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2019-01-10

ブスはフェミニズムに関わるなと何度言えば・・・

ブスはフェミ思想の中から自分の男憎しの視点から都合のいいところを切り取って主張するミサンドリストに過ぎない。

本来は男女共生思想のはずなのに、いつの間にかミサンドリストフェミの構図になってしまった。

フェミ思想の礎をつくった先人が聞いたら泣いてしまうぞ。

anond:20190110042207

そう。大切にしてくださいね

あなた社会生活をしている1人の人間ですし、「社会ルール」を守ることは多くの人と共生していくのに必要不可欠ですからね。

分かって頂けて安心しましたよ v(^_^)v

2019-01-07

はてなーが大好きな北欧の子どもたち anond:20190107163638

子どもじゃなくて親のミスから

フィンランドの静かな子供たち

保育士は、多少の歓声はそのままにしておくが、耳をつんざくような大声は、「叫ばないで!Älä kilju(アラキリユ)」と言って止めさせている。長男保育園に通い始めた時、初めてこう光景を見て驚いていたら、「ああいう声は嫌よねぇ、耳がキーンとなるもの」と保育士が眉をしかめて寄ってきた。近所迷惑配慮してというより、一緒にいる保育士の耳に耐えない声を出すのはやめさせているらしい。

子供はうるさいもの」という既成概念共生邪魔する?

日本保育園建設反対運動は、「子供はうるさいもの」という既成概念ベースになっているようだが、この問題を巡って、日本は今改めて子供達を取り巻く周囲の環境や、大人子供共存のありかたを考え直すチャンスを得たのではないだろうか。

子供は、その子らしく育っていくのが一番だ。ただ、子供はうるさくなくてはならないのか? うるさくしなくても、子供が楽しくできることは何だろうか? 保育園だけに限らず家庭でも、大人子供も快適に暮らすために、ライフスタイル見直してみることも有効かもしれない。

2019-01-02

年末ログインボーナス爆竹だった

年も越してしまったが、暮れの話を一つ。


暮れ明けに親戚参りをするため実家に帰ると、玄関先に爆竹があった。

そこそこ束で置かれていたので「あれは何なん?」と聞くと「市役所から配られたもんで置いてある」と。

父曰く、一昨日あたりに市の職員が来て、うちの集落の全世帯に一軒一軒配って回ったとのこと。

まあ職員の人も大変だったろうなと思うと同時に、ついにここまで来たかと思った。

塩害ならぬ猿害である


うちの集落は市の中でも山側、道路こそ発達しているものバス鉄道も掠りもしない所に存在している。

過疎気味ではあるし、まだ屋号文化も続いている由緒正しき田舎ではある(まあ日本各地に似たとこは多いと思うけど)

もっとも、若い衆の集まり子供会もまだ続いている程度には人が暮らす地域であり。

そんなところなので、向かいの山から鹿なり猿が下りてくることもそこそこあった。

実際自分が住んでいた十余年くらいでも、猿が植木場の柿をとって食べたり、西瓜を抱えて持って行ったりくらいは経験している。

庭先に見かけない猿の置物があると思ったら、生きていた猿だったなんて話が出てくるくらいだ。

まあそんなもんだから警戒こそすれ、猿による人への被害はあまりなかったのでこのまま維持できればいいかくらいに自分は思っていた。

たまにニュースで『噛みつきザル発生』なんてあったけれど、大抵は渡り若い猿とかだったし。

農作物に関しても、猿より鹿の方が深刻だったのでそちら側に若い衆やら猟友会対策していたくらいだった。


ところがこの十年くらいで猿たちは更に活発に……というより賢くなっているらしい。

はいっても農作物への被害がひどくなったり、危害を加えられたとかでは(まだ)ない。

家宅に侵入して炬燵に入って暖をとったり、台所の机の上にあった甘味果物を食べてたりするくらい。

問題は、鍵の位置や開いてるかどうかまで認識できるようになったらしく、鍵をかけていても入ってくることもあるらしい。

幸い、人を見るとどの個体も逃げていくらしいのだが……それでも家の中に猿がいたら気が気でない。

特に小さい子供のいる世帯はなおさらだろう。

そういうわけで、事態を重く見た市の担当課が爆竹を各家庭に配布したのである。実際出たときに使えるかはともかく。


長々書いたけど、所詮爆竹なんて一時しのぎ(=ログインボーナスの配布石程度)だし。

うちの集落が将来猿に負けるのも時間問題だなぁと思ってここで吐き出している。今は辛うじて『共生』といえる範疇に入ってるけど、多分。

そして、そこそこ人口の多いうちの市ですらこんな有様なのだから人口だけで言えば立川とかより多い)

他の市町村ではもっと大変なのかなぁと感じた年末でした。

2019-01-01

2019年元旦

オールザッツ漫才見てるんだが品庄ふたりとも20代の頃とビジュアル変わらないなあ。

それにしても、この二人の漫才って全然印象無い。

ひたすら仲が悪くて品川世間から嫌われてて庄司は嫁の名前を叫ぶ筋肉キャライメージしか無い。

でも二人共生き残っている謎。

つーか霜降り明星せいやas仁鶴師匠毒舌www

2018-12-20

anond:20181220005045

そういう運動被害者性の文化というらしいが、その被害者性というのは永久不変なのか、そして次の時代共生にその被害者宣言果たして真に資するのか…

2018-12-05

動物虐待者に対する『差別』の存在

差別をする側は、「自分差別をしている」という事実認識しにくい。

肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、

それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。


出身土地職業差別することが当然の時代で生きてきた人間は、

部落差別差別であると知ることができない。


同性愛悪徳だと教えられて生きてきた人間は、

同性愛差別を当たり前のこととして受け入れてしまう。



「それは差別ではなくて当然の常識だ」

区別をつけるのは当たり前のことだ」

そんな風に自己認識を歪め、差別正当化してしまう。

しろ一部のグループ迫害することを「正義」だと考えてしまう。

人種差別や、部落差別も、同性愛差別も、

今の我々は「それが差別である」という認識社会で生きているか

差別として認識できている。

だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしま

見えなくなっている差別もあるのではないか



私は、その一つが「動物虐待者への差別」だと考えている。




恐らく、この記事タイトルを見たとき多くの人が


動物虐待者は悪人なのだから非難されるのは当然だ」

「そんなもの差別じゃない」


と思ったことだろう。

実際に日本では動物愛護法が制定され、

愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という

罰則が定められている。





>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。

2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物死体放置された施設であつて自己管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。

3 愛護動物を遺棄した者は、百万円以下の罰金に処する。

4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの








現在日本では愛護動物に対する虐待法律的にも倫理的にも「悪」とされ、

非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。


だが、ここであえて問いたい。

「何故?」

と。

動物虐待がなぜわざわざ社会全体で法律を制定してまで、

排除しなければならない「悪」なのか。


動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。

それでは、理由もなく人種差別部落差別同性愛差別をしてきた人々と

同じ間違いをしていることになる。



では、手始めに動物愛護法第一条を見てみることにしよう。

基本的には、法律第一条にはその法律が作られた目的が記されている。





第一条 この法律は、動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ることを目的とする。





なるほど、「国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」。

かに生命友愛平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。

少なくともその目的自体は間違ってはいない。

だが、ここで当然の疑問が生じる。


動物愛護すれば」

生命尊重友愛及び平和の情操が涵養される」


という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。


結論から先に言うとこれは完全に間違いで、

現実には多くの動物好きが凶悪犯罪を行っている。

2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件

2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパート大家サバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件

2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件

ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。

したがって、「動物愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。


恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に動物愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、

科学的・統計的根拠があったわけではないのだろう。

そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは

哺乳類鳥類爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。





命の大切さを謳うこの法律では、魚類両生類無脊椎動物については何一つ保護対象になっていないのである

何故なら愛護動物ではないから。



イヌネコウサギを殺すと「生命尊重友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、

金魚カエルカブトムシ別に殺してもいいので無問題という、

この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。




さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、

動物虐待行為「悪」として迫害することの正当性担保するものは何も無いことがわかった。




からといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、

なかなか受け入れられる人はいないだろう。



その理由の一つが、広く社会に流布している以下の言説だ。



動物虐待はやがて人間への攻撃エスカレートする」

冷静に考えると「○○というグループ犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想典型なのだが……



実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。




聞くところによると、FBI専門家が、虐待精神に悪影響を与えると言っていたらしい。

FBIといえば犯罪捜査プロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、

きっと「動物虐待はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。




自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。



さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である





犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリング技術確立したFBI捜査官だ。




その手法については彼の著書であるFBI心理分析官』に詳しい。



私は以前、その『FBI心理分析官』を読んだ。

そして、愕然とした。

実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待殺人エスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。

彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、

動物虐待癖についてはシリアルキラー発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。



別に動物虐待殺人暴行因果関係については一言言及していない。

(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人過去に○○しているパターンが多い」と、

犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)

恐らく、このわずかな記述が誇張され、曲解され、

FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待人間への暴力エスカレートする』と言っていた」

というフェイクニュースを作り出したのだろう。




実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。




そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。


FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、

一度もそれを確かめようとはしなかった。




もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前出版された本であり、

今では犯罪学や心理学の研究状況は変わっているかもしれない。


だが、軽く調べただけでも

暴力段階説(動物への暴力人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。



ここに来て、私は動物虐待行為「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。

結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。


それも、かなり悪質な差別だ。


しろ法律まで制定して、公然動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから

そして、「動物虐待はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの

言説も、ヘイトスピーチしか言いようがない。



何の根拠もなく(ヘイトスピーチそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定グループへの誹謗中傷を行っているのだから

もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。


動物好きな人可憐な犬や猫を殺す行為社会であると思いたがってしまう。

何故ならその方が自分たちの感情にとって、都合がいいから。




自分の好きな犬や猫を攻撃するものが悪ではないと認めるのは、都合が悪いから。




だが、そのこだわりこそが差別の源であることを、人間は肝に銘じなければならない。

2018-12-03

キュアアンフィニとキュアゴリラと俺

繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達自分語り増田に聞いてほしい。

そうだな、俺はプリキュアになりたかった。

性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。

ただ、プリキュアになりたかった。

両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。

クリスマス誕生日プレゼントバンダイおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマお菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。

勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。

休日家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。

休み時間の過ごし方というと、同年代女の子プリキュアごっこ彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子プリキュアごっこに興じるのが常だった。

当然、小学校の高学年にもなると酷いいじめが始まる。

プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。

美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。

酷いいじめ、外見と理想ギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。

熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。

中学校は、行くのをやめた。

行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。

学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立Fラン大に自己推薦で入った。

今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。

地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。

HUGプリは面白い。間違いなく。

若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。

契機は19話だ。

池の平ホテルの「男の子仮面ライダー女の子プリキュア」というCM放送後に炎上したのも記憶に新しいが……

その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。

らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。

人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。

自分の心に制限をかけるのは人生のムダ?

そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。

僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?

分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!

俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!

彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。

翻って、俺はどうだ。

プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。

ひどい人生だ。

俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。


そして昨日の42話だ。

増田プリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。

お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組殆ど見た。

「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」

そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児なす列に並び、プリパラED差し替えでニチャニチャ笑い、ネット陰湿に笑いを共有しようとする徒であるまとめサイトコメント欄とかでね。

原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴収入類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。

彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。

そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望けが残った。

そのキュアゴリラが、若宮アンリプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。

男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?

ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?

プリキュアシリーズ共通するテーマである個性志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ

しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。

そうだな、俺はプリキュアになりたかったんだ。

なあ、増田FUJIWARA原西、若宮アンリ、教えてくれ。

俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?

誰か教えてくれ。

2018-12-01

anond:20181201085241

現代元寇が起きても共生しようって唱えるいい子ちゃんが多いだろうしね

2018-11-28

anond:20181128171749

いや、これ出来てりゃゴミ先生痴漢増田とも形上は共生できるじゃん

低能先生は防げなさそうだけど

2018-11-15

anond:20181115160742

自身で立て直すのは難しいかもしれないが、人類ルンバ共生派に音声で支援を求めて電源確保に努めようとはするぞ。

2018-11-04

どうしても言いたくて

コレのブコメを読んで感想

校則違反で校外学習外す、鹿児島 肌着の色、公立女子生徒 | 共同通信 - This kiji is

https://this.kiji.is/431037591501063265

次の問題が目についてので持論を少々。

下着肌着混同する人なんなの問題

不要ルールと罵る人多すぎ問題

人権まで持ち出す話飛躍しすぎ問題

校則法律より軽い問題

ではそれぞれについて。

下着肌着混同する人なんなの問題

 勝手に読み違えて猛烈に怒っている人はたくさんいる。相手の言っていることを正確に受け止めた上で批判しなくては届かないので落ち着いた方がいい。

不要ルールと罵る人多すぎ問題

 どんな文で書かれた校則かはわからないので類推する他ないのだが、「色指定パターンか「ふさわしくない肌着を禁ずる」みたいなパターンかと考える。これは本当に不要ルールだろうか。これが設けられている理由は、透け防止や学校の風紀維持であり、トラブルを未然に防ぐために決められているのではいか。この「トラブルを未然に防ぐ」目的に対して行き過ぎた校則かどうかが論点になるべきだが、「黒のタンクトップがだめだった」「校外学習に参加できなかった」という事象に引っ張られすぎてしまい、そこが議論されずに不要認定されている。

人権まで持ち出す話飛躍しすぎ問題

 なぜ肌着を注意したら人権侵害なのか考えた。すると「普段見えないはずの部分を権力立場を利用して無理矢理見た」という非人道的行いがあったと考えているのではないかと思った。もしそうならば話が飛躍しすぎている。仮にそのような検査方法が取られていたなら、300名に対し制服を脱ぐよう強要確認したことになるが、こっちの方がニュースになる気がしてならない。ニュースになっていない以上、透けた肌着校則に照らし合わせて注意したと考えるべきだが、それが人権侵害に当たるという主張も飛躍しているといえる。

校則法律より軽い問題

 校則法律関係ないのだから強要するのはおかしいといった論調があった。一理ある。一理あるが他人共生する社会生活においてその考えは通用しないことは自明である。それに特別権力関係論といものも有るらしい。法律より軽くても、法律上従わせることができる関係存在しているのはどうやら確からしい。そうなってしまえば、校則違反法律問題ない という主張は正当とは言えない。

これらの問題を抱えたブコメは総じて元記事問題提起を無視していると考える。

記事は「校則妥当性」と「校則違反処罰妥当性」を提起していると言える。

校則妥当性」についてだが、先に書いたように「色指定」か「ふさわしくない肌着を禁ずる」みたいな校則とするとトラブルを未然に防ぐ目的で制定された校則と考えれば妥当と言えるのでは無いか。このように言うと、では色付き肌着がもたらすトラブルは何か、や、トラブル発生までの論理的メカニズムを示せという意見があるだろう。人を従わせ罰することができるルールなのだから合理的理由を求めるのは正しいことだ。だが、校則制定でその手法採用できるかと言われればNOだろう。なぜなら色付き肌着がもたらす影響を論理的に展開できないからだ。カラフル肌着を着てても何も起こらないかもしれないし起きるかもしれない。起きたとしても肌着が原因だったかなんてわからない。では論理的説明できないのならば、何か起きてから決めましょうとなってしまう。学校がそのような態度でいて誰が得をするのでしょうか。だからトラブルを未然に防ぐ目的に対して行き過ぎた縛りであるかどうかという観点で考える必要がある。この観点から言えば行き過ぎているとは思えないので妥当だと考える。

校則違反処罰妥当性」についてこそ、この記事は考えるところが多いと思う。

みんなも考えて欲しい。

2018-10-12

ヒトデ不足の問題

ヒトデが不足している

ヒトデ不足によって倒産する会社も出てきているらしい

政府はヒトデ不足をナマコの誘致で対応しようとしているが

ナマコを増やしたからと言って本質的なヒトデ不足が解消するわけではないし

ナマコにも自分文化故郷がある

昔、ヒトデが他国労働力として移民した話をよくきくが、上手くいった例はほとんど知らない

やはり水が合わないのだろう

この前も知り合いのヒトデが「海の物とも山の物ともつかぬものを客前に出せるわけがない」と言っていた

ナマコはそりゃ海のものだろうと反論したくなるが、現実問題こういう経営者は多い

洋の東西を問わず、ヒトデもナマコ共生できれば理想的だがまだ先は長そうだ

政府は目先の問題大事だが、それよりもまずヒトデを増やす必要があると思う

2018-10-10

バカマツタケの"完全人工栽培"は偉業なのか

先日、加古川肥料メーカー多木化学バカマツタケ(Tricholoma bakamatsutake)の完全人工栽培成功を発表した。それを森林ジャーナリスト田中淳夫氏がyahoo!ニュースで取り上げた記事は、多数のブクマを集め話題さらった。

http://archive.is/fdyLb 

ただ記事の内容には不正確な情報や、やや解説が不十分と感じる点があったので補足したいと思う。なお増田は単なるきのこ愛好家に過ぎず本稿は信憑性に乏しいが、ブクマカのきのこへの興味と深い理解一助となれば幸いだ。

冗長になってしまったので、概要だけ知りたい方や長文が苦手な方は、先に下部の【まとめ】を読まれることを推奨する。

以下該当記事の一部を引用するかたちで解説

バカマツタケマツタケの近縁種。名前名前だけに、マツタケより劣るように思いがちだが、実は姿もよく似ているうえに味と香りこちらの方が美味しくて強いと言われるキノコである

マツタケよりも香りが強いというのは一般に言われるが、マツタケよりも美味しいという話は聞いたことがない。野生下ではマツタケよりも相当に貧弱で、発生時期が早く暖かいこと、一般湿度の高い広葉樹林に生えることからマツタケよりも柔く品質劣化がはやい(一般的にきのこ寒冷地・痩せ地に生えるほど日持ちが良く高品質ものを得やすい)ことが関係すると思われる。近縁で姿がよく似ているというのは本当で、素人目には見分けがつかない。増田にも発生場所情報なしに個体だけで同定できる自信はない。

別名がサマツ早松であるように、マツタケより早く8~9月に発生することから名に「バカ」がついてしまった。

バカマツタケサマツと呼ぶ地域は確かにあるらしい。しかし必ずしもサマツバカマツタケではない。きのこ地方名は極めて多様で曖昧世界だ。その証拠に「サマツ」といっても梅雨時期に少量発生するマツタケを指すこともあれば、モミタケオオモミタケ等を指す地域もあるようだ。

マツタケの人工栽培がなかなか成功しない中、バカマツタケの方が環境適応やすいか栽培もしやすいのではないかと注目する研究者はいた。実は昨年には奈良県森林技術センターが、人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて発生させることに成功している。

『人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて』という表現は正確ではない。菌に感染した苗木を人工的に作り出し植樹することで自然下で発生させた、とするのが正しい。既に自然化で定着している樹木に植菌を施すのと、無菌状態の苗木に植菌するのとでは似て非なる技術だ。(ところで同様の研究マツタケでも行われており、無菌培養の松苗木の感染には成功しているものの、植樹後のマツタケ発生については再現性に乏しい。理由としては自然環境化においてマツタケ菌が他の害菌に負けてしまうこと、マツタケの発生にはまとまった菌糸量とそれを支える大きさの松が必要なことが挙げられる。例えば自然下でマツタケが生えるためには一般20年生程度の松が必要とされる。)補足になるが、奈良県森林技術センターバカマツタケ栽培研究農水省委託事業で、2015年より森林総合研究所(国立)との協働で進めている。要するに国策が3年の歳月を経て文字通り実を結んだかたちだ。今年の2月頃に、はてブでも話題にのぼった。しかし本件とは全く関係のない別個の案件であり、おそらく情報の共有などもされていなかっただろう。奈良県森林技術センターが松の苗木を利用するのに対し、多木化学は菌床を用いた完全人工栽培に取り組んだ。研究テーマアプローチも全く異なり、時期も多木化学のほうが先行している。

これがバカマツタケ栽培の第1号で、今年も継続発生させて実用化に一歩近づけた。ところが多木化学は(中略)木クズなどによる人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結させたのだ。これは画期的なことで、キノコ栽培常識を覆す大発明かもしれない。

菌根菌(樹木との共生関係を結ぶ集団)とされるバカマツタケで『人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結』、つまり”完全人工栽培"に成功したというのは実に画期的なことである。この成果は偉業と言っても差し支えないものであると思う。三重大学の菌学者白水先生も、

とその成果を讃えている。

しかし本文にある『キノコ栽培常識を覆す大発明』というのは誇張にあたる可能性が極めて高い。なぜなら「菌根菌の完全人工栽培成功」という点においては既に先行研究があり、実はとうに商品化もされているのだから。例えばホンシメジの人工栽培がこれにあたる。

とくにマツタケ類は、植物との共生必須と考えられてきた。これまでマツタケ菌糸の培養成功した例はいくつかある(私もその度取材に行って、いよいよマツタケ栽培成功か、と期待していたのだが……)が、子実体(傘のある姿のキノコ)を出すことに成功していなかった。だが多木化学は、とうとう菌糸から実体を出させるシグナルを見つけたのである。この研究成果は、これまでの定説を破るものであり、学術上も大きな成果だろう。

繰り返しになるが、多木化学の成果が学術上も大きな意味を持つ可能性は高い。しかし、その成果がどのレベルかという点については当該記事では説明不十分なので、詳しく補足する必要がある。一般きのこ栽培はざっくり以下の工程をたどる。

a. 優良品種の選定・組織分離

b. 菌糸の培養

c. 原基形成

d. 原基の成長肥大

e. 子実体きのこ)の発生

ごく簡単に一連の流れを説明する。はじめに野生のきのこをたくさん採ってきて、それらの中から有望そうな株の組織(胞子ではない)を切り取って培養する。具体的には寒天培地というデンプンなどの栄養素を添加し固めたものを使う。きのこ組織を切り取り培地に置くだけで(コンタミを防ぐ必要はあるものの)、比較的容易にクローンである「菌糸体」を得ることができる。無事目的の菌糸体が得られたら、それらを培養して増やす必要がある。従来は木くずの他に、米ぬか、フスマなどを添加し水を加え固めたもの(=菌床)を用いる。菌糸体は、適切な温度、水分、光などある条件が重なると原基(きのこの基)を形成する。原基は一般に、低温、水分供給、切断などの刺激により成長をはじめ、十分な菌糸体の量と栄養供給を伴って肥大し、きのこの発生に至る。

ここで問題になるのは、b. 菌糸の培養、c. 原基形成、d. 原基の成長肥大という三つの工程それぞれに、全く違ったメカニズム存在することであるマツタケを例にとると、これまで少なくとも半世紀以上もの研究蓄積(野外での観察研究の記録を遡ると実に70年以上)がある中で、c,dについては再現性に乏しく、bについてもまともな成果はあがっていない。マツタケ栽培の難しさにして最大の課題は実はここ《b. 菌糸の培養》にある。とにかく菌糸の成長が遅い上に、どのようなメカニズムで菌糸が栄養素を取り入れ増殖するのかということがほとんど未解明なままなのである

理由は当該記事にあるとおり、マツタケ樹木共生関係を結ぶ「菌根菌」であることが大きい。マツタケ菌糸の生育には生きている樹木必要で、実験室での再現ほとんど不可能といっていい。それではなぜバカマツタケは完全人工栽培可能だったのか。

マツタケなどの樹木共生する菌根菌に対し、シイタケナメコなど、倒木や落ち葉などを分解し、栄養源とする菌類は「腐生菌」と呼ばれる。腐生菌の多くは菌床による栽培可能で、多くが一般に出回っているのは既知のとおりである。実は菌根菌は、腐生菌が進化過程樹木共生する力を獲得し、腐生的な能力を失った集団だと考えられている。ところが菌根菌の中には、完全に腐生的な能力を失っておらず、腐生と共生、いわば両刀使いが存在するのである。その代表ホンシメジであるホンシメジは「香り松茸、味しめじ」と言われるように、我が国における代表的な食用である。菌根菌とされるホンシメジ栽培は、マツタケ同様に長らく不可能と考えられてきた。しか系統により極めて強力な腐生的な能力を備えるもの発見された(研究により、これまで同種と考えられてきた本種が実は様々な系統もしくは別種に分けられることがわかってきた)。1999年タカラバイオなどにより菌床による完全人工栽培法が確立され、その後商品化もされており、少量ながら現在一般流通している。

多木化学バカマツタケ栽培は菌床を用いた完全栽培なので、上記ホンシメジ栽培成功と同様である。つまり、本件はバカマツタケの中から腐生的な能力を持つ系統を選定し、培養から実体を発生させるまで成功したということだ。リリースにあるとおり、今後は栽培の安定化と供給体制の構築が図られ、数年後にバカマツタケ食卓に並ぶことの実現性は極めて高い。それではマツタケ栽培への応用についてはどうか。

勘の良い方には察しがつくと思うが、前述のc〜eの工程については応用が効く可能性が高い。他のきのこ栽培でも成功しているように、十分な菌糸体と栄養を確保することさえできれば、原基形成〜子実体に至るまで管理可能なことを初めてマツタケ類においても示したことは大きい。ただし、最大の課題である《b. 菌糸の培養》については、ほとんど応用が効かない可能性が高い。なぜならマツタケにおいては既に膨大な先行研究があり、当然ホンシメジバカマツタケ同様に”両刀使い”が存在する可能性も、その系統選びも、菌糸培養を促進する成分や菌糸の栄養源についても、少なくともバカマツタケよりは遥かに詳しく調べられているかである。それをもってしてもまともな菌糸培養に至っていないのが現状なのだ

つまるところ、多木化学による本研究の主な成果は以下の二点にまとめられる。

繰り返すがこれらが偉大な成果であことに疑いの余地はない。一方でマツタケや他の菌根菌の人工栽培を実現するには、それぞれの種類において腐生菌的能力もつ系統の発掘と培養法の確立必須となる。その意味において本研究の応用範囲限定的となる。田中淳夫氏は今回の研究結果により、さも菌根菌の栄養吸収のメカニズムが明らかにされ、あらゆる菌根菌の人工栽培可能になるかのような書き方をしているが(あるいは本当にそう思っているのかもしれない)、残念ながらそうではないことはここまで読んでくださった聡明ブクマカ殿にはご理解いただけたかと思う。

菌床栽培なら、植物共生させないので培養期間が短く、室内の環境を調整することで季節を問わず生産できる。また室内栽培から虫の被害にあわず収穫時も混入の心配がない、収穫も簡単……などのメリットがある。

逆にデメリットを挙げるとすれば、野生のものとは全く異なる味わいと食感になることである。つまるところ、野生の品と菌床栽培のものとでは全く別物と考えるべきである養殖ブリと天然ブリの味わいが全く異なるように(それでも近年の養殖技術進化は素晴らしく、季節によっては天然物を凌駕するものさえある)、それぞれの美味しさと楽しみ方があると増田は考える。今回の成果によりバカマツタケ普通に食べられるようになったら嬉しいし、美味しければ普及すると思う。ただし、仮にマツタケの完全人工栽培確立されたところで、天然松茸価値のものは今後も揺るぎのないものである消費者がどう捉えるかはさておき)。

菌根菌のキノコの中には、マツタケ類だけでなく、トリュフポルチーニホンシメジタマゴタケなど高級キノコが多い。今回の成功が、これらの人工栽培技術もつながるかもしれない。

トリュフポルチーニは、日本におけるマツタケ同様にヨーロッパで盛んに研究がなされているが、今のところ菌床での栽培成功したという話は聞かない。ホンシメジは前述のとおり既に栽培法が確立されており既に商品化もされている。

これらの菌根菌の人工栽培可能にするには、ひとえに”両刀使い”の系統発見と、それらの培養方法確立である。ちなみに本家マツタケにも、実は”両刀使い”の存在示唆されており、引き続き研究が進められている。また、マツタケ類は世界中に似たような種が多数存在しており、マツタケ(Tricholoma matsutake)の中にも、例えば中国の山奥には広葉樹共生する系統があり、更にはそれらが日本ナラやカシと共生関係を結ぶことがわかっていたりもする。種の中にも多様性があり、それらをしらみつぶしに調べていけば、そのうち栽培可能ものに出くわさないとも限らない。その点はトリュフだろうがポルチーニだろうが同様である。ただし、その研究がどれほど途方もなく根気のいる仕事なのは間違いない(ちなみにトリュフポルチーニ国産種が知られており、積極的に狙うマニアが相当数いる)。ところで、遺伝子組み換え技術により、これらの菌根菌に腐生菌的能力を付加することも可能とする研究者もおり、そのうち遺伝子組み換えマツタケの完全人工栽培実験レベル成功する日も来るかもしれない。

まとめ

参考文献

https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20181006-00099530/

http://fs.magicalir.net/tdnet/2018/4025/20181003413938.pdf

http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/mame/mame04-3.html

https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/bulletin/424/documents/424-1.pdf

http://www.jsmrs.jp/journal/No31_2/No31_2_167.pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjom/50/2/50_jjom.H20-07/_pdf/-char/ja

トラバブコメに反応

見た目 味も 香りも 同等以上なら 偉業

あくまで野生産同士の比較なら、やや下位互換という感じではないでしょうかね。栽培バカマツタケは食べてないのでわかりませんが、うまくすればそこそこ美味しいものができる可能性はあるかなと。ただ、マツタケって単体で食ってそんなにうまいものじゃないと思うので、一般家庭での調理には手を焼く気がします。炊き込みご飯するにも炊飯器臭くなるしね。料亭とかでマツタケ代用品として普及する可能性はあるかもしれない。<

2018-10-08

実際お前らの近所にムスリムがどれだけ住んでて、どれだけ地域社会統合してるんよ?

生活共生したり軋轢を感じたり、という経験も無しに語ってるとそりゃ空中戦になるでしょ

その上で大塚東京マスジドの近所に住んでるから言うけど、やっぱりあんまり印象はよくないな

anond:20181007183524

論理は多少崩壊しているが、それでも採れる手段を総動員してでも韓国擁護しようとしている。

韓国擁護、そのためには自らの評判を投げ打ってみせるこの一貫性覚悟

思想面では確かにであるが、日和って言葉数少なくなる口だけの左派共生主義者とは明らかに違う。

敵ながら天晴れと称えたい。

2018-10-07

もうフェミさんってフェミ共和国でも作ってそこで暮らしくれればいいのに

フェミって一般社会とは相容れない単なる差別主義テロリストじゃん

ここまで排他的になられたら共生なんて無理なんだよ

女性蔑視が一番激しいのってイスラム圏なんだから中東のあそこらへんでイスラム過激派に混じって自分たちの国作りにでも参戦したら?

すぐ殺されて男に泣きついてくるだろうけどさ笑

2018-09-15

ラノベの表紙で不快になる人はいるとは思う

不快からゾーニングしようもそこまでおかし理屈とは思わない。

大勢の人が大きい不快感を持つ場合、やっぱり世の中的には隔離されるのが常だと思う。

ただ、もう今ではあまり読まなくなってしまったけれど(ネトゲの嫁は面白い)、

中高生ときに常に共にあって、自分を支えてくれたラノベ排除するのであれば、

それなりの覚悟で臨んでほしい。

たまにしか行かない本屋で、前を通るときにちらっと見える程度の不快感で、

自分がたくさんの時間情熱を傾けた対象を踏みつぶされてしまうと、あまりにも悔しい。

私たちはお互い少しずつ我慢して、よりより社会を目指していたのではなかったのか。

昔、こじらせていたときは通学路にあるショッピングモールバレンタインのフェアをやると、

追い立てられるような気持がして嫌だったけど、それを我慢するのが共生ではなかったのか。

2018-09-14

なぜロリコンリベラルに救われないのか

リベラルは口を揃えて、多様性共生を、マイノリティに光を、みたいなことを言う。

しかし、彼らはロリコンを救わない。なぜか?

それは、彼らの言う共生マイノリティ擁護姿勢が嘘だからだ。

彼らに擁護されるマイノリティは彼らの理解を得ることに成功したものだけであり、結局のところマジョリティであるリベラルを味方につけることでマジョリティの側に立てたものだけだ。

リベラル共生できるのも、彼らの理解を得ることができたマイノリティだけである。つまりマジョリティの側に立てたものたちだけと言うことだ。

から、彼らは本当の意味多様性共生することはないし、マイノリティに気を遣っているわけじゃない。彼らマジョリティ理解できるものだけ受け入れ、擁護する。それだけの話なのだ

からロリコンリベラルに救われることはない。ロリコン欲求は決してマジョリティ理解を得ることはない。

リベラルロリコンを救わないことについて、きっと違うロジックを用意するだろう。シリアルキラーを救わないことについて、ネクロフィリアを救わないことについても相応のロジックを用意するかもしれない。

でも、それらは言い訳だ。彼らは彼らが理解できるものにだけ手を差し伸べる。そして往々にしてその欺瞞無自覚なのだ

リベラルよ、気付け。

2018-09-07

anond:20180907115252

ツイッターは凄いなあ。フェイクやステマもあるけど、生の声っぽいのも聞ける。

セコマ本部は、パートのひとに休憩と食事差し出して欲しいな。従業員だってお客様にもなる存在だろう?共生考えるならみんなひっくるめてお互い様だぜ。こんな状況下でもレジの小休止にクレーム入れるような、道民って心が狭いのか?

今すぐ何とかしないと、あとあと問題になるぞ。

anond:20180907112040

言い過ぎた、非常にすまん。

人間には共生関係の生き物がいる。また腸内などに100兆の細菌暮らし、糞尿も本来エコシステムに組み込まれものだ。里山人間がいてこそ維持される。気候変動は太陽活動度以外に人間活動も影響しているだろうが、その変動にうまく乗る生き物もいる。

まり人間が敵である生き物も味方である生き物もいる。人それぞれが望んでか望まぬかはともかく、情報化社会グローバル化社会がやってきて、波にのる者も食えなくなる者もいるように。

一方、集められた核廃棄物から高濃度放射性物質が地下に漏れ、はたまた爆発飛散など起こしたらほぼ全部の生き物に甚大な害をもたらすものである

2018-07-29

anond:20180729115424

社会という枠組みに他人共生している以上、直接的な救済策はない。だから不運だ、と思う。

ただ創作などで表現することにはまだ寛容なこの国は幸せな方だと思うし、受け皿として機能していると思う。

緩和策の一つとして考えられるのは、別の好きを探すことじゃないだろうか。

見方を一つ変えれば、本命と添い遂げられる人がこの世に一体どれだけいるだろう?

誰かを好きになっても叶わないことなんて、異性愛だっていくらでもある。それでもその対象だけに執着し続けていると問題が生じる。

好きであることを止められなくても、それが好きなまま、他も好きになれる可能性はある。

一途なのは良いことだが、視野狭窄は誰もが辛いだけだ。距離を取ってから見えてくるものもある。

誤魔化しに過ぎないかもしれないが、尊べるものの多い人生は豊かだ。

2018-07-07

頭脳派が他人と生きる映画

イミテーションゲームとかドリームとかビューティフルマインドのような頭脳共生を描いてる映画があったら教えてほしい

2018-07-03

anond:20180703161416

美しい四季折々の風景がある。水道水がそのまま飲める。電車が時刻通りにくる。国民の大半が勤勉で真面目。治安がよくて女性が真夜中に出歩いても安全サッカーワールドカップ日本人サポーターが見せたように、ゴミ拾いなどのマナーがいい。もちろん電車バスなどでのお年寄り妊婦さん、ベビーカーに対しての席譲りや気遣い共生精神がしっかり根付いてる。何より最高なのが和食。ヘルシーな食事世界中エグゼクティブから評価も高く、ミシュランガイドでは調査員がベタ誉め。アニメ漫画ゲームといったエンターテイメント世界中評価されてる。

何これ世界最高じゃん日本

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