婦が田舎の河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。
我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれた生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。
出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ。
ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。
その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活と普遍的で同じであるかという事を探していきたい。
取材を始める前に我々が抱いていたような偏見や先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。
今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心の生活からは程遠い。
不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。
暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。
取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレス」から「不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は
彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間で生活する力を持つ、普通の人々である。
いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。
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こちらの投稿のベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります。
筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。
これを描かれた筆者は更に若い中学生や高校生が、社会の偏見でホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。
華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図を勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。
これを読んで【https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-54805079】陰謀論自体はあーそうなのね、という感じなのだが、「でも、うちの家族で続くとんでもない事態は……それはいつまでも残ります」って言葉が身に染みた。
妻が病気だったんだけど、妻の実家から陰謀論をずっと聞かされて(病気になったのは御祓に行かなかったからだから始まり、妻の奇行は病院に暗示をかけられているからだなど)、正直、心が疲れた。無視したらいいんだけど、そうは言っても義理の家族なので、なんだかんだやりとりはある。雑談するとそういう話ばっかりになるから、なるべくビジネストークしかしないんだけど、こちらの気持ちはわかってもらえないようだ。
個人的に理解できないもの・わからないものに対する恐れという感情は理解できる。私もホラー映画が怖かったり幽霊が怖い(どっちとも自分に危害がないのは分かっているけど)。ただ、その恐怖を陰謀として処理してしまうことはほとんどの人はやらない。陰謀論を話している人は自分ではない人の責任になって幸せなのかもしれないけど、周りの人間は疲弊し、心が淀んでいく。義理の家族とかだと辛いね。
いらないから本当にやめてほしい
急に都合が悪くなって、参加できなくなったらまだしも、最初から全力でスルーして全く触れてないのに、イベントの企画について意見を聞いてきたり、写真を送ってきたりする
迷惑。
そういうことをする人の頭の中が知りたい。
どういう思考回路で、そんなトンチキな行動をする?
というのがあったので…
どういう発想で、その人が私がそのイベントに興味があると勘違いしたのかが気になって仕方ないので、この記事を書いたところがある。
ちなみにイベントはSNSで広く募集していたが、私は、いいね!も何も反応せずスルー。触れたこともない。
私なら間違っても、そんな行動は起こさないのに、どうしてそんな奇行に走ったのかが謎すぎて、気味が悪いし、困惑してる
今後同じ目に合わないように、私に悪いところがあるならできる範囲で直したい
当方、躁鬱持ち。寝つきが悪く、睡眠導入剤の「マイスリー」を服用していた。
症状が安定していたので、躁鬱の薬(ラミクタール)を半分にすることになった。
しかしこの減薬以降、マイスリー服用後の奇行が目立つようになる。
まず、新海誠が好きな友人に、3000字くらいの長文で『君の名は。』の感想を送った。
文章は支離滅裂。狂気を感じる。一応、日本語として意味が通ってはいるが、まるで要領を得ない。
「ままごとの果てのハンバーグに、神聖性を感じるというのかい?」とかいう調子だったと記憶している。
しかし、新海を敬愛する友人に対しては失礼すぎるくらいに、激しいトーンで新海を非難してしまった。
後日、「あれは不愉快だった」と苦言を呈された。
男女がらみでも失敗した。長年来の異性の友人がいる。
今まで何度か近場の旅行に行っており、今回も行きたいと提案していた。
しかし、向こうの返事から察するにあまり乗り気でないようだった。
私は流れをぶった切り、どうしても今回行きたい!お願い!付き合って!との旨のメッセージを連投した。
翌朝スマホを見返し、自分のメッセージのキモさに血の気が引いた。
だいたいの場合、目覚めた直後は、前の晩にやらかしたことを覚えていない。
LINEなどの物証を確認して、「そういえばそんなこと送ったか」と思い出す。
その時点で記憶が回復はするが、記憶の確かさは非常に薄いままだ。
あまりにも嘘偽りなく、感情を開陳してしまう。受け取った相手がどう思うかと考えた形跡がない。
それでも、服用後に電源をつけて思いついたことを送ってしまった。
文章を書いている最中は「自分は至って正気だ!」と信じているのが恐ろしい。
躁鬱の薬を減らして抑制作用が弱まったところに、抗不安作用のあるマイスリーが効きすぎたのではないかとの見立てだった。
こういうのざっと見ていて思うし、俺も珍獣ウォッチングをしていて思うけど
願望だけは一人前にあるが、他は大人になれるほどは発達していない感じがある
もう社会人として働いて常識身につけなきゃ行けない時期に、まだ女子高生や創作の美少女のような気分や願望を異性に向けようとして、求める
ITエンジニアだとか若い内だからで使われてる根本的に枯れていく才能だけで仕事をして、本質的に努力ができないからアピールは、すべてお手軽なものばかりだ
普通の女性は男性がいろんな場所のデートコースを確保してホテルとか予約し、車で連れて行ったりするのに抵抗なく合わせるのに対して、非モテの女性は全てを池袋腐女子ロードとか秋葉原の一角で済ませてしまうのもよく見かける
行動半径が中学生レベルなんだけど、財力のアピールはどうだろうか?
行動範囲が狭くて好みの幅が極端に狭いから稼いでる割には異常にケチである(ように見える)ことが多い
そんな彼女たちがすることといえば、ネットフェミナチになってポリコレ棒振り回して、悪目立ちでも異性の気を引いたり、ワンチャンかけて社会風潮を変えようと奇行のような暴走を繰り返す、要は全てが努力なしで出来る、小手先のことばかり
女性らしさや、自分たちが出せる物でアピールできない非モテ女性は、今度は性格の良さをアピールしようとするが、それも致命的な世間ズレを起こして常識がないので気持ちの悪いことしかできない
そのくせ創作のアニメやゲームのような純愛や青春恋愛に憧れて突撃しては枕を並べて討ち死にを繰り返す、そしてフェミに狂ってポリコレ棒を振り回すフェミナチ怪人になってますます異形化していく
男とか特に言われるけど、女性にも当て嵌まることだが気持ち悪い人は対人感覚がおかしいので、恐怖を感じることも引かれる理由だと思う