はてなキーワード: 場の空気とは
私はブサイクだ。
自他共にブサイクだ。
小さいころからブサイクと言われ続け、陰口やいじめは慣れっこだ。
「あなたはブサイクで有名ですねwww」なんていう匿名の嫌がらせメールも頂戴した。
それでもオシャレをする。
化粧もする。
流行を追う。
そんな淡い期待は、いつも裏切られる。
化粧に、服に、しぐさに、笑顔に気を付けても、
考えてみてほしい。
写真が二枚あって、
片方は着飾っていないただのブサイク。
もう片方は、妙に着飾った満面の笑みのブサイク。
わかっている。
それでも、諦めきれない思いと、挫折とを繰り返している。
けれども、だれもかれもが節目毎に写真を取りたがる。
あろうことか、それをtwitterやブログにアップしやがる。
その反応もきつい。
一緒に写るかわいい友達には「すごくかわいい~」などの反応がつくが
私には言及しないとか、あってもコミュ障が0.1秒で理解できるレベルのついでのお世辞とか
そんな状態。
別に美人とブサイクで人の対応が異なるのは小さい頃から慣れているが、
なぜ全世界に、自分も他人も見たくねえブサイクな面を晒さなきゃいかんのか。
なぜ聞きたくもない反応で半永久的に公開レイプされなきゃいかんのか。
でもそれをわかってても、いつもカメラを向けられたら、満面の笑みをしなくてはいけない。
その場の空気は崩せない。
記念を形に残したい気持ちもわかる。
それを共有したいのもわかる。
こんな気持ちも誰にも言えない。
というか、写真を撮りたがる人にそんな気持ちは理解できないと思う。
私は例の如く頑張ったのだが、奮闘空しく、ドレスを着たゴリラが写っていた。
勇気を出して、消してほしいと言った。
母はすぐに消してくれたが、「えー、別にいいじゃない、折角綺麗な服着たのに・・・」
昔、その母にブサイクで辛い旨を、少し打ち明けたことがあった。
「言うほど酷くないじゃない」で終わった。
もう諦めた。
気持ちはわかってもらえないもらえないだろう。
そんな自虐的なことを言ったって、引かれるだけろう。
だから割り切って、心を殺して、笑顔で楽しそうに今日も写真に写ってきた。
時々、心が疲れて涙がとまらなくなる。
そして、この年まで、こんなくだらないことで悩んでいる自分にも腹が立つ。
こんな黒い気持ちを吐き出したのは初めてだ。
数年先輩の公務員ですが
基本的に地方公務員の仕事はルーチンワークなので、作業が正確で早ければ良い
資格を無意味って言われたのは、別に資格が必要な仕事じゃないからです。それは個人的なものでおさめてください。
正直、上の人に評価されるためにはその人たちの好みがわかってないといけないので、飲みニケーション()でもタバコミュニケーションでもするしかないです。
公務員は場の空気がなぁなぁになりやすいので(民間を詳しく知ってるわけじゃないけど)、特に空気を読む力が必要です。
君を知らないから的確なアドバイスはできないけど、しいていうならやることは業務上の勉強・資格とかの個人的な能力に関することではなくて、周りを見てツテを作るってことかな。バカらしいと思うかもしれないけど、評価されたいならそれしかない。
俺の所属するサークルに「空気読めない」って言われて微妙に皆から疎外されてる奴がいるんだが、先日派遣のイベント設営のバイトに行ったらそいつとそっくりな奴が居た。
ちょっと気になったので仕事の合間に彼を観察してたんだが、これがひどいのなんの。
腕力が無くて重いものを運べない、というのはまぁ許そう。個人の能力には差があるのも確かだ。だがそこでなぜ人の助けを呼ばない?
いつも明るく朗らかに出来ないとダメ、とは言わんがイベント設営のような多人数で協力して一つの仕事を行う状況で一言も喋らない(自分からはもちろん、こっちから何か話しかけても明瞭な返事が返ってこなかった)というのはどうなのよ。
10時間くらい働いてたけど結局彼の声を聞くことは一度も無かった。
そしてとにかく能動的な行動が出来ない。
周りの状況から次に自分がやるべき仕事を見つけることが全く出来ていないんだよね。「場の空気」を読めないっつうか。
忙しく立ち働くほかのメンバーを尻目に、ポカーンと立ち尽くしていることがしばしば。
現場の社員さんに仕事を割り振られればやっと動き出すんだが、それでもなんだかよくわからない動きをして社員さんに怒られることもしばしば。
それに比べ、メンバーのうち一番のイケメン君は腕力もあるし状況を読んで的確な動きができ、コミュ能力も高いので何人かをまとめて仕事をするのも大得意。
ただ重いものを二人で運ぶというだけの仕事でも、上記のアレな人と組んだときとイケメン君と組んだときでは雲泥の差だったよ。
(余談だが、俺・イケメン君・上記のアレな人・他3人くらいで組んで重量物運搬をやったときに、アレな人のあまりにもひどい行動にイケメン君がマジ切れしたのには内心噴いた)
で、上に列挙したアレな人の行動が、俺のサークルに居る彼と似た人とそっくりなんだよね
サークルに居るほうも同じように人とコミュニケーション取らないとやっていけない仕事してるのに他人と(仕事の話ですら)話さないし、能動的な行動が出来なくて誰かに言われないと動かないし。
何だか「性的に消費」の捉え方がすごいズレてる気がする。説明するのがすごく難しいんだけど。
例えば「性的にがっついてくる」ってのは分類するとコミュニケーションですよね。
おごられる(おごるそぶりを見せられて気遣われる)、特別扱い、「セックスさせて下さい!」、全部意思疎通とか意思表明とかそういうのでコミュニケーションの一種だよね。
だからそれに応じる余地がある。最悪、イヤなら拒否ることもできるわけです。
ところで消費はコミュニケーションではないです。一般的に言って、消費されるものと消費する人の間に意思の疎通とかないです。
例えば業務で上司の書類作成とか補助すると「若い女の子に手伝ってもらっちゃったよ〜♪」とか言われる、そういうのが例のトラバの「性的な消費」だと個人的に理解してるんだけど、ここにはコミュニケーションとか無いです。「若い女の子とか言うのやめて下さい」とか言うタイミングも場所も聞く耳もない。「それ持ち上げてるつもりなんですか?嬉しくないです気持ち悪いです」とか言えない。
いや口を縫われてるとかで物理的に言えないってわけじゃないけど、言うとその場の空気が凍る上に「単なる軽口、ジョークじゃないか。これくらいで空気凍らせやがって」と凍った空気が後からアスファルトみたいになるという恐怖があるんです。だから言えない。
せいぜいこっちも冗談めかしてやんわり否定して返すのが限界だけどそもそもそうやって取り繕わねばならないことが気持ち悪い。関わりたくない。
これ別にホモでも同じようなもんなんじゃないかと思うんですがどうですかね。どうせなら能力を買ってホメてくれよ喜んでくれよってとこで性的アイデンティティ(しかもやや決めつけ気味)で持ち上げられるって気持ち悪くないですか?
例えばハローワークのような中小零細専門の公共紹介所(行く機会があれば)に行けば、殆どの奴が場の空気を読めなさそうだよ
んで、そういう奴向けに求人出すわけだから当然企業側がある程度配慮する必要があるだろ
例えば元増田と関係ないが、求める人材で学歴欄が「学歴不問」とあると中卒高卒も受けられると応募するのがごまんといる。
要は企業の説明不足なんだよね。
それを棚上げして求職者に空気読めと言える奴の神経が分からない。
あるいは、そういう場にいるからこそその程度の人間だと企業側が理解しないと、それこそ企業コンプライアンスの根幹に拘る事態になる事もあり得るからな。
昨日某所で他人が話している時の様子を見て、自分も気をつけなきゃな…
と気づいた点があったので記録しておく。
一言に「オタクっぽい話し方」っと言ったらアニメとかゲームとか2chとか、そういった
マニアックな話題を好むという印象が多いように思う。
けど実際は話題の方はそれほど重要じゃなくて、
が大切じゃないかなあと思った。
どれも基本的な事だけど、その基本的な事をきちんと理解できてないから失敗するわけで。
研究室の先輩、後輩と会って、少し話が出来た。
ものすごく気持ち悪がられてる感があった。
次の日、帰る前に、たまたま開催地近くに住んでる女友達と食事をした。
すごく見下されてる感じがした。
毎日会ってる時はわかりにくい。
一度疎遠になったあと、もう一度再会した時に、お互いにどう思ってるのかわかる気がする。
次の日に顔を合わせないなら、「もう会わなくてもいいや」という人間にはそれなりの態度、ということなんだろう。
それとも、僕が場の空気や人の顔色を読めるようになったのだろうか。
今親しい友達も、職場の同僚も、実は僕のことは嫌っていたりするのかな。
そんなことを考えると、せっかくの旅がつまらなくなった。
たとえ、どんなに嫌われていたって、金さえあれば、金の力でかしずかせることが出来る。
もうそれでいい。
嫌いなものが出されたとき、例えばフランス料理のコースとか、そこまで行かなくてもちょっとしゃれた雰囲気の食事会ならメニューを吟味する際に出来るだけ避けるようにし、それでも出た分は仕方が無いので出来るだけ食べる。味付けが上手いので大体は普通に食える。
飲み会なら食べない。そもそも手を出さないようにするが、出てきたら除けて残す。除ける量が多すぎなら仕方がない、半分くらい咀嚼せずに飲み込む。
自宅ではむろん食べない。調理自体を避ける。
「好き嫌いはしつけの問題」と言っている奴らは大体勘違いしてる。
そこにしつけの要素が入り込めるのは「それを嫌いと大げさに騒ぎ立てる事で場の空気を悪くするのがマナー違反だから」だ。
あくまでそういった周囲への気遣いとしてしつけは許容される。
黙って皿に残しておくのも気に入らないという奴は勘違いに加えて「出されたものは残さず食べる」という調理者への気遣い故のしつけとも混同している。
「しつけ」を盾に味覚の好みにまで介入すべきではない。それならメシマズスレ案件のうち栄養成分として健康に影響のないものは全て黙って食うべきだという話になる。
もしも幼少期に「好き嫌いするなとしつけられた」人間がいたとしたら、そしてそのしつけを根拠に周囲に同様のふるまいを強いたとしたら、そいつは可哀想なやつだ。他人から押し付けられた行動原理を他人に押し付け返すことしかできない、不快で頭の悪い可哀想な連中だ。
俺は幼少期、アジサバを焼いたもの以外の魚と緑色の物とニンジンは基本的に食わない、加えて唐辛子のような辛いものとネギ類は食物とみなさないというかなりの偏食だった。だが俺の親は(特に母親は)好き嫌いするなとは「しつけ」なかった。
その代わり彼女はあらゆる手を試した。食べなければ大きくなれない、病気になると俺を論理的に説得し、手を変え品を変え調理法を変えして(主に野菜類を)食卓に出し、むろん頻繁に「○○も食べなさい」と食事中に俺に口出しした。
が、断固拒否した俺に対して、無理矢理口をこじあけてねじ込むとか、俺の嫌いなものばかりで食卓を埋めて食べざるを得ないように追い込むとか、食べ終わるまで食卓から離れるなと命じるといったことは一切しなかった。
それは別に俺の意志を尊重したとかいうことではなくて単にそんな気力が無かっただけだろうが(嫌な顔もしたし不機嫌にもヒステリックにもなったし何より食事時が近づくとため息を死ぬほどついていた)、結果的に俺の成長にはプラスに働いた。
俺は嫌な事は嫌だと言って抵抗する権利が自分にあることを身を以て確信できたからだ。
当然摩擦があることは覚悟していた。母親自身が警告していた。「大人になってお食事の席で食べ物を残すと皆に嫌われるよ」と。
だが彼女はそれ以上はしなかった、つまり残すか食べるかの選択自体はあくまで俺自身に委ねたのだ。
教育だったかと言われれば疑問かもしれないが、少なくとも俺は大いに学んだ。「悪」の定義、マナーの意味、何より意志とそれに伴う責任について。
食事においてはサラダは大きなボウルに盛り付けて各時取り分ける形式になり、食後の果物に並んで水で飲み下すサプリメントが出るようになった。
肝心の偏食癖自体は高校時代まで続いたがその後和らぎはじめ、大学入学と同時に一人暮らしをする段階には大部分が消えたと言っていい。
結局「別枠」だった辛いものとネギ類は今でも食べないが、食事に野菜は欠かさない程度に回復したし、晩にはサラダしか食べない日もある。「何でも食べる」がやや行き過ぎて、においの強い羊肉や香草を好んで食べたり馬刺しのために遠くへ遠征したりするので母親からときどき引かれている。
父親は俺に軽度の自閉スペクトラム障害あるいは注意欠陥障害に伴う知覚過敏があったと疑っている。
得意先の若い女の子に「私の増田さんのイメージって、インドアで、漫画とかアニメとか好きそうで、あとロリコンなんですよね(笑)」って言われた。
昨今インドアに対するネガティブなイメージはなくなったと思う。ポジティブでもないが、言ってみればニュートラルだ。
オタクが市民権を得てから久しいと感じるし、とりあえず必ずしもネガティブではない。
ワンピースだとかは女の子に人気だし、まあライトな感じであれば嗜好のひとつとして認知されているので許容範囲。
一般的に考えてネガティブなワードで、嗜好なんてのが通じるのは友達間のみ。仕事上で取引先相手に言う言葉じゃない。
見た目や性格の描写だったり、決めつけってのは場合によっては相手を不愉快にするのだから普通は言わないだろう。
相手のキャラなのか俺のキャラなのかはわからないけど、どうあったって冗談でも言ってほしくない。
とりあえずその場は笑って済ませたが、次に会った時にまた言ってくる可能性が大いにある。
俺としてはこれ以上言われるのは失礼極まりないし侮辱以外なにものでもないと感じている。
しかし、不愉快だということを伝えると場の空気を悪くするし、それは避けたい。
それに、その若い子には今後やってもらわなければいけない仕事もある。
対応としては、どれがいいんだろうか。
目的は、こちらが本気で怒っていることを伝えつつ、空気を壊さず、2度とそんなことを言ってはいけないと悟らせること。
1) 真面目に、不愉快だということを伝える。
2)笑いながら冗談めいて伝える。
「ハハハ、それはアウトです」
性格上一番やりやすいのが1)。その次が3)で、もっとも効果的だと思われるのが2)で、一番難しそう。
1)はきっちり伝えられるだろうけど空気を壊すし、今後やりにくくなりそう。
3)は波風を立てないで済むが、婉曲的になって怒りが伝わりきらないかもしれないし、その場で言えないから時間がかかるかもしれない。
どうしたら目的を達成できるだろうか。
どれを選択するべきか。上以外の選択肢の他、なにがある?
いや、1人で歌うのとかは好きだけど、人前で歌うのが嫌い。
昔からクラスの前で何かを発表するとき、声が震えて、そんな自分に動揺して、更に声が上ずって、本当に死にたいくらい恥ずかしいって思いをたくさんしてきた。
カラオケも同じ。
なんでみんなあんなに歌が上手いのか、声が震えないのか、大きい声で歌えるのかわからない。
今度新しく知り合った人たちと始めて飲み会がある。
それを考えるだけで鬱になる。
1人でカラオケで練習すればっていう人もいるけど、1人で歌うのと、人前で歌うのは雲泥の差なんだよ!
カラオケは出来るだけ避けるようにしてるが、どうしても行かなきゃいけないときってある。
そして行くたびにトラウマが増えて、場の空気が凍りついて、死にたくなって、夜中に布団の中でうわああああってなることになる。
どうすればいいの?!
なんでみんなそんな普通に歌えるんだよ
表情が空気が読めない原因になるってどんな状況?想像つかない。
葬式で満面の笑顔でいるとか?お祝いの席で眉間にしわ寄せて口をへの字にしてるとか?
じゃ常に無表情でいればいいし、表情が空気を壊す原因となるのって、
表情そのものというよりは、その表情を作ることによって発せられる言葉が原因である場合の方がずっと多いだろう。
葬式で笑ってても、笑い声上げてたらひんしゅく買うけど、無言だったら気づかれないだろう。
お祝い会の席で「あーだりー帰りたい」とかぼやいてたら楽しい雰囲気ぶち壊しだけどただしかめっ面してるだけだったらそれほど気付かれないだろう。
黙ってることが空気を読めないとされる原因となる状況ってどんなの?
挨拶やお礼やお詫びなら頭を下げれば伝わるでしょ。
実に嫌な奴だ、何という人間のクズ、と思っていた。生活保護の問題が浮かび上がる前から。
森三中の小太りの子、と書こうとしたらみんな小太りなので、一番背が低い子が結婚発表をして、おめでとう、おめでとう、と言い合っている時に、河本は「この男を逃したらおまえみたいなブスには次はないで」というような内容のことを言い、空気を固まらせていた。これが山田花子が相手だったら「じゃかあしいわ、出来そこないのフクスケみたいな顔をしてるおまえが何を言うてんねん」と切り返せただろうし、花子の温情によってギャグという形にして貰えただろう。しかし森三中のその女子は、芸能人としてのポジション的にも、河本に切り返しが難しく、女子としての自意識と芸人としての欲をいまだ調整しきれていないように見えた。河本は芸人としても場の空気を見誤ったわけで、同じ毒舌キャラであっても有吉がいえば芸になっても河本が言えばただのモラハラ、セクハラ、パワハラなのであった。
バッテリーとしての信頼があって初めて投球できるシンカーにカーヴがかかった魔球をいきなり初対面の人に放ったようなもので、芸としての計算ではない、ただ単に河本が思いつきで、自分の性格から出た悪意ある毒舌を放っただけだった。普通にゲスな男である。
さて、そのゲスな男であるが、小中学校でオダギリジョーと同級生であり、オダギリ当人を前にして、俺はオダギリよりももてた、大阪ではおもろいのが一番もてんねん、と鼻を高くしていた。それは河本にとっては心からの魂の叫びであっただろう。別に河本がもてなかっただろうというつもりはない。ただ、普通は謙遜するものである。オダギリのように、正真正銘もてる男ならばここで謙遜しなければ社会的生命が危ういだろう。しかし「お笑い」はひたすら自我をだだ漏れさせることが許されるのである。自我を拡大させるための手段が牛丼屋かお笑いかと言う違いはあっても、その幼児的な全能感はワタミの社長に似ている。河本は自意識の中では「二枚目」として生きている。それが滑稽だと言えば滑稽だが、滑稽なのが問題なのではない。普通は生きていくうえで矯正されたり隠したりする全能感、絶対的な自己肯定感情が「お笑い」といういわば批評者の立場にたつことで、なんら矯正もされず、結婚を控えた女子に「おまえはブスだからこれが最後のチャンスだ」と計画性もなく無意識に投げつける男が、「人の嫌がることをするような人は消えればいいのに」と言えてしまうのである。この盲目性。絶対的な自己中心性。これはもはやほとんどサイコパスであろう。
あくまで与太話と予防線を張っておいて、自重しない日記を書いてみる。
結婚出来ない男にアスペ傾向の男が多いことは、今や殆どの人が多かれ少なかれ気づいていると思う。
すなわち結婚出来ない男の特徴のうち、相手やその場の空気に応じて自分の世界を動的に変えられない融通の利かなさとか、言語を用いる以外のコミュニケーションが困難ないし不可能というのは、アスペの傾向にバッチリ合致するし。
一方、結婚出来ない女の「自分のスペックを省みず、相手にやたら細かい条件や無理な条件を求める」という部分もまた、相手との共感能力に難があり、異常にこだわりが強いアスペであれば十分ありうる話。
独断と偏見を承知で言えば、アスペ傾向の女の女子会()での立ち位置は恐らく相当微妙だろう(しかも知らぬは本人ばかりなりとか)。もしかしたら彼氏が出来ただけで「あの子でも彼氏出来るんだ・・・」と影で言われてたりして。
そして気がついたらメンバーの殆どが結婚し、翻って自分はと言えば、過去に男経験があってもうまく相手と心が通じ合わず、それが自分のコミュ力や社会性に原因があるとは考えず、逆に男が悪いということでどんどん意固地になっていくと思われる。
その成れの果てが、現実を完全に無視した、恐ろしく無意味な条件闘争と考えると、すごく納得出来てしまうのだ。
しかもそんな女が1人や2人じゃなく、わんさといるらしいという現状、潜在的アスペが多いことの証左になりやしないだろうか。
ここまで読んで他人事じゃないと思った人は、AQ(自閉症スペクトラム指数)チェッカーでもやって自己採点してみるといいだろう。
もちろんその結果だけを片手に「あたしアスペだから・・・」などと言うのは、この日記を真に受けるくらい噴飯物なのでやめるべきだが。
じゃあもうアスペ同士で結婚しちゃえよみたいな暴論を言い出す人が出てきそうだが、双方が何らかの工夫や努力をしないことには、多分お互いに「あいつのせいで不幸になった」と罵り合って別れるのがオチだろう。
以上、妄想日記でした。
2ch、ニコ動、ふたば、各種まとめサイトのコメント欄。ここで
「ハイハイ、ステマステマ 」 「ステマだな 」 と書き込んでいるのはですね
コレです。本人はステマとかどうでもいいと思ってるし、企業や広告サイトを糾弾する意図はありません。
自称善良な利用者がイライラしてる様子を感じるのが気持ちよくてしょうがないのです。彼らは
第一、ステマって既存のジャーゴンに当てはめると 「社員乙 」じゃないですか。今時社員乙とか言ってたら失笑モノですよ
ステマという呪文を吐く事で、オタクがマイナー傑作の話をしようとしたら横槍入れて冷めさせて、ヘイトを稼いで喜んでいるのです。嫌がらせ厨達は
そんなステマ=ジツにそれっぽい解説を考えてる人達はアホですよ。彼等は大多数をイラつかせて良識ある人達の円滑なコミュニケーションの足を引っ張る事でしか楽しめないのですから。
兄がリアルでもネットでもそんな感じです。本人は貧乏で語れる話題も熱中してる事柄もなく、ひたすらにコミュ障です。
ただ、いやがらせだけは楽しいようです。頭はいいのでマトモな議論をしようとせす、同じ事を何度も聞きます。わかっていて何度も質問して相手の精神を折り、真剣に話そうという気概を折りに来ます。
だから、ステマという単語を使う人は、そういう邪魔をする以外に楽しみが無い人だと思ってください。彼等は手を替え品を替え邪魔をしに来ます。彼等の弱点はお金を払わないと味わえない実物に関する知識が無い事です。ネットで拾える無料の情報が彼等の全てです。実際に体験しなければわからない、ディープな話題に彼等は太刀打ちできません。
皆さんも、ネットの嫌がらせ野郎達に負けないでください。彼等は他人と楽しめない自分と嫌がらせをする行為を正当化して日夜嫌がらせを続けます。説得は無理です。自分には他のやり方は無いと開き直っているからです。
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蛇足な追記
120ブクマもありがとうございます。すげく嬉しいです。ブクマのトラバもついったーのも全部読みました。
とりあえず、このエントリに対して「ステマ騒ぎが起きていると困る企業の連中の火消しだな」とか本気で考えてる人がいたらその様子を一回想像してください。
広報主任「課長!ステルスマーケティングがバレました!このままでは我々の宣伝のやり方がみんなに知られて仕事がやりづらくなってしまいます!」
課長「よし、では主任くん。業務時間を使って色んな匿名サイトにステマという煽りを使う人達に対するカウンターを仕掛けるんだ!」
主任「わかりました!」
・・・みたいな会社があるとでも思ってるんでしょうか。すげえな
とりあえずステマという短文煽りに戻るのですが、言葉と言うか単語には様々なパラメータが存在していると思います。
例えば、「ステマ」という単語には「訳知り顔」「見下だす位置」「噛み付く姿勢」が見られます。
で、それが的外れなベクトルを向いている時や自分達が噛み付かれていると感じた時、イラッとする人が出ます。
ステマという単語を吐く人は、そうやってイラっとした感情を匿名の場で吐き出されて空気が悪くなる事や、今まで普通にやりとりを楽しんでいた人が自分が現れた事で話題を継続する情熱が冷めていくのを楽しみにしています。
おそらく、ステマという言葉が死語化するか次のイライラワードが産まれるまではこれが続くでしょう。ゴウランガ!
前述の通りステマという言葉を吐く人は話題が完全に盛り上がりきった後では無力です。ディープな話題、実際にお金を払って楽しんだ人同士の和気藹々とした暖まった空気に入り込む事はできません。
だから、そうやって場の空気が暖まる前に、暖まらないように冷ますのです。
まだ世に出ていないものなら冷ますのは簡単だし、あまり売れていないものを有志がオススメしているような流れはステマ連呼君にとっては格好の暴れ場所でしょう。
決して、彼らのステマ発言に耳を貸してはいけません。何故なら、彼らは長文の中にステマという言葉を挟んで具体的に何かを主張したりはしません。
ただ「ステマ乙」という4文字をポストして、その後はひたすら場の空気が盛り上がらないように混ぜっ返します。同じ質問を繰り返し、話が先に進まないようにします。
「足を引っ張る事だけは一流な人」というのが、彼ら短い言葉で煽る人達です。自身に何も主張したい事やのめり込める物が無いのです。
ムキになって否定しても、帰ってくる言葉は「何か言ってるw」です。
ただ、そういう人達も「企業の広報担当がインターネットでステマをしてるんだ!社員の書き込みなんかに騙されないぞ!」と本気で主張している人よりはマシだと思います。
自分でも矛盾しているとは思うのですが、常に「釣りだろ?」「釣り乙」「騙されないぞ!」という姿勢でネットを見るより、とりあえず書き込まれている事は全部真実なんだろうなーって思いながらネットやった方が楽しいと、俺は思います。
皆様も良いインターネッツを。Wasshoi!
正月に久々に会う親戚に挨拶がわりに学業や職業を聞かれてニートが答えに詰まるというアレである。
いっそ自室に籠城して小便すらペットボトルで済ませるぞとかいう笑い話まである。
まあ、あくまで笑い話なんだが。
諸兄姉にも経験がおありかもしれない。
挨拶がわりに学業や職業を聞かれて答えると、場の空気を冷却してしまう、あの感じ。
大学入学の年には「うちの家系からそんな天才が出るなんてホンマに誰に似たんかしら」と言われ
4年間あるいは6年間たっぷり天才(笑)呼ばわりされて歯がゆい思いをし
就活の年には「そんな大企業へ決まらはったん!?超一流やないの~やっぱりええ大学は違うんやね」と大げさに祝われ
勤め始めてからは「天下の○○の社員さんと貧乏人のウチが同じ鍋つついとるなんておかしいなァw」と意味不明なジョークを言われる。
そしてお決まりのように、卑屈な笑いを浮かべて、しなくていいのにわざわざ対比して我が子をこき下ろす親戚。
「うちのバカなんてカス高校のくせにロクに通いもせんと・・あいついっぺんタカシ君の爪の垢飲ましたってくれ」
「タカシ君が立派にお勤めしとるいうのにあーの馬鹿息子はまーだフラフラしよってからにしょーもない・・」
そしてタカシ君は居心地の悪い謙遜を強いられ、
ついでにクズでカスのしょーもない従兄弟をやんわりと擁護させられるのである。
「いやぁ僕なんてガリ勉なだけがとりえで・・・カズオ君は昔から活発な人でしたから」
とかなんとか言って。
心にもない賞賛と心にもない謙遜。
いい加減めんどくさいのでやめたい。
「そうですね僕は着々と努力してきましたから、今のところお陰様で目標通り人生が進んでますね。
でもこれからどうなるかはわかりませんけどね、このご時世だれだって先行きはわからないものですもんね。
カズオ君もカズオ君なりの考えがあるんでしょうし、彼の人生ですから、フリーターもいいんじゃないですか、ある意味では。
今の時代はフリーターだからといって世間様に恥ずかしいってことはないでしょうし。」
とか言ってみたい。
向こうだって本当に思ってること言えばいいのに。
15年以上前の話、小学校低学年だった頃、クラスの女子にイジメられていた。キモい、ウザい、死ねとイジメられていた。
暴力的なイジメはなかった。常に精神的な言葉や態度に依るイジメだった。
今思えば、肉体的な暴力的なイジメだったら、反撃できたと思う。言葉によるイジメには反撃出来なかった。『女の子に暴力を奮ってはいけない』という道徳律に縛られていた。
女子に対する言葉による反撃は何の意味もなかった。一対多では端から勝ち目がなかった。
学校ではずっとイジメられていた。小中とずっと、女子にイジメられていたから、いつの間にか自分は『そういう立場に置かれている存在』だと思い込んでしまった。
本当は思い込まなくてもよかった。塾では普通に皆と、和気藹々と会話できていた。でも、学校の場の空気が自分をイジメられっ子の立場に押し込んでいた。
イジメられ続けたまま、小中学生時代が終わった。小6の時に自殺しようと思ったけど、出来なかった。今思えば此処で終わらせておけば楽だった。
結局、誰も助けてくれなかった。教師は事なかれ主義から、明らかに俺のことを見て見ぬふりをしていた。親はイジメられている俺を不甲斐ないと怒鳴るような人間だった。母親は『男なのにそんなだと馬鹿にされるよ』が口癖だった。
高校に入り、ネットなどを見始め、身近にある友人関係や家庭は破綻していたので、身近でない、遠方にある社会的な話題に触れることが多くなった。
思えばコレが間違いだった。ただ、自分にはどうしようもなかったと思う。身近な人間が誰も助けてくれなかったし、悪意を向けてくるのみだったから。政治社会的な話題を用いて、自分を慰撫するしか無かった。つまり、たとえば悲惨な家庭環境にある人間が、「虐待は悪」という社会的メッセージを読んで、救われるという流れだ。その頃の自分は、無意識に「女子からのイジメ」を慰撫できる社会的メッセージを探していたのだと思う。
ネットで、自分と同じ立場の人間が居ないか、イジメの話題で調べるようになった。結果として、吸引されるように、喪板などを見始めた。
『そういう立場に置かれている存在』の女性からのイジメ経験談が書きこまれていて、似たような人がいることを知って、多少救われた気がする。
『そういう立場に置かれている存在』に名前が付けられていたことを知った。『非モテ』だった。
そのうち、「はてな」も見るようになった。「はてな」で知ったことは、ミソジニーなどの単語や、ジェンダー論や非モテ論で、男性は強者であり、社会的に自省するべきと規定される存在だと言うことだった。
これには、イラついた。
だが、自分と同じような立場にある『そういう立場に置かれている存在』を名指しして、「政治的に正しい人達」がその内面を断罪していた。女性に対する恨みなんて無かった。ただイジメから来る惨めさから、後退しているだけなのに、散弾銃でミソジニー、悪、などと指摘してくる正義の人達が居た。全くの他人に対する指摘だとはわかってるけど、散弾銃の弾が自分にも当たってて痛かった。
どこか自分が悪い気がしてきた。でも自分は悪く無いと思っていた。自分はどう考えても強者ではなかった。イジメられていた弱者だった。でも自分の内面が断罪されているように思えた。本当は誰かに慰撫して欲しかった。身近な人間でなくても、単なる社会的メッセージでもよかった。誰もしてくれなかった。『キモイ奴は一人で死ねば』だとか『男性は強者で自省すべき』だとかそんな言葉しか無かった。
はっきり言って、『弱者』『少数派』と認定されて社会的に慰撫して貰える『社会的弱者』が羨ましかった。自分はマイノリティにすらなれない、イレギュラーだった。
このような話題や、議論を見ている内に、悪性サイクルに取り込まれた。
こんなことはもうやめる。馬鹿だった。
自分はただ、イジメられている時に、助けて欲しかっただけだった。
身近な人間は誰も助けてくれなかった。遠方から発せられる、社会的なメッセージは、男性は強者であり悪いと断罪していた。
非モテだとか、弱者男性だとか、ジェンダー論だとか、本当は、全てどうでもよかった。
そもそも『モテ』や『非モテ』には一切の興味がなかったし、恋愛はどうでもよかった。自分は草食系どころか霞食系だった。社会構造などもどうでもよかった。ジェンダーもどうでもよかった。政治思想的に男性を断罪する人達が指摘する『内面』は、自分には一切関係のないものだった。他人が勝手に内面にありもしないものを見出して来たから、もしかしたから自分にもあるのかもしれないと思い込んでしまっただけだった。女性に対する恨みなんて存在しなかった。身近な人間が誰も助けてくれなかったから、政治思想に何か縋れるものがあるのかもしれないと思い込んでしまった。自分は馬鹿だった。
女子からのイジメによって発生した惨めさが、子供の頃に解消されず、いつしか政治思想的な話題に吸引されて、悪性サイクルに取り込まれていたに過ぎなかった。
本当にばかみたいな話だ。
こんなことは、2011年ですべて終わりにする。