はてなキーワード: 卒乳とは
長女の生産地は7月下旬のビジネスホテルの一室。その日の夜に行われる花火大会を見るために1泊するのが便利だったのと,彼女の浴衣姿が見たかったから予約した。
それまではちゃんと避妊していたんだけど,その日の彼女は激しくて,近藤さんを着けていなかった僕はあえなく果てた。
それから3か月後,体育の日を挟んだ3連休初日,彼女と付き合って1年5カ月,いままで会ったこともなかった彼女の親父さんお袋さんに紹介されて初めてあいさつした。和やかな雰囲気だったな。
その翌日,デート帰りの車,もうすぐ彼女の家,運転する僕に彼女が「〇〇公園に寄って」と。そして,車内で見せられたエコー写真。キューピーさんというかクリオネさんというか,そんな白い影が写っていた。「4カ月目だって・・・」という彼女は涙ぐんでた。「ごめん,もっと前から分かっていたけど言い出せなかった」だって。
俺は思わず「ヤッター!!」って叫んで彼女を抱きしめた。そして「結婚しよう」と言った。キョトンとする彼女の表情は忘れられない。
それから一昨日初めて会ったの彼女の両親の元にスーツを着て舞い戻り,ぶん殴られるのを覚悟で謝罪と結婚の挨拶に行ったんだけど,親父さんもお袋さんもこっちが拍子抜けするくらい喜んでくれた。
それから1週間後,役所に婚姻届けを提出しに行き,2週間後には親せきを交えた食事会,それまで,妊娠していることを妻とともに隠れて縮こまっていた長女は,ようやく解放されたらしく妻の中でグングン成長し,あっという間に妻はどこからみても立派な妊婦さんになった。
海辺の温暖な町から,山間部の極寒の僕の町にお嫁にきて,「寒い,寒い,この寒さは妊婦に悪いから実家に帰りたい」という妻を必死になだめた冬。
やがて春がやってきてめでたく長女が誕生。
うれしくてうれしくて,立ち会った分娩室で僕はまた「ヤッター!」って叫んだ。「涙を流すお父さんはいますけど,ヤッター!って叫ぶお父さんは初めてです」と産婦人科の看護婦さんにたしなめられて,妻はちょっとふくれていた。でも妻曰く「意外と痛くない。まだいける」だって。
1歳で卒乳し,2歳ころには,自分でフォークとスプーンを持って一切こぼさず食事をしていた長女。3歳になる前にはおむつも取れて,それから今までおねしょをしたことがない。
幼稚園では4月生まれのアドバンテージで早生まれの子たちを引き連れてお姉さんの立場。マーチングで一番難しいティンプトンドラムも,お遊戯会でのあいさつも,いつも長女だった。
やがて,妹ができ,弟も2人でき,4人兄弟のお姉ちゃんになった。
長女を育ててみて,「なーんだ,子育てってめっちゃ楽やん。こんなの何人でもいけるやん。」と思った夫婦は,立て続けに4人の子どもを授かったが,楽なのは長女だけでした。あとの3人が未だに大変なことと言ったら・・・。
いつまでお父さんといっしょにお風呂に入ってくれるかな?
いつまでお父さんと一緒に寝てくれるかな?
いつまで「おとうさんと結婚する」って言ってくれるかな?
もうすぐ10歳。あと8年もすれば成人か。もう折り返してしまったんだね。
嬉しいけれど,なんだかさみしいなあ。
このまま健康で明るく元気に育ってね。
男性経験夫一人、年齢差も同じぐらいで親近感沸いたので私の経験を。
産後は、産まれたばかりの赤ちゃんを置いて何てことをしてるんだろうという罪悪感とか、最中に赤ちゃんが泣き出して中断されたりとか、しっかりとした母親にならなきゃいけないって必死だったりして、セックス楽しめなかった。
自分や、人間として自立してる夫より、自分が常に見てなきゃ死ぬかもしれない赤ちゃんのほうが最重要になってるから。
だから、そろそろ卒乳しても大丈夫、次の子供が出来ても大丈夫って状態になったら気持ちよくなったよ。
私は二年かかった。
生理が一年以上戻らなかったし、まず身体が無理だったんだと思う。それくらいまではよく寝てる子供の心音確認したりしてビクビクしてたしね。
まだ痛むとか、生理が再開してないとか安定してないとか、卒乳しても大丈夫なくらい成長してないとか、状態の違いはあるかも知れないけど、参考になれば幸いです。
http://women.benesse.ne.jp/article/002322.html?sns
なるほど。
うちの子、いくつか食物アレルギーある(あった)けど、結構病院に振りまわされた感がある。
うちの子は「乳児湿疹」からあと「アトピー疑いあり」でずっと塗り薬処方されてきてる、いま1歳半。お肌はきれいだけどやっぱりアトピーなのかもしれない。
イギリスでは区別されていないという文章をみて、なるほどやっぱりそうかと思った。日本も呼び方区別しない方が良いのでは…。乳児湿疹だと赤ちゃんはなるもの、1ヶ月〜3ヶ月ぐらいで治るよっていう感じで皮膚、アレルギー問題を軽視してしまう。
思い返すと退院した生後1週間頃からポツポツ湿疹できてきてた。
母乳、ミルク与えた後とか顔をママの服にすりつけてきてたけど、今思えばあれは痒かったんだろうなと思う。痒くても手を動かせないから…。
1ヶ月検診で小児科で乳児湿疹が多いと相談してもプロペト処方されただけ。
その後、産後ケアセンターに滞在してたときたまたま助産師さんに皮膚科行ったほうがいいと評判よいところを教えてもらって生後1ヶ月過ぎにこの記事にある成育医療センターの元皮膚科医長さんのクリニックに通いだした。区では一番有名な小児皮膚のクリニック。
生後5ヶ月頃に離乳食始める前にアレルギー検査していこうと考えて(アトピーだと食物アレルギーある場合が多いという情報を本、雑誌、ネット記事をみて知ったので)、この皮膚科で5大アレルゲンの血液検査をうける。結果はすべて陰性、問題ないですといわれる。
安心して6ヶ月頃から離乳食はじめるも、なす、かぼちゃ、きゅうり、バナナなどで口元が赤くなる。皮膚科に相談するとヨダレかぶれでしょうと食事前に口元にプロペト塗ってくださいと処方される。
次に白身魚の鯛でアレルギー反応がでる(唇がはれる)、この時はすぐ小児科にいき食物アレルギーでしょう、1歳まで魚、鯛はひかえたら良いと指示される。反応でた食物は1歳までひかえたらいい、1歳こえると体の機能が強くなるから食べれるようになるよと。
その後も、離乳食定番のクタクタうどん与えると首から耳が赤くなる。→小麦粉控えるなどをしていた。
8ヶ月の時に勝手に卒乳になり(子供が母乳を全く飲まなくなった)、粉ミルクに切り替えたら口元が赤くなる。
これもヨダレかぶれ??おかしいなぁ、牛乳アレルギーは血液検査でなかったはずだったけど。粉ミルクの種類の問題かな?メーカーをかえてみる。e赤ちゃんという粉ミルクだと反応でなくなった。ということはやはりアレルギーか?ということでここで皮膚科や小児科ではなくアレルギークリニックにはじめて子供をつれていく。
血液検査ですべて陰性だった件を伝えると月齢が低いときは血液検査より皮膚スクラッチテストの方が正確な結果が出やすいんだよと。
大豆もでてる、毎日トウフ食べてて問題ないですが何故でしょうと聞くと偽陽性といって問題なくても少し出る場合あるからねといわれる。ミルクは少しだしいま飲ませてるe赤ちゃんで問題でてないならそれでいい。ただ卵は強くでてるから1歳まで与えない方がいいと指示される。
70歳過ぎてる先生だが著名な方ではあった。
先生曰く「血管細いから血液取りにくいし無理にする必要ないよ、1歳半まで食べさせなくてもいい」と指示される。
また指示通り過ごすが、1歳5ヶ月で保育園入るにあたって(近所の小児科で卵食べさせたことないならアレルギークリニックで接種してもらってくださいといわれ小児科では接種拒否された)麻疹風疹ワクチンを打つために行くとワクチン使った皮膚スクラッチテストで皮膚反応が少しでたので2歳まで打たなくていいと言われる。
保育園の入園前検診で他の病院にきいて打ってもらった方がいいといわれ、保健所に相談して他の少し遠い場所にあるアレルギークリニックに行った。
すると「いまは遅らせるより少量を与え続けるの治療法がメインだよ」といわれ…、血液検査で高い数値も出てたけど与えて問題ない分量を指示されずっと与えてる。
あと3ヶ月したら再度血液検査して下がっていれば全解放する方針らしい。
ちなみにこの先生ももと成育医療センターのアレルギー科の先生。
先の老医師はこの方の大先輩。
元成育医療センターの先生曰く、老医師はすごい先生だけど少し持ってる情報が古いのかもね。
皮膚科で受けた血液検査も時期が早過ぎ、6ヶ月以降でないと母親からの免疫が残ってるから数値が出てこないんだよ。
皮膚科のあの先生は知ってるし、非常に優秀だけどアレルギー専門医ではないから知らないんだろうね。
今度受診したらあそこの先生がこう言ってましたって伝えといてよといわれる。
なんだか振りまわされてる。
いま通ってるアレルギークリニックは元成育医療センターの医師で最新情報を治療に反映させているようなのでこのクリニックに通って完治させたいと思う。
大病院が通える範囲にあり、そこのOBが独立して界隈に小児皮膚、小児アレルギー、小児眼科などのクリニックがいくつかある地域でよかったとも思える。
ただ紹介状書いてもらえるほどの症状(血液検査)が出てなかったから結果的に行けなかったかもしれない。血液検査を6ヶ月以降にしてて高い数値出てたら皮膚科から紹介状書いてもらえたかもしれないが、皮膚科に相談したら血液検査は全部陰性だからかけないといわれた。
どこかで紹介状書いてもらって数ヶ月待ってでも成育医療センターのアレルギー科に通ってたら違った結果になってたのかも…残念。
以上、こういうケースもありました的なお話でした。
ずっと母乳育児をしてきたが、最近末っ子もあまりおっぱいを飲まなくなって来て、いつ卒乳してもおかしくない感じ。
私は母乳の出る量の減少と共に、産後から無尽蔵だった食欲が減退してきて、年相応の食事量で充分満足出来る様になってきた。
が、酷く偏食な子供達の残り物をつい勿体なく感じて、満腹なのにそれを無理に食べてしまい、常に胃もたれしている今日この頃。
皆様におかれましてはいかがお過ごしですか?
私は逆流性食道炎をぶり返しそうです。
あと、近頃身体が重く感じて、立ち上がる時につい「どっこらしょ」って言ってしまう。
きっと、母乳が出なくなりかけている事による消費カロリーの減少と残飯処理のせいで太ったのだろう。
あーあ、と思っていたところ、子供が通うスイミング教室の待合室の片隅に「ご自由にお使いください」と貼り紙されている体脂肪率測定機能付き体重計があったので、乗ってみた。
43kgしかなかった。
この身長でこの体重だと、鶏ガラボディーに近いと思う。適正体重はたしか51kgくらいだったはず。
昔、大学時代に困窮極まりない時期があって、その頃に44kgまで痩せた事があったが、その時期は真冬で、三ヶ月のうちに三回もインフルっぽい高熱で寝込むなど、体調が悪くて悲惨だった。あの頃よりも軽いって。
これは女性としては普通で健康的な部類なのではないかと思う。けれども、どちらかといえば病的な痩せに近い体重で(見た目も結構ショボくれてしまっているが育児で疲れてるのでやつれているだけで体重は関係ないと思っていた)、しかし20%の体脂肪率とはこれいかに。
体脂肪率は体重以上に長らくはかっていなかったけれども、記憶によれば学生時代の困窮するよりも以前は体重48kgで17%位だったんじゃないかと思う。
ちなみに、私にはバイトの賄いで昼は豚カツ夜はカツ丼を食すへヴィーな日々を送った経験もあるのだが、その期間は体重が最高で57kgにまでなり、しかし体脂肪率は具体的な数値は忘れたけれども肥満の領域にはかろうじて届いた事はなかった筈だ。
若い頃の私は、運動音痴だったわりに筋トレ大好きだったから筋肉質で、骨密度もやたら高かったので、意外と体重が重くて体脂肪率は低かったのだ。
それが長きにわたる運動不足と、もしかしたら授乳で、筋肉と骨が減少してしまった模様。
逆に脂肪は増えているのだ。自分で見て分かるところには余分なお肉はついていなさそうだけれど、一体どこに?贅肉はついているのだ。
夫にサクッと断言されて、私涙目。
筋肉はしょうがないとしても、カルシウムは毎日欠かさず摂取していたので、骨がスカスカかもしれないというのはかなりショックだ。
私の知り合いに、40歳の時に咳やくしゃみをしたら肋骨が折れたという女性が二人もいるので、そうならない様に努力してきたのだが……。
卒乳したら食った物は全て自らの肉となったけどね
母乳のための食事制限も終わり(妊娠中よりも食事制限きつかった)
やれやれだぜとか思ってたんだけど
周囲のママ友たちは「母乳スバラシイ!」派であるにもかかわらずなんでもよく食う。
「母乳スバラシイ。最高の愛情。ミルクなんて育児の手抜き」なんて思うんだったら、
でもまー、育児でどこにこだわるかなんて人それぞれだからどうでもいい話よね。
私はネットにあった母乳育児の食事制限を鵜呑みにしてしまい、かなりきつかったよ。
それまでスナック菓子やおやつパンを食事代わりにするような生活だったのに(笑)
桶谷式って有名なやつ。
・塩分控える
・油っぽいもの、カロリーの高いもの、カレーなどの刺激物は控える
・コーヒー飲めないのきつかったなあ。
あと、薬や湿布も控えた。
母乳って母親の摂取したものが凝縮される、ってあったから不安だったんだ。
授乳中、特に病気もしなかったのでよかったけど、このへんどうなのかは今もよくわかんない。
最初は食べたいものが食べれないってことにすごくイライラしたけど、
「私は赤ちゃんのために頑張ってる!」っていう自己満足みたいな陶酔と
しばらくしたらその食生活に慣れてくるのでどうにかなった。
肌荒れが少なくなり、体臭が抑えられる。
卒乳後に洋食を増やしたらすぐ体臭や尿が臭くなってびっくらこいた。
最近また食生活がたるんできてるので(肌荒れがひどいことに…)
また和食中心に戻そうと思ってる。