はてなキーワード: 場の空気とは
TOEICのレベル別評価一覧があまりに奥歯にものが詰まったような表現ばかりなので、俺が正しい表現に直してみた。
495~375
・自分の英語が間違っているのに、ネイティブの英語が聞き取れないのを相手のせいにして見放されます。
・聞き間違っているのにそれに気づかず失敗します。
・スピーチを聞く時は周囲の反応をうかがって、皆が笑う時にわかりもしないのに笑ったふりでごまかすしかできません。
・最低限の生活はできても、一人で楽しめるほどの行動は起こせず、ヒキニートのような生活になります。
370~275
・意思の疎通に齟齬をきたし、犯罪に巻き込まれる可能性があります。
・些細なトラブルに巻き込まれても、適切な対処ができないので、相手がしびれを切らして警察沙汰になる場合があります。
・あなたはネイティブから話すだけで精神的な苦痛を受けると評価されます。
275~5
・警官や警備員の制止、犯罪者の恐喝が理解できず射殺される恐れがあります。
・レストラン等で注文することができず、お金を持っていても飢えに苦しみます。
495~425
・相変わらず難しい文章は読めないか、読めたとしても日本語よりはるかに遅いペースでひどいストレスを感じます。
・本を通読することはできません。
420~325
・ネイティブの小学生高学年と同程度の読解力が身についています。
・およそ、ありとあらゆる契約書が読めません。
・保険や確定申告の書類仕事が手につかず、社会的な不利益を被ります。
・ネイティブが一般的な社会人に期待する速度の読解ができず、能力評価は最低ランクと評価されます。
320~225
・およそ、ありとあらゆる説明書が読めません。
・一般的な社会人としての日常生活を送るのに最低限必要とされる書類を読むだけで一日が終わります。
・結果、当然読むべき書類に目を通せず、生活に支障をきたします。
220~5
・漢字の読めない小学生と同じ程度に社会に適応するのが困難です。
・ネイティブの手書き文字は判別不能です。
お友だちに誘われて、前日まで行く予定にしていなかったのに急遽行くことになった。
こちらオリコンチャートにのるような音楽には全く詳しくない宝塚オタク。音楽番組は紅白を家族が観ていたら観る程度。Perfumeはもちろん知っている。好きな曲もある。だから、物は試しにと行ってみた。
ちなみにコンサートなるものに行くのは高校生の時親に連れられて以来という、まぁ、なんていうか、私の人生から縁遠いものだ。
「どんな服でいったらいい?」「動きやすい服でいいよ」
そうか、コンサートとは動くのか。普段は宝塚しかみない私はその時点で新鮮だった。私たちはお芝居の間中背もたれから背を浮かすことすら禁止されている。後ろの人もちゃんと楽しく観劇するための当然のマナーである。
何を持っていけばよく分からないからとりあえず、普段宝塚を観劇するために持っている倍率10倍のオペラグラスを持っていく。
京セラドームでたった倍率10倍がどこまでの効果を発揮するとか、私は知らない。そもそも京セラドームの広さを私は知らない。
貰ったチケットには@塁と書かれていてそれに驚く。塁!そうだ!!ここは野球場だったのだ!!!という新鮮な驚き。
上手下手ではないらしい。一つ賢くなった。
そして席に着く。なんとか手持ちの10倍オペラが有効に使えそうな距離だった。近い。と思った。ちなみに宝塚なら劇場からはみ出てる程度の距離感ではある。それでも、なんだか近かった。
コンサートの前にチョコラBBのCMが画面に流れそれに手拍子で応える観客。私はこんなに熱いCM鑑賞を初めて見た。私も手拍子しておく。
コンサートの内容についてはどこまで話していいか全くわからないし、曲名も知らないままのものが多かったので割愛。
3人しかいないのにお衣装チェンジとかどうするんだろう、宝塚みたいに着替えている間に違う人が場を埋めてくれるとかできないよな、とか真剣に悩んでいたけど、すごくうまいことなってた。凄い!!っていうかなんでも宝塚基準で考えるのやめよう自分。それ、狭い世界の話だから。
良く知らないけれど、それでもその場の空気に適当に乗ることにためらいがない私はずっと手拍子したり手を振ったりキャーって言ってみたりして、凄く楽しかった。同じアホなら踊らにゃ損損。
楽しかった!!かしゆかもあーちゃんものっちもみんな可愛かった!!本当にお人形さんが動いている。
この会場の大きさに対しあーちゃんもかしゆかものっちもとにかく小さいなと思った。別に本人が無力とかそういうことじゃない。本当なら一人5メートルくらい必要だと思う。それでも足りないかもしれない。
3人だけの力じゃなくて、映像や音響の力もあっただろうけど、たった3人でこのおっきな会場を埋めて、満たしていたPerfumeは本当に凄い。
大きなスクリーンでは踊る3人の表情が観れる。それでも、表情も確認できない、オペラをつかってなおバービー人形のようにしか見えない3人を観ている時間が長かった。必死に踊っている3人はとても近くて、遠かった。
凄いなって思った。
そして、何よりこの3人はとてもファンのことを思ってくれてるなと凄く感じた。
宝塚の舞台でもジェンヌさんはよく「ファンが大事」と言ってくれる。でも、ファンとして信じきれない時がある。
だけど、3人のコンサートは、私が本当のファンではないちょっと離れた距離から観てたからかもしれないけれど「こんな大きなドームをたった3人で埋めてしまえるほど凄い子たちにとっても、ファン一人一人は大事な存在なんだな」と本当に随所から伝わってきた。
もうちょっと、自分の大好きな宝塚のジェンヌさんたちの「ファンが大事」という言葉を「はいはい、社交辞令ですね」とか思わずに受け止めようってちょっと反省した。
ライブ、凄く楽しかったのです。言いたいことはいっぱいあって、連れて行ってくれた友人にもありがとうって凄く言いたいし、他にも書きたいことはたくさんあるけれどどこまで書いていいのか分からないからこんな適当な感想になってしまった。でも、面白かったことを誰かに伝えたいからここに書いておきます。
こんなにも反響があると思っていなくて少し驚いています。読んでくださってありがとう。そしてPerfume愛されてるなぁ!!!
一応言い訳なんだけど、ジェンヌさんたちの「ファンが大事」という言葉が本心でないとは思ってないよ。みなさん、心底言ってくれていることは本当は知っていて。
ただ、中にいすぎて外からその姿がどう見えてるかわからなくて、(すでにのめりこんでいるというのに)のめりこむのも怖くて「はいはい、社交辞令ですね」と受け流してしまうのだと思う。もちろん、Perfumeの3人とタカラジェンヌではファンとの距離とか思いの返し方は全く違うので比べるだけ無駄なのかもしれないけど。
タカラジェンヌだっていろんな人がいて、いろんな返し方をしてくれているし。
でも、そういう物事をベタに受け止められなくなっている自分に気付かされたライブでもあったのです。もうちょっと、ベタに受け取った方がいいなという反省。
宝塚も独特だけどとても面白い世界なので興味を持ったらお近くのヅカヲタまで声をかけてみて下さい。すごい勢いで宝塚の世界に案内してくれると思います(笑)
「20歳になるまで飲まない」って当然のことでしょう?
元増田がレスした先のひとは、別にあなたのことを悪く言ってはいないと思うのだけど。
何を言われようとも飲酒に関して法令を順守する、と決めたのなら貫き通しなさいと。
元増田はお酒が飲みたいのかな。飲みたいけれど成人するまでは我慢しようとしているように感じ取れる。
ところが、周りの友達はそれが当然のこととして未成年での飲酒をしている。それが納得できない。
ただ、明らかに酒飲んでる奴のほうが楽しそう。
なんてのも、嘘をついていることに不快感があるんじゃないの?
真面目を通すなら堂々と正論をぶつければ良いと思う。
ふだん適当な事をやっている人間が正義を語っても信用ならないけれど、元増田の発言には説得力があるかも分からない。
逆に。
開き直って適当さを身に着けるべきかもしれない。
本音と建前、「空気」と「水」。どこへいってもそういうもの。元増田は最高学府でそれに気づいたのだから、
自分の思うところはしっかりと保持したままに、その場の空気に合わせて行動を主義と乖離させてみてはどうだろう。
なんでもかんでも、日常の行動ですっかり正しいことができている自信はありますか?
ID: festerfester
こういう話が「過酷で鬱だ」と世間の大勢の人たちで全く共有されていないんだけれどさ、世間が嘘ついてるの?周りの空気に合わせてそんな苦痛はおくびにも出さず子育ての喜びを口にするようみんな強制されてるわけ?
はてブのコメント欄で上記のように書いていらっしゃった方を見かけたが、この記事における「周りの空気」の答えは『釣りです』というトラバやブコメの一文に尽きると思う。
それでも2chだのまとめサイトだののように「出産子育てなんて昔から皆普通にやってきた程度のことで寄生虫のくせに大げさに被害者ぶってみせて。これだから今の女は屑なんだ」「こいつみたいな糞女は母親の資格がないから子供を産むな」「私2児のママだけど赤産んだ時喜びいっぱいでこんな苦痛少しも感じなかった。むしろ苦痛すら幸せの一部だったって感じ? こういうお母さんは人としてどっかおかしいんだと思うわ」などという酷い罵倒がつかないあたりまだここは節度がある方だ。
「釣りだ」というコメントを残した人間がどういう意図をもってその一文を書いたのか自分は知ったことではないが、少なくとも元増田と似通った体験をした母親がその一文を見た時に「自分が出産や子育てにおいて感じたことを嘘っぱちとして否定された」と思い、結果自身のネガティブな体験について口を閉ざしやすい場の空気が作られるだろうことは想像に難くない。
ブスであるという自意識のせいで、がんじがらめになって、なにも出来ないでいる。
ブスだからスカートがはけない、ブスだから国際関係学を専攻できない、ブスだから無視された、ブスだから、ブスだから…
でも意識が高くて、ボランティアやTOEICやセミナーなどに積極的だ。スタバも大好きだ。
彼女は肌も白くてきれいで、やせているので、分厚い黒縁眼鏡とおかっぱ頭をやめれば、そこそこ垢抜けると思う。
でも絶対に黒縁眼鏡をやめたくないし、美しい黒髪のおかっぱ頭も気に入っている。らしい。
彼女は非常に、優秀な人だ。
企業が優秀な学生に与えるとかの何かの奨学金をもらって大学に来ているし、学生団体の代表だし。
TOEICの点数は高いし、真面目で、裕福な家庭と女子校で大切に育てられたので、品もある。
けれどブスへの執着は異様なほどである。
今現在の意味と言うけど、その今現在の意味を共有して、その意味で捉えている人間が何人いる?
言葉に定義がなかったら混沌となり、会話そのものが成り立たなくなってしまう気がする。
例えば誰かが「りんご」を「みかん」と呼び始めて、それが一部に広まったとして、その一部での会話は成り立つかもしれないけど、外部の人間からすれば何を言ってるのか分からないと思う。
ちょっとした齟齬が軋轢を生むなんてことは少なからずあるわけだし、その言葉の「本来の意味」は会話をする上で非常に大切なものだと思うよ。とは言っても、全ての言葉が厳密に定義されているというわけでもないだろうから、場の空気を読む的な考えも必要だと思うけどね。
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html
靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。
静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。
8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。
それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。
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憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
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わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。
ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
正直言ってわかりづらい。多分麻生は推敲した文章を読んでいるのではなく、その場その場の空気に合わせて話しているからだろう。
問題発言の前後の文章だが、「憲法は~」の部分まで一貫して”喧騒は好ましくない”のニュアンスだ。
そしてその後の「わーわー」の部分からも”喧騒は好ましくない”のニュアンスであることはバカにだってわかる。
なぜか「憲法は~」の部分だけ”静かにやっちまおうぜ!”というニュアンスに見える。
しかし本当だろうか?
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ワイマール憲法は本当に”静かにやっちまった”のか?
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要約するとこうだ。
1933年1月のヒトラー内閣成立後、ナチスは徹底して政敵である共産党の弾圧を図る。そしてヒトラーは政権基盤を固めるために議会を解散。3月5日に総選挙を行うことを決めた。
そして選挙直前の1933年2月27日、決定的な事件が起こる。
ドイツ国会議事堂放火事件。この放火犯をナチスはコミュニストと決め付ける。
ヒトラーは、「コミュニストの幹部は一人残らず銃殺だ。共産党議員は全員今夜中に吊し首にしてやる。コミュニストの仲間は一人残らず牢にぶち込め。社会民主党員も同じだ!」
ゲーリングはラジオ放送で「共産主義を我々の民族から抹殺することが、私の最も重要な責務である」と述べ、
「(国家社会主義)革命の敵に対しては、テロルの使用が不可欠である」と政府による白色テロを宣言した。
共産主義者は次々と警察によって予防拘禁され、2日後には無政府主義者、社会民主主義者も対象に加えられた。
共産主義者の襲撃が起きるというデマが流され、共産党や民主主義政党の集会はナチス党の突撃隊に襲われ、共産党の指導者を含めた逮捕者や死者も続出した。
選挙期間中に死亡したナチス党員は18人、その他の政党の死者は51人、負傷者は数百人にのぼった。
そして選挙で躍進したナチスはドイツ国家人民党と中央党の協力を得て3分の2の賛成を確保し、全権委任法を成立させた。
この日は1933年3月23日、国会放火事件から一ヶ月も経っていない。
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どこが”静かにやっちまった”んだ?
あの手口学んだらどうかね?も「反面教師として」と考えると発言に一本の筋が通る。
ワイマール憲法は”喧騒の中で”誰も気づかずに変わった。
喧騒の中で、ナチスへの熱狂と、共産党への弾圧の中で変わった。
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”だから喧騒の中で議論するな”
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という事だろ。
「民主主義否定するつもりもありませんが」
もナチスが民主主義の手続きに則って全権委任法を成立させた経緯のことを言ってるにすぎない。
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熱狂と喧騒の中で全権委任法が成立した経緯を批判的に論じている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-24/2012032401_05_1.html
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確かに麻生の話はあっちこっちに飛び、全体としてはよくわからない。
取りようによってはどうにでも取れるし、危険な単語も使用している。
しかし、その一部分を利用して、ユダヤ人団体にご注進報道までしやがった。
麻生じゃないが、「日本で騒いでいるんなら、ユダヤ人団体も騒がざるを得ない」
こっちの罪のほうが重いんじゃないか?
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「麻生太郎のナチス発言を国語の受験問題的に分析してみる」とかいうブログがあったが全く的外れにすぎない。かわいそうなくらいに
例えばコミュニケーション能力の場合、顧客との交渉がうまいことなのか,英会話できることなのか,論理的な説明ができることなのか,信頼を得られるような人柄なのか,場の空気を読んで流れに水をささないことなのか、読唇能力があることなのか、twitterやFacebookで影響力があることなのか、ぐうの音もでないほど論破できる弁論力なのか、相手を萎縮させて言うことをきかせる恫喝の力とか、ウソでも100回言って本当のことにしてしまう宣伝能力なのか、ウソをウソと思わせない詐欺師テクなのか、教祖様になれちゃうくらいのカリスマとか、ちょっと教えてくださいよ、と。
それらを出来るだけ網羅していて、コミュニケーションスキルの引き出しが多い人=コミュ力が高い人。
上司やら人事やらが、こんな言葉を使ったら、実際には何も考えてないと受けとめた方がいい。
例えばコミュニケーション能力の場合、顧客との交渉がうまいことなのか,英会話できることなのか,論理的な説明ができることなのか,信頼を得られるような人柄なのか,場の空気を読んで流れに水をささないことなのか、読唇能力があることなのか、twitterやFacebookで影響力があることなのか、ぐうの音もでないほど論破できる弁論力なのか、相手を萎縮させて言うことをきかせる恫喝の力とか、ウソでも100回言って本当のことにしてしまう宣伝能力なのか、ウソをウソと思わせない詐欺師テクなのか、教祖様になれちゃうくらいのカリスマとか、ちょっと教えてくださいよ、と。
たぶん、こんな曖昧な言葉を言う彼らは具体的に何をしたいとかさせたいとか、今後どうしたいとか、10年後にどうなるかとか考えていない。
「みんな」が言っているからつられて言っているだけだ。曖昧なキーワードでわかった気になって思考停止して、流れにのっているだけだ。
自分たちが何をすべきかなんて考えない。キーワードが何度も耳に入れば「みんな」が言っている普通のことと受け入れて、回りと同じことをするのがもっとも安全だと信じているのだ。
あー、これよくわかります。
僕もファッション弱者で、今でも弱者ではあるんですが、自分で納得できる服を選べるようになりました。
ファッション弱者は、とりあえず服は買ってみるんだけど、何かしっくりこなくて、自分でも不満を抱え、
それがストレスになって、ファッションが怖くなったりしますよね。服が理由で出かけるのが嫌になったり。
自分の経験から照らし合わせても、増田の方法なら、ファッション弱者からの脱却は効率的にできると思います。
ファッション弱者は、自分にはどんな感じの、どのくらいのサイズの服が合うのかがわからず、
適当に「これいいんじゃないか」と思ったものを買って、後悔しがち。
実際に着てみる、組み合わせてみることで、自分の合う服、サイズ、組み合わせ方がなんとなくわかるようになります。
ジーンズなどは、このときにサイズ、丈を覚えておけば、通販する時に便利ですね。
僕らファッション弱者はコミュ障をこじらせていたり、ファッション慣れしてないために場の空気に圧倒され、
「とにかく何か買ってさっさと帰ろう」としてしまうんですよね。
その結果、家に帰って「本当はコレじゃなかった」とか後悔して、
あげく「俺は何やってもダメなんだじゃないか」と自己否定に走る。
通販だと、自分の好きなものを、誰にも邪魔されずにじっくり選べるし、
その過程でいろんなデザインに触れることで、自分の求めるものが相対的に理解しやすくなるんですよね。
ファッション弱者は「流行なんて」「服に何万円もかけるなんて」って考えるタイプが多いと思うんですが、
この方法は、自分に合うものを価格帯に関係なく自由に選べるので流されている感じは全然ない、というのもメリットかもしれません。
片や自分らは平和を謳歌してて、片やその平和のせいで今も苦しんでる人がいるというのに
平和主義者ほど、こうして苦しんでる人の気持ちを汲んでなくて
自分の「正義」という欲求解放のためだけに戦争放棄を謳っていて、
個人的にはそちらの方が無責任だと思う。
平和を願うとか動物愛護を謳う事が出来るのは同じ境地に、同じ境遇にいる人だけに許される権利だと思う。
何も知らない癖にちょっと見た聞いた位で「可哀想」だと言うだけの人間、それで抗議デモを起こす人間っていうのは実情を知らないクズでしかない。
それは却って、今苦しんでる人達や動物を余計苦しめるだけだよ。
黙って静観しろとは言わないが、既にこれが最善だという処置がとられてるのに横槍を入れるのは場の空気を壊すようなものだ。
やるなら国を動かす位の気概を持って臨まないと、人を苦しませているだけにしか見えないぞ。
可哀想とかそういうのはいらない。
本当に困っている人を支えるだけでいいんだよ。
今まで新卒枠で仕事探してたが、年齢制限に引っ掛かってしまった。
ハロワのくせに年齢制限掛けるとかどういう了見なんだよと八つ当たりしたくなったのをぐっと堪えて今は一般枠で一般の人らと一緒に仕事探す日々。
年齢制限の目安で25歳以下、28歳以下、30歳以下、35歳以下っていうのがあるけど、大企業クラスだと25歳以下で制限掛けてる所が大半なので驚いた。
おいおい、これ年齢制限で引っ掛かるんなら、大学卒業時期に25とか26だと実質就職厳しいんじゃないのか。
就職サイトのリクルート採用は凡そ既卒三年以内も入れて25歳までになっているが、院卒だと遅生まれで27というケースもあるが、
そういう人間はリクルート枠からもれなく除外されてしまう素敵仕様になっている。
年齢制限といえば、昨今の地方公務員枠も30歳未満にし出してきている。
26になり、来年27になるころには就職なんて夢のまた夢になってしまうのでは?と最近よく思う。
院卒の就職率は前年比よりかなり落ちている、というより元々企業は院卒就活生を採用する気がさらさらないような気が合説やセミナー等を見ると納得してしまう。
年を重ねていくと、場の空気が読めるようになってきたけど、実際就職出来るのは場の空気が読めない若い子ばかりなんだから、リクルーターの言う空気読める人が欲しいっていうのは
矛盾してると思う。
何にしても就職できないのは社会が悪いというより、国自体が25歳以上の新卒や既卒を受け入れる体制を作ってないから民間もそれに倣ってるというのが正しい。
それで社会が悪いっていうならその通りだと思う。
俺は疲れていた。
二転三転したお店の選定、花束の準備、あいさつの根回し。会場は人気店で、乾杯のビールが少し遅れた。遅れて参加した古参は、「こんなことならボクの推薦したお店にすればよかったのに」と、同じセリフをのべ三度申し述べ、その度に会場の空気を底冷えさせた。俺は笑顔をほほに貼り付け応対し、ビールジョッキを五杯空けた。ビールは嫌いだ。
やたらクラッシュする俺らの成果物。うだつの上がらぬ俺の評価。「3-」と書いた俺の自己評価シートを指差し、「マイナス3の間違いか?」と、上司はゲラゲラ笑っていた。気の利いたジョークのつもりか。
「営業のノジマです。ASAPで明日の朝までにお願いし」俺はメールを読むことを放棄し、電源ボタンを長押しする。ネクタイを外した。
俺は疲れていた。
予定の降車駅の手前で降りた。まだ終電には間がある。少しだけ新鮮な空気が吸いたかった。よれたスーツで街を歩き出す。
「どうですか帰りに一杯?」・・・うるさい。
「さっ、キャバクラのご利用は?」・・・うるさい。俺の気は晴れない。俺の居場所はこの街にも無いのか。
ふと、ゲームセンターの前を通りがかり、気まぐれに自動ドアをくぐる。一時避難だ。
何年ぶりだろうか、ゲーセン。
高校時代は、ストII。予備校に通っていた時分は、バーチャファイター、鉄拳。1フレーム単位の読み合い、思惑のやり取り、日々、開発される新しいテクニック。一度も話したことはない、「馴染み」の対戦相手の客たち。当時のオレはゲーセンには「何か」があるように感じられた。
就職した頃、馴染みだったゲーセンの前を通りがかると、「プリクラ屋」に変貌していた。UFOキャッチャーとプリクラの前にあふれる笑顔、優しさ。彼氏彼女。明るい店内。かつて「ギャラクシアン^3」が稼働していたこともある一階は、屈託のない笑顔に塗りつぶされていた。オレはゲーセンに行かなくなった。どのみち、時間もない。ゲーメストのバックナンバーを処分し、俺はいつしか「社会人」になっていった。
このゲーセンは「プリクラ屋」ではないようだが、あの日の空気とはやはり少し違うもので満たされている。しかし、「行くあてどない、どこか弛緩した匂い」を感じとることはできた。「イラッシャイマセ」ぎこちなく声をかける店員に反射的に笑顔を返す。まずは店内を一望してみるとしよう。
何やらロボットものの大型筐体の前を通りがかる。少し興味をそそられるが、こういうものをやり込む根気が俺にはもう無い。
「レトロゲーム100種類が遊べます!」・・・いまさらパックマンやペンゴでもあるまい。俺に懐古趣味はない。
「鉄拳」シリーズの筐体の前で足を止める。少し懐かしい気がした。だが、俺の知っている「鉄拳」とはすでに大きく異る別物のように思えた。「鉄拳」のインストラクションカードを眺めていると、学生風の二人連れがコインを入れ、CPUを翻弄し始めた。
ぼーっとその鮮やかな手際を眺める。俺が彼に追いつくにはいくら必要だろうか?楽観的にみて、一週間の事前研究と、数ヶ月間に30,000円ほどの資本投入というところか。俺はそれほどゲームが上手いほうではないから、どうにか勝負らしくなるにはそんなところだろう。
しかし、仮に勝負になったとして、その先にあるものは何だろう。さらなる研究と、技の正確さの向上、日々開発される新しいテクニック。俺にとって新しい体験は無いように感じられた。しばらく画面を眺め、その場を立ち去った。
気がつくとまた入り口の付近に来ていた。「音ゲー」と呼ばれているものが固まっている一帯らしい。デイパックの太っちょが目にもとまらぬ勢いで両腕を繰り出し、画面中に降り注ぐバーを消している。俺はギャラリーの間に割り込んでしまったらしく、少しいたたまれぬ思いで脇によける。
しばらくギャラリーの後ろに佇んでいた。ふと、振り向くとそれはあった。ポップンミュージック。誰も気に留めている様子はない。こういうのが俺向きかもしれない。俺は「音ゲー」をやったことが無いが、気まぐれに、コインを投入した。
「オッケーイ♪」不思議な世界が展開しはじめた。ちょっと毒の効いたデザインのキャラクターが画面を飛び跳ねる。明らかに若者向けのキャラクターたち。今の俺は擦り切れたようなオッサンだが、不思議と、彼らに受け入れられたような気持ちがした。
キャラを選択する。「オッケーイ♪」なんだか、少し楽しくなってきた。一曲目が始まる。どうもボタンの対応がうまくいかず、隣のボタンを叩いてしまう。タイミングも合わない。バッシバッシとボタンを強打していているうちに終わった。
あまりスコアも良くないが、二曲目が選択できるようだ。どういうルールかまだ把握していないが、命拾いしたらしい。続いて二曲目を選択する。
やはりボタンを強打してしまう。これは良くない兆候だ。手前の緑、赤、緑を意識に入れ、ほかを「例外」として扱うようにイメージを切り替える。少し押し間違いが減った。余裕が生まれたせいか、タッチも少し柔らかくなる。まだタイミングがあわず、目押しのコツを探っているうちに終わる。やはりスコアはあまり良くないが、不思議と楽しくなってきた。
そうこうしているうちにゲームが終わる。続けざまに2コイン目を入れる。「オッケーイ♪」俺たち、もうフレだよね。そんな感じ。また少し、心が軽くなってきた。
2クレジット目はあまり上達を気にせずに、好きにボタンを叩いてみる。女々しくて女々しくてー、少年よ神話になーれ、つーけまつーけまつけまつげ。そういえばカラオケも何年も行ってなかったな。
3コイン目は入れず、店を後にした。深呼吸し、空を仰ぐ。まだ終電には間がある。一駅だけ歩いてみることにした。
ポップンミュージック、いいじゃないか。
たまにはこういうのもいいもんだ。
スーツを肩にかけ、歩き出した。