はてなキーワード: 因果応報とは
連絡ついたので、とりあえず、家には乗り込まなくてよくなった
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今日はイベント前々日となる木曜日。ただでさえ搬入が土曜の朝7時とか言われて、ごはんとかお化粧とか考えたら6時には起きなきゃならないんだけど
絵柄を合作→各自の家で半分ずつ(いうて4枚ずつ)アイロン転写するトートバッグの原稿イラストがまだ相方から上がってきてない。
イベント前日にはしっかり睡眠を取りたいタイプなので、てっぺんを回る作業なんて絶対にしたくない。でもこの調子だと原稿が上がってくるのが本当にイベント前日(つまり明日)になってきそう。
今晩、発注して貰っていたコスプレ衣装の受渡しで相方がうちに来てくれるので、そのときにトートの素材返して「アイロンの調子が悪くってぇ~全部そっちでやってくれないかなぁ~ごめぇ~ん」って言ってやろうと思う。
同じイベントに合わせるつもりだった他の合作モノの原稿を遅らせて、発注が必要なグッズの締切を落としたのも向こうなんだ、これぐらいやらせたっていいだろう。
仮にT小学校とする。
5年生の時に担任のOK先生に日頃から体罰を受けてたのが原因で不登校になったからだ。
その先生は顧問のサッカー部の生徒(とその父兄)には非常に慕われてる事で大阪市の小学校の中でもかなり評判の高い先生だった。
特に運動部に入ってた訳でもないけど、当時は勉強も頑張ってたので、今考えると調子に乗ってたかもしれない。
また、音声チック、今でいうトゥレット症候群に罹っていたけど、
当時はまだ先生どころか学校も教育委員会も発達障害について無理解で通っていた。
田〇小学校のOK先生(当時)は5年と6年と担任を二つ持ってて、5年の時に体罰を受けて親に訴えて貰ったのに
返って来たのはあてつけのような6年も同じ担任だった事が記憶に残ってる。
なまじいい先生で通ってたから俺の生徒にイジメや体罰なんか存在しないと言ってる口でよく俺は手を挙げられていた。
音声チックが酷くなったのはちょうどその頃からだった。
今日考えられてる発達は遺伝による先天的なものが一般的とされているけど、それが発現するのは家庭環境や学校の取り組みによって異なる。
俺もまた、○田謙〇先生によって酷くこれを発症したし、対人恐怖症にもつながり、結果不登校になった。
この時も親に色々言って貰ったけど無駄で教育委員会でさえ、現場に任せるという無責任な対処をされた。
○辺小学校は酷い学校だった。体罰について、ついに子供さんの音声チックが悪い授業を妨害されたの一点張りで終わってしまった。
当然この件が片付かないので小学校を卒業する日も欠席したので卒業アルバムには当たり前の様に○に顔写真であった。
こうした経験から、当時T小学校には全くといって良い程良い感情を持っていない。
それなのに近年はどっかの海外学校と提携したり、サッカー部専用の芝生が出来たりと色々な試みが実を結んで、東住吉区の優良小学校に認定されてしまった。
当時を知る俺にしてみれば何かの間違いなので、正直取り消して欲しいと思っている。
考えたら田〇小学校での思い出が一番今後の可能性を潰してきたなと感じている。
こんな学校が評判の良い小学校に認定されるようじゃ、大阪市はおしまいだ。東住吉区は徹底的に体罰やイジメの有無を調査するべきだった。
ショックが大きすぎて長文になって改行もままならない。そんな気も起きない。
風の噂では当時の担任は、後に教頭だかになったそうだが、その後何かが原因で自殺したと聞いた。
知り合いに聞いた話なので何とも言えないけど、正直因果応報を感じた。そのままくたばって死なねえかな。
映画観てないけど。
聲の形面白かったけどけど、なんかろくな感想書いてるやついねーなクソと思ったら、
本にまでなってるなぞ解き聲の形ってサイトに全部書いてあった。
でもなー。
そこで長大に考察してる因果応報っていうよりは、まさに声の形についてずっと描いた物語に見えたよ。
声って目に見えないし形がないものだけど。
形があるなら、目で見てはっきりと伝わるものになるかと思えば、そんなこともなく。
逆に、耳や言葉に不自由のない、健常者だって、ろくに気持ちなんて分かりあってないよねって、あからさまになるという。
植野が硝子と再会してつっかかって、将也と硝子の間に割って入れない関係ができてるって悟って泣き笑いするシーンが、まさにそれだよな。
耳が不自由だと、大勢の健常者とはコミュニケーションをとりずらくなって壁ができるけど。
手話ができる二人と、できない植野の間に、逆に壁ができてしまう。
声の形について、考えさせられるシーンだ。
耳が聞こえないとコミュニケーションに不自由して気持ちが伝えられない、ハブられる、迷惑をかける。
そんなの言葉が普通に使える人も、大差ないじゃんよって話だよな。
子供ならではの残酷さと間違いを、大人になりかけの高校生がずっと引きずって、本音も言えず、本音を言い合えば皆楽になるのに言えず。
そういう傷を負いながら、生きていくって。
面白かったなぁ。
硝子と将也が手話で会話するのを見て、
「ほら やっぱり立派になったじゃないか」
というシーンで唯一泣いた。
そして、他人事として眺める分には、最高に感動できるセリフでも、物語の当事者たちには、わだかまりを払拭するには十分じゃないという展開に最高に泣いた。
声の無力さよ。
しかし我々は声にたよって、無様に、お互いに怯えながらコミュニケーションをとっていくしかないのだった。
ほんと面白れぇな!
私は『無い』と思う。
かつては私も女性は「夜遅くに出歩るくこと」「男性と密室で2人きりになること(特にお酒を飲んでいるとき等)」等は避けるべきであり、万が一このような際に被害に遭ったときは本人にも落ち度があるのだと頑なに信じてきました。
もちろん、未然に防げる害は防ぐことに越したことはありません。
女性が夜遅くに出歩いていたからって、密室で2人きりだからって、お酒にだいぶ酔っていたからといって、襲っていい道理はないのです。
『夜遅くに出歩いていた女性も悪い』と思うのは、『女が男に襲われるのは仕方の無いこと』と心のどこかで思っている証拠です。
先の高畑裕太の事件でも『女性が一人で歯ブラシを渡しに行ったのがいけない』って意見を聞きますけれど
男性の方は自分の部屋に歯ブラシを届けた女性従業員を襲うのでしょうか?
女性の方は男性の部屋に歯ブラシを届けに行くときは襲われて当然だと思っているのでしょうか?
違いますよね?じゃあ悪いのは手を出した方ですよ。
ハニーとラップだかなんだか知りませんが、真っ当に仕事をしていただけなら従業員はやっぱり被害者でしかないですよ。
ホテル側の安全配慮が~って意見もわからなくはないですが、そもそも女性に乱暴する男性がいなければなーーーーんにも配慮なんてしなくていいって話なんですよ。
(※この事件は情報が錯綜しているため、私自身も事件を正しく把握しているかは少し怪しいです。誤った記載があったらすみません)
ここで少しだけ話の角度を変えます。
http://matome.naver.jp/odai/2140460292523742501
http://psychmuseum.jp/just_world/
簡単に言うと、努力は必ず報われる、正しい人には良いことが起き、悪い目に遭う人には何かしらの落ち度がある、という考え方です。
正しく生きれば幸せになれる!世界は平等!不幸になるのは因果応報!です
私たちは多かれ少なかれこの思想に支配されています。でもこれって良い部分もありますが危険なんです。
この思想だと事故や事件に遭ったひとに『被害者にも何かしらの落ち度があったのでは?』と考えてしまいますし、
不幸な事件に遭う人は、きっと生活態度や防犯意識に問題があったに違いない、そうあってほしい、と願ってしまいます。
もし被害者に少しでも落ち度があれば「自分は大丈夫」って思えますからね。
でもこれはあまり良くない考え方だと思います。少しでもこのことを知って欲しくてここに書きました。
あと、最初の話と公正世界仮説の話の両方になりますが、興味深いのでこのリンクも貼ります。
https://twitter.com/Ahondaraunk/status/661876779351576576
同じ事件でも被害者のプロフィールが変わるだけでこんなにも評価が変わるのですね、という話。
そしてこのアンケートの本当の怖いところは、どんな女性が被害に遭っても『被害者が悪い』と投票する人が1割いるということ。
えーと…どういう人が被害に遭おうと『被害者が悪い』なんてことは少しも無いと思いますよ。
ていうか引ったくりやスリに遭ったって「お前だって悪い」って言われないのに何で性犯罪だけ「お前だって悪い」って言われるんでしょうね?
本当不思議。
私は29歳の男性、自分の性欲を極めて異常で汚らわしいと感じている。私は自分ほど価値のない人間はこの世に存在しないと思い、早く殺されるべきだとも思う。
中学の時、アンデルセンの自伝を読んで、親を殺した17歳の少女が恋人共に斬首される描写があり、非常に興奮した覚えがある。
それ以来、若い女性や子供が、(性的暴行を受けて)殺されることを見聞きしただけで、勃起・射精する。よくAVにあるような拷問には全く興味がない。私が興奮するのは、以下のような素材である。
・古代ローマでキリスト教信者の女性が、輪姦され乳房を抉られて殺された話。
・同じく古代ローマで、宰相セイヤヌスの10歳の娘が、「処女は処刑できない」という理由で、強姦されてから死刑に処された話。
・近現代のイランでも、若い女性が処刑される前に強姦されることはあるという(サトラピの漫画でも言及されていた)。
・戦国時代に、親に連座した子供などが、串刺しや牛裂き、釜茹などの、苦痛の多い残虐な方法で処刑された話。
・清朝で、反乱を起こした20歳の女性が、囚人たちに輪姦された後、凌遅刑(公衆の前で裸にし、乳房をはじめ体中の肉を時間をかけて削ぎ落す刑)で処刑された話。
・19世紀英国で7~10歳の男の子が、窃盗や放火などの罪で、公衆の前で絞首刑となった話。しかもその絞首刑はロングドロップが発明される以前なので、窒息により十数分苦しむ方法。体重の軽い子供が、中々死ねずに悶え苦しむ様を、皆が楽しく見物していたということ。
・現代のイランで、若い女性がクレーンで絞首されて、なかなか死なずに足をバタバタさせて悶え苦しむ映像がある。
・18~19世紀の西欧や日本で、刑死者が本人の意志に関わりなく強制的に献体され、特に女性が男性医師に興味本位で性器や子宮などを解剖された話。あるいは少年が皮を剥がれて本の装丁にされ、骨は標本として最近まで展示されていた話。
・性的なポーズを取らされている「人体の不思議展」が、実は死刑囚の体を同意なしに加工しているという噂。
・20世紀のアメリカで、14歳の黒人少年や16歳の黒人少女が電気椅子で処刑され、少女は強制的に献体させられた話。
・アメリカの猟奇殺人犯A・フィッシュが、誘拐した少年を、棒で全身を殴って痛めつけて肉を柔らかくしてから、殺して食べた話。その他様々な、子供を対象とした残虐な殺人事件。
・コンクリート詰め殺人事件や台湾の白燕燕ちゃん事件、ルーマニアの女子大生暴行殺人事件などの詳細(被害女性がいかに酷い性的虐待の末、命を奪われたか)。
・現代における女性死刑囚と、その死刑執行のニュース。最近では江藤幸子さんや吉田純子さんといった女性が、絞首された後、遺体を全裸にされて、漏らした大小便を拭かれたのだろうと想像すること。
・中国の若い女性が死刑執行前に見せる無念そうな顔と、その女性が頭を打ち抜かれて、物言わぬ肉塊となっている写真。1990年代~00年代に自分と同じ空気を吸っていた若い女性が、今は腐って土となっていると思うこと。
こういった話や映像を見聞きするたびに、何度でも勃起・射精する。おそらく、一人の人格(女性・子供)が、地獄のような苦痛と辱めを感じながら、短い人生の長い最期の時を過ごしたという事実に、強烈な万能感のようなものを感じるのだと思う。
宗教を信じていれば、苦痛の中で死んだ人も、来世で報われると信じることができるだろう。しかし、私は信仰が無いので、短い人生の最期の瞬間をこのように悲惨な形で終えた人は、それでお終いなのだと思うしかない。この人たちの人生は、犯され辱められ、いたぶられて殺され、墓にも入れてもらえない、そんな目に遭うためのものだったのだと思うことが、快楽なのだ。
死刑が好きなのも、おそらく死刑囚の死は社会が望む死で、殺人被害者と違って悼まれることがないからだろう。あるいは自分を死刑執行する権力の側に置くことで、いい気になっているのだ。
精神科医に簡単に話したことがあるが、「性癖は治療の必要はない」と言われた。確かに私は、痴漢や暴行、動物虐待などの犯罪はしようと思ったこともなく、表面的には紳士的な人物として通っている。
しかし、私の内面はこのように鬼畜にも劣る人格の持ち主だ。本当に死刑に相当するとさえ思う。しかし、今のところ自殺はする気にならないし、遺書に何て書いてよいのかもわからない。
誰かが私を誘拐し、「因果応報だ」と言いながら、私が自慰のネタにしていた方法で私を拷問し、処刑することがまっとうな気がする。
スーパーの精肉コーナーに行くと、ここが私の居るべき場所のように思う。屠畜される牛や豚が羨ましい。私は「死にたくない!」と泣き叫びながらも屠殺場に引きずられ、そこで全裸にされて、股間から鋸で切断され、内臓を取り出され、枝肉にされたい。そして全国の大人や子供に食べられたい。食べられて消化され、大小便となって排泄されたい。あるいは、家畜の糞尿と混ぜてミミズの餌とし肥料にして畑にまき、あるいは肉骨粉となって家畜の飼料となって、牛糞や豚の糞となるのもよいだろう。あるいは猟奇殺人犯に捕まって、嬲り殺された後、トイレに殺人犯の糞尿と一緒に流されるのもよい。とにかく、私が死ぬことで誰も悲しむ者がいなく、逆に喜ぶ人がいるような、そんな死に方をしたい。墓や葬儀は嫌だ。生ゴミとして処理されたい。世界中から永遠に忘れられたい。
私は死にたいのではない。でも生きていても空虚でしかない。自分を殺したい。命乞いする自分を無慈悲に殺したい。なんのために生まれてきたのだろう?
自殺企図者に辛いのは君だけじゃないとか言い出す空気読めないタイプ
そのサラリーマンが犯人と100%断定はできないし(たとえば電車の背もたれや壁についていた可能性だってゼロではない。気づかないうちに服についていたのが、どこかで髪の毛についたのかも)、周囲にどのくらい人がいたのかもわからないが
同情を表現するのに事実がなにかわざわざ言わなきゃいけないあたりバランスを取って考えてる俺様ドヤァが駄々漏れ
相手より言ってる自分に目が向いてるからこれは余計だとか想像すらできない
悪意をまき散らした屑については、どこかでひどい目に遭うだろうことを想像して溜飲を下げておくといいいと思う。そういう人間はいずれ必ずひどい目に遭うから心配ない。断言するが、道端に屑をまき散らす人間は自分の心の中に屑をまき散らし続けて、いずれ心の中が屑で一杯になるに決まっているし、ましてや邪な気持ちで「イタズラ」をする人間は周囲の人間への不信を募らせた結果どんどん社会のはみ出し者になって禄でもない人生を送る。
自分がつらいめにあったときにこういう理想論ぶちまけてくるクズのウザさを体感したことがないひいては大した人生経験がないことも明らか
そういう人間に怒りの矛先を向けたり思い悩んだりしてあなたの大事な人生の時間を浪費する必要は全くない
時間を割くかどうかは本人が決めること
「終電まで飲む」ということに、常にそういうリスクがあるということは、体験的に覚えておいてもいい。...最低限できる自衛がゼロだったとは思えない。
極稀の事例にも関わらずリスクをいちいち説いて犯罪にあったばかりのキズをえぐる想像力に欠けるゴミの証明
いついかなるときも終電を常に避け続けることは可能かどうかといった状況も無視してただお説教したいだけなのが明らか
最後に、あなたのかわいそうな髪先にお悔やみを申し上げる
髪を擬人化した上にお悔やみという葬式レベルの表現がさらに苛立ちを増させる
君さ、上の増田の因果応報論的(?)なパートを「理想論」と表現したり、なんかところどころ非常に理解しにくい文章になってるから、もうちょっと分かり易く書いてくれると嬉しい。
だからお水にありがとうといえばお水がおいしくなるとか言い出すレベルの現実にはありえないキレイ事と同列に置く次の文章があるわけだ
ずっと憎んでいた相手がいた。
生活費を貢がせておきながら、他の女と浮気して結婚したゴミ男ってだけなんだけど。
付き合ってた当時は私も学生で、全然お金がなかった。ただし彼は奨学金でカツカツの研究者だったので私より経済的に苦しかったはず。
彼は修士論文を提出するとき「このレベルじゃ博士は厳しい。でもどこが足りてないか明確だから来年頑張ればぜったい博士へ行ける」って論文を指導教員から戻された。
奨学金をもらったことがあるひとは知っていると思うけど、あれって留年するともらえないんだよね。彼は窮地に陥って私へ土下座した。ちなみに私は当時学部生だったけど、私も学者志望だったから修士へいく学費を貯金してた。
さらにたまたま彼と同じ出身校だった私の身内も同情してくれて、合わせて200万円くらい彼に貸した。
といっても全部足したところで本代やパソコン代は出せなくて、彼のために朝から晩までバイトしてそのお金を捻出した。
彼は家事を担ってくれた。最初は家事も折半だったけど、だんだん私の家事がまわらなくなってケンカすることが増えた。そのとき「誰のおかげで食べていられると思ってるんだ」と彼へひどいことを言ったのも認める。
数ヶ月後、たまたま彼のパソコンを借りたら女へのメールが山盛り。5人の女へ「今の彼女と別れたら結婚しよう。今の彼女は浮気してると思う」と送ってた。メールの本文、ほぼコピペで。ウケる。彼の生活費を稼ぐために、私に浮気する暇なんて無かったんですけどね????
そこからは修羅場、修羅場で結局彼も浮気相手の5人中4人に振られて残った1名と結婚し、私はノイローゼっぽい感じで精神病院へ通うはめになった。
もうずっと前のことだから今は私も復活した。けど憎しみは消えない。私が幸せになるのは当然のこととして、こいつが不幸にならないなんてありえない。
彼はメンヘラポエムをブログへ投稿してるから、そこで倒壊を知った。
彼はマザコン気味で、初対面から「俺はお袋を愛してたのに、幼少期に病気をしたからそれがトラウマなんだ」と風呂場で号泣するような奴。ことあるごとに「お袋」が出てきた。ご飯を作ってもお袋と比較して貶すようなやつだった。お袋が病気にさえならなければ、親が貧乏にさえならなければ俺は今頃成功していたのにと酒をあおりながらよくグジグジ泣いていた。そのお袋さんの実家が倒壊したのだ。東京へ出てきて「お袋」を熊本へ置き去りにしたことを棚上げにして、さぞかし不安定になるだろう。
彼の家族にそこまで恨みはない。けど私と彼が結婚する予定だったときは「こんないい嫁さんが来てくれるなら」と喜んでくれていたくせに、彼が浮気すると手のひらを返して音信不通になって、彼だけ庇ったことは許せない。実の息子と義理の娘(候補)ならそりゃ息子はかわいいよなあ。でも息子のバカを叱るのは親の仕事じゃないの???
地震で実家が倒壊したのは因果応報ととっさに浮かんで、いやいやいや不謹慎すぎるいくらなんでも、とすぐ打ち消した。犠牲となったほとんどの人に罪はない。
でも、ここだけ書かせて。生きててよかった。私は幸せになって彼は不幸になった。これでようやくイーブンだ。私は私の人生を取り返した。
彼の不幸を願う気持ちが神様に通じたのかもしれない。でもあまりにもそれを考えるたびに不謹慎すぎて、罪悪感におそわれる。その罪悪感を打ち消すように、今までにない金額を熊本地震の復興へ寄付した。罪の無いすべての人が、一刻も早く復興できますように。でもどうか彼へだけ、支援が届きませんように。
ど田舎出身であるせいか、オッサンどもたちから「最近の女は我慢が足りない」という説教を何度も何度も繰り返しされてきた。
冗談じゃねーよ十分我慢してやってるだろうがと思っていたが、最近遠い親類の団塊世代ちょい上の女性と話してその理由がわかった気がしたのでここに書く。
その人は貧しい家庭で育って若い年齢で周囲の勧めで同じ地域の農家の嫁になった。
その農家もそんなに裕福ではなかったけど、嫁いでからしばらく「貧乏人の娘をもらってやった」みたいなネチネチはさんざんされてきたという。
その責任も当然その女性におしつけられて、「お前が世話をしろ」「他人にかけた迷惑はお前がきちんと始末しろ」と言われるなかで必死に子育てをしてきた。
その後結局3人の子供を産んだが、そんな家庭なので16歳で家出をしていくわ、暴力沙汰で少年院に入るわといろいろあったがその辺はここでは割愛する。
私は直接的にその女性とは関係がなかったのだけど、なにせど田舎なので噂は伝わってくるし親類ごとになると一応顔を合わせないといけない。
話を冒頭に戻すが、私がその女性と話すことになったのはそれまでさんざんその人をいびってきた舅と姑が亡くなった葬式の席でのことだ。
因果応報と言ってもいいか知らないが、舅と姑は突然の事故でほぼ同時に、そしてちょっと悲惨な方法で亡くなった。
これからも重度の障害を持った長男と長く生活をしていくことになる女性に対し、私は「大丈夫ですか?」と無責任な言葉をかけてしまった。
するとその人が言ったのは「普通の子育てをしていたら、私はきっと子供に対してこうなれ、ああなれと指図をする人間になっていたと思う。でもこの子はただ生きていくことだけを私が見守っていくことができる」という言葉だった。
正直周囲の噂もあってその人に対してあまり良い印象がなかったが、その言葉があまりにも悟ったようで自己嫌悪を覚えるくらいにショックを受けたんだ。
幸い舅と姑が亡くなったことで、家出をしていた娘から連絡があったりと家族の復縁の兆しが少し見えているとも言っていた。
こんな話を聞いて、そりゃ昔の女性は我慢強かったとしか言えないよと思った。
ていうかこんな我慢を当然にさせていたことにあぐらをかくことができていた時代はやっぱりおかしかったんだとも思った。
今はオッサンどもに「今の女は我慢が足りない」と言われても、「昔の女性が我慢をしてくれたから私達は意見を言える」とありがたい気持しか起きない。
《神宮球場、2020年は使えない? 5~11月 五輪組織委、借用を要望》http://digital.asahi.com/articles/DA3S12296764.html
「ザマを見ろ」と言いたい。
神宮球場と秩父宮ラグビー場が建て替えになるが、建て替え方が面白い。
1) まず秩父宮ラグビー場を壊す
3) 神宮球場を壊す
この建て替え方が面白いところは
a) 神宮球場は使えなくなる期間がない
というところ。
ロ) 秩父宮ラグビー場を壊して、その跡に新・秩父宮ラグビー場を建てる
ってやれば、神宮球場も秩父宮ラグビー場も使えないのは一年で済む。