はてなキーワード: 営利企業とは
私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。
とある中小のゲームメーカーでソーシャルゲームの開発(のアライアンス担当)をやっているのだが、色々な会社と色々な話をする中で、ガンホーやコロプラやクルーズが儲かって、GREEやそれ以外のゲームメーカー(と何よりもうちの会社!)があまり儲からない理由が分かってしまったので、ここに記したい。
ガンホーやコロプラって、現場の開発の人たちはどうか分からないけど、営業や幹部職の連中はマジで売上のこと以外はほとんど考えてない。先方との打ち合わせとかでも基本的に売上と納期の話くらいしかしない。こりゃ生粋のゲーム開発者やゲームオタクからは絶対嫌われるわと思ったもん。
ただ、オレが彼らに感化されている部分はあるにせよ、彼らが言ってることは基本的に営利企業として間違ったことは言ってない。若干、品がないかなあと思ったりするけど、「販売本数は上がらないと思いますけど、新機能入れましょう!」とか言ってくるうちの開発の人間よりは間違いなくビジネス的に正しい。
ゲーム会社でソーシャルゲームで大成功している会社もさ、コナミとかバンダイナムコとか、業界人だったら、、、ね、分かるでしょ?
で、一方でGREEの話。ダメだわ、あの会社。儲ける気がなさすぎる。利益がどんどん減ってきて焦ってるのと、提携しているヤフーから圧力くらってるようで、形こそゲームの誘導を増やしたり手数料上げたりしてるけど、嫌々やってることがダダ漏れw 非上場で社長の趣味でやってるようなうちの会社より儲ける気がないって、真剣に凄いよ。
でさ、そういう儲ける気がある/ないってのはさ、そのまま企業努力の質にも量にも直結するのよね。人間誰しもが1日は24時間なわけで、その限られた平等な24時間の間で、GREEがソーシャルグラフwについて考えている時間、うちの開発チームが自己満足の新機能を考えている時間、ガンホーは少しでも売上を上げる施策について真剣に考えているわけよ。ついでにいうとガンホーの人間はGREEの人間より倍の時間働くしね。
元々他の会社より高学歴で地頭がいい人間がそろっている会社がさ、社員全員が本気でひたすら売上(と利益)を追求したとしてさ、儲からないわけがないじゃん。レアガチャが儲かってる理由とかいってる人がいるけど、あんなのはただの1つの手段に過ぎないわけで、儲かってる本質は確実に彼らのこの姿勢だよ。レアガチャが規制されようが、RMTが規制されようが、まず間違いなくそれに変わる同じくらい利益を出す方法を見つけるよ。
一緒に仕事をしてて本当に痛感したのはさ、うちの会社にしろ多くのゲーム会社にしろさ、結局のところ同人サークルなんかと大して変わらないんだなってこと。現場のクリエイターはさ、それでもいいと思うんだよ。ただオレみたいな営業の人間や経営者がさ、同人サークルの延長みたいな気持ちで仕事してたらダメだよね。
というわけで、ゲームメーカーなど他業種の人も、特に営業とか経営者の人は、ソーシャルゲームの第一線で活躍している企業と一緒に仕事をすると、マジで刺激を受けれるのでオススメ。ちなみにガンホーやコロプラの中の人もパズドラや黒ウィズみたいなヒット作は連発出来ないと思ってるみたいだけど、「じゃあ将来性ないからやめるか」じゃなくて、「稼げるうちに稼げるだけ稼いでおこう」っていう考え方がやっぱり違うよね。
http://anond.hatelabo.jp/20131219201739
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俺の考える理想の流れは、OSは有志が作ってオープンソース。世界中の有志または企業が問題修正してメンテ。自己責任で無料で使用可。営利企業から購入すればサポートが受けられる。Linuxと全く同じ状態。ていうかLinuxでいい。LinuxがPC界におけるデファクトになれば全く問題ない。
今何故そうなっていないかと言うとMSが強大な力で妨害していたからに過ぎない。その力がなくなれば、Linuxが広まってソフトもハードもそちらに対応するように流れる。
「もうOSは儲からない」となってMSが撤退、Linuxがデファクトになった世界が、健全なPC社会だと思う。そういう未来が来て欲しい。一営利企業がOSを牛耳るって絶対よくないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20131005064230
「システム屋に不当にボッタクられないための発注者心構え」の増田です。
システム発注業務を舐めきった増田に「ばーかばーか!お前のかーちゃんでーべーそー!」って煽り記事を書きましが、下の記事に、理性的かつ丁寧に諭されてしまいました。憑き物が落ちた気持ちです。
システム屋に不当にボッタクられたくない人のための要求講座 - novtan別館
浅かった自分を恥じて素直に反省し、心を入れ替えて、更に丁寧に煽ろうと思います。
聞いて下さい、私の歌を。
「利益なんて1銭も要らない。人の笑顔が見られればそれで良い」。そんな奇特な偽善者は、営利企業じゃなくて慈善活動団体に身を投じてるはずですから。
悪徳な企業はあなたの会社から短期間で多大な金額をボッタクり、良心的との謳い文句の企業は同額を長期間にわたってボッタクろうとする。それだけの違いです。
営利企業が、より多くの利益追求活動に精を出さなければ、株主と従業員にとって不誠実です。そうでしょう?
で、利益追求活動ってのは、同じコストが掛かったモノを、上手いことできるだけ高値で売るってことです。
利益率そのままで売上額上げればいいじゃん、とか考えるの是非止めて下さいね。システムエンジニアはもう3日も家に帰ってないのです。
●5社に相見積もりを求めた貴方は、内4社に完全なタダ働きを強いるのです
相見積もりをとるってことは、確信的な空振りタダ働きを求めてるって話で。
それが発注側の正当な権利であれば、ボッタクるのは受注側の正当な権利なのでしょう。
だって空振りした相見積のコストは、どっかで回収しないといけませんもの。営業人員が1回訪問してペラ2~3枚の見積もり書を1回出すのに3万円のコストが掛かるとして。利益率1%の会社だとしたら、売上ベースで300万円の仕事をこなさないと出せない大金ですよ?
IT 業界に会社が5社こっきりだとしたら、1回の受注で回収しなきゃいけない営業コストは(見積もり関連だけで)15万円ってことです。まあ貴方の会社にそっくりそのまま転嫁するのでいいんですけどね。
●役に立たないコンサルタントを回避するためのコンサルティング
素人で何もわからないから、導いてくれる専門コンサルに頼る? 馬鹿なの、死ぬの? よいコンサルってのは、よいシステム屋よりも稀有な存在ですよ? 見つけるには相当な努力と、幸運が必要です。
膨大なインタビュー時間を拘束されて、誰も読まない資料ぎっしりのキングスファイルを文書棚の下の方にしまい込むのがお好きなら、止めは致しません。
コンサルのひとは、しょっぱい過去実績を綺麗に彩る能力にも優れてらっしゃいますので、心に留めておいてください。いっしょに踊ると楽しいですよ、途中までは。12時の鐘が鳴ってパーティーが終わった後に、コンサルの人は残ってませんけど。
もし、もしも、貴方の元まで王子様を無理やり引っ張ってきてガラスの靴を強引にはめこむコンサルに出会えたら、その手を握って絶対に離さないように。強くお勧めします。
●発注業務で舐めプ、死ぬ気ですか? ホント発注業務は地獄だぜ! フゥハハハーハァー
貴方が信じられる人は、誰もいません。
BtoB の会社間取引ですから、狐と狸の化かし合いです。ちょとでもスキを見せると、誰も彼も容赦なくたかってくるでしょう。目利きの弱さで騙されるほうが悪いんですよ。美味しいですもんカモネギ鍋。
で、クソみたいなシステム屋にクズシステム掴まされて、その責任を取るのは貴方です。
運用現場から使えない効率悪いって猛烈なクレームを日々受け続けるのも、上司からこんなに沢山会社の金をドブに捨てたんだねって笑顔で人事評価を下げられるのも。
過去に似たようなシステム発注を行った社内人員や同業他社や関連企業に拝み倒して、システム発注のコツや信頼できるシステム屋の情報教えて貰いましょう。できれば発注額も。
システムに関わる予定の社内・社外関係各所の人員にしつこいぐらい話を聞いて、要件漏れがなるべく無いようにしましょう。
経営陣にはシステム化の意義と得られる業務改善効果を丁寧に説明し、ひっくり返されない確かな予算枠を確保しましょう。
繰り返しますが、世知辛い世の中なのです。知識が無いのが罪だとは言いませんが、生け贄台に捧げられる羊です。どれほど言い訳を重ねても、結局は自分を高めないと、誰かに食い物にされるだけなのです。
学んで得た知識や経験は、貴方にとって後々まで幅広く役に経つことでしょう。
●同情と泣き落としは最後にして最強の手段
「私は会社のしもべ・卑しい哀れな犬っころです。このシステムが完成して役に立たないと、会社を首になって、年老いた母親と小学生の娘と産まれたての子猫が! 私の見込み違いで、今回は御社に足が出る形になってしまいますが、改めて追加予算取って次の発注で回復できるように致しますので、どうか、なにとぞ!」
懐に出刃包丁を忍ばせつつ、ギラギラした目で土下座。最強のビジネスメソッドですよ。
●(おまけ) 良いシステムが作りたいのかい? じゃあ僕と契約して、魔法少女になってよ!
僕達SIerというのは、「何やればいいかよくわかんないんだけどシステムで会社を良くしたい」って思っている人をお助けすることも大事な仕事です。もっとも、そこまでのレベルの会社は個人商店の延長に近い中小企業くらいしかもはや残っておりません(システム化の余地が少なく、せいぜい会計と給与とメールシステムくらいしかない会社)し、あったとしてもお奉行様あたりのターゲットでしょう。
お国が出す RFP に絶望することしばしばです。私だけでしょうか?
「何やればいいかよくわからないんだけど国を良くする提案を求める」とか、1行に凝縮できることが、冗長な文で長々と書いてあったり。なんだそれ。
細かい意図を直接聞いても、「高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処できるようにしたい」とか大変ふんわりとした回答。
一流大学出て難しい試験に合格したデキるお役人さんしっかり仕事しろと思いますが、内情を聞くと決定権を握ってるのが誰なのかわからん状態だったりして、まあそりゃしようがない。
要はその都度行き当たりばったりと言うことですな。そりゃ何割ものシステム調達プロジェクトが失敗するわけだ。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20121204/441882/
ネタ元:
心も体も限界で、続けることができませんでした
朝6時ぐらいに店を出て、終わるのが夜中の1時とか2時。
一切残業代はもらっていなかった。
https://pbs.twimg.com/media/BSvnrDpCUAAb6E4.jpg
https://twitter.com/miyamototooru/status/372646121236987904/photo/1/large
http://www.jcp.or.jp/akahata/web_weekly/2013/09/post-1133.html
タイムカードを組織的に偽装作成 だけど商品に嘘はまったくありません
そう考えるのが自然
会社が無法を続けるなら
事業所本部/〒160-0023 東京都新宿区西新宿3-20-1
事業所/〒336-8601 埼玉県さいたま市南区沼影3-1-1
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http://anond.hatelabo.jp/20110605152806
総合病院職員。医事課とか診療報酬請求担当じゃなくて経営基幹業務。
経営企画とか総務とか人事とかそういう普通の会社にもあるバックオフィス的な部分。
入職にあたっての試験は一般常識とかそういうのでそこらへんの営利企業とそれほど変わらない。公務員ほど特殊な試験勉強とか要らない。ただ院長の名前とかぐらいは押さえておかないと、下手すると面接で気まずい。
実務上で要される知識はとりあえずPCの基本操作(エクセルワードパワポは最低限、あとマクロ組めたりデータベースソフトに強いといい)、それから医療経営士の3級でもとっとけばやる気アピールしやすい。(能力ではなくやる気のアピールね)あと経理採用には簿記が要る。DPCの知識も必要だけど細かい部分は入職後に嫌でも身につくので制度の何たるかとかの触りだけで充分、そしてそれは医療経営士で大体カバーできる。
病院と部署によるけど基本的に定時帰りだし休暇申請はスルスル通るし使わないつもりらしいけど産休や保育もだいたい充実してる。給与もまあ大卒税込で19ならぎりぎりアリか。
転勤はない。病院は基本的に独立採算だし他の病院との人員やり取りとかは短期的な研修に留まる場合が多い。相当出世するかあるいは採用時にマネージャ候補って銘打たれて予め転勤ありと説明されるとかを除けば、まずありえない。
http://anond.hatelabo.jp/20120706010332
の続き。
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クラウドシティの市民と比較して、オタキングex(FREEex)の社員には何のメリットがあるのだろう?何が面白いのだろうか?
・誕生月の社員(ブレイン)は、岡田斗司夫のわがままを聞ける・定例会に参加できる・仕事ができる「権利」が手に入る。具体的な仕事は イベント運営 クラウドシティ運営 文字起こし、コピペ メルマガ、ブログ その他雑務
といったところか。
安定したコミュニティという居場所がある、古くからいる社員にとってオタキングexはそれなりに居続ける意味はあるだろう。
でも、新しく入る社員は数十人と新たな人間関係を築きながら、明文化されていないどころか、猫の目のように変わる岡田斗司夫が作った細かいルールにお慣れていかなければならない。しかも、そうしたルールを自分で作っておきながら、岡田斗司夫自身が忘れたり反故にする。今、オタキングex・FREEexの社員になる魅力は乏しいはずだ。
2011年の後半に新入社員が2人しか入らなかったのは当然だろう。というか個人的には入ってきたこと自体が不思議だ。社員になって、まずできることは「文字起こし」でしかなかったりするので。
前にも書いた通り、意味ある講演を文字起こしするならそれなりに意義があるだろうし、面白いかもしれない。でも、社員との雑談レベルのTS講義とか、定例会の話を聞いても面白いわけではない。今後有効利用されるかも分からないし、やるモチベーションもわきにくい。
単純に考えると、社員になることによって得られる充足感は、クラウド市民の12倍以上でなければいけない。では、その12倍以上に値するものは何なのか?自分はexの初期から社内全体に対して問い続けてきたが、その答えは出ていない。
それを明確にせず、勢いだけで進めてきたツケが今になって回ってきているのでないか。
業務を遂行する社員の新陳代謝がうまくいくという前提が立てば、市民と社員の違いについては考えようはあった。
でも、社員が純減している先細りの現状では市民にも雑務を頼まなければならないのだろうし、そうすると社員と市民の違いは「バベルの塔に入れるかどうか」くらいでその線引きはさらにあいまいになる。
その結果、社員にできる仕事は市民が引き受けたがらない、あるいは引き受けられない仕事ばかりになってしまう。「仕事は権利」?いやぁ、誰もやりたがらない仕事には買い手はつかない。実際、ブログ更新や会計処理といった仕事はエーアイエルやロケットといった社員が運営している会社にやってもらっているわけだし。
そして、このエーアイエルとロケットとオタキングexの関係、これが問題だ。
市民は1万円払って「岡田斗司夫と交流できる」「何かを学べる(現状はその体制ではないはず)」「その他社員・市民と交流できる」権利を得る。また、それだけの対価を払っているのだから、当然ながら市民が増えるにつれ、サービスも向上しなくてはいけないし、求めるはずだ。
だけど、クラウドシティが始まってから、市民から徴収したお金をサービス向上に使っことはあるのか?
ないに等しい。
エーアイエルがクラウドシティ市民から徴収した費用の現状の主な使用用途は、自分が知っている限りでは東京で月一回開催されるブレイン会議や定例会に社員を呼ぶための交通費だ。その交通費がクラウドシティのサービス向上について議論するために使われているなら問題ないのだが、自分がいた時期にそうしたことについて話したことは皆無だ。ブレイン会議自体、「議論する場」ではなく、「限られた社員が岡田斗司夫の言うことをナマで聞く場に」なってしまっている。
会議に交通費を使って呼び寄せる地方社員も当初はブレイン会議への参加資格を持つ人(当月が誕生月の社員)だけだったのだが、資金に余裕ができるようになってからは、誕生月でなくても業務に携わっている人を呼び寄せるようになった。その結果、クラウドシティの使い勝手がよくなるなどサービスが向上したか?おそらくない、あるいは逆に使いにくくなっているのではないか?
exの社員に交通費は支払われるが、そもそもクラウドシティの会費を徴収しているエーアイエルにお金がいくら集まって、そこからどれだけ出ているのか、といった出納の実態は、おそらくエーアイエルの社長である教え人のシゲルさんと岡田斗司夫しか把握していない。
クラウドシティの会費をどのように徴収して、どのように処理するかについては紆余曲折があってエーアイエルが引き受けることになった。当初はexやexの社員とは関係ない企業に徴収を外部委託していた。しかしその委託先の対応が悪いということで岡田斗司夫がエーアイエルに切り替えた(その過程でクラウドシティの会費58万円が違約金として外部委託先に使われている)。
お金が絡む話は遺産相続などにもあるように、親しい間柄でも(だからこそ)揉め事になりやすい。だから仲間内で扱う場合、お金の流れを明らかにしないと不信が生まれやすい。そうした事態を憂慮して、2011年半ばにクラウドシティの金のフローについて一部社員が詰め寄ったが、岡田斗司夫が社長案件ということでうやむやにしてしまった。
シゲルさんは職業訓練の講師をしていて、そこの生徒に入会処理の手続きをやってもらっていると聞いている。これはあくまで私の推測だが、クラウドシティの入会処理だけではその生徒に安定した収入をもたらすのは難しい。なので、おそらく入会処理のための1件あたりの料率を高くせざるを得ないといった実態があるのかもしれない。いずれにしても、人件費は賄えても、クラウドシティの入会処理はシゲルさんを潤わせるほどのビジネスにはならないはずだ。生臭いかもしれないが、そうした事情を説明しない理由はない。
exの社員は関東と関西に集中している。この2ブロックの社員は定例会やイベントに限らず、普段から会ったりとリアルでのコミュニケーションを比較的取りやすい。地方の社員をクラウドシティの会費を使って会議に呼び寄せるのは、そうした物理的な環境からの隔絶で生じるコミュニケーション格差を解消するため(それだけではないが)の措置でもある。
こうした説明を市民に公にした上で、それが市民が納得できるだけの正当性を持つものだと判断できてから導入するのが筋だろう。いずれにしても、ex社員はシゲルさんを除いて、クラウドシティの会費がどれだけ何のために使われたのかは知らない。評価経済を標榜するからには透明性が何よりの評価対象になるはず。なのに、それを提供しているクラウド市民に対する使用用途の説明責任をないがしろにして、「何となくそこにある便利なお金」としてしか使っていない。
さらにおかしいのが、とあるex社員Aが社長を務めている会社「ロケット」だ。元々はとある社員Bの会社の剰余金120万円で何かできないか、ということで始めたお遊びだった。ところがBがAに出資するにとどまらず、岡田斗司夫自身もなぜか出資し、Aはロケットの社長であると同時に専業社員となってしまった。
ロケットは岡田斗司夫のコンテンツの物販でビジネスをする会社だとexの社員に対しては説明している。
オタキングex自体、岡田斗司夫のコンテンツをタダで提供するためにできた組織なのに、これはどういうことなのか?しかもその会社に岡田斗司夫が出資している。営利企業に出資している以上リターンは求めなければいけないし、利益を出したら当事者になってしまう。
となると、当初自分が言っていたことに反して、コンテンツで儲けるためのビジネスをしているということになる。これはオタキングexが始まった当初の考えからは大きく離れていないか。
方針の変更はあってもいい。世の中思い描いていたことがそのままうまくいくことはあまりないので。でも、岡田斗司夫はそうした方針の変更についての詳細な説明責任をex社員、クラウド市民、そして公に宣言した世間に、「面倒だから」と一切していない。
値上げの原因を作っている原発稼動反対派が個人的にむかつく。
40年もの間何も考えずに原発の恩恵を受けてきていたのに目立つ事故が1件あっただけで、全数停止しろとは何を言っているのだ!
そして、原発を止めて、燃料代のかかる老朽化した火力発電所をフル稼働させて、燃料代を無駄に多くして値上げを誘発させる。
原発も地域住民への手当てがあるがそれは国が補填しているはずなので電力会社にとってはそれほど痛くない。
別に原発推進はでは無いが、これまでのような安定した電力供給をお願いしたいと思うため、原発の稼動には反対しない。
原発を稼動し、それに替わる発電所を早急に建設し置き換えてほしい。
火力発電所があるじゃないか。と言うかもしれないが、常時100%の稼動率で動かすものはメンテナンスも大変になるし、故障率も増える。
そんな状態で発電を行ってほしくない。
しばらくは大丈夫ではボロがでて、ピークだけでなく普段の電力も発電できない、今まで以上に電力逼迫状態になるのでは?と懸念している。
見えている施策のすべてが反感を買うような事ばかりなので、ちゃんと考えて国営企業の体ではなく、営利企業として動いてほしい。
「図書館の貸出履歴をカルチュア・コンビニエンス・クラブに提供し、TカードのIDとヒモ付て管理することは、プライバシー上問題がないか」
とうことですねよ。これに関して、セキュリティの専門家、高木浩光さんと、武雄市長が論争を繰り広げています。
ただ、法律の専門用語が多かったりして難しいので、偏差値3でもわかるように、要約・解説してみました。
お二人の議論を整理すると、
武雄市長「図書館の貸出履歴は、現行法の「個人情報」に該当しない。したがって、問題がない」
高木浩光氏「現行の「個人情報」の定義が遅れている。不備がある。現行の解釈では個人情報が守れない」
という議論をしています。もう少し詳細に見ていきましょう。
武雄市市長の主張は、以下のようなものです。(元リンク http://hiwa1118.exblog.jp/15848122/)
・現行の個人情報の定義は「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。」
・したがって、貸出履歴は個人情報に該当しない。なぜなら、容易に個人を特定できないから。
・よって、高木はファック。俺は国Ⅰ。
という論理です。文章は自意識がひりでて読みにくいのですが、役人的論理としては、しっかり筋を通しているあたりは流石ですね。要するに、法律論でのかっこつきの「個人情報」に害というしなので問題ねぇぜ!というお話です。
一方、高木さんの主張は以下のようになります。(元リンク http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20120508.html)
・現行の個人情報の定義に不備がある。たとえば、スマホアプリの端末IDに紐付いた行動履歴等は現行法では個人情報ではないが、個人のプライバシーに関わる重要な情報である。
・アメリカでも、スマホ端末IDに紐付いた行動履歴をプライバシーとして定義するようになっている。
・IDに紐付いた貸出履歴は、上の定義でいえば、個人情報に該当する。
・加えて、営利企業であるCCCに貸出履歴を提供することは、図書館の自由に関する宣言に反する。
という論争であって、要するに、論点は以下の3つになります。
・CCCの管理する「IDに紐付いた貸出履歴が個人情報に該当するか」問題
・図書館の自由を守るべきか否か問題
の3つになります。では、具体的に諸論点をみていきましょう。
武雄市長の主張は確かに筋が通っています。つまり、現状ではTカードに紐付いた貸出履歴・行動履歴は「個人情報」に該当しないと述べることができます。
この解釈の上では、みなさんが使っているスマホの端末IDに基づいた利用情報も「個人情報」ではありません。
でも、IDと複数の情報が結びつくことで、個人を特定できる場合がありますよね。だから、米国の消費者権利章典では、IDに紐付く利用履歴・行動履歴は、パーソナルデータとして定義されています。
また、日本でも提言レベルでは、同種の配慮をするべきだとの主張がされています。
流出したら嫌な個人情報というのは、生年月日・氏名だけではないですよね。
たとえば、僕が「淫乱娘Aチーム」というのをTSUTAYAで借りている。さらに、僕がある珍しい難病にかかっていて、その関連書を図書館であさり読んでいるとします。
これが流出したら、IDという形で匿名化されていても、僕を知っている人は、僕個人を容易に特定できます。さらに、下手に氏名が流出するより、社会的なダメージが大きいですよね。
IDに紐付いて様々な行動情報が収集されるようになりました。詳細な点と点を結びつければ、該当の個人へと繋がる線をつくるのは難しいことではない。
だから、「IDに紐付く行動履歴」も個人情報として考えようよ、というのが最近の潮流になっています。
ただ、武雄市長が述べているように、「現行法では問題ない」のも、また事実です。
このグレーな部分をどう解釈するか、という問題になるでしょう。
現行では問題がないと解釈することが出来るのは、先に触れたとおりです。
ただ、経済産業省の「総務省:行動ターゲティング広告の経済効果と利用者保護に関する調査研究 報告書」を見ると、
我が国では ID 化する等して個人識別情報(氏名等)を匿名化した場合であっても、その他の情報で個人が推知される場合は個人情報となりうる場合があると解釈されている
ということで、提言レベルでは「ID化しても他の情報との関連で個人がバレるのはマズイよ」という風に問題を認識しているわけですね。
今回の件は、「IDに紐付いて貸出履歴を管理」します。では、「IDに紐付いた貸出履歴」というので、個人を特定できるのか。
結論をいえば、特定できます。
たとえば、マイナーな病気にかかっていて、図書館で自分の関連書を借りているような人の貸出履歴が流出したら、その人が誰かを特定される恐れがありますよね。
上記の報告書でも「特に、書籍の購買履歴や疾病に関する検索履歴などを通じ、思想・信条や身体に関する機微情報が明らかになる懸念)」が指摘されています。
さらに、TSUTAYAの貸出情報とあわさるなんてことがあれば「お前、団地妻と三銃士〜隠された王女の首飾り〜借りとるやん!」なんてのがわかってしまう。
貸出履歴でも、個人を特定することは不可能ではありません。
ということで、「」つきではない、個人情報に貸出履歴が該当する可能性が高いと考えるのが妥当です。
セキュリティの議論から離れて、図書館が利用者の貸出履歴を行政に差し出すのは、図書館の自由に関する宣言に反するという問題もあります。
図書館というのは、戦前は思想善導機関として機能していた歴史があります。思想善導機関として、「あるべき思想」を押し込むために、国民の知る自由を妨げてきてしまった。
その反省の上に、「図書館の自由」が宣言されました。図書館は、思想統制の歴史を繰り返さないために、
1. 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。
のように宣言。他にも検閲への反対は有名ですね。
要するに「図書館というのは、民主主義の根本である『知る』を支える機関だから、それを守るために利用者の貸出履歴も守る。」ということですね。
「共産主義の本をかりている奴らがいました。奴らはアカです」なんて報告されたら、思想の統制なんて簡単ですから。
もちろん、宣言ですから法的な拘束力はないです。図書館法には貸出履歴の提出を禁じるという部分があるわけでもない。
でもな、違うんだよ!!!
これを認めちまったら、図書館の自殺と同じだよ。「何を読むか」が弾圧につながった時代を経験してきたからこそ生まれた「利用者の秘密を守る」とか検閲への反対がある。それこそが「知恵の保護者」たる今の図書館のアイデンティティなんだよ。
それだけは知恵の機関たる図書館が絶対に、絶対にゆずちゃいけないところだ。
で、もちろん、今回の件は、図書館の自由に反します。TSUTAYAも武雄市も外部ですから。
この点武雄市長は「単なる部族社会の宣言」と述べて、退けています。
おい、どれだけの歴史があって、苦心があって、図書館の自由に関する宣言が生み出されていると思ってんだ。てめぇの薄っぺらい頭髪の何兆倍の厚みがあると理解してんだ?Ah?
はい、ということで議論をまとめると、
・現行の解釈下での「個人情報」には、TSUTAYAに提供する貸出履歴は該当しないということができる。
・しかし、アメリカ、経産省の提言レベルでは「IDに紐付いた行動履歴」はプライバシー、個人情報と考えられるようになってきた
・なぜなら、難病患者などは、貸出履歴でも個人を特定できてしまうから。
・今回の貸出履歴の問題は、「IDに紐付いた行動履歴」なので、法律上問題ないにしても、流出すればプライバシーを大きく侵害するおそれがある
・さらに、利用履歴を提供するのは、図書館の自由に関する宣言に反する(これ、大事)
となります。
以上を踏まえた上で、みなさんはどう考えますか?
参考URL
・http://hiwa1118.exblog.jp/15848122/
そもそもさあ、
誰を雇ってどんな対価を支払ってたってどうでもいいわけで、
すまん、ここの解説頼む。
真っ当なNPOなら職員にはちゃんと給与払ってると思うのだが。
『まっとうな』価格の仕事を取れる子はPEGGS経由のを受けなきゃいいだけだし
『まっとうな』価格の仕事を取れない子が、PEGGS経由で依頼を受けるだけに思える。
品質それなりでいいので安い絵を使いたい、
安いのならこのレベルの人でも使ってみたい、って需要は確実にある。
ただ単にそこを潰してどうするんだって思う。
そもそもさあ、
誰を雇ってどんな対価を支払ってたってどうでもいいわけで、
そういう条件なら全部君のいうとおり。
でも今回問題になってる件では
で、この企業のビジネスモデルは仕入を馬鹿みたいなクソ値で買い叩かないと成立しない。
この企業のために絵を描く人でちゃんとご飯食べていける人は居ないよね。
従業員でも外部請負でも、生活していけないような金額で労働力を買い叩いて初めて利益が出るようなモデルや企業は
現代社会には存在しちゃいけねーんだよ。法律でもそう決まってる。
最低賃金てのが何のためにあるかっていうのも
答はそういうこと。
「労働に対する対価」ってブコメあったが、買い手の付かない絵は『金銭的には』1円の価値もないわけで、
街角で歌ってるストリートミュージシャンが「労働に対する対価」を求めるような違和感を感じる。
実力勝負の世界において、それ専業で食えない層がバイトや本職を別に持ちながら
(広い意味で)趣味の時間を使って切磋琢磨する、というのは絵にかかわらずどこにでもある。
ダメダメ。
一人前になるまで見習いをしつつバイトで食いつなぐ、は勝手だけど
そういう奴の足元見て買い叩いていいって話はない。
もっとはっきり言えば、
生活できる程度の対価を得られない腕前の人は、仕事とる資格がないんだよ。
仮に
イラストレーター「ボクは腕がないので一枚100円でいいです!」
企業「ほら、彼もこう言ってる!」
なんて具合に2者の利害が一致しててもダメ。
それやり始めると社会のためにならないんだよ。
生き延びるべきでない劣等なビジネスモデルが生き延びちゃうし、
ワーキングプアが増えてっちゃうし、
こういうのは学校で全部教えてくれるのに真面目に勉強して無い奴は
「何が悪いの?」なんてとんまなこと言ったり
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1201/26/news045_2.html
もし仮に、『娯楽や情報への主要な情報源としてのテレビの役割』が なくなり インターネットへシフトする。
のならば、すくなくとも NHK は 規模縮小して 解体してもいいよね。
NHKのために国民がいるのではなく、国民のためにNHKがあるのだし、営利企業でもないのだから
民間がいらないといえば、テレビ分野の規模縮小も時代の流れ。 テレビの影響力を維持する必要性が唯一無いのがNHK。
NHK-インターネットは 当面は別会社として同じNHK法の下でやっていけばいいんじゃない。とか思う。別会社化は必要だと思う。(NTT東西とDoCoMoみたいに)
ボランティア活動をビジネスにすると「善意を利用」等とやたら叩く人がいるけど意味分からない。
自分は福島産の野菜をスーパーで見かけたら他県産と値段が変わらなくても買うが
正直ネット通販で生鮮食料品をわざわざ買うのは心理的ハードルが高い。
そんな自分のような消費者は流通業者がいなければ福島産の農産物を手に取る機会は激減するだろう。
中抜きを否定すれば、その分取引額が下がるだけだろうに。
ビジネスにするからこそ大規模に、永続的な支援が可能になるのに。
むしろもっと儲けさせてやらないと。
儲ける業者が増えれば取引高も増え、仕入額は自然と上がる。
福島をはじめ被災地は大変だと思うが、ここでビジネスにされてやる位のしたたかさがないとやっていけないだろうね。
そして善意を利用等と叩く人達には、じゃあおまえら私財を投げ打ってボランティアしてやれよと言いたい。
それにしても普段「福島の農家は殺人者」「福島の野菜で奇形児」等わめいて福島産の風評被害を広めている人達が
「支援するなら定価で買い取れ」とブコメしているのには苦笑を禁じ得ない。
ネトウヨについて僕が考えていることを書こうと思う。
この文章は割と長い。これはネトウヨに読んでもらうためにはあきらかにマイナスだ。
(1)長い文章が読めない→(2)見出しだけで内容を判断する→(3)的外れなコメントをする
ネトウヨの大部分は長い文章を読めない。
いや、正確には、長い文章を読めない者がネトウヨになる割合が多いのだ。
その理由は、この文章を最後まで読んでもらえばわかると思いたい。
では、なぜ僕は読まれないのに長い文章を書くのか。
それも、最後まで読んでもらえればわかると思う。
とりあえず、文章が長いというクレームは受け付けない。
最初に、「ネトウヨ」という呼称を使う理由について説明したい。
ここでは主に、ネット上にて
・反韓デモを扇動したり在日差別を行うやたらと排他主義的な人物
・自分は国にろくな貢献もしていないくせにやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者
といった人物を指してネトウヨとしている。また、これらの人物の特徴としては
・自分の主張を正当化させたり他人の正論を貶めるためには平気でデマを流す
・無知ゆえに存在しない陰謀と戦っており、自分のみが真実を得ていると思い込んでいる
などがある。
こういった人々は基本的にネトウヨと呼ばれるのを嫌う。なぜ嫌うのかはよくわからない。
もしかしたらバカにされていることに薄々感づいているのかもしれない。
でも、この文章の中ではネトウヨと呼ばせてもらう。
決してネトウヨを怒らせたいからでなく、ただ他の呼称で適当なものがみつからないからだ。
では、まず説明したいのは、ネトウヨがいかに情報に踊らされているかということだ。
ネトウヨは言う。「メディアは韓国や電通や民主党にコントロールされている」と。
まあ、当然だが現実にそんなことはない。
そういうことを言うバカがいて、ネトウヨは簡単にそいつらに踊らされる。
メディアについて、専門家が正しく解説している文章はネット上にいくらでもあるが、ネトウヨはそういう自分たちに都合の悪いものはまず読まない。
そして、家から出たこともないような引きこもりが想像で書いた落書きや、自称事情通の友人が書いた落書きだけを「真実だ」と信じ込む。
でも、残念だけど、陰謀論というのは無知な人間の間からしか発生しない。無知な人間の浅い想像とルサンチマンが、くだらない陰謀論を生む。
例えば、だれか国際金融のマーケットに立つ一流のトレーダーで、ロスチャイルド家が世界経済をコントロールしているなんて陰謀論を信じている奴が一人でもいるだろうか。
一方で、「少年ジャンプの印刷部数は集英社がコントロールしている」という事実は、集英社の社長に聞いても、大日本印刷の社長に聞いても間違いないだろう。
ある事象が陰謀論か事実なのかは、十分な知識をもった専門家がどのように考えているかを調べれば簡単にわかる。
もちろん、大勢の言うことがいつも正しいというわけではない。しかし、大勢の専門家が言うことは大抵の場合正しい。
これまでの歴史を振り返ってみて決して例外がないわけではないが、やはり大抵の場合は専門家の意見が正しい。
それを違うと思うなら、素人の想像のストーリーを鵜呑みにするのではなく、まずは自分の頭で考えることだ。
でも、大抵の人間はそれができない。ネトウヨになんてできるわけがない。
真実だと言い張る、嘘で耳になじみの良い、自分たちだけしか知らない(と思い込んだ)、バカみたいな情報に騙される。
だから、それなら専門家の言うことを信じていた方が無難だよとアドバイスしてやりたい。
専門家並みの知見を得られないのなら、専門家の言うことをだまって信じていればよいのだ。
では、話が戻ってメディアコントロールの話だが、これはありえないとメディア業界が長い僕が断言する。
そして、業界のまともな人間なら、みんながみんな、「特定の団体がメディアをコントロールするなんてありえない」と言うだろう。
でも、そんな現場ではだれもが知っていることが、噂話による想像でしか状況を思い描けないネトウヨには理解できないらしい。
仮の話だが、ここ5年、販売される同人誌をすべて分析してみた結果、登場するキャラクターの巨乳率が有意に大型化していることを発見したとしよう。
2006年は平均Cカップ弱程度だったのに、07年にはCカップ、09年にはDカップ、11年においては平均がなんとEカップものサイズになっていた。
この事実を、コミケのことを詳しく知らない人物が分析し、理由づけしたところ、
「婚期を逃した女性たちが結託して、ロリコンを撲滅し、豊満な肉体を持つ熟女の魅力を刷りこむために行っている、つまり犯人は2chの喪女だ(喪女犯人説)」
という結論に達したとする。
くだらないので例は書かないが、いくら反論されても論理的に説明できるだろう。
いざとなれば1番胸の大きい同人誌を書いている女性を連れて来たら、そんなものを書いている女性の多くは喪女だろうから、簡単に証明成功だ。
もちろん、その1番胸の大きい同人誌を書いているの女性が既婚なら、2番でも3番でもいい。
でも、そんな喪女犯人説がナンセンスなのはコミケに参加したことがある人ならだれでもわかるはずだ。
もしも同人誌の絵の胸が年々大きくなっているとすれば、それはそういう絵が流行りで、そういう絵が求められているからだ。
熟女の魅力を刷りこむなんて無駄な努力のために、全作家に巨乳を書くように頼んでまわるバカなんているわけがない。
仮に存在したとしても、作家がそんなことに協力するわけがない。この陰謀論はまったくもってバカらしい。
どうやって全メディアに偏った報道をするように頼んでまわれるというのだ。
もちろんネトウヨは可能だと言うだろう。だが、喪女犯人説だって同様に可能なのだ。
あらゆる可能性は存在するが、だからといってあらゆる真実が存在するわけではない。
喪女犯人説と同様に、現代日本でメディアコントロール説は明らかにナンセンスだと断言できる。
メディアが偏っていると憤慨しているやつは、コミケの話で言えば貧乳派だ。
だから文句を言いたいし、自分の周りはみんな貧乳派だから、巨乳派が多数だなんて認められない。
でも、コミケで年々胸が大きくなるのが流行りだったように、その報道の偏りも、いわばただの流行りなのだ。
「麻生が字を間違えたことばかりあんなに大きく報道したのに、民主党の○○はまったく報道されていない」
なんて言うやつがいるが、たんに麻生が字を間違えたことを多くの視聴者は見たがった。ただそれだけだ。
いや、見たくなかったなんて言うやつもいるかもしれないが、そういうやつこそ苦々しい顔をして繰り返し見ているものなのだ。
「私が見ていないから、みんなが見たくないはずだ」なんて思うのはばかげてる。
「私の周りはみんな見ていないから、ほとんどの人が見ていないはずだ」なんてのはナンセンスの極みだ。
ご存じのとおり、日本のメディアはそのほとんどが営利企業だ。最大多数の人が求めるものを最優先で提供するのだ。
日本のメディアがコントロールできるなら、確実に政府与党によってコントロールされているはずである。
可能ならば、以前なら自民党、今は民主党が自分たちの都合の良いようにコントロールしているはずである。
しかし現実では、今のテレビや新聞が民主党の悪口だらけなのは言うまでもない。
結局のところ、メディアが偏っていると騒ぐやつらは、自分たちの望むように偏らせたいと願うやつらなのだ。
自分たちが大切だと思うニュースを、大多数が見たいニュースより目立たせろと言うバカなのだ。
重要かどうかを決めるのはお前たちではないのだ。それぞれのメディアに専門家がいて、その責を持った者が決めるのだ。
「あのデモを取り上げなかった」「あの失言を取り上げなかった」
それを取り上げたとすれば、それこそが一般的には偏向報道なのだ。
それが、狭い世界にいて、自分だけがすべて、ネットにいる仲間たちだけがすべてだったら、理解することができないのだ。。
貧乳派が貧乳派だけで集まり、必然的に情報は偏り、制限される。
ネットの貧乳派のコミュニティを覗いて、貧乳派の声が圧倒的に大きいと感じる。
だから自分たちは正義だと思い、巨乳が増加するコミケを批判し、原因をねつ造する。
正確にはどっかのバカが想像で書いたフィクションを真実なのだと信じ込む。今やっているのはつまり、そういうことなのだ。
つまり、世の中の大多数にとって、そのデモはどうでもいいのだ。そのデモの記事なんて読みたくないのだ。
メディアの中の人間は、それがよくわかっているから、この結果になるのだ。
それが情報の制限されたネトウヨには理解できないからこそ、ネトウヨは真実にたどりつくことが決してないのだ。
と、ここまで勢いよく書いたが、上記に一点だけ付け加えたい。
メディアをコントロールできる唯一のものとして、そのメディア自身がある。つまり、「自社に直接関係する事件」はかなりの割合がなんらかの形でコントロールされる。
もちろん、自社に関係するといっても、報道媒体が「スポンサーが」なんて言うことは仕組み的にありえない。社員逮捕とか、自社の粉飾決算とか、そういう話だ。
しかし、それは民間企業として当たり前である。当事者性の観点からも、裁判が終わり事実が確定するまで自社では報道すべきではないともいえる。
そして、日本ではまったく別資本のメディアが無数にあるので、これを陰謀論の根拠とすることは不可能だ。
ちなみに、新聞社同士、テレビ局同士は仲間ではなくライバルだ。足を引っ張れるなら引っ張りたいとお互いに思いあっている関係だ。互いに擁護することなんてまずないだろう。
以上は蛇足だったとは思うが、僕は正直者なので念のため。
次に、なぜネトウヨはやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者なのかについて考察したい。
何かをなしとげたわけでもなく、だれかに認められた経験もない。
つまり、ネトウヨとは、自らのアイデンティティを確立することに失敗した人間たちではないかと僕は考えている。
そういった実績や経験は年を重ねて初めて身につけられることが多い。例えば、小学生で明らかな実績や経験を誇れる人間は一握りだろう。大多数の子どもは何ももっていない。
だからなのだ。
小学生から中学生の頃、親が社長だとか、親戚が芸能人だとか、自分が得たものではなく与えられたものについて、やたらと自慢する鼻つまみ者が存在したのは。
自分自身が何者でもないなら、自分自身以外から自分のアイデンティティを証明するものを持ってくるしかない。
もちろん、他所から持ってきた「自分が特別(他の人とは違う)だという証明」は、自分自身で積み重ねたものに劣る。
だから、ほとんどの人は年を重ねるにつれ、自分自身のアイデンティティを、自ら積み重ねたもので証明するようになる。
それは学校名だったり、職場名だったり、能力だったり、経験だったりするわけだ。
しかし、ネトウヨは何も持たない。正確には、何も持たないと自分で思っている者がネトウヨになりやすい。
ネトウヨは自分自身を卑下している。彼らにとって胸を張って他人に対して誇れる自分の「証明」が存在しないのだ。
そんなどうしようもない人物が、唯一手にすることができるのが「日本人」だということなのだ。
彼らはおそらくこう思っている。日本人は西洋人には劣るが、他のアジア人よりは優秀だと。西洋人には劣ると考えているため、西洋人に認められることをすごく喜ぶ。
親日的な西洋人のネタは2chのまとめブログでも人気の記事だ。一方で、アジア人(特に中国・韓国人)のことを見下しているため、アジア人に対してはまずバカにしてかかる。
しかし、残念ながら本来人種に優劣などないので、人口と土地の広い中国には必然的に抜かれそうになる。
その他新興国だって、遅れながらも成長をはじめ、先行した日本の地位を脅かし始める。
まあ社会が成長する過程において当然のことだし、まっとうな日本人なら、今の日本の発展を維持するか、今以上に成長させる方法を考える。
しかしネトウヨはそんなことは考えられない。そもそもそんなことを考える立場にもいない。それなのに、今のアジア人を見下す立場だけは死守したい。
それだけが自分の存在価値であり、人生において人を見下せる唯一の武器だからだ。
そうなると必然的にネトウヨはアジア人を叩く。とくに国際的な立場が日本に迫りつつある中国人と韓国人を叩く。自分たち自身を伸ばせないなら叩くしかない。
もちろんネトウヨがいくらわめいたところで現実は何も変わらない。でも、ネトウヨはそれしかできないからそうするしかない。
ネトウヨはアジア各国は劣っていると思いたい。日本はすばらしい優秀な国だと思いたい。
しかし、本当の愛国者は、自分の国が優秀だから愛するのではない。自分の生まれ育った国だから愛するのだ。
自分の国が優秀だから愛するのが愛国者なら、失敗国家に愛国者などいるはずがない。
愛国とは、親を愛する、子を愛するのと同じなのだ。ダメな親でも、ダメな子でも愛するように、愛国者は自分の国を愛するものなのだ。
親の悪口を言うことも、子の愚痴を言うことがあっても親子は愛し合うように、自分の国に対し批判的な意見を言っても愛国者だということは十分にありうるのだ。
ネトウヨはなぜ違うか。なぜ自分の国が優秀だと言い張り、日本の行動や歴史を批判する日本人がいれば必要以上に叩くのか。
それはネトウヨが日本を愛しているからではなく、ネトウヨにとって日本は自分のアイデンティティを証明するための道具にすぎないからだ。
道具の価値を下げられそうになれば抵抗する。それはネトウヨの気持ちになれば確かに理解できる行動だ。ただし、それが健全な行動だとは言い難い。そんなものが新の愛国者なはずがない。
どんな漫画でも映画でも小説でもなんでもよいのだが、今最も売れている漫画として、とりあえずワンピースを例にあげる。
ワンピースでは、主人公ルフィの血のつながらない兄として「エース」がいる。エースは大犯罪者の息子だ。そのために物心ついたころから差別されて育ってきた。生まれて来なければよかったと言われ、多くの人に憎まれた。
物語が進み、エースは白ひげという海賊に出会う。エースを憎むスクアードという海賊に白ひげは言う。
「親の罪を子に晴らすなんて滑稽だ。エースがお前に何をした?仲良くやんな、みんなおれの家族だぜ」
で、ここで多くの人が感動したと思う。
ワンピースは差別問題を積極的に扱っている。その差別問題のエピソードで打ち出されるメッセージはいつも「差別はよくない」だ。
よく思い出してほしい。差別されていじめられる子が登場する物語を。いつもその物語から打ち出されるメッセージは「差別はよくない」だったはずだ。
まあ、「差別しようぜ」というメッセージはかなりとがった媒体でもないと表現できないという理由もある。
しかし、それ以上に「差別はよくない」というのが僕らのモラル、そして常識と合致するからだ。だから多くの人が感動するのだ。
差別された悲劇に涙し、差別に打ち勝った勇気に打ち震えるのだ。それなのにネトウヨはアジア人を差別する。
では、彼らはワンピースに感動しないのだろうか。
いや、そんなことはない。もちろんネトウヨも人の子だ。ワンピースはともかく、なんらかの差別問題を扱ったストーリーに感銘を覚えた経験はあるはずだ。
少なくとも、ネトウヨに差別を肯定的にとらえているほど積極的に思考している人間は少ないだろう。
差別はいけないことであり、差別を克服する物語に感動するのに、なぜ彼らはアジア人を差別するのかということだ。
まず、単純だが愚かな反論として、「差別ではなく劣っているから指摘しているだけだ」というのがある。
まあ、「それが差別だ」との一言でおわる反論だが、あえて詳しく説明しよう。
・エースは大犯罪者の血をひいているだけあり、かなりの暴れ者だった。
それでも親の罪を子に晴らすなんて滑稽だし、黒人を犯罪者予備軍扱いしてはならないし、女性が学びの道に進むことを阻害してはならないのだ。
なぜなら、人には人権があり、差別されず正当に生きる権利があるからだ。一部のアジア人が不正をおかしたからといって、「あんな国は亡びればいい」だとか「あいつらは劣等民族だ」なんて言うことは明らかに誤りである。
2chのネトウヨが跋扈しているスレッドでは、目を覆うような罵詈雑言が「すべての」中国人や韓国人に投げつけられている。
彼らはワンピースに感動し、差別はよくないとうなずきながら、その手は差別用語を打ち続けるのだ。どうしてそのようなことがおこるのか。
続く→
あるいは俺のチラ裏。
反フジテレビ勢力の勝利条件=【フジテレビが偏向報道を行わなくなる】【フジテレビが番組でステルス宣伝を行わなくなる】だよね?
……となるべきだよね? でも実際にはそうではなく:
……となってる。勝利条件の達成のためなれば味方につけるべき花王に対して、反フジテレビ勢力はボイコットという行動に出ることで、花王の態度をいたずらに硬化させているようにしか見えないのよね。これ、花王はもう絶対、反フジテレビ勢力の味方にはなってくれないでしょ。
いや、そういえば花王は最初からフジテレビを支持するとか言ってたな。はなっから反フジテレビ勢力の味方にはなり得ないスポンサーと言える。じゃあ反フジテレビ勢力が打つべき次の一手は:
じゃねーのか?
んー、これならまだ理解できる。これ、つまり、反フジテレビ勢力は花王を見せしめにしてるってことだね。「お前らもフジテレビからスポンサーとしての手を引かないとこうなるぞ」的な。あるいは、反フジテレビ勢力にとって花王は目的ではなく手段だとも言える。カント大先生は空の上で怒ってるかもしれない。地上でも「目的のためには手段を選べ!」思想の皆様が冷やかな目で反フジテレビ勢力を見てるかもしれない。
となると、反フジテレビ勢力の正念場は花王デモ後ってところか。ここでいかに多くのフジテレビスポンサーを味方につけられるかが勝負。それこそ花王も含めて味方につける勢いで行くべき。逆に留意すべきは「第二の花王」への対応。「偏向報道を行うフジテレビのスポンサーは許さない!」という態度を外に向けてアピールし続けていかない限り、「第二の花王」への対応次第では反フジテレビ勢力は「反・偏向報道」という錦の御旗を失いかねない。