はてなキーワード: 団塊ジュニアとは
えっとまとめると、バブルの頃に社会にも余裕があるからフェミニズム!多様性!とか持て囃されたけど
違う
氷河期世代もバブル世代も20代くらいの頃の「大人」は古い人なんだから
でも、実際の若者は、そういう社会的な価値観から離れて暮らせる社会になったんだ
世の中に金が回って
個々人が勝手に暮らせるようになっていった
待ちに仕事が溢れて、それは田舎にも波及して、野菜作ってるだけじゃ暮らせない
冬は出稼ぎしなくっちゃなんて人は減って
親と同居する必要もなくなって
みんな好き勝手に生きたんだ
これは未だに続いている
30にもなって結婚の話もなかったの、とか
そういうマウントの取り合いで
社会的抑圧じゃない
ナデナデヨシヨシして欲しいだけの人らよ
えっとまとめると、バブルの頃に社会にも余裕があるからフェミニズム!多様性!とか持て囃されたけど
団塊ジュニアが子供産まないと少子化じゃん!ってことに気づいて社会が180度意見を変えて
でも氷河期世代は経済的な理由で子供なんか持てなかったんだから多様性とか関係ないけどな、みたいな?
そんでそのあとまたでもやっぱアメリカ方面からのポリコレ圧力があってしゃーなし多様性…ってなった、みたいな?
社会は余裕があると左側に倒れ、余裕がなくなると右側に倒れるっていうあれか。
まあなんの因果か氷河期世代は毎回社会の不具合の原因に祭り上げられるな…
でも彼らを作り出しちゃったのは誰なんだろうな?
東京都知事選が混迷を極めている。
保守のアイドル「小池百合子」と左派のアイドル「蓮舫」の戦いだ。
共産党の闇の力を手にした蓮舫が、絶対王者「小池百合子」に挑む。
民主主義の手によって。
これが今の日本だと、そう思う。
失われた20年が30年になり、40年に迫ろうとしている。
氷河期に陥り、その長い不況の中で自民党や、それに追従する資本家は、
日本を立て直した人々は、もういない。
あの頃は違ったのだろう。
日本には未来があった、ゼロから、マイナスから、立ち上がる未来があった。
確かに自由恋愛や、男女平等も無く、労働者の権利は今以上に弱かった。
黒部ダムの建築の如く、多くの人が見えない所で亡くなった現実も、あるだろう。
それでも、あの頃を生きた人には、
あの頃を生きた人は羨ましく、輝いていたように思う。
何も学ばない、愚息であったのか。
生き残った意味は、なんだったのか。
腐敗と堕落、慢心と楽観の中、
ただ漫然と過ごしたのならば、しらずのうちに選択肢が搾られるのは、
個人がそうであるように企業もまた、自治体も、国も、同様であろう。
もうすでに、この国に選択肢は残されていないのだと、そう思う。
今一度、立ち上がり40年に迫る遅れを取り戻す胆力も、不遇逆境の中、あらゆる汚名と損害を被ってでも尚、手にしたい未来も、
既に無い。
資本家に無いのも、政治家や、その周辺に佇む非民主主義的に滞在する者共も、同じであらう。
都民かあるいは市民の、名も無き人々に残された最後の選択肢なのかもしれない。
今、これを読む人々が、どれほど真に政策による社会変革を信じているだろうか。
それよりも望むのは腐敗した政治家と、その家族の破滅ではないか。
彼の上級国民の如く、衆愚の視線が求めるのは、傲慢と堕落に満ちた醜態を晒し、正義の名の下に捌かれる光景ではないか。
小池都政を私は評価できない身の上だから、彼女の功績の是非については語らない。
蓮舫が勝ち、そうして自民党政権が再び「お灸をすえられる」のだ。
しかし今、国民はあの時ほど、旧民主党系政党や左派連合に夢や希望を抱いている訳ではないだろう。
あの時ほど、夢と現に惚けるほど、愚かではない。
再び混迷の時代に突入して尚も、保守政党の破滅を望んでいるのである。
自民無き後、残された者たちに、国政を担う力は無い。
辛うじて生き残っていた多くの企業が、力を削がれるだろう。
残された世代も、力は無い。
あの戦後のように連帯し、明日へ向かって共生する事など不可能だろう。
辛うじて生き残った企業もまた、人を雇う力が無い。
頼みの綱であった外国人労働者も、
「人を育てる」ノウハウは失われ、同時に次の世代に何かを残す力も残されていない。
もし、それが決定的となる出来事があるとすれば、
2030年~2040年の震災か、2040年~2050年の戦争だと思う。
いずれにしても遅かれ早かれ、この二つは確実に起こる。
期待は出来ない。
そもそも自ら生き残り、私腹を肥やす事をしてきた世代の、その二世・三世だ。
日本というものに発展が見込めないのであれば、それを捨てない理由はない。
辛うじて維持されていた理性の部分が、瓦解する。
その事が否応なしに叩きつけられる。
いずれにしても、
だが、その時の日本に、
馬鹿だったなと、笑いたい。
増田の周囲で最近「働き方改革とかクソだ!」「リモートとか言わず出社しろ!」みたいな反動があり、職場の雰囲気が良くない。
課長も一時期は、人員を監視してムチ打つ労働監視員でなくて、プロジェクト進行を管理するプロマネ的な動きに変わって行ってるはずなのに、
また奴隷監視員みたいな管理をする人が出てくるようになってきた。大きなトレンドじゃなくて局所的な揺り戻しかとおもうけれど、
職場の雰囲気が恐怖政治的になってきている。指示を出すとき、大義や目的とか締め切り、制約条件みたいな基本的なブリーフィングなく、
「うるせぇごちゃごちゃいうな、おまえ上司のいうことが聞けねぇのか!」みたいな管理をする人がいてびっくりしている。
団塊の人達が無茶苦茶だった、という反省の素にすこしずつ改革を積み上げてきたはずだけれども、その辺の歴史的な認識が
部署によっては最近課長になっている氷河期世代の人たちに伝わっておらず断絶があるように感じる。
仮説1→事実
共働き世帯での家事・育児の負担は依然、女性に偏っている。総務省の社会生活基本調査によると、2021年に6歳未満の子どもがいる共働き世帯の1日当たりの家事関連時間は妻が6時間32分だった。1時間57分だった夫の3.4倍にのぼる。
06年は妻と夫はそれぞれ5時間19分、1時間1分だった。当時5.2倍あった格差は15年で縮まったとはいえ、米欧などと比べて女性への偏りが目立つ。
仮説2→男子は家庭科がなかった時代を生きてた団塊ジュニアはまだ中年で男性のボリュームゾーン。家庭でのお手伝い男女格差もあった、家事能力差は当然ある。
仮説3→有配偶の場合、死亡年齢の中央値は男性約82歳、女性約79歳。未婚の場合は男性約67歳、女性約82歳。