はてなキーワード: 囚人とは
非モテ男に言わせると、非モテを原体験とするような異性嫌悪は必ず前提に同性側のロールへの倦厭があり、自分に謎ルールを押し付ける同性DQNはバカ→それを持て囃す異性もバカという順序(逆ではない)がある
女の側もそんなに変わらんなあと思って途中まで読んでいたら
・可愛い服を身に着けていいのはカーストトップオブトップの女子だけ、中途半端な女子は人様に迷惑をかけないように身分相応の地味な格好をしないといけない、ブスが色気づいた格好をするのはマナーとして絶対に許されない
世の中の人を「天上の上級国民」と「私と同等以下の非人」に勝手にカテゴライズして、後者から前者に行こうとしてる(ように見える)人をぶっ叩いていた
このあたりでぶっとんでしまった
非モテ男としては「アホDQNと女」 「硬派な俺ら」に世界を切断して我が領土の平穏を確保した後は面倒なだけの恋愛規範は丸ごと彼岸のものとして押しやってしまうのが当然自然な心理機序だと思っていたからである
非モテ男グループの仲間がちょっと色気づいてチャラついた服を着だしたからといってわざわざ叩くなど思いもよらないし、それで交際を始めたら寂しいかもしれないがそうですかと送り出すだけだろう
よく非モテ男に投げつけられる罵倒の語彙の一つに卑屈があるが、これこそ卑屈、ルサンチマンの欠如、革命精神の敵というほかない
仕事から帰ってきたら、リビングに見慣れない物体が鎮座してた。
何だこれって近づいてみると、どうやらそれは息子が図工の時間に作ったパノプティコンらしい。
パノプティコンって知ってる?真ん中に塔みたいなものが立ってて、そこから360度、全部監視できる構造になってるやつ。昔の監獄とかで囚人を監視するために考えられたっていう、アレね。
で、うちの猫がパノプティコンの監視塔にちょこんと収まってるんだよ。
この塔がまた息子らしく、やたらと細かく作り込んである。監視用の穴が四方八方、東西南北にびっしりと開いてるんだよ。
さっそく猫に向かって「おーい」って手を振ってみたらシュッて手が飛んできて、こっちがちょっかいを出す方向にきっちり反応してくれる。
それでさらに試してみたくなって南の穴から指をひょいひょい動かしてみたら、「…来る!」と思った瞬間、ピシッとそっちの窓から肉球パンチ。
今度は北側の穴の方で指を動かすと、見事にシュバッとパンチが即座に飛んでくるわけ。
どの方向にいても、猫は全方位ちゃんと把握してるっぽい。
こっちがどんなにトリッキーにちょっかいをかけても、瞬時にどの方向にも対応してくるんだからもはや監視のプロ。
それで、しばらく息子と一緒に「今度はこっちからやってみよう」なんて言いながら遊んでたんだけど、なんか気がついたら猫のほうが楽しんでるみたいでさ。いつもなら飽きるはずなのに、全然離れないんだよね。
監視役にすっかりハマってるんだよ。
で、最終的には俺たちが先に根負けしちゃって、もういいやってソファに座ってたんだけど、それでも猫は塔の中に収まったまま。
穴からじーっとこっちを見つめてるわけ。完全に「監視してますよ」って顔してるのが面白すぎてさ。「おまえ、ホントにやる気だな」って思わず笑っちゃった。
ジョーカー2は神格化されたアーサーが実は何者でもないとアーサー本人が認めるまでを描いてる。
最後にクインゼルに「ただ子供が欲しかっただけ」と泣きながら告白して新世界の神ジョーカーの伝説は終わる。
と思いきや最後に刺した囚人がヒースレジャーのジョーカー説まである。時系列的にはその方が自然かも。
なんにしても何者にもなれなかったアーサーの物語は前編後編の2部作で終了。
前評判がしっちゃかめっちゃかになっているジョーカー2を観た。ジョーカー1とはほとんど別物だと言っていいような変な映画だった。
記憶がおぼろげで悪いけど、1ってたしか馬鹿にされて虐げられて抑圧されてギュッッッッッッッッッッッとなったアーサーがとうとう弾けて、あとはもう空想をヒュンヒュン加速させながらあちこちで殺しをやりまくるみたいな話じゃなかったっけ。
だとしたら、2はアーサーが看守や囚人からヌメッとチヤホヤされながらガチ恋女とヌメヌメ愛し合い、歌を覚え、歌いまくり、寝ながら歌い、空想の中で歌い、電話口で歌い、なんかもうあちこちで歌い、その合間に裁判台に立たされたり殴られたりする、そんな映画だった。
とにかく歌の挟まり方がすごい。映画一本の中に、阿漕なyoutuberの広告ぐらいギチギチに歌が挟まっている。ロバートのコント「柳田節」ぐらい歌う。歌が終わるとどうなる?知らんのか、次の歌が始まる。
でもホアキンもガチ恋女役のレディガガも歌がうまいから、評判より全然楽しめるもんだな、と思った。3曲目ぐらいまでは。なにせ1曲1曲の演出カロリーが高いので、すぐお腹いっぱいになるのだ。そもそも歌を見にきたわけじゃないし。それでも歌はお構いなしに出てくる。二郎ラーメンでわんこそばをやっているような気分だ。「もう歌の口じゃないんだけどな」と思っていても「アイヨ歌一丁!」と強制的に歌をねじ込まれる。アーサーの歌わんこそばにストップはない。
さらに1と違うのは、全体的にアーサーが受け身なことだ。感情はしっかり出す。けれど、行動はどこか後手に回っている。質問されたから答える、囚人にキスを頼まれたからする、ガチ恋女が火をつけたから一緒に逃げる、法廷に立たされたから喋る、というように起点が他者や状況に置かれがちなのだ。
頼みの空想も、今回はそこまで現実に干渉してこない。いっぺん法廷でキレて暴れたときはちょっと気持ちよかったが、それも所詮は空想の中だけの出来事だった。だから、観客はほとんどの時間を「様子がおかしいけれど害はない、等身大のアーサー」と過ごすことになる。そして、彼の行動が「アーサーってそういうもんだよな」という我々の予想を超えてくることはほぼなかったように思う。
つまり、ジョーカー1のようなムチャクチャな破滅が彼自身の手で引き起こされることはなく、代わりに本人は歌ってばっかりいる、そういう変な映画なのだ。
火をつけたのはガチ恋女だし、裁判所に突っ込んだ車は信者のものだ。インパクトのあるシーンはことごとくジョーカーの手を離れて始まっている。裁判が突然の爆弾カー突入で強制終了になったときは流石に「ウオーッ!これだこれ!ゴッサムシティに法律はねェーッ!」と客席から立ち上がりかけたけれど、その後の展開で「あっ普通に法律とかあるんすね」「失礼しました」「そっすか……」とすぐさま心を着席させることになった。ここまでくると製作側から意図的にカタルシスを取り上げられているような気さえしてくる。
そしてある意味、それは当たっていたのかもしれなかった。物語の終盤、別れに際して歌おうとするガチ恋女にアーサーが言うのだ。「歌はもういい!歌うな!話せ!」みたいなことを。
ここで初めてアレッ?と思った。なんとなくそれまで、ジョーカー(アーサー)になんも面白いことをさせず、ただ歌わせるだけの映画を撮った製作陣にある種の無邪気さを感じていた。このナンセンスさは彼らの読み違え、あるいは天然ボケなんだろうと、無意識に考えてしまっていたのだ。
けれどそれなら「もう歌うな!」なんて客席の9割の人間が思っていそうなことを台詞にするだろうか。まるでこっちの考えが読めているようにも見えてくる。もしかして彼らは、ジョーカーを暴れさせずに歌わせてもそこまで面白くないことを最初から分かっててこれを作ったんじゃないだろうか。
そう考え始めた途端にいろいろなことが腑に落ちてきた。作中、アーサーは恋愛に溺れる以外はほとんど何もしてないのに、周りが勝手に感化されて狂ったり崇めたりする。そして、ジョーカーがただの人間アーサーだったとわかると潮が引くように離れていく。その心の動きが、映画館の席についてからここまでの自分の心境といやにぴったり重なっているのだ。
勝手に期待して近づいて勝手に失望して帰っていく、ジョーカー2の大衆と今ここにいる自分とfilmarksの低評価レビュアーたちはきっとそう変わらない。そして、思い返せばこの映画はずっと「シラフのアーサーと狂った取り巻き」に焦点を当て続けていた。
結局のところ、「おもんない取り巻きばっか映して何がしたいねん、はよジョーカー暴れさせろや」とぼやきながら、自分はずっとスクリーンに大映しになった鏡を見つめ続けていたのだ。
ジョーカー1はいろんな人間に「自分はジョーカーかもしれない」と思わせた。けれど、ジョーカー2は「お前ジョーカーちゃうで」「自分をジョーカーやと思いたいただの取り巻きやで」「あとジョーカーも蓋開けたら多分そんな大したことないで」という常温の現実をバシャバシャと浴びせてくる。
そういうメタだと捉えれば、この映画は面白かったと思う。実際のところは知らんけど。ジョーカーは1も2も一回ずつしか観てないからうろ覚えだったり的外れだったりするかもしれないし、ひとまずこういう印象を受けたとだけ言いたい。他の感想も気になってきたな。
https://i.imgur.com/fsAbqlJ.jpeg
暇空茜(41)が執着している相手である堀口英利(26)は先日、清谷信一(62)との裁判があった
本人尋問が上手くいったらしく、堀口は帰りの車の中で微笑んでいる自撮りを載せた
暇アノンたちは車の内装から車種割り出し、背景から道の割り出し、スーツ姿の多い堀口がラフな私服姿なので服の割り出し、その服の購入などに励んでいる
暇空が写真で着目したのは堀口の瞳だった
堀口の瞳を拡大した写真を掲示し、瞳に写るものが不審ではないかと暇アノンたちと数時間に渡って議論した
一見するとこの写真は堀口の自撮りに見えるが、真実は別にあるのだと暇空は主張する
よく見てみれば2本の腕のようなものが瞳に写っている
これは第三者の腕で、自撮りではなく別の誰かが撮影したのではないかという
暇空の設定では堀口は罪を犯して逮捕されたということになっている
裁判のため警察が警察車両に堀口を乗せて監視付きで出廷させ、そして堀口は収監中なのでスマホを自由に使うことはできないので代わりに自撮り風に撮影してあげたという
堀口が言葉巧みに憐憫を買い最恵囚人待遇を得ているのではないか
警察が簡単に堀口に懐柔されるようでは、堀口に操られた警察によって刑事告訴が通ってしまうかもしれない
警察組織もナニカグループの傘下になった可能性が高く、暇空は取り調べでは警察を正気に戻すため堀口の悪事をできるだけ訴えているとのこと
成功者の伝記や、ドラマの主人公などに自分を重ねすぎて、人生に求める平均点を無計画に上げてしまったタイプ。
学校の教師なんかが「とにかく夢を持て、君も立派な人間になれるぞ」なんて無責任に言うのを鵜呑みにしてしまった人間の成れの果て。
よくよく考えれば、教師なんて自分は残業代も貰えずに最低賃金未満で働いてくるくせによくこんなことが言えたものだと気付けなかった思考力が哀れ。
テレビゲームの世界ではコントローラーを握ってるだけで皆世界を救った勇者になれるけど、現実にいる自分はその他大勢の村人であるという客観的視点を持つ才能がなかったのも哀れ。
テレビを見ながら1時間で偉人の人生を追った所で、自分は1ミリも偉くなってないってことに早く気付ければよかったね。
想像力や分析能力の欠如により現状に対しての不満ばかり漏らし、その考えを自分の人生にも当てはめてしまったタイプ。
あらゆるものに対してとりあえずケチをつけておけば何となく「評価が出来た」という気分になれるという楽さに溺れてしまったのが敗因。
存在し得ない最高の状態からの減点で何でも測るので、何が起きても常に不満しか持てないという悲しい生き物。
ゼロから数えてどれぐらい積み上がっているのかを数えればいいものを常に100点からのマイナスで数えるのでいつまでも満足できない。
このタイプはたとえ95点の人生が手に入っても、「マイナス5点の人生」として数えて「ああ、俺の人生の価値は0にさえ劣る・・・」と嘆き始めるのだから相手にする価値が全くないと切り捨てていい。
子供の頃にちょっとしたことで表彰されたりしたのをいつまでも覚えているようなタイプ。
言ってしまえば「クラスで自分しかビブラスラップを演奏してないから身内じゃ一番ビブラスラップが上手い」のを「俺はこの街で一番音楽の才能があるのだ」と勘違いしてしまうようなホームラン級のアホ。
幼児的万能感とも言えるものが精神の根底にビッシリと根を張っており、それを下手に取り除けば自我が崩壊してしまうレベルだから外側からの治療はもはや不可能。
死ぬまで「子供の頃、俺にはとんでもない才能があったのに、努力が足りずにその才能を無駄にした」と言いながら現状を否定し続けるのである。
自分の人生がどこまで上手くいっても「俺の才能が完璧に活かせたらもっと成功した」と言い続ける絵に描いた餅の囚人である。
この3タイプ、どれもどうしようもなくしょーもないのだが、一応救われる方法はある。
それは自分の人生に対して無駄に高く見積もるのをやめ、その上でゼロから数えて自分の人生の価値について考えるだけでいいのである。
飯は食えてる。
家はある。
身体は動く。
ある程度自由。
とりあえず明日はくる。
そういったことに対して少し高めに加点していってやればあっという間に人生なんて「70点/100点」ぐらいにはなる。
その現状を「よっし!とりあえず70点あるならええやろ!俺にしちゃ立派や立派!」と言えばいいだけだ。
これは別に無理やりでいい。
筋トレ中に限界だと思っても無理して笑えば脳内麻薬で痛みが吹っ飛んでワンモアセット可能になると同じ状態だ。
無理やりでいいから「俺の人生70点ぐらいある!70点もあるんだから十分じゃないか!」と思え!
俺がそうだった。
「仲間内の一人が免許を(誰よりも早く)取った時、『これで夜中の海とか行き放題!!』って思ったね。人の車なんだけど笑。これが自由だと思った」
みたいなことを言っていて、なるほどなと思った
「生まれて育って這って移動出来るようになる。立って歩いて移動出来るようになる。走れるようになる」
「自転車に乗れるようになる」
「交通機関を一人で使えるようになる」
「飛行機に乗れるようになる」
そうやってどんどん移動距離を拡大していけること
現代の人間はアル・イスカンダルよりも広い範囲へ遠征可能だ。自由だー!!!!
そう思う理由はもう一つある
「転倒リスクがある」等の理由により「危ないから一人で動かないでください」「座っていてください」「夜なので(眠くなくても)横になって寝てください」と言われる
(もしくは単純に老いのせいで体や脳が動かない為にベッドや車椅子から動けない。「動きたい」と伝えることすら叶わない。そもそも「動きたい」と思うことすらないのかもしれない)
…本当に恐ろしいことだ。自分の意志を誰かに伝えて移動が出来る障害者とはわけが違う
「動きたい」のに「動くな」と言われるのだ
奴隷や囚人以下じゃあるまいし。脚の腱を切られているようなものである
人間は「自らの意思で動けること」に感謝して、その自由を存分に謳歌すべきだ
そして生きている間出来るだけ長くその自由を貫ける様、努力すべき
(ちょっとでも「なんか変じゃね?」と思ったら受診すること。納得いく結果が出るまでドクターショッピングしてでも脳と体の健康に留意すること
そして勿論、脳や体に悪いと言われる習慣を止め持続可能性を模索して精進すること)
まあ、「自分の意思で『絶対動かん』『なるべく動かん』という方々は別だ。それも「自由」だから。動こうと思えば動けるんだしね
まあだいたいアナボリックステロイドの問題だよね
ナチュラルでやってる人たちは健康とは言いがたいが死ぬまでではない
無期懲役のムキムキ囚人もほぼアナボリックステロイドやってる人たちだと思うよ
業界として知名度がそんなに無いからあまりニュースにならないけど、近年の死亡率は異常だよ。
マッスル北村という名前なら業界にいない人でも聞いた事あるでしょ。
本来は健康の為に筋トレするのが正しいんだけど、筋トレしてるうちに健康を害しても筋肉つける事が正しいになっちゃうんだよな。
異常なタンパク質摂取から始まりBCAAやら変なアルファベットが羅列してる薬品を飲み出す。
当然歳とって関節痛めるから日常生活にも困る。かといってトップになってもそんな稼げない。
マッスル北村の逸話に糖質取らなすぎて意識を失い救急車で運ばれ回復した後の第一声が
だからな。
そんな異常な業界なんだけど、別に自己満で済むならいいが人が死にすぎてるんだよな。
何で適度に健康な範囲で体を動かす事が出来ないんだ?無期懲役の囚人だってムキムキになれるんだから、シャバにいるお前らだって適度に筋トレすればムキムキになれるんだよ。