はてなキーワード: 偶数とは
んん?
というか現実的に
「ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な....」
を偶数で止めるか奇数で止めるかというだけの事なんだから選びなおして有利になるわけがないと思うのだが、
確かに初手がN円だと選びなおしの期待値が1.25N円になるように見えるな・・・?
なんか騙されてる??
はずれがN円、あたりが2N円だとして、
交換する場合、
はずれ→交換あたりで2N円
あたり→交換はずれでN円
有利にはならないはずだよな??
金額の上限が2^nだったとする
(1, 2), (2, 4), ..., (2^(n-1), 2^n)
(2, 1), (4, 2), ..., (2^n, 2^(n-1))
の2^n通り。
選んだ封筒にX入ってたとする。
Xを見る場合:
Xを見ない場合:
期待値は
2X/4 + 2X*2/8 + (X/2)*6/8 + (X/2)/4
= 17X/16
……あれぇ?
(1, 2), (2, 4), (3, 6), (4, 8)
(2, 1), (4, 2), (6, 3), (8, 4)
奇数 4/16
偶数かつX≦4 8/16
小さい 2/16
大きい 6/16
偶数かつX>4 4/16
2X/4 + 2X/8 + (X/2)3/8 + (X/2)/4
= (8X + 4X + 3X + 2X)/16
= 17X/16
そして、ネットニュースの受け売りでオズマ問題とか循環定義とか言ってる連中も、大半は正しく理解していない。
よくある間違いは、「お箸を持つ方の手」とか「北を向いた時の東側」とか「縦書きの本の偶数のページがある側」だとかだ。
これらは右の定義になっていない。
この問題、理解できる人には簡単なことだが、できない人には一生理解できない類の問題である。
しかも、ネットニュースなどで解説を見ると、「わかったつもり」になってしまう類の問題でもある。
たとえば、「図形や建物などの位置関係を用いずに宇宙人に言葉だけで伝えるのは無理」だとか「北を定義するのに東を使い、東を定義するのに北を使うと循環論法になる」とかだ。
にもかかわらず、論理的な思考が苦手な人ほど、それらの「解説」を鵜呑みにして、何か高度な知識を身につけた気になってしまう。
この問題が正解できない人は、「定義」ということが理解できていない。
たとえば、「最小値」を定義することを考える。
「Xを実数の空でない部分集合(より一般には半順序集合)とする。x∈XがXの最小値であるとは、すべてのx'∈Xに対して、x≦x'が成り立つことである」
このように最小値はそれが属する集合を選ぶごとに定義される。
言い換えれば、「どの集合の最小値か」を言わなければ、最小値を正確に定義したことにならない。
たとえば、「0は最小値であるか」「-1は最小値であるか」という問は意味をなさない。
ほとんどの人は、「右とは何に対して定義される概念なのか」が理解できないのである。
「XXXのある方が右」と言っている人は、「0は最小値である」「√2は解である」「πは面積である」などと言っているのと同様。
それぞれ「何の」が定まらなければ意味のある文にならないのである。
以下のふたつが正答である。
https://anond.hatelabo.jp/20230925210229
とする。3次元空間のベクトルf_1, f_2, f_3に対して、f_1を前、f_2を上としたとき、f_3が右であるとは、順序付けられたベクトルの組(e_1, e_2, e_3)を(f_1, f_2, f_3)に変換する行列Pの、行列式det(P)が正となることである。
https://anond.hatelabo.jp/20230925203859
どちらも、「Xを前、Yを上としたときの右」という形で右を定義している。
「右」はこのように、前後・上下を決めるごとに定義できる概念である。
単に「右とは、〜」という定義は、「2は約数である(何の?)」「πは面積である(何の?)」などと同じように、ナンセンスである。
また、右を定義するのに「前」「上」の定義(言葉の意味)は必要ない。
https://twitter.com/fumokmm/status/1703977187903426995
「むしろこれが正解」「速度を出すときにはこういうことをする」「作ろうとする姿勢が大事」
とか逆張りで褒めてるやつが多いけど、普通にこんなんダメだから
何がダメって、FizzBuzzを教えるタイミングって100%がfor文とif文を教えた直後なんよ
まずfor文を教えて「1から100までの数字を出力してみましょう」っていう問題が出されるわけ
そのときにfor文を使いこなせなくてSystem.out.printlnで書くやつはいっぱいいるけど問題無い
ちゃんと教える側が「for文を使えば簡単かつ正確に書けますよ」って形でfor文を教える
その次に「if文を使って偶数のときだけ出力しましょう」とかを教える
そうすることでfor文の中でif文を使えば繰り返し処理を制御できるってことを教える
「FizzBuzzっていう英語圏で遊ばれるゲームがあるんだよ」
っていう形で出題するわけ
ユーザーに数字を入力させてFizzBuzzを判定させる、とかのゲームを作らせるのがいいんだけど
「まずは単純にFizzBuzzの正解を表示させてみましょう」
っていうコンテキストで出題されるわけ
そのときの回答としてSystem.out.printlnを大量に書くようなやつがいたら、もう一回for文からやり直せっていうのが正解
この回答が合っている要素なんて一ミリも無い
2K+5Lと表現できるが、 K,Lは0も許される。偶数円については、 L=0とすれば全て支払える。奇数円については、
2K+5= 2(k+2)+1 とすることで、支払える。
これは、2,5の場合である。しかし、このような考え方が、他のGCD=1となる全ての自然数の組について適用可能かどうかが問題である。
もっとも有名な問題であり、平成12年の国際数学オリンピック予選の出た問題は、3K+5Lの場合である。これのフロベニウス数を求めよというのが問題だった。
正解は、公式から、15-8=7円である、しかしこれはIMO予選の解法ではない
3K+5Lが、8円以上のものは全て支払えることをどう証明するか。予選でははっきりいって答えだけ書けばいい。従って高校等で習っていれば瞬殺である。
横だけど、一部が序章、1~7章、終局と9つにわかれてるのね。序章はまっさきにアニメ化済み(ブルーレイ発売中)。
6章はアニメ映画(円卓)。7章もアニメ映画(バビロニア)。終局はお芝居ステージ。←これ後半二つ逆だっけ?
で、残った部分だけでなく9つ全部を序章から含めて偶数章と奇数章で分けてコミカライズ同時進行させてる。
すごいめずらしいんだけどそうでもないとおいつかない。
で、本編は一部がおわったあと1.5部で外伝みたいな形のが5こくらいあって、
これがそれぞれ別の漫画家が同時進行コミカライズ。アガルタは完結した。CCCコラボセラフと剣豪七番は連載中。
さらに二部はいま7章まですすんだけどあまりメディア化してない。(フェスで6章アヴァロンのみ朗読劇にした)。
さらにさらに、三部にあたるかもしれない「奏章」がはじまって、1章まですすんだとこがFGO本編。
スピンアウトというか個別シーズンイベントので鳴鳳荘など二冊のノベライズ。
全般のスピンアウトコミックとして四コマアンソロ。作家別アンソロ。英霊食紀行。
まあ本屋さんも大変だなあとおもうわけです
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他に聖杯戦争システムのものはたくさんあって、アポクリファ(東欧を舞台にしたアニメ)、
いじめや友達のいないことなど、少しばかりでしょうが増田さんと私には似ているところがあったので参考になるか分かりませんが私の人生を語らせてください。
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幼稚園時代のことはあまり覚えていませんが中のいい友人が1人おりましたので子供らしい時間を過ごせていたと思います。
よく「◯◯ちゃんと結婚する」などと友人と言い合っていたのを今でも覚えています。
親が教育指導に熱心なタイプだったため、小学校での学業成績は悪くありませんでした。
1~3年生ぐらいは平和に暮らせていたと思います、しかし、仲のいい友人というのはおりませんでした。
4年生ぐらいになると、粗暴な子供達がクラス内で権力を効かせるようになってきており、身体が細く運動神経に恵まれなかった私はいじめのターゲットとなってしまいました。
朝教室に入ると、クラスメイトが声を揃えて私をバカにする歌を歌いだしたりするのは本当に屈辱でした。
小学校5年生ぐらいではあまりの屈辱に耐えきれず、いじめを行っていた、粗暴な子供のグループの中でも最上位に属しているクラスメイトを殴って階段から突き落としたことがあります。
幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、突き落としたクラスメイトに大きな怪我はなくその問題は学校内で内々にもみ消されることとなります。
その後、クラスメイト全員からの嘲笑は無くなったものの階段から突き落とした子供のいるグループから執拗なリンチを受けることになります、
学校の先生については、私は全く信用していなかったので相談することはありませんでしたし、親にはいじめられていることが申し訳なくて相談することが出来ませんでした。
中学校時代、小学生のころにいじめを行っていたグループは地域の不良グループ(暴走族のようなものだと思う)に取り込まれていって学校内では特定の誰かをターゲットにした目立ったいじめを行うのではなく、
自分たち以外のグループをおもちゃのように見立てているようで、彼らの気分で暴力などをふるっていました。
小学校の頃と比べると比較的穏やかに過ごせるようになりました。
穏やかではありましたが彼らの遊びの中で彼らがおもちゃと思っているクラスメイト同士に殴り合いをさせる遊びがあり、これは今でも到底許しがたいものだと記憶しています。
私はそのターゲットに選ばれてしまったとき、嫌いでもない人間を殴るぐらいならと不良グループの1人に殴りかかったところ返りうちにあい、その後地域の不良グループも含められた集団からリンチを受けました。
幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、このリンチは継続するものではなく一度限りで終わりました。
さすがにこのときの怪我で親にも学校のことがバレたのですが、親は「生きていればいいから無茶はしないで」と泣きながら言われたのは今でもとても胸に残っています。
当時の私としては彼らの言いなりになるぐらいなら死んだほうがましだと考えていましたが、親となった今ならあのときの言葉の意味が分かる気がします。
私の地域では高校の進学は、不良、就職、進学組にキレイに分かれる風習があり中学までの不良は殆どが不良の行く高校へと進学していきました。
勿論、不良の中でも就職、進学組の高校に進むものもいましたが、これまでの仲間を失ったかれらはとても大人しいものでした。
さて、私は親の教育方針もあって進学組の高校に進むことになります。
高校に入って驚いたことは、皆非常に穏やかな人間だったということです、私にとってはその光景が異常なように移りました。
これまでは、いじめなり、不良グループに目を付けられないように怯えながら暮らしていました、高校ではそれがないのです!
友達は相変わらずおりませんので、体育の授業では誰ともペアを組むことが出来なかったり、偶数でちょうどペアを組む相手はなんだか気まずそうな雰囲気を出しておりました。
(それでも露骨に嫌な顔はしませんので、悪い人間ではないのです)
学校の先生も非常に親切で、あまりにものんびり過ごしている私にも根気を持って指導してくださり、このときに親以外の大人でも信用出来る人間はいるのだなと認識を改めました。
私はこの暮らしの中で安穏と日々を過ごしてしまい、学業を疎かにしてしまったことであまり良い成績ではありませんでした。
大学の進学は希望した大学には入学出来ず滑り止めで受けた大学に入学することになります。
アルバイトは短期間のものを数ヶ月おきにこなす程度で余暇を多く持て余していました。
幸いにも住居のそばに図書館があったことから学生時代の余暇は本を読むことに費やしていました。
友達がいないとせっかくよんだ本の感想を誰に共有することも出来ずもどかしい思いを抱えますので、当時の携帯電話(いわゆるガラケー)で読書した感想などを適当なサイトにつらつらと書いてはアップロードしていました。
(当時の携帯電はが文字を打ち込むために同じ物理ボタンを数回押さなければならないのですが、文章を入力するためにボタンを押しすぎたおかげか殆のボタンにはヒビが入ったり欠けたりしていました。)
友達がおりませんので就職活動のための情報というのが自分の元には全く集まりませんから大学卒業後は就職すること叶わず派遣労働者として過ごすことになります。
この時期からようやく手元にある程度の資金が貯まるようになり念願のPCを自宅に導入することが出来るようになりました。
PCが手に入ると友達がいなくても情報を手に入れることが出来るようになったため、就職に関する様々な情報を得られるようになります。
第二新卒というものの存在を知り、卒業後すぐに就職出来なくてもまだチャンスはあるのだと知ることが出来ました。
そこからは就職に向けて情報を集め、必要な知識を得るために自習を行い、なんとか正社員として就職することに成功します。
最初の会社は就職のための対策をして臨んだため面接時のコミュニケーション能力の高さを評価されてしまいました。
本来、私は友達のいない人間なので日常のコミュニケーション能力は皆無に等しいのです。
私の本性を知った会社は私を試用期間中に能力が至らなかったということで解雇します。
非常に落ち込みはしたのですが、業務内容自体は私の適正に合っていたようで(勿論、就職活動時に自分の適正を考えて合いそうな業界を選んだというのはあるのですが)、
解雇されはするものの取引先の会社にツテを作ってもらいそこに入社することになりました。
次の会社でも業務内容自体は同じでそれをこなす能力自体は評価していただけましたが、そこから出世していくにはコミュニケーション能力が必要だと常々言われておりました。
私としては業務能力を持って勝負していきたいと考えており、せっかくのツテを作ってもらった中で申し訳無さもあるのですが次の会社に転職することを決めました。
このようなコミュニケーション能力の無い人間がツテもなく転職出来る会社は社会的にもまっとうな会社ではないのですが、それは反面、私の人間性も無視してくれるということです。
次の会社は非常に労働時間が長く、業務量が異常に多かったのですが、それを求めて入ったということもあり、この頃の私は仕事が楽しくて仕方がありませんでした。
同僚も私のように何らかの欠陥がある人間が多く所属しており、私のコミュニケーション能力というのを咎められることがなかったのも良かったと思っております。
(尤も、私のいない場所で私に対するかなりの誹謗中傷があったらしいのですが…)
業務能力や馬車馬のように働くことを評価して頂いたのか、幹部候補としての待遇を打診されました。
しかし、社会的には悪影響をあたえるような会社でしたのでその中で幹部になることに後ろめたさがあり転職することになります。
この会社で得た経験がこの次の転職に活きており、簡単に転職することが出来ました。
次の会社では私のコミュニケーションに関するコンプレックスを取り払ってくれる上司に出会います。
彼はコミュニケーションのことを「業務を遂行するために最善の状況を作るのがコミュニケーションであり、日曜日にバーベキューに行って楽しむものではない」という信条を持っており、
この考え方のお陰で、人と仲のよい距離をわざわざ作る必要などないのだいう自信を持つことが出来るようになりました。
もともと、知識を仕入れた上で自身がどのように振る舞えば効果が高いのか?というのを考えて行動するタイプでしたので、上司の言う考え方は私の考え方に非常に相性が良かったのです。
知識の仕入れや引き出しというのは大学時代に大量の読書を行ったことで下地が出来上がっていたというのもあります。
自信を持てば人生は上手く回るもので、今では自分の感性に合う伴侶を得て、子供にも恵まれ、大きなストレスもなく平均的な収入を得られる仕事に就けています。
最初の仕事を解雇されたときは人生は積んだのだろうと絶望したものですが、時代の背景や運の要素もあったかもしれませんが、何とかなるものです。
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さて、長々と書きましたが大学生活を楽しむためのコツでしたね?
私の場合は本を読むことが大学生活の楽しみでした、それは自分の人生を好転させる材料の1つにもなりました。
読書は1億円の投資などとも言われますが、本を読む、つまり知る、考える楽しさを知ることは人生を上手く過ごす方法の1つなのかもしれません。
2K+5Lと表現できるが、 K,Lは0も許される。偶数円については、 L=0とすれば全て支払える。奇数円については、
2K+5= 2(k+2)+1 とすることで、支払える。
これは、2,5の場合である。しかし、このような考え方が、他のGCD=1となる全ての自然数の組について適用可能かどうかが問題である。
もっとも有名な問題であり、平成12年の国際数学オリンピック予選の出た問題は、3K+5Lの場合である。これのフロベニウス数を求めよというのが問題だった。
正解は、公式から、15-8=7円である、しかしこれはIMO予選の解法ではない
3K+5Lが、8円以上のものは全て支払えることをどう証明するか。予選でははっきりいって答えだけ書けばいい。従って高校等で習っていれば瞬殺である。
ちゃんと奇数偶数のツリーで対話が成り立ってるなら「頑張ってるなぁ」って思えるけど、基本的に横から出てきてパーリナイする人とある一定のラインが越えられたのでふんぬしてる人達であの辺りの長々としたツリーは作り上げられていると思う。
そう、つまり増田でこの手の議論を真面目に出来ているとか、誰かが覚えているとか思ってる方が哀れなのれす。
Twitterのハンドルネーム付きの実名ほぼバレの連中ですら矛盾モロバレの状態でもしらばっくれるのだから、奇数偶数のツリーでちゃんと対話らしきしてる匿名の増田ちゃん達が言ってることは全部話にすらなってないのです。