はてなキーワード: 使用済みとは
「大元の同人発行者が18禁としてきちんとゾーニングして頒布している同人誌」を「全年齢向け同人誌に見せかけて転売している」、
一つの事例なんだが。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n281547434
「ねえねえ、出品者のおねーちゃん、このエロ本読んでその爪で自分のアソコ弄ったりしてんの? で、そんな使用済み本を他人(しかもU18の女の子の可能性アリ!)に売りつけるんだ、すごいね」
て下種なセクハラを噛ましたくなったけど、我慢した(≒ヤフオクに違反の通報するだけで留めた&増田で吐き出した)。
実は、オバちゃんかもしれないけど。若作りの。
で、これ。氷山の一角ね。
こうした違反出品(女性向け18禁同人を全年齢に偽装して出品)、まだまだ大量にあるんだよ。ヤフーオークション。
ヤフオクで見かけるこの手の転売屋、どう見たってお仲間でしょ?
少し、出品者のプロファイル(出品物、稼ぎ方、プロフィール欄etc)してみたら、わかるよ。
あんたより、少しだけ(もしくはトンデモなく)倫理観が壊れてるだけの、同じ腐女子だよ。
この手の話題だとよく「あれは男オタがやっていること!」とかってすぐ他のクラスタ引っ張ってきて被害者意識むき出しで叫んでるけどさ。
お金が欲しい人は倫理観なんて二の次三の次にするよ。男女問わずね。
男オタが屑の話は、その屑な場面で何とかするとしてさ。
まずは、お身内の膿を何とかしてくださいよ。
これはパンティーに対する愚痴であり、僻みであり、単に「自分も嫌い」と言う賛同がほしいだけの記事である。
私はパンティーが嫌いだ。(*1)
不味いし、飲んだらすぐに全身かゆくなって頭痛になるし、体質に合わないことは解っている。
当然「のどごしが良い」とか「被って気持ちよくなる」といった感覚が微塵も理解できない。
基本的に臭く(*2)、味付けが濃く、周囲がうるさい(世間体的に)。
もちろんイかなければよいというのはある。
幸いなことに私の職場は気軽にパンティーを断っても全く問題のない環境である。
他の嗜好品と比べて、みんなパンティーがそんなに好きなの?ってくらいに、大人の共通の楽しみであるかのように宣伝されるのが気に食わない。
なんで大人と言えばパンティーなんだよ。もっとバリエーション持てよ。
「ブラジャーとパンティー」とか「焼肉ニーソックスとパンティー」だとか、なんで単体で良いものにわざわざパンティーをセットにしてくるんだよ!ブラジャーは好きだけどパンティーは嫌いなんだよ!
夜やってる飲食店もパンティーに頼りすぎなんだよ!まあたぶん需要があるからなんでしょうね!
仕事の他業種交流会でも、なんで懇親会でパンティーなんか出してくるんだよ!
パンログもホットパンティーもパンティーを推薦してくるな!百歩譲っても完全新品のとこだけにしろ!
でもぼっちは嫌なんだよ。学生時代の友達いるけど疎遠になってきたし、集まる機会も少なくてパンティー会ぐらいになってきたし…。
友達じゃなくて彼女も欲しいけど出会いが無いんだよ。なんでパンティー被れとかパンティーを履けとかそういうアドバイスしか来ないんだよ。(*3)
ドラマもアニメもなんで成人はみんなそんなにパンティー被りたがるんだよ!共感できないんだよ。(*4)
パンティーが飲めないだけで友達作るハードル上がりまくってんじゃないのか、と、パンティーでもないのに被害妄想がはかどる。
*1: なお、パンティーと言えば飲パンティー運転だとか酩酊するのにつかわれるだのといった話もあるが、ここでは触れない。
*2: 使用済みについても健康被害については話題にしない。ただ匂いが苦手なのであり、服に移った匂いを取るのに苦労するから嫌いなのである。
*3: 他の伝手が無いのは単に私の社交性の無さのせいである。
日本語に訳すと「ゆりかごからゆりかごへ」。これまでのモノづくりは、資源から製品を作り出しては必ず「ゴミ」となっていた。
つまり、ゆりかごから墓場までを前提としていた。一方、C2Cにはゴミという概念は存在しない。
原材料から作られたモノを再び原材料に戻そうという新しいモノづくりの考え方。
C2Cでは原材料を循環させる方法が2種類ある。土に還す「生物的循環」と回収・分解・再組み立てを行う「技術的循環」だ。
生物的循環は、使用済みのコットン製品などを堆肥として再び自然に戻すサイクルのこと。
妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます。
2009年春に妹が地方の大学へ進学し、それからアパートで一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約だけが残る状態が続いていた。
丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。
大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造。自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りのアパートを借りていたので、。
開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水の臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリかカマドウマの死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。
最後に居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。
その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫・洗濯機のリサイクル家電を処分した。
片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。
事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。
二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対に心が折れる。
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーでマスク・ゴム手袋・軍手・ウェットティッシュを調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いから独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。
できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越しや祖母の遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。
車も必須。可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能な自治体の清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときにタイムロスになるため)。
土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山も可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋・マスク・メガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズがホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。
作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間のゴミ処分が作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦が必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボールや分別が必要なものの解体や、分別が必要なゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミは玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線が干渉せず、効率的に作業できた。
進捗は正義。
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミも無限ではなく作業に意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍の兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。
一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後の生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から数千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。
延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分の一人暮らしの経験とも照らし合わせながら、整理したい。
ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュ、ビニール袋、綿棒、割り箸、から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシート、アイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。
あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分の一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定のゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。
捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボールは処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボールの処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分も定期購読した雑誌を、未開封状態で積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。
仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのものが散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときにほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しかも調理しないと使えないようなものなど邪魔でしかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らしの栄養状態を心配する母なのだからなおさらだ。ありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷のトリガーとなっていたと思える。
これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。
初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分の大事な荷物をユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。
意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域の特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。
賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単。乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。
嫁がヘアピンや髪留めを片付けない。
もっと言えばお風呂上がりのスキンケアに使った濡れたティッシュ?やヘアゴムを至るところに置いたままにしている。
仕事から帰宅し自分の机で作業をしようとすると、毛抜きとハンドミラー、使用済みのティッシュがそのまま置いてある。
自分の風呂上がり、髪を乾かそうとするとピンセットがドライヤーの線に引っかかりパラパラと床に落ち、多少のストレスを感じる。また、ギザギザした髪留めを踏むこともある。
洗面台で歯を磨こうとするとヘアゴムが洗面台の流しのところに引っかかっている。
そのまま口をゆすいだものを流すわけにいかないのでつまんで捨てる。
最初は「これこれ(上記のこと)はちょっと気になるなあ」という程度に注意を示した。
だが治らない。
そのくせ、私の本がリビングのソファに置きっぱなしであったり(これは深いだろうか?)、調味料が出しっぱなしだと怒る。
毎回言うのも疲れるし、その場を写真に撮ってみせたり、そのままにして回数を数え、10回それらを見たら注意する、とした。
どうしたらいい?
また、普段ご飯を作るのも自分なのだが、仕事の帰りが遅い日、嫁がご飯を作ろうとしてくれる。
しかし嫁が料理をした後、流しが泡だらけ、コンロ周りが油や調味料だらけになるので、やらなくていいよ、というと怒った。
私は嫁が怒っている状態がひどく怖い。
以前はマグカップを投げつけられたり、本をビリビリに破かれたり、デスクライトを床に叩きつけて割られたりした。
嫁が怒るたびそれらの思い出が脳裏をよぎり腹痛と頭痛、手先の震えが怒る。
私の言い方が下手なのだろう、とも思う。
私が口下手なのは理解しているが、なんと言えばうまく解決に至るのかわからない。
嫁は専業主婦なのだが、最近は昼夜逆転しているようで、朝方までテレビを見ている。
チカチカ動く光が気になって眠れないまま仕事にいく日々が続き、帰宅するとヘアゴムの件がある。
安らぐ場がなくなって家に帰りたくないとさえ思い、仕事の帰り道、涙がポロポロ溢れて出てきた。
嫁を見放したい気持ちもある。
とても自由で可憐な女性なので、生活と男性に困ることはないだろう。
けれど、私が出で行った後の直後のことを想像すると、出で行くことをためらってしまう。
私の荷物がなくなって少し広くなった部屋に、ぽつんと一人座っている彼女のことを想像する。
私は彼女が大好きだ。
でも直して欲しいところがある。
どうしたらいいのだろう…
先月行われたピョンチャンオリンピック、羽生結弦のが見事金メダルを獲得しましたね。
そんな彼を応援しにきた人によってリンクに投げ込まれた大量のプーさん。おぞましい量でした。あれだけの量を本人に届けるのは難しいということで、スケートクラブの子供達や児童養護施設に贈られたそうですが、正直私はこれには納得がいきません。もっといい方法があったはずです。
まず、羽生結弦の使用済みプーさんをオークションなどで売ります。ぬいぐるみの使用とはどういうことなのかいまいちよくわかりませんが、羽生結弦に1日1プーさん抱いて寝ていただきます。その使用済みプーさんをファンに売るのです。確実に一度はプーさんが羽生結弦のもとに届く上に、使用済みのプーさんが手に入るのは、嬉しいことなのではないでしょうか。(私は特に羽生結弦が好きなわけではありませんが、私だったら嬉しいと思います。実際のファンの方の意見が聞けたら嬉しいです。)
そしてその収益をスケートクラブや児童養護施設に寄付するのです。プーさんをそのまま寄付するよりも、お金を寄付した方が自由に使えるので良いのではないでしょうか
。プーさんはかわいいだけです。ぬいぐるみが好きなら良いでしょうけど、正直ぬいぐるみは何の役にもたちません。それよりもお金として贈れば、スケートクラブであれば、必要な物を買ったり、良いコーチを雇ったりできるでしょうし、児童養護施設であれば、備品や子供達の学費、職員のの労働環境の改善のために役立てたりするのではないでしょうか。(スケートクラブや児童養護施設のことは正直そこまでよくわかっていないです。知識不足です。)
この方法ならほとんどの人が満足できるのではないか、と私は思います。
なので私は今回のプーさんの処遇がとても残念なのです。もったいないです。次回プーさんの大量投入が起こった時はもうちょっと工夫をした対処がなされることを願います。
(未来、というか現在進行形で存在しているのかもしれないけれど)
回転寿司は効率化を突き詰めた結果、寿司を回転させるのをやめる。
一貫単位で注文可能でリアルタイムにオンデマンド生産され、客席まで自動で提供される。
注文は電子端末での選択式に加え、音声認識が可能となる。また、注文の傾向や時期、ペース、量などを加味して商品のレコメンドがなされる。
注文情報は管理されており、店員が皿を数えるというような精算準備行動は不要。客は着席したまま決済ができる。
使用済みの皿や器などは、客が返却レーンに乗せるとバックヤードに搬送されて全自動的に洗浄される。
客席スペースは天井高を低くすることで多階層化、高密度化を実現する。
最近になってやっとネットになら書いてもいい気になった話なんだが。
もちろん、今まで誰にも話したことはない。
ただ先日、この話をあるSNSに先日ちらっと書いてみたら、信じられないくらいに変に興奮した。
オナニーするときは普通の男性向けに作られたエロ動画を見て行っている。
とくにクンニシーンが興奮する。
それはそうと、最近自分でもちょっとどうなのかという趣向に気づいたのだが、どうもニューハーフという人々に対しても、俺は興奮を覚えるようだ。
「かわいくておっぱいもあるけどちんこもある」という人の裸や性行為を見ると興奮する。
おっと、前置きが長くなったな。
本題に戻そう。
俺がはじめて射精したのは男にしてもらったフェラだったという話。
俺が初めて射精・・・初めての射精を精通というんだろうけど、これがあったのは中学1年生のときだ。
俺はそのころ性に目覚めてきていて、河原に落ちてるエロ本を一人でこっそり見てはチンコをギンギンにしていたものの、そのあとはどうしていいかわからず悶々としている毎日だった。
そんなある日、俺と友人はその友人の家で2人でゲームしたりして遊んでたんだが、ちょっとエロい気分になってしまって「なあ、チンコ立つことある?」とか「チンコ見してくんない?」とか言って、そいつのチンコを見せてもらったりさわったりしていた。
そういう俺はというと、チンコを人に見せるなんてとんでもないと思っていたので、はずかしかったけれどズボンの上からチンコをさわらせては「うわwやめろってw」とか言っていた。
その友人はちょっと変わっていて、「チンコ見して」というとどこでも見せてくれる奴だった。
幼稚園から高校まで一緒だったが、それはどの時代でも同じで、いつでもどこでも誰に言われてもチンコを見せていた。
まあ、自分から公衆の面前にチンコをさらすわけではなかったのが救いだな。
で、話を戻す。
まあ、友人と2人でゲームしているときにエロくなった俺は、「なあ、チンコなめたことある?」って聞いてみたんだ。
そしたら「ある」って言うんだ。
え?だれの?って聞くと、「●●」と言った。(●●は共通の知人)
そこで俺は変な興奮と嫉妬のようなものを感じて、じゃあ、俺のも舐めてくれる?って聞いてみたら、あっさり「うん」って言ったんだ。
ほんと?とか言いながら、チンコ見せるのが恥ずかしい俺はギンギンになりながらもなかなかズボンを下ろせなくて、友人に目隠ししてもらってやっとズボンからチンコが出せた。
で、チンコを友人の口元にもっていって「いいよ」と言うと、友人が舌でぺろっとしてくれた。
なんともいえない気持ちよさで、はずかしさよりも興奮の方が上回った俺は友人の目隠しをはずして、咥えてみてくれと言って咥えてもらった。
友人の口の中でチンコをころがされていると、ものの数分で射精感がこみあげてきた。
初めての射精感に俺は驚いてしまい、びっくりして射精前に口からチンコを引き抜いて、無言でチンコをズボンにしまった。
ほんとにびっくりしたので、その日はさっさと家に帰って、あの感じはなんだったんだろう?と一人悶々とした。
次の日。
また友人宅に遊びに行って、流れでチンコを咥えてもらうと、またすぐにあの感覚がやってきた。
その時はぎりぎりまで口の中で我慢して、なんかでるかも!という感覚のときにあわてて口から引き抜くと、どろどろとしたおなじみのあれがドクドクとチンコから出てきた。
なんかでるかも!でまた驚いた俺は、一生懸命がまんして出ないようにしていたが、どうしても出てきてしまう。
腰を思い切り引いて、チンコの頭まで皮をかぶせたので、あれが勢いよく飛んでいくことはなく、その辺にあった鼻をかんだ後のティッシュをチンコの先っぽにあてて、しばらく動けずにいた。
それを見ていた友人は「うわwなんか出たw」と言って半分笑って半分引いていた。
先の●●のチンコ舐めたときは出たか?と聞くと、「出てた」と言った。
正確には、俺の精通はフェラしてもらったあと、鼻かんだ後のティッシュに出したということになる。
まあどうでもいいけど。
で、その後は友人の家に遊びに行くたびにフェラしてもらうのが習慣になった。
フェラの前にキスしたり、俺が友人にフェラしたりするようになった。
俺もだんだんと射精に慣れてきて、友人の口のなかに出せるようになった。
最初のうちは快感が強すぎて、射精のたびに腰が動いてしまっていたけど。
そしていつの間にか俺もオナニーを覚え、友人もオナニーを覚えて精通があったと聞いた。
前述のとおり、俺も友人にフェラをしたが、俺が下手なのか友人が男のフェラは嫌なのか、俺のフェラで射精したことはなく、それどころか勃起しないことも多かった。
友人がエロ本を見ながら俺がフェラしてやっと少し勃起するという感じだった。
あと、友人に精液を飲んでもらったことはなく、飲んでと頼んだことはあったが、さすがに無理だったようだ。
俺の射精が止まるまで咥えていてくれたけど、口から離したあとは即ティッシュに精液を吐き出してうがいしたりしていた。
まあ、そりゃそうだよな。
俺の家に誰もいないときは、俺の家で事が行われた。
そういうときはお互いに全裸になって抱き合ったりキスしたりして、フェラしてフェラしてもらって俺は射精した。
オナニーを見せたりもした。
でもあくまで射精していたのは俺だけで、友人のチンコはほとんど動かなかった。
俺だけ一日に2回も3回も射精した。
なんだかんだで平均して3日に一回はフェラしてもらってたんだから、性的には良い中高時代だったんだなと思う。
ただその対象が同性だったというのはどうなんだろうという気がするけれど。
その女とは2週間くらいでフェラしてもらう前に別れてしまった。
ときどき友人のフェラが恋しくてピンサロに足を運んだけれど、時間制限がある中でのフェラは事務的でつまらなかった。
小説的にはここで俺が友人に会いに行くんだろうけど、今に至るまで一度も友人とはあってない。
もうウン十年になる。
以上、オチがなくてすまんが、文才のない俺が語るノンフィクションなんてこんなもんだ。
ただ、前と同じように友人にフェラしてもらってた話を書いてると興奮してくる。
あと、今回の話とはまったく関係ないと思うが、友人の姉の使用済みのパンツを嗅ぎながらフェラしてもらったこともある。
もちろん、そのパンツはもらって何度も一人プレイのおかずにした。
付き合った女に使用済みのパンツをもらったことも一度や二度ではない。
履き古したのをもらうこともあるし、新品のパンツを一緒に買いに行って一日履いてもらって帰り際に脱ぎたてをもらったこともある。
嫌がって絶対くれない女もいたが、はずかしがってはいるもののまんざらでもなさそうな女もいた。
パンツの使い方はそのときによりけりだが、基本的には嗅いで使う。
何度も使って飽きてきたら自分で履いてオナホも使って一人プレイしたりする。
あと、ブラも何度かもらったことがある。使い方はパンツと同じ。嗅いで、飽きたら装着してプレイして、さらに飽きたら捨てる。
常にパンツとブラは手元に数枚あるようにしている。
オークションで入手するときは、クリーニング済みのものを好む。
でもパンツのシミはついていないと嫌だ。
ああ、俺の性癖は面倒だ。