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はてなキーワード: 十三とは

2022-02-01

anond:20220201135029

十三で女奢ってもらって童貞卒業

なんか字で書くとすごいw

飲み会童貞からかわれたので「ど、どどどどど童貞ちゃうわ」と明るく返したら

「あ、なんか……すいません……」と妙な空気になって、

実は近所の塗装屋(バリバリ反社)のお兄ちゃんに15歳の時に十三で女奢ってもらって童貞卒業したんだよね

って言えるような空気じゃなくなってしまった。

コミュニケーションって難しいな。

2022-01-14

「いともたやすく行われる十三歳が生きる為のお仕事」の西野

あやしくね?

モノローグみたいの一切なくて本心でなにを考えてるかあかされない。

いや、メリットなにもないか主人公をだましていい人間のふりをする意味がないっていえばないけど。

2021-12-26

"セックス面における敗北を君は若いから味わってきた。十三から君につきまとってきた欲求不満は、この先も消えない傷跡になるだろう。たとえ君がこの先、何人かの女性関係を持てたとしても――はっきりいってそんなことはないと思うけど――それで満たされることはないだろう。もはや、なにがあっても満たされることはない。君はいつまでも青春時代恋愛を知らない、いってみれば孤児だ。君の傷は今でさえ痛い。痛みはどんどんひどくなる。容赦のない、耐え難い苦しみがついには君の心を一杯にする。君には救済も、解放もない。"

↑これ、俺の人生の要約らしい(殺してくれよもう!!)

2021-12-09

年賀状十三しか書かない。

三月祖父を亡くした。喪中はがきスタバで書いた。有給休暇を取って歯医者に行った直後、色素が付着しそうなコーヒーを飲むのもどうかと思ったが、家では集中できそうになかった。久しぶりのスタバコーヒーはうまかった。

ところで、毎年十三しかはがきを書かないが、知り合いの数がそれだけというわけではない。中学高校の友人からは「返事を出すのが面倒だからライン挨拶してくれ」と言われているので、はがきを出す相手がごくごく限られている。なんとなくはがきじゃないと失礼な気がするサークルの先輩や恩師、メールアドレスラインを知らないため、はがきで年に一度のやり取りを延々と続けている小学校時代の唯一の友人くらいだ。

皆、年賀状を書くことがまれになったからだろう。正月に返事が来ることなどめったにない。三が日を過ぎることもある。近況を尋ね、それに対する返事が返ってくる。行き違いにならないのはいい。

だが、毎年出す十三枚のうち、二枚は返事がない。一人は高校部活の後輩だ。同じ大学に進学したが、校内で会うこともないうちに返事が来なくなった。もう一人は高校の友人だ。以前夜中に電話がかかってきて、「自分難病らしい、死ぬかもしれない」と口にしていた。自分は「そうか」としか言えなかった。二十になったからならないからのことで、うまい知恵などない。具体的な病名も知らせてくれなかった。その後、復学したというはがきが来たが、それ以降音沙汰がない。子どもが死んだら、親というもの子どもの友人に何か通知をするものだろうか。

それとは別に思い出されるのは、自ら死を選んでしまった友人だ。高校卒業して疎遠になってしばらくしたら、別の友人から命を絶ったと聞かされた。彼は遺書を読んだそうだが、自分は見せてくれとは言えなかった。いじめられっ子だった自分は読むのが怖かった。

件の二人だってもう生きていないかもしれない。だが、もしも闘病が続いていたら、はがきが来ないと寂しいだろう。現に、返事が来なかった友人がもう一人いたが、数年後に返事が来て、「精神調子を崩していて不義理をした」とのお詫びが来た。それに先日退院した祖母も、スマホ携帯も使えないから毎週手紙を出したが、具合が悪いと手紙を読むどころではなかったそうだ。伯母も似たような状況にある。

そういうこともあるので、返事を期待せずに毎年はがきを書いている。上に書いたようなことどもで胸を少しざわつかせながら。

その後自分は髪を切った。せっかくの有給なのに結局あわただしく予定をこなしてしまったが、平日のスタバは静かでよかった。

2021-12-08

anond:20211208130706

国民国外犯

第三条 この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国民適用する。

一 第百八条(現住建造物放火)及び第百九条第一項(非現住建造物放火)の罪、これらの規定の例により処断すべき罪並びにこれらの罪の未遂罪

二 第百十九条(現住建造物等浸害)の罪

三 第百五十九条から第百六十一条まで(私文書偽造等、虚偽診断書作成、偽造私文書行使)及び前条第五号に規定する電磁的記録以外の電磁的記録に係る第百六十一条の二の罪

四 第百六十七条(私印偽造及び不正使用等)の罪及び同条第二項の罪の未遂罪

五 第百七十六条から第百八十一条まで(強制わいせつ強制性交等、準強制わいせつ及び準強制性交等、監護者わいせつ及び監護者性交等、未遂罪強制わいせつ等致死傷)及び第百八十四条重婚)の罪

六 第百九十八条贈賄)の罪

七 第百九十九条(殺人)の罪及びその未遂罪

八 第二百四条傷害)及び第二百五条傷害致死)の罪

九 第二百十四条から第二百十六条まで(業務上堕胎及び同致死傷、不同意堕胎不同意堕胎致死傷)の罪

十 第二百十八条保護責任者遺棄等)の罪及び同条の罪に係る第二百十九条(遺棄等致死傷)の罪

十一 第二百二十条逮捕及び監禁)及び第二百二十一条(逮捕等致死傷)の罪

十二 第二百二十四条から第二百二十八条まで(未成年略取及び誘拐営利目的略取及び誘拐、身の代金目的略取等、所在国外移送目的略取及び誘拐人身売買、被略取者等所在国外移送、被略取者引渡し等、未遂罪)の罪

十三 第二百三十条名誉毀損)の罪

十四 第二百三十五条から第二百三十六条まで(窃盗不動産侵奪強盗)、第二百三十八条から第二百四十条まで(事後強盗、昏こん酔強盗強盗致死傷)、第二百四十一条第一項及び第三項(強盗強制性交等及び同致死)並びに第二百四十三条(未遂罪)の罪

十五 第二百四十六条から第二百五十条まで(詐欺電子計算機使用詐欺背任、準詐欺恐喝未遂罪)の罪

十六 第二百五十三条(業務上横領)の罪

十七 第二百五十六条第二項(盗品譲受け等)の罪

国民以外の者の国外犯

第三条の二 この法律は、日本国外において日本国民に対して次に掲げる罪を犯した日本国民以外の者に適用する。

一 第百七十六条から第百八十一条まで(強制わいせつ強制性交等、準強制わいせつ及び準強制性交等、監護者わいせつ及び監護者性交等、未遂罪強制わいせつ等致死傷)の罪

二 第百九十九条(殺人)の罪及びその未遂罪

三 第二百四条傷害)及び第二百五条傷害致死)の罪

四 第二百二十条逮捕及び監禁)及び第二百二十一条(逮捕等致死傷)の罪

五 第二百二十四条から第二百二十八条まで(未成年略取及び誘拐営利目的略取及び誘拐、身の代金目的略取等、所在国外移送目的略取及び誘拐人身売買、被略取者等所在国外移送、被略取者引渡し等、未遂罪)の罪

六 第二百三十六条強盗)、第二百三十八条から第二百四十条まで(事後強盗昏酔強盗強盗致死傷)並びに第二百四十一条第一項及び第三項(強盗強制性交等及び同致死)の罪並びにこれらの罪(同条第一項の罪を除く。)の未遂罪




国外犯罪を犯した国民、あるいは国外国民に対して犯罪を犯した外国人自国法律で裁く規定なんて日本にもあるけど噴き上がってる人たちは知らないのかな

からイラクとかアフガン邦人が殺された事件では一応日本警察捜査してる。実効ゼロからただの形式だけどね。

2021-11-29

16歳まで近所のやくざ屋さんの人と親が親しかった

で、16の大晦日の近所の人を集めた大忘年会(めちゃくちゃウマい軍鶏鍋を食べた)の後、

増田ももう16やろ!女買いに行くで!」

十三風俗店に連れていかれてそこでわけのわからないまま童貞卒業してしまった。

 

今「増田さんって童貞なんですか?www」みたいなトークときに「違うよ」という嘘をつかなくていいのは

全部彼らのおかげなのでとても感謝している。

もし「増田さんって素人童貞なんですか?www」と聞かれたら「そうだよ」と言わなくてはいけないのは

私めの不徳の致すところでございます

2021-11-11

anond:20211111114441

直近でストーリー話題になったというと十三機兵防衛とかちゃうん。

そもそもノベルゲー(アドベンチャー)にはストーリーしかいから「話題になったノベルゲー=ストーリー話題になった」と言えるけど

それ以外のRPGとかで「ストーリー話題になった」作品なんて昔からごくごく一部の超名作しかないやろ。

2021-11-04

人が死ぬ法要連チャンで続いて辛い

通夜告別式初七日四十九日一周忌三回忌→七回忌→十三回忌→… となる。

俺は仏教徒じゃないし、俺のときは何もしなくていいから、参加しなくていいかなぁ。時間も労力も金も飛んでいくよ。

2021-11-03

小説を書いていた俺が面白かった中世ヨーロッパの本を共有する

歴史を学ぶ上での四つの視点

かつて趣味小説を十年近く書いていた者だ。俺も理系だが、理系歴史を学ぶ上で決して弱みではない。むしろ物事を大局的に眺め、出来事意味や結果をロジカルに考えるうえでは助けになるし、論理的文章も得意だろう。なので、自信をもって執筆に向かってほしい。

とはいえ、いきなり中世ヨーロッパ舞台にした小説を書くのは難しい。農民であれ騎士であれ、生活の細部を思い描こうとするだけで筆が止まってしまう。朝起きて顔を洗い、用を足して食事をする、その半時間のことなのに細部がさっぱりわからず、筆が進まない。ありがちな悩みだが、深刻な悩みでもある。

仮に十年前の日本舞台にした小説を書こうとしても、「当時はスマホが既にあったか」「はやっていた音楽は何だったか」「あの事件はもう起きていたか」など、俺たちの記憶は甚だ頼りなく、資料に頼らざるを得なくなる。ましてや、生まれる前の出来事など仮定仮定を重ねた蜃気楼のようで、資料なしでは立ちすくんでしまう。よくわかる。なので、俺が読んで面白かった本を共有したい。

ところで、増田世界史勉強したいと述べているが、どうも「小説を書くための中世ヨーロッパ知識が欲しい」と「知識から漠然世界史について学びたい」が混在しているようだ。ブクマレスを見ると、その両方に対する回答がある。俺は、ひとまず前者について答えたく思う。後者については、中央公論社の「世界歴史シリーズか、講談社の「興亡の世界史」を読んで、そこから気になったキーワードからどんどん広げていくといいと思う。なお、俺は前者しか通読していない。

さて、過去世界を生々しく想像するためには、俺は四つの視点必要だと考えている。数理的視点物質視点、非物質視点それからエピソード視点だ。以下、それぞれについて述べる。各々の視点に応じて、手に取るべき書籍は異なってくる。

さらに、この四つの視点があると、頭の中で歴史知識を整理するのに役に立つ。少なくとも俺にとってははやりやすい。

数理的視点

過去世界は偉大なようだが、人口現代よりも少なく、都市の規模は小さく、穀物工業製品生産量も少ない。そういうわけで、もしもタイムスリップして中世大都市を眺めたとしても、その小ささに俺たちは意外さを覚えるかもしれない。確かに現代にも通用する芸術作品はあるかもしれない。時代は異なるが、ピラミッド紫禁城のような壮大な建物もあるだろう。とはいえ庶民はそんな生活とは無縁であったはずだ。パリ城壁は今や環状線であるが、今のパリ都市圏はそれを越えて広がっている。

さて、小説を書く上ではリアリティ必要になる。それを支えるのが数の感覚だ。例えば、ある国家人口がどれくらいで、即時に動員できる兵士がどれくらいで、都市都市距離がどれくらい離れており、移動速度はどれくらいか集落の規模はどの程度か。船舶で運べる量は。モデルとする時代数字をおおよその知っておくことで、明らかに自然描写は減らせるだろう。このあたりについては「銃、病原菌、鉄」や通史的に世界人口を扱った書籍が助けになると思う。細かいことは気にしなくていい。オーダーが合っている程度で充分だ。数字を確かめるだけなら、ウィキペディアだけでもいい。これは英語版を併用することを薦める。

物質視点

要するに衣食住の細部だ。先ほど騎士農民の一日を想像するのが難しいと述べた理由はこれになる。増田必要としているのはおそらくフランシス・ギースの出しているシリーズだ。都市農村、城の生活が細かく書かれている。

他に、当時栽培されていた植物動物については、「世界史を変えた50の○○」シリーズもいい。ある素材が手に入るか入らないか、あるいは知識の有無だけで国の命運が変わるというのは、たびたび起きてきたことだ。中世ではないが、例えばヒッタイトで鉄の製法が独占されたこと、柑橘類で長期航海の敵、壊血病が防げるとか、そうしたことだ。

また、具体的な書名はいちいち挙げられないが、図版の多い図解○○のようなシリーズも良い。もし、増田視覚的にものを考えるタイプならなおのことだ。慣れていくと建築芸術の○○様式というのが何となくわかるようになってくる。

加えて、児童書も侮っては行けない。専門家が監修した子供向けの本は、えりすぐりの内容を含んでいる。仮に含まれていないとしても、これだけは伝えておきたいという基礎知識は抑えてある。これは立花隆が言っていたことだったと記憶しているが、なじみのない分野を学ぶためには基本的な内容の本を三冊読むといいそうだ。なぜなら、本当に大事なことはその三冊すべてに書かれているからであり、結果的にその分野の基礎を身に着けることができる。

物質視点

これは当時の人間が何を知っており、どんな風に考えていたかを指す。直接は物質として残らない、人の頭の中にあった知識文化にまつわることだ。当時の科学知識価値観法律迷信などもここに含めてよい。

さっき中世人の朝を想像するのが難しいと述べたが、昼以降の社会生活想像するのはこれでさらに難しくなる。

たとえば俺は異世界ファンタジーをあまり読まないのだが、中世には叫喚追跡という風習があった。当時のイングランド自由市民犯罪が生じた場合には、その犯人逮捕処罰する義務を負っていた。隣保組織の長は角笛を吹き、大声で喚声をあげながら犯人を追跡しなければならず、また周囲の住民もその指揮に従って追跡に加わることが義務付けられていた。しかも、この協力を怠った住民に対しては制裁が課せられる。寡聞にして、こういうファンタジー小説は読んだことがない。

ここまではいかないにしても、海外文学を読むとなじみのない、ちょっとしたジェスチャー迷信出会うことがある。欧米だと、指を交差させることで幸運を祈るし、ロシア人は今でも扉越しに握手をすることを嫌う(宇宙ステーションでさえ)。この辺にリアリティは宿る。ジェスチャー関係なら、中世とは少しずれるが「常識世界地図」が面白い。

法に関しては詳しくないがが、習慣や生活については先ほど述べたフランシス・ギースの本が参考になると思う。価値観では「中世の秋」がいいだろう。科学史については、増田理系から「磁力と重力発見」を薦めたい。難易度はかなり高いが、知識いか科学になっていくかを肌で感じられる。

当時の職業に関しては、未読だが「十三世紀のハローワーク」がいいらしい。

キリスト教宗教史に関しては、聖書エピソードの概略や聖人伝を知っているといい。絵画が好きなら名画で学ぶ○○といったシリーズがたくさん出ている。ただし、聖書がわかったからと言ってキリスト教がわかったことにはならないので注意。

エピソード視点

これは著名な人物の伝記に関する話だ。あるいは、当時の人々が親しんでいた物語も含めてもいい。こういう偉人の伝記や小話をたくさん知っていると、歴史好きの物知りとしてマウントを取ることができるが、その出来事世界史上でどのような意味があったかを語れなければ、自己満足で終わり益は少ない。とはいえ、興味深いのは確かで、プロットの参考になるかもしれない。

このあたりの知識のためには、児童書も含めて伝記を読みあさることになる。または、ハプスブルク家歴史だとか、各国史だとかを扱った新書を乱読する。絵画に興味があるなら、これも名画で見る○○のようなシリーズおすすめだ。

当時の人々に身近だっただろう中世騎士物語については、ブルフィンチアーサー王伝説シャルルマーニュ伝説をまとめている。それとは別にマビノギオン」も面白い。とはいえ、いきなり原典に当たる必要はなく、入門書を読めばいい。

ギリシアローマ神話は呉茂一の本が細かいところまで網羅しているし、ホメロスオウィディウス岩波文庫に入っているが、呉茂一の本は初心者には細かすぎるし、原典に当たるのは趣味領域から小説を書くなら入門書で充分だと思う。同様の理由で、「史記」だとか「ローマ帝国興亡史」なども趣味に属する。当時ならではの視点面白いが、鵜呑みにできない誤謬もあるだろう。

かに読んで面白かったもの

もちろん、単純に上記の分類にすべて本が収まるわけではない。大抵の通史・各国史はこれらを兼ね備えている。

以下、何となく面白かったものを思いついたままに書く。「中世ヨーロッパ歴史」「十二世ルネサンス」「ケルトの水脈」「西ヨーロッパ世界形成」(ただしこの本は著名な王の事績ほとんどの載っておらず、当時の価値観や考え方についてのページがほとんどで、そこがアマゾンで叩かれている)。それから、隣人から視点として「「イスラームから見た世界史」「アラブが見た十字軍」など。

書き洩らしているかもしれないが、今のところ思いつくのは以上だ。

他に、中世舞台にした小説映画おすすめだ。難解だが読み応えのあるミステリ薔薇の名前」、SFだが「異星人の郷」がいい。「大聖堂」は未読だ。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリーグレイル」はコメディだが細部の正確さは中世映画随一であるとのこと。毒のある笑いに抵抗がなければおすすめ

増田に注意してほしいこと

中世風の舞台を描くために中世について勉強する。素晴らしいことだ。俺は敬意を表する。それに読んでいるうちにどんどん楽しくなってくるだろう。何かを知る、これは純粋な喜びだ。

だが、小説を書く以上、ある程度は想像力で補わないといけない。ある場面を書く際に必要情報があるとしても、そもそもその資料存在しないかもしれない。研究者でさえわからないことは多い。俺もこれだけ読んできたが、わからないことだらけだ。むしろ、疑問が深まった感さえある。細部も忘れてしまった。増田はぜひ自分で本を買ってメモを取るなり線を引くなりしてほしい。読み飛ばさず、時間を掛ければそれだけ得るものも多いだろう。

もっとも、描写に困った場合は、該当シーンを省いてしまうのも手だ。小川哲がどこかで述べていたが、ある歴史SFを書くときに、細部を省略したシーンがあるという。ストーリーにあまり関わらない部分を省くのは、立派なテクニックだ。読者だって中世建築の細部について延々読まされても困るだろう。

もうひとつ忘れてはいけないのは、増田研究者になろうとしているのではなく、小説を書こうとしている、ということだ。知識目的ではなく、手段だ。これを忘れてしまうと、他人の設定の粗を探したり、中世なのに価値観現代的なのを揶揄し始めたりする。こうなると、物語世界を素直に楽しめなくなる。

大事なのは歴史的正確さよりも、読者を喜ばせることだ。そういう意味では、演出として火薬が出てきたっていい。あるいは、読者が感情移入やすくするように、人を殺してなんぼの武将ではなく、戦争で人を殺すことをためらう武将として、描写する必要がある(ドラマ戦国武将がやたらと戦争を嫌い、優しいのはそのためだ)。異世界ファンタジーの読者が読みたいのは中世ではなく、中世っぽいものだ。そもそも中世ヨーロッパ風なのに唯一神を信じていないファンタジーは多い。

そういう意味では、本を読んでもその知識が直接生きることは少ないかもしれない。くれぐれも、読者に向かって知識をひけらかしてはいけない。あるシーンの正確さのために資料に当たるのはいいが、その成果を延々披露しては読者のストレスになるだけだ。もちろんそういう衒学的な歴史小説もあり、固定ファンはついているが、ネット小説の読者には少ないだろうし、ネット小説の肝であるPVを稼ぐことにはならない。これはいい悪いではなく、ネット書籍媒体の差だと思っている。

また、レッドオーシャン中世ヨーロッパファンタジーに飛び込むのなら、正確さよりも作者の専門知を活かしたものの方が(ブクマで書いている方もいるが)読者の目に留まりそうである。そして、くどいようだが、これだけおすすめの本を書いてきたが、読者が欲しいのは正確な知識ではなく血沸き肉躍る物語である

だが、作者にとっての最大の危険は、どんな物語よりも過去に起きた事実の方が面白いのだと気づいてしまうことだ。この罠にはまると、どんな小説所詮作り事と思われて素直に読めず、何を書いてもむなしくなってしまう。言い換えるなら、創作欲が知識に殺されてしまう。増田には、これに一番気を付けてもらいたい。

それを防ぐには、面白小説を読み、面白ものを書くこと、これに尽きる。先行作品としての中世ファンタジーを愛し、数多く読み、繰り返し読むこと。

知識の増える専門書を読むより、中世ファンタジーの書き方を読むべきだった、と増田がならぬよう、幸運を祈る。

anond:20211031163129

2021-11-02

anond:20211031163129

おすすめ世界史の本教えて」増田だが、思ったより多くの回答をもらえた。ありがとう

興味ある人が多いのか無言ブクマも多いので、自分のためにも興味のある人のためにも、もらったコメントをまとめてみた。

ノンフィクションを具体的に挙げてる回答のみ。重複するものは載せてない。

フィクションを挙げたり、書名や著者名などの具体名は挙げず、こういう本を読むといいのではという、よいサジェスチョンをくれるトラバコメントもあった。ありがとう。参考にさせてもらう。だが今回のリストからは省かせてもらった。

山川出版社『新もういちど読む山川世界史』、世界史Aの教科書

●詳説世界史B(山川出版社

歴史好きならとりあえず読破しておきたい世界史本100(https://anond.hatelabo.jp/20211101232345

山川 詳説世界史図録(山川出版社)、グローバルワイド新世界史図表 五訂版(第一学習社)、最新世界史図説タペストリー帝国書院

●中公の「世界歴史

●超約 ヨーロッパ歴史

創元社戦闘技術歴史』全五巻

中世ヨーロッパ: ファクトフィクション現代知識チートマニュアル

ミシュラングリーンガイド

漫画世界歴史』。どれでもいいけど最近話題なのは角川。

●「なぜ?」がわかる世界史

山川出版社ナビゲーター世界史」。「サピエンス全史」。

サピエンス全史

ガリア戦記

山崎雅弘の「戦史ノートシリーズ

青木裕司世界史B講義の実況中継

大聖堂・製鉄・水車―中世ヨーロッパテクノロジー

●マクニール世界史

阿部謹也堀米庸三伊東俊太郎『十二世ルネサンス』。

宮崎揚弘『ペスト歴史』(山川出版社

●『やんごとなき姫君たちのトイレTOTO出版、『コーヒーが廻り世界史が廻る』中公新書

●『スパイス爆薬医薬品』、『炭素文明論』

●『クロニック世界全史』、角川世界史辞典。『知識ゼロからローマ帝国入門』、『 図説世界歴史』、中公新書物語歴史シリーズ佐藤賢一フランス王朝史『論点西洋史学』。

●『図解 中世生活』(新紀元社)、『中世ヨーロッパ農村生活』(講談社学術文庫)

中野京子の「名画で読み解く」シリーズ

●「世界史講義録」というサイトhttp://timeway.vivian.jp/

●『中世の秋』

書物破壊世界史暴力人類史

●「世界システム論講義」(川北稔 ちくま学芸文庫)、「テクノロジー世界経済史」(カール・B・フレイ 日経BP

ハプスブルク家12物語ハプスブルク家の女たち。「ハプスブルク時代を歌わせてみた」(動画

●銃・病原菌・鉄

山川世界史用語

●河出書房のふくろうの本シリーズ講談社学術文庫の『近代文化史入門 超英文学講義

●『十三世紀のハローワーク

中公文庫の『黒死病ペスト中世史』

岩崎周一「ハプスブルク帝国」

●モンタネッリ。通史なら中公の世界歴史中世の巻(旧版押し)

●「世界史序説 ──アジアから一望する」

●「文明崩壊」

●歴ログ

●「豊かさ」の誕生ウィリアムバーンスタイン

テクノロジー世界経済史

コテラジオ歴史podcast

砂糖世界史

哲学宗教全史

●「税金世界史

家庭教師のトライYouTube動画

●<ゲームから始まる<読書映画リスト>(まとめhttps://anond.hatelabo.jp/20160701063637

●W・H・マクニール『疫病と世界史

●「世界史との対話〜70時間歴史批評

ワイン世界史

ビジュアル版 世界史物語イタリア歴史 (ケンブリッジ世界国史)、イタリア (世界歴史文化)

●『中世シチリア王国

サピエンス全史

●「チョコレート世界史」、「世にも奇妙な人体実験

お菓子でたどるフランス史(岩波ジュニア新書

現時点では以上まで。

anond:20211102112216

NHK決算

提出案件衆結果参結果審議時態度備考
継続日本放送協会平成三十年度財産目録貸借対照表損益計算書資本等変動計算書及びキャッシュ・フロー計算書(内閣提出第200回国会NHK決算)審査未了6/2是認賛成
継続日本放送協会令和元年度財産目録貸借対照表損益計算書資本等変動計算書及びキャッシュ・フロー計算書(内閣提出第203回国会NHK決算)審査未了6/2是認賛成

決議(衆議院)

提出案件衆結果参結果審議時態度備考
11/18気候非常事態宣言決議案(鴨下一郎君外八名[自・立・公・共・維・国]提出第203回国会決議第1号)11/19可決賛成反=各
03/31総務大臣武田良太不信任決議案(安住淳君外四名[立・共・国]提出第204回国会決議第1号)省4/1否決賛成反=自公
06/07ミャンマーにおける軍事クーデター非難し、民主的政治体制の早期回復を求める決議案(逢沢一郎君外五名[自・立・公・共・維・国]提出第204回国会決議第3号)省6/8可決賛成反各
06/15菅内閣不信任決議案(安住淳君外四名[立・共・国]提出第204回国会決議第4号)省6/15否決 賛成反=自公

決議(参議院)

提出案件衆結果参結果審議時態度備考
11/19気候非常事態宣言決議案(中川雅治君外二十二名目・立・公・維・国・共・沖・れ・碧・み]発議第203回国会決議第1号)11/20可決賛成全会一致
06/09世界保健機関(WHO)の台湾への対応に関する決議案(有村治子君外十三名[自・立・公・維・国・共・沖・れ・碧・み]発議第204回国会決議第1号)省6/11可決賛成全会一致
06/10ミャンマーにおける軍事クーデター非難し、民主的政治体制の早期回復を求める決議案(松山政司君外九名[自・立・公・維・ 国・共・沖・れ・碧・み発議第204回国会決議第2号)省6/11可決賛成全会一致
06/14内閣委員長森屋宏君解任決議案(森本真治君外一名[立・共1発議第204回国会決議第3号)省6/15否決賛成反=自公維国み各
06/15議院運営委員長水落敏栄君解任決議案(吉川沙織君外一名「立・共]発議第204回国会決議第4号)省6/16否決賛成反=自公維国各

2021-10-31

anond:20211030231415

私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律

目的

第一条 この法律は、私事性的画像記録の提供等により私生活平穏侵害する行為処罰するとともに、私事性的画像記録に係る情報流通によって名誉又は私生活平穏侵害があった場合における特定電気通信役務提供者の損害賠償責任制限及び発信者情報の開示に関する法律平成十三法律第百三十七号)の特例及び当該提供等による被害者に対する支援体制の整備等について定めることにより、個人名誉及び私生活平穏侵害による被害の発生又はその拡大を防止することを目的とする。

定義

二条 この法律において「私事性的画像記録」とは、次の各号のいずれかに掲げる人の姿態が撮影された画像撮影対象とされた者(以下「撮影対象者」という。)において、撮影をした者、撮影対象者及び撮影対象から提供を受けた者以外の者(次条第一項において「第三者」という。)が閲覧することを認識した上で、任意撮影を承諾し又は撮影をしたものを除く。次項において同じ。)に係る電磁的記録(電子方式磁気方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。同項において同じ。)その他の記録をいう。

一 性交又は性交類似行為に係る人の姿態

二 他人が人の性器等(性器、肛こう門又は乳首をいう。以下この号及び次号において同じ。)を触る行為又は人が他人性器等を触る行為に係る人の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの

三 衣服の全部又は一部を着けない人の姿態であって、殊更に人の性的な部位(性器若しくはその周辺部、臀でん部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの

2 この法律において「私事性的画像記録物」とは、写真、電磁的記録に係る記録媒体その他の物であって、前項各号のいずれかに掲げる人の姿態が撮影された画像を記録したものをいう。

で、「性的」というテクニカルタームポルノを含まないってのはどこの国の法律の話だ?

お前、日本法律文字も読んだことないだろ。

2021-10-27

anond:20211025230448

平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章目的達成のための諸外国活動に対して我が国実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」 112字

2021-10-06

ゲーム趣味が妻と違う

アラフィフ夫婦だが、ともにゲーム好き。ただ、ゲーム趣味が違うなあと思う。最近の例を挙げたい。

(妻がプレイしたゲーム

モンスターハンター:ワールド

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド

Ghost of Tsushima

Demon's Soul

ドラゴンクエスト11

自分プレイしたゲーム

十三騎兵防衛

ペルソナ4、5、ファントムストライカーズ

龍が如くシリーズ

ジャッジアイズ

ウィッチャー3

Cities: Skylines

Tropico5

(二人とも遊んだゲーム

Return of the Obra Dinn

AI: ソムニウム ファイル

Final Fantasy 7 REMAKE

Final Fantasy 15

ドラゴンクエストビルダーズ1、2

なんとなく規則性がありそうなんだが、自分のほうがややオタクっぽいチョイスだという気はする。プレイタイルもかなり違っていて、RPGだと妻はなるべくレベルを上げずに戦術ボスに勝ちたいタイプ自分レベルを上げて余裕をもって勝ちたいタイプ。だから、妻がプレイしているのを後ろでみていると、こういう遊び方もあるんだなあと思ったりする。

2021-10-03

前Qって自分オタク大賞で「まだやってないんだけど、興味があって情報仕入れてた。2019年(を代表する作品)として(タイトルを)挙げるならこれかなと」と評価してた『十三機兵防衛圏』プレイしたの?

Twitter感想とかは言ってないみたいだけど

2021-09-29

anond:20210929013807

から続いてる有名タイトルだけに焦点を当てたら、シリーズ終了だったり方針転換で選択肢が狭まって行くのはそりゃそうだと思う。

増田は、新規の有名タイトル無意識に除外してないか

最近でもアクション性が低くて面白い話題になったソフトはいっぱいあると思う。

例えば、オクトパストラベラーブレイブリーデフォルト、いけにえと雪のセツナ辺りは王道RPGの新定番タイトルって言ってもいいと思う。

読み物メインなら十三機兵防衛圏、グノーシア、バディミッションZERO ESCAPE辺りが新しめかつ話題になった。

海外タイトルをふくめるなら、

アンダーテイル、Detroit Become Humanリーガルダンジョンシヴィライゼーションとか。

あと、どの程度の苦手度合いかは分からないけど、ストーリーが売りだけどアクション性もあるようなゲーム増田みたいな人を見越してボタン連打でもクリアできるようになるモードとかも用意してあるから、調べてみるといいと思う。

ハナから諦めるには勿体ないストーリー面白いゲームも沢山あるから

2021-09-05

パワハラ道徳

日本組織パワハラが増えるのは、会社家族になっててそれを隠すからだと思う。

孔子論語 子路十三の十八 父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す、直きこと其の内に在り | ちょんまげ英語日誌

https://blog.mage8.com/rongo-13-18

2021-08-28

アイアンリーガーに騙された -3-

2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)のつづき

意志を持つということ

アイアンリーガー』は、基本的には優しい物語だ。彼らの努力や苦闘は最終的には報われ、そして(恐らく)最後ハッピーエンドを迎えるだろう。(迎えますよね?)

 しかし、物語ロボットたちが直面する苦難は、決して甘いものではない。先述したロボットとしての宿命はもちろんのこと、彼らが心を持つモノであるが故の葛藤は非常に厳しいものだ。そして彼らの葛藤を通して僕たちに投げかけられている問いも、また厳しい。

 彼らは意志を持つモノだ。意志を持つからこそ、自らの宿命を乗り越える余地がある。しかし一方で、意志は必ずしも良いものとは限らない。あるいは、仮に良いものであったとしても、それが良い方向に働くとは限らない。一つの意志は、別の意志を阻害する可能性を持っている。あるいは、意志もまた一つの「制約」になりうる。トップジョイと彼を取り巻くシルバーキャッスル葛藤は、その象徴的な物語だ。

 トップジョイスパイ行為がまだ明るみになっていなかった時点で、トップジョイシルバーキャッスルは相容れない様相を見せていた。ラフプレーをするトップジョイを、シルバーキャッスルは認められないのだ。

 それまで、シルバーキャッスルメンバートップジョイを温かく受け入れていた。そしてトップジョイ自身も、スパイという立場でありながら、シルバーキャッスル好意を抱いていたに違いない。それにも関わらず、ラフプレーを繰り返すトップジョイに、シルバーキャッスルは厳しい態度を取った。

 ラフプレーは、トップジョイスパイ行為としてのものではなく、真にトップジョイが良かれと思ってした行為だった。それでも彼らはそれを認められなかった。試合決勝点となるオウンゴールを決められてしまった時でさえ「笑って済ませた」彼らが、である。彼らは結果として、トップジョイを追いやったダークのバスケットチームと同じことを、トップジョイに宣告する。

 それは、シルバーキャッスルの「意志」と、トップジョイの「意志」が対立した結果だ。

 フェアプレーを貫く。それがシルバーキャッスル意志であり、同時に、シルバーキャッスルシルバーキャッスルである理由だ。もしトップジョイラフプレーを受け入れてしまえば、シルバーキャッスルとしてある意味がなくなってしまう。特定目的(つまり意志)を持った集団は、その目的意志に反するモノを本質的に受け入れられない。たとえそれが悪意でなかったとしても、そして、「あなたが好き」であったとしてもだ。

 そしてトップジョイスパイ行為が明かされた時、シルバーキャッスルは、彼に手を差し伸べることができなかった。

 シルバーキャッスルリーガーたちは、皆善性の象徴のような存在として描かれている。それまでの話を通して、彼らの正々堂々を尊ぶ精神や、仲間を思う優しさ、苦難を乗り越える強さは、繰り返し描かれていた。その彼らが、目の前で苦しんでいるトップジョイを、仲間として助けることを一度は拒絶したのである

 そこで提示されたのは、彼らが、彼らの持つその善性故に救えないモノがあるという事実だった。

 仲間を傷つけかねない状況を作ったトップジョイを、彼らは許すことはできない。仲間を、大切なものを守りたいからこそ、それを裏切ったトップジョイを許すことはできない。彼らは自らの意志で彼を拒絶することを選んだ。それは決して悪意ではなく、誰かから強制されたものでもない。

 トップジョイの背景を知っている僕たちは、その光景に胸を痛める。しかしその光景は、僕たちに一つの事実を突きつける。僕たちもまた、トップジョイを受け入れられないかもしれないという可能性を持っているということだ。あのシルバーキャッスルでさえ、彼を受け入れられなかったのだから

アイアンリーガー』は、シルバーキャッスルリーガーたちを聖人にはしない。彼らもまた迷い、限界を持つ、あくまで僕たちと地続きの存在として描く。それ故に、シルバーキャッスルの姿は僕たちの一つの側面である。時に悪意のないものを悪とし、集団から排除する冷酷さを、僕たちは抱えている。

 シルバーキャッスルの「シルバーキャッスルを守りたい」という意志は、トップジョイの「ここにいたい」という意志を阻むものだった。それは同時に、トップジョイが好きだという、シルバーキャッスル自身意志をも阻んでいる。「意志を持つ」こと、そしてそれを貫くということの逃れ得ない宿業を、『アイアンリーガー』は真正から描き出す。

 しかし、それでもなお、『アイアンリーガー』は希望提示する。トップジョイは自らの意志でダークの呪縛を断ち切り、シルバーキャッスルメンバーもまた、彼を許し、受け入れる。

 トップジョイもまた、自らの意志が自らの制約となっていたキャラクターだった。過去に観客を沸かせて得た喜びと、それに基づく「あの場所に帰りたい」という意志は、新たに生まれた「シルバーキャッスルにいたい」という意志最後まで阻み続けた。第八話から続いた、シルバーキャッスル子どもたちと心を通わせながら、ダークのスパイであり続けるという彼の矛盾した行動は、その葛藤の現れだったのかもしれない。

 しか最後トップジョイは自らの中にあった意志相克を決着させた。本当に自分にとって大切なものは何かを、自分意志で決めた。そして、たとえそれがシルバーキャッスルに受け入れられなかったとしても、ダークにも、そしてシルバーキャッスルにも、どこにも自分の居場所がなくなるとしても、それでも「守りたい」という意志を貫いた。外面的な制約も内面的な制約も乗り越えて、トップジョイ意志を固め、それを全うした。

 シルバーキャッスルも、そんなトップジョイを受け入れることを選んだ。それは、トップジョイシルバーキャッスルに受け入れられるようになったから、というだけではない。許すという行為簡単なことではなく、受動的な行為でもない。彼ら自身トップジョイの行動と意志を見て、彼ら自身意志で、彼を許すと決めた。彼を再び仲間として迎え入れることを選んだ。「トップジョイと一緒にいたい」という意志を貫くことを決めたのだ。

アイアンリーガー』で描かれているのは、人間に操られる可哀想ロボットたちの悲劇ではない。第十三話の最後、仲間に囲まれトップジョイの絵に描かれているのは、与えられた場所で、与えられた形で生きざるを得ない「意志を持つモノ」ーーそしてそれと地続きにある僕たちーーが、その意志故に苦しみながらも、最後に至った希望の姿だ。意志を持つモノは、僕たちは、内にそれ故の冷酷さを抱えたままで、それでも誰かに優しくなることができる。過去呪縛を振り切り、過ちを許し、弱さを乗り越え、そして、自由になることができる。『アイアンリーガー』は、意志を持つということの宿業に向かい合いながら、それでもその先にある希望を見つめている。

その旅路の果てに

アイアンリーガー』という作品を、あえて外形的な説明を諦めて一文で表すとしたらーー月並み申し訳ないが、「意志を持つモノが思う通りに生きるために戦う物語」とでも言うのだろうか。

 ロボットという存在が、人間隠喩としての機能を持っていると既に述べたが、それは作中で描かれているスポーツにしても言えることだ。確かにアイアンリーガー』でロボットたちはスポーツをしているが、作中ではどうにもスポーツに対する拘りが見えない。グローブをはめてサッカーフィールドに出るわ、サッカーチームが野球試合に出るわ(おまけに「野球なんて簡単よ」という暴言まで吐く)、剣の道はバッターボックスにあるわ、スポーツをしている人間が怒り出しそうなほどのいい加減さが、『アイアンリーガー』にはある。

 結局のところ、スポーツもまた、一つの隠喩象徴に過ぎないのだろう。大切なのは彼らが「思う通りにやりたいことをやる」ことであり、その場がたまたまスポーツだっただけだ。乱暴に言えば、別にクラシックが持て囃される世界ロックを奏でる物語でも、新古典主義に対抗する印象派という物語でも良かったということである。もしかしたら『アイアンリーガー』の世界のどこか別の場所では、やはりロボットたちがそんな戦いを繰り広げているかもしれない。いずれにしても、それがどんな場所であれ、大切なのは彼らが「思う通りに生きる」ということである

アイアンリーガー』の中で、ロボットたちは「人」と呼ばれる。『アイアンリーガー』では、人間ロボットも、同じ意志感情や心を持つモノとして、同じように「人」と呼ばれているのだろう。ロボットたちは「人」として、「人」故の葛藤に苦しみながら、自らの意志で、為したいこと為したいように為す。それはシルバーキャッスルロボットであろうと、ヒール側のダークに所属するロボットであろうと同じである。誰が何と言おうとも、それが望まれものでなくても、それが好きで、ここが好きで、ここにいたいから、だから、戦う。世界と、そして、自分と。

 マッハウインディはダークの支配を、ブルアーマーは生まれながらに課せられたバグ過去を、極十郎太は剣士としてのプライド固定観念を、キアイリュウケン自分に与えられた役割機能を、トップジョイは与えられた心の特性と思い出という呪縛を乗り越えた。

 S-XXXは、その可能性を垣間見せつつも、乗り越えるところまで行き着くことができなかった。悲劇ではあるが、それもまた戦いの一つの結末である

 そして、マグナムエースは、GZはーーそれはきっと、これから描かれていくのだろう。彼らの物語は始まったばかりだ。

 そういうわけで、冒頭に戻る。「ロボットスポーツをするアニメ」では『アイアンリーガー』の何たるかは一ミリも伝わらないし、しかもこのアニメ子ども向けでもない。いや、もちろん子どもも観れる内容であるし、ぜひ見てほしいアニメであるが、しかし、この物語に真に共感するのは、社会の中で何らかの役割立場を与えられて生きづらさを感じている大人の方ではないかと思う(無論、子ども子どもで様々な制約の中で生きているのであるが)。覚悟もなく軽い気持ちで見始めた人間が、何もかもが詐欺だと喚き散らすのも許してほしい。心の遣り場がないのである

 覚悟ーーもちろん『アイアンリーガー』というエンターテイメント作品を楽しむのに覚悟などというもの不要な訳だが、しかし、彼らの生き様に心を震わせられる僕たちは、ロボットたちの姿に、一つの覚悟を問われているような気がしてならない。

「正直に生きろ」マグナムエース第一話でそう言った。

 意志を持つということ、意志を貫くということは、痛みや葛藤と隣り合わせだ。しかしその道の先に、意志を持つモノだけが見ることのできる世界が広がっている。僕たちを雁字搦めにする世界のあらゆる制約の中で、それでも、僕たちが「意志を持つモノ」として生きていくことへの厳しくも温かい声援が、僕が第十三話の時点で『アイアンリーガー』に見た、僕の指針としてのテーマだ。

アイアンリーガー』は三十年近く前の作品だが、未だ色褪せることのない魅力と、令和の時代にもなお僕たちが向き合い続けている命題を宿している。この時代にこの作品出会えた幸運に思いを致し、僕にその切っ掛けを与えてくれた先達たちに心より感謝を申し上げる。

 そして、彼らの旅路の果てを、遅まきながら見届けたいと願う。

 おわり

※本筋とまったく関係がないのでここに書くが、そもそもとして、作品テーマというものは、作者が自分表現したいものを「表現するための」指針の一つであり、そして作品受け手の側に立てば、受け手が自らのフィルタを通して、ある種「勝手に」見出した「何か」、あるいは作品を「受け取るための」指針であると僕は考えている。そして、作品というものが、作者の発信と受け手の受信の双方によって初めて成立するものである以上、作者の意図するテーマ受け手の受け取ったテーマが異なっていたとしても(あるいは、作者がテーマを全く設定していなかったとしても)、そのどちらかが正しいということはあり得ない。(曲解を元に作品や作者を誹謗中傷するのなら、それは作品テーマ解釈とは別問題である。)作品に「真のテーマ」などというもの存在しないし、作者が作品テーマを込めようと込めまいと、そして受け取り手テーマを見出そうと見出すまいと、それは作品本質には何ら関係がないのである

アイアンリーガーに騙された -2-

1(https://anond.hatelabo.jp/20210828215226)のつづき

プログラムされた意思

 第九話では、トップジョイの正体と過去が明らかにされる。もともとダークスポーツ財団で「作られた」トップジョイは、ショックサーキットという枷を掛けられ、スパイ行為を「ほとんど」強制されていた。これまで意思を持ち、それを自由行使できると思われていたロボットが、実はそうではなかったということが、ここで明らかになる。

 もちろん、ショックサーキット自体第一話の時点でマッハウインディに埋め込まれた形で登場している。ダークスポーツ財団ロボットたちに背反を許さないようにし、彼らの自由を奪っている事実は、物語の冒頭から提示されていた。

 だが第九話から続くトップジョイ物語は、マッハウインディがショックサーキットに苦しみ、そして克服した第一話・第二話とは少し様子が異なる。マッハウインディが自らダークの元を去り、早々にショックサーキットを切除して完全にダークとの絆を絶ったのに対し、トップジョイはそこから十三話まで、「自らの意思で」ダークとの関係を持ち続けているのである

 トップジョイが――シルバーキャッスル好意を抱き、マグナムエースから手を差し伸べられていたにも関わらず――なぜ十三話までダークとの縁を切らなかったのかについては、明確な描写がなく、少々解釈が難しい。ここから先は憶測比重が非常に大きくなるので、ご容赦いただきたい。

 第九話で、トップジョイはフェアプレーを重んじるシルバーキャッスル、及びそれに共感する子どもたちを「理解できない」と言った。「ラフプレーをすれば客は喜ぶ」「客を喜ばせるのがアイアンリーガー」だと。

 これは、シルバーキャッスルを内部から撹乱するというスパイ行為による言葉ではない。トップジョイ本心だ。彼は本心ラフプレーを正しい行為と捉えているのである。同じ本心で、第八話でキアイリュウケンオーナーの絆に涙し、子どもたちと純粋交流を楽しんでいる一方で。

 同時に、九話ではトップジョイ過去と思いが垣間見える。「楽しむ」ことを大切にした結果、バスケットチームから放逐された過去。それでも忘れられない、バスケットリーガである自分に向けられた観客の歓声。あの場所に戻りたいという思いが、トップジョイ根底にある。

 彼がぎりぎりまでダークとの絆を絶てないでいたのには、この思いが大きいのではないだろうか。トップジョイがダークに従っているのは、ショックサーキットけが理由ではない。もっと根底の、自分存在のものに関わる意思ーーあるいは、心ーーである

 これは完全に僕の推測であるが、第八話で示唆された「ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される」という事実を踏まえると、トップジョイのこの「意思(心)」もまた、ある程度製造者によってプログラムされたものではないだろうか。

 作中で、ロボット意思思考、心が人間プログラムされたものだという直接的な言及は(現状)ない。だが彼らが「注文に応じて製造される商品」としての一面を持つ以上、ロボット人間赤ん坊と同じようにまっさら状態で納品されるとは思えない。彼らは製造された時点である程度の機体性能、そして知能と知識を有し、そこには人間意向が相当程度反映されていると考えるのが自然である

トップジョイ」という名前であるがーー彼らがある程度完成された状態で世に出るとしたら、彼らの名前は、その機能・性能にちなんだものであるのだろう(もちろんまったく関係のない場合もあるかもしれないが)。ロボット機能・性能は、つまり製造者が彼らに込めた役割と期待である。「ジョイ」つまり「喜び」。彼は、人に「喜び」をもたらす存在としての役割を期待されたのではないか。故に、ああいった明るい性格に設定され、他者の喜びを自分の喜びとするような性格プログラムされたのではないか。そして、そのプログラムされた心でラフプレーに喜ぶ観客たちを見て、それを自分の喜びとして、そして正しいこととして学習したのではないだろうか。

製造された時点でラフプレーを正しい行為としてインプットされていた可能性もあるが、第九話のトップジョイの「教わった」という言い振り的に、その可能性は薄そうである。)

 だが、その期待は裏目に出た。明るく楽しくを第一義とする性格チームメイトの反感を買い、彼は本来活躍するはずだったバスケットコートに立つことができなくなった。その後、シルバーキャッスルにおいてはーー彼自身純粋から本来スパイという立場を越えて、彼らに好意を抱いているにも関わらずーー逆にラフプレーを許すことができないシルバーキャッスルの皆の心を理解できず、孤立してしまう。

 そして、ダークから虐待を受けても、マグナムエースたちから手を差し伸べられても、本当に自分が望むことに気づきかけても、プログラムされた心で過去に学び、感じた喜びを忘れることができず、ダークとの繋がりを断つことができなかったのではないか

 人間の都合によってプログラムされた「心」によって、トップジョイは傷つき続けていたのではないか

 人間と全く同じように喜び、悲しみ、悩み、傷つく「心」を、人間の都合によって作り出すというこの世界の不気味さが、トップジョイによって突きつけられる。

 そして、第十一話でのS-XXXの結末が、それを決定的にする。

 S-XXXはこれまでのロボットたちとは違い、意思感情の乏しい存在として描かれる。それは本来、僕たちが「ロボット」と聞いて思い浮かべるイメージに近い。

 S-XXXはテンプレート的な「ロボット」として、命令だけを忠実に実行し、サッカーフィールドで「戦争」を繰り広げた。そして最後は、マグナムエースによって破壊される。

 第十一話では、これまでよりも明確にロボットが「商品であることが語られる。S-XXXはアイアンソルジャーという「商品」として、敵を殲滅する者としての役割として与えられ、その破壊力を期待され、品定めされる。彼のロボット然とした意思感情の薄さは、兵士として忠実に命令を実行することを求められ、そうプログラムされた結果なのではないだろうか。

 しかし一方で、S-XXXは「敵を倒す」という目的に対し非合理的シルバーキャッスルの行動に困惑し、動揺する。そして、マグナムエースの「新しい道」という言葉に、ほんの一瞬であるが、本来あるはずのなかった「迷い」を見せた。

 S-XXXにも、心は存在した。

 なぜS-XXXの製造者が「兵器であるロボット「心」が生まれるような知能を搭載したのか、その理由はよく分からない。スポーツ選手であるアイアンリーガーであれば、人間がある種のカタルシスを得るための機能として、人間と同じような心や感情を搭載する理由もある程度理解できるが、迷いが命取りとなる戦場に送り込む兵器に、それは不要のはずである

 もしかしたら「心」というものは、それは製造者意図的ものではなく、自分学習し、アップデートしていくことができるほど高度な知能には、逃れられない副産物なのかもしれない。

 いずれにしても、例え人間ほとんどをプログラムされたものであったとしても、兵器であったS-XXXにさえ、心は存在した。そして僅かに、けれど確かに「新しい道」へと進む可能性があった。

 にも関わらず、第十一話の商人たちは、彼を徹底的に「商品」として扱った。そしてS-XXX自身も、「戦場でない場所には存在不可能」と語っている。

 ロボットは、人間によって役割定義されている。そしてその役割を果たせなければ、彼らは自らの存在意義すら失いかねないのである

 この『アイアンリーガー』の世界に横たわる現実を受け止めるのに、相当な時間を要した。いや、実際まだ受け止められてはいないのかもしれない。人間は自らの都合によって、自分たちとほとんど変わらない心や感情を持つロボット役割という枠に押し込めて生み出し、その存在をも人間の都合によって左右する。この神の模倣とも思える傲慢さに、幾たび怨嗟を吐いたかしれない。

 一方で、自らの意志で生き、誇りを持って戦っているロボットたちを哀れみ、同情を寄せるようなことは、彼らに対する侮辱ではないかという思いもずっとあった。

 僕の心は千々に乱れ、分裂し、二転三転し、自己矛盾に苦しむ日々が続いた。「ロボットスポーツをする子ども向けのアニメ」を観てそんな感情に取り憑かれるなど、一体誰が予想できよう。

 しかし、である。一通り憎悪煩悶に身を投じた後に、ふと気づいたことがある。

 ロボットたちが置かれた現実は、結局、僕たちの生きる現実と同じなのではないか、と。

人間ロボットロボット人間

 僕が七転八倒している時、僕に『アイアンリーガー』を教えてくれた先達は、一つの問いを僕に投げかけた。「ならば、アイアンリーガーはどうなったら幸せなのか」と。

 頭を殴られたような衝撃を受けたせいで、僕がその時どのように答えたのか、正確には記憶していない。「彼らが、やりたいことをやりたいようにやれる」のようなことを言ったような気がする。

 月並み言葉を振り絞りながら、僕はぼんやりと「どこかで聞いたような話だな」と思った。よくある話。人間幸せを語るときに、よく言われるような言葉だと。

 そして、僕の思考は再び振り出しへと戻った。『アイアンリーガー』に最初に感じた、違和感にも似て、それでいて温かかった感覚人間ロボットが、同じ意志や心や感情を持つ存在として、同じように生きている世界

 第一話でマッハウインディはこう言った。俺たちロボットも「人間と同じなんだよ」と。

 それはつまり人間もまたロボットと同じであることを意味する。

 この国で生まれれば(その実態はどうあれ)、僕たちは一応、自由意志(ここでは各種の哲学定義無視して、単に「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択自発的に決定しうる意志」という意味で用いる。)を認められた存在である

 しかし、完全に自由人間など存在しない。人間もまた、さまざまな制約の中で生きている。親、夫、妻、上司、部下、教師学生、老人、若者、友人……そういった役割立場を与えられ、家庭環境ジェンダー経済力文化時代価値観……そんなあらゆる枠に押し込められながら、社会の中での「あるべき姿」「あるべき意志」を定義され、それに応える「社会人」に育てられてゆく。それは、人間、あるいは「社会」の要請意思や心をプログラムされるロボットと、実はそう大差ないのではないか(語弊を恐れずに言えば、教育とは一種プログラミングである)。

 真に自分の望むように生きている人間などほとんどいない。皆、社会の中で折り合いをつけながら成長し、社会の中で生きている。そして、労働市場の中で自らの価値を計られ、自己存在意義を証明し続けることを要求される。

(そうあるべき、と思っているのではない。ただ事実として、それが資本主義社会の一側面であることは否定できないとも僕は考えている。)

 その姿は、役割を与えられ、商品として売買されるロボットに重なる。

 もちろん、『アイアンリーガー』においてロボットたちが置かれている状況は、僕たち人間より深刻だ。彼らは自らの存在の前提として役割がある。役割がなければ彼らは存在し得ないし、その役割への期待に基づいてプログラムされた意志や心の拘束度は、人間のそれよりも遥かに強い。

 しかし、あらゆる寓話がそうであるように、度合いが強いからといって、それが全く違うということにはならない。制約の中で、それでもなお自らの意志を貫き通そうとするロボットたちの姿に、僕たちは僕たちの姿を見るのである

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがきに書いてあったことだが、アンガス・テイラーという人は、フィリップ・K・ディックの書くアンドロイドについて(「機械的な行動パターンに侵された」、あるいは「内面的に阻害された」)人間隠喩象徴であると述べたそうだ。そして訳者浅倉久志氏は、この作品の中に「人間とは何か?」というテーマに取り組んだとしている。『アイアンリーガー』も、それと似たような物語ではないかと、僕は思う。つまり、『アイアンリーガー』に登場するロボットたちもまた、僕たち「意志を持つモノ」、つまり人間隠喩であり、『アイアンリーガー』は、「意志あるモノが自由を手に入れる」物語ではないかと。

 こんなことを考えているうちに、僕は『BEASTARS』のことを思い出した。『BEASTARS』の登場「動物」も、姿形は動物のそれであるが、やはり人間と同じような意思感情を持つ。彼らを通して描かれているのは、そういった心を持つモノたちのドラマだ。人間と同じ意思感情を持つモノたちが、しかし肉食・草食動物それぞれの身体特性、言い換えれば宿命という強制と制約を背負いながら、学校という一つの閉鎖社会の中で苦悩し、ぶつかり合い、時には折り合いをつけながら生きていく。負った宿命の中身や程度は違えど、そこに描かれているのは紛れもなく心を持つモノーーつまり僕たちの物語である

 と、このような書き方をしたが、あくまでこれは『アイアンリーガー』(や『BEASTARS』)という作品に僕たちが心を動かされる「絡繰」、結果論をそれっぽく言い募っているだけである。『アイアンリーガー』は(恐らく)寓話ではないし、アニメスタッフが彼らロボット人間象徴、あるいはその苦悩の投影先として選んだ、というのも(なんとなくだが)違うような気がする。正直、単にロボットが好きなだけな気がしてならない。

 これについては、象徴隠喩というよりも、同じく『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがき引用されていた、次のような表現が相応しいように思う。(原典に当たっておらず申し訳ない。)

ディックにおいて、人間アンドロイド生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。(中略)ディックは、『アンドロイド』と『人間』の形式上区別には関心がない。(中略)ディック世界では、そもそも人間機械自然と人工といった単純な二分律は棄却されている」(『銀星倶楽部12 後藤将之氏「フィリップ・K・ディック社会思想」)

アイアンリーガー』に描かれているロボットたちの生き様を語るのに、彼らが生み出された経緯や理由に潜む人間の驕慢さなどは、意味をなさない。彼らの前で、人間自分たちと同じ心を持つモノを恣意的に生み出すという行為の是非を問うことは無意味であるいかに彼らのルーツに薄ら寒い人間欲望が渦巻き、彼らの意志人間によって指向性を持たされているとしても、それは彼らが「その」自らの意志決断し、戦い、生きてゆく征途の輝きを何ら曇らせるものではない。

 彼らは、ロボットとしての宿命を背負う自らの存在を呪うことはない。背負った宿命の中で、心を持つ故に葛藤に苛まれながらも、心を持つ故に抱いた意志で、自らの宿命を乗り越え、未来を切り開いていく。フェアプレーをしたい。スポーツをしたい。道を極めたい。この場所にいたい。君と一緒にいたい。たとえ世界がそれを許さなくとも、世界がそれを笑おうとも、自らの意志で在りたいように在る。その姿は僕たちと地続きのものだ。彼らはロボットであるから尊いのではない。僕らと同じであるから、眩しいのである

3(https://anond.hatelabo.jp/20210828220439)につづく

アイアンリーガーに騙された -1-

注 この文章は『疾風!アイアンリーガー』を第十三話まで鑑賞した人間が書いています

撒き餌に釣られた者の末路

 とんだ詐欺もあったものである

アイアンリーガー』というアニメを知る人ならば、この「初見人」の慟哭意図を察してくれるに違いない。

 これを呟いたのが、学生生活記憶もとうに色褪せ、メディアを賑わせる人々が自分よりはるか若いことに日々愕然とするようになった齢の人間であり、かつ令和の時代に『アイアンリーガー』というアニメを初めて目の当たりにし、そして今こんな文章を書くに至っているという事実を踏まえれば、なおさら

 何が詐欺か。何もかもである

 多少の表現の違いこそあれ、アイアンリーガーというアニメは「ロボットスポーツをする子ども向け熱血(スポ魂)アニメ」というような説明をされる。

 おそらく、それは間違いではない。間違いではないが――世に溢れる詭弁の数々が皆そうであるようにーー嘘を言っていないことと、それが真実であることは必ずしも一致しない。

 はじめに断っておくが、僕は別にアイアンリーガーというアニメについて「実はこういう真のテーマが隠されている」などと声高に主張する気は全くない。

現実世界に『テーマ』などないように、映画はそこに、ある物語にそった映像を映し出しているだけです。」と、かの伊藤計劃氏も述べているし(伊藤計劃:第弐位相「自腹は神様ではない」https://projectitoh.hatenadiary.org/entry/20060211/p1)、それはアニメも同じであろう※。僕がここに書き散らしているのは、アイアンリーガーというアニメ勝手情緒を乱された人間のお門違いの怨念に過ぎない。諸賢におかれては、どうか哀れみの心で受け止めて(あるいはスルーして)いただければ幸いである。

 話が逸れた。『アイアンリーガー』についてである

ロボットスポーツをする」。何ら間違ってはいない。この物語主人公ロボットであり、「アイアンリーガー」とはロボットスポーツ選手のことである。彼らはスタジアム(他の場所のこともあるが)でスポーツ試合をし、勝利を目指しながら、物語は進んでいく。

 だが、少なくとも十三話までを観て、それはこの作品本質ではないと僕は思っている。(ちなみに、なぜ十三話という中途半端な時点でこんなものを書いているのかと言うと、YouTubeでの無料配信十三話で終わったかである。)

心を持つ工業製品

 作中のロボットたちは、確かにロボットである。彼らはバッテリーで動き、金属身体にはギアが埋め込まれコードが張り巡らされている。外側は一応人間の姿形をベースデザインされているが、人間そっくりアンドロイドではなく、ひと目見て「ロボット」と分かる。大きさも、人間比較すると(その可愛らしい見た目とのギャップ唖然とするほど)かなり、でかい

 それでありながら、彼らには意思感情がある。人間と同じように傷ついたり喜んだりし、迷い、成長し、心を通わせる。彼らの持つ「心」は、ほとんど人間と変わりがない。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、限りなく人間に近い意思を持つアンドロイド人間の、それでも厳然と残っている(とされている)「共感力の有無」という差異も、『アイアンリーガー』では存在しない。

 そんなロボットたちが存在する世界の側も、彼らをほとんど人間と変わりのないモノとして扱っている。アイアンリーガーロボットでありながら、チームと「契約関係にあり、チームの所有物ではない。チームから脱退することも(少なくとも建前上は)、第一話でマッハウインディたちがそうしたように、契約が許す限りにおいては可能なのだアイアンリーガー金も稼ぐし、転職もするし、山にも帰る。

 そうしたロボットロボットを取り巻く世界の在り方は、作品内で自明の理とされている。それについて何ら特別説明をされることもないまま、当然のごとく物語は進む。ロボットたちはガショガショと金属音を立てて歩き、「オイルを飲んだり燃料を食ったり」しながら、人間と全く同一のレイヤーで生き、スポーツをする。

 そして、人間人間関係性の中で生まれる、いわゆる「人間ドラマ」を繰り広げている。

 そのあまりギャップ作品に可笑しみをもたらし、人間とそれ以外のモノがボーダーレス意思疎通しながら共存する世界観は、絵本おとぎ話のような「子ども向け」の空気を感じさせる。

 僕はいわゆる「ロボットアニメ」をこれまでほとんど観たことがないので、そうした世界観が『アイアンリーガー特有のものなのか、この手のロボットアニメではよくあることなのかは分からない。

 だがいずれにしても、この奇妙なまでの人間ロボットボーダーレス世界観こそが、『アイアンリーガー』という作品の(はまる場所、という意味での)「深み」である

アイアンリーガー』における人間ロボット関係性は、もはや「共生」というレベルを超えている。人間ロボットの違いはもはや生命の有る無し「程度」にしかなく、作中でも殊更に「人間ロボットの」違い(と共通点)や、その関係性に焦点を当てることは(少なくとも十三話の時点では)ない。

 もちろん、『アイアンリーガー』の世界には人間もいるので、人間ロボット交流も描かれる。第八話のキアイリュウケンオーナーの話などは、それがメインテーマだ。

 だが、そこで描かれているのは「人間ロボットの」交流ではない。あくまで「同じように意思(心)を持つもの同士」としての、オーナーとキアイリュウケン交流、つまり個人個人交流だ。

 人間ならではの心、ロボットならではの心、という概念は『アイアンリーガー』にはない。『アイアンリーガー』は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のように、アンドロイドロボットと似た存在と考えてよかろう)と人間の間で登場人物が苦悩する物語ではない。あるいは『ターミネーター2』のように、本来自分意思感情のない「はずの」ロボットが、人間との交流の中でそれらを獲得していく、という物語でもない。『アイアンリーガー』では、人間ロボット交流も、ロボット同士の交流も、人間同士の交流も、全く同じものであり、それが世界の前提なのである

 しかし一方で、人間と全く同じ「心」を持つロボットは、人間に「発注」され「納品」され――そして恐らく「売買」される存在であるということが、ブルアーマーの過去が明らかになる第三話、そして(よりにもよって)キアイリュウケンオーナーの絆を描いた第八話で明言されている。

 第三話では、なぜブルアーマーのバグを直さなかったのかという問いに対し「バグを直すよりも新しいリーガーを入れた方が早い」とエドモンドが答える。第八話では、キアイリュウケンが「空手リーガー」であり、本来サッカー野球「用」には作られていない、ということが明らかにされる。作中では明言されていないが、恐らく間違って納品された先がシルバーキャッスルでなければ、彼は工場に「返品」されていたはずである

 ロボットたちは、人間と同じ意思感情を持ちながら、同時に「工業製品」「商品であるという事実が、スポーツ試合の影で徐々に明らかになっていくのである

 彼らが工業製品であり、商品である以上、逃れられない宿命がある。ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される。

 その現実が、第九話から急激に深刻になっていく。トップジョイ、そしてS-XXXの登場である。彼らの存在が、今まで「人間ロボットボーダーレスに生き、スポーツをしている」という、どこか楽しげで夢のあるアイアンリーガー世界観を大きく覆す。

なぜか途中で切れてしまうので 2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)につづく

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