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はてなキーワード: 俳句とは

2021-07-20

anond:20210720110738

逆だろ

長いと要約能力が無いということでお気持ち長文と揶揄されバカにされる

いかに簡潔書けるかが重要

俳句増田が至高

2021-07-19

セミの抜け殻増田拾ったよタッ路碑堕す間螺崖布店(回文

ハローキティダニエル

カワイイカワイイ

マイメロディキキララ

カワイイカワイイ

ついでに私も~

カワイイカワイイ

おはようございます

カワイイフェスティバル私も行って見てみたいなー!

あのさ、

もう気が付いたら夏って感じじゃない?

気が付かないと夏が気が付かないまま終わってしまいそうよ。

で、

夏と言えば、

セミの抜け殻この時期セミ羽化し放題!って感じで、

だいたい木につかまって羽化ってるセミが多いと思うんだけど、

地上すれすれでブロック塀なんかにつかまって羽化したセミの抜け殻なんか見つけちゃうと、

おまえ!もう我慢できんかったんかー!って

なにかしらの同情をしてしまいそうなほど、

漏れそうな勢いでもうダメだ!ってセミの心情だったのかしら?と察すると

セミ頑張ったね!って

セミの抜け殻は触れるけど、

セミ本体セミファイナルの狭間にいるセミリタイアの本体には触ることができないのよね。

こればっかりは。

怖くて。

でもその時の

セミ気持ちとしては

羽化の直前と終わったあとの気持ちを一度聞いてみたいものだわ。

いぬきもちねこきもちって本があるぐらいだから

セミきもちってのもあってもいいもんだと思うし、

あんまりセミというか

よく目の表情が分からない生き物って、

うまくコミュニケーション取りにくいというか、

いったい何考えているのかしら?とか

文字通り表情一つ変えないレヴェルだから

セミ気持ちも本当は分かったもんじゃないわよね。

まあ月刊は無理にしても7年に一度刊行するセミ雑誌ってのがあったら

たぶん七年分のセミ気持ちを1冊に綴ることは出来るかも知れないわね。

ほとんどがセミ俳句コーナーばかりが盛り上がるだけだろうけど。

読者投稿コーナーのセミあるあるとか

さっき言ったセミ俳句とか

セミ写真とか、

セミ四コマとか、

ところによってはセミ料理ってセミ食べちゃうところもあるんでしょ?

そのセミ料理レシピとかもふんだんにのせて、

そうするとまあ巻頭カラー2ページの16ページぐらいのボリュームにはなりそうなものよ。

もう16ページじゃ収まりきれないかも知れないわね。

だって7年に1度の発刊なんだもん!

って言ってる私はそんなにセミカワイイなって思ってるワケでもないしセミ好きってワケじゃないんだけど、

きっと世の中のセミ好きな人が集まって、

あーだこーだ言ってる世界があると思うので、

私も興味本位セミの抜け殻特集のページだけは

ちゃん刮目できると思うな!

まあセミ出なくっちゃ夏らしくないわね!って

話しよ。

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドしました。

今日は忙しいみたいなので、

お昼行けるかどうか出れるのか問題

おにぎりをまた鞄に忍ばせてあるので、

体力が減っても満腹度でカバーよ!

って風来のシレンを遊び始めちゃったことがバレバレね!

デトックスウォーター

今日は冷え冷えうまい具合にできた

水出しルイボスティーウォーラーよ。

朝飲んでも夜飲んでも

デトックスウォーターデトックスウォーターなので、

いつ飲んでもいいらしいわよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-07-17

凡人の嫉妬芸術を殺すという社会的損失

アインシュタインによる相対性理論発見にはアインシュタイン本人の人格関係ない。

なぜならばアインシュタインは「相対性理論を作り出した」のではなく、「既に自然界の中にある現象相対性理論として解き明かした」のであり、アインシュタインが解明しなくとも別の時代に別の人間が解明したものだ。

だが、芸術文学は違う。小山田圭吾音楽小山田圭吾しか作れないし、坂本龍一音楽坂本龍一しか作れないし、太宰治文学太宰治しか書けないし、石川啄木俳句石川啄木しか詠めない。なぜならば、それらの音楽文学小山田圭吾坂本龍一太宰治石川啄木人格に根差しものからだ。

そこに科学と、文学芸術の大きな違いがある。

そして、大多数の人間は光の部分と闇の部分を併せ持っている。

もちろん中には小さい光だけの人間や小さい闇だけの人間ならばいるかもしれない。あるいは麻原彰晃持田孝のような巨大な闇だけの人間がいるように、巨大な光だけの人間ももしかしたら探せばいるのかもしれないが、多くはない。

そんな光と闇を併せ持っている人間の中で、小山田圭吾坂本龍一太宰治石川啄木のような巨大な闇と巨大な光を併せ持った人間によって多くの文学芸術は生み出されてきた。

そのような人間の闇の部分にだけ注目して作品を取り下げさせようとするのは、光も闇も小さなものしか持てなかった人間嫉妬しかなく、それによって巨大な光を持つ(たいていは巨大な闇も併せ持つ)人間が引きずり下ろされるのは世界にとっての損失である

https://anond.hatelabo.jp/20200629225527

2021-07-01

俳句川柳って助詞動詞の使い方が独特で

たとえば誰もが知ってるような「掛かる」とか「居る」基本的動詞でも

妙なところにぽんと置かれてたりして、どういう意味で使われてるのか辞書見ても確定できないってことが結構ある。もちろんプロ詩人でね。

そういうのの意味が分かるようになったうえで模倣できるようになってはじめて、自分が書く文章ユーモアのグレードもアップするんだろうなあ。

2021-06-30

読めもしない文章は書けないというから、日々自分が書いてるのよりも高度なことを言っている文章を精読する必要があるとは思う

でもその精読した内容の正誤を判定してくれる人がいないからそこらへんどうすればいいんだというのがある

間違った理解のもとで今より高級な文章を真似てみてもあべこべ文章になってしまうだろうよ

カルチャースクールっつても書くことは教えても「精読という日課ありき書く」ことを教えてくれるところはねーしなあ。

俳句とかも理解できないのが常で、だから多分自分文章ユーモアとか出ないんだと思う。

2021-06-16

小説想像することを楽しむ娯楽ではない

小説の情景描写には読者として苦労させられる。

具体名挙げてしまって著者には申し訳ないのだが「未来からのホットライン」の核融合炉の施設内部の描写がてんで理解できない。説明が緻密なのがむしろネックになってる感じで、キャットウォークとかトンネルとか配線とかの位置関係三次元的に脳内構成されていかないんだよ。本当に上下左右という程度の確度でしか把握できない。

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小説漫画とかと違ってイメージ押し付けられないのがいいという意見を聞くことがある。個人的にはこれはイメージという単語の前に「自分が気に食わない(特に人物容姿)」という文言が省略されているように思える。

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想像することって、はっきりいえば単に手間でしょ。小説想像することを楽しむものって手段目的が逆転してる感じで、本来は「筋書きを楽しむもの」だと思う。筋書きさえ面白ければ、そして挿絵とかが適切なら、想像しなくて済むのならそれに越したことはない。

くだんの小説建物の「構造」について図があるからといってイメージ押し付けられたと感じる人は例外的だと思うから文章で全て言い尽くそうとしないで見取り図ぐらい添付してもよかったと思うんだよね。

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私と同じ考え方っぽい人を二つ挙げとく

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情景描写小説は、すげえ小説だが、すげえ読みにくい

https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2014/02/21/090746exit

小説風景描写が苦手なんだが

https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1514063554/exit

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そしてどうしてもこれだけは抜粋ときたい(5chのレスから)

既存文章を組み合わせるとか

文章だけで考えてると「この馬はどこから走って来てどこに行ったの?

なんでそんなとこから馬が走ってくるの?」

みたいな変な部分が必ず出てくる

読む側からしてもまさしくそういう感じで、結論としては始点と終点が一致したループだと言っていても、今までも風景説明から本当にそのことが導けるのだろうかという感覚になることがある。

各部分の描写から全体を統合できない感じで、整合性を認められないことがある。

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前記の小説施設見学するシーンでも各区画主人公たちの足取りに沿って説明していってるのだが、いつのまにか前いたところが主人公達の頭上にあることになっている。

かにエレベーターで地下に降りる描写はあったけど、上下関係で足取りが立体交差できるような文章だったか

区画という各部分の風景だけは十二分に頭に浮かび上がってくるんだけれど、ジグゾーパズルでいうならそれはピースの凹部や凸部があやふやになっている状態にたとえられる。

なのでそのパズルを組み合わせる=建物全体の構造を把握することもできないとなる。これが読後感にもやもやを生む。

そもそも自然言語というものねじれの位置とか含めた抽象的な位相関係表現するのに不向きなのかもしれない。

そうでないにしてもせめてPISAとかは単純な論理パズルで読解力を測るんじゃなくて風景説明文に対して、少なくともこれは与えられている文に矛盾しないという図を選択させる問題も導入してほしい。

ネックが読者側にあるかもしれないかもしれないのにその問題が十分には剔出すらされていないように思われるから

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そもそも情景(風景)描写側に難があるという場合もある。

「船べりに足をぶらぶらさせていた」文学事典に載ってるような作家の手になる表現だ。しかし「船べりに」とは一体どういう状況なのか。

「船べりで~」であれば人がデッキの手すりでも背にして寄りかかって片足をぶらつかせる風景が想定される。

この話は作家自身航海記であって大西洋を横断できるような鉄の船の話だから「船べりに」何かをするにはへりは高すぎると思われる。和船の小舟のように足をへりに置けるような状況じゃない。

たとえれば無理に腰よりも高い塀の上に片方の足を足の裏を外側に向けて乗せるイメージでただでさえ不安定姿勢から、せいぜいへりをかかとで擦るようなことはできても、重力に逆らってぶらつかせるとは描写として不自然と言わざるをえない。

思い込み文章を書くとそういうことになると聞いたことがあるからちゃんと正確に書いてほしい。

正確に書けば書くほど想像余地が少なくなるから小説としてつまらなくなる、というものではない。

想像する楽しみと小説の楽しみ方としては二次的なものだとは前にも書いた。限定的で端的な例だが、泥のように眠るという慣用句を小石のように眠るアレンジすることで生まれるような詩的な妙味を味わうことも小説の楽しみ方の一つだ。

酒などを希釈しないで飲むことを生一本といっても、水で薄めずにといっても、神の創りたもうたままにといっても、どれも全く「希釈しない」という全く同一の事態を指しているうえでにその同一性こそがその描写が正確であることを示す必要条件でもあるわけだが、こうした同義フレーズが畳みかけられている箇所にも、同じ事態概念への落とし込み方の多様さに面白みが認められるだろう。

俳句小説じゃないけれど、あれなどは兼題写真があるのが普通だ。写真というこれ以上なく正確な像を前提としているからといって、そこから派生される俳句の数々に「想像余地がないからつまらない」と批判する人間がいるだろうか。

しろ想像喚起を重視する人のブログとか見ると「容姿描写ほとんどされてないのを逆手にとってわざと金髪美少女イメージで読んだ」とか言ってるような人もいて、想像するのを楽しむというやり方は小説カップ麺の重しにするのと同じぐらいひねくれた本の使用法なのではないかとさえ思えてくるわけだ。筋書きを楽しむ、表現のものを味わうというのが文句なく一義的な意義であるとすればなおさらだ

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

必要だと思ったとこだけ読み込んで不必要だと思ったところは読み飛ばせばいい、授業だって教師の言うこと全部覚えてない、それと同じだというような人もある。

しかし授業内容と違って小説は内容を問い合わせることができない点で致命的に異なる。

不十分だと思って読み込もうとした箇所も独力では一生かかっても理解できないかもしれない。

作者は思い描いた風景必死に文に落とし込もうとしたかもしれない。作者は情景を読者と共有したがってる。なのに十分に伝わらない。こんな悲惨なことがあっていいのだろうか。

小説には攻略本ITの専門書にありがちなサポートダイヤルもないんだ。

二重回しとか大島紬みたいな名詞の指すものが単に想像できないとかだったら画像検索すれば済むことだけど、実際に読んでてつまづくことが多いのは文や文章という総体がどういう具象や抽象を指し示しているかとことで、でもこうなったときには打つ手がない。

人工知能は与えられた文章イメージに接地させずに意味理解できるが、人間としてはイメージ還元できないことには文章を味わうことはできない。

もちろん読者側の能力問題かもしれないからそこは見極めなければならない。

先述のようなPISAなどの結果によりそういう能力が不十分と分かれば、出版業界小説には抽象的な構造に関して図解を挿入するよう働きかけるか、さもなくば教育刷新するか、そういう判断の指針が得られる。

教育刷新するというのは単に文章多読すれば読解力を身に着けさせられるはずだという今の態度が不十分という意味で、一つ文を読ませたらその文が一般的に指し示すことになる図を提示するといった訓練を導入するべきだと思うということ。

単文が示す風景(あえて情景とはいわないでおく)すらもまともにイメージできないようでは複文や文章の指し示す風景もまたイメージできるはずがない。

基礎(単文)を固めることでしか応用(文章)を扱えるようにはならないということではむしろ数学と同じだ。そういう心持で読解の養成には取り組むべきだ。

これはあくまで娯楽として小説を読むのに役立つのみではない。

たとえば百聞は一見に如かずといっても社会生活のうえでいつも文章が指し示す現物を持ってこさせられるとは限らないから、文章イメージ還元する力は実務的な能力でもあるわけさ。

2021-06-14

何者かになりたかった自分が経てきた趣味一覧 ※追記

アコースティックギター

高校生の時。モテるかな、と思って。近所のハードオフで買った。コードを押さえられなくて挫折ギターが悪かった、手が小さくて向いてないと自分の中で言い訳家族に譲った。

 

ハーモニカ

アコギから派生。ベンドが上手くできなくて挫折。まだ手元にある。

 

イラスト

下手くそだった。ペンタブなんて買わなくて正解。

 

アダルトゲーム

昔の作品にも詳しいとカッコいいかな、と思って。結局抜きゲーで抜いていただけ。

 

バイク

大学生の時。旅を趣味にしたかった。中古バイクを購入。機械もいじれるとカッコいいかと思ったけど、メンテもそんなにせず結局あまり乗っていない。まだ手元にある。

 

一眼レフカメラ

社会人になりたての時。買ったばかりの頃は馬鹿みたいに撮っていたけど、設定とかを覚えるのが面倒になってしまって埃をかぶっている。あと、レンズが高い。

 

フィルムカメラ

同上。ヤフオクで買って、モルトプレーンだけ中途半端に入れ替えたけどまだ一枚も撮ったことがない。

 

登山

近所の山をちょっと登った。高い山に登るのは面倒くさい。高かった登山靴は埃をかぶっている。

 

キャンプ

バイク旅のために買ったけど、結局家でダラダラしている方が好きなことに気がついた。道具はまだ持っている。

 

タロット

覚えているとカッコいいと思ったけど、覚えるのが面倒くさい。本だけ何冊も持っている。

 

映画

名作と言われる作品は知っておきたいと思ったけど、数が多すぎる。見たところで語れるほどの経験知識も含蓄もない。自分の浅さに自己嫌悪

 

ミリタリー

覚えることが多い。本ばかり持っている。でも読んでない。

 

筋トレ

継続は力なり。ただ自分にはその力はなかった。めちゃくちゃ量のあるプロテインだけ持っている。ジム契約したっきりほぼ行ってない。勿体ない。

 

小説執筆

文章なら俺にも!と思ったけど、そんなわけなかった。形から入るタイプなのでMacBook Proなんか買っちゃったりして。むろん埃をかぶる。

 

長編小説シリーズもの

指輪物語十二国記ラブクラフトシャーロックホームズ、アガサクリスティ館シリーズ鬼平犯科帳グイン・サーガ…全部挫折。根気が続かない。作者で読んでみようとしてもまず続かない。

 

作曲

高いソフト買ったのに、何も生み出せてない。

 

御朱印集め

外に出ないので、ほぼ白紙

 

ボードゲーム

やる友達がいなかった。

 

アニメゲーム漫画かには人並みに触れている。

 

思いつく限り書いてみたけれど、まだ有りそう。

こうして見ると、如何に自分が人からよく見られるために色々なことに手を出しているかがよくわかる。

何でもかんでも中途半端で嫌になってしまう。

自分はこれをやってます!って胸を張って言えるようなものがないや。

ものが溢れかえるばかり。

 

これから俺が手を出しそうなもの予想

裁縫

盆栽

家庭菜園

天体観測

釣り

自転車

サバイバルゲーム

押しつぶされそうだ。

 

 

 

 

 

追記

コメントを頂いて、いくつか思い出したので残しておく。皆さん俺のことよくそんなに分かるね。

色々教えてくれてありがとう

 

 

ルービックキューブ

カチャカチャカチャって素早く揃えられるとカッコいいよね。買って説明書を見ながら数回6面揃えたけど、今は部屋のオブジェになってる。

 

プログラミング

今の仕事が嫌いすぎて転職を考えた時に。本も買ったよ。やってないけど。

 

草木名前を覚える

道を歩いていて、「この花は〇〇だね」って言いたかった。図鑑を持ってる。

 

読書

積ん読って言ったら聞こえはいいかもしれないけれど、結局根気がなくて読んでいないだけ。買ったことで読んだ気になってしまっている。自己啓発本とか、小説とか、詩集とか、図鑑とか、資料集とか。紙、電子わず読んでいない、または読みかけの本が大量にある。

 

ファッション

趣味と言えるかわからなかったから書かなかったけど、服もめちゃくちゃある。わかってもらえるかわからないんだけど、「定番」とか「一生モノ」って言葉に弱い。例えば、「このアイテムが欲しい!」ってなった時は一時的にめちゃくちゃネットやら雑誌で調べて、「これ買ったら間違い無いだろう」ってものを買ったら満足してしまう。たまに気がついて着るくらい。

 

麻雀

ネット麻雀にハマって、麻雀牌まで買った。小手返しやってみたいな、と思ったけど手が追いつかない。あとやる相手がいない。

 

ボルダリング

一時期通っていたけど、自分身体の可動域の狭さにびっくりしてやめてしまった。

 

短歌俳句都々逸、詩

小説ダメならこっちだな、と思ったけどそもそも書けるようなネタがない人間センスを求められるこれらをやろうとしたところで、という結論に至った。

 

競馬

このブーム自分みたいな人間が手を出してないわけないよね……。自分でも呆れる。

ダービーで800円、鳴尾記念で500円、安田記念で300円、エプソムカップで600円負けてるよ。

 

ゴルフ

職場の付き合いで。クラブセットも持ってるよ。知人が「120に壁が…」なんて言っていたけど、そもそもそのレベルにも達していない。たまに職場コースに出てもひたすらボールを追いかけてマラソンするばかり。

 

料理

鉄のフライパン中華鍋なんて買っちゃったりしてメンテを怠ってこげつくようになっちゃったり。調味料ばかり揃えてみたりして期限を切らしたり。自炊程度ならやっているけど、趣味なのかこれは。

  

TRPG

これもやってた(やってないけど)。ソードワールドクトゥルフルールブックを買ってきて、キャラシまで作るんだけど「え、これ誰とやるの?」という疑問が出てやめている。オンセがあるのは知ってるけど、そこまでのバイタリティがない。

 

データベースになろうとする。詳しくなろうとする。

過去オリコンチャートを全部覚えようとする。

直木賞芥川賞を全部読もうとしてみる。

ナンバリングタイトルシリーズものゲームを全部やろうとする(ドラクエFFメガテンポケモンゼル伝などなど)。

 

 

ご指摘はごもっともで、多分自分は「趣味に打ち込んで、誰かに認められる」ではなく、「誰かに認められるためにとりあえずわかりやすものに金を出して何か始める」パターンが多い。

かに認められた経験が少ないから手っ取り早く「すごい」と言われる手段を求めているのだと思う。承認欲求バリバリだね。

このネット社会、ちょっと調べるとどんな事象にも初心者向けのハウツーが転がっているので、自分にもできてしまうんじゃないか、という気がしてしまう。これを始めれば人生変わるんじゃないかと思って一時的にカッと熱くなるけど、すぐに冷めてしまう。その繰り返し。確かにこれは趣味と呼べないかも。

 

あと、挫折する理由の一つに深掘り癖もあって、   

〇気になるコンテンツを見つける

→気になるコンテンツの作者が影響を受けたコンテンツルーツとなったコンテンツを調べる

→これを理解しないとこの気になるコンテンツを完全に理解することはできない!

→手を出す

→量の膨大さ、内容の難解さに挫折

 

 このパターンが非常に多い。指輪物語とか、クトゥルフとかが一番わかりやすい例だと思う。映画もそう。服買う時とかでもこういうことがある。(調べまくった結果、定番モノしか買わない、とか)

 

勉強部活とか何かに打ち込んだり、成し遂げたりしたことがないからその反動じゃないかなって考えている。積み重ねがないから急いでそれを何かで埋めようとしている感覚

AmazonYouTubeTwitterは余りにもキラキラし過ぎていて、人に影響を受けて流されやす自分のような人間には本当に毒です。Instagram?だめだめ!

 

英語キーボード(ピアノ)、動画制作プラモデル格闘技(ボクシングor空手)、アマチュア無線DJ全部昔気になってたことだ。

信者になろうと思って昔作ったブログの残骸もネットの海で化石になってる。発信するような積み重ねがないし。

 

部屋は汚い。よくわかったね。

お金はないよ。カツカツです。

住まい地方から、その他の支出が少ないのかも。

ものがどんどん増えるのは、始めてしまたからにはやり切らないといけないって言う心底下らないプライドがあるのだと思う。

 

 

だらだら書いてしまって本当に申し訳ない。

クローズド生活しかしていなかったから、そういえばインターネットって人がたくさんいるんだったって思い出せた。

2021-06-11

はてなー隠居して縁側で俳句詠むときに別名を名乗った

刃手名運瞑斎(はてなうんめいさい)

2021-05-21

お気に入りタオル増田酢魔のる小田野りい二期お(回文

おはようございます

通販じゃないバッタ店頭出会フィジカル商品ってあるじゃない。

ヨネスケさんが突撃しないフィジカルな方の店頭でのってことの意味で。

でねたまたま

もの凄く品質の良い俳句リーティー勝つコスパ良のタオルにであって、

何気なく手に取ったタオルこれしか勝たん!って一句詠めちゃうほど

しばらくリピしまくってして買ってたんだけど、

その売り場がなくなってしまって

それ以来私のお気に入りタオルが買えなくなっちゃったの。

ネッツよろしく

なんでも品番とか検索したらアンフィジカル商品電脳空間を伝って、

回りくどい言い方だけどネッツで買えるわけじゃない。

そのタオル品番とか無いかネッツでも検索探しが出来ないのよね。

でさ、

今たった今思い付いたんだけど、

写真撮ってグーグル画像検索したら似ているタオルショッピングサイトに案内してくれるのかしら?

ってあとでやってみようと思うんだけど、

そうしたら本当にご先祖様も万々歳だわ。

書いていてネッツの不満をつらつらと書いていても打開策が大谷翔平さんの二刀流なので

そりゃ外野も守るちゅーに!って思う反面

今しがた思い付いたことを忘れないように

メモしてコピペしておくのよ!

コピペの特訓50回やっといてよかったわ!って

たまーにそうやって本当に良い商品出会えちゃったりするから

まんざらネットで全部まかなえると思わない方が得策案件てんこ盛りなのよ。

青木まりこさんの言う本屋出会う本と同じようにね。

ネッツは品番のある世界だけど

私たちが住んでいるフィジカル世界は品番がないの。

でもまた気付いたんだけど

フィジカル世界に飛び込んだら

時間が一杯あってもたりないじゃない。

アンフィジカルならネットを閉じれば一旦終了と言うことで私のショッピングはおわり!ってなるんだけど

まあでも

フィジカルも行くお店を決めておいてあちこち回らなければいいのかも知れないし、

意外とフィジカル店舗に行くこと自体時間がとられていることをもっと感じた方がいいのかさえ思ったわ。

からやっぱり一長一短あるのかもしれないし、

私のお気に入りタオル探しの旅は

またちょっと終わりそうもないわねって話でした。

良いタオル見つけたらまた言うわね。

うふふ。


今日朝ご飯

レタスシャキシャキサンドしました。

すっかり最近はこれがお気に入りの2日目よ。

私の中で流行サンドイッチはぐるぐると変わるのよ。

デトックスウォーター

ルイボスティーウォーラーしました。

またそろそろ麦茶の量産体制に入るべき頃だとも思うので

気象庁が今年の麦茶観測したら

作ることにしてみたいと思うわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-05-19

anond:20200616231036

自治体文化協会に加盟してるのが大人趣味王道

短歌俳句囲碁将棋写真盆栽日本舞踊茶道華道盆栽三曲(箏、三味線尺八)このへん

さらにこれの近隣で探すとチェス都々逸川柳盆石盆景香道トールペイント

こんなかで結構な金かかるのは日本舞踊くらいかな?和服うから短歌とか将棋とか盆栽なんて、コレクション系の趣味に比べたらタダみたいなもん

このへんだな、これの全部に興味ないんだったらもう大人趣味なんて言わないほうがいい

2021-04-24

anond:20210424100422

春の七草がなぜ7つなのか

ラッキーセブンはなぜ7がラッキーなのか

俳句短歌で7音を多用するのはなぜか

なども気になるところだね。

2021-04-09

納得イカないこと

中小企業環境活動とかで無駄な紙印刷減らそうみたいなことやってる一方で、

プレバトっつーTV番組でどでかい紙をシュレッダーにかけてゴミにするのを毎週放送してること

考えた俳句却下されるだけでも気分悪いのに、それを大量の紙クズにするっていうパフォーマンスのためだけにそんなことやってる

ほんとゴミ

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2021-03-25

現代文でよくある字数制限下での抜き出し問題って、限られた字数にたくさんの要素を詰め込むところが、俳句と同じ情緒があって好きだ。

2021-03-13

俳句とかってAIにつくらせたらいいのに。

定型詩をたくさんつくらせたら、そのなかには当たりがあるだろ。

でも本当は、その当たりを当たりと、判断できるのが本物のAIだよな。

2021-02-26

anond:20210223230126

せめて川柳っぽく

増田では あまり俳句を 見ないよね

とか書くべきジャン?

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