はてなキーワード: 古谷実とは
古谷実の「ヒメアノ〜ル」って漫画読んだんだ。すげ〜良かった!今年読んだ漫画ん中で1番良かった。映画は観てない、テーマが違うらしいから。
ともかくすげ〜良い漫画だったんだけど、読んでる時にある疑問がわいたんだ。「なぜ交際経験や性交経験のない人は自分のことピュアだと思ってるのか?」
古谷実の漫画にはだいたい必ずこういうキャラクターがでるんだ、交際経験や性交経験がなくて(いわゆるモテないってやつだ)、そしてそんな自分のことをなんでか知らんがピュアで良い人なんだと思ってる。
自分の経験に照らし合わせてみると、こういう人って現実にも結構いる。
たぶん、読者に「こんな奴いるな、自分の身近なやつでいうと誰々だな!」と思わせたり、あるいは「これは自分のことだ!」と思わせるキャラクターを描くのが上手いのが古谷実漫画が人気の理由のひとつだと思う。
でも、なぜ、交際経験や性交経験がないと自分のことをピュアだと思うんだ?
そういう人は誰かと付き合ったらセックスを経験したら、自分はピュアではなくなったと思うのか?ピュアで良い人ではなくなるのか?
自分で考えてみたところ、
日本の性教育ってのは、外国に比べると遅れてて、「寝た子を起こすな」って感じらしい。(らしいって書いたのは自分は外国の性教育は受けたことないし、どっかで読んだことをそのまま書いてるからだ)
外国の性教育のことはよく知らんけど、子供のころ、男女のことやエロいことの情報が「気持ちいいことだぞ!楽しいことだぞ!面白いことだぞ!」ってのと、「いけないことだぞ!汚らわしことだぞ!」ってのが同時に自分に入ってきて、混乱してたようなおぼえがある。
自分は「気持ちいいことだぞ!楽しいぞ!」って情報への好奇心が勝ったタイプだったけど、そうじゃなかった人もいるんだろう。
「いけないことだぞ!汚らわしいことだぞ!」って情報から受けた影響が強くて、そのまま、なんかきっかけがなかったタイプの人はピュアだと思ってる人になったんじゃなかろうか。
なんかこのことに詳しかったりわかってたりする人がいたら教えてくれ
なんか一話目でいきなりやる気がなくて人の目を気にしてて妙に後ろ向きでひねくれててあれでこれでそれで…
具体例あげるとガンツの主人公とかアイアムアヒーローの主人公とかあいつとかこいつとか。
古谷実はそれの王様みたいなやつでヒミズもシガテラもほんと酷かった。
あのさ「現代のリアルな若者」みたいなの描いてるつもりかもしれないけど勘違いも甚だしいよ。
実際ガンツもアイアムアも古谷作品もその知名度とか売上に対してそれぞれの主人公(玄野、英雄、住田、荻野)が異様に人気ないんだよ。
玄野魅力的で好きだわ!なんて言ってる奴見たことねーぞ。悟空とか花道と比べてみれば差は歴然。
いや、もちろん少年誌と青年誌でキャラ設定の仕方に差異があるのは分かってるけどそれを踏まえた上でね。
お前らが描いてる主人公ってびっくりするぐらい魅力無いって分かってんのかね。
もうウジウジ系主人公やめてくれねーかな。
別にわかりやすいヒーローキャラを求めてるわけじゃないし弱いキャラがダメだって言ってるんでもねーぞ。
あの人を不快にするキャラをメインに据えるって作者も編集も何考えてんのかね。
fujifavoric ウジウジ主人公を望まないのが読者の総意であるかのような言い草をやめろ。「俺は嫌い」「俺はストライクゾーンが狭い」そう言え。堂々と主語に自分を据えろ。批評を他者に依拠するな。
http://anond.hatelabo.jp/20151002140110
しっきーとひとでとまぬけには退場してもらったよ……。
ここからはお前らの出番だぞ。
紹介してもらった作品を載せていくからどんどん書いていってくれ。
わたしは慎吾
六田登「F」
石塚真一「岳」
蛭田達也「コータローまかりとおる!」
うめ「大東京トイボックス」
榎本俊二「えの素」
志村貴子サク人
秘蜜
http://anond.hatelabo.jp/20151002174637
これはいずれも名作揃いですね。ありがたいです。ただ、今回の趣旨にはあわないかもしれませんね。
わたしは慎吾
六田登「F」
石塚真一「岳」
蛭田達也「コータローまかりとおる!」
うめ「大東京トイボックス」
榎本俊二「えの素」
はい、いずれも名作ですね。通常の意味での殿堂入りには全く何の異存もありません。
ですが、この中でベスト100記事作成の際に除外すべきと考えるのはドラゴンボールだけでした。
わかりますか? 今は本当の名作を選んでるわけじゃないんです。
ベスト100でもう重複してるのをみたくないリストの話をしてるんです。
私が防ぎたいのは、今後ベスト100記事が作成された時に、記事作成者が
「安牌」のような形で誰も文句がでなさそうな知名度の高い作品を安牌で入れるという行為です。
このリストの他の作品は、知らない人がいるかもしれないので、ベスト100に入ってても特に誰も文句は言わないでしょう。
一般的な殿堂入りという言葉のまま理解して「名作」を勧めてくださっても、今回は使えません
ですが、これらのリストは大変ありがたいです。
まさに名作揃いだと思うからです。
あなたが提供してくださった名作リストは、除外リスト作成作業が終わった後にありがたく活用させていただきます。 ありがとうございました。
今の時点で外国人向けの漫画史の短めの教科書を書くから10本前後選ぶ、位に広い範囲からしっかり絞り込んで欲しい。以下、私的超殿堂。
わたしは慎吾
その次くらいに入れてほしいもので、挙がってないやつ
六田登「F」
石塚真一「岳」
蛭田達也「コータローまかりとおる!」
うめ「大東京トイボックス」
榎本俊二「えの素」
新世紀エヴァンゲリオン (原案あり、かつアニメに勝ててない時点で、漫画としてはいまいちかと)
プラネテス (画作りや人物造形がイマイチなのと、ストーリーのまとまりが無い気が。宇宙モノならMoonlight Mileを推したい。これは好みの問題かも)
はじめの一歩 (終わるべき時に終われなかった残念代表としてなら)
今日から俺は (これも長すぎるのと、天こなのほうが完成度高いかと)
平本アキラ、古谷実は共に連載中に著しい画力の発達が見てとれる漫画家だ。
とくに平本アキラは「アゴなしゲンと俺」の1巻と「監獄学園」を見比べると同じ作者とは思えないほど画力が上達している。
なぜここまで画力がアップできたのか。二人の絵の特徴を探ってみた。
ブサイクを主人公に置きながらエロティックな美女やイケメンも同時に描いているので、醜い・美しいの振れ幅が広くなり、多彩な特徴の人間を描けるようになった。
毎回アクロバティックで多彩なアングルから描いた動きのギャグが散りばめられているため、体のバランスや関節の動きを隅々まで描くことになり、解剖学的な人体の特徴を捉える事ができた。
ギャグ表現のために古典マンガのパロディ・劇画調・ヘタウマなど過剰なデフォルメを描き分けるため、他の漫画家の画風を研究することにより表現の幅が広がった。
ギャグ漫画における分かりやすい喜怒哀楽を描くため、表情や体の動きで感情を捉える訓練に繋がった。
1~4を日々描き続けて量をこなすこと。やはりこれが大きいだろう。
稲中~グリーンヒルまで続いたギャグ路線を捨て、こうも一貫して
「幸せな日常は薄皮一枚、表裏一体で理不尽な不幸に落とされる」
を描き続けている理由を考えてみた
答えは分かりやすい所に書いてあった
それは、わにとかげぎすの最後のセリフ「富岡さんのような、寂しい時は寂しいと言える人間になりたい」から読み取れる
『自分に正直な人間は幸せになれるし、他人を幸せにもできる』というメッセージ
ひいては『だから、他人との違っていてもひねくれず、正直に生きろ』って事かなあ、と思った
一番わかりやすいのは、2ちゃんでもかなりネタにされている「冴えない主人公に、突然巨乳ロン毛の美人惚れる」設定だが、実わかりやすい幸せの形と言える
実はこの設定、主人公だけではなく大概の主要登場人物にもこの法則は当てはまっている
(例でいえばグリーンヒルのリーダー、ヒメノア~ルの安藤とか)
上記人物の共通項として、社会からズレていたり劣っていたりで、滑稽に見えるが、自分自信を隠そうとせず、常にさらけ出し、真っ当に生きている人物、という点が当てはまる
対して、妙にひねた目線で世を見下していたり、暴走して犯罪まで手を染める人物は、結果的に不幸な結末を迎えるケースが多い
この作者、ヒミズ以降の評判は正直良いとは言えず、ギャグ路線に戻って欲しいという声は多い
他の感想を見ても、何が描きたいかよくわからず奇をてらっているだけ的な意見もよくみられる
たしかに、単なる打ち切りによる尺足らずなのか、敢えて説明していないかどうかは不明だが、複線未回収だったり、唐突に終わる事はよくある
しかし、あの独特なダーティ-さは他の作品ではあまり見られず、これはこれで非常におもしろいので、個人的に次回作も期待している
(というか、個人的にはヒミズ以降の方が好きだ)
とりあえず、次回も取っつきにくい内容になるかもしれないが、古谷作品というカテゴリで一貫している共通項を見つけられれば、感想もだいぶ変わってくるんじゃないかと思った
なんか自分が高校生ぐらいのときの父親に対する感情のことを思い出す。
父親のダメさに対して、それこそ"全存在をかけた"嫌悪感を感じていた頃の。
オタク的な自我が自己愛的なものに満ちている、というのは理解できるけど、なんでそれほど直接的な害を受けた訳でもないのに、"存在してるだけで絶対悪"ぐらいの勢いで、執拗に叩くのだろう。
自分の父親に対する感情(それは自分の中にあるものを投影してるだけだとカウンセラーの先生は言ったけど)は未だに全く整理がついてないけど、少なくとも、父親の(そして自分の中にも満ち満ちている)自己愛的なものを、この世界に存在することを決して許してはならず、滅さなければならないものだ、と思っていても、何も変えられないし変わらないんじゃないか、と考えるようにはなった。
かといって、肯定する気には全くなれないし、どうすればいいのかは未だに全く分からないけど。
わにとかげぎすの3巻が出た。
知らない人の為に説明すると、わにとかげぎすは32歳で夜間警備員をしている主人公富岡が、深夜、ビルの屋上で流れ星に「友達を……友達を下さい」と希うところから始まるマンガである。作者は稲中の古谷実。
この紹介で分かるとおり、富岡はコミュニケーション能力の低い、世間から隔絶された人間として描かれている。富岡自身もそう言う認識を持っている。
「コミュニケーション能力は高いけれども、それを使いこなせていない人間」
に見えるのだ。
それを一番感じたのが3巻の斎藤との出会いのエピソードだった。
諸々の理由により失業した富岡は、再就職先の同僚として斎藤と言う男に出会う。
この時富岡は始めは敬語なのだが、あるタイミングを境にタメ語に変わる。
説明が難しいのでその会話の一部を抜粋する。
斎「……あいつ浮気してんだぜ」
富「え?」
斎「こないだ酔っぱらって『生まれて初めて顔射した』って浮かれてたよ……黒田さんとつきあってるのみんなにバレてないと思ってるんだ」
富「あの~…」
富「ガンシャって………何ですか?」
(中略)
富「いえ…持ってません…」
斎「もしかしてさ……今時ケーータイですら持ってない人?」
富「うん……持ってない人……まずい?」
(続く)
僕は始め読んだ時、あまりにも自然だった為この変化に気がつかなかった。
っていうか確かめてみたところ、1巻でも同じようなシーンがあった。
富岡さんはいとも簡単に敬語 → タメ語へと転換しているが、僕にとってはそれがとても難しい。
僕は基本的にほとんどの人と敬語である。この前親戚の子供の相手をするときにも敬語を使ってしまい、親御さんに笑われたくらいである。
僕が何故敬語かというと、それは敬語が最大公約数的にコミュニケーションを取る事ができる会話の作法だからだ。
ぶっちゃけていえば、最も失敗がないからだ。
だがそれは、同時に友好関係にある一線を明確に引く行為でもある。
だから普通の人はどこかのタイミングで敬語からタメ語に変わる。
たぶん、ほとんどの人はこんな敬語からタメ語の転換なんて意識せず、無意識的に出来ているだろう。
今のところ僕は、敬語からタメ語に変わると言うのは一種の意思表示だと考えている。
「私はあなたとならタメ語で話したいです。って言うかできたら気軽に冗談を言い合えるような仲に発展したいです」
っていう感じの。
僕はとにかく意思表示が苦手だから、これである程度納得はできる。
でも、どうもそれだけとも思えない。
なんで自分はこんな当たり前の事が上手くできないんだろうか?
外見改造と喋り方矯正で五人と付き合った。人妻・ギャル×2・クラバー・OL。中には可愛い子もいた。そんで今はフリー。で、この間、幽霊部員やってるボランティアサークルに久々に顔出したら、そこにいた女の子にひとめぼれしちゃった。古谷実が書くブッサイクがそのまま抜け出してきたかのような女の子で、超ちっさい。んで声デカい。そんでみんなでいったカラオケで空気読まずにネオロマ系&腐向けアニメの主題歌をアクション付きで熱唱。全部映像つきのバージョンで曲を入れてるのが熱い。繰り返すんだけどブス。性格もやばいらしい。メンヘ気味で、飲むと薬の話がとまんないんだと。なんでこんなに惹かれているのかわからん。すごい付き合いたい。