はてなキーワード: 因果応報とは
ニュース見てて、女子中学生監禁した人が誰かに似てるなあ似てるなあと思ってたら
ああそうだ。だいぶ昔に辞めてった奴に似てるんだ。
各局がこぞって使用してるあのアップ写真。見れば見るほどよく似てる。
なんつうのかね。顔のパーツのひとつひとつや容貌そのものはあまり似てないんだが、その奥から滲み出すものが凄く似てるっつうのかな。
いやー思い出すなあ。
求人も出してないのに偉いさんのコネで無理矢理入社してきた、兼業社家のそれも跡継ぎですらない予備。
ハッキリ言って歓迎されてなかったね。手ぇ足りてたし。しかも、入社前からアレコレ既に噂を聞いてたんだけど、
まだ資格取ってる最中の見習いでありながら地元での実習中に反抗、コネで入れてもらった別の土地の神社でも反抗。あと何社かリピート。
そんで、おハチがわざわざ遠方のこちらに回ってきたという話だったわ確か。
とはいえ、「下馬評が最悪とはいえ、実物を見て判断しなきゃフェアじゃない」と思ったから。
いざ入社してきたそいつの態度を見て判断しようと思ったんだけど。
やってきたのは渡り中間みたいに尻軽にあちこち転々としてただけでロクな仕事も任されてなかっただけの、もう若いとは言えない年の奴で、しかもどういうわけか“経験豊富”をアピールしてた。
斯界もまた生え抜きが評価される世界だ。お前がそのチンケな経歴を誇っている相手のお歴々は、上にそんなナメた態度なんざ一切取る事なく長期間勤め上げている方達なんだけど?と言いたかった。立場の勘違いも甚だしい。
それでもなお、「意に染まぬ遠方に来させられて傷ついているのだろう」と、務めて好意的に迎えていたのだが。
神社入ってきた奴がまず最初にこなす仕事もまともにやりゃしない。境内の一番遠い箇所の早朝清掃。率先しての受付。率先しての祈願奉仕。朝拝準備。雑用。肉体労働。
仕事をまともに覚えない。ひたすら自分のやり方でやりたがる。一体何を仕事の本質と思ってるのか知らないが、とかく伝統を受け継がない。
十歳くらい年下の指導役(そいつからすれば先輩)に仕事を普通に押し付ける。まあこれは新卒上がりの指導役がヘタレの風見鶏なせいだが。
もちろん神社というのは信仰や伝統を護持する関係上そう甘い組織じゃないから、見るに見かねて先輩や上役やらが注意するも、
スネるわゴネるわおどけるわ、でその場その場をやりすごし、指導すらまともに受け入れない。結果的に仕事覚えられなくて困るのはそいつ自身だったんだが。
人の言いなりになるのが死ぬほど嫌いなのによく前職が勤まったもんだが、もちろん組織人として下命に服さねばならない局面なんていくらでも巡ってくる。年功序列、上意下達。斯界の鉄則だ。
で、人の命令に従わざるを得ないときは、面従腹背。背任背信。陰口三昧。
あまつさえ職員間の対立構造を裏で煽って激化させ、対立者それぞれに相手への悪口を吹き込みつつ怒りを煽るだけ煽って、自分だけは味方ですよアピール。まるで密告社会みたいなのを作ろうとしてたっけ。
そのやり口もえげつなかったなー。
まず、幾つになっても口さがない巫女連中と神職の悪口で盛り上がり、距離を縮める。
やたらに反抗心を煽るだけ煽って、軽率な巫女連中に小さな反抗を繰り返させる。
巫女の突然の態度変化から、神職達もバカじゃないから巫女と新人との間に敷かれたラインにやがて気付く。
で、年だけ食ってて経験豊富気取りで、仕事覚える気もする気もない新人に対する指導。まずはその鋭鋒を一旦、鈍らせる。
新人に対する当たり前の干渉が止んだ一瞬の隙を突いて、上役それぞれに、個別に接近する。
方法は同じ。二人きりになるタイミングで、別の上役への敵意や体制への不満を煽る悪口で大盛り上がり。互いにけん制しあうように仕向ける。
粗暴な奴なんて日ごろからうまく誘導しておいて、機会があれば、自分の気に入らない奴に暴力振るわせたりとかしてたっけ。
もちろん上役達もバカじゃないから新人の小ざかしい動きには当然気付くんだが、さあ事ここに至ればもう手遅れだ。
指導神職たる上役達は新人の育成に力を注ぐのが常だから、互いの確執はさておき、ひとまずこの新人をこれまでの神職達と等しく育成しようと思い直していた様子は幾度も見受けられた。だが既に、個々人がそうは思ってもなかなか言い出せない状態に陥っていたらしい。
なにせこの腹芸ばっかり得意な新人は、ちょっとキツイ事を言えばすぐにスネ、別の上役に自分の悪口を吹き込みまくり煽りまくり余計に仕事をやり辛くさせるだろうという事がもう誰の目にも見えているからだ。
上役達はそれこそ何十年と同じ職場に勤めてきている地元の人間だから、そんな人間同士で揉めたくなんかない。
結果、自ら煽った上役同士の牽制を利用する形で新人への教育は止み、先輩諸氏も指導役も上から命じられたはずの新人教育を行えば上から理不尽な攻撃が飛んでくるという謎の事態に命令遂行を断念し、こうして今ここに、誰からも教育されないバカが一人爆誕するわけだ。
さて。斯界ではしばしば、命令の理解よりも服従そのものが求められる。
神職連中は昨日から受け継いだものを明日に渡す、詰まるところはそれだけが仕事だからだ。
神社はただ黙って伝統を受け継ぎ、形を変えずに次代へ受け渡せばそれでいい。意見も感想も改善案もその一切を差し挟む必要はない。
服従を求めるのは、指導が厳しいのは、単純に、先人の伝えてきた伝統を踏みにじる事の重大さを本当に自覚させる為のものでしかない。
だが、肝心のその指導をはねのけるようではこの先に何ひとつ学べることなどありはしない。
伝統の重みを嫌う人に伝統を背負わせようとしても無駄な事だ。伝統とは歴史の重みそのものなのだから。
少なくとも私はそう思ったので、奴を業務に関わらせることはしなかった。
業務上同じ係にいくつか名を連ねていたし、これまでの新人には自分が教わったやり方をそのまま受け継ぎ、なるべくメインで業務を担当させてきたが、コイツにはやらせるだけ無駄だと思ったし、そもそも何より態度が無礼過ぎたため神社の外の人に関わらせる事すらできなかった。損失を招く未来しか想像できなかった。
仕事のやり方も教えてもらえず、仕事もなく、手の空いて暇でしょうがないバカは、なぜか先輩達の仕事の評論を始めた。もちろん下っ端としての業務は放棄したままだ。
比較的相手してくれる先輩に対しては、献策や改善案の提示も始めた。
無論いずれも、責任取らなくていい立場のバカの提示する案だから、地に足の着かない無責任な計画ばかりだった。もちろん採用されない。
困り顔で会話に応じ深甚の感謝を述べていた先輩方の表情が印象的だった。
ま、こいつも神社を転々としているだけあって、肝心なところで脇が甘い。
上役にだけいい顔をしているだけでは、この均衡状態は長持ちしないという事に気付いていなかったのだろう。
さて、こいつが風に吹かれる風船みたいにあっち行ったりこっち行ったりするのを決めているのは、コネの大元である、さる偉いさんだ。
偉いさんもまあ、自分が押し付けた面倒な人材の動向なんてのは気になるわけだ。勝手に顔を潰されても困るから。
で。たまたま折良く動向を訊ねる相手が私だったという事が、きっと分水嶺となったのであろうと思われる。
まあ私もお偉いさんの前だし礼儀と節度を守った返答しかしなかったが、向こうは訊きたい事だけは訊けたような苦い顔をしていたからなあ。
さて、知らないところでまた勝手に動き出す自分の運命も知らず、こいつはどこまでも俗物だった。
巫女に手を出すなと奉職時に言われたはずが速攻で手を出し、用意してもらってた社宅に連れ込み半同棲、年単位でイチャイチャ。
それだけ派手にやってて、しかも責任も取る素振りすら見せなければ、流石に近隣の住民達の口の端にものぼってくるのが当たり前だよなぁ。
最後は周辺住民の噂になった事を問題視されて、二人揃って辞めてった。
辞め時にわざわざ親が来て、本人のいないところで職員一同に向かって深々と頭を下げ、はっきりと口に出して許しを請うていたくらいだもんなぁ。
しょうもない理由で辞めてくゆとりは多いけど、あそこまで、年取った親に頭下げさせて「どうかお許し下さい」なんて台詞言わせた奴は後にも先にも見た事ないわ。
宮司である親父さんがそうやってずっとペコペコ頭下げて守り続けてきたものが何かなんて、軽蔑こそすれ、あいつは一度も真面目に考えた事すらないんだろうなぁ。
跡継ぎじゃねえんだったら、気に食わない事ばかりなら斯界からとっとと出て行けよと。社家の恥だわ。
たまたま折良く次の転任先が探されていたおかげでまた転任していけたようだが、しかしなんとまあ因果な事に。
その転任先も「巫女に手を出し即日クビになった奴が出て人手不足だったから」という理由で人を探していたのであった。
先で何が起こるか、どう迎えられるかなんて想像が付くし、つくづくどこまでも因果応報という言葉の付きまとう奴だと思う。
しかしまあ、「巫女に手ぇ出したから神主クビにしたんだけど人が足んなくなったから、ヨソの神社で巫女に手ぇ出してちょうど問題になった奴がいるんでそいつ転任させるねー」でよく通るもんだ。何で誰も怒んないのかねぇ。
さて。
女子中学生監禁の犯人の写真を見て、上記の奴によく似通ったものを感じたわけなんだが。
ニュース番組では「監禁ではなかったのではないか」「自由がありすぎて監禁されていたとは言えないのではないか」などという報道もよく見る。
報道を見て受ける印象もまた、どっちだかわからないな、と確かにそう思える。
しかし、
奴が仕事するどころかそれを否定してむしろ仕事の本質を破壊・解体しにかかっていたように、
それと似通ったものを感じるこの犯人もまた、ぱっと見、監禁とは言えないようなソフトな共同生活を送っていたように見えてもその本質は、実態は、監禁以上の恐ろしい精神支配やマインドコントロールや恐怖の植え付けを被害者に対して行っていたのではないだろうか。そのような疑念を覚える。
もちろん擁護する余地だっていくらでもあるんだろうが、きっとその場にいないとわからない事も沢山あって、
それは無論被害者しか語り得ない内容な上、また人に信じさせるのはとても難しい事柄のような気がする。
このエントリのように。
以下に書くことは読み手の都合で考えた場合、自分と同じ位の認識レベルの人にとっては今さらだし、それ以上の人にとって不十分ということになる。そもそも私の認識や前提とする知識が間違っている可能性も否定できない。なので個人の思考をアウトプットした日記として、または知の反復作業として読むことを推奨する。
映画メディアの場合が主。テレビ放送ならば「特別編」などとして、普段の放送より長くしたケースが多い。「刀語」のように1話をおよそ1時間、1ヵ月ごとに放送という変則的なスタイルもある。ただ、1話毎の期間が空きすぎていて視聴者がついて行きにくいのか、変則的すぎてこのスタイル自体はあまり流行っていない。
時間は長い上、映画ならば作品に対して直接お金を払って貰うということもあり、制作体制は大掛かりかつ高いクオリティのものが多い。テレビで放送する「特別編」の場合でも、特に気合が入れて作られることが多い。
これで作られるアニメは、原作があるにしろ普段はテレビで放送されているものにしろ、壮大にしつつも1話完結型のエピソードが多い。「亡国のアキト」のような各章に分けて、章ごとに映画メディアなどで提供という特殊なケースもある。
また、原作やアニメ制作会社側などの事情から、予定されていた話数で完結させることができず、かといって2期にするには帯に短し襷に長し。ということで、後に改めてこのスタイルで提供する場合もある。ただ、映画メディアでそれをやる場合は賛否両論の声が大きい(基本、金を払わなくても享受できるようにしてきたものを、最後の最後に支払いを要求するという提供側のスタイルが利己的だという批判。或いは「正当な対価を、作品そのものに対して支払いたい」という消費者からは比較的シンプルな形だとして受け入れられている。もちろん、その他にも様々な理由での批判、賞賛の声がある)。
30分とはいってもOPやED、間に挟まれるCMなども含まれるため、実質的な内容はこれより短い。また、内容を増やすためにOPやEDをカットしたり、逆に前回のあらすじなどで尺を稼ぐケースもある。そのため、「実質的な内容」という観点から見た場合アニメによって、また話数によっても幅は大分ある(なので便宜上それらの幅は考慮せず、かつ後のカテゴリについても大分ザックリしたカテゴリ分けで所感を述べる)。
最もポピュラーなスタイルで、個人的にパッと思いつく有名な作品を例に挙げるだけでもキリがない。
実質的に20と数分とはいえ、その長さのものを一定以上のクオリティで、かつ週に1回のペースで作ることはよほどのことがない限り物理的に困難とされ、実際には1話放送の前からストックを貯めておき、1週間以上かけて1話を作ることが普通らしい。
つまり一応の理屈の上では、このストックと現在進行形で製作しているものとの話数の差が縮まると、「できなかった」ということだけは避けるためにクオリティを下げて、作業効率を上げる必要が出てくるということになる。他の仕事にもいえることだが、納期を厳守することは社会では基本で、信用に関わるからだ(まあ、クオリティなど他のものが犠牲になった以上、それはまた別の問題として対処する必要はあるだろうけれども。作り手など提供側の事情がなんであれ、受け手にとってその作品自体が評価の対象であることは変わらないしな)。
これで放送されるアニメは、ストーリーやキャラクター、舞台設定など「非日常的な要素」が多分に含まれた内容であることが多い。日常のものを何の加工もせず切り取っただけではエンターテイメント性が低く、それを1話に20分以上観せ続けられても、視聴者はついて行きにくいからだ。もし、それでもエンターテイメントとして成立するならば、それはスタッフたちがそれだけ優れているともいえる。
こちらも「実質的な内容」という観点で見た場合、実際の時間は減っている。私がパッと思いつくのは「よんでますよ、アザゼルさん。」あたりだ。
放送される際は他の15分アニメとセットで放送されていたので該当しないかもしれないが、ネット配信の際は分けられているし、別々のアニメなのだからこちらで扱う(恐らく制作しているところとかも違う……よな?)。 あと「ドラえもん」など、1話完結型でそれが10~15分くらいのものをセットの場合も、「別々のアニメ」と広義的に解釈してこちらに含んでもいいかもしれない。
時間が減ったのだから、その分クオリティが上がったり、それが安定したりする。……というわけでもないらしく、15分で作られることを前提としたスタッフの配備、そしてスケジュールを組んだりするケースもあるようで、30分と比べてクオリティが安定しやすいとは一概にいえないようだ(ただ理屈の上では、「時間の短さ」というアドバンテージだけで考えるなら制作するための労力は下がるわけで、仮に全部の作品を把握できた場合、傾向としてこちらのほうがクオリティは安定しているということはあるかもしれない。ないかもしれない)。
これで作られるアニメは1話完結型のエピソードだったり、次回に引っ張ることはあまりない傾向。「のび太が道具を使って調子に乗ったままその1話は終わり、何らかの因果応報オチで終わるのは次回」みたいなのは基本的に避けられるということだ。仮にあっても、数話もかけることはない。
随分ぞんざいなカテゴリ分けだが、短いアニメは便宜上ここに全て含めて述べさせていただく。私が真っ先に思い出してしまったのは「チャージマン研!」だが、これから述べる話の例としては不適当なので、「チャージマン研!」のことは忘れてくれ。
放送する媒体や形態は最も多様で、番組コーナーの一部として放送されることも多い。ネット配信だと関連商品の宣伝を前後に挟んだり、配信したものとは全く違うアニメや商品のCMが挟まれたりもする(制作会社や提供する会社が同じという関連性は一応ある)。30分アニメのネット配信だとCMがなくなりやすいということも考えると、この逆転現象は中々に面白い(まあ、そもそもネット配信するのとテレビで放送するのとは事情や立場が違うから、考えてみれば当たり前なのだが。それを踏まえてなお、短いアニメの方がその傾向なのが面白い、という意味だ)。
短い内容のものを週に1回のペースであげるなら、1話完成させるのは上記のものよりは理屈の上では楽といえるはずで、その分クオリティは安定しやすい傾向(ただ、これは15分の部分で述べたことと似たようなケースで一概にはいえない。それでも割合としては増えるんじゃないだろうかという推測)。内容が短いので視聴者的には「物足りない」と思われるかもしれないが、「腰を据えて観なくていい」という側面もある。コスパに優れているといえ、最近はこのスタイルでアニメが作られるケースも増えてきた印象だ。
これで作られるアニメは、15分のとき以上に1話完結型の傾向。15分で書いたことと理屈はほぼ同じだが、これだけ短くなってくると、「その短い中でエピソードを起承転結しっかり作る」ということの困難さが顕著になりやすい。これを解決しやすくするためには、元となる原作がある場合は1話完結型が主になるだろう。或いは、起承転結がコンパクトで調整しやすい、4コマ漫画などが選ばれる。もしオリジナルなら、キャラクターや舞台設定などを好き勝手に弄くっても咎められないので、融通が利かせやすい(このことは他のカテゴリでもいえることだが、短いアニメは1話完結型が多い傾向なので特に利点となる)。
以上だ。
女は子供を2人以上産むのが立派な勤めとどこかの校長が言っているらしいが、もし私と同じ状況で「よーし2人以上産んで社会貢献するぞー」と思える人が言えるかどうか疑問だ。
私から見ていとこにあたる人だが、両家ともにダウン症の人がいる。
いずれも小学生くらいのときまで一緒に遊べと強制されてきたが、突然「アッツアーーーー!!!」と叫び声をあげて暴力的な行動をしてくるので私は大嫌いだった。
それがダウン症という症状からくるものであることを理解できたのはずっと遅く高校生になってからだ。
先に言った親類のおばさんも相当に悩んでいたが、高校時代の友人が10代のうちに結婚し出産したが、それが障害児だったときの周囲の反応がひどすぎた。
ただでさえ10代の出産に否定的なクソ田舎ではあるが生まれた子に障害がわかったときの「やっぱりね」的な因果応報理論は本当にクソ。
幸いにして障害児ではなかったが特定の関節が曲がりにくいという特徴があった。
私の姉は私と違って有名高校→有名大学へと進んだ才女だったが子供にわずかながら障害があったことでそれが台なしになった。
私はまだ一応婚活サイトに登録してそこそこ需要がある年齢ではある。
だが正直言って出産をして「まともな」子供を産めるかどうかはかなりリスクが高いと思う。
皮肉交じりに言えば、今国を動かしている官僚のみなさんは今私が出産に際して「優秀な健常児を産む」ことができる可能性があるかというリスク管理をしたら間違いなく「No」という結論を出すと思う。
官僚の例えが分かりにくければ、銀行員が私のような人間に対し「出産融資をします」という判断をゆだねたら絶対に「No]というだろう。
産んだ子供にわざわざ不幸になってほしくない。
個人的感情ではそのゲームの最後は必ず同じようなことをされたりより酷い目にあう因果応報状態か、獄中にいるというエンディングならいいだろうと思う。
そして宣伝のようなもので、作中の行為が犯罪行為だと大きく十分伝わる様に示すのは無理だと思うので宣伝をやめてほしいところ。
サイコホラーと比べてる人達は、サイコホラー内容が当然やってはいけないしするわけがない行為として広く浸透しているからこそ作品として消費できるのであって、もしパワハラで部下を苛め抜いて鬱にしたり辞めさせるのを楽しむゲームとか、中学生が学校で街でスコアを競って苛めをするのを楽しむゲームとかあったらどういう反応になるのだろうか。
陵辱系ゲームがこんなにも擁護されるのは、それを含むセックスがあまりに遠いファンタジーだから、女性がそれを嫌がること自体を拒否する気持ちが抑えられないということなのか?
本来は夫婦別姓論者が同姓夫婦になることを問題視する方がおかしい
べつに別姓を強制しようってわけじゃないのにな
もちろんそうだしこれが全てなんだけど
ていうかさ、
自分がそうなってみて初めて前否を悔いるなら
お前って自分が今までやってきたことは微塵も気にしてなくて、
こんど同じ尺度で自分が殴られる番であることのみが不安で不満なんだな。
自分が今までしてきたことについて間違ってたなとか、
エセリベラル呼ばわりして攻撃対象にした人達に悪かったなとか、
どうしてあんなことしたんだろうとか、
そういう想いはないのか?
「心苦しい」は自分が殴られそうなことで、
まあこんなのを産み出す「恩師」や「同僚」もろくな人間じゃないんだろうが。
(親しい人間がちょっと「間違った結婚」をしたらもう切り捨てて
転向者などとして殴り始めるような気持ち悪い人間関係のようだし。)
あげくには全部投げ出してどっか逃げたいと。
ご立派な思想は誰かに難癖つけるためだけにあって、
間違ってたと認めてケジメつけることすらできないし、
ただ不貞腐れた被害者面になってあげく「どこかへ逃げたい」だもんな。
逃げ出した先でほとぼり醒めたらまたそのとき都合のいい尺度で誰かを責めるのを楽しむんだろうよ。
クズと添い遂げるクズ嫁、クズに育てられるクズガキ、クズ一家でせいぜい幸せにな。
一家で正義面で誰か攻撃して楽しむのを団欒の楽しみにしたらいいや。
ぼちぼちあるもんなそういうキチりべ一家がさ。
償っても罪=穢れのようなイメージはとれないのだろうか。
以前尿検査で引っ掛かったせいで腎臓内科に検査入院になったことがある。
個室なんて高くて入れないから6人部屋なんだけど隣りのベッドの人と仲良くなった。
ある日彼の友人という男が見舞いに来た。
「いじめ野郎にふさわしい末路。因果応報」みたいな事を言い出した。
隣の人がここではやめてくれなんて言ってもお構い無し。何度も謝ってるのに罵倒を続ける。
俺も気分が悪くなってやめてくれと助け船を出したら矛先はこちらに向いた。
「僕の母親が作ってくれた弁当に消しゴムのカスをふりかけとして入れるゴミですよ」と。
隣の人は否定せず俯いてたから本当だったんだろう。凄くいい人だから信じられなかったが。
確かにイジメは許されることではないと思う。でも病人に対してここまでやる必要あるのかと言ったら
「知らないと思うけど覆水盆に帰らずという諺があるんです」と俺を馬鹿にしてきた。
嫌味ったらしく覆水盆に帰らずを丁寧に説明したあたりで看護師さんがつまみ出してくれた。
でもその後隣の人と話す事はなかった。カーテン開けないしなに言ってもすみませんしか返してくれない。
容態も悪くなったみたいで別の大学病院にいってしまい真相はわからなかった。
この話を友人たちにするとみんなスカッとした話として捉えるんだよね。
そんなこと言ったら反省する人、更正する人が減っちゃうし復讐も肯定されちゃうと思うんだ。
そんなにそいつら庇うんだったら俺に関わるなとか言わないでくれ。
桐壺
薄幸の美女。
身分が低く後ろ楯がなかったのに桐壺帝の寵愛を一身に受けて光源氏を産んたせいで、他の嫁や貴族から猛烈に虐められ光源氏が3歳の時に亡くなる。
桐壺に似ていたために桐壺帝の嫁になる、光源氏を幼い頃から弟のように可愛がっていたが、やがて光源氏の初恋の女性となりあやまちをおかし光源氏の息子冷泉院を託卵し、光源氏に言い寄られるのに困り息子を守るために出家して逃げ切る、光源氏は一生藤壺を求め続ける事になる。永遠の女性。
帝の妃になるように気位が高く育てられていたが年下の光源氏の正妻にされ年下夫相手にどう接すればいいのか解らずツンツンしてしまう、藤壺に夢中の光源氏は優しい藤壺に比べてツンツンしてばかりの嫁を愛せず浮気をしまくり、余計にツンツンする悪循環で夫婦仲は冷えきるが、妊娠して弱った姿に萌えた光源氏にデレたとたんに、息子を出産後間もなく六条御息所の生き霊に殺される。
美しく気品があり教養知性身分全てが優れた東宮の未亡人に言い寄って付き合うが、やがて完璧すぎて癒されない疲れると持てあまし離れていく。
六条御息所のプライドや世間体はズタボロになり光源氏への独占欲を押し殺し耐えるが、無意識のうちに生き霊を飛ばして光源氏の女達を殺してしまいおののく。
娘には手を出さないように遺言を残し娘を託して病没後、光源氏は彼女の住まいに女を集めてハーレムを作るが、当然死霊になって女達に祟る。
夕顔
源氏の友人の側室として娘を産んだが、正妻の嫉妬をうけて姿をくらまし光源氏と恋に落ちる。
男の全てを包み込み愛し何も求めない儚げで朗らかな性質で六条御息所に疲れていた光源氏を虜にするが、すぐに祟られて死亡する。
玉鬘
15才年下の美女。
夕顔の娘、田舎で乳母に育てられていたが田舎者の強引な求婚から逃れるために上京、親を探す途中で光源氏に保護され養女にされて言い寄られるが拒み続ける。
光源氏が調子にのって美しい養女をチラリズムで男達に見せびらかしていたら、メンヘラ嫁に疲れていた髭面のおっさんに強姦され連れ去られて嫁にされてしまう。
花散里
中の下程度のブス。ほんわか癒し系。
家庭的で温和で慎ましい女性で癒しを求める光源氏に愛される、女として愛されるのは早々にドロップアウトし肉体関係は求めず光源氏を癒すことに専念。
光源氏の息子夕霧を預けられ、さらに夕霧の子供も孫のように可愛がり育て、源氏物語で一番幸福な女性だと思われる。
源典侍
仕事もでき趣味も声も良いが、大変な色好みで年齢をわきまえない若作りをする。
美しい光源氏とその友達に目をつけて言い寄り、光源氏と出来てると勘違いした友人が好奇心から食われ、光源氏も老人孝行に食われた。
末摘花
悲劇の美女だと勘違いした光源氏と親友が競って落としたが物凄いブスだった。
後にあばら家で光源氏を信じて待ち続けた彼女を発見しハーレムに住ませた。
空蝉
上流貴族の娘だったが父親が死に落ちぶれ、父親ほども年の離れた身分が低い男の後妻になる。
それに興味を抱いた光源氏が身分低いから嫁に手を出しても何も出来なかろうと襲いに来て、一度寝てしまうがその後は誇り高く断固として拒否。
光源氏は拒否されて燃え上がりさらに忍んでくるが衣一枚を残して逃げ去りその場にいた空蝉の継娘とやり惚れられる。
源氏が18の時に藤壺に瓜二つの9才の少女に一目惚れし、藤壺の姪と知りさらに執着し誘拐する。
5年親子のように育てられ14才で強姦されショックを受けるがやがて愛するようになり、容姿も内面も完璧な最も光源氏から愛された妻になる。
しかし女遊びが激しい光源氏に生涯苦しみ、光源氏が40で14の少女を正妻に貰ったのに決定的ダメージを受け重病にかかり出家を望むが光源氏に許されないまま病死。
光源氏の異母兄の東宮の嫁になる予定だったが光源氏と関係を持ってしまい結婚取り止め、光源氏に結婚を申し入れるが断られ、仕方なく東宮の尚侍になり寵愛を一身に受けるが光源氏との浮気も続け発覚してしまう。
東宮は自分の魅力は光源氏よりないからと朧月夜を責めず愛し続け、東宮の出家後に一度だけ光源氏とやってから出家する。
明石の方
父親が夢で国母の母となるとお告げをうけて娘に京の姫レベルの教育をして、国母の母になれないなら海に身を投げろと厳しく育て上げ、光源氏を手引きして妊娠させる。
上京してからは身分が低いので別宅に住み、娘は紫の上の養女にされ、娘が成人するまで会えなくなる。
ハーレム完成後はそこに移り住み、娘の嫁入り時の付き添いになる事が出来た。
娘は国母になった。
朝顔の姫君
光源氏にどれだけ言い寄られても嫉妬で苦しみたくないと拒み続けて友人になり生涯独身で尼になった。
光源氏の姪、光源氏が40の時に14で結婚をする。ロリ&寝とられ属性。
高貴な女を嫁にしたい、藤壺の姪だから似ているかもしれないという気持ちで結婚したが似ておらず、父親から溺愛されたせいで年齢より子供っぽい性格で光源氏に愛されなかった。
そんな時に彼女に片想いをしている男から強姦され託卵、気がついた光源氏に皮肉られ耐えきれず出家。
表題どおり。全ての日本人は、「お前のせいで自分は死んだ。お前は自分を死に追いやった罪を背負わなければならない。化けて出てやるぞ。苦しめ苦しめ」などと言い残して自殺する権利があると思う。その代わり、名指しで批判された側の人間が、こういった言葉をどう捉えるかも自由である。実際に「自分のせいで人が死んだ」と罪の意識を感じるのも自由、感じないで平然としているのも自由である。罪の意識に苛まれて、酒量が増えたり精神的に不安定になったりしたら、それは自己責任である。それが嫌なら、最初から人に恨まれるような事をしなければよい。
全ての人間は生きる権利をもっているのだから、当然、生きる権利を放棄する権利を持つ。少なくとも、この国では自殺は罪では無い。表現の自由があるのだから、基本的には何を言っても罪にはならない。ただし、他人の名誉を毀損した場合は名誉毀損という罪になるが、名誉を毀損した側が既に死亡していれば、死者の罪は捌けないので、結果的に罪を問われることはない。
以上をまとめると、最初の結論に達する。つまり、全ての日本人は、他人のせいにして自殺する権利が事実上、あるのである。そういう社会で生きているのだから、人が自殺した時に批判されて苦悩するのは因果応報というやつだ。それが嫌なら、最初から他人に自殺されるような事をしなければいい。自己責任だ。
普段の行いがよくない人が、たまに嫌な目に遭うと「自業自得だ」「因果応報だ」「バチがあたったんだ」と言われたり思われたりして
人生どっかで行いがかえってくるんだ…って思ってホッとしたり、普段の行いをよくしようと努めたりするんだけど
大人になって、何人か
「どれだけ行いが悪くてもバチがあたらない人」
「どれだけ行いがよくても全く報われない人」
前者は、職場のおばさんで
不倫するわ、若い子の悪口を垂れ流すわ、仕事しないわでしょうもないのに
不倫相手の男は独身で彼女も恐らくいない。妊娠、更なる浮気がない限りはこれからも安泰だろう。
上司や男性社員からはやたら嫌われ、いつも仕事を押し付けられて残業三昧。
鬱っぽくなっても無理して来てて、身体を壊せば「根性がない、やる気ない、サボり、甘え」と陰口を叩かれる。
やっぱり不平等に世の中出来ているのかな。
最終的にみんなトントンになればいいのにな。
全世界から見ても、日本人のTwitter好きは極めて異常らしい。熱心な情報発信家が多いのか、構ってもらいたい子ちゃんが多いのか、はたまた常に何かに怒ってらっしゃる方が多いのか、いずれにせよソーシャルメディアは盛況である。
ただ、よく思うのが、「ここまで言って委員会?」的な発言が多く見られるってことだね。ネトウヨにせよブサヨにせよ、未だに続くデザイン盗用疑惑の件にせよ、「そこまで言う必要があるのかね?」と思えるような書き込みばかりが目立つこの頃だ。
なるほど、意見など目立ってなんぼのこの世の中。「こんなご時世だ、つぶやくぐらいなら罪にはなるまい」と考えるのは当然至極か。
だが、それが正論であれただの誹謗中傷であれ、読む者の心象を著しく害するような発言は、必ずその文章を書いている者の心をも蝕んでいる。
「人を呪わば穴二つ」とはよく言ったもので、天を仰いで唾を吐けばその唾液は己の顔目がけて落下する。気分を害するのは、巡り巡って己自身となるわけだ。
不満を垂れ流す人は誰も幸せにはしない。そんな不満の源流にいる人をも侵食する。水面に広がる波紋は、打って返しては再び集まる。これこそ因果応報を絵に描いたようなもんだな。
そして、さらに悪いことには、悪辣な私見が拡散される度に同調する人が増える。これが同期というやつで、結果的には共倒れになる。
いつも粗探しに余年のない政治家、怒りばかりを口にするデモ隊、小言の絶えない奥様連中、この人達の共通点と言えば、どこから見ても幸せそうには見えないことだ。(口角下がって眉間には深いシワ、おおよそ幸福の人相ではあるまい)
そりゃそうです。因果応報はただの仏教語ではなく、この宇宙自然の法則なのだから。
良いと思ってやったことでも、そうではないことは多くある。知らぬ間に蓄積しては、気付いたときには猛毒になっている。くわばら、くわばらだ。
この知人AはBだけでなく、あらゆる事に対して文句を言っている人だった。
自分も言われた。
悪口の言い方は、明確に誰とは言わないけれど「○○が好きな人って本当に気持ち悪い」その○○は前に俺が好きだと言ったやつだよね。それ俺のことだよね。と判るような言い方。
反応しなかったけれどヘイトはどんどん溜まっていき、Aの攻撃もひどくなってきたので、ある日ついに縁を切ることになった。
途端にAは、前まで散々悪口を言っていたBに媚びはじめ、
Aが言っていた悪口を、「増田が言ってた」とBに吹き込んだようだ。
なおBとは「顔見知り」程度で、共通の知人は居るが本人とは親しくはない。
が、この件で共通の知人からも距離を置かれるようになり、すっかり孤立してしまった。
悪口を言わないほうが好かれるとか嘘だよ。
百歩譲ってAが周囲から内心嫌われていたとしても、結果としてAが孤立しておらず、周囲の感情に気がつかなければ好かれてるのと同じだからね。
因果応報なんて無い。
人に取り入る力、要領がすべてだなと思い知らされた。