はてなキーワード: 場の空気とは
ステージ上にパフォーマーさんが表れ、子どもたちは我先にとステージ前に集まっていった。
親たちは少し離れた位置でそれを見ている。
親子イベントということもあって、パフォーマンスの内容は色々な作品を作っては子供にプレゼントするというものだった。
6歳の息子は物怖じしない性格でぐいぐいと最前列に出て猛アピールを続ける。
3歳の娘は場の空気に圧倒されてしまったのか、少し離れた位置で参加したい気持ちと葛藤した様子でイベントを眺めている。
息子のあまりの食いつきっぷりにパフォーマーさんも少し持て余す様子。
一向に作品をもらえない息子だが、一生懸命アピールすれば報われるわけではないことを知る良い機会だと温かく見守っていた。
しかし息子氏、よっぽどもらいたかったのか女子向けの作品にすら小さな女児を差し置いて猛烈にアピールし始める。
そこは流石に空気を読む必要があることを教えねばと、戻ってきたら言い聞かそうと思っていた。
娘はもらえないことを悟ったのかすでにこちら戻ってきて妻の膝の上に座っている。
かくしてイベントが終了するもとうとう一つとして作品をもらえなかった息子。
案の定妻のもとに来るとそうそうに顔をぐしゃぐしゃにして大声で泣き始めた。
作品をもらえた子どもたちに肩身が狭い思いをさせるのも申し訳ないと、「だらしがない!」と叱りつけようとした瞬間、息子は泣きじゃくりながらも思いがけない言葉を口にした。
「妹に、取ってあげたかった!」
それを聞いた瞬間、兄に抱きつきながら同じく火の着いたように泣き始める娘。
慰めるように二人を抱きしめる妻の目もすでにうるうるしている。
そんな状況に耐えられるほどぼくの涙腺も強くはなかった。
端から見たらもらえなかったくらいで一家総出で大泣きとかどんだけだよって思ったかもしれないけど、息子の成長と家族の愛情を思いもよらない瞬間に実感できた幸せに溢れる出来事でした。
ライブ行くと、ノリすぎて自分の世界に入りすぎてちょっと面白くなっちゃってる人っているよね
ぎゅーぎゅーのモッシュピットから少し外れた後ろのほうにいがちな感じの
これはバカにしてるんじゃなくて いや、そりゃあ少し笑っちゃうんだけども
そういう人が何人もいて、みんな好き勝手に楽しそうにしてるのとか
そういうのを全部含めて自分はライブとかそういう空間が好きなんです
君のMVでも撮ってるのか?ってくらい入り込んでてものすごく目を引いた
本当に楽しそうだなぁと横目に見ながら笑ってしまったんだけど
その彼が、激しい曲から落ち着いた曲に変わって青白いライトがステージを照らし出した瞬間
ライブとかフェスとか、後ろの方にいると写真とったり(たまに動画も)してる人が割といる
私はルールは守りたいほうなので あ〜なんかいるなぁ・・って思いながらいつもモヤモヤしてるんだけど
で、サッと写真を撮った彼はまたMV撮影モードに入って自分の世界へ潜っていった。
その後また激しい曲を挟んでからステージを青白いライトが照らして
ファンだったら間違いなく「ここがクライマックス!涙不可避!!」って曲がきた
そしたら彼はまたポッケからスマホを取り出し、さっきの写真の撮れ具合を確認。
今度は一瞬で済ますどころか、気に入るような写真が撮れるまで、いつまでもずっと写真を撮ってる
なんなら周りの人のほうがさっきの彼のようにエモいモードに入り込んでいるのに
ずっとなりふりかまわずライブに酔ってた彼は、うってかわって冷静に、白く光るステージめがけて、シャッターをタップし続けてるのだった・・・
今目の前で起こってることを焼き付けて、その場の空気を浴びることこそがライブの醍醐味だと思うんだけど
何しに来たんだお前・・・
インスタかツイッターか何かに上げるつもりなのか、もしかしたら自分の思い出用なのかもしれないけど
一番のクライマックスを体感するよりそれを写すことのほうに意識が集中してるのね
さっきまでの入り込みようはなんだったんだろうか
たとえば唐突に「君はこれどう思う?」と聞かれたとする。
こういった時どの物差しで測ってから答えるべきかが分からなくなる事が多い。
つまりは、
こういった感じで一見すると分かりにくい選択肢が提示されていたりするわけだ。
これを瞬時に判断するのが苦手だ。
空気を読む、コミュニケーション能力、そういった曖昧な表現で誤魔化されがちだけど、これって何気に難しい(自分みたいな社会不適合者にだけ難しいのかもだけど)。
相手が本当に自分の意見を聞きたいなら1の自分の物差しで測って答えを言うのが正しい。
だけど相手が聞きたいのが、世間的にはこれがどうなるかを再確認したいという場合は自分の主観よりも客観的な視点で測った方が質問の意図にそう。
もしかしたら相手はこちらの意見なんて求めて無くてただ同意されたいだけなら、自分の物差しは捨てて相手の物差しで測ってしまった方が無難な事も多い。
場の空気や流れによっては、普段使っている物差しをそのまま使うのではなく補正した方がスムーズに話が進むこともある。
「君は」と言われているはずなのに、自分の物差しでそのまま測るとコミュニケーションエラーが起こるパターンがあるのが本当に難しい。
自分のような社会不適合者から見ると世の中のコミュニケーションは不確か過ぎる。
一見するとちゃんとコミュニケーションを取れる前提が揃っているように見えて、実際は落とし穴だらけの綱渡りの連続だ。
言語を使えば話がちゃんと伝わるはずだという根拠のない信頼感が、かえってコミュニケーションを難しくしている可能性すら感じてしまう。
いっその事全てをもっとファジーにして元々ファジーだから仕方ないよねと割り切れる世界にしたほうがいいのではないだろうか。
流石にそれは言い過ぎか。
となると人間の使う言葉がまだまだ不確かで改良の余地があることを皆が自覚すべきなんじゃなかろうか。
前例主義に囚われて揚げ足を繰り返せるレベルで言葉が完成されているという妄想を捨て去り、もっと流動的に積極的に言葉を成長、進歩、進化させていく意識を持つべきなのではないだろうか。
こんな事言っても社会不適合者の責任転嫁と思われるだろうけど、そうしていった方が結局は皆のためになる気がする。
気がするだけなのかな。
二つ下の男性の後輩がいる。その彼がわたしのことを好きだという噂を周りから聞かされる。
周りの同期や先輩がこぞって「あいつお前のこと好きらしいよw」という囃し立てに、正直うんざりしている。
わたしに彼氏がおらず、たまに場の空気で「彼氏ほしい」と無責任に口走るのがいけないというのはわかっている。
だけど、じゃあ彼が告白してきたら付き合うかと言われたら、その気は全くない。
彼氏はほしいし結婚もしたいが、お互いそう思える人がいないなら、誰でもいいから無理にしたいとは思わない。
いわゆる「生理的に無理なタイプ」というのは、なんというか本能的なもので、どうしようもないのだ。
わたしのことを誘えないからといってわたしの同期に頼んで4人の飲み会を開いてもらうことで、
味方を広げて断りづらく外堀を埋めてきたり。(ちなみに職場の男性にはだいたい筒抜けらしい)
自分から主体的に話そうとせず、わたしのいうことなすことすべて肯定してきたり。
好みのタイプは? と聞かれ、当時「年上がいいです」と答えたら、
わたしが帰ったあとに周りの人に「○○さんは年下のほうがいいと思うんですよね」と言ったり。(お前になにがわかるんだよ)
こんな酔う価値もない会で悪ノリした同期と先輩がポッキーゲームをやれと言い出し、きつく断ることもできないので
渋々応じたら、あろうことか普通に大喜びしだしたり。(普通こんなきっかけがなきゃできないのかって落ち込むところだろう)
酔っ払いと少人数でカラオケに行くなんてろくがことが起こらないとわかっているのに、断れなかったわたしが悪かったのかもしれないが。
片思いのしんどさは非常にわかる。そのしんどさを周りに理解されたい気持ちはわたしにもある。
だけど、彼のやっていることは「気持ちを伝えたいという行為」ではなく、「片思いしている自分の見せびらかし」だ。
付き合わされるわたしの気持ちはどうでもいいのか。「みじめで恥ずかしいからやめてください」と言わないとわからないのか。
それともどんな方法であれ、アピールし続ければいつか通じると思っているのか。
この春大学生になった私はカルチャーショックに驚きを隠せないでいる。
みんな、すぐに、寝がち。
セックスは別に汚いことだと思わない。ああ、愛情表現の行きついた先なのかなあと思う(性的欲求を満たすためという人も一部存在するが)。
一年先に大学生になった友人からの経験談や、そういった類のビデオなどで知識はあるものの、自分とセックスが結びつかない。
そりゃ経験したことないんだから結びつくも糞もないとは思うのだが「怖い」「いやだ」「経験したくない」という気持ちがものすごい。
高校の時から付き合っている彼氏がいるのだが、大学生になったことだし「私と寝たい」というオーラがものすごい。
彼のことは尊敬しているし、一緒にいるとドキドキするし、とても好きだ。だがセックスはしたくない。正直あんまりキスもしたくない。
向こうのセックスしたいという思いが本能的なもので、抑えられない(のだろう)ということはわかっている。わかっているが、何があってもセックスしたくない。
どうしてと言われてもよくわからない。生理的にイヤとしか言いようがない。
これは困ったぞと友人に相談するも、一回経験したらなんとかなるってというアドバイスしかいただけない。
その通り、一回経験したらこんなよくわからないモヤモヤも吹っ切れて簡単にセックスできるようになるのだろうか。
それとも本当は今の彼氏のことが好きではないから何があってもセックスしたくないと思うのだろうか。
もしくは私はどんな男性に対してもセックスしたいと思わないのだろうか。
世の女性はその男性が好きだからセックスしたいと思ってするのか?それとも好きな人がセックスしたいと言っているからそれに付き合っているのか?
夢を見すぎなクソ処女の戯言なんだろうなあとはわかっていつつも、心がつながっていればそれでよいのではないかと思ってしまう。
キスは怖い。セックスはもっと怖い。ただ二人並んでのんびり海を眺めているだけではだめなのだろうか。
彼氏は私とキスをしたがっている。そのためいい雰囲気を作ろうとしている。
が、私はそれが怖いので雰囲気クラッシャーとなっている。なんかキスできそうな良い感じ……になったら急に変な話をふったり、とにかくその場の空気をクラッシュ。正直向こうは死ぬほど興ざめしてるだろうし死ぬほどイヤだろうけど。いつかホントに真面目にフラれそうだ!
こんな気持ちのまま彼氏と付き合っていていいのだろうか、いつか彼とセックスしたいと思う日が来るのだろうか(その前に愛想尽かされフラれそうだが)。
それとも他に真に好きな男性が現れその彼とセックスしたいと思うようになるのだろうか。もうなんにもわからん。
と、いろいろゴチャゴチャ言っているが、もしかしたらこういう風に純潔ぶってる自分に酔っているだけかもしれない。
純潔キャラに飽きたら、この3か月後そこには元気に男性と寝まくっている私の姿が!ということになっているかもしれない。
もう全部わかんないっす。
一昔前のテレビでは、いじめのようないじりが横行していたらしい。
まあビートたけしに言わせれば、そうやっていじられるのは本人にとっておいしいそうで、
実際その通りなんだろうが、真似して同じことをされる一般人には何のメリットもない。
今ではあからさまな低俗要素は鳴りを潜めた。一方、今のお笑いはあるあるネタを筆頭に、
「いかに人の同意や共感を得るか」や「みんなと楽しめるかどうか」が重視され、
「あれは真似してもいい」「むしろ真似した方がノリがいい」という風潮まで生まれている。
コミュニケーションの手段やお手本として扱われてしまっているのだ。
場の空気が当然好きだよな?となってしまったら好きだと言わなきゃいけない時ってあるんじゃん。
ましてやこの場合、その「ビール嫌いなやつが自分の周りでは多いんだぞ!」って言ってる人を糾弾している場所とも取れるし。
好き放題言える匿名のトラバではまだ好き放題元増田の用語もできようけど
この空気でブコメの方でそういうことは言えない人が多いと思うよ。
あと多分「恋人にするならどういう人がいいか」「風俗嬢を選ぶならどういう人がいいか」「AV女優を選ぶなら」「なんとなくご一緒して嬉しいと思うのはどういう人か」
とか一口に異性の属性の好みと言ってもどういう場合かいろいろあるしなあと。
一番の理由は寒さだ。
寒さに極端に弱い人間にとって、この時期野外で飲むのは、生きながら味わう地獄でしかない。
そうなると全てが面白くなくなり、完全に心がスニッカーズの泉ピン子になる。
あと、冷えて全然美味しくない自称料理自慢の手弁当を食わされるのも苦痛だ。
もうさあ寿司取ろうぜ、いい歳の大人は…みたいな感情が口に出さずとも全身からオーラの如くほとばしり、場の空気を悪化しかねない。
寒い・泥酔した友人がウザい・トイレもままならない・冷えた弁当が全然味しくねぇ。
と、ヘレンケラーの三重苦を上回る苦痛さに、ここ数年誘われてもことごとく辞退している。
でも、花見をしている人を、外から見守るのは本当に楽しいんだよな。
江戸遊びをしたり、太鼓と笛に合わせて踊っていたり、雀卓持ち込んだり、おっさんの二人組が目を細めて川辺でぷかーっとタバコふかしたり。
みんなこの世の極楽みたいだ。
でもあの仲間に入るのはごめんなんだよな。あの仲間に入りたい気持ちはあるのに。
もう4年くらい前になる。
人生ではじめて付き合った女性と別れた時、言われた言葉がこれだった。
「あなたみたいな子供が産まれたら、ぜんぜん可愛く思えないわ!愛せない!あなたみたいな性格だったら悪夢!一匹だってこんな辛いのに、こんなのが二匹も!」
なにも反論できなくて、反論すべきかもわからなくて、とにかく落ち着けと言っても聞いてくれず、もう寝ると言って布団をかぶった。
彼女は俺のことを好きではなかった。
昔、一度告白して断られた女が、高齢無職になってすり寄ってきて、押し切られて同棲。
自分のほうにも、ババアをもらってやってるみたいなおごりが確かにあった。
あれから、いくつかの変化があった。
まず、実家とは疎遠になった。
それと、他人に嫌われることが平気になった。
好かれたり嫌われたりは、人間の価値とは無関係と思うようになったからだ。
世の中には嫌いな人もいるだろう、そのくらいに思えるようになった。
凄惨な事件にも悲しくなることがなくなり、葬儀や送別会や映画でも悲しくなることはなくなった。
タイタニックの船が縦に沈んで、人がバラバラ落ちる描写や、鼻水を凍らせながら愛を語るシーンで笑えるようになった。
人は、(相手の心は)(現象は)こうあるべきなのにそうではない、ということで怒ったり悲しんだりする。
褒められるはずなのに褒められない、愛されるはずなのに愛されない、ずっと一緒に居たいのに、別れないといけない、などなど。
そういうことに気付いたのだと思う。
ただ事実だけをみつめて、結果だけを受け止めれば、なにを言われても平気に、誰と離れ離れになっても、誰が死んでも、わりと苦しくない。
感情がなくなったわけではない。
場の空気、前後の文脈や、他人の感情に干渉されずに、思うままに、感じるままに、生きられるようになった。
好きな服を着て好きなものを食べ、好きなことをする。
幸せと呼ばずしてなんだろうか。
長い前置きだったが、本題に入る。
恋人が出来た。
恋愛をしたいと思って付き合ったけれど、自分にとっての恋愛は、夏の虫取りくらいの重みしかなく、セックスはスポーツで、結婚なんて微塵も考えられない。
このことを伝えるべきだろうか?
追記
人の感情に流されなくなってから、投資で失敗することがなくなった。
例えば、今年はトランプ大統領が誕生しようと、イギリスがEUから抜けようと、パニックで相場が動いてるのを冷静に見て取れて、大きく利益がでた。
自分は、体育の授業はもちろん、お遊びとして体を動かすこともすごく嫌い。
学校の授業を離れたところで、例えば友達とスポーツセンターでバドミントンや卓球とか、懇親目的でスポーツ大会をするとか、ダイエット目的でジムに行くとか経験したけれど、どれも全然楽しめなくて、苦痛だった。
体を動かすこと、特に体を動かして勝ち負けを競うことが、すごく醜くて野蛮に感じる。ワイワイ楽しそうにバスケをやっている人たちを見て、何でそんなに必死で争うの?仲良くしようよ、って、必死な人達を醜く感じる気持ちと、争いを悲しむ気持ちが湧き上がって、泣きそうになる。
ジムは、体を引き締めたくてわざわざお金を払って何回も行ったけど、やっぱり体を動かすことが嫌で、数回行ってやめてしまった。
友達と遊びでバドミントンなんかをやっていても、必死に体を動かす友達の様子を見るのが苦痛だし、自分も動きたくないから、場の空気を悪くしてしまう。ゲーセンのエアホッケーを友達がやり始めても、必死な人達を見ていられないから、参加しないどころかすぐその場を離れてしまう。
最近は、恋人とお遊びでスポーツ(スポセンとか、公園とかで)やってみたいな、と思うことがあるけど、実際にやり始めたら絶対自分は苦痛に感じて、恋人を嫌な気持ちにさせてしまうことが分かりきっているから、やらない方がいいんだろう。
私にはADHDとPDDの2つの発達障害の診断が下っている。いわゆるASDの気があるADHDというやつだ。
しかし支援が受けられるようなレベルではなく、定期的にカウンセリングや診察を受けている程度。
一応正社員として働いて自立しているが、今のところなんとかクビにならずにやっていけているのは本当にただただ運がいいだけの綱渡り状態でしかないと感じている。
しかし主治医に言わせると私程度では投薬をするほどでもないらしく、認知行動療法だの、自分用マニュアルを作るだのをしながら、
日々塞いだ穴と違う穴から水が漏れては失敗を重ね、社会から完全に脱落してしまうことへのカウントダウンが進む焦燥感をちょっとずつ募らせている。
以下はそんな程度の人間が、自分の状況を確認するために書き殴った、こういうことがあるよね、ということの羅列。
無駄に長く読みにくいが、その辺も含めて現時点での自分をよくあらわしている気がするのでこのまま残しておく。
一般にかなり生き辛いとされるっぽい併発マンの1サンプルとして御査収ください。
個人的な感覚としては、確かに生き辛いけど不幸ではないかなー?といったところ。
落ち着きがなく早とちり、常に体のどこかが動いており、隙あらばクネクネと身を捩って踊り始める。
道を歩けば電柱に激突し、側溝に落ち、何もない場所をまっすぐ歩いているだけで躓いたり足が絡まったりしてすっ転ぶが、転び慣れていて受け身は妙に上手い。
手に力を入れる感覚というのがまだ今一つ習得できていないらしく、握力計で測るとR9㎏/L6㎏とか。
当然力仕事は戦力外で500mlのペットボトルを持って歩いているとすぐに取り落とす。
何とかしようとスポンジボールをグニグニ握ってみたりするのだが、30回もやると手の平が攣る。
余計なことや場の空気をわきまえない発言をしがちで、それを予防するために、
職場では明示的に発言を求められない限り挨拶以外では口を開かないように気を付けている。にもかかわらずこのテの余計な一言による失敗が年に数回はある。
些細な言い間違いなどの流していい引っ掛かりで思考が完全にフリーズし、人混みや刺激の多い空間に行くと簡単にパニックになる。
他者の心の機微に疎く、表情は読み取れず、冗談が冗談とわからず翻弄されて勝手に疲弊し、相手からは呆れられる。
金銭の管理ができず、いくら気を付けていても持っている分だけ使ってしまうので、財布の中に2000円以上の現金を入れておくことができない。
異常に楽観的で、20分以上かかるような作業でも、根拠なく7分あればできると思い込んで毎回失敗する。
何事にも危機感がなくヘラヘラしているように見られるが、そうは言っても来月の給料日まであと20日で所持金1300円というような状況でも、
花が風に揺れていたり、子供が楽し気に遊んでいるのを見たりすればそれはそれとして笑顔になってしまう。
普段は抑えているが、一人になってリラックスしてしまっていると、
ちょっとした苛立ちからのボルテージの高まりを制御できなくなって癇癪を起こし、
最終的にホァーホァーと奇声を発して跳ねまわりながら自身の頬や体をパチパチパンチの如く乱打したり頭をぶつける発作を起こすまでに至る。
初対面の相手と3時間ミーティングをしたら、その日の夜から38度越えの高熱を出す。弟が試験で家に泊まった後も寝込んだ。
ネクタイや襟付きの服のボタンを上まで留めて一日過ごすだけでも高確率で熱を出すので、冠婚葬祭は休みを最低2日確保できなければ参加できない。
靴下を履いているだけで集中力が3割ぐらい減る感じがするし、爪は念入りにお湯でふやかさないと痛くて切ることができない。
パニック発作はだいぶマシになったもののまだ満員電車に乗ると3駅10分に満たない移動に途中下車を必要とし、降りると脂汗でドロドロになる。
夜は安定して寝付きにくく、帰り際に見た月がとても大きかった程度のことでテンションが上がってしまって、朝まで眠れず生活リズムが容易に崩壊する。
たまに早く寝付いてたっぷり眠れた日でも関係なしに朝は朝で大変起きにくい。
起こされても起こされたことを覚えておらず、場合によっては無意識に手足を振り回し奇声を発して抵抗するらしいのだが、記憶はない。
遅刻ギリギリで支度をしていたはずなのに、ハッと気付いたらピンセットを手に2時間近く腕毛をひたすら抜いていてスマホには会社から山ほど着信がきていたりする。
そういえばよーく思い出せばなにやら目の前でスマホが鳴っていたような気がしないでもないでもない……。
慌てて会社に向かいながら、衝動的にいつもと違う道を選んで迷子になり、道を確認しようとしたらスマホは家に忘れていた。
雨が降れば酷い頭痛に襲われ、雨に濡れるとアンパンマンのように覇気を失って耐え難い眠気に襲われ眠り込み、太陽の日差しを浴びて吐き気を催す。
そうかと思えば下痢が出るまで腹が冷えていることにも自分が寒さを感じていることにも気付かずむしろ暑いと感じていたりする感覚のエラーがある。
湯たんぽやストーブで低温やけどして皮膚がグズグズになっていても気付かない。
吐くまで自分が満腹であることに気付かなかったり、ガス漏れや下水の逆流にも気付かないほど一部の感覚が鈍い。
そのくせ視認、認識している痛みには過敏で、袖口やニット帽の締め付けが痛くてつけていられないし、
テレビや映画の他人のケガを見ているだけでも同じあたりが本当に痛み出して使えなくなってしまう。
同じように、体調が悪い他人を見ると、引っ張られて自分も本当に体調を崩す。病は気からとはよく言ったものだ。
奇跡的に結婚に漕ぎつけた妻は、ボディタッチが苦手で触れられることを無意識に拒否してしまったり、言われたことを忘れたりし続けて、
「宇宙人と暮らしている」「人の形をした別種の生物」という言葉が出てくるほど典型的なカサンドラ症候群に陥ってしまった。
その後抑うつ状態と診断された妻は心身の不調を頻繁に訴えるようになり、それに引っ張られて私も体調不良が激増し数年前には休職せざるを得ないところまでいった。
妻の体調を考えて妻を実家に帰して別居した結果、事実として途端に私の体調が劇的に改善してしまったので、他人と暮らす事自体に根本的に向いていないのだろう。
お互いに相手の事は悪しからず思っているので、現時点では別居したまま、一緒に住まない夫婦という形態を継続している。
耳からの情報獲得が壊滅的で、たびたび音声による意思疎通が困難なほど聞き取れないくせに、他人の話し声が耳に入ると頭の中の思考がすぐにリセットされる。
気を付けていても言葉を額面通りに解釈してしまっていてトラブルを起こす。
自分の普通が信用できないので様子を伺って行動を起こすのが遅れる。
3桁の数字すら覚えていられないのでメモを要するのだが、咄嗟にメモに書き込もうと取り出した時点で既に頭には何も残っていないので
相手がメモするほどでもないだろうと思っているしょうもない事ほど相手に二度手間をかけさせてしまう。
何度も見直して音読して指さし確認までした項目が、後から見ると完全に間違った内容になっていたりするし、
動かして整列させられない20個ほどのものを計数するような作業が苦手で、
何度やり直しても誤差が出るので何度も何度もやり直すが数が合わず、最後には数えながら眠ってしまう。
写真を撮ってペイントで書き込みながら数えるのが私がやる分には一番早いのだが、ただ数えるだけの雑用にそんな珍妙な方法をとる事には流石に理解も許可も得られない。
全体的に、長所は短所で打ち消されてそこまで伸びず、短所の数が倍になっているような印象がある。
過集中状態に入りかけたタイミングで、タスクを前から順番に潰していかないと落ち着かない
気持ち悪いというASD的な欲求が沸き出て来てしまうと、不得意なタスクにわざわざ向かってしまって集中がすぐに解けてしまうとか。
跳び込んだはいいが入水角度が浅く、すぐに浮いて来てしまうような感覚に似ている。
長所と長所の相互作用などもあってもよさそうなものだが、ADHDとASD的な特性の長所は割と違った方を向いていて、
うまくいい方向に重なって活かせるタイミングということが滅多にない。(ゼロではないし、実際に人生で数回爆発的な成果を残してはいる。)
今後も私は、周囲には踊り狂っているように映りつつ、もがく日々を過ごしていくのだろう。
A
【本音に対しての行動パターン】プライベートな時間でも割と本音を抑えてTPOに合わせた相応しい発言をする。しかし相手に合わせて何かやりたくない行動をしなければならない場合、サボることはないがかなり適当にならざるを得ない。裏表がある、と言われるのは、社会的にこうあるべきという思考または相手への気遣いから本音を抑えてその場をやり過ごしてしまうから。ただしあくまで抑えているだけなのでたまにポロっと本音が出てしまい、場の空気が少し悪くなる(主にB型相手の時)
※あくまで本音(自分の考え)に対しての行動パターンであって、上手くできるかどうかではない。やってるつもりでもTPOに対してズレた認識をしていて対応が下手くそな人もいるため、はたからはAに見えない人もいる。が、本人はこのように行動している。
B
【本音に対しての行動パターン】意見を他人に隠さない。ただしその意見は感情・気分によってブレるものである。また、自分の感情に対して最も素直なので、その都度自身の感情をアピールするために都合よく思考を組み替える。そのため意見に一貫性はない場合が多い。まわりからわかりやすいと言われるのは、その発言を通して感情がダダ漏れになっているためである。本音とは、感情のことである。また、この感情・気分は波が激しい気質である。
※その感情がうまれる状況は人それぞれであり、そこから主張に使われる意見もそれぞれであるため、わかりやすいとはいえ、それなりに付き合わないとわからない。
また、もちろんブレない思考もある。が、それはあまり感情の吐露に使わない。また、それは発言よりも行動に表れる。
O
【本音に対しての行動パターン】周りとズレることを面倒に感じるため、自分の本音(感情)を見なかったことにすることで周りに合わせる。決して言われているように何でもかんでも大雑把なわけではなく、軋轢が表面化するのが面倒なので周りに合わせることを優先しているだけ。 しかしどうしてもやりたくないことを他人に合わせて行わなければならない場合は、多くを語らず自分のペース・やり方を貫くことで無言の抵抗をする。またはやらない。
AB
【本音に対しての行動パターン】そもそも自分でも本音がよくわかっていない。行動パターンもバラバラ。しかしとにかく、社会、自分が大切にしていること・人・組織、恩のあること・人・組織、尊敬している人に対してとても真面目に向き合う。そのため、それらの分野においての「こうあるべき」が強すぎる場合が多く、自分のトラブルの大体の原因になっている。真面目すぎる。
※AB型に関しては、非常に真面目な気質が存在する以外のことがわからない。その真面目さが発揮される場所も人それぞれであるため、あまり目立った特徴がなく、数が少ないこともあり、人により性格が全く異なるように見えることが多い。そのため何にも分類できず、変わっていると評価されることが多いのかもしれない。
あくまでプライベートでどう行動するかの分析です。性格や行動は血液型に関わらず人それぞれだけど、その中でも血液型での共通項を探した時、行動そのものではなく、その後ろにある本音に共通項が見えたので、行動パターンとしてまとめてみた。
極端に女性の少ないコミュニティで、オタサーの姫のように扱われたくないときはどうすればいいんだろうか。
求めてもいないアドバイスをされたり、理由のないプレゼントを渡されたり、容姿などを褒められたり、正直言ってただただ居心地が悪い。
やんわり断ったりはするが、場の空気や関係を完全に壊すわけにもいかない。
いっそ誰とも話さなければいいと言われればそうだが、それでは何のためにそこに所属しているのかわからない。
自分では嫌だと思っているし、そういう扱いを受けないように気をつけようとしているのに、外の人には「オタサーの姫ってやつでしょ?」と言われたこともある。
誰にも頼らなくて済むほど私に能力があればいいのかもしれないし、誰にもそういう感情を持たせないように振る舞えればいいのかもしれない。
たくさんいる男性が全員人付き合いが上手い事を期待するよりも、私がそういう扱いをされないような人間になる方が早いとは思う。
でも実際そうなれてはいないし、これからも完璧にそうできるようにはなれないと思う。
この状況をうまく利用できる人や、断固として拒否できる人は本当に強いと思う。私にはどちらもうまくできない。
しんどい。
男です。仕事が忙しくていっぱいいっぱいの生活から、プロジェクトも終わり余裕が出てきた。
合コンにいい思い出はないけど、彼女できたらいいなーって感じでゆるく参加した。
僕が一番タイプのA子さんは、聞き役に回って場の空気を最優先する子だった。
ロングヘアーにピアスの跡がはっきりと見えていて、よく外でアクティブに動き回ってるんだろうな、とか思ったりした。
あまりフラフラした女の子は好きじゃないんだけど、よく目が合って別に雰囲気は悪くなさそうだ。
幹事の男からのアシストで、6人でライングループを作った。これで相互に連絡先を交換できる。
合コンが終わると、僕は真っ先にA子さんに個人ラインを送った。
他愛もない話をした。A子さんは長女だった。
持論だが、長女はしっかり者が多い。貞操観念もしっかりしている。故に付き合うハードルは高くなる傾向にある。
また、A子さんは飲み会が好きなようだった。週に2回は飲み会らしい。なんだか少し心配な趣味である。
とりあえず筋トレしてたるんだ体型どうにかせんとね。
キャバクラや風俗通いを自慢気に語るのは文化の変化でどうにかなってきた。
でも「開口一番にまずケチをつける」というコミュニケーションの取り方は次の世代に受け継がれつつある。
これじゃ駄目なんだ。
人を褒めるのが恥ずかしいとか、現実をわかってる俺様をアピールしたいとか、とりあえず自分が口にして気持ちよくなる言葉を言っておくとか、そういうチンケな気持ちで場の空気を悪くしちゃ駄目だ。
人として駄目だ。
日本の中高年は本当にそういうやつだらけだ。
誰もがとりあえず最初に何かにケチを付ける所からスタートする。
駄目なんだそりゃじゃ。
止めなければ。
しかしどうすれば。
日本はもう駄目なのか。