はてなキーワード: 唐突とは
文末!増田 | なんとなく元気が出る!ふざけてる感も良し! |
興味ないクラウド | 嫌味でしかないけどクラウドが増田みてると思うと楽しくなる! |
再投稿は甘え増田 | 甘えかどうかはさておき、単純接触効果で「今日も活動えらい」と思う! |
しゃーない、ワイ増田 | だいたい斜め上のしょーもない慰め方をするキモおじさん! |
"○○"約xx件増田 | しょーもないアナグラムを他の人が思いついてないかにご執心! |
なんつってぷぷ増田 | しょーもないオヤジギャグしか言わない、逆にこれ美少女なのでは?! |
前田君 | 単純接触効果でいると安心する!たまに絡んで来るけど言葉の意味は分からん! |
シコって寝る増田 | 何でシコってるかは教えてくれないけど熱心で偉い!どすこい! |
性欲強太郎 | こないだ聞いたらオカズはガチケモと判明してドン引きよ!!(※全ジャンルらしい) |
アニメに救われてる増田 | なんかすぐ死にそうだけど生きてて偉い! |
今夜もカレー | カレーって何の隠語なの……? |
しにたい増田 | ひらがなだから実は死にたいじゃなくて死に体だと思うんだけど、どうなん? |
死んでる設定のワイ | どうやって書き込んでるん……? |
身代わりに死にたがるワイ | 殺意を読み取ると横からやってきてグエーってなるやつ! |
右斜め下から参上するワイ | シュバッ! |
パンティー増田 | パンティーって言いたいだけね!でも買い集めてるガチな人だった気が! |
pre記法でAA増田 | 唐突に2ちゃんねるの風が吹く! |
レインボー増田 | 文字色レインボーで綺麗!主張は汚い! |
みつを | 人間だからしょうがない! |
突然歌い出す増田 | ここってミュージカルの舞台だっけ?! |
○○見てるんだけど増田 | いつも古いロボアニメ見てるよね?! |
ホヨバ増田 | たまにすごい熱量で力説しててすごい! |
ガジェット増田 | リンク貼りまくってめっちゃ沼にしずめようとしてくる! |
eスポ一家言増田 | 日本は遅れてるんだよね!しらんけど! |
パチ肯定増田 | パチが嫌われるの許せないんだよね!しらんけど! |
しらんけど増田 | しらんよな!わかるわかる! |
RJxxxx増田 | もっとおすすめを教えてくれてもよくない?!性癖をシェアしよう! |
成仏してクレメンス | 増田にはッ!迷える霊魂が多すぎるッ! |
働いたら負け増田 | 引きこもりが最適解だよな!わかるわかる! |
宇宙スケールで考えだす増田 | 人類なんてちっぽけだよな! |
絵文字だけ増田 | 10秒くらい考えちゃう! |
カニバリズム増田 | 食人の波動に敏感₍₍⁽⁽🦀₎₎⁾⁾! |
波打ち際に毛球あり増田 | 何て? |
僕は死にましぇん増田 | 古ない?! |
橋本環奈だいすき増田 | だいすきクラブ会長に任命しよう! |
❌⭕増田 | パリコレじゃないけど! |
[増田マッチングサービ] | え、こわない? |
なんたら高校校歌 | 歌っていいものですよね!夜はなんたら音頭で盆ダンス! |
たし🦀 | Exac🐦(その🐦でございます)! |
プレミアムフライデー増田 | 風化させまいとする強い意思を感じる! |
すいすいすいようび | 水曜日じゃないよねえ!ホッツウォーター! |
お嬢鯖部 | めっちゃ中部圏の博物スポット回るじゃん! |
シュバッ!…ではさらばだ!増田 | ヒーローじゃん! |
礼には及ばんでござる増田 | オートリプライ助かる(?) |
いいってことよ増田 | 勝手に赦すこと菩薩のごとし! |
振袖は着たくない。
大学卒業を控えた今のわたしも、やっぱり袴は着たくないと思っている。
2年前は自分でもよく理由が分からず、親や祖母は一生に一度なんだから着ればいいのに、と言い続けた。
だけど、成人式=振袖の構図に乗っかるのはありきたりだから嫌だとか、親のお金で選ぶ=途中でやっぱやーめた、とかできない、心理的閉塞感が自分のファッション美学に反するだとか、適当な理由を並べて回避した結果、それでも一応新しく買ったワンピースで、中高の同窓会みたいなやつに出た。(地元に友達がいないので式自体は出ていない)
わたしの振袖が見たいと主張していた祖父は前年に死んでいたから、わたしの主張に強く反対する親戚は誰もいなかったからだ。
そうして2年が経ち、現在卒業を控えているわけだが、袴はやっぱり着たくない。
最初は、2年前着られなかった振袖で出ようかとも思った。白地にバーンとでっかい鶴に椿とかを背負ってカッコよく決めたいな、なんて考えて、一度はその気になってフリソデモードに足を踏み入れてみたり、伊勢丹の貸衣装を覗いてみたりした。
けど、親が寝た後の暗いリビングのテーブルに、ぽつんとパンフレットが置かれているのを見て、やっぱりなんか違うな、と唐突に思った。パンフレットの幸せそうなモデルさんにイライラしてきて、もらってきたばかりだけど丸めてゴミ箱に突っ込んだ。
表紙を一枚捲ると、「お母さんに感謝を」的な、そういう文言が書かれている。
お母さんに感謝。
一理あるかもしれない。女手一つで育ててもらって、一貫に通わせてもらって、私大に入れてくれた。そのおかげで、悪くない職にもつけたと思う。いまいち活かしきれてないかもだけど、それはまずはありがとう。
けど、わたしは忘れない。忘れていない。
幼稚園の時にヘアゴムを無くしたら、夜中までリビングに立たされて、父親が帰ってくるまで怒られたこと。裸足で踏むフローリングの冷たさ。布団に入っても温まらない足を手で握って擦っていたこと。
両親が離婚して、変わった苗字を学童でからかわれて悔しくて、帰り道泣きながら母親の背中に話したら、「そのくらいで泣いててどうするの?」と逆に怒られたこと。自転車の後ろで、溢れる涙を押し殺して、声だけは気丈に振る舞ったこと。
テストの振り返りがちゃんとできていないといって、窓ガラスに向かって投げ飛ばされたこと。ベランダに締め出されたこと。投げ飛ばされたときは、これでわたしが大怪我でもすればお母さんも肝が冷えるかな、なんてのんきに考えていた。ベランダに出されるのは慣れっこだし、じっとしていればそのうち「なんで入ってこないの」て迎えにくるから大丈夫。
正直、これを書きながら涙が止まらない。
ぜんぶ完璧に乗り越えたと思っていたけど、全然まだ、わたしのきずとして残っている。
「お母さんに感謝を」というキャッチコピーを見た瞬間、わたしはそのことを理解した。
母とわたしは今では普通に仲良しだ。だけど、今までの人生で、何度も辛い目に遭わされてきたし、わたしはそのことを許していない。だから、母親に、「普通の母親が享受できるはずの幸せ」を与えたくないのだ。だから、振袖を着たくないと思ってしまうのだ。
メカニズムを把握した瞬間、振袖に対するもやもやした未練は消え去り、親への復讐という素晴らしい目的のためになんとしても今回も、袴および振袖を回避せねばならない、という使命感で高揚してきた。というか、今までの所業を「振袖姿を見せない」だけで精算してやろうというんだから、わたしは相当心が広いんじゃないかとすら思えてきた。だよね?
言って仕舞えば後もう一つ理由はあって(似たようなことだが)わたしは結構完璧主義なのだけど、「振袖とは心から完璧に祝いの気持ちで着るものだ」と信じている。だけどわたしは卒業を大してめでたいことだと思わないし、親には複雑な感情があるしで、そんな状態の人間が振袖を着てニコニコするというのは言うなれば振袖というものに対する「解釈違い」なのだ。だからやりたくない。
ここに書いたことは流石に母本人には言えないが、誰かに聞いてほしいのでここに来た。ご清聴ありがとう。
丸めてゴミ箱に突っ込まれたパンフレットをみて、翌朝の母親が少しでも心を痛めることを願って。
三重交通の件で改めて思うのが、実世界でこれやったら「ちょっとこれは今時どうなんすかね〜」という話になりそうなジェンダー的または性的な記号を過度に強調した表象(表情・体型・服装・姿態など)の形式が、二次絵であれば/あるから許容してよい、という考え方が、我々の社会で一定の定着を見つつあるのかもしれないな、ということ。
実世界における表象と、萌え絵・二次絵という表象に対する捉え方を、我々自身が切り替えて鑑賞している。モードが変わっている。俺はふとした瞬間…たとえば改札前で唐突に駅娘の立て看板に遭遇した瞬間に、「なんでこの絵はこんなにオンナオンナした記号性を振りまいてんのかな」という思いが脳内をよぎったりもするけど、その違和感は一瞬で消え去ってしまう。
このとき俺の脳はたぶん、「二次絵はそもそも『そういうもの』だから、疑問に思わなくてもよい」という判断停止によって、よけいな思考のエネルギーを節約している。楽しんでいるわけではないけど、俺の中の常識との衝突を避けて、平穏な気持ちでその異物感を見過ごすことができる。文楽で後ろにいる黒子をいないことにして鑑賞するように。ミュージカル映画でそれまでシリアスなシーンで唐突に歌と踊りが始まることにも驚かずに鑑賞するように。「二次絵鑑賞のモダリティの一般化」という風に言ってもいいのかもしれない(意味的にはモダリティよりリテラシーという言葉のほうがふさわしいのかもしれないけど、リテラシーには「身についてるほうがエラい」というニュアンスがあるから、使わない)。
海外でもオタク層などでこういうモダリティを持つ人々が一定数出てきているのは伺えるんだけど、では今後そういうモダリティがそういう国々でも一般化するんだろうか?ということを考えてしまう。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
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そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
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それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
・すごいいましめ映画だ
いましめすぎてもはやホラーだった
・Twitterでおすすめ(半信半疑)+filmarksで3.6だったからそこまで期待せず見たけど現時点で今年1位になった 監督の次回作あったら観に行く
これもうホラーだろ…
・手づかみのレストランでの「マッマだけが一方的に楽しいと感じてる会話」が辛えわ…
・仕事の権力勾配ある状態で対等なコミュニケーションなんて不可能だから粛々と役割を果たすことに専念しよう…と思った
・息子君は社会(労働)に出たら否応なくわからせられるしアーティストになったとしても才能上位互換にぶち当たるだろうから調子こける今のうちに調子こいとけ…
ご家族から大切に育てられ、スタイルのいいイケメンでこの時代に自発的に恋愛したがって
アーティスト活動(笑)やるくらいバイタリティあって小銭稼げるくらいには人気稼げる出来過ぎな息子さんやからこれはほっとけマッマのがよほど怖かった
・初手の「ババア配信中は〜」からの「(シャワー中にドア開けて)ごめん!」でもう大切に育てられた子感すごかった
・A24作品で一番好き
なんか監督の自己満足感が少なくエンターテイメントとして伝わるよう重すぎず軽すぎず作ってくれてる感じする
・ネットで「創作者の承認欲求と自己実現の話〜」って聞いてたから「チック、チック...ブーン!みたいな感じかなそれならあんまり合わないかも?」と思って見てみたけどどっちかというと「他人に興味持て映画」だった
・キラキラワークのドヤ感を「他人に影響を与える仕事をしたくないの?!」の一言で捉える的確さよ
・最後のシェルター建築前更地のマッマの写真で「そ、その状況からイチから始めたんなら思った20倍位スゴい人やったわ…」ってなって
・職場の人に絶対「クラシックババア」ってあだ名付けられてるやつじゃん…
・母息子については「よかったね!」ってなるけど父親の存在がキャラの濃さの割にノータッチだったの、人生相談とかで母親から子育てについて相談メッセージ送られてきたが相談内容文面に父親が一切登場しないような不気味さがあった ちょっと父親だけアリ・アスター作品みたいな静かな不穏さ滲み出してて…
・「世界を変えるのは地道な仕事と相手への興味の下りは」ホンママジでその通りでございます…なんだけど他人に影響与える「福祉の仕事」と「車修理の仕事」のくだりに1ミリも関わってない女の子の口から唐突に出たからそこだけ少し「キャラに作者の思想言わせてる」感あった
・運転シーンが常に若干飛ばし気味でいつ横から車が突っ込んで来るかずっとヒヤヒヤしながらみてた
あとマッマの乗ってる車に「生活」の親近感もった
映画の人々、みんなSUV車?乗るから「お金、あるんやね…」ってなるから…
・配信中のババアノックしろよと配信で思想強めの曲やって信者からウヘられる共感性羞恥シーンはぜってえあると思ってたが無くて驚いた¥9000稼げてよかったね!
顔がいいから何でも似合う ピンホールシャツみたいな鎖、顔面が良くないと似合わん
・シコリ赤ランプ草 音楽漏れてないし「あっ…(触れない優しさ)」されるやつじゃん 家にそんな軽々とドリルの穴を…
・思想強めライブハウスの初手に出てきたシンガーの「ぼくはボンクラなので仲間内でちやほやしてくれるこの界隈でやってます!」顔に目茶苦茶わろた 間違ってないにしろ悪意ありすぎだろ!地味に2回出ててさらに草
・息子の曲の「十代にしか刺さらなそうなありふれた曲」感すげえな!顔ファン枠もそこそこいそう
・思想強めこじらせ人間しかいなそうなライブハウスで卒業アルバムに寄せ書きしてもらえる俺らマジ最強お前らとのお別れマジつれえわ…ソングは眩しすぎるからやめろ…やめろ…
・ほんま「今日は来てくれてありがと」「また来てね」の所良すぎた ちょっと涙滲んだ
・タイトル、原題のがよくない?と思ってたらラストの流れ見た後だと翻題のがいい…ってなった
砂場でトンネルを右手左手それぞれで両側から掘ってやっと手が繋がる時のような良さを的確に現しとる…
・ここまで素晴らしい映画で「自分の事ばっかじゃなくて他人に興味関心を持て人の話を聞け」と戒められたのに何で自分は他人の話に興味を持てないんや
興味関心を持とうと思って持てたら苦労しねえ!
1,000cc, 2,000cc (さらには 8,000cc といったバイクもありますが)
体の大きな私からしたら、同額の教習料を支払っているのに、不公平な状態です。
このような現状を改善するために、
行政指導をいれる、法制改革する、といったことができたらと思うようになりました。
750ccの約250kgのバイクで教習するのですが、身長の高い男性(または程よく訓練された肉体)には軽すぎる場合があります。
車体の重量は調整してしまうと操作性にも影響がでてしまうので、
普通二輪免許の区分を移動し、~250cc(小型二輪)、250cc~750cc(普通二輪)、750cc~(大型二輪)とすれば、
750ccに満たない車体は身長180cm以上(または程よく訓練された肉体が)ないとかえって扱いにくいです。
でもこれは行政指導ではなんともできないので、法制化が必要なのかと思います。
250ccは、バイクで安全を担保する必要のない車検不要の排気量であるのに
高速道路を走れるのは恐ろしいです。
桐島の死に逃げいいなあ
本人のやったことはドア爆破だけで死人ゼロだからさっさと捕まって10年程度で出てきたほうが楽だったんだろうにな
名乗った時はスカっとしてスカッとしながら死んでいったのかな
スカッと感のためだけに長い時を生きてきたのか?
「竜の子」と契約してしまい、やがて人間をやめて竜の子と融合して永遠に生きる存在「成竜」となる代わりに、それまでは超能力使いまくれるみたいな世界観
直角は能力を使って核兵器を全世界にボンボン落としまくり国内では富士山にも落とし大惨事
主人公が直角を止めに彼の元へたどり着いたら、ガリガリに痩せた状態で座り込んでいた
直角はそれまで厨二病のような思想論を長文で垂れ流し仲間をつくり啓蒙していたが
「僕には思想なんてない。一番嫌いなのは自分なんだ。竜になるのも願い下げだ」と言い残し唐突死
同行者によれば直角はもう何日も水さえ口にしておらず、餓死だった
「あんたそりゃないでしょ」と主人公が掴みかかるも、もう死んでいる直角相手ではなにも意味がない
死に逃げ、いいよなあ
投稿しようと思ってた話
ある日、私が朝の電車に乗ると隣に座っている人のことも気にせず、化粧をする女性がいました
皆同じ事を思っているらしく「じろーっ」と女性の方を見ているのですが、女性は全く気にする素振りはありません。そんな時、ある一人の男性が「えらいね〜あなた」と唐突に女性へ言いました
女性も思わず化粧の手を止めて「そうかしら?どうもありがとう」と笑顔で男性に返しました
「どこがえらいんだ?意味分からない」私は呆れてその場を去ろうとしたその時でした
女性は顔を真っ赤にして、しばらく固まってしまいました。周りにいた私たちは笑いを堪えるのが大変でした (おわり)
おまけ
早速空けて飲もうかと思ったが、この部屋にはワインの栓抜きが無いのだった。
なので、隣人に「フランスのワインを手に入れたけれど栓抜きが無くて…ちょっと栓抜き貸してくれませんか?」と頼んだら
言って部屋の奥から木槌を持ってきてくれた
「誰が樽でワイン買ったなんて言った
ふざけんじゃねぇよ」とは言えず
(おわり)