はてなキーワード: 呪術とは
私には今娘がいる、
年は14でそろそろ受験を考えている時期だ。
一応行動はほぼ把握していて何をしているか、というのはかるーくチェックしてる。
その娘と親戚の高校生の子と「同じぐらいの頃どんなものが好きだったか」を話す機会があって、今の子との決定的な違いを見つけた。
今の女の子、ハリウッド俳優の名前とかディズニー映画を殆ど知らない。
別にこれが悪いってわけじゃない、人の嗜好は様々だし流行りもあるだろう。
よくよく考えればアニメはアンパンからプリキュアへ行き、更にそこから鬼滅・呪術廻戦や推しの子へと興味が急速に移った。
別にディズニーを見せてないわけじゃない、でも全く興味を持たなかった。
聞けば学年全体で別にディズニーが流行っているわけではないという
より深刻なのが所謂アメリカで活躍している俳優の事を一切知らない事だ。
聞けば「誰が顔が良いとかわからないし、映画も面白いわけじゃないから」との事
洋画をアメリカでくくるには些か乱暴なのは理解しているが、今の中学生や高校生はざっくりと
でざっくりまとめてるフシがあり、多くの興味が前者2カテゴリへいってハリウッドの俳優なんかは知らないし興味もない、学校や塾で話題になることもないらしい
(例えが古くて申し訳ないがトム・クルーズやベネディクト・カンバーバッチは名前も知らないと言われた)
アニメ化には期待してなかったけど意外と良かった
旅ものって文学的、叙情的なの多いけど、そういうものの中では過去一クラスにちゃんと描けていたと思う
TVアニメでここまでできたら話が変わってくると思うので今後のアニメがより楽しみ
いつも通り倍速で見てた
個人的に回で当たり外れが多い
原作未読
戦闘シーンはちょっとやり過ぎな気がした(MAPPA病)が、全体的には楽しめた
楽しめたが世間ほどではない、商業的には鬼滅の後釜枠にしたいのかもしれないけど弱い
相変わらず主人公だけ作品から浮いてるのが気になる、群像劇に近い
お兄ちゃんの流れ好き
歴史物かと思ったら推理物で、推理物かと思ったらラブコメだった、じんし様がヒロインだった
絶対自分向きじゃないと思ったんだけどおもしろさの底力がある、良質なドラマみたいな
設定がリアルとファンタジーの中間で気になるかと心配したが自分は大丈夫だった、人によっては気になると思う
安定して面白いな
ここまで長かったしここからも長いけどこれ全部アニメ化する気だよね
ありがてぇ
それにしては面白かった
これも地力があると思うし、それを取りこぼさない表現力があった
ゲームを舞台装置に使うんじゃなくて、ゲームそのものの楽しさを伝えられてると思う
アニメ化されてそれがより良くなったんじゃないか?他媒体未読だけど
面白かった
原作読もうと思う
調べたら案外原作消化してた、2期は期待できないかなぁ、やってほしいが
以下見てない
途中で断念した
嫌な予感がしてアニオリかと思って調べたら原作通りだったから余計に絶望感あった
フィクション、オカルト、スピリチュアルを受け付けない人向けに、いつからかは知らないが仏教は歩み寄っていて、そういう宗派が生まれている。
というか、ブッダは神や呪術を否定していたし、仏教のコアの部分はほぼ哲学なので、原点回帰しているともいえる。
日本の仏教は、日本に伝わってくるまでに、古代インドで流行っていたバラモン教の信者にあわせたり、中国の思想にあわせたり、日本の神道にあわせたりした結果、原型をとどめていないフィクションやスピリチュアルもりもりになってしまった。
(仏教は、相手にあわせて教えを説く「対機説法」というやり方をしているので、そうなるのはしかたなかった。)
で、仏教のコアの部分というのは「悟りをひらこう」というだけであり、これはスピリチュアルな意味ではない。
「自分とは何か?(自分というものを構成する必須要素とは?無くなったり変わったりしたら自分ではなくなる要素は?)」という疑問を突き詰めると、肉体や脳みそや意識や記憶は自分ではないと考えるしかなくなり、「本当の自分」とは「〇〇ではない存在」としか説明できない何かであるという結論にたどり着く。
この「本当の自分」のことを専門用語で「真我」とか「アートマン」とかいう。
で、哲学を突き詰めると「真我」という概念を、言葉としては説明できるという状態には、多少頭が良ければ誰でもなれる。
ただし、その状態ではそれを体験的知識にできていない。「真我」というものを実際に見たり感じたりはできていない。
例えば、生まれつき目が見えない人でも光や色について勉強して言葉で説明できるようにはなる。しかし、体験として光や色を見るという経験を積んでいない状態では、それを真に理解しているとはいえない。
「真我」についても、言葉で説明できるようになっただけでは、真に理解しているとは言えない。体験的知識にする必要がある。
悟りをひらくとは、真我を体験的知識として理解するという意味である。
悟りをひらくと何がうれしいかというと、絶対に苦しみを経験しなくなる。「苦しみを感じている肉体や意識」は「本当の自分」ではないから。
(ここらへん、にわか知識で間違った理解をすると離人症という精神病になるという話があったりなかったりするので、手を出すならちゃんとした専門機関、つまりお寺で教えを受けましょう。)
今苦しんでいなくても、ほとんどの人はいつかは年老いて病院のベッドの上か独居している自宅で苦しんで死ぬことになるので、それまでには仏教は必要である。
呪術廻戦がないのどうなってんの
これもう結婚詐欺とよぶべきでは?ってくらいひどい浮気をしたオジサン。
発覚当時、大いに叩かれた。特に女性ファンの怒りは激しかった。
こんな奴に呪術の夏油や鬼滅の義勇をやらせるな!と大騒ぎだった。
それでいま、呪術が大いに盛り上がり、鬼滅の新作に湧き上がる中、あの女性ファンたちはどうしているのか。
呪術最高!鬼滅の新作楽しみー!と大はしゃぎだったよ。浮気騒動なんて無かったかのようだった。
永遠に許すな!とは思わないが、あのじゃあ剣幕はなんだったんだ。
まあ結局、その程度の話だったということなんだろう。あの連中の言うことなんて、そんなものでしかない。
その程度の連中の言うことを真に受けちゃダメだなと、改めて思った。