はてなキーワード: 半月とは
1時間もビデオ会議やって、これまでほとんど何もしなかったメンバーが好き勝手べらべら喋って結局何も決まらずに終わった無益な時間。
それでも責任者が計画して、私に依頼されたので、張り切って二つも企画出したのに、いつまでたっても反応がない。
半月以上経って別のビデオ会議の録画見ててそこで初めてその計画自体がなくなっていたということを知りまして。
ってか、私何も聞いてないんだけど!
反応のにぶさから薄々気づいてたけど、
まさかこんな形で知るとは思わなかったよね。
責任者のこと、一目置いてたし、お役に立てるんならって思ってたけど、今回の1件でおもいっきし不信感。
私の得意分野だから喜んで協力したけど、
もう次はないですから。
だいたい、
ミーティングの時間が余ったからって、何が日々の業務で面白かったことを話せだよ。
暇じゃねえんだよ!
なんでわざわざそんなことさ、ビデオ会議使ってまでしなきゃいけないわけ?
上下関係がない風通しのいい職場なのが魅力だけど、交流会や座談会が多すぎて疲れる。
その分の時給が出るとはいえ、ビデオ会議のためにわざわざ時間とってセッティングして
割が悪すぎる。
なんで自分の顔と他人の顔のアップを画面いっぱいに表示しながらしょうもない会話に参加しなきゃいけないのよ。
slackで周知徹底させりゃいいじゃん。
お願いする時だけグイグイきてさ、立ち行かなくなったらスルーなんてひどくない?
それを私が察さなきゃいけないわけ?
今買い物に行ってきたんだけど、帰り道の空がザ・夏の暮れ方って感じでかなり素敵だった。
地平線(見えないけど)のあたりだけ黄色っぽくて、あとは夜空と青空の中間くらいのなんとも言えない色。早朝かこの時間にしか見られないからレア感あるよね。半月が出てるのも趣深かった。
で、俺はそれをよく見ようと上を向いて歩くんだけど、一方でずっと「ああ、空を見上げながら歩く情趣を解する俺…!」みたいなことを思ってるんだよな。すれ違った人が俺の視線につられて空を見てその綺麗さに気づき、さっきの青年はいい感性だなと思う…みたいな妄想すらしている。
気持ち悪すぎる!!
この気持ち悪い自意識過剰の自己演出的な行動をマジで物心ついたくらいからずっとやってる気がする。口に出したり人に言ったりするわけじゃないから多分そんなに鼻につかないとは信じたいんだけど、「素敵な感性を持っていて道端の花を見ても足を止めてしまう俺」をやっていることを客観視して自己嫌悪に陥ることがときどきある。
綺麗だと思う気持ちは嘘じゃないし、多分通行人がいなくても同じように振る舞うんだけど、でも通行人がいない場合は妄想のギャラリーを作り出すんだよな。暗くて俺からは見えていないところに散歩中の人がいて、闇の中星を見上げる俺の姿に見惚れていた…みたいなストーリーを無意識に作り上げて悦に入ってしまう。
自己認識として俺は顔もキモいし背も低いし猫背がヤバイし仕草がヘンなので見惚れられるハズがないというのはわかってるんだけど、それでもそういう妄想が止められない。
これどうしたらいいんだ。俺50のオッさんになっても「ああ〜童心を忘れず虹を見る俺!!」とか思いながら生きてんのかな。イヤすぎる
自分が思ってる自分の創作に対するスタンスと、実際の自分の創作のスタンスに齟齬がある気がしたから整理する。
私……生まれた時は夢豚だった腐女子。夢小説デビューは某ジャンプ漫画。腐デビューは某国漫画。
昔からマイナーが好きになりがち。国漫画の推しカプは露×冬将軍。ここから茨の道は始まっていた。
小学生時代:個人サイトで某ジャンプ漫画の夢小説を連載してた。このころ閲覧者は0~2人くらい(多分)
中学時代:見切り発車の連載だったから連載夢の着地点がない事に気づき始める。サイトで男同士の小説も書き始める。この時は腐という存在を知らず。
→中2か中3の時にサイトを閉める。
このころ位までネットの向こうに人がいるっていうのをあまり意識していなかった気がする。だから純粋に小説を書いてサイトに上げるって行為を楽しんでた。
高校時代:支部で活動を始める。(おそらく)初めて投稿した小説はブクマ12くらい。非公開だけど作品一覧に残ってる。
このあたりでツイッターを始めてネットの向こうに人がいるって感覚が強くなったと思う。
現在:支部で活動しつつ、時々同人誌を出す。今の主ジャンル(Aとする)で初めて同人誌を出した。20冊捌けないレベルの弱小サークル。ものによっては10冊でも半分くらい余ってる。
Aの最新作のブクマは5くらい。最盛期はブクマ400は超えた。
私が小説を書くのが下手ということに関してはまったく異論がない。
でも、たまにメジャージャンルにハマった時はランキングの後ろの方にくらいは入るし、ブクマが1000を超えることもある。つまり、目も当てられないほどではないはず。
ブクマ数閲覧数はハマったものの規模の差でしかないと思って、今まで気にしていなかった。と思っている。
ここからが本題。
最近、超でっかいジャンル(Bとする)の小説を息抜きに書いて上げた。そしたら長らくAで考えられなかったくらいブクマされた。
コロナで外出を自粛してるのもあってここ半月くらいでハイペースで色々上げたからそれのブクマ数、文字数、コメント数を一覧にしてみる。
・Bの腐(約8万字)…ブクマ約100、コメント7(1週間で)
参考に
Bの夢>Bの腐>Aの腐って順に需要があるんだなって気づいた。
あとは8万字は長すぎて読む気が起こらないのかもなとも思った。でも、感想はたくさんもらえた。普段はもらえないのに。
二次創作関係なくジャンルだけで考えるとAの方が好き。やっぱり主ジャンルはAだと思う。
でも、次回作を書こうと思うのはB。
私は書いて投稿するだけで満足するタイプだと思っていたけど、そうではないっぽい。厳密にはそうではなくなったらしい。
中学のころまでは見られるとか評価されるとかは考えた事がなかった。
でも、今は評価されて感想までもらえるBの方を書こうとしてる。ジャンルそのものはAの方が好きなのに。
しかも、8万字書いてブクマが100のBの腐ではなく、1万字でブクマが150もらえるBの夢の方。夢は腐ほどピンとこない。ピンと来ないのに手軽に褒めてもらえるから書こうとしてる。
②目標を達成した時に満足してその先がない。
もう既に①に陥っている。大好きという理由じゃなくて手軽に評価がもらえるからという理由で書いている。
目標は特にないから②はないかもしれないけど、評価をもらえなくなったら筆を折るかもしれない。もしくは175みたいな存在になってしまうかもしれない。今はギリギリ、好きだけど一番ではないジャンルを書いているで収まっているけど。
この先も健全な同人活動を続けるにはこの状態をなんとかしなければ危ない。
ずっとメジャーできゃっきゃうふふできるんならいいんだろうけど、私が好きになるのは大体マイナーだから外的動機づけを求めると絶対につらい。楽しいのはたまたまメジャーにいる今だけだ。
BですらハマってるCPはBの中のマイナーCPだ。他のPCと比べると圧倒的に作品数が少ないし、ランキングでこのCPはほとんど見たことがない。
この半月ほどのことだ。まあ今のところ、実際に休んだのが2回と2時間くらいの遅刻が1回だけだが、明らかに今までと違う。
私は決して精神的に強いほうではない。
スクールカースト底辺出身者、発達障害グレーゾーン(未診断)。鬱か?双極性障害か?という感じの症状とともに生きている。
本当に動けなくなって引きこもりになったことはない。たぶん。ないとはっきり言いきれないな。それっぽい経験は何度かあった。
小学生のときに習い事を数か月休んだり、大学生のときにかなり引きこもりっぽい生活を送ったりした。
育児中(特にひとりめの産後とふたりめの頃に毒親と戦っていたころ)も相当引きこもりに肉薄していたと思う。
私をなんとか助けてくれたのは本だった。本と、本に出合うための窓口としてのTwitterだった。
育児はもともと興味があったし、やってみたいと思ったことはどんどんやってきた。
親といえど、本質的には対等な立場なんだよ、と言動で示してきたつもりだ(もちろん限界はあったが)。
この感じ、自分でも気に入ってるな、安定してきたな、とここ1年半くらい思っていたところだった。
朝、起きられない。些細なことでキレて八つ当たりする。何が嫌でどうしたいのか聞くと「わからない」を連呼する。
というのが主な症状。
いつも通りのことも多い。多いけど、ストレス負荷が高まると症状が出る。
素人意見だけど、なんとなく「うつの入り口にいるな・・・」という感じがする。
原因を考えた。夫婦でも話し合ったし担任の先生との連絡も頻繁にとっている。
学校の休み時間にあった友人間のトラブル、自立を促そうと自室での就寝を勧めたこと、それによって就寝時間が遅くなったこと。
ほかにもいくつか原因となりうる要因を洗い出してみて、できることから対応してきた。
学校でのことは逐一連絡をとり、就寝スタイルは元に戻し、9時には眠れるよう調整し、朝日を浴びて目覚められるようにした。
結果、休んだり遅れたりせず登校はした。したけど、解決とはほど遠いように見える。
むしろ無理やり行かせているようにも思えてくる。
長くなってきたので一旦切ります。
今さら感あるけど、32歳腐女子予備軍の私がなぜ予備軍であり、なぜ32歳腐女子になる可能性が高いと思っているか、ということを書きました。実はただの愚痴かもしれない。
23歳腐女子、小5か小6くらいにインターネットを通じて目覚めたので腐女子歴10年越え。そのくせオタ友を作ったことがないドインキャ。リアルの友達は非オタ〜ライトオタが多い。腐女子の友達もいるけど、BL読むんだ〜程度の話しかしていない。
正直既に自分の子どもっぽさは感じている。世代ごとのメジャー会話みたいなものがあると思うんだけど、大学生は恋バナがメインで、もうそれについていけない。まあ恋愛しててもベラベラ喋らないタイプの人たちが多かったからまだ置いてかれるというほどじゃなかったけど、みんな話せるくらいの恋愛譚は持っていて、浮いた話が全然なかったのは私くらいだった。
これが数年経てば、結婚しようかな、結婚した、旦那が、義実家が、子どもが〜に変わっていくのは目に見えている。その時、私はもう何も言えない。何も共感できることがない。学生時代は、サークルならサークルの話をすればいいし、授業や就活といったライフイベントの話もできる。そういうものがなくなってしまうのだ。話が合わなくなるのは目に見えている。
じゃあ恋愛、結婚しろよ、という話だ。さっき浮いた話が全然なかったと書いたが、本当に全くなかったわけでもない。去年はとある人にずっと片思いをしていて、そこそこ仲良くはなったけど、いつの間にか相手に彼女ができていて失恋した。それで病んでマッチングアプリで彼氏を作ったが、1ヶ月で別れた。
週に一二度、相手の都合に合わせて会うのが本当に面倒で、なんでこの人のために私の時間を割かなきゃいけないんだろうと思ったときに、もうダメだなと思ってこちらから別れたいと告げた。キモい女だとは思われたくない一心で、少しの嘘を交えた当たり障りのない会話だけしていたら、会話がただの苦行になっていた。そもそも、好きな人でも半月に一回くらいおしゃべりできれば十分と思ってるタイプなので、本当にしんどかった。
この経験を経て、私の結婚願望はしなしなと萎んでしまった。正確に言えば、結婚願望(恋愛への憧れ)は残っているものの、それを婚活で得ることは難しいと思ってしまった。デブス貧乳顔デカ(生きてて誰からもアプローチされない時点で顔面偏差値は察して欲しい)は自分から動くしかないが、婚活という、短い時間で互いを出し合って判断する、という行いは私にとって大変難しいと予想された。マッチングアプリでこれなのだから、婚活だって相手にいい顔して自分を隠すのだろう。そして勝手に無理になって終わる。それはちょっと厳しい。かと言って腐女子です!!! よろしくお願いします!!!! というのも厳しい。腐女子の中でもあんまり大っぴらにやれないジャンルの人なので………。
だから、会社か、社会人サークルとかに入って知り合った人か、学生時代の友人と運命の再会くらいしか、次の恋愛はなさそうだという予測になった。恋多き女ではないので、次に恋した人とうまくいかなかったら、20代での結婚は無理だと思う。
腐女子以外の趣味で仲間見つければいい、というかもしれないけど、創作活動以上に楽しいものを知らない。スキーもダイビングもジョギングも、ライブも謎解きも料理も好きだけど、気の合う友人とor1人で楽しくやるから楽しいのであって、わざわざ知らない人と交流するためにやりたいとは思わない。
そんなんなので、私の将来は8割型32歳腐女子、いつまでも自分の好きなことばかりしている子どもっぽいおばさんなのだろうと、そう予測しています。見た目は取り繕えても中身の幼さは厳しいものがあるでしょう。(特に、私は人と深く関わるのを避けた結果として1人でいるので)必ずしも悪い選択ではないだろうけど、今いる友人たちと疎遠になってしまうだろうことはちょっと切ないです。
ADHDと自閉スペクトラムの息子さんが居る増田とその増田へのトラックバックを読み気分が沈む。これまでは知らなかった。よその家庭にも自分と同じような子供は居る。
宿題の提出が難しい。朝練にも行けない。朝の着替えも時間割の用意も出来ない。読書は好き。ドリルが大嫌い。
全て自分と被った。元増田のお子さんは成績が良く勉強も得意らしいので出来る子供だ。自分は出来なかった。何もかも駄目だった。
小学生でADHDと自閉スペクトラムと診断され治療を受ける事が出来たのはきっと子供にとっては幸せな事だ。
自分は滑舌が悪く何か問題があるのではないか、と子供の頃無料のカウンセリングに通っていた事がある。ある年齢からもう問題はないと通わなくなったが、発達障害や自閉症とは疑われなかった。
家族からは怠け癖のある子供だと思われていた。自分でもそう思っていた。ADHDでも自閉スペクトラムでも努力して社会に溶け込もうとしている・実際に溶け込んでいる人も居るのでそれは正しい。
発達障害の疑いがある、と去年心療内科の診断に行った。高校を卒業して10年経っていた。その10年間で働いた日数は半月にも満たない。3650日も時間があったのに、15日も働かなかった。怠けていた。遊んでいた。
ADHDと自閉スペクトラムの傾向があると診断された。初回ではコンサータが処方された。効果が強力だった。次はストラテラを出された。効いているのか分からなかった。その次はインチュニブだった。効き目が分からず飲むのを止めた。
世の中には発達障害や自閉症と診断されても、強い意志を持って努力している人が居る。苦しい思いをして辛いと思っても、自分は周囲に馴染めないと思っても、それでも頑張っている人達は沢山居る。
自分は何も頑張らなかった。ただ怠けていた。周りから変わっているとよく言われた。「君は返事だけは良いね」と先生に言われた。それでも何もしなかった。それも含めて自分らしさだ、その内何とかなるさと思っていた。
何ともならなかった。自分は発達障害だと分かっていて治療のために通院せず薬も飲んでいない。ただただダラダラと怠けている。アルバイトの求人誌も持ち返りはするだけで一切読まない。働くのが嫌だから読む気なんて初めから無い。
昨年一家の大黒柱だった父親が死んだ。我が家にはもう収入がない。預金が幾らあるのかは知らないが、凄まじいペースでお金が無くなっている事は分かる。働かなくてはいけない。それでもまだ働いていない。
自分のような何も出来ない人間に出来る仕事なんて単純作業しかない。それも一週間で辞めた。労働がしんどかった。先輩からの指摘がしんどかった。こんなに動き回って1時間で1000円も貰えないという事に耐えられなかった。
重い物を運んで体を傷めたので5日のバイト代約3万円はそれで消えた。今はもう働く気が起きない。毎日家の中で遊んでとても楽な気分で居る。幾ら遊んでも時間が足りない。もっと時間が欲しいとさえ思っている。
それでもやがて貯金は尽きる。母親もいつか死ぬ。家庭を築き社会人としても頑張っている兄弟にも嫌われている。生まれ付きのハンデがあっても頑張っている人の話を聞く度に、「自分は」失敗作なんだと嫌でも思い知らされる。
最近ハマっている(いや、もう過去形だけど。ハマっていた)ジャンルの話。
原作はそこそこ有名で、同人界隈では爆発的な人気を誇ってるわけじゃないけど、それなりに人が多いジャンル。
新進気鋭、って言い方が正しいかはわからないけど。某赤豚ではジャンルオンリーイベ、某貴様ではCPオンリーイベの開催も新しく決まって「今まさに旬ジャンルへの道を駆けあがってます」ってイメージの、とあるジャンルの話だ。
原作に携わってる方がツイッターで二次創作絵に反応することも結構あった。
たぶん一番人気だろうCPの中に、キャラ名ががっつりそのまま入ってしまってることもあって、検索に引っかかりやすいのも一因だったのかもしれない。
(例えば、ユウタ×アキラ→ユウアキ、だったらキャラ名検索には引っかからないだろうけど、ユウタ×レオ→ユウレオ、だと「レオ」部分で引っかかりやすくなる、みたいな)
「ユウレオ」って表記していたものが「ユレ」になったり、ツイッターだったら絵文字使ったり。
原作サイドに腐向けの創作が見つからない様に隠れる、腐女子だからこの傾向はわかるし大切だと思う(1番はSNSに腐向けをアップしないことだろうけど、昨今の風潮的に難しいだろうな)
わたしは基本的に見るだけで、このジャンルで創作することはほぼなかったけど、「ユウレオ」が「ユレ」になりイニシャル表記になり絵文字になり最終的に「コし」(字形が似てる全然別の字を使った呼称、っていえば通じるかな)になる過程を見ていて、創作する側はいちいち今どんな呼び名されてるのか(というより、今までの呼称が「検索に引っかかりやすいNGワード扱いされていないかどうか」)追いかけるのか、大変だな、とぼんやり思っていた。
考察好きが集まって、原作の考察をプレゼンする会をオンラインで開催した際に、途中から例の一番人気のCPの話が混在で盛り上がり、最終的に「CP部分をぼかせばこの考察を原作サイドに見てもらえるのでは」とまで言い出す異常な盛り上がり方をし、さすがに苦言を呈された、というのが炎上元だった。
わたしは考察には興味がないので(というより他人の考察を見るとその考察に影響されまくってフィルターかけて原作を見てしまうのであまり見ないようにしている)プレゼン会の存在も曖昧にしか知らなかったんだが、今回ばかりはさすがに何が起きてるのか確認して、その内容にドン引きした。
あれだけ隠れよう隠れようと周りに呼びかけてたCPの人間が、「CP部分をぼかして原作サイドに見せる」とかよく言えたもんだな、と思った。
同じことを考えた人は当然たくさんいたらしく、荒れた。別CPの人間には白い目で見られたし、同CPの人間からも「さすがにこれはひどい」という意見をよく見かけた。プレゼン参加者は、「迂闊だった・浅はかだった」と反省する人と、「そもそもプレゼン会の要綱にCPが含まれることを書いてるんだから悪くない」って言い張る人と、我関せずを貫く人と、三者三様だった。とりあえず、悪くないと言い張る人をブロックしながら動向を追った。
結局、苦言を呈した人vsプレゼン会主催+盛り上がってたプレゼン参加者で一通り荒れたあと、プレゼン会の主催が謝罪+垢削除+「界隈荒らしてすみませんでした、もう二度とこの界隈で創作しないのでわたしのことは忘れてください」宣言で、この話題は落ち着いた。
よくある学級会案件の終息方法だし、もともと関わり合いもなかったので、とりあえず落ち着いたのか、くらいに思っていた。
匿名でCP小説を提出しあって参加者が読み、感想を言い合い、作者を当てる、という企画だった。
わたしは仕事中に発案を知ったので、面白そうだなと思いながらも参加はしなかった。
企画自体はディスコードで行われていたらしいが、その後、参加者で集まって喋るフリースペースが、もくりに出来ていた。URLがツイッターに公開されていたので、見に行ってみた。
フリースペースの参加者に、この間大炎上したプレゼン会の主催がいた。ほんの半月前に、謝罪して、垢削除して、もう二度とこの界隈で創作しない、と宣言した人が、CP小説を提出する企画に参加していた。
それを見た瞬間、なんだかいきなり、このCPにかかわるすべてに疲れてしまった。
「問題を起こしたんだから一生反省していろ、二度と創作するな」とか言いたいわけじゃない。
でも、大炎上を起こして、「もう二度と創作しません、わたしのことは忘れて」という内容の謝罪をした人が、容易にその本人だと特定できるアカウントで、1ヵ月もしないうちに新しい企画に参加している。そして、企画参加者に受け入れてもらっている。その事実は、素直な言葉でいうなら「気持ち悪い」という感覚に近かった。半月では、とてもじゃないけれど、わたしはあの炎上を忘れられない。
あの謝罪は何だったんだろう。あの宣言は何だったんだろう。受け入れている人たちは何なんだろう。受け入れている人たちも、普段は過剰に「隠れろ」って言っているんだろうか。
そんなことを考えているうちに、どんどん、このジャンルにいることは無理だな、と思うようになっていった。
参加しようかどうか迷っていた赤豚のイベントは、参加しないことにした。
今まで、新しく気になるジャンルが出来たから、前のジャンルから少しずつ離れていったことはあったけれど、これだけ明確に「足を洗おう」と思って離れるのは初めてだ。
本を出すサークル参加者は多そうだし、大して創作してもいないわたしひとりが消えても、きっと誰も気づかなくて、何も変わらないのはわかっている。
なんでそんな事を思ったかと言うと、昨今では毎年毎年暑さが厳しくなっていくこともあったりと熱中症対策も注意しなくてはならない状況が増えた。
しかし空調服を導入する警備会社は少なく、ならば自前で空調服は難しいにしろネッククーラーくらいは用意させてほしいと申告しても、警備会社の方針にそぐわないという理由で拒否されてしまう。
そんな状況で熱中症が発生しても忍耐力がなさすぎるというブラック発言も少なくない。炎天下で影もない所で警備をしろというのは酷な話だろうに。会社が対策してくれないなら自腹を切ってでも対策させてほしいわけなのに『そぐわない』というくだらない理由で拒否される。
また、施設警備でも同様に空調が入らない時間帯などは、やはり暑く熱中症になりやすいので対策をお願いしても馬鹿の一つ覚えのように『そぐわない』と言われる。空調が入らない時間帯に客が入るわけないのにも関わらず、だ。
熱中症だけでなく、現在はコロナという爆弾も控えているのに対策一つ取らせてくれないというのはひどい話だ。自分はまだ若い年層なので、ある程度は保つが年配の人なんかは立っていて時々ふらついたりしていたりと危ない。
数年前だが、熱中症で対策を会社に意見した人が受け入れられず、それから半月後に熱中症によって倒れて打ち所が悪く亡くなった。こうした事が起こっているにも関わらず、警備にそぐわないという理由で従事者を殺しにかかる。
最近では警備の求人募集も応募者が減った。それでも会社は人的消耗部品はいくらでも手に入ると考えているらしい(うちの警備だけなのかもしれないが)
現在はネッククーラーも色々種類があるし、かなり小型化されている。これらを配備するだけでもだいぶ変わるのになと思っても、会社は動いてくれない。動かなくても良いから自前で用意させてくれるだけで良いのに。
それすら認めてもらえない状況のせいで3日ほど前に同僚が倒れた。水分補給をしていても熱中症は防げない。
つまらない警備のイメージなんかよりも人的な損害が少なくなるように務めてくれないと、これからもっと深刻な状況になると思うんだよな。
21卒就活生。無事に内定をいただき、よっしゃ卒論だ~!と浮き上がる日々だが、友人、親、教授全てに卒業後を心配されている。
大学2年のとき、自分は過労で倒れた。倒れるまでのキャパは人それぞれだと思うが、当時の状況を以下に記す。
2.土日はアルバイト(6時間勤務のところ、残業が常態化していたためほぼ8時間勤務。販売店なのでだいたい休憩なし。倒れる半月くらい前に何かを感じ、週1に)、バイト先の飲み会は断らない。
3.まぶたが痙攣し、金縛りが頻発。睡眠時間(大体5hくらい)に3回位起きてしまう。
こうやって書いてみると、よく精神狂わずにやっていたなあと思わなくもない。
電車のなかでめまいがして、なんとか家について玄関で倒れたところで「もうやめよう」と思い、そのまま店長に会いに行き、1ヶ月後、バイトを辞めた。この頃患ったっぽい謎の咳は今もまだ続いて居る上、何故か体質が変わってしまったらしく、天気で体調がかなり左右されるようになった。メンタルは強いほうなので、今も昔も割と元気だ。よくいろんな物事の辞め時を見失ってしまうけど。
私の回りの優しい人達は、「またあの頃みたいになっちゃうよ」と心配してくれている。友人は私のことを「ブラック企業歓迎人材」と言うほどである。
バイトを頑張っていたのは「雇用には貢献がつきもの」と思っていたので、そのわかりやすい貢献が売上かな、と思ってがむしゃらにやってたから。残業をしてたのは店長に残って!ごめん!と言われたら断れなかった。
民間企業に入る限り、利益の追求からは逃れられない。地元の中小企業に入るので、もしかしたらサービス残業・休日出勤上等のとんでもブラック会社かもしれないが、最悪転職か大学院に行くかで対応しようと思う。このご時世だが、死ぬ気でやったら返ってくるということをこれまでの人生で学んでいるので、とりあえず3年位は死ぬ気でやってみてもいいかなと思っている。
正直、潰されることが怖くもあるが(倒れたことがトラウマで長時間のアルバイトが怖くなり、今は1回2時間位で終わる塾の講師)、社会に出るというのはそういうことだと思って適合するしかない。労働基準法なんてきっと大企業でない限り意味ないんだ。
わりとなにか液体を口にしつつ仕事してるタイプ。よかったものをあげていく。
・中国茶
手間が要らない。ティーバックに茶葉入れてお湯注ぎ足すだけで1日持つ。自分が買ったのは台湾の青茶でウーロン茶系のやつ。味もかなりいい。
・紅茶
味はいいけど一回しか飲めないので効率がよくない。ティーバックも早く捨てないと苦くなるから二度手間になる。ただ美味いのでご褒美とか嫌なことあったら飲むことにしてる。
・緑茶
なんか精神が落ち着く気はする。しかし、どれほど手間を省いてもティーバックはすぐ出さなきゃならないし、二度三度いれられないのでもったいないきがする。
・水とかお湯
手間はいらないがそのうち虚無を口にしてる気がする。
・果汁ジュース系
金を出してカロリーを買うのは良くない。あと保冷が切れたら虚無の味になる。
・味のない炭酸水
金がかかる。1本50円くらいか。つい飲んでしまうので1日3本くらい飲んで1ケース買ったのに半月持たないとかになる。のどごしはいいけど冷房効いてるとお腹を壊す。
・カルピス系
乳酸菌は健康にいいしホットでもアイスでも楽しめる。ただし自分はあまり甘いものが好きでなく、最後まで飲み切れないのでやめた。
楽に作れるが味はそれなりである。濃く作って眠気覚まし用のカフェイン摂取剤として使っている。
自分で引いた豆買ってペーパードリップするやつともともとペーパードリップと豆が一体化してるタイプがある。どっちも味はいいんだが手間がかかる。仕事サボってる気がして落ち着かない。
というわけで在宅勤務の飲み物は中国茶のウーロン系統とご褒美の紅茶にした。多分コーヒーマシン買えばまた別の話なんだと思う。でも置く場所ないしこれでいい。
私はショッピングモールの中に入っている店のひとつに勤めている。
勤めているといっても1日5、6時間程度しか勤務しないパートだけれど。
大型から地域住民しか来ないような小型まで、いくつかショッピングモールに勤めたことがあるが
大体そういうところの従業員は従業員通用口を通ってバックヤードを通り出退勤しなければならない。
自分の勤めている店の目の前に外へ繋がる出入り口があったとしても。今まさに私はそういう状況。
とはいえ店の商品をのんびり見ながら従業員通用口に向かうのも私は中々好きだった。
化粧品を見ながら帰ったり、贈答用のお菓子を見ながらおいしそうなんて思いながら帰ったり。
しかしここ半月は気が重かった。6月初め頃、もっと前だったかもしれない。母の日が終わったあたりから始まった父の日フェアのせいだ。
私の父は「いい父」だと思う。
よく気が利き、男らしく、力持ちで。
九州男児のような所謂「言わぬが花」のような分かりづらいが気付けばじーんとくるような優しさもある。
こう書くと厳格な父親を想像されてしまうかもしれないが、おどけてみせたり、お茶目な一面もある。
マイルド九州男児?「九州男児」と聞いてイメージするいい所と、現代の若い男性に多い柔らかくて優しいところをどちらも持ち合わせている。
そして背も高く脚が長くて目鼻立ちもはっきりしているし顔もカッコいい。身だしなみのセンスもある。
若くして結婚し、母がすぐに出産。その後から今までずっと家族を責任を持って養っている。
とはいえ、浮気をしたり、多額の借金を作ったりと母にとって「いい夫」であったかは分からないが。
しかし、子供の頃それらのことには気付かなかったし(上記のことは母から聞いたので)
私は兄弟が多く、どちらかといえば貧乏な家庭で育ったが、今日食べるものにも苦労したり
仕事の愚痴を父の口からきいたことはないし、立派な父親だと思う。
渡しに行こうと思えば1時間あれば渡しに行ける距離に住んでいる。
気持ちについては「罪悪感」7割「やってやった」3割といったところだろうか。
3割の「やってやった」についてここまでの父のことを褒めちぎった文章だけだと私は超絶親不孝娘だろう。
虐待というのだろうか。被害はもう私が成人してからの話だから。
実は小学生高学年のあたりから高校生くらいまで兄からも性的な虐待を受けていた。
それが原因となって私は中高生の頃から精神が不安定で、人を心から信頼できず
表面上友人と仲良くすることはできても常に周囲に気を張って生活し、学校に行けば毎朝熱が出た状態で授業を受け
とはいえ、中高生の頃の不安定さについて性虐待が原因だと分かったのはほんのここ数年の話だ。
というより、ここ数年まで自分が性虐待されていたという自覚すらなかった。
それまでは私の個人的な性質や、容姿、性格が暗いから、悪いから、協調性がないから、空気が読めないから、最低な人間だから
そういうのが原因で上手に友人が作れなかったり、本来なら喜ばしいはずの友人付き合いがストレスになるような出来損ないなんだと思っていた。
まあもちろん冷静に考えてそういう原因がゼロではないと言えないのですべてを性虐待のせいにするつもりはないが。
少しでもこういった分野に興味のある人は知っていると思うし、興味があれば調べると思うから
所謂「自己肯定力の低さ」と「性被害」や「虐待」の因果関係については長々とした説明は控える。
私がそういった専門のカウンセラーに言われて一番腑に落ちたことを簡単に説明すると
「性格形成の時期に一番信頼できる身近の存在であるはず(あるべき)家族から酷い扱いを受けたのに外で出会った人間を信頼できるはずがない」
ということらしい。まあ確かに。
大人になった今思うと、家族など偶然で協同生活をしている集団でしかないので
家族なんかよりよっぽど信頼できる存在は外の世界にいるはずなのだが
私は強く家族に執着していたからなおの事家族については「一番信頼できる身近な存在であるべき」だったのだ。
というのも、父と私たち兄弟については生まれた時から親の方針で入信していただけだが。
母は父と結婚のタイミングでその宗教の存在を知り、今では父よりも熱心な信仰者だ。地域の幹部らしい。
「家族は何よりの宝だ」といったような、要は家族を大切にしなさいねというメッセージが
繰り返し、繰り返し出てくる。
特に母親は熱心に宗教活動をしていたため、信仰者の会合に連れていかれたり
母も私が冒頭で書いた文章のように過剰なほど父を褒め、「うちはいい家族だよね」と繰り返す。
今思えばこのとき、父の浮気や借金で苦労し、そう自分に言い聞かせたり子供に悟られない様にしてたためかもしれない。
私は、家族を大切にしなければいけない。家族はなにより大切なものだ。悪く思ってはいけない。そう思っていた。
思っていたというか、そう育った。
それなのに自分は人間としての権利を侵されたこと、そのことに対して怒りや憎しみを覚えることへの罪悪感。怒りや憎しみを抑え込むストレス。
そういったものでどんどんおかしくなっていた。高校生の後半の頃には毎日のように吐いていた。
ただ私は、その時原因が分からないもので学校という環境に自分が適応できないんだと思い大学への進学を希望しなかった。
家庭が貧乏だとか、まあそもそも勉強もそんなに好きじゃないとか色々な理由はあったが
一番は、もう「学校」という場で同年代の人間がたくさんいるところに身を置き、やっていく自信がなかった。
大学で勉強しないと叶えられない夢もあったが、私の夢なんてくだらないものと思ったし、その夢を自分が叶えられる自信もない。
私は幸い就職に力を入れている高校に通っていたので難なく就職できた。
めっちゃくちゃ長くなるので割愛するが、やはり前述した人を信頼できないという部分が大きくストレスになったと思う。
人を信頼できないというのは、具体的に言うと私の場合は
「嫌われているんじゃないか」「使えないやつだと思われている」「いない方がいいと思われている」
と思ってしまう。こういう思いを中学生のころから人と関りを持つたびに感じていた。
学生だったころはまだいいが、仕事となるとこうした不安に支配され
頭が混乱し周囲が気になって仕事に集中できなくなり仕事を続けることが難しくなる。
ちなみに、今でもこれはある。
しかし私はこの時社会生活に適応できず精神を病んだと思っているので、もちろん病院で家庭の話などしない。
この頃は実家暮らしで昼夜逆転生活をしたり、早朝の三時から五時くらいまで近所の公園でぼーっとしたり
突然意味の分からない理由で家族にキレたり、両親に過剰に甘えたり、暴食したり、めちゃくちゃストイックに会社員時代に契約したジムに通ったり
この「過剰に甘えたり」の部分。
リビングで寝転がってテレビを見ている父の隣で寝転んで一緒にテレビを見ている内に寝てしまった。
その時に性的被害を受けた。私が途中で起きたこと、そしてそれを父も気づき何なら乗り気と思いエスカレートした。
成人しているわけだし嫌なら嫌だといえばいいと思う人もいるだろうし、若い女が自分から異性にべたべたするから悪いと思う人もいるかもしれない。
私ですら今でもそう思う時はある。(娘にとって父親は異性ではないのは確かだが)
まあ、この時なぜすぐに拒絶できなかったのかということや、その後の感情については自分でも今明確でないので
悪いのは絶対に100パーセント相手だ。これは私の感情ではなくて事実。
この事実と私の感情はちぐはぐで、だからこその7割の「罪悪感」だ。
体調の問題で一日の勤務時間は制限され、パートという雇用形態だが、何とか社会復帰もできた。
治療については心療内科への通院と、性暴力の被害支援センターでのカウンセリングを受けている。
(ちなみに、初めて病院に行ってから性被害を自覚するまで1年半ほどかかった)
穏やかな日常で少しずつ自分のことを大事に思える様になり始めた。
しかし、母は兄や父の性虐待を知らないし「家族がなによりも大切」「うちっていい家族だよね」と
思っているので、頻繁に交流を求めてくる。
母についてだが、上記のような思想持ち主でヒステリックで自分が一番で負けず嫌い
自分の功績というのは「いい母」であり「いい妻」であったことだ。
口が裂けてもあなたの息子と旦那に性被害に遭いましたなどとは言えない。
私は実家に帰ったり両親と食事をしたりするたびにちぐはぐな気持ちを抱えて家に帰ると何もできない時間がおとずれる。
父の稼ぎや教育で私が育ったのは事実で、今でも車を出してもらったり困った時に父を頼ってしまう自分もいる。
しかしこんなにお世話になっているのに、被害の部分だけで恨むのは都合がいいんじゃないかとか。そういうことだ。
半月 180のほうが 技術論としては ただしく 技術を 表現している。
だが、AKBとの15年 おれはHyper-Thread 90 直行するという表現が1/2である。というほうが 理解しやすい そちらにかける。
水面にフジが写る まぁ 半分ずつ そう考えても良い だが 地面に突き立つフジは 何方の世界でも直角である。 直角こそが 世界を半分にしている そうみえる。
そそりたっているのが、直角だ。
世界に突き立つ それがHyper-Thread 90 世界に直角に突き立っている はんぶんずつ。SKEとはちがう、秋葉原。
だったら、そそり立ってんのが秋葉原
松井玲奈のおどりがあるだろ?
そうだなー せかいだなー っておもうけどよ
なんていったらいいのかな。。。まぁアイドルには無理な絵ってのは あるのはわかる。
そりゃ そういうえになるよな。アイドルだしな。欅坂でもそりゃむずい。
そりゃ バラが2本 うん わかる。
どうしろ・・・ってわけではないんだけど 伝わる この思い とどかなくてもいいけど とどかないほうがいいんだけど・・・わかる?
技術を開示して っていわれて
それは
そそり立ってんのが ないよね
会社がAKB存続の危機ですからって、乃木坂とその会社と一緒に きてもな
TWO ROSEでまちがっていると あなたが感じるものを なんで180じゃだめなの?って言われてもな
社印を各社の 48どころか46までもってこられても
180じゃだめだから 90がいるの
としかいえないだろ?そうすると360度だから半分は180ですって数学をいわれるだろ?
そうするとおじさん バカだから数学よくわからなくてさぁ って いちおう大学出てるけど 数学難しいなって
予算的にはどころかジャニーズの偉い人から挨拶もらっていたしてもだよ
説明をな・・・数学的に 真面目に 熱く語るお姉さんに どうしたらいいか問題(配役 松井玲奈?)
どんどん数学的に正しくなっていって、数学科をうちも呼ぶかどうか
デカパイダーマンは自室で何者かと揉み合いへし合い、まさぐりあったまま地面に落下したと言うのが検死結果だった。
彼女をずりネタにしていた我々ヒーローたちは彼女の死を悼んだ。
50絡みのブロンドの女だった。
近親者には子供もおり、仕事の交流しかなかった我々は彼女の家庭的な面に驚いた。
そのデカパイから繰り出されるビンタや体当たり、色仕掛けはニューヨーク市民の股間を鷲掴みにし、ペプシやホットドックプレスの広告塔も務めて一斉を風靡した。
ファンへのサービスも厚く握手会やデカパイ上映会、ファン感謝祭バスツアーなどサービスも豊富で、言わば80年代を彩るデカパイだったのだ。
葬式に参列したオウルマン、オウルシャッハ、フクロート製薬などのヒーローたちと思い出を語り合ったが、全員がデカパイダーマンは自分に好意があったと言って聞かない。
デカパイから母乳を噴射する「デカパイダービーム・スラッシュ」を何度も浴びてきたミルク臭い仲であるところの我々にも、彼女について去来する様々な思いがあるようだった。
一点気になるのは、高層階からまさぐり合いながら落下した相手が落下後に事件現場から立ち去ったと言うことだ。並の人間にできることではない。