はてなキーワード: 冷蔵庫とは
現在、俺は29歳なのだが、結婚できる兆しが全くと言っていいほど見えてこない。
学生時代、実験の班分けが同じなった女と付き合っていたのだが、その女と疎遠になって以来、異性との交際経験が全くない。
タイトルと全く違う話をしているように聞こえるかもしれないが、俺にとっての彼女や嫁という存在は「桃」に近い存在だと最近気がつき、この感覚を共有したく、日記を書いている。
桃の味や触感は何なら好きだし、偶然にも冷蔵庫に入っていたり、贈答されようものなら喜んで食べる。
しかし、自ら青果売り場に赴く気力が湧かないし、いつ頃店頭に並ぶのかも知らない人は多いんじゃないだろうか。
仮に「今日からあなたは一生、桃を食べられません」と告げられても「はぁ、そうですか」と特に抵抗なく受け入れ、今際の際でそのことを思い出すくらいだと思う。
時間も金も十分にあるのに、ずっと持て余している。女どころか仕事仲間や親族と言葉を交わすことさえ億劫になっている。
このままだと、桃はおろか苺や八朔も食べることなく生涯を終えてしまうんじゃないかと恐怖を覚える。そして、その恐怖に当事者意識が持てない自分の幼い心が恥ずかしくて仕方がない。
俺は、どうしたら桃を買いに行けるんだ。
• 水:500ml
• 砂糖:150g(お好みで調整)
• 黒胡椒:5粒
• 生姜:薄切り3〜4枚
• バニラエッセンス:少々
• レモンの皮:1個分
• オレンジの皮:1個分
• コリアンダーシード:1/2小さじ
• 炭酸水:500ml(好みで調整)
1. 小鍋に水を入れ、中火にかける。そこに砂糖を加え、砂糖が完全に溶けるまで混ぜる。
2. シナモンスティック、クローブ、オールスパイス、黒胡椒、生姜、レモンの皮、オレンジの皮、コリアンダーシードを加える。これを弱火で約20分ほど煮る。香りが出てきたらOK。
3. 火を止めて、液体をこしてスパイスや皮を取り除く。液体が冷めたら、冷蔵庫で冷やす。
写真屋さんに冷蔵庫保存したネガを持って来たお客様がいて大変だった
生フィルムの保存と聞き間違えられたのか?
カバンの中で湿気でネガシートとネガフィルムが貼り付いちゃってて、感光剤はゼラチンなので剥がして乾かしたとしても凹凸になった跡が残る
もちろんプリントにはしっかり出る
洗い直してゆっくり自然乾燥かフィルム現像機の界面活性剤層の液に着けてから乾燥させればだいたい直るが、大量の原版&急ぎといわれたので説明した上で突っ返さ🐒゛をえなかった
卵、みそ、あとひとつは?
(追記)
一度でも低温で保管されたものは常温にすると結露なりなんなりで品質が落ちるし悪くなりやすい。あと常温は温度変化が大きいので、入れられるなら全部入れた方がいい。小麦粉もダニが涌くし。
味噌は常温でも保存可能だが発酵が進んで色が濃くなる。玉子を保存するならサルモネラ菌等の繁殖を防ぐためにも冷蔵が基本で食品衛生法にも書かれてる。店では結露を防ぐために常温で売ってる。
みそも卵もスーパーで常温の棚にあるのはそういう理由ってことか。
たしかに冷蔵庫から出してしばらく置いた卵なんて滝のようにビッショビショに結露するからビビるよな。
ただ料理するときは常温に戻すのが基本じゃん?(丁寧な生活マウント)。レンチンするわけにもいかないしめんどくさいし初手常温でええやろってなんのよな。
昔からある系だとうめぼしもそうよな。
ワイは塩分20%でハートアタックガンギマリ梅干し作るから外でも問題ないけど最近の軟弱者どもは塩分8%とかで漬けよるから開封後は冷蔵庫じゃないと無理そう。
常温とは何℃程度のことなのかが気になる。例えばこの夏に室内で常温(>35℃)では少なくとも赤ワインの”常温”を超えているんだが。
今年の夏クーラーなしチャレンジしてたけどみそもたまごも常温で平気だったな。
諸事情で1週間くらい卵消費しなかったときの常温で置いといた卵の黄身のハリが無さすぎて驚いた。
けど俗にいう卵の腐ったようなにおいがしなかったので食ったけどまあ平気だったわ。
しょうゆって置いといたら味変わって来ない?
なんかマズいポップコーンみたいな余計な風味が加算される気がする。
みそも変わるけどみその場合はなんかそれが味の深みっぽい感じになる。それはたぶん気のせい。
パン。
刑務所に入るとしたら、なるべく快適で安全な場所を選びたいよね。
いくつか「悪くない」とされる刑務所を挙げてくね。
この刑務所は「オープン刑務所」として自然に囲まれた環境が特徴だよ。
受刑者は自由に動き回り、農業や漁業などの仕事に従事しながらリハビリをするよ。
こちらもノルウェー同様、福祉と教育に力を入れており、比較的自由な生活環境が整えられているよ。
ちょっとユニークな刑務所だよ。事実上、受刑者が刑務所内でコミュニティを作り、店を経営したり、家族と一緒に暮らしたりできます。
自由度が高いけど、秩序が自分たちに任されているため、ある意味リスキーでもあるよ。
「クラブフェッド」と呼ばれる軽犯罪者向けの刑務所は、特に白襟犯罪者が多く、比較的快適な施設で過ごせるよ。
テニスコートや図書館などのアメニティが充実していることで知られているよ。
まあでも一番は捕まらないことだよね。お互い悪いことをするのはやめておこうね。
やあ!
みなさんこんにちは。
何を隠そうこのワイ、母親の介護歴17年(糖尿→脳卒中→骨折→認知症で要介護4。この間祖母の介護も4年被ってる)、父親の介護歴11年(骨折→肺がん→認知症予備軍で要介護3)を自宅みている 大馬鹿者 大ベテランなんですね。もちろん独身KKOです。
と言うワケで、アドバイス欲を満たすための生贄を見つけたので、クソバイスするよ。
さあLet'sクソバイス
水分補給と同じで、ストレスがたまったら解消するのでは間に合わないことが多いので、ルーチンにれる。
例えば俺の場合、毎週木曜日が仕事完全休暇という仕事なのだが、この休みに合わせて、木曜日は両親ともにデイサービスに送り出している。
そして、木曜日はストレス解消の日、自分を甘やかす日と決めて、何もしなかったり、だらっとアニメを見たり、本を読んだりしてる。
また、3ヶ月に一度ぐらいショートステイに夫婦揃って出てもらったら、泊まりのエンタメにも行く事にしている。
自分の場合は、だいたいは夜行バスで大都市圏まで出て、大きなシネコンで一日映画三昧したりって感じですが、こう言う日を確実に大切にすること。
そしてこれは「開いたらやる」じゃなくて「何があってもやる」と決めてスケジュールに入れること。有給休暇と同じね。
そうじゃないと自分が持ちません。
なお、ショートステイは定期的に利用しておかないと、緊急時に対応してもらえないので、その訓練も兼ねています。
緊急時ってのは、俺に何かあった時が最大。そのほか、どうしても外せない義理のときとか、高校生の頃に心を救ってくれた声優さんがx年ぶりにコンサートするとか、そういうときね。
災害のときとか、色々なときに泊まりで預けられるようにしておかないと詰む。
それでも愚痴を言いたいときあるよね。そういうときは増田で愚痴りましょう。
増田なら💩💩🎠🦌とか書いても誰も何も言わないし、きゃっきゃしてりゃいいので。
そのための増田。まぁ、実践しているのだと思いってそこは安心しました。
まさにクソバイス
これ3つとも分かる派なんだが。冷蔵庫の牛乳やトイレのペーパーに求められるのは次の人が一回分使える状態にしておくことでしょ。別にそれが求められてないなら使う人が交換するルールにしておけばいい。トイレなら芯のまま放置だ。
一回に満たない量を余らせた段階で交換担当は余らせた側やろ。芯のまま放置してるのと実質一緒だからな。むしろそれがわからないのがびっくりやわ。
麦茶を飲み干したまま空のお茶ポットを冷蔵庫に戻すのは誰が見ても有罪だろう。
新しい麦茶バッグの場所がわからないなどの理由があったにせよ、空のまま瓶を冷蔵庫に戻す意味がない。次に誰かが麦茶を作ってくれるまで瓶を冷やしておこうと思った、くらいの言い訳しか思いつかないが、これとて常温の水を入れるので意味がない。
しかし、牛乳やジュースを一口だけ残すの本当に悪いことだろうか?
その時飲みたいだけの分量を注いだらたまたま一口残った、そんなことは普通にあることだ。それとも、一口残さないために無理して飲みきれというのか?それは飲み物の無駄ではないか?
冷蔵庫の中には次の買い置きが控えているだろう。次に飲む人が最後の一口を使い切り、新しいパックを開けて足せばいい。そうすれば無駄がない。腹を立てる意味がわからない。
それとも「空になったパックを捨て、新しいバックを開ける」という役務を自分にだけ押し付けられたと感じているのか?
しかしそれは違う。「飲みたい分だけ飲み、一口だけ残ってもかまわない」という運用をしていれば、誰の番でパックが空になるかは不確定だ。新しいパックを開ける役務も全員に平等に等確率で回ってくるはずだ。「なくなる寸前の人が担う」と「なくした当人が担う」でいったいどこがどう違うのだ?
トイレットペーパーも同じだ。いや、トイレットペーパーはもっとわからん。
麦茶や牛乳は残量が誰にでも一目瞭然だが、トイレットペーパーがどれだけ残っているは、ホルダーの形状によってはまったくわからなくないことがある。
横から芯や軸まで見える形状のホルダーならともかく、使い切って初めて終了が判明するくらい両側をガードされたホルダーは家庭用だってたくさんある。
引き出したペーパーがヒラヒラのシワシワになればいよいよ終了間際であることはわかるが、うっすらシワがより始めたくらいでは終りが近いことはわかっても、あと何回分残っているかまではわからない。終わりが近そうだからここで使い切ってしまえ、と引っ張り続けてみたものの、予想外に残量があって多くのペーパーを無駄にしてしまった経験は誰にでもあるだろう。
わざわざそんなリスクを冒す必要はないのだ。必要な分量だけ使えばいい。残量が一回分に足りるか足りないかなど勘案する必要はない。足りていようが足りていまいが、というか確率的にはほとんどの場合足りていないに決まっているのだが、トイレットペーパーを使い切るという機会はトイレの利用者全員に平等に当確率で訪れるのだ。天然自然の確率に従うだけで公平公正が保たれるというのに、なぜそこに「残量僅少の際は無駄とわかっていても使い切って次の人のために新しいロールをセットすること」などという珍ルールを設定するのだ。足りなかったペーパーは次の人が新しいロールに足して使えばいいじゃないか、そのほうがよほど無駄がない。
2日目のカレーが嫌い
同じ人いますか?
学生です。
土曜日や日曜日になると、昨日の夕食で出てきたものを朝と昼に食べることになります。
それがとてもつらいです。贅沢な悩みだとはわかっていますが、きついです。
「世の中には食べられない子もいるんだから」と言われます。それから何も言えないです。
何が嫌なのかというと
1.味がよくわからない
2.食べなければならない量が多い
3.親は他のものを食べている
1.味がよくわからない
ですが、味がよくわかりません。
他の人が言う「おいしい」とか「まずい」というのがよくわかりません。
「味噌汁濃いかな?」と言われても、よくわかりません。2日目のカレーも、昨日と比べておいしいとは思えません。
書いていて気づいたのですが、唯一の好き嫌いである「牛乳」と「辛いもの」は、味が嫌いなのではなく食べた後に気分が悪くなるから避けていたのだと気づきました。
2.食べなければならない量が多い
自分が満足するまで食べるというより、眼の前にある皿を空にするために食べているという感じです。
3日くらい食べられなかったものは捨てられます。それもなんとなく嫌です。
給食は完食します。自分で量を調節できるので気は楽です。牛乳はきついですが。
3.親は他のものを食べている
それが気づかいなのではなく「自分たちが昨日と同じものを食べたくないからなのでは?」と思ってしまいます。
あと、父が「メシある?」と聞いてくるのが苦痛です。ほぼ毎日です。
そう言っては昨日の夕食や冷蔵庫にあるものは一切食べません。コンビニに行くかカップラーメンを食べています。
少し歪んだ見方なのかもしれませんが、「私の食べているものは『メシじゃない』ってこと?」と思ってしまいます。本人には言いませんが。
昨日の夕食や同じ物を食べるのが苦手な人いますか?
長文失礼しました。
っていってうちに帰りたい。
ふっと昔懐かしいキリン瓶ビールの黄色いケースと醤油の一斗缶がラーメン屋裏口の場面で映り込んだ。
子供の頃は、朝の市場の仕入れにいく父についていくのが一番楽しかったな。
餃子のたねづくりをする母の横に座って、お店においてある少年マガジンを読んでいた。
今でも忘れない立ち上る刻んだ野菜の匂い、ラーメンスープの湯気、エプロンに染み付いた両親の仕事。
学費を出すために月に2日しか休まず働いていたことは口には出さなかったけれど、うすうす気が付いていた。
あの頃の仕送りのありがたみを本当の意味で理解したのは、勤め始めた会社がリーマンショックの煽りをうけて2年連続赤字を出したときだった。
浮き沈みは商売も同じだ。いっとき近所にはやりのラーメン屋がオープンしたとき、客足ががくっと落ちたことがあった。うちのお店からはラーメン屋の行列がよく見えるよ、と母は笑っていたが、うちの店は閑散としていた。その気持ちは、今となってはわかる。数は少ないけれど、お店の常連さんが売り上げの支えになっていた。
そんな苦労も乗り越えて両親が店をたたんだのは、勤めている会社で現法立上げのためにシンガポールに単身赴任していたときだった。こちらは仕事に忙殺される毎日だった。
お疲れ様だねと電話越しで伝えた。でも両親が40年働いた店舗を閉めるその場に居合わせたかったな。
両親からすれば子供たちが誰も店を継がなかったのはどう思っていたのだろう。今となってはわからない。
継ぐほどのたいそうな店じゃないよ、といったかもしれない。
でも、時折テレビで、息子夫婦が先代を支えながら家族でほっこり経営している町中華のグルメ番組が目に留まったりすると、両親のことが思い出される。こんなふうになってほしかったのかな。
建物は老朽化して、そろそろ取り壊そうと思っている。維持費もバカにならないし、空き家では地震保険も入れない。
南海トラフ地震が来たら、倒壊して近所にご迷惑をかけてしまう。
忙しいのを言い訳にしているが、実際のところはふんぎりがつかない。
それは紛れもなく両親が生きた証でもある場所だし、子供たちに残した場所だから。
ただいまっていって戻っていた場所がなくなる寂寥感が勝ってしまうのだ。
離婚を躊躇する原因
1. [金銭感覚がおかしくない] むしろケチすぎて生きにくいレベル。もう少し自由に金を使わせてほしいけど貯金できてるのでまあ良い。
2. [甘え上手] 良い意味でも悪い意味でも根っからの甘えん坊体質。良い意味でも悪い意味でもどこにでもついてくる(ついて来いと言ってくる)
3. [しっかりしている] 時間やスケジュールや子ども関連の予定はしっかりしてる。冷蔵庫の中身とか買い足さないといけないものとかしっかりしてる。完璧主義の良い面。
4. [料理が上手い] バリエーションは少ないけど味付けは好みを理解して合わせてくれる。バリエーションは(今後があれば)今後に期待。
5. [掃除と洗濯はしてくれる] 文句を言いながらも掃除と洗濯はしてくれる。
6. [顔は可愛い] 姿勢もスタイルも悪いけれど顔だけ見るとそれなりに可愛い。
7. [スれてない] いろんな事が初めてと言ってくれる。擦れていない。
鯖寿司といっても、松前寿司とか鯖棒寿司とかバッテラとか、厳密にはそれぞれ種類があるけれど、それは本題ではないので置いておくぜ。
とにかく、鯖寿司は最高だ。
なにぃ? 最高の寿司は、大トロだとぉ? イクラだぁ? ウニだぁ?
大トロなんて一貫食えば十分だ。もう一貫、もう一貫と食い進めるもんじゃねえ。
でも、鯖寿司はそれだけで腹いっぱい食えるうまさをもっている。
そもそもが、握りずしなどという代物が、寿司においては邪道な物だ。
寿司とはもともとはなれずしという(以下略。文章が長ったらしくなったので消した。気になる人は「なれずし」で検索してくれ)
ってなわけで、寿司ってのはもともとが長期保存を目的とした発酵食品だったんだ。
だから、ネタの鮮度だとか、握りの技術だとか、握りたてがうまいだとか、みんなちゃんちゃらおかしいおべんちゃらだってことさ。
それに対して、鯖寿司は違う。もちろん、なれずしほどには発酵してないけれどもな。
たいがいの寿司(握り寿司)は握りたてがうまさのピークで、時間がたつほどにネタもシャリも乾燥してまずくなるけれども、鯖寿司は違う。
(注:酢の〆具合によって消費期限が違うから一概には言えない。酢の効いたものはもっと(4日くらい?)寝かせた方がうまい)
金曜日の夜は、寿司屋に行っていろいろと食うけれど、最後には鯖寿司をお土産として持ち帰る。
そして、冷蔵庫に入れて、翌朝寝かせた鯖寿司を弁当として持って行く。
土曜日の休みに外出先で昼飯に食う寝かせた鯖寿司が最高にうまい。
金曜日の夜に食った、大トロよりイクラよりウニよりも遥かにうまいのだ。
鯖寿司は最高だ。
次点としては、朴葉寿司や柿の葉寿司のように、包んで寝かせる寿司こそがやはりランクインされるべきだろう。