はてなキーワード: 唐突とは
コラボのバスの燃費をリッター30kmで計算してガソリン代が高すぎると指摘して散々バカにされた暇空さん
「いつまで30kmを擦ってるんだ、監査請求の書類ではリッター6kmで計算している」という旨のツイートをしたところ
経緯を知らない信者たちがリッター30kmを対立相手の言ったことだと勘違い
「リッター30km www」「常識ないwww」「車乗ったことないのかな?」などとフルボッコにしてしまった事件
裁判においてコラボ側が暇空さんの書いた文章を何らかの証拠として提出
暇空さんがその書類をツイッターに投稿したところ信者たちはその文章をコラボ側が書いたと勘違い
「便所の落書き」「昭和のカストリ雑誌」「統合失調方面」などとフルボッコにしてしまった事件
コラボとの裁判において「堀口氏に脅迫されて身の危険があるから出廷できない」と主張する暇空さん
またまた続報です
早いもので私もM2になりました。碌なデータがないもののB4の時よりかはまだ希望が持てる(精神的には、修論的には知らん!)という状況です。
元々所属してたラボの面白い話が聞こえてきたので、おととしから今までの簡単な話ををまずここに書きます。
おととし
面倒見がよく、成果をバンバン出していた任期付きのスタッフが出ていく。
5月くらい
面倒見の良かった助教、過労でダウン
のちに退職
去年度の話
ワイが出て行った直後に、週例ミーティングでパワハラジジイにキレたやつが現れた
教授室の机を思いっきり叩いて部屋を飛び出したらしい。その後何も言われなくなったそう。
TOEICで前研究室の先輩にばったり遭遇。少し話したがジジイが激化したらしくだいぶメンタルをやられていた。
冬の中間報告会にて
中間報告会は傘下の他研究室と合同で行うのだが、ジジイが別研究室Drの報告にケチをつけたらしく傘下の准教授がブチギレたそう。また客員教授も加勢するというカオスなことになったらしい。
院試に落ちた理由は同期曰く、院試休みを与えずずっと実験させてたようなものだったからだとか
今年
ワイの一個下の台だった女子がやめた疑惑(研究室サイトから名前が唐突に削除)
とんでもないことになってました。
今のラボの新入生から聞いたところ、パワハラジジイの件は噂になってるらしくほぼ知らない人いないという話だった。
沈みゆく泥船だと予感はしていたものの、ここまでひどくなるとは思わなかった…。
物語にフェミニズム要素が混じってくる可能性があるからなんだよね
楽しい物語がいきなりポリコレお遊戯会になって萎える人が続出したように
女漫画家が描く漫画は突然のフェミニズムお遊戯会になるリスクがあるんだわ
謎に濃厚な男同士のスキンシップだったり、男はそこ気にしないだろうという内輪の細かすぎる人間関係にページが割かれたり
つまり男が求めるものとは違うものが描かれるリスクが高まるんだよね
もちろん女性漫画家が描いた素晴らしい少年青年マンガももちろんあるわけで
ワイも7seedsは途中までかなり好きだったし、らんまも好きだし、マギも好きだよ
○ご飯
朝:ナポリタン。昼:アルフォート。夜:ナポリタン。温泉たまご。モヤシとニンジンと椎茸のスープ。間食:チョコ。アルフォート。
○調子
和風伝記百合ゲームアカイイトと世界観を同じくするアドベンチャーゲーム。
剣道部の夏合宿でとある田舎にやってきた小山内梢子が、砂浜に漂流していた記憶喪失の少女と出会うことから始まる。
序盤は学生の主人公たちの楽しい交流シーンが丁寧に描写される。
衒学趣味がたっぷりボリュームあるのは賛否両論がありそうだけど、僕はそこは楽しかった。
僕が苦手な歴史のエピソードも丁寧に説明してくれるし、衒学趣向あるあるな語源の話も嫌いじゃない。
食事のシーンですら味の描写はそこそこにメニューにまつわる歴史や宗教の話を延々と喋るのは徹底してて好き。
しかし、その序盤を終えて個々のヒロインのルートの入ると途端にクオリティが落ちる。
まず文章の量が全く足りていない。
ヒロインと主人公の恋愛パート、和風伝記として序盤に前振りしていたバトルパート、記憶喪失の少女やその田舎の風習にまつわる謎解きパートなど、全てがあっさりさくさくまるで粗筋を読んでいるかのように進んでいく。
そのくせ、衒学趣味自体の一貫性はあるので、バトルパートで敵と向き合ってるときにすら語源や歴史の話をしだしてそこはしっかり文量が確保されていたのは笑ってしまった。
スチル絵の整合性を合わせるために無理やりなストーリー展開が多発するのもよくなかった。
また個別のヒロインルートが始まってからも、日常的な遊びのエピソードが唐突に挟まるせいで、遊んでる場合じゃないだろ感がキツかった。
そのせいで攻略可能なヒロインよりも、日常パートの非攻略ヒロインの方が思い入れが強い。
とはいえ、別にそれらのキャラも雑談のシーンがあるだけで好きにはなれなかった。
結局、僕が好きになれたキャラクタが残念ながら一人もいなかった。
攻略ヒロイン5人のルートを終えると読めるグランドエンディングも、ツギハギ感が強く楽しめたところが無かった。
システム的にも選択肢とフラグの立ち方の因果関係が飲み込めず、やたらと多いバッドエンドに納得がいかず不快だった。
またやたらと複雑な分岐に制作者も振り回されてる感があり、選択肢で開示される設定を整理しきれていない感があった。
前作のアカイイトがめちゃくちゃ面白かったのでハードルが上がりすぎていて、ちょっと期待度のコントロールを間違えたのかも。
ずいぶん腐してしまったが、序盤の共通ルートのワクワク感は楽しかったし、歴史に学がある人なら僕が気付けなかった隠喩や伏線に唸るシーンがあるのかもしれない。
(最後、唐突に右腕が伸びるやつは多分何かの歴史的文脈があるんだろうなあ、僕は知らないからなんか伸びた! って思っただけだけど)
https://anond.hatelabo.jp/20231010034423
中国の百合厨(中国で水星の魔女は視聴できないので違法視聴している)が、
グエル役の声優やミオリネ役の声優をSNSで誹謗中傷しているので、百合豚への印象が最悪になってしまったが、
では水星の魔女のシナリオにスレミオ百合以外の新規性や特筆事項があったのかというと、何もなかったと思う。
キャラクターデザイン、メカニックデザイン、衣装デザイン、声優、YOASOBIについては非常に良い仕事をされていたと思う。
チェンソーマンのアニメを見て、「アニメ本編よりも米津玄師のほうが良い仕事をしている」と感じたのに近い。
表現で支える側が頑張っているのに、物語自体に芯が無かったと感じられるのが非常に残念だ。
スペーシアンとアーシアンの格差についての掘り下げも着地も中途半端。(こっちのラスボスはシャディクだったのだろうか?ミオリネへの片思いをイジられてばっかだったな)
GUND技術の軍事利用と医療利用についての掘り下げも着地も中途半端。(こっちのラスボスはデリングとプロスペラだったのだろうか?デリングは後半ずっと寝ていたが)
スレッタ・ミオリネ・グエルの親が毒親であることについての掘り下げも着地も中途半端。
別に特定の思想を全肯定して、もう片方を全否定しろと言っているわけではない。
キャラクターが経験を積んで考えて変化するところが見えれば、大局が何も解決しないエンディングでも全く問題なかった。
しかしスレッタ・ミオリネ・グエルの全員が何を考えているかよくわからないまま親を肯定して終わったし、
差別と技術についても「作品として何が言いたいかわからない」に加えて、
「各キャラクターがどのような姿勢を取っているかもわからない」「大きな空白を設けましたのであとは解釈にお任せします」というものになっていた。
特にシャディクガールズの浅さは何なんだ。サビーナがニカに個人的興味を持っていたこと以外、すべてが浅いまま終わった。
地球寮も描写が少なすぎる。ティルなど、何の印象もなく終わってしまった。
水星キットの出来は良かった、形部デザインのモビルスーツも評判が良かった、
モグモデザインのキャラクターや、学園・グループ社員の制服等のデザインも評判が良かった。
そうした絵的な面は過去のアナザーガンダムと比べても非常に良い仕事で、好評だったわけだが、
物語としての中身や、キャラクターの深堀りについては「空虚であった」と感じざるをえなかった。
ティルやメイジーをもっと描けというよりも、スレッタ・ミオリネ・グエル・シャディクの描写があれで終わるのはおかしいだろう。
エランについては「ペイル社」がどうなったのかすら分からず、強化人士殺人犯が逃げおおせているのは何なんだ?
「社会問題ビュッフェ」といった雰囲気で風呂敷を広げては中途半端に終わらせた水星の魔女だが、
他の作品と比べて特筆事項があるとすれば、「百合アニメ」という枠組みではない一般作品で、
最終回でスレッタとミオリネが結婚指輪をしていたことくらいだが、
発売されたばかりの文春でスレッタとミオリネの声優が「いつスレッタがミオリネを好きになったのか分からない」と発言しており、
自分も見ていてスレッタがいつエランからミオリネに乗り換えたのか感情の動きが分からなかったが、
声優も監督や脚本からディレクションを受けず、「分からない」まま演じていたのかと大変に呆れた。
「演出意図はあるが、それをどう受け取るかは観客次第」というのと、「演者が分かっていない」のは全くの別問題なのでは。
スレッタが告白を断ったうえに強力なビーム兵器でグエルを殺しかけたことにより終わったグエルとスレッタ、
シャディクが最後まで勝手に決めて引き受ける姿勢を変えずに逮捕エンドとなったシャディクとミオリネ、
最終的にそばにいられない組み合わせのほうが関係の説明がなされていた。
グエルのビジネスパートナーであるオリジナルエランとの関係は唐突に出現し、
フェルシーやカミルといった信頼置ける仲間との3年後時点での繋がりについても説明がなく、
ラウダとペトラについても双方の声優が、いつくっついたか全く分からないといった、スレミオ声優と似たような回答をしていた。
結論として、兄弟は宇宙と地球に分かれて別の道を歩むようだが、兄弟のほうが「兄が毒父毒母の代わりに弟の存在を承認した」と関係を説明できていた。
最終的に共に歩む組み合わせの描写は声優にすら説明せずぶん投げて、
「別れこそ尊い」という、感傷マゾのような趣味でもお持ちなのだろうか。
格差と差別・技術の功罪・親による支配といったテーマを風呂敷だけ広げて畳み切れず、
そちらも「別れさせるほうをやたら丁寧に描き、共に歩むほうは声優すらよくわかってない」という変な趣味を出す。
しかも「分からない」と思いながら演じた声優を表に出してイベントや雑誌で語らせながら、
物語を作った側が全く制作意図等を語らないのはどうなんだ。声優を弾除けに使っていないか?
また、SF考証には「雑だった」か、「設定はあるのに本編に出てこなかった」のか分からないが、大変失望した。
リプリチャイルドやらオルガノイドアーカイブやらガンダム消滅やら、何の説明もなく次々展開させるのは雑にも程があった。
https://anond.hatelabo.jp/20231010132725
というのを見て、たぶん異端だけど和式トイレユーザーもいるんだよ!ということを言っておきたい(唐突)
私は遺伝もあってそこそこ大食いで、お通じの回数が多い?体質です。
洋式トイレは油断してると半分か2/3出したあたりで流さないとすぐ詰まってしまうので、だいたい和式トイレを探してそこで済ませています。自宅は兼用便器で職場に和式があるのが救いです。
今のような体になり始めたのは高校生くらいからで私は1日4食(夕飯を2回)、1食あたり大体男性の2倍ちょっと。あとプロテインを食間に飲んでいます。
お通じは1日3〜4回、朝起きてすぐが一番強い便意が来ます。あとは基本的に食事後30分以内とか、食べる量によっては食事中に催すこともしょっちゅうです。
胃になにか入ったり咀嚼して唾液を出すと下腹が活動はじめます。
そして出てくるモノですが、一回の量が多く、生理中を除いてひじきやコーンなど繊維質や消化されにくいもの除いてちゃんと消化されたきれいで長いバナナ型といった感じです。
例えとして一回に出るものをすべてつなげるとしたらだいたい和式トイレの水が出るところから排水口までの長さx1.5〜くらいでしょうか。
(と言っても私からしたらそれが当たり前で、母や友達にしょっちゅうトイレを詰らせてることを相談して普通じゃないと知りました)
スレッタは恵体で優秀なパイロットだが、水星の田舎者で救助の仕事だけしてきて、素の性格はアニメを見てスクールラブに憧れていた凡庸JKだから、
社会に関心がなく、恋愛と友達と家族にしか興味がない視野が狭いキャラクターとして描かれていても、別に違和感や不満はなかった。
しかし対比となる、都会育ちでベネリットグループ総裁の娘として生まれたミオリネまで社会に関心がないとは思わなかった。
ミオリネまで社会格差や家業に関心がないなら、デリングとシャディクに保護されて籠の中の鳥のままでいたほうが良かったのでは?と思ってしまった。
ミオリネの父親がスレッタの遺伝情報上の父親を殺していることについて、「父親がやったことだから私には関係ない」と即解決され葛藤が一切無かったのも、
正論かもしれないがキャラクターとしての魅力を大きく損なったように思う。
スレッタが強化人士4号にしつこく質問して地雷を踏んだのも悪いといえば悪いが、4号に酷いことを言われて「それでも好き」、
スレッタがプロスペラに洗脳されているのにも問題はあるが、ミオリネに酷いことを言われて「それでも好き」、
エリクトには突き放され、プロスペラからはエリクトよりも優先順位が低い娘という態度を露骨にとられるが、
「それでも好き」という嫌な天丼をやられた印象がある。
こういう、冷たいことばかり言われて、いたぶられるポジションに置かれやすい女性は類型としてあるといえばあるのだが、
シャディクがガノタに不人気で、本編でも見せ場がいまいちだったからミカエリスが売れない、などと言われていたが、
2期機のシュバルゼッテとデミバーディングはミカエリスとも比較にならないほど扱いがひどかった。
まずラウダがノレアにペトラをケガさせられた八つ当たりでミオリネを殺そうとして兄を殺しそうになる(?????)という、
訳のわからない戦闘一回だけにシュバルゼッテは使われて消滅した。
グエルに期待して、期待が裏切られて反転アンチ化し、メインシナリオと無関係に殺しに来るというろくでもないキャラだった。
デミバーディングはもっと印象が薄い。ただ人間を運搬しただけでしかない。
マルタンが出しゃばりすぎたためニカとチュチュの関係が薄いものになってしまい、自動的にデミバーディングも影が薄くなった。
ガンプラを出すことが決まっているので無理をしてでもシナリオにねじこむしか無く、ストーリーが変になったり機体が空気になっている。
おそらくこうなのだろうという予想を大勢の視聴者がしているが、本編中にろくに説明がないためほぼ憶測でしかない。
ノートレットの理想をデリングが引き継ぎ、プロスペラがそれを利用しようとする、それぞれの思想やビジョンが全部不明瞭だった。
結果、「何のためにスレッタが身を削ったのかよくわからない」というのは致命的なのでは。
4号、ソフィ、ノレア、フォルドなど社会的底辺出身のネームドが次々に死んだ。
虐殺したデリングはお咎めなし、強化人士を殺したペイル社CEOもお咎めなし、
そして宇宙議会連合軍を大量虐殺したプロスペラの罪はなぜかシャディクが被るなど、
罪と罰の扱いが非常に適当なものになっていた。「赦しがテーマの物語」とするにしたって雑すぎないか?
勧善懲悪の物語は現実と乖離しており安っぽくもあるのだが、いくらなんでもここまで混沌とさせ説明カットする必要があったのだろうか?
結局、死んだネームドは底辺生まればかりだったという印象が残る。
宇宙議会連合の唐突な殺人光線から人を守ったスレッタや、失神したモブ生徒を救おうとしたペトラなど、
スペーシアンについては「利他的な行動をした結果として重度の身体障害者になっている」のも、何が言いたい?
ラウダによる地球寮メンバー、ロウジ、フェルシーに対する殺人未遂も適当に扱われて無罪になったようだし、
利他的な行動をとると障害者になって、他責思考の加害者についてはやりたい放題であるというのが物語の結論のようだ。
>デザイナー発注時シュバルゼッテはグエル搭乗機で赤い機体だった
グエルが最後までスレッタたち主人公サイドの敵で、シュバルゼッテ乗って死んでたとしても、
先日、世界的に有名なアニメ映画がリバイバル上映するということで話題になっていた
Twitterでも絶賛の嵐だったので期待して観に行ってみた
結果、とても落ち込んだ気分で映画館を後にすることになった・・・
アイドルの女性がアイドルを引退して女優への転身を発表するところからストーリーは始まる
序盤はとても楽しめた
平成初期のインターネットも携帯電話も普及してない時代は今となっては新鮮に感じるし、キャラクターはよく動くし街並みも奇麗だし、部屋の小物も描き込まれていて作画は素晴らしかった
長尺でねっとりとレイプシーンは描かれる
泣き叫ぶ女の子、性欲まみれのゲスい顔で取り囲む男たち、とても印象的で気持ちの悪いシーンだった
「元アイドルの女の子が一流の女優になるためにこんな酷いシーンも演じなきゃいけない!メンタル壊れるよ!」という演出だろう
もちろんそれは分かってる、分かるけど、でもレイプ以外の別の方法で演出する方法もあったのではないか?
もしこのシーンを実際のレイプ被害者や芸能界のパワハラ・セクハラ被害者が見たらトラウマがフラッシュバックすると思う
ここまで描く必要があるだろうか?
すぐ映画館を出たかったけれど両隣に人がいたため上映中に席を立つのは失礼だと思い我慢して最後まで見たがレイプシーンの強烈な不快さは拭えなかった
そういえば以前見た王立宇宙軍ネオアミスの翼というアニメ映画でも唐突に主人公がヒロインをレイプ未遂するシーンがあった
古のオタクはよく「昔のアニメオタクは差別されてんだ!!」と言うけれど
こんなアニメを持ち上げていたら気持ち悪く思われるのも当然では?と思ってしまった
アニメを一般人が見ても大丈夫な趣味に広げてくれたスタジオジブリやジャンプ系アニメ、京アニ、MAPPA、新海誠や細田守に感謝したいと改めて思った
ウシジマくんをPapa told me風でやるとどんな風になるのだろうかとか何故か唐突にわき上がってきた。
また、ウシジマくん風にPapa told meを描いたらどんな感じになるのだろう....ってこれは同人誌でやってみるやつだな
推しの卒業は辛いことは辛いが、推しが決めたことなので、一ファンとしては彼の選択を受け止めて、喪失感とうまく付き合っていくだけだ。
それは同担フォロワーの新垢作成のお知らせだったのだが、それがその卒業した推しのファンアート(FA)を描くための垢であった。
卒業に際して、そのVは卒業後のFAについて配信内で言及していた。
「卒業後、自分のFAは控えてほしい(特に彼が抜けるグループのFAを描くときは)」
私は英語ペラペラ人間ではないので細かいニュアンスは誤っているかもしれないが、少なくとも私はそう解釈した。
態々別垢を作ってFAを描こうとしている者がいるあたり、大まかには合っているものとして話す。
この時、私が思ったのは「彼の意に反して、これからもFAを描くのか?」である。
付き合いの長いフォロワーではあったが、その行いにはじっとりとした怒りのようなものを覚えた。
態々配信内でそれについて言及したということであれば、それは彼にとって大切なお願いの一つだろうと認識していたので。
ファンとしてそれを踏みにじるような真似はするべきではないと。
一方で推しの卒業を受け止めきれない気持ちもわからなくはない。
私自身、Vに沼るきっかけとなった推しが卒業して約1年経つが、受け止めきれたかなと思う今でも月に一度は喪失感をぬぐい切れない日があるし、定期的にTwitterでFAやツイートを検索したりもするし、果てには度々夢の中に出てきて卒業が嘘かと混乱する朝を迎えることがある程度には引きずっている人間だ。
だから、推しが卒業する喪失感への対策で、いくら彼が望まない行為だとしても、自分を守るための一つの方法なのかと思わなくはない。
長くても猶予は3か月ほど。一切の配信もなく、お知らせ一枚で終わってしまう場合もある。
昨日まであった日常は、次の日には非公開という形でなくなってしまう。
幾ら猶予があって身構えていたとしても喪失感は想像の数倍のダメージを与えてくるし、自身の生活が壊れることもあるだろう。
そうならないよう、自分を守るためにもリスナーはそれぞれの方法で喪失感を受け入れていかねばならない。
一方でV側は卒業後について考える必要がある。卒業後はどんなことが起ころうとも卒業した本人には一切コントロールはできない。
それが自身だけでなく、周辺の関係者たちに悪影響が出ることは誰しも望んでいない。
そのために「お願い」という形でファンの行動に制限を掛けることが必要になることもあるだろう。
結局、私はそのフォロワーの別垢をフォローしに行く気にもなれず、かと言ってこんな楽しくはない話を他の誰かにもできず、ただただ推しの卒業に付随したこの問題について未だに折り合いをつけられずに生きている。
消退出血で朝から下腹部痛がする。ガスだまりなのかみぞおち辺りもキリキリする。それに、昨夜ささいな事でbadモードに入り、大泣きしたので目もパンパンだ。そういう日は外に出て散歩した方がスッキリするのだが、痛みや浮腫みを言い訳にして、一日中家にいた。ああ、憂鬱だ。
昨日のbadモードが抜けきれず、あんなに性格の良いカレと別れようかと思い始めたので、気分転換に映画でも観る。まさかのアマプラ100円セールに、以前、新文芸坐で上映されていて興味があった、復讐は私にまかせてがあったので、クリックする。”アザだらけになりながら、恋に落ちていく―”に惹かれた。
全体的にフィルム撮影の画面のざらつき、大味でシュールなストーリー、唐突なENDといった荒削りな感じが、どこか70~80年代のアジア映画を彷彿させる。好きだぞ、こういうの。最近の映画にありそうな綺麗な(笑)背景に繊細で傷ついたやつらがでてくる辛気臭いアタマでっかちがつくる映画よりもな。それにバイオレンスではあるが、殺伐としていなくて、インドネシアの緑豊かな自然のせいか、どこか湿気を感じるスローな不思議映画だった。観葉植物好きとしては、エバーフレッシュがそこら中に自生していたり、アデニウムが鉢植えされていたりと植物観察も面白かった。もう一度バリ島に行きたいなぁ。
映画が終わって、ふと携帯を覗くとカレからLINEがきていた。それだけでもう別れようなんて思いがどこかにすっ飛んでいった。しょーもないなぁ。
三度寝した後、昼ごはんに彼氏にもらったノワールを食べる。それから、図書館へ向かう途中でコンビニに寄り、からあげクンとだしおにぎりを買う。
図書館の前のベンチで買った二つを食べる。からあげクンは、期間限定フレーバーなんて買わずに、素直にホットを買えばよかったな、と後悔するも、だしおにぎりは、値段の割に美味しかった。
軽くお手洗いを済ませて、なんとなく、クリスタルを読む。登場人物の暮らしぶりや、横文字の固有名詞がたくさん出てきて、高度経済成長期直後の70年代後半から80年代の一般市民にも余裕が出てきたイケイケな日本の雰囲気がよく伝わった。特に私が気に入ったのは、生まれてきてから苦労や不安といった暗い感情とは無縁な若者の浅はかさや薄っぺらさがよく現れている点だ。小説を読んでいて、やけに注釈が多く、無視して読んでいたが、思ったよりも早く読み終わったので読む。これがなかなか面白い。例えば、
エルメス …馬具商からスタートしましたのに、今や超高級ブランドになりまして
モデル …大した顔でもないのに、自己顕示欲の塊で、モデルをやっている女子大生もいます
サマセット・モーム…なんたって、由利(主人公)は一応、英文科ですもの
もはや筆者の皮肉混じりの感想となっているものが、ほとんどだった笑 また、最後に暗に少子化時代へと進む事を示しているであろう日本の出生率を示したデータが唐突に現れる。これは、10年後もシャネルを着たモデルをやっていたい主人公の、将来もモノに囲まれた裕福な生活が送れると思っている主人公の行く末でも表しているのかと思った。オシャレで裕福な生活を送っている若者たちの生活→筆者の彼らの暮らしに出てくるモノに込めた皮肉混じりの注釈→日本の出生率からそんなに長くは続かないであろう今の生活、という一連の流れは、実に見事だった。