はてなキーワード: 光GENJIとは
アニメ「ダイの大冒険」を毎週楽しみに見ていて、オープニングのマカロニえんぴつの「生きるをする」も気に入ってサブスクでフルバージョンを聴いてみたら、サビが終わって途中から急に別の曲みたいに変わって驚いた。2:24あたり。
マカロニえんぴつの他の楽曲を知らないんでよく分からないが、このバンドはこんな芸風なんだろうか。アニメ主題歌のノリが最後まで続くのが当然だと思っていたので、とにかく衝撃だった。
こういう、途中で曲構成がいきなり変わってしまう曲って、他にもあるんだろうか。自分の知ってる中で、古くて有名どころだと、クィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」のオペラ〜ハードロック、バラード調への変化や、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」の三部構成などかあるが(どっちも長い曲)、ユニコーンの「PTA〜光のネットワーク〜」は、光GENJIとTMネットワークをパロディにしたらしく、別の曲を繋げてかけ合わせたように聴こえるが、TM色が強くて光GENJI色はあまり出てない気がする。
今まで聴いていた曲どこいった!?となる曲がもしあれば、教えてほしい。
TOKIOじゃなくて光GENJI(あるいはHey!Say!Jump!のカバー)だが…
まあ、不安だ。彼女はいねえし、コロナで仕事の景気は悪いし、なんだか最近体力も減ってきた。
そんなんだから、ゴールデンウィークも特段やることもなくて、同じように、特にやることもないような男友人連中にLINEを投げて、モンハンをやることになった。
最近発売されたモンハンライズである。ディスコードで通話しながら、通信でモンハンをやることになった。
俺達といえば、寄ってたかって独身で、多分日本人でランキングをつけたらみんな揃って下位に行っちまうような連中だった。
そんなんが4人でモンハンをやった。
百竜夜行(沢山モンスターが集まるタワーディフェンスみたいなやつ)で、大量に集まったモンスターになんかいつもボコボコにされる友人A。
ちょっとガチ勢チックなところがあるけれど、的確に閃光玉を投げることに誇りを持っている友人B(弱い)。
堅くなに「俺はリヴァイ兵長だ」というのを譲らずになんか双剣でグルグル回って撃墜される友人C。
俺は俺で大剣使ってゴロン、大剣抜刀ころころしかできないオッサンである。
村の雰囲気がすっげえいいの。和風で、それで集会所もちょっとした旅館みたいっていうか、室内がすごい落ち着いた雰囲気が出てるんだ。
桜の花なんかも咲いてて、少し暗めの照明で、BGMも和風な感じ。
そこでアイルーって猫ちゃんが作ってくれた団子食って、茶しばいてから狩りに行くモンスターをみんなで選ぶ。
まあ、結局一番楽しい部分ってのが、モンスターを狩ったり、モンスターを狩るために装備を整えてる場面じゃなくて、そんな集会所で皆で駄弁ってる時だった。
モンハンはコープゲーのご多分に漏れず、アホみたいな恰好をして、アホみたいなポーズを決めることができる。
自称リヴァイ兵長が、鬼滅の刃の伊之助みたいな恰好で妙なポーズを取り出した。
「お前リヴァイじゃなかったのかよ」って言っても聞かなくて、「雷の呼吸!雷の呼吸!」って言ってウツシ教官(集会所にいるカカシ先生的な人)の前で奇天烈なポーズを取り始めた。
そこにきて怪人閃光玉男が、「お前もしかしてイノシシ頭持ってないの?」とか言って煽るもんだから、俺と百竜でボコられるやつも負けじと自慢のクソダサファッションに身を包みウツシ教官を囲い始めた。
俺のファッションテーマは令和に現れた光GENJIである。鬼のようにダサい短パン姿で、自称リヴァイの横でポーズをキメた。
百竜でボコられるやつは、「武装錬金」に出てくるパピヨンとボーボボを混ぜたような頭のおかしい恰好になってポーズを決めた。
俺達が装備を変えている間に酒を飲み始めていた閃光野郎は爆笑しながら、自分もイノシシ頭になってポーズをし始めたので、オリジナリティがないということで俺達全員でそいつを罵った。
教官がいるところは、外を流れる川の近くのテラス席で、水面は太陽の光を弾いて輝いていた。
俺達はそんな中で、ひたすら妙な格好をしてポーズを決めていた。
集会所の室内で桜が舞っていて、落ち着いた雰囲気のBGMが流れる中、アイルーが太鼓を叩いていた。
イカれたファッションショーは20分程度続いた。ウツシ教官は、文句ひとつ言わずに、ただそこに佇んでいた。
歳をとって、もしかしたら、俺も、世界も、ちょっとは変わったのかもしれない。電車に乗って社会に出れば、色んな責任がある身分になってしまった。
でも、男なんて、こういう馬鹿みたいなひと時があればいいんだなって、その時、ふと思ったんだよな。
ああ、ガキのころから、俺達は何にも変わっちゃいないんだなと。
ああ、楽しかったなあ。
ああ、死にてえなあ。
そんなゴールデンウィークだった。
元TOKIOの山口さんの逮捕で沸いてるTVとTLだけど、ジャニーズってほんとに終わらせ方が下手な会社だな、って思う。
デビューは華々しいのに解散しててもしてなくてもファンが泣いたり、もう解散した方がいいんじゃない?ってグループも散見する
KAT-TUNはまぁ頑張ってる方だと思うけど。
「惜しまれつつ解散」って時期に幕を引いて各メンバーが会社に残ったり独立したり裏方に回ったりで大人でおじさんになっていくのもいいんじゃないのかな?って思うんだけどそれが出来ないのかな~?
という私は現役若手ジャニーズグループに夢中のおばさんなんだけど、若い頃のTOKIOも覚えてる。
SMAPは会社内でも独特な位置だったので危なっかしいな…と思うこともあったけど、安定と思ってたTOKIOがこんなことになるなんてな…。
今思うと光GENJIって綺麗に終わったんだなって思う
いただろうか?
さくらももこ氏の訃報を聞いてふと気になったが、どうにも思い出せない。学齢で言えば小学1、2年生の頃だが、どちらかというと幼い頃は『なかよし』に夢中になっていたような気がする。
当時の『りぼん』は、『なかよし』に比べて恋愛要素の強い作品が多いイメージだった。とは言え対象年齢的には、自分のような田舎の女児がぼんやり理解してドキドキできる程度の、恋の入口やもどかしさを描いた作品が多かったのだと思う。
言わずもがなの「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症」である。
私は、ひたすらに「お父さんは心配症」の父・光太郎が怖かった。ハイテンションで誌面の中を飛び回り、典子への行き過ぎた愛情から北野くんとの恋愛どころか自分自身まで自虐でぶち壊しまくる光太郎が、ひたすらに怖かった。ページを開きたくなくて、作品ページをホチキスで止めていたかもしれない。他の怖い本はそうしていたから。
逆に「ちびまる子ちゃん」は癒しの作品だった。恋愛ものに息切れした女児のオアシスのように、まる子はただただ普通に、家族と友人と、そこで暮らしていた。あるあるネタと少しだけ古い時代背景と共に、穏やかに、時にシニカルな空気を携えて、毎月私の所へやってきた。
そう、「ちびまる子ちゃん」は連載時に既にレトロだった。私の知っている人気アイドルはヒデキではなく光GENJIだったし、百恵ちゃんは引退していた。アニメ放送を母と見ながら解説を受けるまで、私の中でヒデキと西城秀樹は繋がっていなかったし、百恵ちゃんはまる子が憧れる女の子のままだったのだ。
「お父さんは心配症」の異質性が『秩序の破壊』だったとすれば、「ちびまる子ちゃん」のそれは『虚実を織り交ぜた過去』だったと私は思っている。
乱暴な括りだが、私にとっての当時の『りぼん』作品は、基本的には未来を指向した現在進行形のものだった。ドジで失敗ばかりの現状であっても、これから自分はどうしたいか、どうなりたいのか、主人公は常に考え続ける。人の自然な成熟過程をなぞり、周囲の支えを受けながら、成功も失敗も糧にして成長していく。
そういう理想の学園生活がキラキラと眩しく、同時に私にはどこか息苦しかった。
「今よりももっとかわいくなれる」
その語尾に、私は「…なくてはならない」という言葉を感じ取っていたのだと思う。
作品世界に憧れることと、自分の身に置き換えることは決してイコールではないのだが、拙い想像の中であっても「私はこうなれないだろうなあ」と諦めることは、大人になった今思うより苦しかったのかもしれない。
前述の時代背景と共に、まる子が作者の子ども時代をモデルにしているということは知っていた。つまり、すでに「結末が確定していること」であり、「私ではないひと」の話だった。
まる子も成長し、恋愛や友人関係や自分のコンプレックスに深く思い悩む日が来るのかもしれない。しかし、それは永遠の小学3年生の「ちびまる子ちゃん」のまる子には当てはまらないし、モデルとなっている作者はマンガ家という進路を選択済みなのだ。
私は、まる子でもたまちゃんでも丸尾くんでも花輪くんでもはまじでも永沢でも藤木でもなく、ただの読者として、安心して「ちびまる子ちゃん」を楽しむことができた。
勿論リアルタイムで読んでいた小学生時代にこんなことを意識していたわけではなく、単純に『りぼん』の中で一番楽しんで読むことができた作品だったのだと思う。
クラスのどのカーストの女子でも「ちびまる子ちゃん」は必ず読んでいた。あの頃の共通言語になっていた作品の代表格だった。
その後私はくるりと掌を返し、破壊度の増したあーみんギャグに恐ろしい程はまった。「こいつら100%伝説」は現在も本棚に置いてある。「ちびまる子ちゃん」はもう手元にはないが、「心配症」の方のまる子×心配症コラボの掲載巻は実家にあると思う。
成長していく私は、いつの間にか自分がまる子ではないことに安心するだけでは物足りなくなってしまったのかもしれない。けれど、久々にニュースで見た「ちびまる子ちゃん」の表紙には、やはりとてつもない懐かしさと安心感があった。
そして散々言われているが、彼女の初期エッセイは最高に面白い。読書慣れしていないひとに「おすすめの本は?」と聞かれた時に挙げる1冊に必ず含めていた。
私にとってさくらももことは、この4000バイト強の文字の分しか接点がないひとではある。
しかし、訃報を聞いて、居ても立ってもいられず匿名アカウントを取るおばさんを生み出してしまう、そういうひとだったのだと思う。
「この曲懐かしい!」
「あ~いいよね、この歌」などと言っていたが
齢10歳の息子は「ふ~ん」と。
そういえばこの息子、夕方キッズアニメの主題歌しか好きにならんな?
と思ったわけ。
歌番組の出演者にB'zが、ミスチルが、ゆずが、モー娘が、あゆが、GLAYが、
歌番組の懐かし映像に松田聖子が、郷ひろみが、光GENJIが、山口百恵が、
兄や母とこの曲好きだと話し、翌日は友人と昨日のMステ見た?と話し、
とりわけ好きなアーティストがいるわけでもない。
そういや歌番組って観ないな。
今地上波で歌番組ってなにがやってる?Mステが変わらずやってることくらいしか知らない。
少なくとも自分は結構そうやって自らの幼き頃と息子を比べてみちゃう。ごめん。
んでさ、息子がこれから先、例えば懐かしい音楽聞いて「うわ~よく聞いたよ」とか
しないんだろうな?って思ったら物足りないって思ったんだよね。
でもね、10年前聞いた曲を懐かしいって思わないことを
物足りないと思うのは息子じゃなくて自分なの。
子供に経験させようとしちゃうことって親ならあると思うんだよね。
そこでふと思い出したの。
男子ってうっかり友達の前でママなんて言おうもんなら一生からかわれるでしょ?
「どうしたら母さんって呼ぶのさ」
フツーか!そうか~~~!!
そんなわけで、10歳の息子は、
好きなアーティストがいなくても懐かしむほど音楽を聞いてなくても
10年後べつにもったいなくないってこと。
私にとって音楽を聞きまくって自ら求めなくても耳に入ってきた時代は
私にとって今はそうではないってこと。
なんかそれが当たり前みたいな風潮だけど、卒業しなくていいと思う。
なんで卒業とか脱退すんの?
アイドルってのは歌って踊ってキラキラしてる限り一生アイドル出来るんだよ。
踊るだけなら体力が続けば40代50代くらいまで出来る。
20代前半までしか女としての価値がない?アイドルとしての価値がない?ファンが離れる?そういう風潮だから?
そういう風潮を作ってんのはお前ら自身だろって思う。
ぶち壊せばいいのに。
男性アイドルも光GENJIくらいまでは卒業システムだったみたいだけど、
V6とかkinkiとか嵐とかいい歳だけど全然まだまだ第一線でアイドルしてんじゃん。
一部は結婚してるし子供もいる。関係ないじゃん。アイドルじゃん。
そこに性差はない。
アイドルやりながらでも出来るじゃん。
卒業なんてしなくていいよ。
20年前、KinKiは尋常じゃないくらいテレビに出ていた。月曜は負けたらアカン!というくだらない対決番組の司会で、ダウンタウンの松っちゃんにも酷評されていた。火曜は確かバリキン7賢者の選択、というこれまたくだらないバラエティ対決番組で、元CCガールズなどのB級タレントばかり出演しており、上原さくらにビンタされた光一さんにファンが噛み付いてたのを覚えている。水曜日あたりにTOKIOと出ていたトキキン急行というバラエティ。これはKinKiがピンクレディや寺尾聰、ジュディオングなどになりきって歌うコーナーがあり結構面白かった。金曜はかなりの頻度でMステに出演し、土曜日はLOVELOVEあいしてる、日曜日はそれいけKinKi大冒険。豆マンや資格ゲッターピカイチが登場した番組だ。ラジオは週1のキンキラキンキワールドに、帯番組のどんなもんや。これに加えて、CDが発売されたら歌番組にも出演し、その頃はドラマでも主演クラスだったし、紅白こそ出ないものの、今の嵐よりも消費され尽くしていて、長く持たないだろうなと感じていた。
KinKiはデビュー以降、曲に恵まれてCDは今でも連続1位を更新し続けギネス登録されているものの、ここ10年くらいは世間の多くが知らないシングルばかりになってきた。同じくドラマや映画でも主演を務めることはなくなり、バラエティも今は嵐や関ジャニがジャニーズの主力。光一さんは舞台やソロ活動に注力して実績も重ねているので、ゆくゆくは少年隊のニッキみたいなポジに行くのかと思ってた。剛さんはこれまた独自性の強いソロ活動を持って、他のジャニーズができない活動(平安神宮Liveとか)が許されている。よって、KinKiでの活動は限りなく縮小して、コアなファン向けに細々と活動して、そのうち地味な結婚でもするのかなーと勝手に思ってた。
しかし、この20周年を迎えての様々なテレビ出演や薔薇と太陽などの周年シングルを聴くと、KinKiまだまだいけるんじゃない?と思えた。コアなファン向けの活動だけでなく、一般大衆向けにも魅力があるのではないだろうか。さすがにTOKIOと岡田くんには敵わないものの、ジャニーズの中ではかなり良い中年ポジションなのでは。これはひとえに、
LOVELOVEあいしてるに出演したことが彼らの運命を大きく変えたと思う。吉田拓郎からギターを教えてもらい、錚々たるバンドを従えて毎週歌い、作詞作曲ができるようになり、口パクでなく生歌でコンサートや歌番組に出るようになったことは、他のジャニーズと一線を画している。キムタクかがLOVELOVEあいしてるに出演したとき、KinKiのことを本気で羨ましがっていたのをよく覚えている。
マッチさんには皆辟易しているし、少年隊はヒガシだけだし、光GENJIも男闘呼組もSMAPも解散してしまったし、TOKIOは副業が主力だしV6はグループ内格差がシャレにならないし、その中でKinKiファンは割と幸せなファン活動ができているように感じる。すごいスキャンダルもないしね。
その点、嵐はどんな中年ポジションになるんだろう。バラエティでわちゃわちゃしてればいいのもあと数年だから、ソロ活動が増えていくのだろうか。櫻井くんには司会や知性があるし、ニノは演技と世渡りでなんとかなるんだろう。大野くんは植草かっちゃんみたいになりそうだけど、歌とダンスと釣りがあるから大丈夫だろう。相葉くんと松潤がアラフォーになったらどうやって生き残るのか心配。嵐はスキャンダル多いしね。その他のジャニーズは全てグループとして良い中年期を迎えるのは厳しいように思う。司会とバラエティと演技ができる子がピンで生き残るだけでは。グループで生き残るには、KinKiのようにもう少し音楽に力を入れたほうがいいのに。
途中から何が言いたいかわからなくなったけど、ジャニーズの中でKinKiファンは幸せに見えるってこと。20周年おめでとう!
予想を大きく裏切る名曲となっていた。この曲は、ASKAが、自分の故郷福岡を歌ったものだ。ASKAは中学一年生から高校二年生までの約四年間を北海道で過ごしたが、生まれてから大学在学中に歌手デビューをして上京するまで、彼は福岡に住んでいた。上京するとき、ASKAはどのような心境だったのだろうか。
俺は東へ 上るつもりだ
勝手な奴だと思うだろうが
冷たい風に深くくるまっても
だまって俺は 歩いて行くだろう
「歌いつづける」より
CHAGE&ASKAは、もともとCHAGEとASKAの二人によって成り立っているわけではなかった。CHAGE&ASKAは、バンドメンバー5人を含めて、合計7人のバンド集団だった。だが、デビューできるのは、CHAGEとASKAの二人だけだった。「勝手な奴だと思うだろうが」ASKAは、東京にやってきて、歌手活動をはじめることになる。
デビューの一年後、「万里の河」(1980)でヒットをするものの、その後、約10年間、セールス的には大きなヒット曲に恵まれず、「冷たい風に深くくるまって」、歩き続けたのであった。CHAGE&ASKAを一気に国民的シンガーに押し進めたのは、何よりまず「SAY YES」(1991)であっただろう。同年、ASKAはソロとしても「はじまりはいつも雨」(1991)でミリオンセラーを達成する。ここからさきの活躍については言うまでもないだろう。「YAH YAH YAH」(1993)など大ヒット曲を連発するとともに、活動をアジア圏にまで広げていき、またMTVにアジア人初として出演するなど、「世界的」といってもいい活動を繰り広げていったのだった。
そんな時、ASKAにとって生まれ故郷の福岡はどんな場所だったのだろうか。
ASKAが福岡に曲を捧げたのは今回が初めてではない。福岡市市制100周年を祝して、「心のボール」(1989)という曲を作っている。ここでは、故郷と幼い日を思い出して涙が出てくるが、でも思い出に浸っていてはいけない、人は未来を生きているのだから、ということが歌われている。
次のステージが待っている。自分を育ててくれた故郷でゆっくり過ごしたいが、待っている人たちがいる。自分は「ハンサムな道」を「歩きつづけ」なければならないのだ……。
*
「FUKUOKA」は「SCENE」シリーズに代表されるASKAのバラード曲につながるものだとも言えようが、決して「お得意」のジャンルにASKAは引きこもっているわけではない。むしろ、この曲にはASKAの新しい展開を予感させるものが凝縮して詰め込まれている。これほどまでに静謐な言葉のなかに激しい想いが込められたASKAの曲を私は知らないのだ。
発車のベルが鳴る 街が動いて行く
あの頃の僕は何を見ていたのか
当たり前の、いつもの日常風景。通学する時、いつも見ていた何気ない風景。剣道の道具を、あるいはギターを持って、つまらない顔をして車窓風景を見ていたのではないか。しかし、車窓から流れていくその何気ない街の風景が、今、映写機が回っていくように、一コマ一コマが映画のように美しいものとして、かけがえのないものとして記憶の中に流れていく。
繰り返しながら僕はここに居る
何気ない挨拶たちと共に、出会いと別れを繰り返しながら、生きてきた。その一つ一つが今、生き生きと現れてくるのだ。
ここで想起するのは、傑作映画「ニューシネマパラダイス」だけではない。光GENJIに提供した曲「パラダイス銀河」(1988)を私は思い出した。
ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス
同じ「パラダイス」という言葉が「パラダイス銀河」と「FUKUOKA」ではこれほど違った響きを与えられて存在している。この響きの違いのなかにこそ、ASKAの時間と記憶を、私は感じる。
いささか唐突に出てくるこの節。中島みゆき「タクシードライバー」からの引用だと見るのは深読みしすぎだろうか。
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す
不器用なタクシー・ドライバーは、泣いている乗客にその理由を聞くわけではない。どうでもいい話ばかりを客に話すことで、静かに励まそうとしているのだ。静かに励ましてくれる街、福岡。そこでは「風が見える」のである。ASKAにとっての「風」とは何かというのは、「風のライオン」「風の住む町」「風の引力」などの曲を再び聴いてもらいたい。
*
私が「FUKUOKA」で最も感動を覚えたのは、
という箇所だ。様々な感情が入り乱れた「memories」の「s」の音である。静かに消えていくsの音には、記憶を手繰り寄せていく中で、当時気が付くことができなかった様々な人たちの気遣いに気が付き、泣きたくなるような「感謝」の想いが、「祈り」にまで高められているように感じられるのだ……