はてなキーワード: 変人とは
似ていると言われる動物はチャウチャウ、ナマケモノ、カピバラ。(同じくらい可愛いかどうかはわからない。参考程度に)変な服を着てても何も言われない。話題は選ぶ必要があるが、趣味丸出しの内容(一応何も知らない人のためにわかりやすくする)を話しても面白い話題として、普通に話しても話し方が特徴的らしく大体喜ばれる。素で変な女として扱われている。そして、その扱いを普通に受け入れている。陰で悪口を言われているかどうかは不明。
少し前までは周りとうまくいかないことがあったが、成長して無害な変人になった。正真正銘の無害かは判断できないので注意しないとならない。女からも男からもsyamuさんみたいな扱いをされるが喜ばしいことだと思っている。
俺はずっとアジカンが嫌いだった。
きっかけはリライトがヒットしたあたりからソルファ借りて一通り聞いたけど、「ナンバガイースタンを大衆向けに書き換えただけじゃねーか」という感想以上のものを持てなかった。
ナヨナヨしたメガネの変人がフロントマンやってるのも先人のバンドをなぞっただけのような感じがして嫌いだった。似たようなバンド、00年代ごろは鬼のように流行った気がするんだけども。
というか、アジカンが流行り出した頃はキューンレコード自体が丸ごと嫌いだった。キューンのバンドのやつら、どいつもこいつもアニメのタイアップばっかりやってヒット目指そうとしてるのが気に食わなかった。もっと曲で勝負しろや!タイアップなんかやるんじゃねえよ!って思ってた。
でも上記の感情、全部若気の至りだったよ。学生の身分で流行り物が全部嫌で、流行っているものに群がっている人間を見るのも嫌で、流行っているものに影響を与えているバンドだったりミュージシャンみたいなものを「今流行っているものはこいつらが先祖なんだぜ」って気持ちを雑にmixiに書き散らかして優越感に浸りたいだけの学生だった。
別に積極的な理由で流行り物に対して嫌っているわけじゃなかったけど、なんとなく右へならえでみんなが好きなものをみんなと一緒に好きになるのが嫌だっただけなのかもしれない。
でも自分でなんか曲作ろうとかバンド組もうとかなんかしようとかそういう感情も一切なく、ただ流行り物をdisるだけの腐った学生生活を過ごしていた。
その後就職して仕事をしていると大人になったからなのか暇がなくなってしまったからなのか、おおよそロキノン系ロックの細々したヒットチャートに一喜一憂することもなくなった。流行り物の曲も「こういうのが売れてる曲なんだ」っていうのを学習する機会として割り切るようになった。キューンが散々アニメタイアップでバンドをヒットさせようとしてたのも「生きるためにはまあしょうがないよね」ってなんとなく納得するようになった。後藤が原発関係でなんか言ってた時も「政治に口出せるほど偉くなったもんだねえ」「エレキでジャカジャカ電気使って音楽やってんのに脱原発エコロジー標榜してんのか」と内心冷めた目で、でもそういうことをTwitterとかはてブとかに書くこともなく淡々と生きていた。
https://note.com/gotch_akg/n/n6352512c4041
現場に積み上げられてきた熱意。そして、そこにある人生。一方で、自分がよく知る切実な思いとその活動が乱すかもしれない公共衛生。飛び交ういろいろな言葉を前にして、グワグワになっている。
だが、久しぶりのリハーサルのたかだか数時間で、自分が生き返ることも実感した。心の底から、これだ!という実感が溢れ出て、全身をめぐった。エゴイスティックな音楽への欲望が俺には少なからずある。
まずミュージシャンがmixiやアメブロじゃなくnoteで一言ぶち上げる時代の変化に驚いたけど、「オリンピックdisっておいてこの文章かよ」っていう原発のころとなんら変わらないダブスタな政治信条を見せられて、落胆と安堵が入り混じった感情になった。もうこの文章だけ読んだらオリンピックに出るアスリートが書いてんのかフジロックに出るミュージシャンが書いてるのかわからないもん。
まあ分かるよ。ライブなんてコミケやお祭りと一緒で現場で臨場感出さないと客は財布の紐を緩めない。運営もミュージシャンもそういうのわかってるし生活立ち行かないからライブやるんだって。でもオリンピックdisっといて自分のイベントについては日和った感想しか出てこないところが、やっぱり嫌いだなあって思っちゃった。
さっき安堵って書いたのはそういうことだと思う。自分がずっと嫌いだったものを改めて引き続き嫌いでいさせてくれる。
でもこの文章もソルファ聴きながら書いたし、意外といい曲多いのでYouTube Musicでアジカン、気が向いたら聴くよ。だから頑張ってください。
素で話していると、変人に扱われる。https://comic-days.com/episode/3269754496402490831
この漫画でいう変人が一番近い。違うところは偽りではないことだ。どこがおかしいかわからないがそう扱われる。でもそれが一番楽だ。話の内容が面白いと言われる。特徴的だと言われる。そうい流だけで人が寄ってくる。少し倫理的じゃないことを言われたことはあるけれど、すぐに忘れる程度ことだ。
だけど不安なことがある。ずっとこの立場に甘んじていると成長できないのではということ。常識がわかるということは生きながらあるのに役立つ。後、老後にこのキャラのままいけるのかということ。おばあちゃんなら行けそうだけどおばさんだとどうなるんだろう。いや、成人女性が一番きついのかもしれない。少なくとも常識を知って損はないとTwitterとかの愚痴垢とかで確認しようとしてる。
小山田米呂のエレキングのコラムなんだけどさ、これ今年2月にアップされたもので、トランプ支持者のミュージシャンが主題で、だから今回の騒動についてや彼の父についてのものでは全然ないんだけれども、以下の引用箇所の部分とか、「あっ、これって……」って色々考えさせられるよね。
http://www.ele-king.net/columns/regulars/whatsinmyplaylist/008025/
それでも僕はArielがレイシストであれど彼のレコードに罪があるのか? 2009年に天邪鬼な変人オタク野郎を〈4AD〉と世界が受け入れただけで彼自身は子供の頃から何も変わって無いような人で、そこがみんな好きだったんじゃないの? とも思ったり。 ただ、変わったのは僕らでArielのレコードはいつも変わらずそこにいてくれる。
このAriel騒動だけじゃなく、好きだったアーティストが突拍子もないことして幻滅なんてよくあることで、僕らは所詮自分から見た彼らしか見れないから、僕から見たAriel、友だちとしてのAriel、息子としてのAriel、アーティストとしてのAriel、Arielの自意識、と全部彼だけど彼じゃない。そしてArielの曲はArielだけどArielにあらず。これはアーティストや芸能人に限らず身近な存在にも適応すると思う。だからArielの政治的な態度は受け付けなくて批判しても、彼の曲まで嫌いになる必要は無い。そうやって考えると誰かを嫌いにならなくて済むんじゃないかと思った1月でした。罪を憎んで人を憎まず。アリエルのバカヤロウ!
ブクマ数が10~15ぐらいになると優しいトラバが出てくるのよ。
共感を示したり、励ましの声をかけたりね。
そして最上級なのは、その優しいトラバに元増田がお礼を言ったり謝罪をしたりとなるやつね。
あと100を越えるようなのはダメね。何の感動もない。とてつもないしくじり感が襲ってくる。そうなったときは大いに反省をする。
広角レンズを使うカメラマンの写真を採用する編集と何も変わらないね。もっとよく読み込んで自分がブクマをしなければ人の目に触れさせることは減らせたかもしれないのにってね。
ちょっとした気持ちで元増田が吐露した心のうちに対して、優しいトラバをする人、励ましのトラバをする人、これは尊敬に値するね。
中には攻撃的な増田もいるわけだ。しかしトラバで諌められて謝る元増田を見れたときはたまらないね。
なぜならこれを見極めるのは難しいからだ。攻撃的な増田がひたすら喚き立てるのを見るのは辛いものがあるからね。
尊敬に値する増田のおかげで世の中のどこかでちょっとだけ何かが変わったかもしれないと想像すると気持ちいいね。ただの妄想と自己満足でしかないけど。
でもテンプレ展開しかない小説や漫画を読むよりはおもしろいよ。
増田たちが繰り広げるドラマに、ファーストブクマという自分自身の関与があるわけだから。
やっぱり変人だね。
妻の職場と子供の保育所が近いので、仕事帰りに妻が子供をお迎えに行く。
最近は夕方でも外は明るいので、子どもが帰ってきてからたまに子供と近所を散歩している。
すると、近所で同い年くらいの子供を連れたママさんが散歩していて、子ども同士もお互いに興味を持っていたようだったので、そのまま一緒に散歩をすることになってしまった。
正直、鬱陶しかった。
もう変人と思われてもいいから、話しかけるなオーラを出して、ママさんから話しかけられない限り、こちらからは話をせず、子どもの相手に集中することにした。
もうついてくんなよ、気を利かせてどっか行けよ。こっちはいつもの子供の散歩コースを歩きたいんだよ。
向こうの子供も、いつもの散歩コースと違うから、どっち行くの?って俺に聞いてきてるだろ。
というか、向こうも子供のためにしかたなくキモいおっさんと無言で一緒に歩いてんだよな。そう考えると、もう本当にうんざりする。
別にママさんだから嫌なわけじゃない。パパさんだったとしても同じだ。
相手がパパさんだったら、"こいつ全然話しねーつまらねー奴だな、コミュ障か、ああ気まずい鬱陶しい、でも子供のためだし、ご近所付き合い拗らせたくねーししかたねーな"、って思われながら一緒に歩きたくねーよこっちだって。
俺は子供と二人で、あーだこーだ言いながらのんびり散歩したいんだよ。でも子供にとっては同い年くらいの近所の子供と一緒に散歩できた方が刺激があっていいのだけど。。。
自分が子供の送り迎えをすることも結構あるのだけど、たまに保育所でも子供が仲良くしている子供のママさんから話しかけられて、正直鬱陶しい。
妻の職場と子供の保育所が近いので、仕事帰りに妻が子供をお迎えに行く。
最近は夕方でも外は明るいので、子どもが帰ってきてからたまに子供と近所を散歩している。
すると、近所で同い年くらいの子供を連れたママさんが散歩していて、子ども同士もお互いに興味を持っていたようだったので、そのまま一緒に散歩をすることになってしまった。
正直、鬱陶しかった。
もう変人と思われてもいいから、話しかけるなオーラを出して、ママさんから話しかけられない限り、こちらからは話をせず、子どもの相手に集中することにした。
もうついてくんなよ、気を利かせてどっか行けよ。こっちはいつもの子供の散歩コースを歩きたいんだよ。
向こうの子供も、いつもの散歩コースと違うから、どっち行くの?って俺に聞いてきてるだろ。
というか、向こうも子供のためにしかたなくキモいおっさんと無言で一緒に歩いてんだよな。そう考えると、もう本当にうんざりする。
別にママさんだから嫌なわけじゃない。パパさんだったとしても同じだ。
相手がパパさんだったら、"こいつ全然話しねーつまらねー奴だな、コミュ障か、ああ気まずい鬱陶しい、でも子供のためだし、ご近所付き合い拗らせたくねーししかたねーな"、って思われながら一緒に歩きたくねーよこっちだって。
俺は子供と二人で、あーだこーだ言いながらのんびり散歩したいんだよ。でも子供にとっては同い年くらいの近所の子供と一緒に散歩できた方が刺激があっていいのだけど。。。
自分が子供の送り迎えをすることも結構あるのだけど、たまに保育所でも子供が仲良くしている子供のママさんから話しかけられて、正直鬱陶しい。
小学生の時はガールズトークに花を咲かせて、輪に入れない子を作って安心したかった。
中学校に入ったらそれなりにニキビに悩んだり受験に悩んだりしたかった。
大学入ったら一人暮らししてブスな彼氏作ってイチャイチャしたかった。
定型なら体力あるから適当なところで正社員になって、ディズニー遊びに行った次の日に会社であくびしながら同期とお喋りしてみたかった。
発達障害っていうと「障害」が入ってるけど、ブスはただのブスだから羨ましい。
後ろめたいことなにもない。
ブスっていうのもなかなか辛いんだと思うんだけど、毎日くたくたにくたびれて第一印象良いのにどんどん変人扱いされるよりマシだと思う。
ブス羨ましい。