はてなキーワード: 凶器とは
自分が弱者なのにポリコレに冷ややかな目を向けがちで、むしろ自己責任思想に接近しがちな人たちがいる。
そういう人は強者ではないのに弱肉強食を指向するのはおかしいと言われがちだけれど、私は自己責任に寄っていく感覚もわからなくもない。
太古からの一般論としては、時代が変わるにつれて価値観は変化するし、概ね道徳観は向上していくものだ。
でも、ここ数十年の変化の方向(ポリコレと呼ばれることが定着したもの)が軒並み自分の生きやすさに繋がらない状況が続いてるなら、「ああ、少なくとも私が生きている時代の道徳の救済対象からは私は外れてるんだな」って絶望するのはわかるよ。
「自分が救ってもらえないから絶望するなんて甘いこと言ってないで自分で声を上げろ」って言いたくなる人もいるだろうけど、しかし、ちょっと声をあげた人も民間レベルでは叩かれるし、トランプみたいな大統領を誕生させるという「快挙」を果たしてもそれが世界の潮流を変えなかったという失敗経験は絶望を強めるに足る。
「日本は自民党が一強だし世界でも保守派が強くなってるのに、世界の潮流がポリコレ寄りと考えるのはおかしい」と言いたくなる人もいるだろう。
去年カズオ・イシグロがリベラルに苦言を述べた記事が話題になった時も、彼の「リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです」という発言に、非リベラルの方が政治的権力が強いじゃないかとの反論があった。
それについては、ジョセフ・ヒースがインタビューで紹介している考え方を踏まえれば、カズオ・イシグロの指摘も理解しやすい。
「文化政治を追求するのを選ぶ際に,左派の方が実はすぐれた戦略を採用していたとバノンの方は考えていた,という点です.『我々はホワイトハウスを占拠したが,かたやリベラルはハリウッドを占拠するのに専心している』と彼は発言しています.つまり,右派は国家を支配しているけれど,左派は文化産出の道具を支配しているというわけです」という部分だ。
ポリコレ的な思想が、ハリウッドやSNSのキャンセルカルチャーやSDGsを主導したことで、ある種の人間には「これから私たちの待遇はよくなりそう」と希望を与えたが、その希望の分配から取りこぼされた(にもかかわらず他人の希望実現のための協力は要請される)人間はポリコレに絶望したくなるのだ。
取りこぼされている人でも、最初の頃は素朴な正義感によって「今は私には直接益がないけど、でもマクロでは良いことだろうからポリコレ支持しよう」と考えることはあるだろう。
でも色々な物語や現代文化が自分を省みない方向に変化していく傾向が続き、私生活では自分が老いていく、そんな生活の中で絶望に接近する人が増えてしまう。
だから、これまでポリコレ思想が後回しにしてきたり、なんなら反省ばかりを促してきた「弱者とされない弱者」層にも、燦燦とした希望を与えなければいけない。
そのための物語をポリコレやリベラルの名の下に作らなければいけない。
最近だと同性婚禁止は合憲であるという地裁判決が出たが、それでも今後十年でパートナーシップ制度は広がっていくだろうし、改憲が行われれば同性婚が保証される目は十分にあるという希望は力強いままだ。
それと同種の希望を、弱者男性とか喪女とかインセルとかロリコンショタコンとかトー横キッズとか地方のおっさんおばさんとかプアホワイトとか反社反グレとかマイルドヤンキーとかにも見せなければ、彼ら彼女らの絶望と弱者強食自己責任への接近を防ぐことはできないだろう。
雑踏で凶器を振り回す物語、暗黒啓蒙の物語、面白パフォーマンスの政治家立候補者に投票して世間を困らせる物語、戦争が起きて皆が大騒ぎの物語、自殺の物語、それらよりも魅力的かつ彼ら彼女らが主役になれる物語が必要なのだ。
キックボードの重量やら速度やらをなんとか正論で論破したがっているお子様がネットにたくさんいる。
そこに重量だ速度は関係ない。乗るやつが常識もってなければどっちも凶器が走ってんだ。
それを「電動自転車の重量も速度もキックボードよりも重いだ速いから危険は電動自転車だ」なんていう主張してるのを見ると
物理的に見ても変わらん危険性があるのが理解できてないお子様だってのがよく分かる。
コイツの片側主張でぶっちゃけるなら、キックボードと比べれば自転車の急ブレーキは超加速してなければ吹っ飛ぶことはない。
反対にキックボードは速度が15kmだろうが急ブレーキをすればステップから足がずれる事もあって自転車と比べて格段に危険なのは明白
それをキックボードは危険だと反対派みたいな奴らに必死にキックボードを認めさせようとして
重量だ速度だとアホみたいな事を述べて主張している様がホント間抜けに見える。
乗り手が道交法を理解できていて守れる奴じゃなきゃ、危険なものは変わりないし実際にすでに危険運転で捕まっているやつもいる。
自由気ままに動く6体のAIの中からランダムで1体決定されるキラーに、同じく残り5体のうちから1体選ばれるターゲットを殺させようとする黒幕側と、それを阻止する探偵側に分かれて競う密室殺人推理ゲームである!
お互いのプレイヤーは毎ターンに1体だけキャラクターを選び命令を実行させるのだが、このとき凶器(ナイフとか)を持ったキラーとターゲットだけが同じ部屋に入った状態でターンが終われば黒幕の勝利!
探偵側は10ターンの間ターゲットを生き延びさせてからキラーとターゲットを当てれば勝利!
めっちゃ探偵不利に見えるけど探偵は毎ターンの最後にターゲットとキラーが近くにいるかを直感的に嗅ぎ分けることが出来る(どういう能力だ?もう探偵とかそういうのじゃないだろ?むしろ探偵なら「お互いのプレイヤーがターゲットもキラーも操作してない時勝手に両者が近寄って事件が起きやすくなる」の方がコナンや不動高校っぽくて正しいだろ?なんだこのゲームは?コンセプトが意味不明だ!!ゴミゲー111!!!!!!)
探偵はこの能力と「キラーはさり気なく凶器を手にしてターゲットに接近して二人きりになろうとする」という前提から推理を深めていくのだ!
このゲームの凄い所は毎ターン5~4体(探偵と黒幕の操作キャラがかぶると黒幕側の操作が強行されるので狙いがわかりやすくなる)のキャラが好き勝手に動くことにより極めて状況が意味不明になるということだ。
自分と相手のキャラがかぶらなかった場合は5体のうち1体だけが相手プレイヤーの意図のもとに動くわけだが、これにブラフが入り込むわけだからもう何がなんだか。
とはいえ探偵は毎ターンキラーとターゲットの距離センサーが働くので何となく消去法で情報を増やしていけるし、黒幕はどっかのタイミングで凶器を持たせてターゲットに近づかんといかんので最後の方は露骨な動きをする。
だけどこれが結局意味不明なんだな。
黒幕がターゲット殺せないで探偵はキラーを当てられずに終了みたいなの。
もうグダグダじゃん。
さ あ 、 も り あ が っ
て
ま
い
り
ま
し
た
あほっくっさ!
振られた反動で下の毛ぜんぶ剃った。
最初に言っておくが男だ。
もともと生えるに任せていたのだが、振られた原因の一つが陰毛なんじゃね? って思って下の毛を切った上で全部剃った。
下の話で悪いが、俺はバナナが常にコンニチハしてるわけじゃなくて、ふとした瞬間に元ザヤに収まることがある。
下の毛がパラダイス状態だったときは巻き込んでしょっちゅう痛かったが、それが皆無になった。快適である。
またまた下の話で悪いが、毎晩日課のセルフサービスが楽になった。別に毛があることも何か大変だったということはないが、
毛が手に触れるのって思ったよりも気持ち悪かったんだなって認識した。
理由3 蒸れることがなくなった
今の時期ですら割と快適なのだから、夏になると特に快適さが出てくるのではないかと踏んでいる。
あと蒸れたら臭いしな…。
デメリットもある
初めて剃ったときしぬほど痒かったし、なんかブツブツできて気持ち悪かった。どうやら炎症起こしていたらしく、オロナイン塗ったら治った。
二回目以降は痒みもなくぶつぶつもない。ただ一応オロナインは塗っている。オロナイン最強。
全剃りしてつるつるなのは最初の1日だけで、それから生えかけの毛というのは割と凶器になり得る。相手がいる人は剃るんじゃなくて脱毛にしたほうがいい。
そして、実験がてら下の毛のついでに腕毛やスネ毛も剃ってみたところ、風呂上がりに毛が水分を保持しなくなったので、拭くのも乾くのもとても早くなるという副次効果もあった。
脇の毛も剃ってみたところ、寝汗かいたあとのイヤ〜な感じが減ったように感じる。実は下の毛よりも脇毛剃ったあとのほうが痒くて辛かったが・・・。
そう考えると体毛っていらないんじゃね? 毛って汗も匂いも保持する気がするから体臭気になるマンは処理したほうがいい、と体臭気になるマンが申している。
アカデミー賞の授賞式で、家族を揶揄するジョークに激高したウィル・スミスがクリス・ロックを殴打した件だが、欧米のメディアや有名人からはウィルに対する批判が殺到している。
Will Smith hits Chris Rock on Oscars stage
Will Smith went low by slapping Chris Rock. In his attempt to justify it, he went even lower
ウィル・スミスのやったことは感情に任せて暴力を振るうという幼稚な振る舞いで、何も擁護する点などない。彼にはクリス・ロックの侮辱に対して怒りを表明し、家族の名誉を回復する機会は充分にあっただろう。それが開かれた文明社会での常識的な振る舞いである。マーク・ハミルが言うように、感情のコントロールすらできずにセレモニーをぶち壊したウィル・スミスの行動は醜悪にすぎる。あそこはほかの受賞者にとっても晴れ舞台、夢がかなう場所だったのだ。
一方、同じネットでも英語圏と日本語圏では全くトーンが違い、「ウィルよくやった」「暴力はよくないがウィルの行動はわかる」というような、積極的な肯定から消極的な容認、彼の行動に理解を示す論調が強い。ここに私なんかは日本人の暴力への親和性、ハードルの低さ、暴力を許す空気を感じてしまって怖い。
ウィル・スミスが奥さんを侮辱したクリス・ロックに激怒し、平手打ちしたことに「気持ちはわかるが暴力はダメ」って言う人
「アカデミー賞授賞式という場所で、全世界に中継されている中、自分の家族がジョークのネタとして侮辱される」
という行為の暴力性を一度考えてほしい
言葉も立派な凶器だよ— 潜水蛙〈フロッグマン〉 (@un_known_frog) March 28, 2022
ウィル・スミスの件だが、「賛否両論あると思うが」との書き出しが目立つのだが本音で「否」と思う人がいるのだろうか。妻の名誉のために瞬発的にとった正しい行動だったと思う。殴る行為を全て悪いこととしか思えないのは認知が歪んでいる。— 丸山ゴンザレス (@marugon) March 28, 2022
妻を侮辱されて、無数のカメラが回って世界中に生放送されてるアカデミー賞の舞台に迷わずつかつかと上がって侮辱した奴の顔面を殴るウィル・スミス、くそかっけぇな……(— 榎宮祐♟️ノーゲーム・ノーライフ11巻発売中 (@yuukamiya68) March 28, 2022
4月から関東に行くの関西人も多いけど、東京もんが「え、関西出身なの?何かを面
白い事言ってよ」みたいなクソつまらんふりをしたときにウィル・スミスのモノマネしますって言ってビンタする選択肢が増えたので春から東京で生きる関西人はレパートリーに加えとくといいですよ— 荒神ヤヤ🐯 (@connectomancer) March 28, 2022
どんな人でも大事にしている人の悩んでいることをダイレクトに言われたら怒ると思う。言っちゃいけないラインを超えることを言われて激怒しないのも問題だと思う。ウィルスミスの愛情を感じる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4717361912502547874/comment/kurukurucure
殴る暴力と言葉の暴力って等しいと思っている。殴ったらあかんって良く聞くけど、言い続けてもダメだ。私は言葉の暴力でパニック障害になった。殴る事は肯定しないが、言葉も等しくダメだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4717361912502547874/comment/ryussy777
侮辱されたことにきちんと怒るのは大事。脱毛症で悩んでる人を世界中に晒して傷つけたのだから平手打ち済んでむしろ良かったね、というレベルでは…
https://b.hatena.ne.jp/entry/4717361912502547874/comment/nicoyou
何も私も暴力のすべてがいけないと言っているわけではない。「正当な理由があったら暴力を行使してもいい」というのは正当防衛として人間に認められた権利であって、例えばいまウクライナで起きているような人道危機などには暴力を行使してでも跳ね返さなければいけない局面だろう。でも今回はそこまでの局面だったか? ウィル・スミスはウクライナの国民とは違い、暴力以外の言論や表現により、あそこで起きた事態を回復する手段は十分にあった。それを選ばずにノータイムで暴力を行使したウィル・スミスの振る舞いは言語道断であり、批判されて当然だろう。こんなことは法的にも倫理的にも当たり前のことだと思うのだが、そういう論議に行かずに「家族を侮辱されたんだから暴力行使してもいいだろ」みたいなロジックが雑に展開されることが怖いのである。
そう訴えていたブログ記事が消えていた。
なにかしら炎上したのか…??いやなにか心境の変化か。
1.顔がおしり
(しゃべっていても肛門が喋っているようだ、不潔、とのコメントがある)
ただ、あのおしり探偵はお尻のような顔であって口から放屁するものの、もはやそれはゲップ…。
どっちみち下品ではあるが、おしり探偵はご両親も同等の形状のため、そういう生命体である。
おしりと言っている箇所も彼らからするとほっぺであるかもしれない。
2. とくになし
それ以外ないんだよなぁ…。
むしろ、コンテンツとして優秀な分、「なぜお尻にしたんだ!?」と1が攻められている(ごく一部さ)
どんな良質なコンテンツもターゲットが手に取ってくれなければ意味がない。
このため、子どもがつい手にとってしまうキーワードとして「おしり」探偵を選択したのかと推察している。まあ、この点は下ネタだよね。
実際、うんこドリルはこの観点からして成功している(おしりたんていはコンテンツとしては2007年くらいからしており、息が長いようだ)
手にとってみれば楽しい、面白い、ゆえに息の長いコンテンツとして愛されている。
おしり探偵は紳士である。放屁することが凶器であると理解しており、ちゃんとオナラする前は『しつれいこかせていただく」との前置きがある。
あとうちではオナラの前には断ること、でたらごめんね、がわりと定着した。
別にオナラは悪いことでもない。この微妙なラインを教える時にちょうどいい。おしり探偵、オナラしてもかっこいいしな!!
児童書はよんでないが、絵本は一通り読んだ後にもう一度読んで、さらに謎々や追加の〜探し要素があってよかった。
アニメもそうだが、同じ街であの話で出てきた子がここで?!みたいなかんじになるので、割とどこから読んでも大丈夫になっている。
別に9条を信じてるみたいなことはないんだけどさ
普通に考えて
ボクサーが「俺の拳は凶器なんで、一般人は殴らない」って言ったら「なんのために拳きたえてんの?www」ってなる?
「試合」になったら「選手」として出場して「ルールに則ったボクシングをするため」に拳鍛えてるから「一般人と殴り合いになるような事になっても、殴り合いに拳は使わない」ということじゃないの?
9条で自己申告してるのは「戦争」になったら「防衛」として自国の領域を守るため「威力の除去を試みる」ために自衛隊がいるから「威力が領域外にあってこちらに向いていても、それを防衛と称して除去を試みたりしない」ということじゃないの?
自国の領域内に入ってきた場合は、どうにかそれを無力化させる準備はしておいて
元増田のお母様は、集団ストーカーと呼ばれる犯罪の被害者です。
日本全国に大勢の被害者がいますが、まだ社会一般に周知が進んでいません。
説明が非常に難しい手口であることと、証拠を確保することが困難なため、警察に訴え出ても取り合ってもらうことが難しい状況です。
また、全国の被害者がこの犯罪について声を挙げ始めていますがマスメディアはいっこうに取り上げません。
このような現状を打破するため世論に訴えかけようと、当事者である被害者が自ら草の根で周知活動を行っています。
普段ニュースで報道される事件の中には、一見理由が曖昧でその後どのような理由で当該事件が発生したのか判明しないまま社会から忘れ去られるケースが散見されます。
職場においては都合の悪い社員を辞職に追いやるため陰湿ないやがらせが行われているケースがあると聞きますし、学校においてはいじめが原因と考えられる理由で自ら命を絶つ子供が後を絶たないばかりか、
学校や教育委員会がいじめの存在を否定し、教師が子供の心を傷つけるような行為を行っているケースまで報道されています。
これらのニュースの多くは真実が判然としないまま他のニュースにかき消されていきます。
集団ストーカー被害者の地域生活においては、誰かに都合のよくない発言や行動をとったことがきっかけでまるで「村八分」のような扱いを受け始めたという報告があり、
日常生活の中で見ず知らずの不特定多数の人たちから不自然に不愉快な思いをさせられることがあるようです。
これらの不愉快な出来事は偶然とは考えられない確率と頻度で経験させられており、驚くべきは被害者の個人情報が前記のような行為に使用されています。
このような現状を鑑みれば、報道される一部のニュースの裏で声を上げられずに苦しむ人々が存在し、決して表面に現れない真実が隠されているのではないかと憶測せざるをえません。
現在多くの被害者がインターネットを通じて情報を公開していますので、議員や報道を業とする方々の一部はこの事実を把握しているはずです。
多くの被害者によれば、加害行為を実行している者たちは、公務員をはじめ様々な業種に携わる職業人や一般社会人とみられる方々まで、
高齢者から学童まで幅広い年齢の人々が加担している様子が報告されています。
更には、この犯罪には非常に高度な技術が用いられている様子がうかがえることが大きな特徴です。
お母様が盗撮被害に遭われているように、刃物や拳銃など常識的に想像ができるような凶器ではなく、ヒトの視覚や嗅覚で知覚することができない技術を応用して被害者に苦痛を与える手段を持ち合わせているようです。
携帯電話や人感センサー、GPSなどはすべてヒトの目に見えないもののはたらきによって作動していることを考えれば、決してありえない手段でないことはご理解いただけるのではないでしょうか。
しかしこのようなことを訴えても、一般の方々にはにわかに信じていただけません。
私たちのように取るに足らない一般庶民に対して、なぜこのような大掛かりな加害を実行するのか何一つ理由が見あたらないからです。
加害の手口が常識から遠くかけ離れているため、家族や友人などの身近な人たちに現状を訴えても被害者の身に起こっている事実を信じてもらうことが非常に困難です。
被害者の中にはご自身の被害の実態から加害実行者を特定している方々もおられますが、個々の被害状況も様々であるため不明な点が多いのも事実です。
確実にいえることは、加害の手法には一定のパターンがあることから、加害者側は非常によく統制されたシステムで成り立っており、
専門知識を持ち合わせた人物を含む信じがたいほど多数の加担者を利用して、加害の実行も厳格な取決めのもとに行われる様子がうかがえることです。
いったん被害が開始されると短期間で止むことはなく、長い方々では何十年と苦しんでおられます。
被害者は、それまで持ち合わせていた常識からかけ離れた状況に追い込まれてパニックを起こし、残念ながら精神科への入院を勧められたり、最悪の場合自ら命を絶つ方もおられます。
幸いインターネットの普及により「集団ストーカー」と呼ばれている事実について、被害者がおびただしい数のブログ、ホームページやSNSを利用して情報を公開しています。
一方で非常に残念なことに、被害者を執拗に揶揄する者が存在し、この事実を隠ぺいするがために偽りの情報を拡散することで一般社会に誤解を与えるような記事が多数公開されています。
しかしながら昨今、冷静な視点をもって、デモや街宣をはじめ周知用のチラシを配布するなど、身近な方法でこつこつと周知を行動に移しておられる被害者が全国で増え始めています。
中にはこの犯罪の事実を地方議員や国会議員に直接訴えかけている方々もおられますが、解決に乗り出す動きがみられません。
被害者の多くはこの被害により生活や職を追われたり社会的に孤立に追い込まれています。
深刻な社会問題ですが、第三者による介入はいまだかつて行われていません。
https://anond.hatelabo.jp/20220127115426
攻撃性とサイコみで精神が汚染されそうなので冒頭とオチ以外読んでないけど、
起きても居ない先回り妄想を前提にこれほどまでの憎悪で相手を攻撃できるのはなんともはや過ぎる。
自己保身で作品名を伏せていたけど、ブコメで批判されて名前を出されたから僕ヤバだとゲロったダサさにも涙が出そうになるが
先回りで勝手に「アニメ化して献血のコラボポスターになって性的だと燃やされる」などいう書き口から、
まぁ男性オタク(増田)が女性オタク(増田にとって悪でなければいけない敵)を指して、
そこから雑にフェミニスト認定して己の願望込の未来予測を根拠に、事が起きる前に排除しようと躍起になっている。
という図式だろう。
一言で言えば「女性作者の作品に群がりながら女性ファンの存在を確認すると顔を顰める、ホモソーシャル男性オタクの断末魔」である。
オタクコンテンツを「みんなと一体になる道具」としか思わず、それに依存したオタクの末路とも言える。
「えっへっへ、僕も失礼してw」と裸になってオタクが溶け合う汁と化したLCLに飛び込んだら、
これまでネットで築いてきた価値観が崩壊しかねない“異物”を認識したため「僕の心が汚されて犯された!!」とお壊れになられたという事だろう。
しらんがなだけど。
この手の男性オタクは自分が楽しんでいる時はファンのコミュニティから女性層の存在を視界から抹消するくせに、
コンテンツの価値でマウントを取る時だけ「女性ファンが多い」と言い出して誇ったり、
内輪で楽しんでたエロスが外に見つかると(内輪以外に性的だと思われる=女に攻撃されている=敵は論破せねば)と連想して
「作者・絵師が女性であること」を盾にするというムーブがお決まりで、それがすごく気持ち悪い。
それは作者への敬意などではなくて、オタク(俺)が女性(脳内フェミ)を殴る凶器として女性(作者)を使うという最悪の利用法だよ。
ラブライブほか各種アイドルアニメとか、過去それが観測された例を上げればきりがない。
現在心にヤバいやつがいそうな元増田と違って想定すらしたくないけど、もし仮に元増田の未来予想図が来たら
嬉々として“敵”に「作者は女性だが?」とか言う元増田の姿が手に取るように断言できるので、
少なくとも日本では「みなまで言うな」が「粋」とされる傾向があるから、
わかりきったことをクドクドクドクド説明するのが「粋」じゃないって価値観は理解できる。
レベルをグンと落とすけど「凶器のナイフが、あ、ナイフっていうのは切るための道具で、取っ手がついていて、手に持って用いる汎用の刃物のことなんですけど」みたいな説明セリフがあったら「いや、ナイフくらいわかっとるわ。バカにしてんのか」ってなるか「いや製作者側ナイフの説明しないといけないレベルなのかよ」ってなると思うのよね。
ターゲットの年齢層に対して内容のレベルが低すぎると「製作者側のレベルが低すぎる」もしくは「製作者側が視聴者層のレベルを低く見積もりすぎている」という感覚になる人は多いと思う。