はてなキーワード: 刑務所とは
■俺の人生
昭和58年出生
昭和63年 保育所入所するも、いじめにあい、協調行動が取れない、スイミングスクール参加を拒否し、登園拒否
教室で小便をもらすなどした。
64年 前年同様。
平成2年 公立小学校に入るが、教室でしょんべんもらして笑われて、体育でいじめられ、授業も意味不明。
3年 2年生になるが担任が恐いおっさんで、宿題忘れてげんこつくらったり、糞もらしたりして地獄。家でもオヤジに虐待されるし最悪の年だった。よく自殺しなかった
と思えるほど、クソ地獄の年だった。
4年 3年生になり、担任が優しい女性になるが、いじめが激しく、年の8割を登校拒否。
6年 郡部の小学校に転校するが、体育教師からいじめにあう。クソをもらす、父親に虐待されるなどこれまた最悪な年。しかし、4月にFF6が出てスーファミ界が
途中省略
21年 有罪判決が確定するが、3年間の執行猶予があり、釈放。
小さい頃に親が離婚。父親に二人のきょうだいとともに引き取られる。父親はタクシー運転手。まあ裕福な家庭じゃないわな。高校は夜間部へ進学し、昼間はお役所でメールボーイのバイト。この頃はまだ無垢だったとの同僚の話。ただ経費削減により三年か四年でメールボーイの仕事は打ち切りに。
その後非正規労働を転々とする。父親が仕事中事故を起こしクビになる。数ヶ月後に父親は自殺。それをきっかけに青葉一家は離散。
やがてコンビニ強盗や下着泥棒などやるように。実刑ついて刑務所へも行く。更生施設から出てさいたまに住む。隣人にこっちは余裕ないんや殺すぞと言う。そして京アニ放火。動機は小説を盗まれたから。
無敵の人をうまないと言っても、親の離婚による自尊心や自己肯定感の喪失とかどうしようもない。今後こういうやつは増えていくんやろうなあ
丁寧な返信ありがとうございます。問題意識をもって働いている人がいるのを知って少し救われる思いです。
お気づきかもしれませんが自分が入院していたのは10年以上前の事で、その後状況は少しは変わってきているみたいですね。詳しくはわかりませんが長期入院では儲かりにくくなっていると書いている人が複数いるので少しづつかわりつつあるのでしょうか?
(しかし、32.9万人から28.9万人というのはたいして減ってないですね。自分がいた病棟は高齢の数十年選手がたくさんいたので死亡により自然減したのではないかとも勘ぐってしまいます。)
どのような状態だったのかは分かりませんが、医師からはどのような説明があったのでしょうか。
ちなみに自分が入院させられたのは、医療保護入院でした。(いわゆる保護者による強制入院)
帰省中に親と揉めて物に当たったのですが、110番されてそのまま入院という流れです。別に日常的に暴れていたわけでもないし、直接危害を与えたわけでもなく、その一回キリです。警察は最初から6人来て、別に警察相手に大立ち回りをするわけでもなく無抵抗のまま担がれて行きました。
親と揉めて物に当たった経験なんて珍しくもなんともないと思うのですが。
まわりの数十年選手と話して医療保護入院では親と揉めた状態での退院はほぼ不可能で終身刑になるという事を認識してからは、怨嗟を封じ込めて「自分はおかしかったけど、治療でよくなったよ。今は反省しているよ。」という自分を演じ続け、看護師やヘルパーの仕事を手伝ったり(洗濯物の仕分けや掃除など)、模範囚としてポイントを稼ぐ事に努め、ようやく脱出できたというのが退院の経緯になります。
あくまで自分が入院していた病院での当時の経験を元に話していますが、自分の居た場所では社会復帰などとは無縁の生涯隔離型施設でしたね。
一例として10年選手のNさんというなかなか頭がキレる人がいたのですが(この人も医療保護入院)、厳重な警備の隙をついて脱走し、着の身着のまま逃げに逃げて関西から関東まで行ってバイトをしながら自立していたそうです。
しかし、病院の連絡を受けた警察に最終的に見つかって病院まで引きずり戻されたそうです。
あれ?障碍者が自立してるのにまた閉じ込めるの??自立支援って一体何??と疑問に思わざるを得ませんでした。
ここが一番疑問に思ったところなのですが、退院後の環境が整ってるかどうかとか本人の病状と関係なくないですか?刑務所だったら出所後の環境など関係なく刑期が終わったら釈放されるでしょ?
自分が「いっそ罪を犯して刑務所に入ればマシだった」と感じるのはそこなんですよ。本人の状態に関係なく刑期の定めの無い不定期刑が、医者・家族の胸先三寸で無限に執行され続けるという。この恐怖は体感してみないと分からないかも知れません。
(しかも入院が長期に渡ると保護者の方が先に死亡しているケースが多く、受け入れ先消滅という終身刑が確定している人が多数いました。)
環境が整ってないまま出したら本人がどうなるかわからない?確かにどうなるかわかりませんよ。アメリカのIT企業の第一線で働く奴もいるかもしれないし、野垂れ死にする人もいるかもしれません。けど、どうせ死ぬなら外で挑戦してから死にたい人が大半じゃないですかね?
ところでここまで精神科病院の過酷な凄惨な部分ばかり書いていますが、実際の病棟ではそこに人々が生活しているわけで、笑いもあれば涙もありでした。ほとんど毎日、誰かが笑ったり笑わせたり笑わせてもらったりしていた覚えがあります。
過酷な戦場でも兵士の友情やユーモアが必ずそこにあったように、人間がいるところにはドラマがあるのです。
究極の環境における、おかしな人総出演によるおかしな日常劇が繰り広げられているんですから面白くないわけないでしょう。
ひどい看護師もいたけど、看護師と一緒に大笑いしたこともあります。
大学を休学した俺は、『深夜特急』に影響された量産型バックパッカーとして、東南アジアとインドを放浪してた。既にiPhoneのある時期だったから(4か5だったかな?)、大した苦労もせず。
東南アジアで3ヶ月くらい過ごして、まだその頃は民主化されてなかったミャンマーを陸路で越えるのが無理と判明。バンコクのインド領事館でビザを取って、飛行機でカルカッタへ飛んだ。
バンコクで買ったコピーのロンリープラネット片手に、カルカッタの刑務所の様な宿(4畳でベッド以外何もない。共用のシャワーは水しか出ない)の前で日本語話すインド人2人組に声を掛けられた。日本語勉強中とか言ってたかな。あと「この通りで先日欧米人が殺された」とか言ってた。
2人組と一緒にカルカッタでインド映画みたり、例のごとくマリファナの話になったりで、酒飲んで夜まで過ごした。
俺はすっかり初対面のインド人と過ごすカルカッタの夜を満喫していた。
で、翌日、友達の実家のある田舎に行くから一緒に行かないか?となった訳だ。
刑務所の様な宿の前で待ち合わせて、市内を観光した後、車に相乗りして、その友達の田舎へ向かった。前日の2人組に1人(名古屋に妻がいると云うダルビッシュ似のイケメンで日本語ペラペラ)が加わってて、俺を含めた4人で向かった。
6時間くらいの道のりだったか。インド音楽を爆音でかけながら狭い車内で4人で踊り狂いながらビール瓶をラッパ飲みして、窓から投げ捨てながら突っ走った。思い出すと気狂いだけど、その時はめっちゃ楽しかった。
ダルビッシュ似の実家に着いた頃には日が暮れていた。町というか集落で、道路がめちゃくちゃボコボコだったのを覚えてる。
ダルビッシュ似の家はその集落の長みたいな感じだった。集落の他の家がただの土壁なのに対して、ダルビッシュ似の家だけはタイルでお洒落で。
結局俺はそこで2週間くらい過ごした。基本居候しながら集落でグダグダとすごしてたけど、途中で車で2時間くらいかけてブッダガヤにも行ったりしたな。バラナシは危険とかで行かなかったけど。
集落の周りは何もないひたすら原野。一度丘の様なとこに上がったけど、ほんと見渡す限り原野で所々の丘の上にヒンドゥーの祠的なのが見えたっけ。
集落では子供らと遊んだり、英語教えたりもしてたけど、すぐに飽きてきて、近くの町でバイク借りようぜ、となった訳だ。俺から言い出したのか、話に乗せられたのかは、覚えてないけれど。
で、いざ町へ行くと「今金がないから出してくれ。お前が日本帰ったら必ず振り込んで返すから」となって俺が全額出した。
その時、俺はもうそいつらと連絡先交換して、完全に友達と思ってた。
レートとかも考えずに多分40万くらい払ってたと思う。アホだけどラリってたし額もよく覚えてないけど。
で、俺はその後もデリーまで旅を続けた訳だけれど、帰国後そいつらとは音信不通。結局金は帰ってこなかったという話。
今じゃ40万なんて一月で稼げる身分になりました、とさ。懐かしいな
コメント見てたら、
yu173
これじゃない? http://tabisora.com/blog/travel/india2018-raj/ 「コルカタで「ガヤの実家に行こう」と誘ってくる男は詐欺師です」
ワロタw
この2枚目の写真のサダムって奴。こいつだわ。はじめに日本語で声かけてきた奴。約6年越しの衝撃w
写真だと分からないけど、めちゃちっこかったこいつ。150cmちょい。ムスリムだから写真撮るなとか、言ってたんだよ思い出した。
つか、他の奴らもみんなイスラムだから写真ダメとか言ってたな。
アホな俺は当時、それすらも「群像崇拝禁止ってこんなものか!」とか新鮮な気持ちになってたのは、秘密だけど。
まぁ、こっそり撮った写真は残ってるけど。もちろん詐欺師だと疑って撮った訳じゃなく。日本に帰ったら、友達にこの体験を自慢してやるぜ!ってノリで隠し撮りしてたw
1枚目のラージって奴ともなんか集落で飲んだ気がするなぁ、いろいろ楽しい思い出もあるんだよなぁ。
あいつら元気かなぁ
確かに仰る通り、弟は身の回りの理不尽を暴力でしか解決できない状態だと思いますが、たとえ刑務所に送ったとしてもそのあとが問題なのです。
治療という意味では刑務所に送ったところであまり意味がないでしょうし、
隔離するという意味だとしても障害なんてせいぜい数か月とかで戻ってくるのではないでしょうか。
エントリに書いた通り、弟が社会的に自立できない状態になってしまっては一生誰かが面倒を見ることになると思います。
私はそんな気はめっそうないので一人で逃げることもできますが、母はその状況になったら甘んじて受け入れるでしょう。
自分が育てた息子に対して責任を感じていますし、たとえ弟に殺されてもかまわないと感じていると思います。
僕にはその選択はできません。
僕にできる最悪の選択は弟を見捨てることで、母を見捨てることではありません。
放火犯と類似する点があることから同一人物を疑われているようだ。
ついでに、やたらと読みづらいことから糖質を疑われているっぽい。
で、ためしに読んでみたところ確かに読みづらいがそれほど糖質っぽさは感じない。
がんばれば解読できる程度の文章。
とたずねたら
こういう返答
むしろまともな返答かもしれん
しかし、裏じゃ逆
一番初め、つまり一番槍でパクりを目にしたのは
留年、これをパクった
というより
一番信用しちゃいけない会社を信用したのが間違い
多くの人は言う
「あのときムショに行かなければ」
でも、これ
後手の状況からみれば
あのクソアニメ会社が一番やりそうなことって
あの時点で原稿叩き落として裏切ることだったんだよな
どちらにしても
そして、後々パクられて原稿の意味がなくなってたことも、実は回避できなかった、ということだ
以前、私は京アニに「ロボットものを手がけてみてはどうだろうか」と原稿を送ってみた。
そのときの京アニの返答が「業界にも仁義がある」という類のものだった。
私としては、このような返答には異論はない。
(※ここでいう「業界にも仁義がある」とはなにか?恐らく「ロボットもの」の「原稿」を「送る選択」した結果、サンライズに類似する既存作があり京アニ(仮)からはパクリと判断されたのだろう。サンライズと明確に名前が出ていることから「原稿」は「ロボットもの」という程度の広い意味ではなく特定の作品に酷似したものだったと推測できる)
しかし、この「仁義を通す」姿勢は表向きのものに過ぎなかった。
なぜなら、京アニは「パクリ=仁義破りはよくない」としながら自分自身はパクリを行っていたためだ。
私が最初に京アニのパクリに気づいたのは「映画けいおん!」を視聴したときだ。
そのとき、私は気づいた。京アニは私の小説から「留年」というアイディアを盗んでいたのである。
「業界にも仁義がある」などと口にしておきながら、自らはパクリを行っていたわけだ。
いや違うな。業界の仁義を破ったというよりは相手によって態度を変えているのだろう。
サンライズのような強者には低姿勢だが、私のような弱者相手には平気で仁義を破る。
私の犯した最大の間違いはなんだったのか?
最も信用してはならない京アニという会社を信用したのが間違いだったのだろう。
当時、私の原稿がパクられたエピソードを周囲の人々に話したが誰も信用してはくれなかった。
私にはコンビニ強盗の容疑で刑務所に入れられたという負い目がある。
恐らく「前科者の言うことなど信用できない」ということなのだろう。
「あのとき犯罪を犯して刑務所に入れられていなければ……」と悔やむ日々を送った。
(※この辺は情報量が少なかったため何が言いたかったのかは他の部分から予想した。「間違い」に注目してみた)
当時の私はそのように犯罪を犯したことを責めていたが、今になって考えてみると悔やむべきポイントが間違っていた。
京アニに原稿を送っても「採用されず裏切られる」ことなど容易に想像できたはずだ。
あのときの私は信用すべきでない京アニの人間に原稿を送るような行動を回避しておけばよかったのだ。
そもそも「京アニに原稿を送った」という選択が間違いだったのだろう。
後知恵ではあるが、原稿を送ったにしても、原稿を送らなかったにしても、原稿は採用されなかったのだから。
そして、もしも原稿を送らなければ、パクられて原稿が無意味になることは回避できた。
(※「回避できなかった」については、
ではなく
と解釈するのが適切だろう)
文章が読みづらいだけで統合失調症よりは境界性人格障害っぽい?
統合失調症にありがちな「監視されてる」的な成分(集団ストーカー、仄めかし、思考盗聴、監視カメラなど)があまりないように思う。
対人交流をすべて統合失調症による妄想だと仮定すれば分かりづらい記述にも説明がつくというだけで……。
ちなみに境界性人格障害っぽさは「信用した」「裏切られた」という感情表現(「理想化とこき下ろし」)から、そう感じた。
そして確かに文章力は壊滅的だけど、このくらいの文章力の人は世の中には普通にいるのでは?
普段は身の回りの人たちとは文章ではなく会話で接しているから気がつかないだけで。
さらにいえば一般人でも酔っ払えばこんな風になってもおかしくはない。
起点として(ボカされてはいるが)「京アニに送った原稿(ロボットもの)が(サンライズの)パクリと判断された」という出来事があるようだ。
ようするに、ぜんぜん気にしてない風を装ってはいるが「自作小説をパクリとして扱われた」ことをよっぽど根に持っていたのではないか?
ある程度の文章読解能力があれば「パクリ認定」は「同じやり口でやりかえしている」類のものであることに気がつくはずだ。
この5chの書き込みが犯人と同一人物だとすれば「小説をパクリやがって」よりは「小説をパクリとして扱いやがって」が正しいのでは?
「信用すべきでない人間」「信用できない女」「恐竜の肉味ポテトチップスなんて送ってきた」など特定個人と交流があるらしい記述がある。
妄想や幻覚による架空の人物だろうか?文中の「信用すべきでない人間」が実在するとしても本当に京アニの関係者とは限らない。
京アニの関係者を騙っていた第三者かもしれない。例えば詐欺師や虚言癖などが考えられる。
当てずっぽうだが「京アニの関係者」を騙る人物が小説教室などを開いていて受講料を支払っていたとか?
第三者を媒介としていれば「京都アニメーション大賞には応募していない」という情報とも整合性が取れる。