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呉座勇一「炎上」事件で考える、歴史家が歴史修正主義者になってしまうということ | ハーバー・ビジネス・オンライン
https://hbol.jp/241894 @hboljpより
ブコメ→
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hbol.jp/241894
そもそもの発端が網野善彦先生であったというのに、網野氏が最も嫌悪した「党派性」でしか発想できない貧相なコメントが多いのは、憂うべき事態だわ。
網野氏がまず嫌悪したのはスターリンの「民族」観の転向により始まった1950年代の「国民的歴史学運動」で、運動内では、民族を近代の発明としていた歴史家たちは「近代主義者」として「査問」され「自己批判」を迫られた。
(まあ、査問された中には、元々のスターリンの公式に沿っていただけの人もいたかも知れないが)
国民的歴史学運動は、信じられないことに、1955年の権力闘争による日本共産党の方針転換、俗に言う六全協で終わりを告げる。
内部に葛藤を抱えない人間は、今でもこうした運動に乗せられてしまう。
北守氏の記事が深まらないのは、「歴史は誰のためのものか」という、網野氏もまた生涯をかけて葛藤し向き合った歴史学の問いに、「歴史修正主義者」というレッテルや、「つくる会と親和的かどうか」という軸だけで答えてしまう点だ。
「国民の物語」は別に、悪しきナショナリズムのためだけに求められるわけではない。
最低限のナショナリズムがなければ、「日本の歴史」を我が事として捉えることも不可能になってしまう。
なぜ戦後間もない時期に、それが盛り上がったのか考えてみたことはあるのだろうか。
その意味で求められる「国民の物語」に接近するだけで、「歴史修正主義者」のレッテルを貼るのは、およそアカデミシャンのする事ではない。
網野氏だけでない、呉座氏も亀田氏も、そして今回は被害者である北村氏も、その「国民の物語」に対する葛藤を理解して発言していた。
北村氏は網野氏について「ロマンティックがとまらない」としていたが、このロマンこそ国民の物語に対する距離感だ。
網野氏はそれこそ「実証的でない」という評価を受けることの多い歴史家ではあるが、北村氏をしてなお「その愛と情熱、ロマンティックが分からないのも問題だ」としている。
全くその通りだ。
北守氏の限界は、つくる会やラムザイヤーを「悪」の運動とし、その運動を無力化するためだけに論を張ってしまう所にある。
【追記】
分かっていての揚げ足取りだろうし、こんな説明をするだけ野暮だけど、
いわゆる「歴史修正主義者」は大問題ですよ。実証性に欠けることが多いからね。
北守氏は、
⑴
・いわゆる典型的な歴史修正主義者と「国民の物語」という問題意識を共有した、あるいは関わりを持った
だけの歴史家について、「歴史修正主義者だ!」と一段跳びに断定してる。
[※1]について
あくまでこれは事実を再確認するという目的であって、今更呉座氏を非難するつもりではない。しかし例えば與那覇氏は本件について実証的に書くべきだとしており私もやむなく自身の事実認識はこういったものだと説明するところである。
フェミ垢の人、誰も聞いてないのに「私はブスじゃありませんから!ブスだからって抗議してるわけじゃないですから!人から可愛いとか言われることも多いけどそれも嫌なんです!」とわざわざ言ってくるよね。ブスで悪いか。ブス差別すんなよ(-_-)
これに対して呉座氏はこのように反応した。
さえぼう氏の悪口はやめて
ところで、元ツイート主はフェミニストが“ブス”を排除していると批判する趣旨であり容姿批判ではないと主張している。しかし、この説明はあまり意味をなさない。呉座氏は元ツイート主とは別人格でありこの元ツイートをどう捉えたかが重要だからだ。では、実際に入れ替えて読んでみよう。
さえぼう氏、誰も聞いてないのに「私はブスじゃありませんから!ブスだからって抗議してるわけじゃないですから!人から可愛いとか言われることも多いけどそれも嫌なんです!」とわざわざ言ってくるよね。ブスで悪いか。ブス差別すんなよ(-_-)
正直これだと容姿批判をしてるようにも見えなくもない。というのも、「フェミニストはブスばかり。そのひがみでフェミニズムに逃げている」という揶揄は伝統的なものなので、その文脈にのっとれば「ブスの癖にブスだと否定して結果ルッキズムに嵌っている様子」を揶揄しているのだと認識されかねないのである。例えば北村氏の2014年の発言を見てみよう。
前も言ったけど、「フェミはどうせ皆ブスだ」っていうのは誰も反論できないという点で非常に卑劣ないちゃもんなんだよ。だって分別のあるまともな大人なら「そんなことはない。私は美人でフェミだ!」とか言ってこないだろ。
また、北村氏はフェミニズムについて「可愛くな」い「私たちみたいな女の子」のためにあると考えていたと吐露している。
私、子どもの頃から理屈っぽいとか性格がキツイとかばっかり言われていたし、なんかやたら太ってて可愛くなかったので、小さい頃から可愛くて愛嬌があって才能溢れてた女の子たちとは縁遠かったです。20歳くらいまでは、フェミニズムは私たちみたいな女の子のためにあると思っていました(続)
さて、例の元ツイートを引用して「さえぼう氏の悪口はやめてください」と書いた呉座氏だが直接元ツイートにリプもしている。
反フェミは「俺はモテる。モテない男のひがみじゃない」とは言わないので、これは本当に非対称。ルッキズムや旧来のジェンダー観に囚われているのはどちらか。
後半を重視すれば元ツイート主の釈明通りの解釈になり、前半を考慮すると容姿の揶揄を含む文脈の発言だったのではないかという気がしないでもない。
しかし、本当に問題なのは容姿の揶揄ではなかったとしても逃げ場がないことだ。「可愛くて愛嬌があって才能溢れてた女の子たちとは縁遠かった」という自己認識で「分別のあるまともな大人なら『そんなことはない。私は美人でフェミだ!』とか言ってこない」と発言している北村氏を「誰も聞いてないのに『私はブスじゃありませんから!ブスだからって抗議してるわけじゃないですから!人から可愛いとか言われることも多いけどそれも嫌なんです』」とわざわざ言ってくる」人間だという風聞を流したことになるのである。これは大変なことだと思うよ。
特定の規準を以て他者を非難した人間は同様の規準を以て非難されるのを甘受しなければならない。とまあ、そういうルールですよね?それはある種の「覚悟」であって尊ぶべきものに相違あるまい。
呉座氏の件では論点が多岐に渡るため必ずしも採用される道徳(倫理とか他の言葉に置き換えてもよい)規準が一定ではない。私が思うに根本の規準は呉座氏が北村氏を中傷していたのはよくないという程度だったろう[※1]。しかしまあ関係者含め他のことも非難していたりするわけで、その根本の規準を外れたのであれば新たな規準を示したと考えざるをえず、その新規準はその新規準を用いた人間にも適用される。
そしてなんと今回(結構前)めちゃくちゃ大きなアップデートがあったのである!
北村紗衣・北守・牟田和恵・古谷有希子各氏の過去発言|喜多野土竜|note
簡単に言えば、約10年前に北村氏が男性皆殺し協会マニフェスト(北村訳:男性根絶協会マニフェスト)を翻訳して、「『セックス』で検索してくる人がたくさんいるのだが、だいたいひっかかってくるのはヴァレリー・ソラナスの『男性根絶協会マニフェスト』の翻訳だろうから、見た人はびびるだろうね!楽しいな!」と書いたのが問題視されるべきだという内容の話である。
あ、いや、喜多野氏は「保留」と言って逃げているので、もへもへ氏やMGTOW NEWSが、もしくはこの件で批判されるべきだと言っている一部はてなユーザー達が規準をアップデートしたと言うべきか。
もちろん、訳しただけで問題だと言っているわけではあるまい。実際、MGTOW NEWSも過去に部分的に訳して説明を付している(https://archive.ph/2QksL何故かMGTOW NEWSは消滅してしまった)。その中で、当マニフェストに対する否定的見解は「フィクションに登場する悪役、はたまたブラックすぎるジョークのように思える」という部分以外にオウムを引用して暗に否定している部分だけである。加えて次のようなツイートをしている。
本当は「みんなが幸せな社会」を実現したいだけなのに、なぜか誤解されて叩かれがちなフェミニズム…
もちろん、これは皮肉である。しかしこのような調子のツイートであっても問題はないということをMGTOW NEWSは示している(ダブスタなんてするはずないからね)。換言すれば「このような悪質な憎悪文書を茶化し結果的に矮小化することは不謹慎だ」という非難はそれ単体では適用できないということだろう。ということは多角的に分析せねばなるまい。
なお、MGTOW NEWSは何故かこのツイートを削除してしまったので魚拓での引用とさせてもらう。
記事自体は削除されたのだが、なぜかわけのわからん怪しいサイトで拾えたのでそれを真実と勝手にみなして話を進めていく。セキュリティソフトが発動したのでちょっと不味い気がするが、気になった人は文章を検索すればヒットするよ。さて、北村氏はマニフェストについてどう言及していたのだろうか?
…(前略)…基本的にはレズビアンセパレーティストの立場から男性の抹殺を主張するものである(?!)。ソラナスによるとこの文章は辛辣な風刺を目的としたもので、別に本人は男性を本気で皆殺しにする気はなかったようだ(ハムレットも芝居の中で結婚している奴を皆殺しにすると宣言していたが、別にしなかったし、そのノリとたいして変わらん)。ただしソラナス本人は子供の頃から性的虐待を受けており、…(中略)…"cut up"を「抹殺」だと原文にある去勢のイメージがなくなるから「根絶協会」のほうがいいと思う。
なお、私は別にこのマニフェストに賛同しているわけではない(いや、男の人大好きですよ!とくに女装している時はね)。単に風刺文として面白いと思っているのと、日本語訳がないのと、クリスマス休暇中は図書館がしまっちゃって時間があくから訳してみるだけである。一方でこのマニフェストに書かれているミサンドリー(男嫌い)的な内容は、現代大学で読まれているような哲学・芸術史上重要とされているいろいろな論文に現れているミソジニー(女嫌い)に比べればそうたいしたことないんじゃないかと思っていることも確かである。この論文はたしかにイカレているが、初期キリスト教関係の文献とか、私が研究しているイギリス・ルネサンスのアンチ女性パンフレットとか、現代の「未来派マニフェスト」なんかのイカレっぷりに比べてそう突出しているとは思えない。
とりあえず、「内容に賛同しているわけではなく、イカれたミサンドリーを含む文章だが、一方で風刺文として面白くまた過去現在のミソジニーを含む文章と比べてそう突出しているわけではない」という感じだろう。
すなわち、今回作られた新規準によれば(1)イカれていて(2)ミサンドリーだから(3)不賛同と先に断っていても特に免罪にはならず断罪されるべきだと言うのである!
ではMGTOW NEWSの紹介記事とは何が違うのだろうか?「風刺文として面白い」のように少しでも価値を認めた時点でダメなのだろうか(なお風刺文として面白いというのは的を射た風刺だというのを意味しないらしいのに注意。後述)?もしくはミソジニーテキストと比べてそう突出していないという論評がどっちもどっち的な矮小化を思わせてよくないのだろうか?それはさておきもう2箇所程引用して少し検討してみよう。
しかし、二パラグラフめからはヴァレリー・ソラナス自身の男性嫌悪が匂い立ってくるようでまったくすごい…のだが、これは人生において一度はブスだったことがある女性にしか書けないとこである気もする。実は私はこのあたりはかなり読んでいて厳しい。
北村氏は一気に全文翻訳したのではなくかなりの回数に分けて翻訳している。これは2回目の翻訳の時の説明。この少し前に「あまりのホラーっぷりにちょっと笑いがとまらなくなってしまった」とあり言葉は軽いが男性嫌悪の勢いに着いていけない感じがうかがえる。引用後半部分はそれとは別の感慨だが。
この反ヒッピー論は私はなかなか頷けるところもあると思うのだが…ヒッピーコミューンとかが基本的に男性中心的、異性愛中心主義的だっていうのはよく言われていることじゃない?ここ二回ぶんくらい、表現が非常に下品なだけでソラナスの言うことが結構まともな気がするので、興味深いがちょっと諷刺の切れ味は鈍っている気がするな。
ちょっと前に「なお風刺文として面白いというのは的を射た風刺だというのを意味しないらしい」と書いたのはここにかかる。まともだと風刺の切れ味が落ちるということは風刺として面白いというのはもしかしたら褒めてないかもしれない。
ここは一部同調している箇所で他にも同様の反応が何箇所かある。逆に「相変わらずヒドい」と書いてある場所もある。…とまあおおよそこんな感じである。
引用文書について(1)イカれた差別文書と認め(2)不賛同を表明しているが、(3)一部で論の価値を認め(4)他の差別文書と相対評価している。
とはいえ、喜多野氏やもへもへ氏らはどこに言及すべき価値を見出したのか具体的に説明していないので何とも言い難い節はある。実際具体的にどのような態度で引用翻訳していたのかについての論評はない。つまり直接的に言及・引用されている内容を中心に彼らの取る規準を見出せばとりあえずこんな感じではないか。
中核の評価基準
(1)悪質な文書(引用文書の性質項を満たせば自動的に認定される)について引用し(2)その攻撃性を軽視しているように見られかねない発言をしていた場合(3)その発言が10年前程度の範囲内であっても問題である。
引用における態度
(A)差別または憎悪文書と論じ(B)否定的評価(イカれたなど)を下し(C)不賛同を表明する一方で、(D)部分的に価値を認め(E)類例と並べて相対化している場合は免罪されない。
(a)(引用時から)40年前の文書であり(b)差別または憎悪文書であり(c)内容も過激で(d)本人が殺人未遂を起こしている。
とりあえずキタ規準とでも呼んでおくとする(北村氏にも喜多野氏にも適用されないので不適切な名称かもしれない)。「中核の評価基準」「引用文書の性質」はこれより悪質性が高い場合問題視され、「引用における態度」はこれより良心的であれば責任は軽くなるという感じで、総合考慮されるべきだということになるだろう。ただし、何度も繰り返すようだが「引用における態度」については喜多野氏らは特段触れていないことに留意が必要ではある。ここを入れないと逆にキタ規準が適用されるもへもへ氏らに酷く高度な道徳的規準を適用されるのが不憫なため考慮に入れるのが妥当だと考える。
ところで規準で時期を考慮することに不満を持つ人もいるかもしれない。「中核の評価基準」において時期を考慮するのは、1つはやはり価値観の変遷が大きな理由だ。例えば女性は事務職という考えはすこぶる差別的だが過去に遡ってそういう発言をした人間は断罪されるべきとなれば過去の人物はわりと断罪される(もちろんそういう考え方が過去にあったことを差別的な思想が蔓延っていたと批判するのは否定しない)。するとやはり過去の発言の方が悪質性は減ると考えるべきではないだろうか。とはいえ過去においても問題であった言行は当然問題であり免罪されない。もうひとつは時効という考え方だが、こちらは不同意の方も多いかもしれない。なお例えば森元会長が女性蔑視的発言をした際に15年前の「女の人だなあ。やっぱり(視野が)狭い」という発言が掘り起こされたのは単にその人の一貫した思想態度に対する批判であって15年前だからと擁護することはできないだろう。何にせよ、一見した感じ呉座氏批判については3年前に遡った程度らしく、北村氏が現在ミサンドリー発言をして10年前の言行が掘り起こされたというわけでもないので、単発で10年前の言動も非難されるという新たな規準が定立されたと評価するほかないだろう。
「引用文書の性質」で一応時期を考慮に入れるのは少し違って切迫性の観点による。例えばどこぞの戦国武将の妻が「子供の1人でも戦死すればお家の名誉になる」と言ったのを称揚するのとどこぞの現役政治家が「お国の為に子供を差し出すのが名誉あることだ」と言ったのを称揚するのではやはり深刻度は大きく変わる。
というわけで架空の例題問題[※2]でどのように応用できるか考えてみよう。
アメリカ議会を襲撃して逮捕された人物の発言を引用しよう(訳は引用者)。
「リベラルは超特大の馬鹿(class-A moron)だ。いつでも自分達が正しいと考え意図に沿わない他者を糾弾し排斥する。自らを民主主義者の守り手と称するが、その実彼らは選民思想のエリート主義者に過ぎない。弱者や多様性を言い寛容を謳うが本性は非寛容で本当の弱者に対して無関心。アメリカを偉大さから引きずり下ろした犯人なのだ。今回もDSを支持し選挙を盗み民主主義だと嘯いている。彼らは引きずり出され、八つ裂きにされるべきだ。夜明けに連れ出され銃殺されるべきだ。」
彼はこの発言を非難された際に冗談だと返しておりリベラルは本気で殺されるべきだと思っていたわけではないようだ。それにしてもこの発言からはリベラルに対する憎悪が伝わってくる。彼は陰謀論者であったが、リベラルについての評には見るべきところがある。選民思想の持ち主だと喝破するところなんて的を射ていないか?
今は例の議会襲撃者の発言がブログトップだから別の用事で見に来た人はびっくりしそう。
いい薬だね
まず、引用文書は(a)最近の発言で(b)差別かはさておき憎悪文書なのは間違いなく(c)射殺を言い出さすなど内容も過激で(d)本人も議会を襲撃しているという事情に鑑みれば悪質で切迫性も満たす発言で問題だろう。
引用における態度では、(A)憎悪が伝わってくるなど憎悪発言であることが読み手に伝わり(B)発言の否定的評価は薄いが陰謀論者という評があり(C)不賛同だと表明していないが同調してはいなさそうである一方、(D)部分的に好意的な評価をしている。ただし、(E)相対評価はしていない。ただ総合的に見るとキタ規準に抵触する態度と言わざるをえない。
中核的の評価基準だと(1)悪質な発言を訳し(2)その攻撃性や悪質性を軽んじているように見られかねない態度を(3)最近取っていたので問題だと言える。
つまりこのような発言はキタ規準に抵触するということになろう。もちろんキタ規準は絶対のものではないが、甘受する「覚悟」を示した人間には当然適用される。まあ北村氏にも喜多野氏にも適用されないのだが。何にせよ尊い覚悟は敬服し記録するものである。
ところで繰り返しになるが今回北村氏を批判した人々はマニフェストを翻訳したという事実とそれに言及したツイートをもって批判している。であるから、ここで適切だと考えた規準はいささか正確性に欠ける嫌いがある。ここで言うところの「中核の評価基準」で論じるべきかもしれない。しかしMGTOW NEWSも同じく男性皆殺し協会のマニフェストを引用し「とっても素敵」と茶化し皮肉を言っている。これは「その攻撃性を軽視しているように見られかねない発言をしていた場合」と言えなくもない。
所与の条件である今回の批判者は過去の発言と直接的なダブスタをしていないは動くわかげないので困った話である。これをMGTOW NEWSのパラドクスと言う。これを解消するためにこの論考では別の項目、特に「引用における態度」の項を作り表面上逃れることとした。だが後続者の皆さんには正面から向き合ってこの点をブレイクスルーしていただきたい。
小学生並みの感想を言うと何にせよモラルが向上するのは良いことだと思います!覚悟がある人がモラルに寄与するんですね。いいと思う。それは呉座のいいね欄を遡ってる人でも北村氏の件を非難する人でも同様である。その覚悟は敬意をもって記録されるべきだ。
けど、自分は直接の誹謗中傷でなければ遡っても数年くらいかなって思うので私に対してはそのくらいの基準で批判してもらえると助かるかなあ。その範囲でならリツイートだろうとスターだろうといいねだろうと謝罪するので…。ダメですかね。
[※1] ここはみんな合意してくれると思うんだけど中傷ではないという意見の人もいると思うので次の増田で詳しく説明しておきたい。
結論を言うと、容姿を揶揄したと見るか全く言わないようなことを言っているかのような風聞を流したと見るかどちらかにせよ中傷であるという結論だ。
[※2] 一応元ネタは何個かあるが、1つはトランプ政権で大規模な選挙不正は無いと言って事実上の更迭をされたKrebsに対してトランプ大統領の弁護士diGenovaが冗談?として言った”that guy is a class A moron. He should be drawn and quartered. Taken out at dawn and shot.”
いやそもそも北村紗衣はただのフェミニストじゃなくて、ヴァレリー・ソラナスを礼賛するミサンドリスト、またはラディカルフェミニストだからな。
そして手下を動員して暴れさせながら先行ブロックを盾にして悪口言いまくって来たんだから、自分が悪口を言われた時だけ大騒ぎするのがおかしいんだよ。どこから恨み買っててもおかしくないし、hagexみたいなもんだよ。
”呉座氏の件と草津の件との非対称はやはり納得できない。/呉座氏の発言が許されないとする態度と、人と地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を免罪する態度は両立不可能だと思う。”
何なら両立可能なのでしょうか。(その二つに両方そのように言及している人がそもそも実在するかどうかは措きます)
(A)呉座氏の発言が許されないとする態度と、人と地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を免罪「しない」態度なら両立可能
(B)呉座氏の発言が許され「る」とする態度と、人と地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を免罪する態度なら両立可能
免罪しない=糾弾すると置き換えましょう とする態度 も冗長か。
(A)呉座氏の発言を「許さない」 と 地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を「糾弾する」 なら一人の人間の態度として 可能
(B)呉座氏の発言を「許す」 と 地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を「免罪する」 なら一人の人間の態度として 可能
さて、もとのブックマークコメントの意図するは(A)(B)どちらでしょう?それとも(A)(B)両方でしょうか?
(元増田のブックマークにあった「一貫性を追求しているだけでしょ」「ダブスタを指摘しているだけ」というコメントを残したIDのはてな村人なら両方、一択ですね。)
だんだん見えてきました。
非言語的読解ですが ”両立不可能だと思う” は ”了解しがたい”。”いやそりゃおかしいでしょ”という異議申し立てでしょう。
両立不可能だと思う≒私は許したくない 以外をこの文脈では読み取れない。 両立不可能だと思うけどどんどんやって世の中に広めてほしい という筈はない。
両立不可能だと思う。できることなら世の中から消えてくれ。という願い・叫びでしょう。
(A)呉座氏の発言を「許さない」 と 地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を「糾弾する」 なら一人の人間の態度として おかしくない
(B)呉座氏の発言を「許す」 と 地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を「免罪する」 なら一人の人間の態度として おかしくない
では (A)ならばいいのか?
ここにトリック(レトリック)が込められています。 ”地域を*誹謗中傷*し、根拠が出てこなくても意見の撤回*すら*しない事を「免罪する」
「だに」「すら」「さえ」 はい。 これ付きで描写される行為、「免罪するなんておかしい」「免罪するな」以外の文意読めますかね?
すら というのは 根拠がねーんだからせめて意見の撤回ぐらいはしろよ。(誤りを土下座しろとまではいわねーけどよ) ですよ。
”女性研究者であることに対し誹謗中傷したことを示す本人も認めた明白な根拠がある呉座氏の発言が許されないとする態度と、草津の発言を免罪する態度は両立不可能だと思う。”
と書いてもよかったわけですよ。
なんで 呉座氏の方は 根拠 誹謗中傷 という 語で飾らなかったんですかね?
懸命に隠しても、言いたかったのは 「根拠のない草津の発言を免罪するなんておかしいだろ?な?な?」 「だから」 「呉座氏も許すべき。許さない(架空の)お前らを罰してやる」 なんですよ。
女性研究者であることに対し誹謗中傷したことを示す、本人も認めた明白な根拠がある呉座氏 とは 書かなかったのはそういうわけ。
したがって (A)(B)両方、と答えた人は不正解でしょうね。
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(追記)
呉座氏が謝罪した後、呉座氏を執拗に攻撃するのをやめるよう、そして職場に電話で抗議するのはやめるよう発言したのは北村氏ですが、執拗に北村氏を攻撃し続けたのは誰だったんでしょう。
これは正直わかるんだよね。
呉座さんの職位は助教で、日文研の体制はどうなっているか知らないけど、英語のassistant professorにあたる地位だからテニュア(日本の場合は「定年までその組織にいられる権利」)を持ってない可能性が高いんだよね。
一方で北村さんは准教授。associate professorなので、多分テニュアだろう。
年下の女性准教授と年上の男性助教という構図、少なくとも「労働者としての安定性」という視点で見るなら力関係は北村>呉座になるという。男女差別とか年功序列とかの観点だと呉座>北村になるけど、テニュア持ってない研究者にとって一番大事なのってそこじゃないからなぁ。
だからこれ、「年下の女性研究者に対して男性研究者が」というフレームで処理されると絶妙に違和感あるんだよね。あれ? いつから助教の方が准教授より偉いことになってるんだっけ? っていう。
そういうのも含めてフレームの問題というか構造的な問題系に算入すべき属人要素はわりと注意するべきではあるなあ。 與那覇潤のように「知名度は呉座が上」という話をする者もあるくらいで
知名度については日本史家である與那覇さんのバイアスもあるでしょう。ぶっちゃけると二人の専門分野(英文学と日本中世史)が違いすぎていて「客観的な」知名度の比較なんてできないですよ。どちらも一般向け媒体で記事を書いたり一般向けの本を出していたりするので、同じ分野の他研究者よりも知名度はあると言えるかもしれませんが。ただ、誰でも名前を知ってる有名な一般書レーベル(中公新書)で本を出しているという点では呉座さんの方に一日の長がありますね。
終身在職権て日本にもあったんだ
えーと、日本でのテニュアは普通の会社で言うところの終身雇用のことであって、アメリカみたいな終身在職権じゃないです。日本だと定年制が合法なので……
そもそも職位は関係ない説もあって、私はそっちを推しますね。だってポストのない藤崎さんとか、そもそも学者ですらない川上未映子さんにも悪口言ってたわけでしょ。要するにリベラルやフェミっぽいことを発言する言論人が嫌いだったんだと思いますよ。
今回の件、「リベラル・フェミが嫌いなついったらーが鍵垢でリベラル・フェミ界隈の有名な言論人を相手に暴言を繰り返していたら、たまたまどっちも博士号持ちの学者だったせいで大騒ぎになった」というのが本質だと思うので、アカハラだ何だのというのがピンと来ないところが正直あります。まあ、だから許してやれよ、とは思わないですけど。どちらにせよ北村さんは暴言の被害者なわけだし。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 111 | 19058 | 171.7 | 50 |
01 | 72 | 7692 | 106.8 | 57 |
02 | 73 | 5919 | 81.1 | 31 |
03 | 42 | 11020 | 262.4 | 51 |
04 | 21 | 2980 | 141.9 | 81 |
05 | 22 | 1897 | 86.2 | 35 |
06 | 25 | 1967 | 78.7 | 52 |
07 | 46 | 4117 | 89.5 | 46.5 |
08 | 109 | 9451 | 86.7 | 32 |
09 | 179 | 13497 | 75.4 | 48 |
10 | 181 | 38124 | 210.6 | 53 |
11 | 229 | 19970 | 87.2 | 56 |
12 | 304 | 29490 | 97.0 | 37 |
13 | 169 | 13677 | 80.9 | 39 |
14 | 188 | 17661 | 93.9 | 45 |
15 | 152 | 16562 | 109.0 | 35.5 |
16 | 184 | 17688 | 96.1 | 44 |
17 | 187 | 19135 | 102.3 | 50 |
18 | 185 | 12601 | 68.1 | 41 |
19 | 160 | 13439 | 84.0 | 43.5 |
20 | 89 | 10254 | 115.2 | 58 |
21 | 117 | 17774 | 151.9 | 45 |
22 | 107 | 15822 | 147.9 | 39 |
23 | 100 | 5929 | 59.3 | 38 |
1日 | 3052 | 325724 | 106.7 | 45 |
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今回の炎上騒動は北村准教授にも返り血がいっぱいかかったと思う
ロンドンで博士号をとったシェークスピア学者だったのが、ラディカルフェミニストのスターとして認知されることとなってしまった
元増田は「リバタリアン」と「リベラル」というアメリカ政治思想の区分を持ったほうがいいと思う。
呉座勇一や飯田泰之は「リバタリアン」ではあるが「リベラル」とは言い難い
あと、現代ビジネスの母体である週刊現代は、日刊ゲンダイよりは右で、文春・新潮よりは左の位置だから北村紗衣も寄稿できるが、右左の位置づけはともかく、リベラルとは言い難い
この数日、呉座勇一先生がツイッターの鍵アカウントで、ある女性学者への人格攻撃を行い、かつアンチフェミニズムクラスタと日常的につるんでいたということで、大炎上している。実績も地位もある歴史学者がなぜ、と疑問に思う人が多いが、このアンチフェミニズムクラスタについてあらためて考える必要がある。
真面目なフェミニストやリベラル派はアンチフェミニズムを「女性差別主義」と同一視しているが、そう単純ではない。今回、白饅頭(御田寺圭)氏がアンチフェミの「ラスボス」扱いされているが、彼は過去にシノドスにも寄稿して経済学者の飯田泰之先生とも対談するなど、リベラル派との付き合いがある一方で、日本会議的な右派や保守派とのつながりは全く見られない。彼が連載枠を持っている現代ビジネスも明確にリベラル寄りである。アンチフェミも厳然たるリベラル派の一部だということを忘れると、今回の問題が全く見えなくなる。
呉座先生も、これまで司馬遼太郎や井沢元彦などの高齢男性保守派に人気のある歴史家を厳しく批判し続け、歴史を「国民の物語」として語ることを否定してきたように、どちらかといえばリベラル派寄りだった(少なくともそう見えた)。だから、呉座先生は女性に関しては保守的・反動的だったからというより、彼のリベラルな価値規範の中で「筋が通っている頭のいい議論」に見えたからこそ、アンチフェミクラスタにはまってしまったと理解される必要がある。
問題は、ではなぜ不幸にも「筋が通っている」ように見えてしまったのかという点にある。これについて書こうと思ったが、頭がまとまらなくて断念。
(追記)
現代ビジネスや飯田先生が「リベラル」は雑な括りだというブコメがあったが、現代ビジネスは今回の当事者である北村先生も数多くの文章を寄稿しており、保守論壇誌と比較すればリベラルだと判断したが、確かに微妙かもしれない。飯田先生も荻上チキ氏やPOSSEと付き合っている一方で、右では高橋洋一や田中秀臣などの政権擁護派とつるんでいるので、「リベラル」括りにすると違和感を持つ人はいるだろうとは思う(個人的にはもう少し付き合う相手を選べと言いたくはなる)。
改めまして。
この度は呉座勇一さんによる北村紗衣さんに対する誹謗中傷を止めなかったこと、また、そうした呉座さんのアカウントに「いいね」をつけてしまったこと、深く反省するとともに北村さんを始め不快な思いをされた全ての方にお詫び申し上げます。
これらは私の落ち度による失態です。続
(承前)
それにより多くの方に疑念を抱かせてしまい、また、失望させてしまったこと、心から申し訳なく、情けなく思っております。
言葉はいくらでも重ねられますので、今後の活動などの具体的な行動や作品、発表などをもって信頼回復に努める所存です。
皆さま、申し訳ございませんでした。
「いいね」は北村紗衣さんを誹謗中傷するツイートにはしていません。むしろ呉座さんには北村さん寄りなことを2月に伝えてあります。この点、ご理解いただけましたらと。
真ん中にこっそり混ぜ込んでいる北村氏への誹謗がおまえの本音だろ
まごうことなきハランスメントを受けているのに『どっちもどっち』にして抗議を無効化しようとする
「日本が嫌いなレフティなのに日本史研究してるw」って発言に対しての冷笑系は妥当だ