はてなキーワード: 墓石とは
もちろん遺体の焼却はさっさとしないとだが、初七日とか四十九日もぴったり7日や49日でやらないんだし、拘らなくてもよいのではと思う。
式を執り行うことに意義があるだけで、そこに遺体は必要なのだろうか。
墓石がない墓が一般的だし、六文銭も最近はただの紙だし、そろそろ遺体レスの葬式も発案できると思うのだが。
数人分まとめてできる分、葬儀費用は安くなるだろうし、式場や寺も計画的な業務が出来るようになる。
婚姻届は24時間いつでも受付ていても、結婚式は「明後日やるからよろしく!」なんてことはない。
葬式ももう少し考えたらどうか。
追記
創価学会は葬式が安いらしいが、その他の機会に吸い取られるし、クリスチャンだって毎週教会に通ったり、なにかの折りに寄付をしたりと、どんな宗教でも金はかかる。
普段なにもしないぶん金で解決、まあそれも宗教というものを守るために仕方ないじゃないか。
無神論者だけど、この世に宗教がなかったら殺伐としてると思うから、金は払うよ。
よくNHKが言う公共放送を維持するために受信料、みたいなものかと。
(あれは納得出来ないが)
現代の我々は、盆になれば墓石に水をかけ、手を合わせているが、その行動自体は無意味だと知っている。
死んだ人間に意思などなく、故に墓に参ったところで喜ぶこともないと理解している。
極楽も天国も煉獄も地獄もなく、最後の審判も閻魔様の裁きもないとわかってしまっている。
正確に言えば、ずっと前から、みんなそんなことはわかっていたのだろう。
ただ、わかっていないふりをしていただけで、いずれはそのふりもやめるのではないかと思う。
どんな人間もいずれ死に、その心が消えてなくなるというのは、ある意味で救いでもある。
しかし、現代の日本では、それが悪い方向にばかり影響している気がする。
家族を作ったところで何の救いにもならない。
そして、宗教がその説得力を失いつつある今、これに対抗するための代用品も存在しない。
ただ、その辺を深く考えても仕方がないから、努めて触れないようにしているだけである。
この界隈に詳しくないので、どういう仕組みでやるかは予想もつかないが、
いずれさらに発展する技術で個人の人格を仮想化し、ネットワークに送る。
言わばバーチャル死後の世界というべきものを構築するのである。
現実の人生に生活費が必要なように、仮想世界の生活にもいくらかの維持費が必要だろう。
そして、生きている間はなんだかんだで政府が面倒を見てくれるが、
死後はそうもいかないかもしれない。
あの世の沙汰も金次第である。結局、頼れるものが己の金(と子供)だけとなれば、
金を稼ぐ気にもなるというものだろう。景気回復の一助になるかもしれない。
何より重要なのは、システムの維持には未来世代が文明を永続させること、
そして、彼らの手と意思により、自分たちの存在を維持してもらう必要があるということだ。
子供がいなければ将来の担い手もいなくなるのだから、少子化も一気に解決である。
現代の日本では、人がなくなったら火葬して遺骨を墓に埋めるが、カニバリズムの世界では、人がなくなったらまず臓器移植可能かどうかの検査が行われる。これは無償だ。国から金が出る。そのかわり、国民に臓器移植拒否はできない。検体と相性の良い患者がいれば移植される。次に、へんな病原菌を持っていないかを検査する。そして市場に人肉として出荷される。これは、亡くなった人の志をみな喰って繁栄していこうぞ、という思想からだ。無論、富裕層であれば市場への出荷をせず、買い取ることはできるが、倍以上の値段を支払わなければならない。墓石を購入する必要もないし、魂はこうして脈々と様々な人達に受け継がれて行く。経済的だし、老後の葬儀代など気にせず、目一杯経済に投資することができるため、どんどんと発展していくのだった。
お墓は段原の方にあって、盆の時期は墓参りにいつも行くのですが
墓石の下には、当時中学生で学徒労働で働いていた先の工場で被爆して
やはり、祖父母の口は割と固くて増田のようなエピソードも碌に聞くことはなかったのですが
それでも忘れなれない話がいくつもあります。
先の大叔父がお手伝いさんの大八車で大洲の別宅に運ばれた先で息を引き取ったときの状況
爆風で校舎の窓ガラスが割れてしまったので座布団を廊下に敷いて歩いた話、
避難者の母親の背中からハサミで亡くなった赤ちゃんが皮膚に癒着していたので切り離した話……
そう聞くと、増田さんのように哀愁が入り混じった8/6になるのでしょうが
俗っぽい話もその陰で聞けたのが自分の幸いでしょうか。
大祖父が囲っていたお妾さんの家族ごと広島駅裏の家からいなくなったので
兄弟が多々いて一波乱あってもおかしくなかった財産の相続がすんなりいったことだったり、
戦後の混乱をボンボンとして過ごした祖父は、そのまま学友として遊びたかったので
広島大学の大学院を復興するために生徒が欲しかった先生等と裏で手を組んで
家業を継ぐこともなく、まだ暫くは遊んでいた話とか……
(その学遊が仕事にやがて繋がったらしいですけど。。)
逞しく生き抜いていった人たちのことも同様に語られるべきですよね。
それでは黙祷を。
先日親類の墓参りに行った。
新しめの霊園で、その親類の墓は
自分にとっては一般的な「○○家代々の墓」ってタイプのだったんだけど
「絆」とか「感謝」とか書いてあるのをちらほら見かけて面食らう
誰がこんな墓にするんだろう。洋式墓ってなんかモダンでいい感じ
それにしたって「絆」とか「感謝」って、J-POPじゃないんだし
今どきは墓までキラキラかよと、正直心のなかで思った。
今まで「死」という現象を全く意識してなかったんじゃないのかなあと。
で、突然我が子の死に対峙して色々悩んで泣いて悔いて責めてとか色々あったんだろうと、
でも、主に時間的な、次に予算的な数々の妥協を受け入れていく中で
どこにでもある何者でもない感じで切ない
我が子にオリジナリティのある命名をしたつもりが
常日頃から思っていたけど、墓というのも
とても恐ろしい。
自分の死んだ後ってのも気になるんだけど
それよりもまず、親しい人たちを今後どう見送るべきかってのを
ある記事がきっかけになって、Twitterアフィリエイト"谷"の人たちと議論できたので、その感想を書く。
主に、ブロガーとアフィリエイターのその思考法の違いと、今の印象をセールに出かけるまでの30分という時間制限を設けて書いてみようと思う。
僕はブロガーだ。
だいたい1日あたり3000UU、10000PVくらいのブログを運営している。ライターや管理は僕一人で全て運営している。
もちろん本業は別に合って、ブログは趣味の延長線上、というよりも語りたいことや書きとめたい事、勉強したい事がまず先にあってそこから書き始めた。
サラリーマンだし1日に数回更新するほど暇ではなく2日に1回のペースが限界、それ以上書こうとすると各記事の情報が薄くなるのが嫌だからだ。
とあるアフィリエイターさんのブログを見て少しだけ不快な気持ちになり、Twitterでメンションを飛ばしてしまった。今思えば反省しているし、絡む必要性もなかった。読み返せば「会社の飲み会で正論吐くオヤジ」みたいな感じだった。
アフィリエイト谷の人たちが数人、僕とのやりとりをRTしたり、エアリプしてくれたりしたので彼らの思考法がわかった気がした。
1:アフィリエイターは商売でやっているのであり動機はまず利潤である。だから「商売の案件」が主であり、書きたいテーマは従となる。
2:商売の案件が先なもんだから、自分の経験・知識は当然不足する(銀行&証券など本業ドロップアウト組は除く)。、なので外注ライターを雇うか、他のサイト・図書館で得た知識を「リライト」して補う。
3:小奇麗なサイトに仕立てて、Googleのアルゴリズム「いっぱいリンクをもらえれば、検索上位に上がる」を使って、無料ブログやらかつて人が使ってて放棄されたドメインを買ってリンクを作成する。
4:見事、キーワード検索上位に上がれば成功。あとはそのサイトから購入してくれる人が来るのを待つ。
まぁざっくりいえばこんな感じだろう。
3については、去年Googleのアルコリズムが大きく変わった上に、アルゴリズムではなく、手動で排除することが多発したこともあって今は少し違ったことをしているかもしれない。
1:書きたいテーマがまず主であり、もしアフィリエイトリンクを貼りつけるとしても、それはブログの記事に沿った案件があれば、という従になる
2:書きたいテーマが先にあるから、知識や専門性、経験がゼロから始める人はすくない。その知識がある程度あるところからスタートする。「ブログで飯を食う」ってのが大抵ダメになるのは、専門性が無かったり文章力が無かったりするから。だいたい8割はここで脱落し、放置されたブログはそのうちだれも振り返らないネットの墓石となる。
3:Googleの検索上位に上がってくれればうれしいけど、特定のキーワードで上位ってのは目指したこともないし発想したこともない。せめて、自分のブログ名で一番上には立ちたいけど。
4:自分のサイトで知識を得てもらい、自分の思考法や考えている種を読者に植え付けることができれば成功(なんとなくインセプションみたいだな)。
5:収益がないと継続的モチベートにならんので、アドセンスは貼るけど、内容は自分がコントロール管轄外のため、好きなことを書くことができる。
ということで、この考え方のズレが最初に述べた「会社の飲み会で正論吐くオヤジ」みたいなメンションになってしまったのだ。
僕にはアフィリエイターの思考は自分の範疇外だったが、考えてみれば、アフィリエイターの思考1~4は別に悪いことでもなんでもない
1:利潤が世の中の進化を促す。利潤が動機でない方がかえって怖いこともある。よって、全面的に賛成
2:知識を得てからでないと書いてはいけないわけではない。外注ライターだろうが余所のサイトからだろうが、知識の総量を増やしていることにはかわらない。
3:Googleは私企業であり、彼らは公正公明な存在ではない。強大過ぎる彼らの力をほんの一部使う「軒先を借りるビジネス」はどこの業界でも成り立つのであり、すべてのサイトを人力でランク付けできない以上、公開されているアルゴリズムの裏を突くのは当たり前である。また検索上位のサイトとは、人通りの多い通りに面した一等地にあるお店なのだろう
4:背中を押すことは悪いことじゃない。世の中公平な情報は無料では買えない。サイトを無料公開している以上、文句を言われる筋合いは無い。
うーむ、やっぱり僕が間違っていました。絡んだ方、すいません。
・お金が欲しくてブログをやってるわけじゃない。でもお金は欲しい。よって彼らの思考法やセンスを学ぶ必要があるのだろう。
・しかし、気前よく出してくれる広告主と読者(≒顧客)の利益は相反することがよくある。自分でよく選ばないとむしろ今までの読者の期待を裏切ることになる。これが怖くて、クロージングができないブロガーはたくさんいると思う。アフィリエイターが作るサイトは顧客と一期一会かもしれないが、ブログは定期的に見に来てくれる読者と接点を持ち続けているため、なかなか踏み込めない。
・アフィリエイターはネットから収入を得るのが目的とした場合、従来のビジネスより格段にリスクが低いといえる。一等地は賃料が高く門外漢がお店を出しても儲からず破たんすることが多いが、ネットだけで完結するビジネスはコストが安く、スモールであるかぎり成立することが多い。
・アフィリエイトだけが利潤のチャンスというわけではない。ブロガーは、「本を書く」「講演をする」「メディアに出る」「ブランド化してリアルビジネスに踏み込む」というexitもあり得る。全くの裸一貫より自分のブログ、ブランドを持っている方が圧倒的に有利だろう
・「リアルビジネスに踏み込む」ってのはいま書いた通りリスクが高い。もちろん期待利潤も高い。でも、今年は「本を書く」ってのがまずは目標だろう。
ここまで30分。ご清聴どうもありがとうございました。
なぜこんなタイトルにしたかというと、ぼくが現世で消耗するのがイヤになって、来世に転生することにしたからです。さようなら現世、こんにちは来世!
今の時代、クリエイターにとって「転生する」という選択肢は、キャリアにポジティブな影響を与えると考えています。
ぼく自身、現世を卒業するのは、さらなるキャリアアップのためです。「現世から逃げる」という意味合いもありますが、どちらかというと「さらに成長するため」に、転生という選択を決断しました。
なぜ転生が成長につながるか。ぼくらクリエイターは、外部から与えられる刺激によって、アウトプットが変わっていくわけです。現世で仕事をするかぎり、「現世的なもの」しか創れません。ぼくはもう現世的なものは把握できたので、また違う環境から影響を受けて、そこで何が創れるかを模索したいのです。
最後に営業。そんな感じの生活をしていきますので、共感する方はぜひこちらの天然みかげ墓石を購入いただき、パトロンとしてご支援ください(設置費用無料)。利用者が増えれば増えるほど、救世実験の幅が広がります!無料版(共同墓地)の利用も超嬉しいです!
友人が亡くなって通夜に行ってきた。身内でも近年に二度ほど葬式を出しており、香典の額について思うところがあったので、少し書いてみたい。
「香典 相場」とかで検索すると、3000円くらいから、と書いてあることが多いと思うが、多くの場合、正直これは間違いだと思う。故人を悼む気持ちは金額では計れない。だけど、本当に遺族のことを考えるなら、5000円は包むべきだと私は考える。
飲み会の出費と比べることが妥当かどうかわからないが、私個人のことを考えれば、そうした機会での出費を考えても、ここで2000円分少なく出すことの意味があまりないと言える。
なぜ最低5000円はあった方がいいと言ってるかだか、それは香典返しを考慮してのことだ。どこの葬式でも同じ仕組みなのかわからないが、私が経験した葬式では、葬儀業者が用意してる金額別のいくつかの選択肢から選び、実際に出払った数を後から精算する方式だった。結婚式と違い、出席者の数が読めない葬式では、確かに後から精算の方が合理的なのだろう。
葬儀会社の方で用意してた香典返しの最低金額がいくらからだったがきちんと覚えていないのだが、2000円くらいからだったように思う。想像できると思うが、こういった金額の選択肢がある場合は、最低ランクのものは明らかにみすぼらしかったりして、大体ひとは下から二番目とかそれ以上のものを選ぶことになる。
私の身内の場合、1つは3000円の少し上、もう1つは3000円の少し下くらいだった。香典返しの額が3000円を超えている場合、3000円の香典額の弔問客が来るたびに赤字が発生していくことになる。
葬儀の場で損得勘定というのもこすい話かもしれないが、何の準備もなく葬儀を出すのはなかなか用要りで、遺された家族の生計だったり、墓地墓石の費用なんてものがかかる場合も考えると、故人のお悔やみに行って、故人の家族の経済的負担を増やしてしまうのは、私としては本意ではない。
というわけで、二度の身内の葬儀を経験した私は、その後は香典を出す機会がある場合は最低でも5000円にしている。香典返しはいただかずにお気持ちだけいただいて帰ることにしている。
最後に結婚式と比べた場合の、葬儀の特徴について書いておきたい。結婚式の場合、大抵は準備期間がそれなりにあり、手間をかけることによって、逆に費用は抑えた式を挙げることもできる。ところが、葬儀の場合は多くの場合、故人が亡くなって始めて手配を始める。結局準備期間がないということは、かなりの部分を葬儀業者にまかせることを意味する。
おしきせの葬式はしたくない、葬式は身近な人たちだけに静かに見送られたい、多くの人がそう思うと思う。しかし、実際にその時には、そう望んでいた本人は物言わぬ帰らぬ人となっており、「地味葬」を、という遺志があったとしても、死んでからはそれを準備する時間ない。
なので、なるべく葬儀屋の手を借りず、慎ましやかな、でも心のこもった式にしたい、という人は生前からの準備が必要である。ただ、かくいう私も口ばかりで何の準備もしておらず、明日明後日に死ぬことがあれば、葬儀業者の用意したパッケージに従って、「普通の」葬儀をせざるを得ないだろう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
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我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
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周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
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旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
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我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
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戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
ならば早くこの人のようになればいいのに。
今35才なんだが、コイツは16才以降、今まで檻の中に居た時間の方が長い
小・中と、ひどい虐めを受けて、ある日突然キレて生き方を変えた奴なんだが
本人曰く「また、正月前には自首予定」、、、似たように虐められていた他の仲間達が
「もう20年以上たってるんだ」
「もうやめてやれよ」etc
言っても聞かない
何か壊れてしまって
昔虐めていた連中に徹底的に粘着して復讐することが
ケラケラ壊れたように笑うのが怖かった。
お前等が虐めてた過去は、忘れもせず水に流しもしないが
柴田の墓石たたき壊して、骨壺にウンコかけるなんてまともじゃねぇが
止めようもない。
ひき逃げ(4年半)
いたずら電話
嫁と息子、娘への○○○ (5年)
今3人は、何処にいるかまで調べてる
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20101029#p1
たしかに2chではそうみたいですね。
創○学会は確実にやってると思います。
が、大本は別の団体がやってるんではないかな?
という気もしてます。
という可能性はないのか、と考えると
という手法を
取り締まれる法律なりなんなりが
できてほしいなぁ、というのが本音です。
3割になりたくない。。
2chも、色々黒い噂もありますしね。
ほのめかしだったんですよ。
気のせいと言われたらそれまでなんですが、
勤務態度などあまりにも、ということが多くて。
学校裏サイトでの悪口みたいな感じだったのかな。
てか、そういうことを従業員の前で言うなよ)
IT系の人に自殺者が多いのは、
ひょっとして例えば国のシステムなどを受注して、
知っちゃいけないことまで知っちゃった人がいるからでは、
とか、いらない邪推までしました。
まぁ、インターネット介して直接加害してくれれば
証拠が取りやすいし、訴えやすいしで
逆にありがたかったりもするんですが。
この被害にあいはじめてから、一番怖かった(かつウケた)
昨日の記事、反響いただいていたみたいなので、
(ありがとうございます)
いくつか関連アドレスおいときますね。
ttp://segastalker.web.fc2.com/sega_ex1.html
ttp://resistance333.web.fc2.com/newpage4.htm
ttp://ameblo.jp/azarashi5/entry-10476227166.html
ttp://mrsmaruko.blog78.fc2.com/blog-entry-5.html
病院での出来事:
ttp://aquarius-love-33.at.webry.info/201003/article_3.html
ttp://antigangstalking.join-us.jp/#Sec00
死亡した被害者:
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ino_medaka/12971188.html
ttp://web.archive.org/web/20070425024748/www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/atc/final_document1.htm
「涙が出るくらいくだらなくておもしろい」
と一時期再評価されたことがありましたけど、作品そのものは当然おんなじなんですよ。もう発狂しそうなくらいつまんないんです。おもしろがってやれ、と妙なベクトルからアプローチして観るから再評価できただけであってね。封切り当時は劇場で暴動が起こったらしいですから。あんまりな内容に(笑)つまらないものはやっぱりつまんないんですよ。墓石がボール紙なんでちょっと俳優が動いたら自然に倒れたりとか、椅子とカーテンしかない飛行機操縦席とか机と無線機しかないUFO司令室なんていう安物のコントみたいなセットの前で俳優が棒読みしてるとかね。んで集音マイクが影でしっかり映っているという(苦笑)墓場から出てきたゾンビが延々2時間近く盆踊りを踊るだけだとかね(爆笑)
こんな冗談みたいな映画ばっかり作ってきた監督を、ヘンな部分から再評価されたからって
私の家系は無宗教なのに、亡くなった時は真言宗にいつもお経なりを世話してもらってます。しかし、私としては、2日以上も葬式などに時間を奪われる価値はないと思っていますし、この日本文化の意味も全くもって分かりません。しかも、これが終わっても、法事地獄がまってんだぜ!全くこの仕組みが分からん。 父や母は、先祖代々からやってるから、親戚、周りの目があるので常識的にするしかないのよって 言ってます。
誰が考えたんだろう、こんなメンドクサイシステム。お寺さんか? 昔なら分かるぜ、田舎のほうとかさぁ、でも、この昨今ではこんなメンドクサイシステムする必要ありますか?もっとシンプルに1時間くらいで済ませてくれよと思うのは私だけですか?それとも異常ですか?
しかも、母はお布施をいくら包めば分からないこともあり、葬儀屋さんに相場の額を聞いていました。葬儀屋さんいわくお寺さん一人に対して、25から30万円くらいのお布施、初七日が3万くらい、交通費、諸経費が2万円くらいと言っていましたが、基本的にはお寺さんに直接聞いてくれと言ってました。なぜなら、昔からの長い付き合いの方はもっと額が跳ね上がるのだと言う。もう、意味不明です。そもそも、なんで直接聞くの?額なんて気持ちの問題だろ?しかも、こっちが高い金額で雇っているのに、坊さんが偉そうにするのはなぜ? 立場逆だろよ!! しかも、最初にお経を言う「枕なんとか」の帰り際に、「今日忘年会だからねぇ」などとほざきやがる!! 税金払えボケ!!交通費くらいだせよボケ!! 葬儀屋と癒着してるんだろうがよ!! 葬式の日は坊さん2人来るからお布施もその分だせって どうゆうことだよカス!!
あ"ーーーーーーーーー イラヅク!!
で、今日から、お通やと葬式に貴重な時間を奪われると同時に、高額なお布施をむしりとられ、葬儀屋にもお金をもっていかれ、遺体の祖母もたらい回しにされる。おかしくないか?この制度? そんなメンドクサイことせずに、火葬で焼いて土の肥料にすれば良いのではないのか? それから、墓場の存在よ。墓場なんかいらないし、墓参りもいらない、そうすれば、高額な墓石も買わなくていいだろ!!
なんで、シンプルに短時間で埋葬して低額で済むやり方を選択できない世の中になってしまったのだろうか?誰の洗脳だ?何回も言いますが、私には全くもって意味が分かりません。しかも、こんなひねくれた考えをして、葬式などに出ないと、周囲から揶揄されること間違いないだろ。あー意味不明だよこの習慣というか風土というか。
私が死んだときは一切そんなことはして欲しくない。直ぐに焼いてくれ!そして直ぐに土にまいてくれるように頼むよ。で、こんな私みたいな考え方する人って結構いるんじゃないだろうか?しかも最近では。ちょっと前までだと嫌々親戚付き合いや、葬式をしていたけど、そろそろみんなで取っ払おうぜ!この文化を!! みんなが徐々に短縮していき、追々はこんな制度辞めていけば、定着するからさ!
とりあえず、父と母が死んだときは、ちゃんと常識的にやってくれと言われているので素直にやりますが、心の中では "はてなマーク" が100個くら充満していて、意味ないのになぁと思いつつ、今回も祖母の葬式に行ってまいります。
最後に質問させて下さい。
皆様はこのシステムどう思われますか?